46.たぶん、きっと。
「ごめんね? 痛かった?」
「最悪です」
「うん、元気そうで安心したよ」
心の中で悪態をつきながら悶えていたら、ダミアンが笑いながら問いかけてきた。
言葉を取り繕う余裕もないくらい涙目で睨みつけて答えたのに、元気そうとは何事?
ダミアンまで涙目になってる。私と違って、笑いすぎて涙が出てきたようだけどね。
「それで、暗示は解けたと思う?」
「え? ……はい、たぶん?」
「それならよかった」
「どういうことですか?」
「暗示について話さないようにって、それもまた暗示をかけられていたようだからね。レティシアの意識を一瞬奪って、暗示を解いたってわけ」
「それが今の狼藉ですか?」
「狼藉……うん、……そうだね……」
また笑っていただけて何よりです。
だけど暗示を解いてくれたことには感謝しかないから、デコピンについては許すよ。
もう少し他に方法はなかったのかとは問いたいけど。
「今はアクセルもいないし、一番手早い方法かなと思って」
そう言いながらダミアンはまた私に手を伸ばしたからびくりとしたら、単におでこに手を当てただけだった。
何かと思ったら、ほわっとおでこが温かくなったから、たぶん治癒魔法を施してくれたみたい。
それはありがとうだけど、やっぱりそもそもはダミアンのせいだからね。
もう少し優しくてもよかったと思うんだよ。
ダミアンが言う「アクセルもいないし」っていうのは、前に制約魔法をかけられたときに、アクセル様の部屋を教えられて私が一瞬の隙を作ったときのことだよね。
私の無意識の警戒心のすべてを取り除いたことによって、暗示まで解いたってことだ。
手段に問題はあるけれど、結果はさすがとしか言いようがない。
「……ありがとうございます」
「では、改めて話そうか」
「はい」
ここからはレティシアの記憶頼りになる。
でも暗示が解けたからか、晴乃としても――いや、二人の融合記憶できちんと話ができる。
「アドソン先生に暗示をかけられたのはいつ頃かな?」
「……わかりません。ただ、ここ一年くらいだと思います。ちょっとした課題のミスや授業中の態度で教務室に呼び出されることが何度かあって、おそらくそのときに徐々に……アドソン先生の指示に疑問を覚えることなく従うようにされていったんだと思います」
そうだ。最初は気づかなくて、何となくな違和感を覚えていただけ。
それがどんどん加速して、授業中に目が合うだけでもふわっとした感覚が体を駆け巡って怖かった。
ひょっとして、私はアドソン先生を好きなんじゃないかって、そんな不毛な恋をするのが怖かったんだ。
でも考えてみれば、私はアクセル様も好きで、それこそ不毛な恋ではあったのに、アドソン先生に対する恐怖のようなものはなかった。
「何を指示されたかは、覚えている?」
「いえ……。覚えていないのではなく、まだ何か指示をされたわけではないのです。単に私という駒がほしかったのかと……」
そこまで言って、大切なことを忘れていたと思い出した。
急ぎダミアンを見れば、私の考えを読んだようで、小さく首を横に振る。
「ノーブ辺境伯令嬢は今、行方不明だ」
「そんな……。では、アドソン先生は?」
「わからない。これはかなりの非常事態ではあるが、公にはできない。魔術塔への信頼を揺るがす事件であり、王家の威信に関わる問題でもあるからね」
「ダミアン様でも見つけられないのですか?」
「残念ながら、かなり用意周到に準備されていたようだよ」
「魔王復活にはまだ早いはずです」
「おそらく、魔王は関係ないんじゃないかと今は考えている」
「要するに〝予言〟も関係ないと?」
「それはわからない。魔王よりも聖女に固執している可能性は否定できないからね」
「聖女に? でも……」
カリナ様ならともかく、私もノーブ先輩も聖女とは程遠い存在だと思う。
いや、別にアドソン先生が私を聖女候補と勘違いして、暗示をかけていたって思ってるわけじゃないけど。
「レティシアが聖女だという可能性はまったくないわけではないよ」
「ダミアン様は他人の頭の中を読める魔法が使えるのですか?」
「それができたら、今回の件も未然に防いでいるよ。レティシアはわかりやすいって何度も言っているだろう?」
「気をつけます。で、私に可能性があるなんて、どう考えてもないでしょう?」
「本当に遠慮がなくなったね。まあ、いいけど……。力の発現なんて、いつ何がきっかけで起こるかわからないんだよ。カリナ嬢はもちろん、レティシアもノーブ辺境伯令嬢もその能力は秘めている」
「……カリナ様は、もしかしてアドソン先生が?」
この状況下で遠慮なんてしていられない。
ダミアンも気にしていないようだし、それよりもノーブ先輩の身の安全だよ。
カリナ様は毒殺されたって話だったけど、やっぱり自分で服毒した可能性だってあるよね?
だって、私と同じように暗示をかけられていたのなら命令されたり、もしくは――。
ああ、そうか。
私が私になってしまったのは、暗示から抜け出そうともがいていたからだ。
それが、ダミアンとの婚約発表がきっかけで、驚いたレティシアに隙が生まれて、さらにダミアンに手を握られたことによって、無意識に私を召喚したのかも。
これはレティシアだけでなく、ダミアンでさえ気づいていない真実。たぶん、きっと。
「カリナ嬢についてもまだこれから調べ直さなければならないが、まずはノーブ辺境伯令嬢の捜索だ。アドソンも確保できればいいんだが、とにかく関係各所が秘密裏に動いている」
「では、ダミアン様も……いえ、ダミアン様こそ、そちらに今からでも合流してください。私には何もわからなくて、手がかりひとつお渡しすることもできず申し訳ありません」
「いや、私も気づかないほどの強力な暗示をかけられていたにもかかわらず、アドソンのことを伝えてくれただけでも大きいよ。本当に感謝している」
本当はもっと早く思い出せばよかったのに、私はこの世界にきてしまったことで浮かれて、レティシアのSOSに気づかずにいてしまった。
アドソン先生と接して、生徒会活動を通じて、もやもやとした違和感が大きくなっていたのに。
ダミアンはじっと私を見ていたから、どうしようもない私の考えに気づいていたかもしれないけど、何も言わずに立ち上がった。
「レティシア、この部屋には強力な防御魔法を施していくから……絶対にここから出ないでくれ」
「はい。お約束します」
約束は誓約と同義。
正式な契約ほどではないけれど、縛りが軽く発生するから、これでダミアンも少しは安心してくれるはず。
別に私を心配してくれてるなんて思わない。
単にアドソン先生の駒である私がちょろまか動くと邪魔にしかならないからね。
「――ダミアン様、お気をつけて」
「ありがとう」
ダミアンは最強の魔術師だけど、それでも用意周到と言うほどにアドソン先生が動いているのなら、心配にはなる。
だから、出ていくダミアンに声をかけたら、まさかそんな笑顔でお礼を言ってくるなんて思わなかった。
驚く私の隙をついて、ダミアンの唇が唇へと触れる。
は? 何してるの?
わけがわらないでいるうちに、ぺろっと唇を舐められて超絶びっくり。
まさかのディープキスなんですけど!?
悲鳴を抑えた私、偉い!
だけどそんな私の耳に、廊下を歩いていたらしい使用人の押し殺した黄色い悲鳴がかすかに聞こえた。
「ダミアン様!」
「おまじないだよ」
恥ずかしさに耐えきれず離れて声を上げた私に、今度のダミアンは意地の悪い笑みを浮かべて答えた。
それから背を向け手をひらひら振って去っていく。
こんなときに信じられないけど、こんなときだからかもしれない。たぶん、きっと。
どうかノーブ先輩が無事に発見されますように。
アクセル様にお怪我がありませんように。
そして、ダミアンがまたしれっとした嘘くさい笑顔で戻ってきますように。




