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花に祝福を  作者: ぽめ
9/22

戦火の中で公主は笑う

「そういえば、鬼王妃様は男性ですよね?」


 子供の何気ない一言だった。

 普段空気なんて読まない黎月(リーユエ)が珍しく肝を冷やし、不思議そうに静蘭(ジンラン)へと首を傾げる珠環(ジューホアン)の口を塞ぐには遅すぎた。

 その様子を見て静蘭は、まず何から伝えようかと考る。

 幼い頃から女として育ったおかげか、女と間違えられたり女の格好をする事に今更抵抗感は無い。


「すみません、鬼王妃様。珠環には私からよく言っておきますので!」


「構わないよ。大人でさえ最初は勘違いする、私にも気にしてないしあまり気にするな」


 実を言うと、静蘭の生い立ちに一番心を痛めたのは意外にも黎月だった。権玉(シュエンユー)から聞いたのか、静蘭の生い立ちを知った黎月は涙を流し静蘭に綴って来たのだ。

 静蘭としては皇族として生まれた以上、皇宮内のいざこざや騒動に巻き込まれたりするのは避けられない事だと思っているし、幸いにも今は霊玄(リンシュエン)に良くしてもらい、黎月や珠環など周りにも恵まれた。

 過去は過ぎた事で、今が幸せならば何も気にする事は無い。



 これは静蘭が生まれる前の事。

 僅か十六歳で即位した月雨国主(げつうこくしゅ)である魏清瑶(ウェイチンヤオ)は若さ故の傲慢さが目に余った。前国主には子が少なく、皇子は清瑶しかいない環境で育った。前国主は晩年にしてようやく授かった皇子である清瑶をそれはそれは可愛がり、甘やかした。清瑶が望む物は何でも与え、太子教育も抜かりなく施した。

 その甲斐あってか、清瑶の政にはあまり文句が無い。いや、完璧と言えただろう。しかしいくら政に関して長けているからと言って、本質が残虐、傲慢、我儘の暴君では側近の者達からしたら不満が募る一方だ。

 気に入らない者はその場で首を跳ねるし、それが身内だろうとお構い無しだ。その一例として、自分の言う事を聞かなかった伯父と腹違いの妹を一番残虐と言われる処刑法である凌遅刑(りょうちけい)に処した。たった一言、彼の従者に対する振る舞いに苦言しただけであったのに。

 彼の母である太后は実の兄を実の息子の手によって失った悲しみと、息子の手の付け所の無いほどの残虐さに嘆き心を病んでしまった。

 そんな清瑶だが、彼が即位して十年目の建国祭にて不思議な女と出会う。

 その女は踊り子として月雨皇宮に現れ、宴の席で舞を披露していた。それがまた何とも妖艶で天女のような美しさであった。

 一目で気に入った清瑶は彼女を妃の一人として娶る事にしたのだ。

 名を(リン)という彼女は、遠い異国から侍女を三人連れて来ただけで、踊り子の衣装以外は質素で地味な物ばかりだった。服は妃が着るに相応しいような華美な物では無く、無地で色褪せている。装飾品なんて物は無く、飾り気は無い。

 清瑶はそんな姿の琳にすぐに愛想を尽かしてしまったらしく、やがて彼女の宮へ足を踏み入れる事は無くなってしまった。

 女好きとしても知られる清瑶には琳が後宮に入る前からたくさんの妃がいるうえ、彼の機嫌を損ねて後宮を追放、もしくは殺されてしまう妃だって珍しくは無い。

 お手付きが無いだけで忘れ去られる妃はまだ幸運な方だ。

 しかし、不運と言うべきか幸運と言うべきか、琳は身篭ってしまっていたのだ。それは当然清瑶との子であり、普通ならば喜ぶべき事。

 月雨国には皇女は数多くいるものの、皇子は二人しかいない。これで皇子を産めば、権力争いが激しい後宮の一権力を握る事が出来るし、もし産んだ皇子が太子となり次に国主として即位すれば、自分は国主の実母としてこの後宮の支配者となる事が出来るのだ。

 どの妃もそれを望んでいる。現に今の第一皇子と第二皇子の母同士は敵対しており、両者の実家も絡んだ壮絶な争いを続けている。第一皇子の母の実家は、貴族で優秀な文官を何人も排出した名門。第二皇子の母の実家は、士族であり月雨国大将軍の娘だ。どちらも名家であり、後ろ盾となる権力を所持しているので、どちらが太子の座についてもおかしくは無い。

 しかし琳は他国の踊り子出身であり、後宮に迎え入れた清瑶自身も彼女の出自については一切知らない。質素で地味な格好からして、良家の出身では無い事は目に見えてわかる。それに清瑶からの寵愛も受けていない妃が皇子を産めば、その皇子は真っ先に命を狙われるか、眼中に無いためぞんざいに扱われるかのどちらかだ。どちらにせよ辛い思いをさせてしまう。

 それに、正直琳はそのような権力には無関心であり極力争い事には関わり合いたく無い。何より我が子がそのような殺伐とした世界で生きる事を望んでいない。

 そして琳は、腹が目立つようになるまでは自分の三人の侍女以外には懐妊の事実を知らせなかった。

 医者には口止め料を払ってまで口止めをし、清瑶にも懐妊の事は伏せた。だが、そもそも腹が目立ち安定してきた頃に知らせたものの特にこれといった反応は無く、琳の宮に訪れる事も無かった。

 それには清瑶が完全に琳への興味と愛情を失っていると気付かされたのだ。しかし琳からしたらそれは幸いであった。このまま自分達親子に興味関心を示さず、平穏に過ごさせて欲しいと願っていたからだ。

 これで生まれてくる子が公主であれば、と琳は毎晩明皇(ミンホアン)大帝へ願っていた。

 しかしその願いは叶う事無く、生まれてきたのは皇子だった。

 担当していた医官は吉報だと騒ぎ始めたが、またしても琳は口止めをした。

 今のところ生まれてきたのが皇子だという事を知っているのは琳、侍女三人、そしてこの医官の計五人だ。医者がこの事を誰にも言わなければ、皇子は公主になれる。

 医官は口止め料と共にそれを了承した。子が生まれた時でさえ清瑶は顔を見せず、三日後にようやく顔を出した。


「ふん……また公主か。名は適当に付けておけ」


 あまりにも冷たいその一言に琳は絶句したが、それと共に清瑶に対する全てを諦めた。


「ごめんね、ごめんね……私に力が無いから、あなたを守るためにも公主として育てなければ……このどうしようも無い母を許して……」


 清瑶に名前すら付けて貰えず、その子は琳によって「静蘭」と名付けられた。女子の名前だ。

 

 静蘭が五歳にもなれば母譲りの美しさは頭角を現し始めた。この後宮に公主は十人いて、静蘭は下から三番目の第七公主になる。

 静蘭が生まれてからというもの、琳は余計に他の妃や侍女との関わり合いを避けるようになった。万が一にばれてはいけない、そう思うが故に静蘭も琳の宮に縛り付けてしまい、琳と侍女三人を除いては静蘭の姿を他の者が公式の場以外で見掛ける事は無い。

 しかし、静蘭が七歳になる年の建国祭で幸運なのか不運なのか、清瑶の目に止まってしまったのだ。


「あの娘は誰だ?」

「第七公主殿下であらせられる静蘭公主殿下でございます」


 あまり騒がしい場が好きでは無い静蘭は、皇宮の庭園で一人詩を詠んでいたのだが、そこに偶然にも清瑶が通りかかってしまったのだ。

 清瑶は自分の子供に一切の関心が無く、太子の座を狙った陰湿な争いを続けている第一皇子と第二皇子の顔と名前くらいしか覚えていなかった。

 それに、静蘭はほぼ自分の宮から出た事が無く周りとも関わりが一切無いため、清瑶の目に留まるのはこれが初めてだった。

 幼いながらに、美人揃いの後宮の妃にも引けを取らない程の美しさに興味を持った清瑶が静蘭に近づく。

 足音が聞こえる距離感まで近付いた時、ようやく清瑶に気が付いた静蘭が一瞬手を止めたが、目の前の男が先程建国祭で国主の席に座っていた男だと気が付くと、焦って拱手きょうしゅをする。


「い、偉大なる我らが国主に第七公主・静蘭がご挨拶を申し上げます……!」


 近くに来るとより静蘭の美しさや雰囲気に圧倒される。自分の血を受け継ぐ娘にこれ程の娘がいたと知っていれば、もっと非公式の場でも出席させていたのに。


「よい。して、お前の母は誰だ?」

「琳でございます」


 聞き覚えのある名に国主は思い出そうと記憶を辿った。そういえば、何年か前にそのような名の女を後宮に入れた気がする。

 その時、ふと公主が手に持っていた紙に書かれた詩が目に入った。


「これは誰が詠んだ物だ?」

「私でございます」


 清瑶は驚いた。まだ十にも満たないであろう子が、文官にも劣らぬ詩を詠んでいたのだ。


「朕は感心したぞ。今度お前の母も共に茶の席を用意しよう」


 静蘭は美しいだけで無く文才もあると見なした清瑶は静蘭に関心を持ち、後日、琳の宮には茶会の報せが届いた。


「静蘭……!」


 琳の顔色は一気に真っ青になり、今にも倒れるのではないかというくらいによろめく。


「ごめんなさい母上……」


 母が清瑶はもちろん、外部の者との接触を避けているのは知っていたために静蘭も頭を下げた。


「いいえ、違うの。これは凄い事よ、あなたに才能がお父上が興味を示したのだから。でもね、私は心配なの。その才能が故にあなたが他の妃や公主達から邪険に扱われたりしないか……」


 静蘭の頭を下げる姿に琳は焦ったようにそう言ったが、本心は違うという事を静蘭は理解している。

 五歳くらいまでは本気で自分を女だと思っていたのだが、段々と自分が女では無い事に気が付き始めていた。

 今では自分の性別が女でない事を理解しているし、母がそれを隠しているのも知っている。

 だからこそ静蘭は幼いながらに貴族の女性や公主達が嗜むような楽器や舞踊を自ら嗜み、母を安堵させようとしていた。

 今回清瑶の目に留まった詩もその中の一つであり、結局それのせいで母を悩ませてしまったのだが。

 一方で琳はこれをきっかけに静蘭が清瑶のお気に入りになってしまい、今後も目をかけられる、というのを一番恐れていた。

 今は子供だから公主と貫き通せているが、十代になってしまえば顔や体格は男女で差が出てしまう。隠し通せなくなってしまうかもしれないのだ。

 だから出来るだけ目立たず、存在感を消していたかった。静蘭が男である事実を貫き通せなくなれば、静蘭を連れて後宮から出て行くつもりだったため、万が一にも気に入られてしまえばそれが難しくなる。

 しかし、清瑶の決めた事に口は出せないし断る事も出来ない。

 琳は冷や汗を流しながらも承諾せざるを得なかった。


*


後日、清瑶からだという贈呈品が届いた。綺麗な服に簪などの装飾品、化粧道具はきっと茶会で着て来いという事だろう。しかしどれも派手で華美な物で、静蘭や琳が普段から好んで着るような物では無い。静蘭は化粧なんてした事が無いし、贈られてきても自分が使えば無駄にしてしまう気がした。


「殿下、茶会には国師や重要貴族がご出席なされるそうです」


 確かにそれなら普段通りの格好とはいかないだろう。建国祭の日は普段よりかはまだ小綺麗でどこかの公女のような格好をしていたが、言われなければ公主だとは気が付かないような格好であった。それは琳も同様で、まだましな格好ではあったが、他の妃に比べると質素で地味だ。

 あの時のような格好で胸を張って自分の娘とは言えないだろう。だからこんな贈り物をしてきたのか。


「でも化粧道具だなんて。阿蘭(アーラン)、嫌じゃない?」


 静蘭が成長してからは、琳も度々こういった問題を気にするようになった。まだ分別もつかない幼い頃は女の子として育て、公主の佇まいや礼法等を徹底的に教育した。しかし、今では分別がつくし自分の立場も理解している。自分で考えて行動出来るようになってからは、静蘭の気持ちを最優先で考えていた。


「構いません、私は美しくなるのは好きですよ」


 静蘭がそう言うと琳はほっとしたような顔で胸を撫で下ろす。

 何度も言うが、母や周りが思うよりも静蘭にとって女装や化粧は苦では無いし、最早気にしていない。

 この宮から出る事が滅多に無いため、世の男児がどのようなものなのかを理解していないのもあるが、母を安堵させるために始めた詩や舞を踊るのは今では好きだし楽しんでいる。


「わかったわ。憲英(シエンイン)、茶会の日には静蘭に化粧をしてやってくれる?」

「はい、お任せください」


 憲英というのは三人の侍女のうちの一人で、手先が器用なため琳の着付けや化粧などの身の回りの世話をほぼ一人で行っていた。

 では他の二人はなんなのかと言うと、ほぼ護衛だ。この二人は侍女という身でありながら武術に長けていて、静蘭も護身術を習ったくらいだ。

 憲英によると二人とも剣の腕前はそこら辺の武人に負けず劣らずだそうで、凄く強いとか。


「あ、でも軽くよ?それに……その、あんまりやり過ぎないでね?あまり陛下に関心を持たせるわけにはいかないから」

「わかりました」


 とは言うも、この顔をどうした関心を持たなくなるような顔にする事が出来ようか。建国祭の時は化粧を施していなくても、目に留まったのだ。

 あの目に肥えている清瑶がわざわざ茶会に招待し、贈り物を贈って来るほど期待しているのだろう。

 難しい要望に憲英は何とも言えない顔をしたが、とは言え大切な静蘭のためにもやるしかない。

 その日から静蘭は茶会の前日まで憲英からの視線をよく感じるようになったと言う。

 そして茶会当日。憲英は化粧を任すと言われた日から静蘭の顔を観察し、どうすれば少しでも醜く出来るかを考えていた。しかし自然な化粧でさりげなくそんな風にするのはやはり無理で、紅だけを引いて他は手を付けない、という事にした。

 そして清瑶より賜った服を着せた。華美な服や飾りに対し、化粧気の無い顔は不調和である。

 しかし、紅以外の化粧は施していないのに美しく惹き付けられてしまう。この不調和のおかげでまだ何とかなりそうだ。

 一方、琳の方も清瑶より賜った服に薄い化粧を施した。

 だが、こちらも静蘭と同じく目を見張る程の美しさだ。

 そもそも静蘭は完全に母親である琳似で、どちらも儚く桜のような美しさであった。

 派手で華美なものよりも、薄化粧に質素な格好の方がより美しさを引き立てられ、雰囲気にもよく合っている。

 後宮を出ると、清瑶の遣いが待っていた。


「……!」


 二人を見て一瞬固まったが、すぐに我に返り拱手をする。


「お待ちしておりました、琳美人、第七公主殿下。陛下のもとへご案内させていただきます」


 遣いである文官は琳を見て少し赤らんだ顔を隠すように下を俯いている。

 やがて一つの大きな扉の前で足を止めた。


「陛下、琳美人と第七公主殿下が参られました」

「通せ」


 その声と同時に、重そうな扉が開く。

 黄金の器に黄金の盃、そして踊り子達がひらひらと華麗に舞っている。

 これは茶会というよりも宴では無いだろうか。

 あまりに想像していた茶会とはかけ離れていたため、母子揃ってその場で固まってしまった。


「そんな所に突っ立っていないで、早くこちらに来なさい」


 清瑶のその声ではっとした琳は、静蘭の腕を引いて用意されていた席へ着いた。

 しかし、その用意されていた席というのが、上座に座る清瑶に一番近い下座の席であり、なんと言う高待遇だろうか。

 目立ちたくなくても目立ってしまう立ち位置だ。

 もちろん国主である清瑶が直々に招待したという第七公主に全員が注目しているのだが。


「いやぁ、流石は陛下の御息女であらせられる!まだ幼いというのに天女の如き美しさですな」

「全くもってその通りだ!」


 次々に静蘭を褒め讃える貴族達であったが、それは嘘などではなく本音であった。

 もちろん、今のうちに静蘭に気に入られて、あわよくば自身の息子の妻として……という下心も兼ねているのは間違いでも無いが。

 自分の子を褒められて良く思わない母親は滅多にいないと思うが、琳は苦虫を噛み潰したよう顔をしていた。

 こうなるのを恐れて静蘭を公主として育てたのに、これでは色々と我慢をさせてまで公主として育てる必要があったのだろうか。

 結局、皇族の子として生まれた時点で、例え公主だろうが権力争いからは逃れられないのだろうか。

 この国の公主として生まれた訳ではない琳にはそこまでの考えが及ばなかった。

 茶会、及び宴は琳と静蘭の登場により一層の盛り上がりを見せた。


「そういえば琳美人は昔踊り子だったな。どれ、ここで舞ってみせよ」


 清瑶の気まぐれな一言にはいつも心臓を握られる感覚になる。


「陛下、僭越ながら私のような年増よりも今舞っていらっしゃる踊り子達の方が美しく華やかと。せっかくの茶会ですのに、私の醜態を皆々様の前で晒すのは申し訳ありませんから」


 年増とは言うものの見目は若い男が顔を赤らめる程美しく、沈魚落雁(ちんぎょらくがん)だ。


「何を仰られる!琳美人の美しさに敵う者などそうそう見つかりますまい」

「その通り!そのような事を仰られるとは、琳美人は謙虚であられる」


 一見謙虚とも取れる琳の発言だったが、清瑶には気に触ってしまったらしい。


「お前はたかが美人の分際で朕の言う事に逆らうつもりか!」


 清瑶が声を荒らげた事により、その場にいた者達の背筋は凍りついた。

 あの暴君と名高い清瑶の事だ。今すぐこの場で首を切り落とせと命じられるかもしれない。

 前例は十分にある。今まで何人の妃が清瑶によって命を落としただろうか。


「陛下、申し訳ございません。そのようなつもりでは無く……」


 一瞬声を荒らげた清瑶だったが、ひれ伏す彼女の後ろの静蘭に目が移った。するといきなりニヤリと口角を上げてこう言ったのだ。


「静蘭と言ったな。お前が変わりに舞え。もしお前が朕を満足させる事が出来なければ、お前とお前の母の首は飛ぶと思え!」

「陛下!お待ちください、私が変わりに舞います!先程のご無礼をどうかお許しください……!」


 琳が慌てて清瑶に嘆願するも、黙れ!と叱責されるだけであった。貴族達も見ていられないとばかりに俯いているが、誰一人止める事が出来ない。


「母上、私は大丈夫です。絶対に上手くやり遂げてみせますから」


 そう言うと近くにいた踊り子の一人に領巾を借り、舞い始めた。

 その場にいた者達は驚愕した。どうすれば僅か七歳の少女がこのように美しく雅やかな舞を舞えるというのだろうか。その姿は踊り子だった時の琳と重なり、天女の如き美しさだ。それに加え、皇族としての気品と生まれ持った知性も伺える。

 静蘭が舞を舞っている最中はその場の全員が一身に夢中になり、舞終わると誰もが無意識に拍手をしていた。


「ははっ、朕は満足した!よくやった、我が娘よ!」


 清瑶がこれほど上機嫌になるのもかなり珍しく、静蘭は本当によくやったと言える。

 席に戻ると隣にいた琳は一瞬困っているような笑みを見せたが、自分の子の才能に驚いたのか嬉々とした表情を見せた。

 その後も静蘭だけは茶会と称した宴会や国主の夕餉の時間に呼ばれたりする事が続いた。

 その度に舞ったり、詩を詠んだり、楽器を奏でたりして清瑶を喜ばせ、清瑶は美しくて頭が良く気が利き才覚に溢れる静蘭を娘として溺愛するようになっていった。

 今まで実子の誰一人として我が子として見た覚えが無かった清瑶だが、ようやく父としての感情が芽生えたのだ。

 

しかし、残念な事にそれは静蘭に対してだけであった。皇子二人はただの後継者としか見られておらず、他の九人の公主に至っては名前と容姿が一致するのかすら危うい程だ。

 そのおかげで静蘭は後宮では一目置かれる存在となってしまい、かつて琳が恐れた権力争いに巻き込まれるかと思いきや、静蘭に何かあっては清瑶に罰せられると恐れた妃や公主達は何も手出し口出しをして来なかった。

 皇子二人の派閥も幸いにも静蘭が公主という立場である為か、派閥に対して何も口出しせずに中立を貫いている静蘭に対しては特に何もしてくる事は無い。

 それに、静蘭自身も清瑶からの呼び出しが無い限り自身の宮に篭っており、そもそも彼女の姿を目にするのも珍しい事であった。

 そのように出来る限りの存在感を消すように努力していた静蘭は他の妃や公主達からはある意味「風変わり」だと言われた。

 だが、清瑶によって宴や国交の場に顔を出すようになった静蘭の逸話は他国へも広まり、静蘭が十四になる時には金枝玉葉の美女として月雨国の三宝に数えられていた。


 だいたい十四、五歳まで成長すると性別が怪しまれるのではと色々な対策を練っていた琳だが、それも不必要に終わった。

 静蘭は元々女顔で母譲りの美しさと気品を兼ね揃えており、幼い頃から公主として育てられていたため仕草や口調も完全に皇族の女性。

 実父である清瑶も一度として疑った事は無く、当然周りもだ。

 清瑶はまだもうしばらくは静蘭を手元に置いておきたいようで縁談もことごとく断っているらしいため、琳は焦る事は無かった。

 そして十四歳の同時期にとある人物に出会った。


「静蘭、国師の長男、蘇寧(スーニン)公子だ。お前よりも三つほど年上で歳が近い、彼も博識だから気が合うだろう」


 とある宴の席で清瑶に紹介された蘇寧という男。

 ……彼こそが後に反旗を翻し、月雨皇族を破滅に追いやる事になる男だ。

 たがこの時の蘇寧は地味顔ではあるものの、穏やかで品のある雰囲気からは好青年といった印象を受けていた。


「初めまして、第七公主殿下。殿下にお目にかかれた事を光栄に思います」

「蘇寧殿、私こそお会い出来て光栄に思います」


 今までは所有物であり見世物、自慢するかのように清瑶の隣に居させられていた静蘭だったが、この時ばかりは清瑶は政治話に熱中しており、席を離れる事を許された。

 ちょうどその時に国師の長男として出席していた蘇寧と歳が近いと父親同時に紹介され、少し話し込む事になったのである。


「噂に聞けば公主殿下は天の寵児たる才覚をお持ちだとか」


「父は私を高く評価してくださいますが、皆さんが思う程の事ではありません。噂が広まっていくうちにどんどん誇張されていったのでしょう」


「我が月雨国(げつうこく)の三宝さんほうが何を仰います。殿下がお詠みになられた詩を以前お見かけした事があるのですが、あのような素晴らしい詩を詠める者はなかなかおりますまい」


 この時、静蘭は蘇寧に対しては話が合う相手程度にしか思っておらず、国師の息子とは自分は無関係だと思っていた。時折宴などで顔を合わす機会があっても社交辞令の挨拶を交わすだけで、これと言った会話はしていない。


 その数年後、静蘭に婚約者が決まったと静蘭本人が知ったのは清瑶の口からでは無く皇宮内の噂からであった。


「父上、何故私に何の相談も無く婚約を決められたのですか?」


 度々お前の詩が聞きたいと清瑶に呼び出され、皇宮内の庭園にて詩を披露していたのだが、その時に清瑶に直接聞いてみる事にしたのだ。


「お前にとっても朕にとっても大変不名誉な噂が流れ始めてな」

「かと言って、私に一言でも下されば良かったのではないですか?いきなり婚約だの結婚だの言われたところで潔く承諾する事など私には出来ません」


 その婚約相手とは、清瑶の同母姉の長男である景追(ジンジュイ)。眉目秀麗、そして今年の科挙では状元では無かったものの、二位である榜眼の席に着いた秀才だ。

 国主の娘として嫁いでも十分釣り合いが取れる相手であり、彼との結婚を夢見る女子も多いと聞いた事がある。


「私は結婚する気はありません。私以外にも公主はいます、今回は私では無く彼女達の縁談にしたらどうでしょう?(ジン)公子との結婚を望む女子は多いと聞きますし、彼女達の中にもそれを望む者がいるやもしれません」


「いいや、今回の縁談はお前の物だ。これは決定事項でありお前に口出しはさせん」


 何度説得しようにも言う事はそれだけで、静蘭はどうしようかと頭を悩ませた。

 そして、その二人の会話を陰ながら聞いている者がもう一人いた。

――静蘭の婚約相手が景公子だって?

 そう、その会話を聞いている者とはまさしく蘇寧だった。

 蘇寧は文書を父である国師に持って行こうとした時に偶然静蘭の姿を見つけ、密かに庭園に入り込んで二人の会話を聞いていたのだ。

 月雨国内問わずで静蘭の美しさに憧れや密かに恋慕を抱く者は少なくは無い。蘇寧もそのうちの一人だ。

 実は清瑶は国内の有力者に静蘭を嫁がせると内々で発言していた。国師の息子である蘇寧が有力候補者で、彼自身も自分が選ばれる自信があったのだ。

 それがまさか、自分では無く違う相手だったとは。

 思わず文書を落としそうになるも、心の中が何故か黒い感情で埋め尽くされていくのがわかる。

 何故だ、何故自分じゃない?家柄も良く、前回の科挙では自分は状元だった。首席であり景追よりも上だ。

 静蘭は会う度に自分に微笑みかけてくれていて、だから……。

 気が付いた時には足早にその場を離れていた。

 国師のいる部屋の扉を勢いよく開けると、国師は驚いたが彼を叱責した。


「こら、扉を開ける前には必ず用件と名を言いなさい。無礼であり行儀がなっていないぞ」

「父上、第七公主殿下は景公子に嫁ぐのですか?」


 なんの前触れも無しにいきなり静蘭の婚約話を話題に出され、国師は少したじろいだ。


「なんだ、お前もあの根も葉もない噂話を気にしているのか?」

「あなたが真実を知らないはずがありませんよね?本当なんでしょう?私は知っています」


 確信している言い方をする蘇寧に国師は違和感を覚える。いや、それ以前に何故知っているのだ。

 噂話を鵜呑みにしていないのであれば、何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。


「何故お前が公主殿下の婚約相手を気にする。お前には何も関係無い話だ、文書は受け取ったから早く務めに戻りなさい」


 国師が蘇寧への返答を曖昧にした事で確信を得た。先程清瑶と静蘭が話していた事は事実であると。

蘇寧は静蘭に狂気とも言える恋慕を抱いていた。皇族貴族達が政略結婚で恋人や望む相手との結婚が叶わないというのはよくある事だ。

 それはもちろん蘇寧や静蘭もそうであり、親や権力者……ましてや国主である清瑶の決めた事なのだから、余程の事が無い限り覆す事が出来ないであろう。


 そう、余程の事が無い限りだ。


 例えば景追が死んでしまう……或いは結婚どころじゃない状況にすれば破棄出来る。

 そこからの彼の行動はとても早かった。

 地頭の良さや、科挙での優秀な成績、権力者の息子に財力、人望……ありとあらゆる物を持っていた蘇寧と、度が過ぎた暴君と名高く、皇城内、貴族内とで恐れられていた清瑶。どちらにつくかと言われると難しい質問でもあるが、人望があり将来有望な蘇寧に期待を寄せる者も多い。

 蘇寧が行動を起こすと聞いた者達は一斉に蘇寧側につき、兵を挙げた。

 その僅か一月後、静蘭が一人の侍女とお忍びで街へ出掛けた時に謀反は決行された。

 静蘭がいないのは事前に知らされていた訳ではなく、本当に偶然であった。


「何だあれ!」

「皇城が燃えてるぞ!」


 琳の誕生日の贈り物を見に、静蘭が憲英とお忍びで城下町へ出た時の事だ。

 茶屋で少し休憩していたら、急に外が騒がしくなって、皇城が燃えていると人々が次々に声を上げるではないか。


「どういうこと?今日は何か催しでもあった?」

「いえ……そのような事は聞いておりません」


 ただ人々の表情から見るに冗談では無さそうだ。嫌な予感がし、茶屋を出て皇城が見える場所まで移動すると、確かに皇城の蔵らしき建物がいくつか燃えている。

 火事でもあったのだろうか、泥棒でも入ったのか?

 このような緊急事態を前にしてこのまま城下町で遊んでいられるわけも無く、静蘭と憲英は皇城へと戻った。

 しかしそこで壮絶な物を見てしまった。

 皇城へ入った途端異臭が漂い、まだ城門付近だというのに兵士達の死体があちこちへと転がっている。池は血で深紅に染まっており、格好から見て護衛だけでなく文官まで殺られているようだ。


「公主殿下!」


 あまりの惨い光景に静蘭が目を見開いて動けずにいると、憲英が静蘭の腕を引いて物陰へ隠れた。


「残りの皇族は?」

「恐らく第七公主と第二皇子、後宮にいた数人の女達だけだ」

「皇子の首は絶対として、第七公主は生け捕りにしろとの事だ。傷一つ付けるなって無茶な話だよな」


 何故だ、何故静蘭だけ生け捕りにするつもりなのだ?憲英は兵士達の会話を聞いてそんな疑問を抱いたのだが、静蘭はそうでは無かった。

 残りの皇族は自分と第二皇子、後宮にいた数人の女だけ?ならば母は、琳はどうなった?


「母上……母上を探さないと……!」

「殿下!いけません、しばらく大人しくしていましょう」

「でも母上が!これは一体何事なの?何で皇城がこんな事になっているの?皇子の首?私は生け捕り?どうして……何があったの……」


 後宮の方へ行こうとする静蘭を憲英が取り押さえる。静蘭は憲英を振りほどこうとするが、また一人兵が来た事によって動きを止めた。


「後宮の抜け道から脱出しようとしている第二皇子を捕らえた!」


 どうやら第二皇子まで捕らえられてしまったらしい。先程から清瑶の話が全く出てこないため、清瑶はもう……そんな考えが頭を過ぎった。

 ようやく現状を整理し始めた静蘭は、ここでようやく謀反が起こったのだと気が付いた。

 主犯者は誰かは知らないが、皇族は全員殺して血を絶やしておきたいはずだ。捕らえられたところでもう命は無い。

 兵が全員去ったのを見て、静蘭達はまず書庫へと入った。

 書庫の地下室には一部の皇族のみが知る抜け道がある。ここを行けば皇城で最も複雑な造りで、迷路のような後宮へと繋がるのだ。

 後宮はその構造から緊急事態の逃げ道として使われる。

 灯りも無い暗い道をただひたすらに伝い歩くと、ようやく行き止まりになった。


「殿下、もしや扉を鎖されてしまったのでは?」

「いいや、ここで合っているはずだ」


 以前、この抜け道の構造を清瑶に教えてもらった事があった。抜け道の存在も清瑶に直接教えてもらったもので、本当にあるのかすら知らなかったが、今回役立った。

 音が無いのを確認すると、静蘭は天井へと腕を伸ばす。

 軋むような音と共に、天井から光が注がれた。


「出るぞ」


 まず静蘭が身を乗り出して出ると、憲英へ手を貸す。

 二人して抜け道から抜け出すと、後宮は本殿とは違い、まさしく業火に包まれていた。

 女官や妃達が行く道行く道へと倒れ、地は血の水溜まりが出来ている。

 最悪の事態を想像してしまい、火の手を避けながら震える手足で何とか自分と母の宮へと辿り着いた。


「母上、母上、どこですか!返事をしてください、母上!」


 一通り探すも、宮の中にはいないようだ。


「殿下、落ち着いてください。きっと琳様は大丈夫です、あの護衛二人がついていますから」


 そうだ、あの二人は強い。静蘭も護身術を教えてもらった身だからそれは十分に理解している。

 僅かな希望を見出し、宮を出て今度は違う後宮内の抜け道へと向かう。

 その抜け道は直接外へ繋がっている抜け道だ。

 しかし、とある人物を見つけて静蘭達は足を止める。


「殿下、あれは……」


 倒れていた二人は見覚えのある顔だった。無惨にも一人は腕を切り落とされていて、もう一人は心臓を切り裂かれた後がある。

 間違いない、あれは護衛の侍女二人だ。


「っ……殿下、早く行きましょう!ここに琳様はいません、きっとご無事でいらっしゃいます!」

「い、……嫌だ……憲英、何であの二人が……」

「殿下、まずは殿下の安全だけを考えましょう。いいですね?」


 冷静を装って今にも崩れ落ちそうな静蘭を鼓舞して腕を引く憲英だが、彼女もまた腕が震えており、表情は崩れていた。

 今の今まで生存者に出会った事が無い。絶望的な状況だ。


「第七公主殿下!」


 その時、後ろからそう呼ぶ声がした。

 一瞬心臓が止まったかと思ったが、静蘭は聞き覚えのある声に後ろを振り向く。


「寧公子!」


 そこには顔や衣を血でべっとりと汚した蘇寧がいた。傍から見ればここまで来るのに死闘だったと見えるだろう。


「殿下、彼は……」

「蘇寧公子、首席国師の長男だ。寧公子、母を……琳美人を見ませんでしたか?」

「残念ながらお見かけしておりません。それよりも早くこの場から離れましょう!私が護衛致します!」


 首席国師の長男だから謀反を起こす理由が無い。そう思い、二人とも蘇寧を一つも疑わなかった。

 しかし、蘇寧が近付き、静蘭の腕を引こうとした時に憲英は気が付いてしまった。

 蘇寧にはこの絶望的な状況の割には返り血ばかりで傷一つついていない事に。

 咄嗟に静蘭を突き飛ばして蘇寧から距離を離すと、憲英は静蘭に向かって叫んだ。


「早く逃げて!」


 そして、その言葉を放った瞬間に憲英の胸は短剣で貫かれたのだ。


「……は?」


 目の前の出来事が静蘭には全てゆっくりに見えた。

 自分を突き飛ばした瞬間に蘇寧が懐から短剣を取り出し、憲英の胸へ突き刺したのだ。

 短剣が憲英の胸から抜かれると、憲英は力なくその場へ倒れ込んだ。もうぴくりとも動かない。


「憲……英……?」

「感の鋭い侍女だ、流石公主殿下の侍女」


 殺したんだ、蘇寧が。

 ただその事実だけを目の当たりにした静蘭は、我を失い、近くにあった物を全て蘇寧に投げ付けた。


「殿下、物投げるなんてはしたない行為はおやめください。さぁ、私と共に行くのです」


「うるさい!うるさいうるさいうるさい!よくも、よくも憲英を……!」


 近くに倒れていた侍女が力無く護身用の刀を持っているのを見て、その刀を奪い蘇寧に向ける。


「お前が、お前が首謀者なのか」


「全ては殿下のためなのですよ。さぁ殿下、あなたにはそのような刀なんてお似合いになりません。私と共に来てください、あなたを決して悪いようにはしない」


 静蘭は刀を握る手にぎゅっと力を込めると、蘇寧に斬りかかった。

 しかし、蘇寧はそれを軽々と弾き返してしまう。


「無駄な抵抗は辞めてください。あなたのその細い腕でどうやったら刀を使いこなせるというのです?」


「黙れ!お前が、お前が憲英とあの二人を!」


 母の侍女であったあの三人は静蘭が生まれた時からずっと世話をしてくれていて、尚且つ唯一の友人のような存在であった。

 ずっと外部とは交友を一切築かなかった静蘭からしたら、あの三人の存在は大きすぎる。

 それを目の前で失ったのだ。

 とにかくひたすらに蘇寧を目掛けて刀を振り落とした。元の素質なのか、あるいは侍女二人に教えて貰っていた護身術が応用されたのか、太刀筋は悪くない。

 しかし、正気を失った静蘭の刀筋を避けるのは蘇寧からしたらなんて事も無い。


「はぁ……わかりました、これで手を打ちましょう。殿下の母君、琳美人はまだ見つかっていません。討ったという報告もありません。もし私と共に来てくださり、私の言う事を聞くというのならば、琳美人の命は助けます。ですから大人しく私と来てください」


「……」


 母がまだ見つかっていない。その言葉を聞いて、不服にも一瞬安堵してしまった。


「頭の良い殿下ならおわかりでしょう。私にこうして見つかった時点であなたの勝機は無い」


 時期に蘇寧の兵がこちらへ集まってくるだろう。それに蘇寧は多少の武術も心得ているようで、静蘭と一対一でも護身術では無い武術の経験が無い静蘭に勝ち目は無さそうだ。

 もう父も討ち取られた以上、この謀反の勝者は蘇寧だ。

 ならば身が引き裂けそうなくらい憎くて悔しいが、無駄な抵抗はよして、まだ無事な母の命を何としてでも守った方が良い。

 そう判断した静蘭は刀をその場に捨てた。


「流石殿下、ご賢明な判断だ」


 蘇寧の兵に引き渡された静蘭は、そのまま本殿へと連れていかれた。本殿へ入り、玉座の間まで行くと、父である清瑶の首が槍に串刺にされており、胴体は磔にされていた。

 清瑶の暴君ぶりは知っていたし、気に入られてはいたが静蘭は別に清瑶の事を好きでも嫌いでも無かった。

 とはいえ、血の繋がった実の父親だ。なのに、このような悲惨な姿を見ても何とも思わず、心はずっと母の安否ばかりを心配していた。

 静蘭は我ながら冷たい人間だと思う。


「蘇寧様!琳美人を保護致しました!」

「よし、ここへ連れて来い」


 しばらくすると、兵に支えられた琳がやってきた。

 琳も同様、清瑶の遺体に一瞬の動揺を見せたが、すぐに静蘭の姿を目で探す。


「母上!」

「阿蘭!無事だったのね、良かった……!どこか傷は?」

「ありません、私は大丈夫です。それよりも母上は?」


 衣に血が付着しているものの、どうやら琳のものではないようだ。


「私は大丈夫……二人が最期まで守ってくれたから。あの二人は……」


 琳は一気に顔を落とす。二人の遺体は静蘭も目にしたが、かなりの乱闘だったようだ。二人には申し訳ないが、琳に思い出させたくは無い。


「母上、母上がご無事なだけでも私は……」

「……ありがとう。憲英は?」

「……すみません、母上。母上の大事な憲英を死なせてしまいました」

「そう……。私も同じ、阿蘭が無事で良かったわ」


 すると、その会話を聞いていた蘇寧が琳と静蘭の間に割って入ってきた。


「琳美人。あなたには申し訳無いが、白の宮に幽閉致す」


 白の宮とは、罪を犯した皇族が幽閉される宮で、一生そこから出られる事は無い。


「待ちなさい、母は助けると言ったでしょう」


 慌てて静蘭が蘇寧に抗議するも、蘇寧は冷たく言い放った。


「ええ、確かに琳美人の命は助けると言いました。そしてあなたは私の言う事を聞くと」


 蘇寧は静蘭の柔らかな頬に手を滑らせる。


「娘に触るな!」


 咄嗟に琳が蘇寧に突き放すが、周りにいた兵に刃を向けられる。


「やめなさい、殺すなと言ったはずだ」


 静蘭は驚いた。穏やかで優しい母が、ここまで激昂し、声を荒らげるところは見た事が無かった。


「琳美人、そう怒らないでください。公主殿下、あなたが私の提案を受けていれてくださるのなら、琳美人の命は保証致します」


「やめなさい阿蘭、私の事はいいからこの者の言いなりになんてならないで」


 いくら容姿や行動、思考が大人びているからとは言え、静蘭はまだ十五歳になる年だ。

 このような状況下でパニックに陥っていた。


「公主殿下……いや、静蘭。私の妻になりなさい」


 蘇寧がそう言うと、静蘭が何かを言う前に琳が再び口を開いた。


「無礼者!いいか、お前が静蘭を何で脅そうと静蘭はお前の思い通りにはならない!お前が私を使って静蘭を脅すならば、今ここでこの命を絶ってやる!」


 そう叫ぶように言うと、琳は懐に隠し持っていた小刀を取り出し、自身の首を斬ろうとした。

 しかし、その腕を止めたのは静蘭だった。


「母上、おやめください!私はもう何も失いたくありません、母上まで私から居なくならないで!」

「静蘭……」


 静蘭の言葉に小刀を持つ手を一瞬緩めた琳だったが、蘇寧の姿を再び捉えると、また力を入れた。


「母上!」


 もう駄目だと思い、静蘭は力ずくで琳から小刀を奪い取り、教わった護身術の一つで琳を気絶させた。


「蘇寧、お前の提案を受け入れる。だから母上には一つも傷を付けず、待遇も不十分の無いようにしろ。それが私からの条件だ」


「ええ、勿論です」


 二日後には皇城からは血の臭いがすっかり消えていた。特に損傷が激しかった後宮は昨日から再構築を始めたらしく、騒々しい。

 ならば妻である静蘭はどこにいるのかというと、華宮という宮にいた。

 他の宮と比べて小さく、窓が一切無く、入り口も一つしかないような、外の光を受け入れないような宮だ。そのため使い道も無く、もう何十年も使われていないような部屋だったが、蘇寧からしたら都合が良かった。

 蘇寧は静蘭が自分のものになった途端に、静蘭に対して狂気的な嫉妬心や執着心を向けるようになった。

 他の男の目に映るのも嫌がるようで、そんな蘇寧からしたら華宮ほど都合の良い宮は無いであろう。

 そして蘇寧は浅ましくもこの三日間、夜になると華宮に夜這いに来た。

 こんな事になる前は、蘇寧は存在は認識していたものの常に視野の外にある感じで気に留めた事すらなかったが、今となっては目の前の蘇寧という男がおぞましく、恨ましく、憎くて仕方が無い。

 初日はこんな事があった日だからゆっくりしたいと伝え、二日目は再び静蘭を押し倒したものだから近くにあった水瓶で頭を殴って殺してやろうかとも思ったが、母の存在を思い出して手を止めた。そして静蘭は無様で情けなく思ったが、偽りの涙を流して蘇寧に気持ちの整理をしたいからしばらく放っておいて欲しいと縋ったのだ。

 今思い出しても鳥肌がたつし、無力な自分に腹が立って仕方が無い。

 清瑶に見出されたあの時から今まで、静蘭はこのように媚びるような事ばかり学んでしまった。父の機嫌を取っているうちは身内に不幸は訪れないと悟ったからだ。

 静蘭の泣き落としが効いたのか、蘇寧は一週間は宮に訪れて来なかったが、またすぐに通ってくるようになった。

 流石に男だと知られてしまったら、いくら静蘭に心底心を奪われている蘇寧とはいえどんな行動をするか分からない。

 もし、母に火の粉か舞い降りてしまったらと考えると、解決策は思い浮かばずとも今はまだ知られてはいけないと思ったのだ。

 そのため、閨事はあの手この手で避けた。


 しかし、静蘭が華宮に来てから一ヶ月が経ったある日の事。静蘭のもとに訃報が届いた。


「白の宮に入られた琳様がお亡くなりになられました」


 その訃を聞いた静蘭は後頭部を思い岩で殴られた錯覚に陥った。まるで魂が抜けたかのようにその場に座り込む。


「静蘭妃様!」


 使者は琳から静蘭に向けた遺書と遺品を蘇寧には内緒で持ってきてくれていた。

 遺書には、自分に力が無く、自分の単なる予想と想像で静蘭を公主として育てて自由から縛り付けてしまった事への後悔と謝罪、今までの思い出や有難かった話、そしてもう何もかもどうしようも無くなった時にこの扇子を使いなさい、と書かれていた。


「は、はは……」


 遺書を読み終えた静蘭は乾いた失笑が止まらなかった。

 結局はこういう結末を迎えてしまった。最初から最後まで母を守る事が出来なかった。

 ふと鏡に映る自分の顔を見る。

 清瑶にも、侍女達にも、他の大人達にもことごとく琳美人の……母の生き写しだと言われてきた顔。

 蘇寧の息のかかっている侍女達に強制的に着飾らされ、華やかで美しい化粧を施した今の顔では、あの化粧っ気の無かった母に似ているかなんて自分では分からない。

 ふと遺書と共に持って来られた木箱に目を移す。箱を開けると中には牡丹の花が描かれた扇子があった。

 目立った傷は無いものの、古びていて、扇骨の部分は少々傷んでおり、触ったら崩れてしまいそうで取り出す事すら躊躇う。

 しかし見た目よりも随分丈夫なようで、意を決して木箱から取り出しても折れたり壊れたりする様子は無かった。

 しかし、琳がこの扇子を使っているところを静蘭は見た事が無い。本当に琳の物なのだろうか。

 琳がどうしようも無い時にこの扇子を使えと言う意味もよく分からなかったが、静蘭は唯一の母の形見を遺書と共に木箱にしまい、誰の目にも付かぬように棚へと押し込んだ。

 この日からだ。静蘭が蘇寧への態度を露骨に変えたのは。

 琳がいなくなり、弱みが無くなった事と自暴自棄になった静蘭は蘇寧へ当たり続けた。

 夜、蘇寧が宮へ訪れれば茶器を投げ付けたり、押さえつけられても思う存分抵抗して暴れ倒した。

 しかし蘇寧は傷が増えたものの、静蘭を諦める気は無いようで、次第に政をそっちのけで静蘭の気を引こうと贈り物を選びに町へ出かけたり、昼夜問わずただひたすらに静蘭の宮へ通い続けた。

 そのせいか民からも、王朝が変わり、新しい国主は若いが優秀で自分勝手な暴君では無い、よくやっている。と評判だったが、ここ最近の変わり様に不満を持ち始め、蘇寧を批判する者も多くなった。

 そして、その国主を誑かしているのは妃である静蘭のせいという噂も。

 月雨国の三宝、金枝玉葉金枝玉葉の美女は今や稀代の悪女として再び知れ渡ることとなった。


*


「……様!鬼王妃様!」


 黎月の静蘭を呼ぶ声にはっとする。


「ごめんね、少し昔の事を思い出してね」


 琳の遺品である扇子は、ここに嫁いで来る際にも持ち出しており、手元にある。

 どうしようも無くなった時に使えと言われていたが、もうその状況すらどうかしようという気力すら無く、月雨国にいた時は手を付けようとしなかった。

 結局、この扇子は何なのだろうか?見た感じ琳の年齢よりも古く見えるし、百年前の物だと言われても信じられるくらい古びて見えるのに、手に持てば頑丈で壊れたりはしなさそう。

 それに、不思議と何故か目に移すと惹き付けられるような感覚に陥るのだ。


「ほら、あんたが余計な事言うから鬼王妃様が嫌な事思い出しちゃったでしょ!」

「鬼王妃様、ごめんなさい……」


 涙目で謝ってくる珠環が申し訳ないがとても可愛らしくて、思わず笑みが零れる。


「大丈夫、別に今思い出しても何とも思わないし、気になるなら聞いてくれて構わないから」


 すると珠環は少し考えたが、首を横に振った。


「黎月さんから聞きます!」

「あんたって本当に正直ね……」

「黎月、お前も大概だぞ」


 ただ、今はこの幸せな日々が永遠に続く事を願った。

 

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