(5)
きっと、屋敷の人々はアンナも含めて皆がホークとフィーヌを理想的な夫婦だと思っているだろう。
(『二年間は子供を作らない』じゃなくて『二年間は身体的接触をしない』にすべきだったわ)
まさか、フィーヌの望みに対してああ出てくるとは完全に予想外だった。
(昨晩だってあんなに執拗に──)
そこまで考え、羞恥でカーッと顔が赤くなる。
すると、ホークはすぐにフィーヌのちょっとした変化に気付いた。
「暑いのか?」
「な、なんでもありません!」
フィーヌの慌てた様子に、ホークは首を傾げたのだった。
ホークに連れられて行ったのは、彼の執務室だった。
寝室の横にある私室とはまた別の部屋で、ロサイダー領主館として文官や戦士達が出入りする場所にある。
「そこにかけてくれ」
ホークが執務室に置かれたソファーを指したので、フィーヌは腰かける。
すぐに侍女が紅茶を運んできたので、フィーヌはそれを飲みながら室内を見回した。フィーヌ用の執務室よりも広く、壁際には盾や鎧が飾られていた。
「何か珍しいものでもあったか?」
「鎧や盾が飾られているのだなと思いまして」
「ああ」
ホークは頷く。
「これは飾りではなく本物だ。かつてこれを身に纏って戦った」
フィーヌはひゅっと息を呑む。
「申し訳ございません」
フィーヌは謝罪する。彼は命の危険を冒して戦ってきたのだ。装飾と勘違いして不愉快だっただろう。
「いや、構わない。それで、きみをわざわざここに呼んだ理由だが──」
ホークはフィーヌを見つめる。
「屋敷近郊の荒れ地が急に草原に変わった。きみが何かをしたのか?」
「いいえ、何も」
フィーヌは首を横に振る。
(ヴァルが土壌改良した土地に草が生えてきたのね)
間違いなくフィーヌのせいだが、自分のおかげだと言ってまたバナージにされたように傲慢だと糾弾されるのはごめんだからだ。
「隠さなくていい。きみの神恵は『土の声を聴ける』だろう? 素晴らしい力だな」
フィーヌは手に持っていたカップから顔を上げる。
「どうしてわたくしの神恵だと、確信をもって仰るのですか?」
「少し考えれば明らかだろう。こんなことをできる力としてすぐに思いつくのは『緑の手』だが、あいにくロサイダー領に『緑の手』の持ち主はいない。となると、急に変わったのはきみが土に何かしらの働きかけをしたからだと考えるのは当然だ」
「それもそうですね」
王都にいた際は、フィーヌのすぐ近くにいつも妹のレイナがいた。
レイナが『緑の手』の持ち主だったから、ダイナー公爵領やショット侯爵領が肥沃な大地なのはレイナのおかげなのだと、多くの人が思っていた。フィーヌの力だと気づいていたのは両親と、今は病床に伏しているダイナー公爵くらいのものだ。
だが、今レイナはここにいない。
となると、誰の力かと考えてフィーヌの神恵のおかげだという考えに至るのは当然だった。
「土の精霊に呼びかけて、植物が育ちやすい土質に変えてもらいました」
「なるほど。どうりでダイナー公爵領もショット侯爵領も十数年前から急に農作物生産量が増えたわけだ」
ホークは頷く。
「わたくしの力ではなく、妹の力だとは思わないのですか? わたくしの妹のレイナの神恵は『緑の手』です」
「思わないな。緑の手は植物の生長を促すが、それは持続性があるものではない。広大な領地に常に神恵を使い続けることなど普通に考えて無理だ。逆に、きみの神恵は精霊に呼びかけて土の性質そのものを変えることができる。どちらの功績かは明らかだ」
フィーヌはホークの言葉に目を見開く。
(まだ出会ってさほど経っていないし、わたくしの神恵についても詳しく話していないのに──)
正直、一を聞いて十を知るとはこういう人のことを言うのだろうと思った。
(バナージ様がこの方を嫌っていた理由がわかったわ。さぞかし優秀だったのね。バナージ様が全く敵わないくらい)
その場にいたわけでもないのに、バナージが優秀なホークに一方的に嫉妬して敵意を募らせるようすが手に取るように分かった。
「きみも知っての通り、ロサイダー領は土地が痩せていて植物が育ちにくい。農産物も芋くらいしか穫れないから、今回の土壌改良は領民一同喜ぶだろう。感謝する」
「そんな……礼には及びません」
こんな風に褒められて感謝された経験がないので、どういう反応をすればいいのか戸惑ってしまう。ほんのりと赤くなったフィーヌを見つめ、ホークはくすっと笑った。
「それと、これが届いた」
ホークは一通の封筒をフィーヌに差し出す。
「これは──」
フィーヌは封筒を裏返す。そこには、かつての婚約者──バナージの実家であるダイナー公爵家の紋章が押されていた。




