19話 死闘への幕引き!六道穿光流とアルクス (虹耀暦1287年4月:アルクス15歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
グリム氏族の長ルドルフは戦闘で荒れ果てた自室から窓の外を見る。鋼業都市アイゼンリーベンシュタット西部で起こった火災によって避難していたはずの貨物船では何やら戦闘らしき砲撃音が聞こえてきていた。
「あれではこちらを見てくれと言っているようなものだ。まったく、阿呆もここまでいくと度し難いな」
あれは何食わぬ顔で脱出する為に先行させていたのだ。見た目は貨物船に偽装しているのに戦闘が可能であると証明してしまえば面倒事が増える。
せっかく検査に来る役人を買収していたというのに。
「ままならぬものだな」
ルドルフは独り言ちて、梁に吊るされているアルクスを見た。鋼糸によって手足は雁字搦めになっており、首には同じく鋼糸が幾重にも巻きついている。
首を刎ねるのは簡単だったが、そうしなかった。それはこの青年が半魔族という稀有な存在だからだ。
―――――あの方はどういう反応を示されるだろうか。
「しかし・・・強情なものだ」
ルドルフはアルの右手に視線をやった。気を失っているにも関わらずアルは刃尾刀を握り締め、その上から龍鱗布が絡みついている。これでは剥がそうにも手間がかかるというもの。ルドルフとてそこまで時間の余裕はない。
「ふむ、半魔族の青年か・・・」
気絶したアルをルドルフは目を細めて眺める。その瞳には在りし日が―――久しく思い返すこともなかった過去が映っていた。
***
ルドルフは聖国の片田舎で生まれた、所謂私生児だ。血縁上の父は聖国中枢に食い込めるほどの才もない非才な男で、その分領地では好き放題している絵に描いたように凡な貴族だった。
その父に見初められ、一般市民と同等の住民権を得る為に半獣人の母が「一族の為」と貞操を捧げ、ルドルフは生まれたのだ。
どうしようもない小物の父は楽しむだけ楽しんだ後、すぐに母を捨てた。獣人族を娶る貴族。聖国では蔑まれるのが常識だ。
母は屋敷から追い出されてすぐに産気づき、一族の下に戻ってルドルフを生むことになった。
―――――『売女め・・・』―――――
しかし、母のおかげで人並みの権利を有しているにも関わらず一族の反応は冷たく、また排他的であった。
―――――『ほとんど人間のくせになんでここにいやがんだ?』―――――
―――――『鈍すぎだろ。邪魔だよどけ』―――――
―――――『裏切者が裏切られて生んだ子なんて所詮その程度』―――――
村八分のような目に遭い、細々と暮らしていく生活。一族には口さがない者も多く、ルドルフも何度となく母への暴言を聞くし、彼自身が子供達の無邪気な残忍さに涙を溢す日々だった。
―――――『それでも生まれてきた子供に罪はない』―――――
母はそう言ってルドルフに愛情を注いで育てていた。
それが変わったのは母が病に倒れてからだ。今にも死にそうなほど体を弱らせた母へしてやれることなど少年だったルドルフにあるはずもない。
助けを頼んでも無視され、頭を下げても「病気が移る」と罵られた。
結局ルドルフの母は体を壊して死んだ、最後まで恨み言を一つとして漏らさず。
ルドルフの人生の転換点はそこだ。彼は母を弔った後、一族の者全員を殺した。
毒殺、焼殺、夜襲、野盗を呼び込むなど、あらゆる手を使って皆殺しにしたのだ。
彼の中に巣食っていた闇が現出した瞬間である。彼自身己の才能に驚いたほどであった。
しかし、またもやそこで転機が訪れる。
血縁上の父の第二子が流産したのだ。第一子は生まれつき障害があり、言葉もままならない。そこで白羽の矢が立ったのが四半獣人のルドルフであった。
獣人族の身体的特徴がほとんど出ない四半獣人なら替え玉に利用できると考えたのだろう。
そこで彼は「いつも薄く笑って目を細めておけ」と瞳孔を見せないよう言い含められた。今の彼の表情が生まれたのはこの時だ。
それから数年間。ルドルフは貴族の屋敷でそれらしい態度を貫き、信用を勝ち得ていった。父など母にした処遇も忘れ、「本当の息子として当家へ迎え入れてやろう」などと言う始末。
そしてルドルフが成人を迎えた日。事件は起きた。
ルドルフは当時当主であった父、そして義理の母、うまく呂律も回っていない義理の兄、更には使用人をもろとも皆殺しにしたのだ。
賊と密かに繋がり、信用を勝ち得る事で襲撃を計画。そして最後にその賊全員を毒殺した。
しかし、さすがに事が大きくなり過ぎていたらしい。ルドルフは法廷に引き摺りだされ、そこで人生を変える人と出会うことになる。
その方は言った。
―――――『君の才、活かしてみる気はないか?私はこの国を変えたい。君の御母上のような人をできるだけ減らしたいのだ』―――――
母の復讐から殺戮の徒と化していたルドルフに、なぜかその言葉は染み入るように入ってきた。
彼の根源をあの方は理解していたのだ。
こうしてルドルフはあの方の導きに従って諜報員として動き出した、どこの国にも潜伏できるよう貴族姓も母の姓も捨てて。
『グリム』というのはその昔、母に教えてもらったおとぎ話に出てくる魔獣の名だ。悪さをすると死の世界へと連れ去ってしまう恐ろしい魔獣。
彼にとってグリム氏族とは、都市を破滅させる為に使役した死の魔獣だったのだ。
***
ルドルフはかぶりを振る。
―――――下らぬことを思い出した。
心中でそう呟いて視線をアルに戻した。
”聖霊装”を持ち、長年諜報員として活動してきたルドルフに手傷を負わせた半魔族の青年。ここで殺すべきだが、手中に収めたとしたら良い駒になる。
加えて彼自身、シェーンベルグの娘達へ良い交渉材料にもなり得ることは既にわかっていた。
記事にも彼らの関係性を推し量るに足る記載はあったし、部下にも調べをつけさせている。ルドルフは腕を組み、思考の末に決を出した。
この青年はおそらく折れない。手駒にするなら相当骨を折りそうだ。
―――――やはりどんなに良い猟犬でも懐かないのであれば害でしかない。
「・・・となれば、ここで殺すよりシェーンベルグの娘との身柄の引き換えに使わせてもらうとしよう」
・・・・・カ・・・チンッ・・・・・!
青年から耳慣れぬ音がルドルフに届いた。時計の針のような音だ。
思わず視線を上げたルドルフが見たのは、明度を増した緋色の双玉。アルの両眼。
やや白っぽくなった髪がゆらりと動き、アルとルドルフの視線が交わる。その瞬間。
ゴオオオ―――――ッ!
アルの左腕を蒼炎が覆い、壁際に落ちていた黒蝋色の鞘が独りでに浮き、左手へビュオッと飛んできた。
「な・・・・・っ!」
あの損傷でまだ動けるとは。ルドルフが驚愕とも感嘆とも取れぬ感情に囚われたほんの一拍。
自由になった左腕でパシッと逆手に鞘を掴んだアルは、そのままの勢いで振り上げる。
「ごッ・・・・・!?」
鉄拵の鞘が隙を晒したルドルフの顎を強かに打ち上げた。しかしルドルフもさるもので、何とかたたらを踏むだけに留める。そして左手で短剣を引き抜いた。
―――――私があんな一撃をもらうとは。
視線の先では全身から蒼炎を噴き出して鋼糸を灼き払ったアルがドサッと着地してこちらを睨みつけている。
しかし、どこかその瞳の焦点が定まっていない。眼光は鋭いのに虚ろな瞳がルドルフを貫いている。
―――――もしやまだ意識が・・・!?シェーンベルグの名に反応したというのか?
闘争心と外的刺激だけで一撃を入れてきたアルにルドルフは初めて心底から驚嘆した。
それと同時にやはり危険だと判断する。こういう手合いが敵に回ると厄介極まりない。
―――――ここで殺しておくに限る。
臨戦態勢を整えたルドルフは殺意を漲らせて跳び上がった。一直線にアルの首を折らんと四半獣人が迫る。
夢現に引き伸ばされたような眼前の光景を眺めつつ、アルの脳内にはかつて剣の師と交わしたやり取りが駆け巡っていた。
―――――『六道穿光流ってのは救世の剣。要は人の為の剣だ。だからただ剣技を覚えて強くなりゃいいってもんじゃあねえ。わかるな?』
―――――『えぇっと、一応は・・・?』
―――――『あー・・・ま、難しいよなぁ。強くなったらダメって言ってるわけでもねえし。けどお前の持ってるソイツは結局んとこどこまで行ったって人斬り包丁でしかねえ。振るい方次第でどうにでもなっちまう。アル、だからココが大事なのさ』
―――――『胸?じゃない。心、ですか?』
―――――『そう。もっと言やあ意思だ。何をどう斬るかは己しか決められねえ。いや、決めちゃいけねえ。感情に流されるままに振るうんじゃなくて、斬るべきモノを心で捉えて斬る。それが六道穿光流だ。ま、つっても中伝までしか取ってねえ俺はそれ以上はイマイチなんだけどよ』
―――――『他の流派とかにそれっぽいのはなかったんですか?』
―――――『ねえこたぁねえが、やっぱ流派によって全然違うもんだぜ?例えばツェシュタール流なんかは戦場で培われてきた対人剣術だ、知ってんだろ?ありゃあ簡単に言っちまえば勝者になる為の剣なんだよ』
―――――『勝者になる為の?あ、そっか。負けられないって戦争で生まれたから』
―――――『そういうこった。けど六道穿光流は違う。己を剣と見立てるわけでもなけりゃ――――ん?ああ、そんな感じのは他流派だと案外あんだぜ?ツェシュタールは違うけどよ。ま、とにかく六道穿光流は勝つ為の剣じゃあねえ』
―――――『勝つ為の剣じゃない?』
―――――『ああ。さっきも言ったろ?救世の剣だって。斬るべきは人にして人に非ず、獣にして獣に非ず。己が見定めたモノを斬る、人の為の剣。だったっけか?・・・なんか今のでなんとなくあの爺さんの言ってたことが分かった気がする』
―――――『あの爺さん?』
―――――『六道穿光流の道場で師範やってた鬼人の爺さんさ。だからか?・・・なるほどな。アル、これは俺も合ってるかわからねえ。けど理念とは合う。六道穿光流ってのはな・・・どこまで強くなっても”人であれ”って言ってんだよ』
―――――『”人であれ”?』
―――――『そうだ。どっかの遥か高みから見下ろすんじゃなくて、人の中にあって剣士《人》として剣を振るう。それこそが救世の剣なんだろうよ。だから意思が重要なんだ』
―――――『うぅん?ちょっと難しいです』
―――――『はははっ!だろうな!ま、忘れなきゃいいのさ。お前ならきっといつかわかる日が来る。だから忘れんなよ?六道穿光流の理念ってのは・・・・・・』
「・・・・・妖雲齎す昏迷を・・・閃刃で以て斬り拓かん」
呟いたアルの緋瞳がルドルフに焦点を結ぶ。空中のルドルフは言い表せぬ怖気に包まれた。咄嗟に鋼糸を張り巡らせようと右手を振るう。
しかし、それより早く刃尾刀がルドルフの胴を右に薙いでいた。
「ぐぉおっ・・・・・・!?」
銅に巻かれている鋼糸によって斬撃こそ通らなかったもののルドルフは調度品の類を無茶苦茶に壊しながら吹き飛んでいき、壁で止まる。
アルがそちらを見ていると龍鱗布がしゅるしゅると首元に戻っていき、龍牙刀の鯉口が勝手に切れた。
「抜けってことか・・・・・?」
アルは素直に刃尾刀を納め、龍牙刀を引き抜く。丁度ルドルフは木屑やガラス片を溢しながら立ち上がったところだ。
その後ろにある窓から運河が見える。なぜか貨物船が凍りついていた。どう見ても凛華の仕業だろう。この距離でも薄っすらと魔力を感じる。
―――――俺だけ寝てられないな。
「今の太刀筋は見えなかった。やはり君は逸材だ。私と来ないかね?」
ルドルフはパンパンと肩を払いながら問うた。内心では焦っている。明らかにさっきまで戦っていた青年とは醸し出している雰囲気が違う。
―――――蓋が開いたというのか・・・?
戦場などで命のやり取りをしているとき、急激に成長して強くなる者というのは昔から多数存在を確認されてきた。
死地でのやり取りに彼のが開いたとしたら?
ルドルフは歯噛みする。ルドルフとて既に無傷ではないのだ。
「何度訊かれても答えは変わらない。断る。俺はあんたみたいに人間の血を憎んじゃいないんだ」
アルは落ち着いて返した。
「・・・そうかね。では、死ぬがいい」
ルドルフは思わず心中の動揺を押し隠し、「もはや問答は要らぬ」と鋼糸を囮に駆け出す。
「はあッ!」
しかしアルは龍牙刀を一振りして剣閃を飛ばし、鋼糸を弾き飛ばした。八重蔵がやっていた技だ。
結局のところ鋼糸は切断面の狭さを締めることで圧しつけて切断している。
―――――なら吹き飛ばしてやればいい。
思わぬ反撃にルドルフは慌てて反転し、バックステップを踏んだ。その頬にたらりと冷や汗を流す。
―――――やはり違う・・・・先ほどとは。
「あんたに呑まれて見失うところだったよ」
アルから魔力が噴き出した。しかし、吹き荒れているわけではない。静かに滾々と湧き出すように部屋を満たしていく。
「・・・・・何をかね?」
ルドルフはその《《熱》》と錯覚するほどの息苦しさに唸った。先ほどから魔力以外の何かがルドルフへ殺到している。
―――――殺気・・・違う。これは、剣気か。
静かに鋭く、そして熱く。研ぎ澄まされた剣気にルドルフの直感が「マズい」と警鐘を鳴らし続けていた。
「己と敵を。忠告しとく。さっきと同じ手を使うつもりならやめとけ。もう無駄だ」
アルはそう言って右手の龍牙刀を左肩に引っ掛けて体勢を落とす。
「・・・その強気がいつまで保つか、見物だな」
ルドルフはあえて怒りを利用して呑まれかけていた己を律した。
「じゃあ、行くぞ」
アルが眼前から消える。違った。地を這うように間合いを詰めていたのだ。
「チ、イッ!」
ルドルフは温存などお構いなしに魔力を”聖霊装”である指輪に送る。鋼糸が生物のように動き、アルにヒュバババッ!と襲い掛かった。
「『蒼炎気刃』!」
アルは急ブレーキを駆けながら鋼糸の群れを一回転しながら斬り払う。そのせいで突進が止まった。龍牙刀の間合いにはあと一歩足りない。
焦ったルドルフはここだと短剣を左手に斬りかかる。しかしアルは読んでいた。左手を突き出し、
「それを狙ってた」
光を放射した。攻撃性など皆無なただの光属性魔力。ただし、光量は瞬間的に可能な最大限だ。
「ぅぐぉぉおおっ!?」
直視したルドルフが思わず両眼を押さえる。獣人の目を活かす為、魔導灯を消していたのが余計仇になった。
「忌々しい・・・・っ!」
慌てて手をどけるが視界の中央はほぼ見えず、端もぼんやりとしか見えない。そこにアルの足音が聞こえた。
「ぐっ、そこか!」
鋼糸を放つも感触がない。
「でぇえあああっ!」
その時、上から声と殺気が降ってきた。
慌ててルドルフは短剣を掲げたが、なぜか受け止めた感触がない。
―――――なぜ・・・っ!?
「胴がガラ空きだ!」
殺気だけを叩きつけて着地していたアルは、ルドルフの腹部を下から思い切り左薙いだ。
―――――今の殺気は、囮か・・・・・っ!?
「うっ、ぐぼぉッ!?」
闘気を込めた妖刀をもらったルドルフは身体を左に折る。
しかし殺気はまだ止んでいない。
獣人由来の聴覚と直感を頼りにどうにか鋼糸を張って刃を受け止める。
今度は感触があった。だが、矢鱈と軽い。
「あんたは反応が良過ぎるんだ」
アルはそう言いながら逆手に持った紅桜色の鞘をぶん回す。
「ぐがあッ!?」
ルドルフは自ら吹き飛ばされ、壁沿いに転がってようやく立ち上がった。右のコメカミを中心に激痛が走っている。右耳もおかしい。聞こえない。しかし、目は戻ってきた。
充血した右眼をかっぴらいてルドルフがアルを爛々と睨む。
「今の手は二度と食わんぞ」
「らしいな」
アルは飄々と返した。
「ついさっき殺せなかったことを後悔して死ぬがいい」
殺気を迸らせるルドルフにアルは驚くべき返答を寄越す。
「殺す気はない」
「何?」
「この乱痴気騒ぎを終わらすには下手人のあんたを連れて行くのが一番手っ取り早い。だから殺す気はない」
アルは龍牙刀の切っ先を右後ろ―――脇構えにして淡々と告げた。
「舐めているのかね?」
氏族を束ね、何年も潜伏してきた己を捕まえるだと?
ルドルフは怒りを通り越して呆れたように笑う。その笑みは酷く歪だ。
「いいや。あんたは俺が外の世界で戦ってきた誰よりも強かった。だから全力で終わらせる」
アルの剣気がピィンと高まり、ルドルフが至る所に張り巡らせている鋼糸がビリビリと揺れ動いた。
―――――巣が・・・震えている。たった一人の半魔族を相手に。
「・・・ならば、やってみるがいい!」
ルドルフは灼かれるような剣気に堪りかね、両手の指輪から鋼糸をヒュッ・・・カカカッ!と次々と繰り出していく。先ほどとは違い、5階全体に巡らせていた鋼糸の全てがアルへ襲いかかった。
針山を引き伸ばしたかの如く、不規則な軌道を描いて迫りくる無数の鋼雨。
龍牙刀を脇構えにしていたアルの姿がブレたように掻き消える。その空間を抉り抜く鋼糸の雨。
ルドルフは目を瞠った。アルの迅さが明らかに増していたからだ。光の型『迅閃』を使っていたときよりも迅い。しかし、だ。
―――――捉えられぬほどではない!
ルドルフの動体視力が壁を蹴りつけて駆けるアルを捉え、続いて振るわれた指輪が鋼糸を樹状に枝分かれさせる。
高楼の壁や窓、支柱すらズタズタに引き裂いていく鋼糸の群れを操るには両手の指では桁が足りていないだろう。
だが、それはマトモにやればの話だ。ルドルフが両手に嵌めている”聖霊装”『月雫の指輪』はそれを可能にする。
『月雫の指輪』は魔力を流すことで触れた金属を水銀のように『流体化』させて操ることが可能になる”聖霊装”だ。それ以上の能力はない。しかし、機密の多い場所であればあるほど非常に高い性能を発揮する優れモノである。
端的に言えば、適当な金属片がマスターキーに早変わりするのだ。大抵の場所へ進入でき、機密を盗み出すこともできれば、ドアそのものを流体化させて圧し通ることすら可能ともなれば有用と評価する他ないだろう。
そしてルドルフは『月雫の指輪』を鋼糸と組み合わせた。これによって鋼糸は飛躍的に自在性を向上させたのだ。
その鋼糸が針の洪水となってアルを襲う。
ブシュ・・・ッ!
時折舞う血煙を気にした様子はない。
砕かれる調度品、舞い散る木屑や埃、破裂する硝子。それらを置き去りにして疾駆するアルは機を窺っていた。
―――――嫌な眼をする。
「チッ・・・!」
圧しているはずのルドルフは無意識に舌打ちをする。アルの顔に焦燥や苦悶が浮かんでこないからだ。それどころか躱される頻度が増している。
―――――ヤツは必ず”鬼火”を伴って間合いに入り込む。そこを仕留める。
ルドルフは派手に鋼糸を暴れさせた。脇構えのまま疾駆するアルは鋭角に動いて鋼糸を躱す。
先ほど”鬼火”は『反応が良過ぎる』とルドルフを評していた。だからこそ、これだけ視界を遮るものを作れば必ず踏み込んでくる。ルドルフはそう確信していた。
その瞬間、アルが舞い上がった床板の陰から飛び込んでくる。
「やはり来たな!」
愉悦と共にルドルフが鋼糸を集中させた。しかしそこはアルもわかっていたのか、
「『蒼炎羽織』!」
蒼炎を三枚ほど纏って勢いを緩めない。『蒼炎羽織』にぶつかった鋼糸がジジッと熔かされていく。
ルドルフとて油断はしていない。鋼糸を密集させて放ったのは単なる囮。本命はアルが間合いで加速をかけた瞬間だ。
「シッ!」
アルが鋼糸の波を突き破って一気に加速した。緋色の双玉がギン!と輝き、剣気と魔力がルドルフの背筋をゾクリと刺し貫く。
それでもルドルフは用意していた切り札を切った。
「馬鹿が!」
左手の振りに合わせて真下から現れたのは鉄骨と見紛わんばかりに太い、鋼糸で編まれた剛槍。アルの瞳に驚愕が浮かぶ。
「これで散り逝くがいい!」
ゴ・・・オオオオ―――――ッ!
加速していたアルの頭部をルドルフの切り札が容赦なく串刺しにした。
しかし、即座にルドルフは肌を粟立たせる。
―――――手応えがない、だと・・・!?
瞠目するルドルフの視界の右端に人影が映り込んだ。ハッとしてそちらに首を回すルドルフは直後、身体を強張らせる。
「馬、鹿なっ・・・・!?」
なぜならそこには龍牙刀を振り抜く寸前のアルがいたからだ。左膝が床に擦りそうなほど体勢が低く、瞳は緋色に輝いている。
龍牙刀は脇構えから最も素早く繰り出せる片手逆袈裟、アルの一番得意とする斬閃を描かんとしていた。
血塗れの半龍人は得物にこれでもかと闘気を叩き込んで獅子吼する。
「う お お お お お お お お お おっ!」
―――――六道穿光流・火の型『陽炎之太刀・暁天』。
熱を帯びた剣気と魔力で蜃気楼を意図的に生み出し、自身の気迫を以て敵の認識を惑わす六道穿光流『雲居裂き』とヴィオレッタの『幻惑の術』から着想を得た今までにない新しい独自剣技。
それが炸裂した。無影と呼べるほどの剣速で放たれた龍牙刀は鋼糸を巻いたルドルフの腹に衝撃を与えるだけに留まらず、勢い良く上に吹き飛ばす。
「がッ・・・ぐぉおぁァァッ―――――!?」
ルドルフは脆くなっていた高楼の屋根を突き破って夜空へ放り出された。
―――――六道穿光流『蒼炎嵐舞』。
ドッ・・・ガアアアアン―――――ッ!
屋根を豪快に吹き飛ばしつつ、アルは『蒼炎羽織』を四枚に増やす。ぶわりと増えた『蒼炎羽織』がアルの跳躍に合わせて真下へ蒼炎を噴き出した。
轟ッ!轟ッ!轟―――――ッ!
夜闇にS字を描くように蒼い光芒が閃く。ルドルフは搾り出されていた空気を肺に満たし、視線を下にやった。
「はっ、はっ、ぎぃっ・・・っ!」
そこにいるのは己の存在さえ不確かな一人の剣士。幽世の炎を纏い、緋色の眼光がルドルフを見据えている。
―――――死の・・・魔獣。
かつて母に聞いたおとぎ話が脳裏を過ったが、ルドルフはその幻想を振り払って”月雫の指輪”へ魔力を送った。
鋼糸がルドルフを追うべく飛翔していたアルに殺到する。しかしアルは止まらない。煌々と瞳を輝かせ、龍牙刀を後ろ腰へ。
轟ッ!轟―――――ッ!
爆発する蒼炎をたなびかせ、空中でギュン!と弧を描く。そしてルドルフに到達するや否や新たな独自剣技を放った。
「で ぇ あ あ あ あ あ あ あっ!!」
―――――六道穿光流・異説『空裂龍尾』。
六道穿光流には存在しないアルなりに解釈した龍の型。東方の龍の如くしなって上昇した半龍人が勢いを乗せた龍牙刀をルドルフへと叩きつける。
それは、さながら古の時代に存在していたとされる龍種がその長い尾で天を引き裂かんとするが如き光景であった。
「ぐっがぁあああ―――――ッ!?」
ルドルフが更に上空へ吹き飛んでいく。
高楼に乗り込もうとしていたマルクガルム、凛華、シルフィエーラ、ラウラ、ソーニャは目を瞠った。
アルの強さはよく知っている。しかし、あんな戦い方をしているのは見たことがない。
―――――あれではまるで本物の龍ではないか。
5人の思考が一致する。その背後にいた『紅蓮の疾風』もこの地の領主パトリツィア・シュミットもアルの祖父ランドルフも唖然として声すら出せない。
彼らのことに気付きもしていないアルは『蒼炎羽織』を一気に十枚展開した。
「うっ!?」
ぐらりと頭が揺れる感覚を覚える。魔力も体力も限界寸前なのだ。
―――――けど、ここで終わらせる。
緋色の残光を残し、『蒼炎羽織』から蒼炎を噴き出して上昇した。
ゴオオオオオオオオ―――――ッ!!
ルドルフは痛みに呻きながら音のした方を見る。下ではない。上だ。
いつの間にかアルがルドルフを追い越していた。
満月の青白い光の中でもハッキリとわかる蒼炎と緋色の瞳。龍鱗布が月光を遮るようにバサアッと広がる。
次いで蒼炎の翼が龍鱗布を覆い、全ての翅先が天を向いた。
ルドルフはアルが何をやるか悟り、蒼白な顔色を土気色にする。
「くっ・・・!こ、のぉっ!」
それでもルドルフは流石だった。『月雫の指輪』に魔力を送り、
「ぐ、ぐ、お・・・お、おおおおおおっ」
鋼糸を高楼へ迸らせる。
バキバキバキ・・・・・ッ!
ルドルフの意のままに動き、高楼の建材や支柱を手繰り寄せる鋼糸の群れ。
「おい、下がれ!危ねえぞ!」
地面にいたマルクは落ちてきた瓦礫を見て急いで仲間達へ呼びかけた。
「閣下!ランドルフ様!お下がり下さい!」
兵士達が慌ててパトリツィアとランドルフを押しやって高楼から遠ざける。
今や鋼糸の群れは手当たり次第に瓦礫を引き寄せ網を築いていた。死なば諸共細切れになるぞというルドルフの苦肉の策。
轟―――――ッ!
しかし天を衝くように伸びていた翼がルドルフを嘲笑うように蒼炎を噴き上げる。
地面にいた者達は思わず満月に浮かぶ龍を幻視した。
「こいつで仕舞いだ」
アルはそう呟くと龍牙刀と刃尾刀を左肩に構え、ルドルフへと真っ逆さまへと突喊していく。
蒼炎の翼がひと際盛大に爆ぜた。
「ぐ、こ、のぉ、おおおおおおお―――――っ!」
「は あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あっ!!」
―――――六道穿光流・光の型『天穿双月華』。
二刀が苦し紛れに展開された網を易々と灼き斬り、ルドルフの胴に叩きつけられる。
「ご、ぼぁっ!?」
このままでは二人ともルドルフが張った網に引っかかって細切れになるだろう。しかし、アルの纏っていた『蒼炎羽織』が四枚ほど彼らを押し包む。
「ぐぅあっ・・・貴、様ぁッ!」
異様なまでの熱に苦しみながら狙いを看破して叫ぶルドルフ。
「ぅ・・・ぉ お お お お おっ!」
爛々と瞳を輝かせたアルは更に翼から蒼炎を噴き出した。
「ぐ、がぁ・・・・っ!」
蒼い火花を散らして燃え盛るひと塊の影が高楼をぶち破りながら墜ちていく。
まるで夜空から差し込む月光が破壊力を持っているかのような光景に誰もが息を呑んだ。
蒼い光芒は地に落ち、そして花開くように爆ぜる。その衝撃は熱波を吹き荒れさせ、燃え落ちそうになっていた高楼にトドメを刺すことになった。
「うおっ!?俺の後ろにいろ!」
マルクが慌てて『人狼化』して四人とディートフリートとレイチェルの前に出る。パトリツィアとランドルフの前にも盾持ちの兵士が駆け寄ってきた。
「う・・・?」
「もう大丈夫かしら?」
「びっくりしました・・・」
押し寄せる土煙と熱をやり過ごしたその場にいる者達の目に飛び込んできたのは、崩れ去り瓦礫の山となった高楼。そしてその中心部で蒼炎の翅を揺らめかせている青年だ。
彼の両手にはそれぞれ形状の違う刀が握られている。視線の先には倒れ伏す件の下手人。
「ぐ・・・・・う・・・私の・・・負けの、ようだな」
「まだ喋る元気があったのか。しぶといぞ」
アルは龍牙刀を突き付ける。だがルドルフには抵抗する気力も鋼糸も残っていない。最後の一撃で灼けてしまった。『月雫の指輪』はそこまで万能ではないのだ。
「最後に・・・刃を、引いておいて・・・・・よく、言えたものだ」
「殺さない。そう言ったろ。大人しくお縄を頂戴するんだな」
小ざっぱりした表情でそう告げるアル。
「は・・・・・喋ると、思うかね?」
ルドルフは動かせない身体で問う。
「そっちは俺の仕事じゃない。それにここは俺の故郷でもない」
「どう、なっても良い、と?」
「そこまでは言わない。けど俺は俺の守りたいものの為に戦ったんだ。それも言ったろ。邪魔するんなら国だろうと女神だろうと叩っ斬るって」
緋色の視線がルドルフを貫いた。そこで初めてルドルフは悟る。彼があくまで個人的な理由で戦っていたということに。
親しくなったから行方知れずのミリセントを探し、己と仲間がのっぴきならない騒ぎの渦中に放り込まれたから元凶を潰しに来た。それだけだったのだ。
そこにルドルフが想像していた大義など、一片もない。
「は、は・・・最初から、見ているものが、違ったか・・・・」
「あんたが何を予想してたかは知らないけど、俺はまだ父さんみたいにはなれてない。自分の手が届くとこで精一杯なんだよ」
アルは悪びれずにそう言った。
「君の父は・・・人間か?魔族か?」
「人間だ」
「憎んでいない、と言ったな?」
「ああ、まったく。むしろ感謝してるよ。俺は半魔族で良かった」
アルは嘘を言っているようには見えない。付き物が落ちたような顔でルドルフは問う。
「それは、なぜかね?」
純粋に気になったようだ。
「そうじゃなかったらこの道は歩めてない」
アルはアッサリと答えてみせる。ルドルフは妙にすんなりと腑に落ちた。
「・・・そうか」
その時、暗がりから何者かが飛び出してくる。
「あんた、生きてたのか」
その男は高楼の4階でアルに気絶させられた丁髷のように髪を纏めた武芸者だった。アルの予想ではこの男は聖国の手の者だ。
右腕には大砲を構えている。まだ技術が確立されていない戦争期に魔力や闘気任せに担いで撃っては捨てるを繰り返していた蛮族めいた骨董品であるがアルの知る由もない。
「口、封じか・・・」
「死ね!魔族諸共!」
焼け焦げた髪を振り乱して男が喚く。本来格下の四半獣人に刻まれた恐怖と怒りを氏族を打ちのめしたアルへの復讐という形で発散するつもりらしい。
アルは溜息交じりに龍牙刀を構えかけて――――やめた。
大砲が火を噴き、轟音が響き渡る。
その瞬間、アルの目の前に左腕を真っ黒な人狼の腕に『部分変化』させたマルクが立ちはだかった。
「『影狼』」
撃ち出された砲弾はマルクの左掌で音もなく受け止められ、急激に勢いを弱めていき、やがてドスッと瓦礫に落ちた。
「な、なんだきさ―――――!」
「お返し」
目を剥いた男にアルは刀印を向けて蒼炎を速射する。
「ぎゃあッ!?」
男は胸に直撃した蒼炎にボウッ!と吹き飛ばされていった。これで本当に終わりだ。
「よぉアル。また派手に暴れたな」
左腕を元に戻したマルクがニヤリと笑って振り返る。
「マルクこそ。随分良い男になったじゃん。どしたのさそれ?」
傷だらけのマルクなどあまり見ない。アルが問うと、
「色々あったのさ。つーかお前に言われたくねえよ。傷だらけじゃねえか」
マルクは肩を竦めつつツッコミを入れた。
「慣れたもんだよ」
アルがそう言うと、
「慣れるんじゃないわよ。ちょっと心配したんだから」
「ホントだよ!こんなことなら手分けしなきゃ良かったじゃん!・・・・・ねえ、大丈夫?結構酷いよ」
凛華とエーラの声が届く。更にそこへ、
「アルさん!すぐ手当を!」
「アル殿、お疲れだった。しかし、最後のは凄かったな」
ラウラとソーニャも駆けてきた。
「カアー!」
夜天翡翠は嬉しそうにアルの下へ飛んでくる。
「皆、お疲れ。怪我は?大丈夫だった?」
「うん。マリオンちゃんも見つけたしミリセントさんとも合流したよ。でも・・・」
「あんたが一番重傷なのよ。さっさと治療行きましょ」
「ですね。とりあえず治療してから報告します」
三人娘は各々そう言ってアルの腕を掴んだ。
「そか、それなら良かった。さすがに疲れたよ。翡翠もお疲れ様」
アルは素直に従いながら右肩に停まった夜天翡翠を労う。
「カアッ!カアカアッ!」
「はは、くすぐったいぞ」
「長え夜だったな」
「うむ。こちらもすり合わせておくべき情報が多々ある」
「そう聞くと余計疲れが増した気がするよ」
マルクとソーニャへそう返しながらアルは高楼の敷地の外にいる面々を見た。
なぜか見知った者達がいる気がしたが、あまり気にならない。
それ以上に三人娘を見て安心し、”騎士”二人と話して神経が和らいでいる方に意識が向いていた。
―――――ああ、ホッとする。
心中でそう溢しつつ、忘れる内に『八針封刻紋』を閉じようとしたアルはピタリと動きを止める。
「「「アル(さん)?」」」
「カァ?」
「ん、どしたよ?」
「アル殿?どうした?」
仲間達の声に顔色を悪くしたアルはかぶりを振った。
「あ、いや、何でもない」
「ホントに?」
「顔色悪いわよ?」
「アルさん?」
「いや、大丈夫。なんか変だったらその時相談するよ。まだ勘違いの可能性もあるし」
「「「勘違い?」」」
「ああ、うん。とりあえず治療行こう」
不承不承頷く三人娘。アルが血相を変えた理由は一つ。龍血を封じているはずの『八針封刻紋』が解いた覚えのない針まで解かれていたからだ。
アルの記憶では五段階―――つまり針は三時を指していないとおかしい。しかし、今針が指しているのは二時。
―――――勝手に封印が解けた?
だとしたら問題だった。暴走の危険がある。深い思考に陥りかけたアルにまだ横たわっていたルドルフから声が掛かった。
「”鬼、火”の」
仲間達とアルはそちらを振り向く。
「なんだ?」
「君に、忠告が・・・ある」
「忠告?」
「君が、どう感じているのかは、知らない・・・が君からは、戦の匂いがする」
「戦の・・・?」
やや愕然とするアル。『封刻紋』の件も含めて動揺が隠せない。
「ああ・・・君に、その気がないのなら・・・注意しておくべきだと、言っておこう」
ルドルフの顔はこの位置からでは見えなかった。どうにも揺さぶってやろうだとか最後に波乱を生んでやろうという感じはない。一気に老け込んだような、そんな声音だ。
戦の匂いと聞いて不愉快そうに眉を吊り上げる凛華と微妙に不安を隠し切れていないエーラ。そして思い切り心配そうな顔をするラウラ。
彼女らが何か言う前にアルは、
「肝に銘じておくよ。忠告に感謝する」
とだけ返して敷地の外へと歩いて行った。
「・・・彼は、”鬼火”は、この先どんな戦いをするのだろうね」
ルドルフは横たわったまま、瓦礫の向こうに血塗れのアルを幻視して呟く。
かくしてグリム氏族の引き起こした鋼業都市アイゼンリーベンシュタットの混乱は、その首魁であるルドルフ・グリムが打倒されたことで終焉を迎えるのであった。
評価や応援等頂くと非常にうれしいです!




