第七章 夫婦関係の変化
【ヴィラ歴423年4月】
月日は流れ、フィーヌがロサイダー領に嫁いで二年が経とうとしていた。
この二年間の変化といえば、長く病床に伏していたダイナー公爵が亡くなり、バナージがそのあとを継いだ。そして、故ダイナー公爵の死後まもなくして、ダイナー公爵家で鉱山管理人をしていたロバートが辞任してフィーヌのいるロサイダー辺境伯家に転職して来てくれた。
鉱山開発から鉱石の流通まで全てを知っているロバートが来てくれたことは、ロサイダー辺境伯家にとって非常に大きかった。
彼が旧知の人脈や伝手でビジネスを軌道に乗せ、今やロサイダー領はヴィットーレ有数の豊かな地域に変貌していた。
フィーヌは朝のまどろみの中、ゆっくりと目を開ける。
目に入ったのは彫刻のように凛々しい男性──ホークの寝顔だ。
(きれいな顔……)
フィーヌはしばしの間、彼の寝顔を見惚れる。
触れれば噛みつかれそうな危険な香りを纏うホークは、いつの日か美術館で見た石像の闘神のようだ。
だからこそ、ふわりと微笑んで凛々しい彼の表情が崩れる姿を見るたび、フィーヌはそれをとても特別なものに感じた。
「きみは俺の寝顔を眺めるのが好きだな」
ホークの目が開き、フィーヌを真っ直ぐに見つめる。彼は片手を伸ばすとフィーヌの髪の毛を一房手に取り、キスをした。
「いつから起きていたのですか?」
「ずっと前から。きみが俺の顔を食い入るように見つめているより前だ」
(それって、私が起きるより前じゃない!)
寝ていると思っていたからやっていたことも、全部ばれていたなんて。フィーヌはカーッと顔が赤くなるのを感じた。
「寝たふりをするなんてひどいわ」
「許せ。フィーヌが可愛いから、少し観察したくなったんだ」
ホークはくくっと喉の奥で笑い、フィーヌの顎を掬うとキスをした。
「ところでフィーヌ。今日はなんの日か知っているか?」
「もちろんです。わたくしがロサイダー領に嫁いできた日ですよね」
「その通りだ。それで……今夜話したいことがあるから時間を空けておいてくれ」
「……はい」
フィーヌは微笑む。
ホークは普段は鋭い目を優しく細め、フィーヌの頭を撫でた。
「はー。まだこのまままどろんでいたいところだが、起きるか。今日は朝から会議が目白押しだ」
「そうですね」
フィーヌは相槌を打つ。
ホークが今日、朝から会議だらけであることはフィーヌも知っていた。だって、調べておいたから。
ホークは肩を竦めると、のそのそとベッドから起き上がる。目覚めのよい彼はてきぱきと朝の準備を終わらせてしまった。
「フィーヌはゆっくり準備するといい。また今夜」
「あっ」
フィーヌは思わず声を漏らす。すると、部屋から出ていこうとしていたホークが振り返った。
「どうした?」
「あの……」
フィーヌは言葉を詰まらせる。
今日はフィーヌがここに来てニ年、つまり、ホークとの誓約の期限だ。
つまり、この屋敷を出ていこうとしているフィーヌが彼と言葉を交わすのはこれが最後になるだろう。
フィーヌはベッドから下りて立ち上がると、ホークのそばに駆け寄る。
「いってらっしゃい」
背伸びをするとホークに触れるだけのキスをする。
ホークは少し驚いたような顔をしたが、すぐにフィーヌの後頭部に手をまわす。
「朝から随分と情熱的だな?」
「たまにはいいでしょう?」
「いつでも大歓迎だ」
ホークはフッと笑う。
今度こそ寝室から出て行ったホークの後ろ姿をフィーヌは笑顔で見送った。
(よし。ちゃんと笑顔で見送れたわ)
ホークの記憶に最後に残る自分は、笑顔でいたかった。
泣かずに見送ることができた自分に、フィーヌは「頑張ったわね」と心の中で語り掛ける。
部屋に閉じ込められて醜聞となったフィーヌのことを心配して求婚してくれたホークは、彼女のことをとても大切にしてくれた。シェリーという愛人がいるにもかかわらず、フィーヌのことも蔑ろにはしなかった。
もし結婚初日にたまたまシェリーのことを聞いていなかったら、フィーヌは今も彼に愛人がいるなんて全く気付かなかっただろう。
だが、数日前にフィーヌは信じられない事実を知った。
たまたまカールとホークが話しているのを聞いてしまったのだが、シェリーが妊娠しておりもうすぐ出産らしいのだ。
そのことを知ったとき、自分で『二年間は子供を作らない』という条件を提示したにもかかわらず、フィーヌは頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
ホークとは普段良好な関係を築いているので、まるでこのまま穏やかな日々が続くのだと勘違いしてしまった。
(わたくしがいなくなったら、ホーク様はシェリーさんを妻に迎えるのかしら?)
胸の奥に、ずきっと痛みを感じた。
平民との婚外子とはいえ、シェリーの産んだ子供はロサイダー家の血を引いているはず。結婚が難しかったとしても、養子として迎え入れるに違いない。
(今夜折り入って話したいことって、その子供を養子に迎えたいって話よね)
もしもホークにそんなことを言われたら、フィーヌは冷静でいられる自信がなかった。きっと、みっともなく泣いてしまう。
「はあ。わたくし、思った以上にホーク様のことが好きなのね」
フィーヌは深いため息を吐く。




