26.ボーナス
髪を梳かしてちょうど支度を終えたとき、ノックの音が聞こえてダミアンがやって来たことを知らされた。
どうしよう。ひょっとして〝予言〟について知ってしまったら、ダミアンがアクセル様ルートなどでラスボス化したときに、私は関係ありませんでした。って言い訳ができないんじゃないかな。
今さら心配になってきたけれど、知らなければヒロインが現れたときに何の手助けもできない気もする。
そもそもアクセル様を少しでも助けられるなら、危険を冒してでも知るべきよね。うん。
「レティシア、待たせたね。さっそくだが、行こうか?」
「ありがとうございます、ダミアン様」
まったく待っていないどころか、かなりちょうどいい時間に迎えにきたところがさすがと言うべきか、紳士だよね。
私の着替え諸々考慮してくれたんだろうけど……ちょうどすぎて、この部屋に盗聴器があるんじゃないかって疑いたくなる。
いや、この世界にはまだ盗聴器はないけれど、ダミアンなら何かしらできそうで怖い。
「心配しなくて、密偵を潜ませたりなどしていないよ」
「その心配はしておりませんでした」
むしろ超能力か何かで直接私の頭の中を覗いているんじゃないかな。
そんな魔法あった?
もっとダミアンルートをやりこんでおけばよかったなと後悔しているうちに、例の応接間に到着。
ここで数日前にアクセル様の新しい一面を知ることができたんだよね。
あのときは驚いたけれど、今となってはアクセル様を輝かせる一部だと思えてきている。
清廉潔白な『氷雪の王子様』は、国民の安寧のために心を凍らせてご自分の義務を遂行されているんだよ。うん、素敵。
何事も前向きなのが私のいいところって言ってくれたのは、確か前世での友達。
そういえば、続いて『晴乃は前向きすぎて、ダメ男に気づいていないからヤバい』とも言われた気がする。
いや、アクセル様はダメ男じゃないし。ダミアンはダメ男ってレベルじゃないから。
「さて、それでは〝予言〟についてだけど……もう少し待ってくれるかな?」
「……はい」
何なのこれ。正解はコマーシャルの後、とかって引き延ばさないでほしい。
だからついリアルタイムで見なくなったんだよね。
でも残念ながらスキップすることもできず、もったいぶるダミアンを前に苛々していたら、不思議なことにお茶を用意してくれた侍女さんがカップを三人分テーブルに置いた。
「……どなたかいらっしゃるのですか?」
「うん。アクセル待ち」
それを早く言ってよー!
アクセル様がいらっしゃるなら、いくらでも待ちますとも!
ダミアンの「うん」っていう返事も可愛く思えてくるじゃない。
私の浮かれ具合が伝わったのか、ダミアンは楽しそうに笑っているけれど、どうぞどうぞ。
今の私はどれだけ笑われても平気です。
むしろ、このような機会を設けてくれたダミアンに感謝したい。
あの馬車での出来事さえも許せる。
ノックの音が聞こえた瞬間、私が飛び上がる勢いで立ち上がると、またダミアンが笑いながら応じる。
すぐにアクセル様が入っていらっしゃって、私の心臓が過労死するんじゃないかってくらい、ばくばくしている。
あ、心臓が過労死したら、普通に私も過労死するね。
って、そうじゃなくて。
アクセル様の普段着はかなり貴重なのですよ!
あの『王子様♡』の中でもスチル一枚だけなんだから!
やっぱり学園が舞台ということで、ほとんどが制服だったし、見せ場はやっぱり王子様然とした儀礼服が多かったから。
「待たせてすまない、レティシア嬢」
「どうか謝罪なさらないでください。こうしてお会いできただけで喜ばしいことですから」
軽く膝を折ってアクセル様をお迎えしたけど、歓喜のあまり膝がぷるぷるしている。
決して運動不足ではない。
そんな私をからかうように、ダミアンが腰に腕を回してまっすぐに立たせた。
「まあまあ、レティシア。そんなに畏まらないで。アクセルだって、他人行儀は嫌だよな?」
「そうだな。レティシア嬢、僕たちはこれから親戚になるんだから、プライベートではもっと打ち解けてほしい」
「……はい。ありがとうございます」
親戚になりたいけれど、ダミアンの妻という立場ではなりたくない。さらに本音を言うなら壁になりたい。
この複雑な心境をどう表せばいいのか、というより隠さなければいけないのがつらい。
「じゃあ、そういうことで」
ダミアンは私の返事を待たずに答えると、すこんと私をソファへ座らせた。
え? 今、何が起きたの?
膝カックンされたわけじゃないのに、いつの間にか私は座っているんだけど。
その隣にダミアンが座り、向かいにアクセル様が腰を下ろされる。
ちょっと、ダミアンが近い気がするけれど、小さなテーブルを挟んだだけの正面にアクセル様がいらっしゃることを思えば、むしろ心強い。
もう少しテーブルが大きくてもよかったんじゃないかしら。
こんなに推しに近づいていいものなのか悩んでいるうちに、ダミアンがカップにお茶を淹れていく。
私は一応、まだお客様の立場なのでダミアンにお礼を言うだけにとどめた。
よかった。
ここでアクセル様がお茶を淹れられていたら、もったいなくて飲めないところだったもん。
「そういえば、先ほども馬車の中でずいぶん熱烈だったらしいな」
「ああ、もう聞いたのか」
アクセル様の素敵な美声でとんでもないことをおっしゃったから、思わず飲みかけたお茶を噴き出すところだった。
待って、待って。
ダミアン、にやにやしていないで、ちゃんと否定して。
お茶が鼻に入ったんですけど。痛い。でも耐えろ、私。
「あ、あれは、ダミアン様が従僕をからかうための意地悪です」
「そんなことはないよ、レティシア。君があまりに可愛いから、思わず押し倒してしまったんだ。すまなかったね」
だーかーらー、そこで初めての謝罪とかいらないんですよ!
きつくダミアンを睨んだら、アクセル様が声を出して笑われた。
なんてこと! これはヒロインしか聞けなかったはずの貴重な笑い声だよ!?
「まさかダミアンを睨む女性が現れるとはね。信じられないな!」
「そうなんだよ。レティシアはとても気が強くて、でもそれがいいんだ」
「おやおや、ここでダミアンの惚気を聞くことになるとは。そこまでレティシア嬢に入れ込んでいるなら、〝予言〟について話すと決めたのも納得だよ」
待って待って。情報が多すぎて私の残念な処理能力では理解できない。
バージョンアップとかできないですか?
頭の中でくるくる永遠に終わらないくらいのローディングマークが出ているけれど、ひとつひとつクリアしていこう。
馬車でのダミアンのとんでもない嫌がらせを、アクセル様まで耳にしたのは仕方ない。
だけど、アクセル様はどうやらダミアンが私を本当に好きだと思っていらっしゃる?
ダミアンのことをよく理解していらっしゃるようなのに?
どうして、今のが惚気だなんて勘違いなさるんですか?
誤解を解きたい。ダミアンは単に私が使い勝手のいい立場の人間だから婚約しただけなのに。
まあ、その後の本性《晴乃》については、楽しんでいるというか遊ばれているけれど。
せいぜい、いいところでペットですよ。たまに爪を立てて歯向かうと、恐ろしいお仕置きがあったりするんですよ。
「まあ、問題はご覧の通り、レティシアの表情が豊かすぎることかな。もう少し心の内を隠せるようにならないと、今後困るとは思うんだけどね」
「そうか? それほどの表情の変化をわかるのは、ダミアンだからこそだろう。私にしてみれば、レティシア嬢は常に穏やかな笑みを浮かべているだけに思えるがな。さすが『微笑みの貴公子』の婚約者殿だ」
「それはやめてくれ。『氷雪の王子様』」
「それもやめろ」
え? 何、この会話。ご自分たちの二つ名についてからかい合うなんて、尊すぎません?
おかしいな。いつ課金したかな。それともこれ、ボーナストラックか何か?
ご令嬢たちを中心に呼ばれている二つ名を、アクセル様もご存じだったんだ。しかも嫌がっていらっしゃったんだ。
はあ、尊い。ありがとう、神様。私《晴乃》にとって、この世界はボーナスステージです。




