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青と赤と  作者: 向日葵
6/8

煌葉

お久しぶりです

「手を繋ごう。」

 

 もう一度、駆流が手を差し出してくる。

 駆流の手は、暖かかった。

 青く冷たい光を放っていた駆流は、今は暖かい青色だ。ほっとする色。


 誰もいない土手。不都合なようだけど今は、ありがたい。

「誰も、いないな。」

 怒ったように笑ったように駆流が呟く。

「うん……。」

 煌葉は喉の奥から搾り出すような声を出した。夕陽を浴びた駆流の顔が眩しくて、まともに見ていられない。

 見ていられないけど、右手の動きで駆流が笑ったのが分かる。駆流は出会った頃より随分柔らかくなった。

 沈んでいきそうで沈みきらない夕陽を背に、2つの影が寄り添い、長く伸びていた。

 

「煌葉」

 

 教室で自分の名前が聞こえてきたのは久方ぶりだ。顔を上げると駆流だった。教室で声をかけてくるとは珍しい。


「あのさ、勉強教えてくんね?」

「べ、勉強?」

「いやぁ……」


 駆流は怒ったみたいにそっぽを向いた。


「俺、走ることがすべてだと思ってた。でもさ、怪我して分かったんだよ。走ることは俺の一部であって俺じゃない。」


 だから、勉強を?


「俺、分かったんだ。走れなくんって、俺は気力がなくなって。俺は何かに打ち込んでないと自分を保ってられない。だからさ、今のうちに遅れを取り戻しておくのも悪くないかなって」


 なるほど。


「それに、ちょっとお前に憧れがあるんだよな。一度でいいからお前の脳を通して世界を見てみたい。そしたら、世界が違って見えるんじゃねえかって。」


「もちろん」


 煌葉は頷く。


「それで、何がわからないの?」

「うーん、三平方の定理とか……。」

「……!?」


 その時だ。


 かつ。かつ。かつ。


 硬質で冷たい足音が近づいてきた。和やかな教室を一つの足音が掻き乱す。


 顔を上げると、嫌な予想が的中していた。


 真っ黒なあの人こと黒澤魅麗くろさわみらいだった。そして、足音よりもっともっと冷たい声が響く。駆流がげっ、と呟く。


「ねえ、あんたたちが付き合っているって本当?」


 煌葉は目を合わせないようにして呟く。


「あなたには関係ないわ。」


 今回の目的は他の人に信じてもらうこと……だったはず。でも……黒澤だけには干渉されたくない。


「駆流、あなたも結局面食いだったってわけね。私があんなに何度も好きだって言ったのに、走ることが大事だと言ってたじゃない。あれはどういうことなの?」


 黒澤はご丁寧にも半泣きのような声だ。でも、目の奥は泣いていない。すかさず、


「魅麗、大丈夫?」

と取り巻きが集まってくる。こちらを睨んでくる目が、に、し、ろ、は……。


 怖い。


 その時これまで聞いた中で一番周波数の低い声が聞こえた。


「ストーカーまがいのことをする人間に、用はない。」


 見ると、駆流だった。怒りのあまり髪が逆立っている。


「お前が俺に対してしていたことをここで列挙しても文句はないよな。」

「私が何をしたっていうの?」

「まず、俺の家の天井に上って天の声を演出して俺を洗脳しようとした。次、俺の筆跡を巧妙に真似た手紙をお前の友達の家のポストに投函。内容は?黒澤さんに気がある?伝えてほしい?ふん、笑えるぜ。」


 駆流はわざとらしく鼻を鳴らしている。


「後は、2月14日とかいうろくでもない日に俺の靴箱に木工用ボンドを塗りたくって開けなくしたな?まあ俺はチョコなんて言う不健康なものは食わんからその点では感謝している。でも、せめて俺の靴は外に出しといてほしかった。上げたらきりが姉が武士の情けでこれぐらいにしといてやる。」


 教室がざわざわし始める。そりゃそうだ。なにしろ我らが女王様が悪事を暴かれていっているのだ。そもそも、悪事というよりなんか変だ。噴き出しているクラスメイトに煌葉は共感を禁じえなかった。


「だって、好きだったんだもの。でも、今はもう違う。あんたに嫌というほど復讐してやる。ねえ、みん

な。」


 従う声はなかった。女王は今度は本気の涙を流しながらどこかへと去って行った。


 その背中に向かって駆流は激しく怒鳴りつけた。


「俺はストーカーまがいのことをする人間に用はないと言ったが、彼氏の前で未練を語る人間にはもっと用がない。」


 返事はなかった。黒澤の泣き声はいつまでも響き続けていた。



 最近気が付いたら誰かの顔が浮かんでくる。教科書を開いても、耳は通知音を求めている。


 煌葉は集中することを諦めてLINEを開く。お気に入りの緑色の星が悲しそうに光っている。新着メッセージは、なかった。


「今、何してる?」


 打ち込んでみたものの、バックスペースを連打する。今、ここでメッセージを送信したとしても駆流以外の誰の目にも止まるはずがない。だから、時間の無駄だ、そう駆流はいうだろうという確信があった。所詮私たちは、恋人であるという事実だけを互いの利にしている、ただの共同事業主だ。少なくとも駆流はそう思っているはず。そして、その関係が崩れてしまったとき、駆流と私はただの同級生に戻ってしまうんだろう。その時駆流は目の奥にあの冷たい光を宿し、自分の殻にこもってしまうんだろう。


 でも……。煌葉は誰にも聞こえないように小さく、ほっ、とため息をついた。



「煌葉、いつまで勉強してるの?」


 階下から母の声が響く。


「あと、もう少しで寝るから。」


 今、午前2時。そろそろ寝なくては。でも……。


 最近、授業内容が理解できない。焦りを感じる。しかも、今日は、やっと集中できたのは、日が暮れてからだった。それまで煌葉は教科書とスマホと交互に睨めっこを続けていただけだった。もし、駆流から連絡が来ていたら、煌葉は満足していたんだろうか。


 いや……。煌葉は思う。


 きっと、駆流のメッセージに興奮して勉強なんて手につかないはずだ。


 でも……こんなの一過性の感情に決まってる。きっと、明日の朝目覚めたら今日の自分の馬鹿さ加減に笑えるはず。


 それはそうと……。


 授業内容が分からない。


 煌葉には初めての経験だった。今まで先生の言うことは、一度聞いたらすぐに理解できたし、少なくとも家に帰って復習する時には完璧だったはず。地元の公立高校とは言え、一番しか取ったことのない煌葉の自負だ。


 駄目だ……。


 煌葉は今日何十回目ともいえる公式をノートに写す。今週何百回目ともいえるページを見つめる。

 理解できない。知っている記号しかない公式が、まるで私の知らない言語に見える。どう使っていいのかどうしても分からない。


 早く先生に聞いていればよかったのかもしれない。煌葉の分からないところを見抜いて教えてくれたはずだ。でも、煌葉のプライドはそれを許さなかった。私が、自力で理解できないはずがない。


 分かっているふりをして授業をやり過ごしていた煌葉には、もはや助けを求めることはできなかった。


 今日で、夜更かし一週間目だ。


 明日こそ、そう思った瞬間、真っ暗になった。

またよろしくです

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