15.イベント発生
思わず立ち止まって、本当にアントニーだったかを思い出す。
いっそのこと戻って名前を確認しようかと考えたけれど、それだと始業時間に間に合わないので諦めた。
あとでまた確かめればいいけれど、『アントニー・バックス』はレクザン王国の王子である身分を隠すための偽名だったはず。
アントニーがいるのなら、ヒロインは簡単に捜し出せる。
だって、アントニーはヒロインの従者だったからね。
(でもヒロインの代わりにアントニーが庶務になるなんて……)
あれこれ考えつつ、特別棟の裏側から出ようとしたとき、数人の女子生徒が私の前に現れた。
制服のリボンの色から五回生だとわかる。
しかも、敵意がひしひし伝わってくるので、先輩たちを倒さないと先へ――教室へ進めないこと確実。
そういえば、こういうイベントあったなあ。
ヒロインの選択で先輩たちを怒らせて敵になるか、味方にできるか、だったよね。
「レティシア・カラベッタさん? 少しお時間よろしいかしら?」
「残念ながら、もうすぐ始業時間ですので、またにしていただけませんか?」
「はあ? 私たちよりも授業が大事だとでも?」
「私は二日も休んでおりますので、これ以上は一時間でも休みたくないのです」
当たり前のことを主張されても、そうですとしか言いようがない。
あと、確かヒロインは男爵家出身だったから、特に変に思わなかったけれど、現状どう考えてもおかしいよね。
私は侯爵令嬢であり、王弟殿下の婚約者でもあるんですけど。
その私にこうして難癖付けようとしているあなたたちはいったいどれだけの身分なの?
身分を盾にするなんてかっこ悪いし、私的には気にしないけれど、表沙汰になって困るのは先輩たちなのに。
それとも先輩たちはよほど高位のお家の方なのかな。
だとすれば、ダミアンやアクセル様がお妃候補に入れていたはずだけど、選ばれなかったんだよね?
とすれば、足りないのは後ろ盾か持参金か……知能?
いや、そんな考えはさすがに失礼だよね。
私もダミアンのように傲慢になるところだった。
「なんて生意気な人なの? そもそも学園を二日も休んでいたのは、あなた自身の我儘じゃない。たまたまダミアン様の婚約者に選ばれたからって、浮かれて王宮に押しかけるなんて、淑女として恥ずべきことよ」
「そうよ! しかも、ダミアン様に我儘を言って、生徒会にまで入り込むなんて。どれだけずうずうしいの!?」
――チッ!
「え?」
「い、いえ……」
しまった。
あまりに馬鹿馬鹿しい言い分に、思わず舌打ちしてしまったわ。
侯爵令嬢が舌打ちするなんてあり得なさすぎて、先輩方は空耳か何かだと思ったみたいだけど。
さて。このお馬鹿さんたちにどう説明すれば納得してくれるのかな。
ゲームのように選択肢は出てこないから、自分で考えるしかないんだけど。
確か、ヒロインが生徒会庶務に選ばれて先輩方に絡まれたときには、どう答えていたっけ?
間違っても、思いのまま言い返してはダメ。
ああ、そうそう。先輩方を敵に回さない選択肢での正解のセリフは――。
「レティシア、こんなところで時間を潰していたのか? 遅いから迎えにきたよ」
違う。そんな選択肢はなかった。
先輩方の後ろから現れたダミアンは微笑んでいるけれどかなり怒ってますよね。
さすが『微笑みの貴公子』。ププ。
「ダ、ダミアン様!?」
「殿下!」
先輩方は突然現れたダミアンを目にして恐慌状態に陥った。
わかるわかる。悪魔の申し子だもんね。怖いよね。
「ダミアン様、教室に向かわれたのではないのですか?」
「レティシアがこちらから行くというから、驚かそうと思って合流地点で待っていたんだ」
「わあ、それは驚きますね」
「でも失敗したから、残念」
「十分驚いていますよ」
ダミアンは「悪戯が失敗してしまったよ、テヘッ」って空気出してますけど、私にとっては嫌がらせでしかない。
失敗したのは私にとって喜ばしいことだけれど、そんなダミアンの邪魔をした先輩方にとっては悲劇だよね。
ダミアンの怒りを買ってしまったんだから。
「それで、君たちは僕の大切な婚約者に何か火急の用件があったのかな?」
「い、いえ! た、たまたまお会いしたので、ご挨拶を……」
「そうか、レティシアの先輩たちは朝の忙しい時間にわざわざ足を止めて挨拶してくれるなんて、優しいんだな」
「そ、そうでした! もうすぐ始業の時間ですものね! 殿下のお時間までいただいてしまっては大変ですわ!」
「え、ええ! 本当にその通りです。それでは、私たちは失礼いたします!」
柔和な笑みを私に向けて浮かべたダミアンの問いかけに、先輩方は顔を真っ赤にしてしどろもどろに答えた。
それからダミアンの嫌みに気づいたのか、今度は顔を青くして最上級の立礼をすると、慌てて立ち去り教室棟へ入っていく。
廊下は走るの禁止ですよ。
「ノーブ辺境伯令嬢とその取り巻きか……」
「ご存じなんですか?」
「主だった令嬢は頭に入れている。何度か挨拶もしたことがあるしな。だが、あいつらに名前で呼ぶ許可は与えていない」
「あー。条件に合う婚約者を選定していたんでしたっけ」
お気の毒です。ノーブ先輩。
ダミアンを勝手に名前で呼んだことで、きっと何らかの罰を受けるでしょう。――ダミアンからだとは気づかずに。
辺境伯家が傾かないといいですね。いや、さすがに辺境伯家を敵に回すことはしないか。
まあ、辺境伯令嬢なら侯爵家の娘である私にケンカを売ってくるのもわからないでもない。
ちなみに、私に絡んでいたからという理由でのペナルティはないと思うので、取り巻きの皆さんはご安心を。
「それで、あれくらいの障害で何をもたもたしていたんだ?」
「これから適当な返事をしようというところで、邪魔をしたのはダミアン様です」
「あれくらい、さっさと倒せないようでは、これから先が思いやられるぞ」
「倒すって、モンスターじゃないんですから。あと、こうなったのはダミアン様のせいですからね。文句を言われる筋合いはありません」
「別に文句を言っているわけではない。ただ、レティシアが侮られるのは私を侮っているのと同義だ。もたもたしていないで、完膚なきまでに叩き潰せ」
「……ひとつお知らせしておきますが、私はか弱い普通の学園生です。ダミアン様のように魔力が強いわけでもありませんので、叩き潰すのは無理です」
「何も相手を潰すのに魔力は必要ないだろう?」
「言いましたね? では、それで問題が起こった場合の責任はダミアン様が取ってくださいね?」
「責任まで取ってこそだろう? 私を頼るな」
「うわー」
ダミアンのために侮られるなって言うなら、責任くらい取ってほしいよね。
パワハラ上司の典型だよ。
頼るなとは言われたけれど、ダミアンの婚約者でありカラベッタ侯爵令嬢としての立場は利用させてもらおう。
魔力が普通の貴族令嬢な私には、ヒロインのような魔獣だの瘴気だのを払うイベントは発生しないはず。
それなら、これから立ちはだかる難敵は先ほどの先輩のような方たちで、ゲームの選択肢を駆使し、さらに毒をのせて相手を言い負かせてみせる。
と、決意したところで始業の鐘が鳴った。
「ああ! 始業時間が過ぎてしまったじゃないですか!」
「それはレティシアが寄り道したからだろう?」
「ダミアン様がいらっしゃらなければ、間に合ってました」
「へえ?」
「あ、嘘です」
下手にダミアンを敵に回さないほうがいいのに、余計なことを言った。
慌てて否定して、走り出そうとした私の肩をダミアンが掴む。
「どうせ遅刻したんだから、別室でお茶でも飲もうか」
「遠慮します! 途中からでも授業は受けたいですから!」
どうにかダミアンの魔の手から逃れて走り出した。
廊下は走ってはダメだけど、今すぐダミアンの前から立ち去りたかった先輩たちの気持ちがよくわかる。
そんな私の耳に、ダミアンの笑い声が届いたような気がしたけれど、たぶん風の音。
ダミアンが声を出して笑うわけがないもん。