さよなら、悪役令嬢
聖女と悪役令嬢と馬鹿な王子の話。
「お前の悪事ももはやここまでだ、アエキウィタス公爵令嬢! この可愛らしいリリスを学園で虐げたことは調べがついている! お前のような醜い性根の持ち主とは付き合っていられない、婚約を破棄する!」
「セディ様ぁ、わたし恐かったですぅ」
あぁ、やっぱりこの日が来てしまったわ。
夜に似た髪を靡かせ、美しい顔を歪ませてそう宣言したこの国の王太子にして第一王子であるセドリック・インウィクタと、その腕にぶら下がっている聖女であり男爵家の庶子であるリリス・コンバラリアを前に、たった今まで王太子の婚約者であったはずのエレアノラ・アエキウィタスは冷めた視線を向けた。
王立学園の卒業式、その後に行われた全校生徒たちが集まる卒業パーティーでのことだった。長い銀髪にクールな美貌の公爵令嬢と、ピンク髪に愛らしい顔立ちの聖女であり男爵令嬢は、まるで近頃流行っている演劇の一幕のように見えるだろう。
王太子セドリックと聖女リリスが浅からぬ仲であったことは、二人が学園で人目を憚らず交流していたからとうに知っている。学生時代のお遊びかと思っていたら、まさかこんな愚かな真似をするなどとは。
湧き上がる不快感を押し殺す術は、血の滲むような思いで受けた長年の王妃教育で身についている。エレアノラは、広げた扇の下に嘆息をそっと逃がした。
未来の王妃として、醜態を晒すことはできない。顎を上げて、堂々と反論する。
「王太子殿下、わたくしはそちらのコンバラリア男爵令嬢を虐げたことなどただの一度もございませんわ。貴族令嬢として至らぬ部分が見受けられましたので、規範となるべき高位貴族の一員として注意をさせて頂いただけです」
「きゃっ! セディ様ぁ、わたし今エレアノラ様に睨まれましたぁ。恐ぁい」
「なんと、可哀想なリリス。この私が守ってやるからな」
言葉が通じているのかいないのか、聖女リリスは態とらしく王太子セドリックにしがみつき、正義のヒーローにでもなったつもりなのか王太子セドリックは聖女リリスを守るように抱き寄せてエレアノラを睨みつけている。
だめだ、話が通じない。さっさとこの場を切り上げようと、エレアノラはそれは美しいカーテシーで王太子セドリックに頭を下げた。
「詳しいお話は、両家の当主を交えてお話しましょう。そちらのコンバラリア男爵令嬢を側妃にお迎えしたいというのであれば、わたくしは否やは申しませんわ」
***
その後、話し合いにて王太子セドリックはあっさりと廃太子、王族から除籍の上で国から放逐された。国を混乱させようとした罪で、聖女リリスも国を追われることになった。
「ゲームのときから思っていたけれど、馬鹿な王子よね、本当に」
次に王太子となった第二王子と婚約を結び直したエレアノラは、王宮から城下を見下ろしながらぽつりと呟いた。
そう、エレアノラは前世で日本という国に生まれ育ち、死後にこの世界に転生した。転生先が乙女ゲームの世界であることに気づいたのは、子どもの頃のことだ。
乙女ゲームのヒロインであった元聖女リリスも転生者であることに気づき、エレアノラという婚約者がいるにも関わらず積極的に元王太子セドリックとの仲を深める様子を見ていたエレアノラは、ゲームの通りに自分が悪役令嬢として断罪される可能性があると考えていた。そのため第二王子の実母である王妃の協力を得て、自分の潔白をいつでも証明できるように構えていたのだ。
ちなみに第一王子であった元王太子セドリックは王妃の子どもではない。その昔、現在の国王が学生時代に恋に落ちたという身分の低い側妃の子どもなのだ。
体の弱かった側妃はとうに亡くなっており、エレアノラとの婚約は元王太子セドリックの後ろ盾の弱さを補うためのものだった。長年の恩を忘れて自分の後ろ盾を捨てた元王太子セドリックは、状況判断能力に問題があるとして王族から除籍されることになったのだ。
姉妹のように育った侍女の淹れた紅茶を飲んで、そっと息を吐く。今頃、元王太子セドリックと元聖女リリスは国境の森に放逐されているだろう。
あのヒロインには理解できなかったかも知れないが、この世界はゲームではない。あの日に相対した二人を思い浮かべて、エレアノラは呟いた。
「真実の愛のお相手と、どうぞお幸せに」
***
さて、こちらは国を追い出された二人である。すでに身分は失っているので、ただのセドリックとただのリリスだ。
国境の森で乱暴に馬車から放り出された二人は、あっさりと戻っていく馬車を見送ってから顔を見合わせた。
「さて、茶番に付き合ってくれてありがとう、リリス」
言ったのはセドリックだった。答えるリリスはあっさりとしたものだ。
「お構いなく。あんな国で聖女として力を振るうだなんて、人生の無駄だと思っていたの」
「私も、あんな国で国王になるだなんて、何の罰ゲームだろうかと思っていたところだよ」
二人は言い合って、元の国に未練を見せる様子もなく深い森に足を踏み入れた。
「この国境の森は魔物が多いことで有名だけれど、リリスは大丈夫かい? わたしはある程度は戦えるけれど」
「あら、わたしは聖女よ。力の通じる魔物よりも野良犬のほうがよっぽど恐いわ」
「なるほど」
言い合いながら、二人は恐れる様子もなく森を進んでいく。
「空が晴れていて助かったわ。方向が判りやすいもの」
「迷わないうちに、さっさと森を抜けよう。収納魔法にある程度食料はため込んできたけれど、余裕を見るに越したことはないからね」
「さすがに準備が良いわね。路銀は手はず通りかしら」
「もちろん。私財は片っ端から換金して、収納魔法の中に貯めてきたよ。しばらくは遊んで暮らせるさ」
「聖女としての伝手を使って、ここから三つ先にある公国の市民権を用意してあるわ。ひとまずそこまでもてば上等よ。途中でお金がなくなったら魔物でも狩って稼ぎましょ」
ひどく軽い調子で二人は言い合った。それまでの王太子として、聖女としての贅を尽くした生活に一つの未練もなく。
事実、二人は今までの生活に対する未練はなかった。荷物を何もかも放り出して、明日の保障はどこにもないけれど同じくらい責任もない。
王族であった少し前を思い返して、セドリックは皮肉に笑った。
「そもそも、ちょっとわたしの方が早く生まれたからと言って、元男爵令嬢であった側妃の息子であるわたしが王太子というのに無理があったんだよ。いや、王妃が後ろ盾についてくれればあり得ないことではなかったけれど、彼女は自分の息子を王太子にするのにご執心だからね」
第一王子であったセドリックが王太子を戴いていたのは、ひとえに国王のわがままだ。国王はわがままを言うだけ言って根回しなど一つもしなかったから、セドリックは中途半端な立場のまま不必要な苦労を背負い込むことになった。
「側妃であった母上は欲深い王妃に殺された。母上は素朴な方だったから、王宮などさぞ肩身が狭かっただろう」
それでも側妃は、国王に嫁いだのだ。苦労すると判っていて。味方などただの一人もいないと判っていて。国王を愛していたから。
セドリックは国王を許せない。愛した女を側妃にするまではまだしも、妊娠管理もできずに王妃よりも側妃を先に孕ませて余計な軋轢を生み、あげくにセドリックを王太子になど任じて側妃が殺される原因を作った国王を。
セドリックは王妃を許せない。嫉妬に狂い権力欲に狂い、側妃とセドリックの周りから味方を遠ざけて孤立させ、挙げ句に側妃を殺した王妃を。
セドリックは自分を許せない。国王を諫められず王妃に対抗できず、人びとの思惑に翻弄されるままみすみす側妃を殺された無力な自分を。
だからセドリックは、全部を捨てることにしたのだ。
「王太子の座など、そこらの犬にくれてやっても構わなかったものを」
そんなセドリックの独り言を聞いていたリリスは、対して気負った様子もなくうーんと首を傾げた。
「まあ、良いのではないかしら。あの国はこれから苦労するわ。何しろ、聖女であるわたしが国を出てしまうのですもの」
リリスの母親は、その昔に男爵家でメイドとして働いていたのだという。当時の次期男爵であった令息のお手つきになり、仕事を辞めて逃げ出したは良いものの妊娠していたのだと聞いた。
リリスは父親のいない家庭の子どもとして生まれ、多少貧しくはあったものの大きな問題も苦労もなく生きてきた。全てが壊れたのは、神託でリリスが名指しされてからだ。
それまでリリスの存在など見て見ぬ振りをしてきた男爵家は、リリスが聖女であると知った途端に強引に引き取ろうとした。女手一つで育てた娘を守ろうとした母親は、男爵家の護衛にあっさりと殺された。
右も左も判らないまま貴族ばかりが集まる王立学園に放り込まれ、リリスはまるで見世物のように笑いものにされた。すでに男爵家以外の身よりを失ったリリスは、放り込まれた先で生きていくしかなかった。けれどその道は、ひどく惨めなものだった。
母から受け継いだ大切なピンクの髪を下品だと嘲られ、挨拶のために頭を下げれば知りもしない礼の角度で嘲られ、せめてもと愛想良く振る舞おうとすれば誰にでも媚を売るはしたない女だと嘲られた。王立学園の令息令嬢たちは、聖女というラベルの貼られた平民の立ち居振る舞いしかできない低位貴族庶子の令嬢を、まるで檻に入れられた動物でもつつき回すように扱ったのだ。
この世界が乙女ゲームであったことを思い出したのは、ちょうどそんなときだ。
日本の記憶を思い出さないままであれば、リリスはとうに心を壊していただろう。もしかしたら生きることを諦めていたかも知れなかった。
けれど今世とは違う世界の記憶が、知らない、見たこともない、会ったことも話したこともない父親、母親、友人たちの記憶が、リリスを生きることに繋ぎ止めた。何よりもきっと苦労をしていただろうにいつでも笑顔を絶やさなかった今世の母親の記憶が、リリスに生きることを思い出させてくれた。
だからリリスは、全部を捨てることにしたのだ。
「向こうも記憶を持っていたようだから、悪役令嬢を断罪しようとすればきっと反証を挙げてくると思っていたの。うっかり処刑にでもなったら逃げ出すのが面倒だったけれど、首尾良く追放で助かったわ」
リリスの呟きがセドリックにも聞こえたようだけれど、セドリックはその言葉には疑問を呈さずに先の言葉に問いを投げた。
「聖女である君が国を出ると、国はどうなるのかな」
「枯れるわ」
言いよどむこともなく、軽い調子でリリスは返した。
「そもそもわたしは聖女。単に神に愛されている愛し子というだけじゃなくて、枯れゆくこの国を支えるために遣わされたのだもの」
「枯れる……」
「あちこちで開発が進んでいるでしょう。森は切り開かれ、平原には街が作られ、山には穴があけられる。花は萎れ、水は濁り、生き物たちは追いやられた。この国の自然に元から住んでいた精霊や妖精たちに何も言わないままどんどん自然を切り崩しているから、高位の魔法生物たちがみんな逃げ出しているのよ」
明日の天気でも話すように、リリスは言った。この国の誰も気づいていないのよね、と呟いて。
「魔法生物たちが逃げ出せば、その土地の自然魔力が減る。自然魔力が減れば、草木は枯れ水は干上がり、生き物たちは弱り、生まれなくなっていく」
枯れるのよ、とリリスは繰り返した。
「文明の発達は必要よ。人びとは人びとの力だけで生きていける。何もかも神様に頼るんじゃ不健康だわ。けれどそれと同じくらい、神様を慕う心を忘れてはいけないのよ。神様を信じる心というのは、つまり人びとの良心だもの。この国の人びとは、感謝の心を忘れてしまったのね。だから、神託の降りた聖女であるわたしを軽んじることができたのよ」
エレアノラ・アエキウィタス。美しく、優秀で、民にも友にも慕われる高貴なご令嬢。彼女は確かに、リリスを苛めなかった。けれどエレアノラの仲間たちに虐げられるリリスを見て、助けに入ることもなかった。
つまり、それが、この国の価値観なのだろう。
彼女は確かに、良い王妃になるのかも知れない。日本の知識がこの世界でどの程度通用するのかは判らないが、文明の進んだ世界の知識があるというアドバンテージは大きいだろう。
けれど彼女は、笑ったのだ。
あの卒業パーティーの後に、国王や公爵家当主たちも集まって改めて婚約について協議をしたときに。第一王子セドリックが除籍されて聖女リリスもろとも追放処分の宣告を受けた、あのときに。
彼女は隠したつもりだっただろう。けれど、判った。女同士だから、判ったのだ。
エレアノラは、リリスを見て笑った。乙女ゲームのヒロインに、まるで二束三文の小説みたいに悪役令嬢が勝ったと思って、笑ったのだ。
つまり、それが、彼女の価値観なのだろう。
否定するつもりはない。けれど、わざわざ人生の貴重な時間を費やしてまでお付き合いをして差し上げるつもりも、ない。
「さようなら、賢く優しい悪役令嬢様。神の加護を失って枯れゆくこの国で、虚栄に塗れた楽しい人生を送ると良いわ」
なろう作品を最近はよく読むのですが、悪役令嬢も婚約破棄もざまぁも読むし面白いのですが、それはそれとして過剰にピンク髪の男爵令嬢が貶められてそのライバルである銀髪(とか色々ありますが)の悪役令嬢が持ち上げられるパターンに薄らとした気持ち悪さを覚えているのでもやもやする気持ちを吐き出したくて書きました。1,000文字くらいのネタ出し気分だったのですが長くなってしまった。あとWeb文体に慣れてないので読みにくく感じるかも知れません、薄目で読んでくださいまし、、!
【追記20241210】
ご意見ご感想を色々と頂いたのと私も表現をしきれない部分が多かったので、自分の思考整理と言語化もかねて活動報告に設定やら何やら垂れ流しています。めちゃくちゃ長いしごちゃごちゃしてるし思いつきで書き込んでいるせいで話が二転三転しているので、「へぇー」くらいに思ってください。活動報告の使い方を間違っている気はしています
後から自分が読み返したときに気付けるように紐付けのため数日前に追記したつもりだったのですが、出来てなかったようです…
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/799770/blogkey/3374602/
【追記20241211】
ちらほら頂いている誤字報告には随時対応させて頂いております!ありがとうございます
悪役令嬢の名前「エレアノラ」と「エレノアラ」が混在してましたね恥っず…ネットから適当にそれっぽい名前を引っ張ってきただけなので自分でも気づけなかった、「エレアノラ」が正解です!綴りはEleanoraらしいですよアルファベット得意じゃないんだ…気づいた人すごい。ありがとうございます