(2)
「ねえ、どうなの?」
フィーヌはさらに問いかける。
すると、令嬢は目にいっぱいの涙を浮かべ、ふるふると体を震わせながら「申し訳ございませんでした」と謝罪する。
「以後、発言には気を付けることね」
フィーヌは持っていた扇子をバシンと閉じると、すたすたとその場を立ち去りホークの元に戻った。
「ふっ、くっ」
横に立つホークの様子がおかしいのでチラッと見ると、彼は腹を抱えて笑うのを耐えていた。
「何がおかしいのですか」
「いや。頃合いを見て助けに行こうと思っていたのだが、全くその必要はなかったな。まるで悪女だ」
「悪女で悪かったですね」
フィーヌはむっとして頬を膨らませる。
フィーヌだって普段からこんな風な態度を取るわけではない。今は、同じような嫌がらせをもう受けないようにわざと悪女風に振る舞ったのだ。
「褒め言葉だ」
「そんな褒め言葉、聞いたことありません」
「そうか? 機嫌を直せ」
ホークは未だに笑っている。
「まあ、ロサイダー卿があんな風に笑うなんて」
どこからともなく、驚いたような声が聞こえてくる。
ふと辺りを見ると、ほうっと見惚れたような目でホークを見つめる令嬢が何人もいた。
(ホーク様って『死神』なんて変な噂を流されていたけど、社交界に出たら人気だったんじゃないかしら?)
若く、見た目もよく、おまけに辺境伯。言うことなしの優良物件だ。
なんとなく、もやっとしたものが胸の内に広がる。
そのとき、ふと目の前に影が差した。
「ホークじゃないか。久しぶりだな。王立学院以来じゃないか?」
どこか見覚えがあるような男性達が、ホークに話しかけてきた。
ホークは胡乱気な視線で男達を見返す。
「遊び惚けすぎて、記憶力が落ちているんじゃないか? 半年前にサロンで会った」
「なんだとっ!」
男性のひとりがホークに掴みかかろうとする。しかし、それを一緒にいた男のひとりが止めた。
「まあ、落ち着け。今日はバナージのめでたい席だ。祝杯でも上げようじゃないか」
男が片手を上げると、ワイングラスの載ったトレーを持った給仕が近づいてきた。男はそのグラスを手に取り、その場にいる仲間に手渡す。そして、最後のひとつをホークに差し出した。
ホークはじっとそのグラスを見つめる。
(どうしたのかしら?)
グラスを手に取ろうとしないホークの態度を、フィーヌは不思議に思う。
「おいおい。せっかくの祝い酒くらい飲めよ」
「祝い酒は構わないが、なぜこのグラスには薬が入っている?」
ホークの指摘に、目の前の男の顔色がさっと変わる。
その変化で、フィーヌはホークの指摘が事実なのだと悟った。
「俺を酔わせて前後不覚の醜態でも晒させる気だったのか?」
「いや、何か誤解を──」
「誤解? では、これを飲んでみようか」
ホークは男からグラスを受け取る。
「言い忘れていたが、俺は酔うと人を殺したくなる。ずっと戦場にいたものでな。飲んでいないとやっていられない状況だったんだ」
まるでお前が獲物だと言わんばかりの冷ややかな視線に、男は「ひっ!」と短い悲鳴を上げる。
「飲むな! だめだ!」
「どうして? 祝い酒なのだろう? 皆で祝おうじゃないか」
「ひいっ! 殺される!」
悲鳴を上げた男は、あっという間にその場から逃げ出した。
「飲まないのか。つまらないな」
ホークは残念そうに呟くと、真っ青な顔で一部始終を見守っていたウェイターに「これを下げろ」とグラスを手渡す。
「どうして薬が入っているとわかったのですか?」
フィーヌはおずおずとホークに尋ねる。
「わかっていたわけではない。かまをかけただけだ。あの男達からは俺に対する悪意が見えたから、何かしら企んでいるのは予想が付いた」
「悪意……」
(そういえば、ホーク様の神恵は『魔眼』だったわね)
どうやって見えるのかは詳しく知らないが、その能力のひとつに人の悪意が見えるというのは知っている。
「先ほどきみが対峙した令嬢達といい、まるで子供みたいな嫌がらせだな」
「本当にそうですね。多分、精神年齢が子供なんです。彼らを成敗する閣下はまるで死神みたいでした。あ、褒めてますよ」
さきほど悪女と言われた仕返しに、フィーヌは軽口を叩く。
すると、ホークは一瞬虚を衝かれたような顔をしてから、耐え切れない様子で噴き出す。
「死神と悪女か。なかなかいい組み合わせだな」
「よくありません。極悪夫婦みたいです」
「極悪夫婦か。ははっ」
楽しげに肩を揺らして笑い出したホークを見て、フィーヌは肩を竦める。
「もう義理は果たしただろう。帰ろうか」
「主役のおふたりにお祝いのご挨拶をしていませんわ」
「お祝いの挨拶をしたいのか?」
ホークは器用に片眉を上げる。




