(2)
結婚初日に夫に愛人がいると知って、この結婚は期間限定のものだと心に決めた。約束の期間でロサイダー領を豊かにしたら、きっぱりと離婚して出て行こうと思い、ずっと準備してきた。
(それなのに、未だに後ろ髪を引かれるなんて──)
バナージと婚約破棄するときは一切未練を感じなかったのに、一体なぜだろうと考える。
「結局、わたくしが簡単な女だったってことなのかしら……」
フィーヌを蔑ろにし続けたバナージに対し、ホークはまるで本当に愛しているかのように優しく扱ってくれた。
それで、自分自身も愛されているような錯覚を起こしていた。もしかしたらシェリーとは既に縁が切れていて、このまま幸せな結婚生活を送れるのではないかと淡い期待を持っていたのだ。
(未練がましいわよ、フィーヌ。さあ、行かないと)
フィーヌは自分自身を叱咤すると、起き上がって朝の準備を始める。そうこうするうちに、侍女のアンナがやってきた。
「あら、奥様。今日はずいぶんと軽やかな格好をお選びになったのですね」
ひとりで着られるワンピースに着替えたフィーヌを見て、アンナは首を傾げる。いつもならもう少し広がったデイドレスを着ているので、不思議に思ったのだろう。
「ええ。たまにはいいかと思って。変かしら?」
「いいえ。とっても可愛らしくていいかと思います。せっかくだから、髪の毛も城下で若い女性に流行っている髪型にしてみましょうか」
「本当? ありがとう」
フィーヌはお礼を言う。
今から城下に降りて人に紛れて姿を眩ませるつもりだったので、アンナの提案はとてもありがたかった。流行りの髪型であれば同じような髪型の人がたくさんいるはずだから。
「髪飾りはどちらになさいますか?」
「えっと、これにするわ」
フィーヌはずっと昔、ホークと城下にデートに行ったときに買ってもらったシンプルなヘアピンを指さす。平民も使うような手ごろな値段のものなので、付けていても違和感ないはずだ。
アンナはフィーヌが選んだヘアピンを、顔の横辺りに付ける。
「はい、できましたよ」
「わあ、可愛いわね。ありがとう」
フィーヌは鏡を見てお礼を言う。
左右に三つ編みを作り、それをくるりと巻いてお団子にしてある。いつもより、顔周りがすっきりして見える気がした。
「ねえ、アンナ。これ、あげるわ」
フィーヌは手持ちのアクセサリーの中から、自身がショット侯爵家から持参したネックレスをアンナに差し出す。
一粒ダイヤのシンプルなネックレスで、アンナが普段使いしていても違和感ないものだ。
「え? そんなっ。このような高級な品物はいただけません」
「いいのよ。ほら、最近ダイヤモンド鉱山がロサイダー領で見つかったおかげで、旦那様がよくアクセサリーをくださるでしょう? だから、もう使わないの」
「そうなのですか? それではお言葉に甘えて。ありがとうございます」
アンナはおずおずとお礼を言う。
「付けてあげるわ」
フィーヌは立ち上がってアンナの後ろに回ると、チェーンの留め金を繋ぐ。
「ほら、思った通りね。とっても似合ってる」
「奥様、ありがとうございます」
アンナは嬉しそうに微笑んだ。
朝食後、フィーヌは部屋で本を読んで過ごした。
「ねえ、アンナ。図書室で本を探してきてもらってもいいかしら?」
「もちろんです。なんの本を?」
「これなんだけど──」
フィーヌが手渡したメモを見たアンナは「こんなタイトルの本、あったかしら?」と首をかしげた。
「たまたま面白いと耳にして、読んでみたいと思ったのよ。あるかわからないけれど……」
フィーヌは口ごもる。
適当に考えたタイトルなので、実際にはこんな本はないかもしれない。しかし、フィーヌの狙いはアンナと離れる時間を稼ぐことなので、それはたいした問題ではなかった。
「かしこまりました。まずは見に行ってみます」
「ありがとう」
フィーヌは微笑んで、アンナを見送った。
「さてと」
フィーヌは部屋を見回す。
ここに来たときはシンプルだった室内には至る所に花が飾られて、いつの間にかフィーヌ好みに変わっていた。その変化に、二年というときの流れを感じる。
(二年、あっという間だったな)
ホークと初めて出会ったダイナー公爵家の舞踏会からの記憶が走馬灯のように脳裏に蘇り、フィーヌは首を横に振る。早くここを立ち去らないと、ずっとここにいたいという気持ちがどんどん強くなる。
フィーヌは机の引き出しの奥から、あらかじめホークに書いておいた手紙を取り出し机の上に置く。
「今までありがとうございます。そして、さようなら」
後ろ髪を引かれる気持ちを断ち切って、カバンひとつ持って部屋を出た。




