第四章.ロサイダー領での生活(1)
【ヴィラ歴421年10月】
ロサイダー家に嫁いで最初の一カ月は、屋敷の人達の顔を覚えたり女主人としての仕事を覚えたりするので精いっぱいだったフィーヌも、段々と新しい生活に慣れてきた。
そしてこの日、昼下がりの執務室でフィーヌは帳簿を眺めながら頭を悩ませていた。
豊かとはいえないロサイダー領のために何かできないかと早速検討を始めのだが、早くも壁にぶつかってしまったのだ。
「もう少し、税収を増やせないかしら……」
ロサイダー辺境伯家の領地には目だった産業がない。巨大な軍を抱えているから維持費がかかるのに、軍は地方税が免除になっているので税収に繋がっていないのだ。
その上、目だった産業もなければ特段肥沃な大地でもない。財政が厳しくなるのは必然だった。
「うーん、今の一番の収入源は、国境の通行税──」
その通行税も隣国との情勢がよくなかったせいで大した額になっていない。
財政健全化するために取るべき対策は大きく分けてふたつだ。
ひとつは支出を減らすこと。もうひとつは収入を増やすこと。
しかし、支出面においては軍事予算が支出の多くを占めるロサイダー領においてなかなか削るのが難しい。一方、収入のほうも産業がなく取れる場所がない。なお、税率を上げることは領民の生活に直結するため現時点では考えていない。
(何か、産業の柱が必要だわ)
土地はあるのだ。何かしらの産業を軌道に乗せれば大きな税収に繋がるはず。
(ただこの帳簿、何か引っかかるのよね)
何が引っかかるのかはっきり言えないのだが、なんとなく違和感を覚えた。
最初は数字がおかしいのかと思ったが、計算は間違っていない。
(きっと気のせいね)
フィーヌはうーんと考える。
新しい産業の柱と言われても、なかなか名案が思い付かない。
(気分転換に散歩でも行こうかしら)
執務室から見える外はすっきりとした青空が広がっている。
外を散歩すればきっと爽やかな気分になれるだろう。
「ねえ、アンナ。少し散歩に行こうと思うのだけど──」
「ご一緒します」
フィーヌが頼んだ書類整理をしていたアンナは手を止めてにこりと微笑んだ。
外に出ると、爽やかな風が吹いていた。
ロサイダー領は内陸地にあり、昼夜の寒暖差が大きい。10月ともなると夜はだいぶ冷えるのだが、日中の太陽が出ている時間帯はとても過ごしやすかった。
「どちらに行かれますか?」
「うーん。どうしようかしら」
「花園でもあればよろしかったのですが」
悩むフィーヌを見て、アンナも眉尻を下げた。
非常事態が発生した際の要塞という性質もあり、この屋敷には多くの貴族の屋敷にあるような色とりどりの花に囲まれた庭園がない。散歩と言えば花を見に行く生活をしていたので、その点寂しさを感じる。
「以前、大奥様がまだお元気だったころに軍人ばかりでむさ苦しい雰囲気を変えようと、ご実家の領地から花の苗を取り寄せて屋敷の周りに植えたことがあるんです。しかし、上手く根付かなくて」
「へえ、そうだったのね……」
ロサイダー領の土地では野菜も碌に育たないと聞くので、観賞用の花が育つのは難しいだろう。
(雨は降るし、日光も出ている。なのに育たないとなると、土の問題かしら?)
そのとき、フィーヌはふと閃いた。
(気候はどうしようもないけど、土の問題ならわたくしの神恵でなんとかできるかも?)
フィーヌは何もない空間に向かって、「ヴァル!」と呼びかける。
「奥様、どうされたのですか?」
アンナはフィーヌの突然の行動に驚いていたが、フィーヌは口元に人差し指を当てて「しーっ」と言う。
程なくして、ぴょこんと小さな小人が現れた。ヴァルだ。
「フィーヌ、呼んだか?」
「ええ。また力を貸してほしいの。ここの大地は植物が育ちにくいのだけど、ヴァルの力でなんとかならない?」
「もちろん、なんとかできるぞ。なにせ、オイラは土の精霊だからな」
エッヘンとでも言いそうな得意顔で、ヴァルは自分の胸を拳で叩く。
「まあ、見てな」
ヴァルが大地に手を触れる。すると、ヴァルが触れた場所から周囲に広がるように、赤茶色の土がこげ茶色に変わっていった。土が肥沃なものに変化しているのだ。
「まあ、奥様! 見てください! 一体何が起こったのでしょう」
びっくりしたアンナが声を上げる。アンナにはヴァルの姿や声が認識できないので、突然フィーヌがぶつぶつと独り言を言い始めたと思ったら地面に変化が起こったように見えるだろう。
「アンナはわたくしの神恵が『土の声を聴ける』なのは知っている?」
「はい。旦那様からお聞きしました」
「その力を使って、ちょっと土壌改良してみたの」
「土壌改良? そんなことができるのですか? わたくしはてっきり、土が何かを話しているのをただ聞くだけの力なのだと思っておりました」
「ううん、違うわ。土の精霊とお話ができるのよ」
「まあ! 素晴らしい能力ですね!」
感激したようにアンナに手を握られ、フィーヌは苦笑する。
フィーヌの神恵のことを、アンナのように〝ただ土の声が聞こえるだけ〟だと勘違いしている人は多い。
「そうだろ、そうだろ。オイラの力は凄いんだぞ」
ヴァルはアンナが感激しているのにとても気をよくして、鼻高々な様子だ。