(3)
(よし。誰にも気付かれずに抜け出してこられたわ)
城下でフィーヌは長距離乗り合い馬車の時刻表を眺める。
(えーっと、レイクタウン行きは──)
フィーヌはカバンから懐中時計を取り出す。
出発は三十分後だ。
定刻までベンチに座りながら、町を歩く人々の往来を眺めた。そのとき、中年の婦人がお喋りしているのがたまたま耳に入り、フィーヌはドキッとする。
「城に勤めている親戚に聞いたんだけど、近く何かの祝賀会を行う計画があるらしいわよ。領主様自らが指揮を執ってるとか」
「へえ、そりゃめでたいわね。何があったのかしら?」
楽しげに噂話をするふたりのほうを、フィーヌは見る。彼らはそのまま道を歩いて行ってしまった。
(祝賀会なんて、聞いてない……)
率直に言って、ショックだった。
フィーヌはホークの妻であり、ここロサイダー領を治める辺境伯夫人だ。城でそのような計画があるなら当然知っていなければならないはずなのに、一切聞いていない。
(わたくしには秘密の祝賀会ってこと?)
真っ先に思い浮かんだのは、シェリーが身籠っている赤ん坊をお披露目する会だ。シェリーがホークの寵愛を受けているなら、シェリーが産んだ子供は当然ホークの血を継いでいるはず。
次期辺境伯になるかもしれない子供をお披露目するにあたって大規模に祝うのは当然のことだ。
(今日出て行って、正解だったわ)
夜、ホークから近く婚外子が生まれることと、その子のお披露目をするための大規模な祝賀会を開催することを告げられてしまったら──。
正直、最後まで冷静でいられる自信がなかった。
もしかしたら、ホークの前でみっともなく涙を流してしまうかもしれない。
「レイクタウン行き、そろそろ発車します」
不意に聞こえた若い乗務員の呼びかけに、フィーヌはハッとする。
「乗ります」
「どうぞ。あと三分で出発です」
「ありがとう」
乗り込もうとしたフィーヌはついいつもの癖で右手を差し出し、誰もエスコートしてくれないことに気付いて手を引く。
こういうのも、早く慣れないとね
相乗りの長距離馬車にはフィーヌの他に三人ほど人がいた。フィーヌは空いていた席に座る。
馬車が動き始め、見慣れた景色が後ろに流れていった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、ホークは屋敷で忙しく仕事をこなしていた。
「西部地域で作業を続けている井戸の整備ですが、順調に工程が進んでいます。完成は再来月の予定で、完成式典には是非閣下と奥様にお越しいただきたいと」
「再来月なら、乾季に入る前に完成するな。よかった。完成式典にはふたりで参加しよう。日程を詰めておいてくれ」
「かしこまりました」
文官は丁寧に頭を下げてから、部屋を出て行く。すると、すぐにまた別の文官が入ってきた。
「閣下がご依頼されておりましたネックレスが完成したそうです」
文官の後ろには、貴金属店の店主がいた。
「見せてくれ」
「こちらです」
ホークが差し出した手に、店主は持っていた小箱を載せる。ふたを開けると、ダイヤモンドが複数使われた美しいネックレスが入っていた。
「想像以上の出来栄えだ」
「気に入っていただけて何よりです」
店主は褒められて嬉しそうにはにかむ。
「最上級のダイヤモンドを使用しております。この世にふたつとない逸品に仕上がったかと」
「そうか。ありがとう。いい仕事をしてくれて感謝する」
「ありがたいお言葉でございます」
店主はお辞儀をすると、部屋を出ていった。
ホークは改めてネックレスを眺める。
(フィーヌは喜んでくれるだろうか)
今日で約束の二年が終わる。
結婚した日に誓約を申し出てきたときから、フィーヌが二年経てば離縁を申し出るつもりであることには気付いていた。
しかし、フィーヌのことを知れば知るほど彼女に惹かれる自分を抑えることはできず、手放すことなど到底無理だ。
だから今夜、ホークは彼女にもう一度プロポーズしようと思っていた。
自惚れでなければフィーヌも自分を愛してくれているはずだ。




