第六章 バナージとレイナの結婚式
【ヴィラ歴422年2月】
フィーヌはホークに手を取られ、ゆっくりと馬車を降りる。
長時間馬車に揺られていたせいか、地面に降りてもまだ揺れているような気がしてしまう。
目の前の三階建ての大きな屋敷は、ダイナー公爵家のタウンハウスだ。
フィーヌはまじまじと建物を眺める。
「どうした?」
「いえ、その……あの休憩室に閉じ込められてから、もう半年も経ったのだなと思いまして」
振り返れば、この半年は本当にいろんなことがあった。
ダイナー公爵家の舞踏会で休憩室に閉じ込められ、ホークとのありもしない不貞行為で糾弾され婚約破棄になり、かと思ったらすぐにホークに求婚され、嫁いだ先では夫に愛人がいることが判明して期間限定の仮初婚になった。
(よくよく考えたら、後半部分は全部ホーク様のせいじゃないかしら?)
じとっとホークを見ると、彼はなぜそんな目で見られるのかわからないとでも言いたげにきょとんとした顔をした。
「俺の顔に何か付いているか?」
「いいえ、なんでもありません」
「では、見惚れていたか?」
「随分な自信家ですこと」
だが、悔しいことにホークはその台詞が自意識過剰に見えないほどに精悍な顔立ちをしている。
フィーヌははあっと息を吐く。
とにかく、この半年間は一生分のイベントが一気に押し寄せたのではないかと思うほど、いろいろなことが目白押しだった。
「疲れているだろうが、もう少し頑張ってくれ。これが終わればタウンハウスに戻るから」
ホークはフィーヌが疲れて無口になっているのだと勘違いしたようで、彼女の背中を労わるように撫でる。
「そうですね。もう少しだわ」
(そしてここからが、本番ね)
先ほど、レイナとバナージは王城近くにある大聖堂で挙式をした。元々はフィーヌとバナージが結婚式をする予定だった場所だ。
そして、これから親しい友人やお世話になった人々、それに、付き合いのある貴族達を集めたパーティーがダイナー公爵家で始まる。結婚式の最中は全員が祭壇に注目しているから大丈夫だったが、パーティーともなると誰かしらはフィーヌとホークの存在に気付くだろう。
会場に足を踏み入れると、そこには多くの人々がいた。
王家に次ぐ爵位である公爵家と、名門侯爵家の婚姻。さらには花嫁であるレイナは重宝される『緑の手』の神恵を持っている。注目されるのは当然だった。
「行こうか」
「はい」
ホークに手を取られ、フィーヌは歩き出す。
ふたりが会場に入ると、それまでにぎわっていた辺りがシンと静まり返った。
「見て。死神とあばずれがいるわ」
「今日も誰かを休憩室に連れ込む気かしら」
どこからともなく聞こえた声に、フィーヌはハッとした。
声のほうを見ると、若い令嬢が数人でかたまり、ひそひそ何かを囁きながらこちらを見つめていた。全員、レイナと親しくしていた下級貴族の令嬢だ。
(なるほど。とりまきを使ってわたくしを辱めようという魂胆ね?)
どんな嫌がらせを仕掛けてくるのかとわくわくしていたのに、思った以上に幼稚でがっかりする。
フィーヌはくるりと体の向きを変えて、つかつかと令嬢達に歩み寄った。
「ごきげんよう。本日は妹の結婚式にお越しいただき、ありがとうございます」
フィーヌはにこっと令嬢達に笑いかける。
「え? ええ、どういたしまして」
令嬢たちは話しかけられるとは思っていなかったようで、動揺したように顔を見合わせた。
「ところで、今死神とあばずれって台詞が聞こえたのだけど──」
フィーヌは頬に手を当てて令嬢達を見つめる。
「そ、それは──」
「いくらドレスが際どいからって、あばずれはさすがに失礼よ」
フィーヌは令嬢のうちのひとりをちらりと見る。
彼女は胸元と背中が大きく開いたドレスを着ていた。きっと、親から公爵家で行われるこのパーティーで良縁を結んでくるようにとでも言われたのだろう。
「な、なんですって!」
自分のことを言われていると悟った令嬢は羞恥で顔を赤くする。
「あばずれっていうのはあんたのことをっ」
「あら。あなたは今日の主役であるバナージ様とレイナの家族であるわたくしを辱めようとしたってことね。つまり、ダイナー公爵家とショット侯爵家の顔に泥を塗ろうとしたと?」
フィーヌの冷ややかな問いかけに、令嬢の顔がさーっと青くなる。
(この子、たしか子爵令嬢よね)
子爵家と公爵・侯爵家では家格が全く違う。もしも怒りを買えばひとたまりもない。
実際にはレイナに頼まれてやっているのだろうから彼女達に泥を塗る意図はなかっただろう。けれど、そんなことで大目に見る気はなかった。
ここで黙って見過ごしてしまっては、フィーヌだけでなくロサイダー辺境伯家も舐められて見られるのだ。