(2)
「フィーヌがいる土地はオイラがいるから豊かになることを保証してやるぞ」
「まあ、ふふっ。ありがとう、ヴァル」
フィーヌはくすくすと笑う。
「そうだわ。ねえヴァル、ロサイダー領は荒れ地が大部分を占めるんだけど、それをダイナー公爵領のように肥沃な大地に変えることもできるかしら?」
「広さはどれくらいだ?」
「ダイナー公爵領の倍くらいね」
「倍か。ちょっくら時間がかかるが、オイラにかかれば朝飯前だよ。任せとけ!」
「ありがとうヴァル。お願いね」
にっこり微笑むフィーヌに手を振って、ヴァルは大地の中に消えて行った。
(ダイナー公爵領のときは二カ月くらいかかったから、その倍くらいかしら?)
たとえ半年かかったとしても、今は十月。春の作付けには間に合いそうだ。
(さてと、散歩の続きに──)
フィーヌはくるりと体の向きを変える。
「アンナ、ごめんなさい。驚かせてしまったわね。ひとりでぶつぶつ喋っていて気持ち悪かったわよね」
フィーヌは眉尻を下げる。
フィーヌの神恵の『土の声を聴く』は正確に言うと土の精であるノームと会話できる力だ。普通の人に土の精霊であるノームの姿は見えないので、フィーヌが土と話しているときはひとりごとを言っているように見えるのだ。
「気持ちが悪いだなんて、とんでもない! 奥様の神恵がこんなに素晴らしいなんて! 早速旦那様にご報告しましょう。きっとお喜びになります」
アンナはぱあっと顔を明るくし、顔の前で指を組む。それを聞いたフィーヌはハッとした。
「だ、だめ!」
「え? どうしてですか?」
アンナは不思議そうに首を傾げる。
「ごめんなさい。あんまり、言いたくないかな……」
フィーヌはアンナから目を逸らす。
脳裏に蘇るのは、かつての婚約者とのやり取りだ。
──バナージと婚約していた頃、フィーヌは神恵を使って土地を肥沃に変え、地下に埋まっている鉱石を探し、将来の嫁ぎ先の役に立ちたいと努力した。
ヴァルの手助けのおかげでダイナー公爵領は国内有数の生産量を誇る豊かな農地が広がり、さらには金鉱石による利権で莫大な富を築いたはずだ。
けれど、バナージからフィーナにかけられたのは感謝の言葉でもねぎらいの言葉でもなかった。
『これが自分の力だとでも言いたいのか? とんだ強欲の自信家だな』
心底軽蔑するように吐き捨てられたときのショックを、フィーヌは一生忘れないだろう。
更に、彼はダイナー公爵領で作物がよく育つのが神恵によるものならば、それはレイナの〝緑の手〟の力のおかげだと主張した。
(レイナの〝緑の手〟の力の恩恵が全くないとは言わないけど、私の神恵のほうが役に立ってたと思うんだけどな)
緑の手の力は植物の発育促進だが、レイナは力が弱く、ある特定の苗の成長を早めることや、病気の樹木を治すことしかできないのだから──。
もしもアンナがホークにフィーヌの神恵について話せば、ホークもバナージのように、フィーヌがアンナを使って恩着せがましく自分の功績を主張してきたと感じるかもしれない。
フィーヌだって、人の心がある。頑張った事実を否定されると、傷つくのだ。
だから、わざわざ自分が傷つく原因を作るようなことをしたくなかった。
「かしこまりました。でも、残念です。奥様が評価されるいい機会ですのに」
「そうだそうだ。オイラのフィーヌはもっと褒められていいんだぞ!」
残念そうにするアンナに、ヴァルが合いの手を入れる。
「いいのよ。そんなの気にしなくて」
「奥様は本当に控えめですね。結婚式もしない、ドレスもいらない、宝石もいらない──」
「あら。わたくし、意外と強欲なのよ? 欲しいものは絶対に手を入れるもの」
「欲しいもの、ですか?」
アンナは不思議そうに聞き返す。
「ええ、そうよ」
フィーヌはふふっと笑う。
いつか、フィーヌだけを愛してくれる人と幸せな時間を共有し、生きていきたい。
そんな穏やかな未来が欲しい。
元婚約者のバナージはフィーヌを蔑み、現夫のホークには愛人がいる。
(二年なんて、きっとあっと言う間よ)
二年経ったら離縁して、自由が欲しい。
だから、今はやれるだけのことはやろうと思った。
◇ ◇ ◇
フィーヌがヴァルの力を借りて土壌改良をしてから二週間が過ぎていた。
この日、執務室で仕事をしていたホークは、届いたばかりの手紙を見て眉根を寄せた。
「ダイナー公爵家から? 今さらなんの用だ?」
婚約破棄した元婚約者の嫁ぎ先に手紙を送って来るとは、ずいぶんと厚顔無恥な男だ。
(もうこっちは結婚しているから、よりを戻したいというのは考えにくいな。今更祝福の手紙を送って来るとも思えない)
一体内容はなんなのか、悶々としているとドタバタと足音が近づいてきた。
「ホーク、大変だ!」
駆け込んできたのはカールだった。
大急ぎで走って来たからか、息が乱れて額にはうっすらと汗が光る。
「何事だ?」
ホークは低い声で聞き返す。
カールのこの慌てようは、ただ事ではない。
(まさか、また国境地帯に侵略が?)
最悪の報告が脳裏を過り、ホークは立ち上がる。
「さっき、周辺地域の視察に行ったんです。そうしたら領地が……」
「ああ、何があった」
ホークは何を言われるのかと、ごくっと唾を飲む。
「領地が急に緑になったんです!」
カールが叫ぶ。
「……は?」
ホークの口から漏れたのは気の抜けた声だった。