(3)
アンナはてきぱきと夕食の準備をして、テーブルにはバランスのよい食事が並べられた。
メインは鶏肉と根菜を煮込んだシチューだ。フィーヌはそれを一口食べる。
「あっ、美味しい……」
「まあ、お口に合ったようでよかったです。料理人に伝えておきますね」
「ええ、ありがとう」
フィーヌは頷く。
(メイドがいい子そうなのはせめてもの救いね)
少なくとも、アンナと一緒に過ごしている時間は穏やかなものになりそうな気がした。
食事が終わると、アンナは食器を下げてゆく。
「しばらくしたら、夜のご準備をお手伝いさせていただきますね」
「夜の準備?」
「はい。旦那様のご結婚が嬉しくて、張り切ってとても可愛いナイトウェアをご用意したんです」
にこにこするアンナの反応にハッとする。
(そっか。今日って──)
フィーヌとホークの婚姻届けは既に貴族院に提出されているので、ふたりは夫婦だ。
夫婦で初めて過ごす夜といえば初夜である。
あれよあれよという間に体を清められて着せられたのは、前にリボンが付いた可愛らしいナイトウェアだった。薄い生地はほんのりと肌が透けており、大事なところは隠しているのに際どい部分はちらりと見える、扇情的なデザインだ。
(どうしよう。とてもそんな気分じゃないわ)
ベッドの端に座って、途方に暮れる。
フィーヌは公爵家に嫁ぐべく育てられたので、貴族の当主の妻の一番の役目が嫡男を産むことであることは理解している。けれど、子供を産むだけの道具のように扱われるのは納得いかない。
(体調不良で押し切れるかしら?)
もしも押し倒されたら、体格のよいホークに抵抗するのは無理だろう。
そうこうするうちに、寝室のドアがガチャリと開かれる。
そこには、ナイトガウンを着たホークがいた。襟や裾の部分にリボン刺繍が施されたナイトガウンはフィーヌのナイトウェア同様に、使用人が気合を入れて用意したものだろう。
ホークはゆっくりとした足取りでフィーヌのすぐそばまで歩み寄った。
「体調は戻ったようだな」
「えっ……と……」
フィーヌは言葉に詰まる。
(考えるのよ。何かいい方法──)
ホークの手がフィーヌの頬に触れそうになったそのとき、ハッと閃いた。
(そうだ!)
「閣下。わたくし達は結婚式を挙げておりませんね。でも、全知全能の神に対して約束の誓いは立てたいです」
ホークはぴたりと動きを止める。
「やっぱり結婚式を早めに挙げたいという意味か?」
「いいえ、違います。ロサイダー領の戦士たちは自らの剣を掲げ、神を証人として主に誓いを立てると聞いたことがあります」
それはロサイダー領に嫁ぐと決まったときから勉強し始めたこの地域の風習を書いた本に載っていたことだ。ロサイダー領の戦士たちは主に〝命を掛けて戦うこと〟を誓い、見返りとして〝決して見捨てないこと〟を求める。
「……きみは戦士ではない」
「ええ、その通りです。でも、ロサイダー辺境伯夫人となるのだから、誓いを立ててもいいのではないかと」
フィーヌは自分を見下ろすホークを見返す。
威圧感に震えそうになる自分を叱咤して、目を逸らさずに見返した。ホークがフッと小さな笑いを零す。
「俺を真っすぐ睨み据えるとは、きみは見た目に似合わず度胸があるな」
「褒め言葉だと受け取ります」
本当は、怖くてたまらなかった。
なにせ、相手は戦場で〝死神〟とまで言われた男なのだ。
「誓約がどういうものかわかって言っているのか? あれは、ただの口約束とは違う」
「もちろん、わかっております」
フィーヌは頷く。
書籍によると、この誓い──誓約は古い呪術の一種のようだ。
一度誓うと破ることは許されず、もし破れば死んだほうがましだと思えるような苦痛を味わうと書かれていた。
ホークは黙ったままフィーヌを見つめていたが、彼女の意思は強いと判断したのかふっと表情を緩めた。
「いいだろう。妻からの初めてのお願いだ」
ホークはそう言うと、寝室の壁に飾られた剣を手に取る。
「これはロサイダー辺境伯家に代々伝わる聖剣だ。この地を訪れた若き兵士が女神から賜ったと言い伝えられている」
ホークはそう言うと、剣を見せつけるようにフィーヌに差し出す。
通常の腰に佩く剣とは太さも長さもまるで違った。柄と持ち手の部分には精緻な彫刻が施されており、まるで巨人のための宝剣だ。
(こんな大きな剣を片手で軽々と持ち上げるのね)
「この剣と全知全能の神に誓おう。きみには辺境伯夫人にふさわしい待遇を用意する。見返りには……そうだな、俺を決して裏切らないことだ。これでいいか?」
ホークはフィーヌを見つめる。




