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第六話「出現」

 少年たちは、先ほどまで少女がいた場所をただ呆然と眺めていた。

 その表情に一喜一憂させられた姿があった空間の先には、いままで陰に隠れていた窓の外の風景があるだけだった。そこから下校する生徒の笑い声が入ってきて、当たり前すぎる時間の流れを教えてくれた。図書室で突然姿を消した女子生徒に対しては、誰もが冷淡なほどに無関心だった。

「何が……起きた……?」

「さぁ……」

 やっと口を開くことができたが、起きたことを客観的に認識することはまだできなかった。

「かなで……さっきまでそこにいたよな……?」

「いた……でもいきなり詩集から風が吹き出して……」

 そのとき、背後にひとつの人影が忍び寄ってきた。

 それに気づかなかったのは、いまだ正常な思考力を回復できていなかったからであり、図書室にもうひとり別の人間がいたことをすっかり忘れていたからであった。

「ご協力、ありがとう。これで私たちの悲願が達成されるわ」

 よく通る甲高い声が耳朶を打った。ギョッとなって首をめぐらせた先にいたのは、貸出カウンターで読書に没頭しているはずの司書だった。小柄で気弱な印象に過ぎなかった彼女がいま、傲然と腕を組んで拓斗と優一を見下ろしている。

「あんた……どういうことだよ?」

「何のことだよ、悲願って……」

 椅子を蹴って立ち上がった拓斗と優一に、司書は鼻息混じりの冷笑で応じた。

「あなたたちは知らないでしょうね。この学校が創立された当時のこと」

「創立された当時って、百年前のことか?」

「そう。鋭いじゃない。この学校はね、百年前に、ある祠を壊した跡に建てられたものなの」

「ある祠?」

「かなでが消えたこととそれが、何か関係があるのかよ!」

 噛みつかんばかりの勢いで、拓斗が司書に突っかかった。

「あなたは、その子と比べてせっかちさんね。ちゃんと私の話を聞きなさいよ」

 いきり立つ拓斗を優一が制した。ここは司書の言うとおりにした方がいい。かなでがどうなったのか、そしてどうやって救い出すのかを知っているのは、司書以外にいないと思われたからだった。

「百年前だから、明治の終わりごろね。当時、全国各地に学校を建てるという政府の方針に従って、いま私たちがいる土地もその候補地になったの。祠を守っていた地主は猛烈に反対したんだけど、政府は有無を言わせなかった。それで、結局工事は開始された」

 ここで司書はいったん言葉を切り、食い入るように聞いている拓斗と優一の真剣な顔をあざ笑うかのように見渡した。

「ところで、あなたたちはこの図書室にまつわる噂、知ってるでしょう?」

「噂……書庫に棲みついているという悪霊のことか?」

「その悪霊、本当にいるって信じてる?」

「悪霊なんているもんか! 現に俺たちが……」

 拓斗は慌てて口を押さえた。司書はそんな拓斗に冷笑を送るのを忘れなかった。

「信じる信じないはともかく、悪霊のことは多少なりと知っているようね。光栄だわ。その広報活動を担当した者としては」

「広報活動?」

「じゃあ、悪霊の噂はあんたが垂れ流してたってことか?」

「素晴らしいわ。あなた、私と一緒に悪霊伝説の担い手になってみない?」

「ふざけたこと言うな!」

「あんた、学校の職員だろ? なんでまた生徒を混乱させるようなことするんだよ!」

「それはね……」

 口紅が塗られていない司書の乾いた唇が、キュッと斜め上に吊り上がった。

「……やめた。まだ途中だったお話があったわね」

 なんだ? からかっているのか?

 拓斗はムカムカする気持ちに駆られた。だが優一にも、そしてかなでにもこれ以上迷惑はかけられない。そう思い直して、踏み出しかけた足を戻した。

「祠は破壊され、そこに封印されていた悪霊の魂は祈祷師の手によってほかのものへ移された。それが、当時英語の教材に使われていた詩集。ドナルド・ウェストだったかしら。二重人格者だったようね。聖者と悪魔の崇拝者で、双方相異なる二種類の詩集を出版したのだとか」

 司書は、机の上に開かれたままの詩集を指さした。

「学校は、彼の詩集を英国から取り寄せたんだけど、その中に一冊だけおかしなのがあった。正規のものと表裏一体だからっておまけしてくれたみたい。でも誰もが気味悪がったから、祈祷師がそれに目をつけて悪霊を封じ込めることにしたの。要するに、この詩集ね」

 表裏一体? 単なる厄介払いだったんじゃないか?

「悪霊を封印した詩集は人目につかないところに保管すべきってことで、結局学校の書庫の中に納められることになったの。あなたたちも先生たちから言われたでしょ? 特別な理由がない限り、書庫に入ってはいけないって」

 ということは、少なくとも学校関係者はこの事実を知っていたということか。いや、知らないにしても、百年前からのタブーとして遵守されてきたことは大いに考えられる。

「祈祷師はこう言ったわ。詩集にかけた封印は九十九年目に解け、悪霊はよみがえる。誰も触らなければ悪霊は閉じ込められたままだが、一度封印を開いてしまったらもう戻せないってね。そして、その九十九年目だった去年、悪霊はついによみがえるかと思われた。でも、よみがえらなかった。どうしてか」

 司書の乾いた唇の上を、赤黒い舌が舐めずり回った。

「何かが足りなかった。悪霊がよみがえらせるには、人間の生命力が必要だった。それも、若い娘の生命力が! だからこのときを待っていた! 若い娘によってあの詩集が開かれるときを!」

 もしその話が本当なら、かなでは消えたのではなく、悪霊に連れ去られたのではないか。

「その話はでたらめだ! 特定の年齢層、性別のターゲットに特定の本を開かせるなんて、容易にできる芸当ではない!」

「あら、そうかしら。簡単だったわよ。女の子が欲しがりそうな本が図書室の書庫にあるって、触れ込んだら一発だったけど? 心当たりあるんじゃないかしら?」

 拓斗と優一の顔から血の気が引いた。腹立たしいことではあったが、司書に言われたとおり、心当たりはあった。かなでにせがまれて書庫に忍び込み、詩集を取ってきた。そして、その詩集にかなでが……。

 いや、待て。拓斗はある部分で引っかかった。悪霊が封印された詩集、つまり自分が持ってきてしまったほうは、本来かなでが求めていたものではない。それを持ち出させようとするには、あの火炙りにしているイラストのほうをPRしなければならないはずだ。なぜだ? あの可愛いほうの詩集を宣伝する意味がほかにあるのか?

「それにしても、あなたたちは家庭でとてもよい躾を受けてきたのね。借りたものはきちんと返す。それも、ちゃんとあったところに、同じ状態にして戻すようにってね」

 書庫の鍵のことだ。すべてお見通しだったというのか。

「でも、公共の場でのおしゃべりは感心しないわね。全部聞こえていたわよ。ずいぶん私を気にしていたようだったけどね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、あの文庫本、ちっとも面白くなかったから」

「かなでを……かなでをどこにやった……?」

 拓斗は、優一のその切実な問いかけにハッとさせられた。詩集を持ち出させる宣伝方法はともかく、いまは現にかなでが連れ去られてしまっているのだ。

「さぁ、それはどうかしら? 悪霊に聞いてみるしかないわね。行ってみたら? 悪霊の眠っている詩集の中に。何か素敵なことが起きるんじゃないかしら」

 司書のその受け答えに、今度は優一が度を失う番だった。

 ここで拓斗の頭に、まったくもって単純で、もっと早い段階で聞いておくべきだった疑問が浮かんできた。

「っつうかさ、あんた誰なんだよ?」

 何か熱いものを飲み込んだかのように、司書が口をつぐんだ。つねにひょうひょうとした態度を崩さなかった司書が、初めて見せた狼狽であった。これまで見せていた高慢な態度のカケラもなかった。むしろ、小柄で影の薄い印象のあったこの司書に、最も似つかわしい表情とも言えた。

「……わ、私のことなんてどうでもいいでしょ? そんなことより、あなたがたのガールフレンドのことを心配したらどうなの?」

 自分のことを聞かれた途端、司書はその話題をもみ消そうとするかのように話を逸らした。

 何かおかしい。かなでの行方を知っていることは間違いないが、それ以前に悪霊自体と直接的な関係があるのではないか。

 これまでは、不可思議な出来事に面食らって受け身に終始せざるを得なかった。だがこの瞬間、この現状を打破できるかもしれない微かな糸口を得た。それはごく小さな手掛かりに違いなかったが、ここで攻勢に出て追及していくことこそが問題解決のいちばんの近道となる。

「あんた、司書だろ? カウンターに座って本の貸し借りの管理しているのが仕事なんじゃねぇのか? それがどうして悪霊なんかに荷担するんだよ?」

「そうだ。そもそも一介の司書であるあんたが、なぜ悪霊を復活させる必要がある? わざわざデマを流して生徒を誘いだし、悪霊のために尽くそうとするには理由があるはずだ!」

「う……うぐぐ……」

 拓斗と優一のすさまじい剣幕にたじろいだ司書は、旗色の悪くなってきた状況を示唆するかのように、色の濁った前歯で生気のない唇を噛みしめた。

 一気に畳みかけて尻尾を出させる。この機を逃したら、手掛かりは永遠に埋もれてしまう。

「答えろよ! 図星を突かれたから、何も言えないのか?」

「そうだ! 黙ってるのは、優一の話を否定できないってことになるぞ!」

「……私は……ただ……」

 全身をブルブル震わせながら、一歩、また一歩と後退りする司書に、眉根を険しくさせた拓斗と優一がにじり寄る。

「あんたが何か隠していることはわかってるんだ!」

「お前なんかに騙されないぞ!」

 拓斗と優一に迫られるごとに、司書は腰砕けになって後退した。その恐れわななくような姿は、外部からの圧迫というより、内側から突き上げてくる衝動によって苦しみもがいている姿にも見えた。

「どうやら年貢の納め時のようだな」

「そろそろ化けの皮を剥がしたらどうだ?」

 司書は、背後にあった閲覧机に衝突して後ろ向きに転倒した。

「……わ、わしは……貴様ら……なんぞに……」

 そのとき、地の底から沸き上がってきたような野太い声が響いた。

 すると突然、司書の胸のあたりから真っ白い閃光がほとばしりだした。無限とも思える数だった。やがてそれらは拓斗と優一の目の前でひとつの固まりへと集束しはじめ、頭、腕、胴体、足と思われる形を作り上げていった。

 今度は、拓斗と優一が後退りする番だった。

 閃光の余波がつくった霞の向こうに、三メートルほどはあるだろう人型のシルエットが仁王立ちになっている。

 後退った拓斗の腰に、閲覧机の角がぶつかった。優一はヘビに睨まれたカエルのごとく、その場から動くことができなかった。

「足りぬ……まだ……足りぬ……」

 腹の底を殴りつけるような重低音が、拓斗と優一の鼓膜を震わせた。

 これが悪霊の正体か?

 霞のせいで姿形を特定することはできなかったが、その中で、サイの牙のような角と猛禽類のような鋭い眼光だけははっきりと視認することができた。たったそれだけの情報でも、この存在がいかに恐るべきものであるかを物語るに十分だった。

「わしは……九十九年目にして目覚めることができた。そして、この女が封印されていた本を開いてくれたのだ……だが……わしが完全によみがえるには、まだまだ足りぬ……」

「な、何が……足りないんだ……?」

 歯の根も合わぬほど震えていた拓斗が、なんとか言葉を発した。

「この女ではだめだ……若い生命力を持った娘でないと……だからわしは……この女の体を借りて……集めていた……」

 司書はこの悪霊に操られていただけだった。

 好奇心からだったのだろうか、司書は去年、つまり悪霊が封印されて九十九年目のある日、例の詩集を開けた。そして、よみがえった悪霊によって体を乗っ取られて、生命力を奪われそうになってしまった。だが、悪霊の体力を回復させるには司書では不十分だった。そこで悪霊は司書の体を借りて、生命力の源をおびき寄せる活動を行った。

 こういうことだろう。それにまんまと引っかかってしまったのが、拓斗であり優一であり、そしてかなでであった。

 霞が晴れてきた。悪霊の全貌が明らかになっていく。

 毛むくじゃらの体に、指の先から伸びた鋭く長い爪、背中には鷹のような翼が折りたたまれている。そこにいたのは、人間とも獣ともつかない生命体の姿だった。

 だが何かが違う。想像を絶する恐ろしい姿には変わりないが、その反面、圧倒するような威圧感は伝わってこなかった。

「……光が……」

 悪霊がもがきはじめた。同時に、その巨体が真っ白い閃光の固まりに変わり、球体になったと思った刹那、ある方向へと矢のように飛び去っていった。

 たとえ超常現象に興味はなくとも、たった一日のうちにこれほどの非日常的な体験に浸ってみれば、幻だなどと笑い捨てる愚は決して犯さないだろう。

 拓斗と優一は、悪霊が飛び去ったその方向へと視線を向けた。

 その視線の先にあったのは、本来司書が座っているべき貸出カウンター、そしてその奥の職員控え室であった。

 最初に行動を起こしたのは拓斗だった。

 閲覧机の上に放置されていた詩集をかすめ取ると、もう書庫に向かって走り出していた。

「その人は後でいい!」

 優一は、床に仰向けになったままの司書を介抱しようとしていたが、拓斗にそう言われて首に回そうとした手を止めた。

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