(6)
「……きみは戦士ではない」
「ええ、その通りです。でも、ロサイダー辺境伯夫人となるのだから、誓いを立ててもいいのではないかと」
フィーヌはそう言うと、ホークを真っすぐに見上げた。
(どういうつもりだ?)
目を眇めたホークはさぞかし威圧感があっただろう。しかし、フィーヌは決してホークから目を逸らそうとしない。
「俺を真っすぐ睨み据えるとは、きみは見た目に似合わず度胸があるな」
「褒め言葉だと受け取ります」
フィーヌはツンと澄ました態度で言い放ったが、ホークはそれが強がりであることをすぐに見破った。よく見ると、膝の上に置かれた手が震えている。
誓約は古い呪術の一種だ。一度誓いを立てれば、それを破ることはできない。破れば死んだ方がましだと思えるような苦痛に見舞われる。
(ここまでして何を誓わせたいんだ?)
思わず笑いが漏れる。やはり、フィーヌはそこらの女とは一味も二味も違う、面白い女だと思った。
「いいだろう。妻からの初めてのお願いだ」
ホークはそう言うと、寝室の壁に飾られた剣を手に取る。
「これはロサイダー辺境伯家に代々伝わる聖剣だ。この地を訪れた若き兵士が女神から賜ったと言い伝えられている」
差し出された大剣を見て、フィーヌは明らかに驚いていた。こんなに大きな剣を見るのは初めてだったのだろう。
(何を誓うかな……)
フィーヌが何を望んでいるかと考えて、すぐに思いついたのは彼女の元婚約者のような裏切りをしないことだと予想した。元よりあんなクズのようなことをするつもりはなかったが、それを言葉にするだけで安心するなら悪くないと思う。
「この剣と全知全能の神に誓おう。きみには辺境伯夫人にふさわしい待遇を用意する。見返りには……そうだな、きみが俺を裏切らないことだ。これでいいか?」
「はい」
フィーヌは頷く。
「では、きみも誓いを」
促されて、フィーヌはホークの握る剣の柄に手を添える。
フィーヌの横顔からは、緊張の色が見て取れた。彼女はすうっと息を吸って深呼吸する。
「この剣と全知全能の神に誓います。この地にいる間はロサイダー領のために全身全霊で尽くしましょう。見返りには、二年間子供を作らないことを」
「なんだと?」
──二年間子供を作らない。
完全に予想外だった。ホークが結婚した理由は辺境伯家の後継ぎをもうける必要があったからだ。それはフィーヌも理解しているはず。
(となると、理由はひとつか)
二年。
いくら子供ができにくくても二年あれば妊娠するものだというのがこの国の多くの医師の見解だ。だから、二年経てば離婚申し立てが認可される可能性が格段に上がる。
(俺と一生を共にするつもりはないということか)
美しい顔をして随分酷いことをする女だと思った。しかも、理由を尋ねると性懲りもなくまだ領地を豊かにすることに専念したいからなどと、もっともらしい言い訳を言っている。
(面白い)
この契約を結べば、フィーヌは浮気できない。ホークを裏切れば、死ぬような苦痛に見舞われるのだから。
新しい男がいるわけでもないだろうに、一体何を考えているのだろうと知りたくなる。
フィーヌは自分の行動がますますホークの興味を惹く原因になることに気付いていないのだろうか。
お互いの血を剣に垂らし、誓約が成立した。
「では、これにて誓約は成立だ。俺はフィーヌに辺境伯にふさわしい待遇を用意し、きみはロサイダー領のために尽力する。そのかわり、きみは俺を裏切らず、俺はきみを二年間孕ませない」
「孕ませないって……」
フィーヌは赤面する。
「きみがそう望んだんだろう?」
こんな言葉ひとつで赤くなる様は先ほどまでの強がっている姿とは対照的だ。
ホークはフィーヌの顎を掬い、キスをする。その最中、彼女がホークの胸を押し返して体を離そうともがいていることには気づいたが、気づかないふりをした。
ホークからすると、赤子のような抵抗だ。
「な、何をなさるのですか! 二年間は子供を作らないって──」
「ああ、作らない」
「じゃあ、なんで──」
「子供っていうのは、ここに俺の子種を注がなければできない。知らなかったのか? それに、きみに触れないという約束はしていない」
ホークは指先でフィーヌの下腹部をなぞる。
「なっ!」
真っ赤になったフィーヌを見つめる。
初心な反応から判断するに、男を知らないことは明らかだった。
きっと、夫婦生活には具体的にどんな行為をするのかその詳細までは知らないのであろう。
キスで終わりにするつもりだったのに、ちょっとした悪戯心が湧いてくる。なにも最後までしなくとも、男女の睦事は十分楽しめる。
ホークはフィーヌを押し倒すと、シーツに縫い付けたのだった。
深夜、ホークは規則正しい寝息を立てて眠る新妻を窺う。
部屋に差し込む月明かりの下で見るフィーヌは、昼間同様の美しさだ。閉じられた目は長いまつ毛に縁どられ、そのまつ毛は毛先がくるんとカールしている。
ほっそりとしていながら豊かな胸も、力を入れれば折れてしまいそうな腰も、何もかもが美しい。
ホークはベッドの上で体を起こす。すると肌寒かったのか、フィーヌは眠ったまますり寄ってきた。
「きみは猫みたいだな」
ホークはくすっと笑う。
本当は怖いくせに強がって威嚇してきて、そのくせ気まぐれにこうしてすり寄ってくる。
(二年か)
二年間この生殺し状態が続くのかと思うと気が遠くなるが、軍人であるホークは人並み以上に忍耐力がある。
なによりも、フィーヌが仕掛けてきたこの戦術が面白いと思った。
「では、二年かけてきみを俺から離れられなくして見せよう。どちらが勝つか、見ものだな」
ホークはフィーヌの髪の毛をひと房掬い上げると、キスをした。