14話 それぞれの戦い (虹耀暦1287年4月:アルクス15歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
グリム氏族の武芸者と思わ戦い集団に追われていたラウラとソーニャ、そして『紅蓮の疾風』のディートフリートとレイチェルは振り切れない追撃に苦い気分を味わいながらアイゼンリーベンシュタットの北西方面から西北西方面―――つまり倉庫街の方へ駆けていた。
「逃がすんじゃねえぞ!」
追いかけてくる武芸者の声が背中を叩く。ラウラは肩で息を切らしながらも思考だけは続けていた。
―――――彼らは、おそらく私達が何者なのかまでは知らされていないはず・・・。
不用意に正体がバレるようなことは避け続けている。認識票にでさえ家名のシェーンベルグとアインホルンは刻印されていない。
とすればやはりあのルドルフ・グリムが何らかの情報を掴んで彼らを動かしていると見るのが妥当だろう。
背後に視線をやれば、マルクに鍛えられているソーニャはまだ息が上がっている程度だがディートとレイチェルはかなり辛そうにしている。
二人とて武芸者として鍛えてはいるがこんな状況に陥ったことはない。
極度の緊張で身体が思うように動かず、それでも無理矢理動かし続けているせいで余計に酸素を消費し、足は鉛のように重く、命を預けるはずの薙刀と二挺拳銃は重心を振り回す重しと化していた。
―――――逃げ続けるのは無理かもしれない。
ラウラは冷静に判断を下す。頼りになる魔族組が今はいない。思考するにも距離が必要だ。
「ラウラ!二人はもう限界だ!倉庫の方に逃げ込もう!」
後衛を担っていたソーニャは飛んできた矢をパァンと盾で弾き飛ばしてラウラへ提案した。姉がこれからの対応に意識を割いている以上、己は仲間の様子に気を払わねば。
普段はマルクガルムやシルフィエーラがやっていることだが、ここまで忙しいとは思いもよらなかった。
「そうしましょう!ディートさんとレイチェルさん、良いですね!?」
「おう!少しでっ!いいからっ、息を整えてえ!」
「はぁ・・・はぁっ、うん!」
ディートとレイチェルは息も絶え絶えに頷く。どうしても”鬼火”の一党は魔族組が目立ちやすい。しかしラウラとソーニャは彼らよりまだ余裕がありそうだ。
―――――これが六等級と五等級の差か・・・いや、そうじゃねえ。乗り越えてきたヤベえ場面ってのが多いんだ。
ディートは奥歯を噛み締める。アルクスみたいになりたいと思っていた。だが、まずは彼女らだ。
―――――この二人と同じように動けなきゃいけねえんだ。
レイチェルは倒れ込みそうになりながら相棒の様子を見ている。彼は隣を走る二人に視線を向けていた。
その瞳には闘志や覚悟に近しい思いが見える。
―――――置いて行かれるわけにはいかないよね。
「ラウラちゃんっ!あそこ!開いてるよ!」
レイチェルは走り抜けていた倉庫の間に火の手が上がっていない、扉が開いている倉庫を発見して叫ぶ。
「行きましょう!」
確認したラウラがすかさず返すと「うむ!」と返事をしたソーニャはすぐさま後ろを振り返り、
「『障岩壁』!」
と背後へ向けて魔術を発動した。少々多めに魔力が込められた土砂混じりの壁が薄く広く、倉庫街の通路を塞ぐように出現する。
「さっさとどかせ!」
数十m後ろで叫び声がした。追いかけて来る武芸者とてバテてはいるのだ。
しかし”鬼火”の一党に所属し、アルから直接魔術の手ほどきを受けているラウラとソーニャが通せんぼを作っただけで終わるわけがない。
「『流転・烈震牙』!」
ソーニャは更に魔術を発動した。築かれていた『障岩壁』から禍々しい見た目をしたドリル状の土の牙へと変貌していく。
自分の魔力で発動した魔術かつ同属性の術であれば形状を変化させることができるのが『流転』。術と術を繋ぐためにアルが創った魔術。
『蒼炎羽織』を変化させていたアルだがあちらの方は応用技術だ。こちらなら真面目に鍛練を続けているソーニャなら何の支障もなく扱える。
「頼んだぞ!」
「『蒼炎掌』!」
頼もしい妹の声を受けてラウラは杖剣を振るった。杖剣の先から出現したのは蒼炎で象られた蒼い拳。『裂咬掌』に酷似している。それも当然だ。これはその蒼炎版なのだから。
「はあっ!」
ラウラはヒュッと杖剣を引き、グリム氏族へ螺旋牙を向けている『障岩壁』へ突きを放つように『蒼炎掌』で殴りつけた。
元々薄く張られていた土の壁はアルの蒼炎を模した掌で殴られ、一瞬で赤熱化してドロドロの熔岩のように変化する。その瞬間、『蒼炎掌』が爆ぜた。
「ぐわああああああ――――っ!?」
「うげえ―――っ!?」
「ぎぃああああああ――――ッ!」
グリム氏族の武芸者達は飛んできた鋭い牙に吹き飛ばされ、貫かれ、更には飛散する熔岩の破片に身体を灼かれる。
尋常でない高熱の炎に晒された人体は燃えだすわけでもアニメのように黒焦げになるわけでもない。瞬間的にその部位が溶けるのだ。
『蒼炎掌』は『気刃の術』のように触れただけでとんでもない物理威力を発揮するものではないため、目標にぶち当たるとすぐに爆発するように術式を弄ってある。
通常の『蒼火撃』の6倍以上は魔力が必要なものの、杖剣によって威力が増大しているうえ爆発を伴う為、効果も6倍などと言えるような生易しい威力ではなかった。
振るったラウラでさえ衝撃と熱波で身体を後退させられたほどだ。
グリム氏族の武芸者達はいっそ悲惨とも表現できる悲鳴を上げている。
「今の内です!」
「行くぞ!」
「っ・・・おう!」
「うん!」
些か過剰な目眩ましが効いている内に。目を瞠る連携魔術に驚いたのも束の間、ディートとレイチェルはラウラとソーニャの後を追って倉庫の方へと逃げ込むのだった。
☆★☆
その頃、マルクと”荒熊”ロドリックの妻グレースは攫われたマリオンがいると思わしき中型船舶への侵入を果たしていた。
音もなく跳び上がって鋼甲板の縁に手を掛ける二人。人間態となったマルクへグレースが無言で顎をしゃくる。その先には見張りがいた。どう見ても武芸者だ。
―――――どうする?
視線でマルクは問う。するとグレースは貨物を乗せていると思わしき船倉への降り口を指で指した。
―――――なるほど。無視した方が良さそうだ。
ここで聞きつけられるのは避けたいし、何より見張りがいなくなれば船員達は探す為活発に動き出すだろう。それだけは避けたい。こちらは二人しかいなのだ。
マルクは頷くと、左腕をスッとなぞり上げながら呟く。
「『影狼』」
するとマルクの左腕に彫られていた入れ墨がざわめくように逆立ってぼんやりと揺らいだ。マルクは慣れた所作で墨のような影を移動させ両足に纏わせる。
この『影狼』はアルが急ピッチで開発したマルク専用の独自魔術。都市が荒れだした頃はまだ構想段階だった新術で、どうしても術式が複雑になるせいで今なお咄嗟に起動できるほど簡便化できていない。
その問題をまるまる一夜かけてどうすべきか話し合い、至った結論がアルの胸に施されている『八針封刻紋』の如く焼き付けるというものであった。
マルクはサッと甲板に着地し、次いで跳び上がったグレースを背中に担ぐ。そしてそのまま全力で駆け、船倉への降り口に辿り着いた。
鋼甲板上である以上、走れば音も出るし、振動によって見張りにも気付かれるだろう。しかし誰一人としてグレースを担いだマルクに気付かない。
なぜなら音や振動を足に纏った『影狼』が相殺しているからだ。
マルクとグレースはそのまま階段を降りていき、武芸者や船員らしき匂いを感じなくなったところで動きを止めた。
「助かります。しかしあれだけバタバタ走っているのにまったく音がしないというのも奇妙な気分ですね。手前の耳でも全く聞き取れませんでした」
スルリと降りたグレースが礼を告げつつ、不思議そうな顔をしている。
「そういう魔術だからってだけっすよ。問題点がねえってわけでもないんでね」
マルクは苦笑を返した。『影狼』の問題点、それは性能が優秀過ぎるという点だ。なまじ『気刃の術』と同じ要領で生み出されている”影”なせいか、あらゆるエネルギーを相殺してしまう。
グレースがバタバタ走っていたと表現したのもその弊害である。彼女が獣人だからそんな表現をしたというわけではない。
実際マルクは不格好にバタバタ走っていたのだ。なぜなら本来なら利用して加速するはずの地面からの反発さえ『影狼』は吸収していたのだから。
マルクの言う問題点はこれのことである。加減がちっとも利かない。
「そういうものなのですね」
「万能な魔術なんてそうそうないんすよ。そんじゃうまく入れたっぽいし、さっさとマリオンを探しましょう」
マルクはそう言いながら足に纏わせていた”影”を左腕に戻す。
「それがよろしいでしょうね。行きましょう」
グレースは真面目な表情で頷き、二人は船倉へと繋がる階段をゆっくりと降りて行った。
☆★☆
マルクとグレースがグリム氏族の貨物船へ侵入を果たしていた頃、凛華とエーラはもう一隻の貨物船に取り付いて唸っていた。
船尾から登り、転落防止柵の隙間からひょっこり顔を出している二人の目前では武芸者らしき見張りと船員達が行き交っている。
忙しそうではないが、それでも何かしらやるべきことはあるのか引っ切り無しに歩き回っていた。
「一気に凍らせちゃう?」
「うぅ~ん、船倉にもいるんじゃない?」
風の精霊を味方につけたエーラが聞こえないよう風のヴェールを張っているため、小声で話していればそうそう気付かれることはないがこれでは動きようもない。
「あ、そっか。どうしたもんかしらね」
凛華はぶら下がりながら難しい顔をして唸る。
「せめて木製だったらなぁ」
エーラも困った顔で船体を叩いた。帆船のくせに金属製というアルなら間違いなく妙な顔を見せる貨物船だ。最もこの船の帆はあくまで補助用だ。
「面倒ね。いっそ斬っちゃいましょうか」
「斬るって船体を?さすがにムチャじゃない?」
「こう、ぐるーって回りながら甲板と船倉を切り離すのよ。あたしとあんたならやれるでしょ」
凛華の案にエーラは同意しかける。『冰鬼刃』と『燐晄』ならやれないこともないだろう。しかし、待てよ?と思い止まった。
「そうかもしれないけど・・・やってる間に捕まってる人達が人質にされたりしない?」
「あ・・・」
「それにマルクとグレースさんの方、たぶん全然終わってないと思う」
「じゃダメね。う~ん、手が思いつかないわ」
アッサリと己の意見を翻して再度悩む凛華。そんな凛華から視線を外してエーラは少々離れた位置にあるもう一隻の貨物船を見る。
あの距離から自分達二人を見つけるのは難しいだろう。そう考えながら視線を船体下部へやったエーラは「あっ!」と閃いた。
「どしたの?」
「ねえ凛華。この船ってたぶんあの船みたいに、貨物を出すとこがついてるはずだよね?」
エーラの言葉を聞いた凛華は「うん?」と小器用に身を捻って指差された船を見る。その側面には彼女の言う通り、貨物の搬入口と思わしき幅広の口が二つほどついていた。
「たぶんあるわね。この船、あれと似てるもの」
「だよね?」
エーラは悪戯気のある笑みを浮かべてごにょごにょと凛華に作戦を話してみせる。内容を聞いた凛華はニッと不敵な笑みを浮かべた。
「あたし達っぽくていいわね。それでいきましょ」
「じゃあ、少しの間待機だね」
「そうね。座ってましょ」
凛華とエーラは頷き合って貨物船の適当なへこみに腰掛ける。動くのは確定だが今ではない。好い時を見計らって一気に動く。
立案した僅か数十秒の電撃作戦の為、二人はジッと息を殺して待つのだった。
☆★☆
仲間達がそれぞれ動いているなか、アルと救出された新米記者ミリセント・ヴァルターはグリム氏族の拠点である5階建ての高楼、その2階の探索もとい物色を終えたところだった。
「うーん、やっぱりこの階は特に何もありませんね」
カウンターの裏にある部屋でやや緊張の解けたミリセントを前にアルは左眼を閉じて呟く。
2階はほぼ完全に氏族達の溜まり場として機能しているらしく、抜き足差し足で見て回ったが怪しげな海運取引の証拠になりそうなものは何もなかった。
あるのは酒保らしき場所で提供する為の食材倉庫らしき部屋と仮眠室らしき部屋くらい。ミリセントの服と荷物は倉庫の方にほっといてあったので回収も済ませている。
「そうみたいですねー・・・となると、上の階でしょうかー?」
ミリセントはムグムグと頬張っていた塩漬け肉を嚥下してそう言った。手元には酢漬けもある。
何も食べていないと彼女が言っていたので、探索がてらアルが倉庫から失敬してきたものだ。そのおかげかミリセントの顔色もかなり戻ってきた。
「ですね。この階に氏族の連中はいませんでしたけど上はわかりません。俺から離れないようにして下さい」
「もう捕まるのはごめんですから当然ですよー」
「もう行けますか?」
「はぁい。あ、これだけ」
立ち上がったアルに頷きつつ、ミリセントは酢漬けをヒョイっと口に放り入れる。
酷い目に遭いかけたというのにトラウマもなく、平素の活発さを取り戻しかけている彼女に胸を撫で下ろしつつアルは彼女の捕らえられていた部屋の扉を開けた。
「ここからは、しーっですよ」
コクコク。ミリセントは両手で口を押さえながらアルについてくる。ゆっくりと階段を上がっていき、ピタっと足を止めた。
―――――いる。四人・・・くらい?
ここにいて下さいとアルが身振りで示す。コクコク。ミリセントは素直に頷いた。ゆっくり階段を上っていくアル。
ミリセントはその背を見ながら考えていた。この青年は何者なのだろうか?と。
背丈こそ変わらないが己を単身救いに来れるほどの実力を持ち、そのうえ氏族の拠点にいるというのにさっさと逃げ出さないで怪しいから調べようとする胆力まで備えている年下の青年。
―――――そしてあの四等級の認識票。
彼の胸元から見えていた認識票と『月刊武芸者』で幾度となく読んでいた記事がミリセントの脳裏をチラつく。数々の功績をあげ、南部では有名な新人の四等級一党。個人取材は一切受けず、一党の全員が二つ名を持っている。彼女が知っているのはそれだけだ。
ミリセントの脳内には様々な疑念が渦巻いていた。
自分が”鬼火”の一党に執心していると言った時なぜ言い出さなかったのか?
またその時の態度が妙に焦っていたように見えたのはなぜか?
そして格下とはいえ30名を越える武芸者を相手に一般人を守りながら命を奪わないで蹴散らせる新米武芸者が帝国南部にどれほどいるのだろうか?
ミリセントはこれでも頭が良い方だ。勿論アルの従妹であるイリス・シルトのように貴族らしい英才教育を受けて育ってきたわけではないが、魔導列車の売り子をやれるくらいには一般教養を持ち合わせているし、機転も利く。俗に言う頭の回転が速いというヤツだ。
だからこそ魔力を感知する訓練や戦う為の技術を一切身に着けていなくとも、顔写真が出回っているわけでも詳細な見た目が載っているわけでもなく、それこそアルの頭髪の色にしか言及がない『月刊武芸者』の記事からその推論にまで辿り着いたのだ。
聞いてみるべきか否か、ミリセントが悩んでいるところにアルが戻って来た。
「もう大丈夫です。四人くらいだと思ってたけど案外多くて」
何のことはない。そんな風に聞こえる言い方だ。
「あのー・・・殺しちゃったんでしょうかー?」
聞いてみたいことはあったもののミリセントが先に気になったのはそっちだった。
「殺してませんよ、ビリッとやって気絶させてます。ミリセントさん誘拐の件で犯罪者ではありますけど、誰が関わってるかわかりませんし、今は俺が不法侵入者ですからね」
アルは掌から軽くパリパリッと雷を発しておどけてみせる。ミリセントはホッとすると同時にやはり疑念が増していく己を自覚した。
ここに詰めていたのはきっと武芸者で、それを簡単に無力化するなんて芸当が新米武芸者に容易くやれるはずがない。
「さっ、行きましょう」
「は、はぁい」
アルがさっさと歩いて行ってしまったせいで訊く時機を逸してしまった。ミリセントはモヤモヤとした疑念を抱きつつもついていく。
高楼の3階は事務作業をやっている部屋のようだ。あまり整頓されていない机や今までの取引ファイルが整理棚へとりあえずといった体で突っ込まれていた。
「うーん・・・食料品に機械油、鋼材の輸送記録・・・なんか資料が少ないな。結構長くやってるっぽい雰囲気だったのに」
アルはバサバサと整理棚から引き抜いた記録を引っ張り出して見ていくが、怪しげな取引であったり今回の騒動に関わっている資料は見つからない。
ちなみに眠らせたグリム氏族の武芸者達は縛り上げて休憩室らしき場所に転がしている。
「資料室とかあるんじゃないでしょうかー?アウグンドゥーヘン社にも大きな資料室がありますよー」
「あ、そっか。でもそんな部屋あったかな。この階、俺達が今いる部屋が二つあるくらいであとは小部屋くらいしかないんですよね」
「更に上の階とかでしょうかー?」
「ですかね。とりあえず見て回ったら上に行きましょう」
「わかりましたー、私もお手伝いしますねー」
そんなやり取りを交わしたアルとミリセントは机の中をひっくり返したりして手当たり次第に物色していった。
―――――外れっぽいな。上の階に資料室があればいいけど。
アルは持っていたファイルをポイっと捨て置く。次いで声をかけようとしたのだが先にミリセントが口を開いた。
「あのーお兄さん、これなんかおかしくないですかー?」
「どれです?」
「この鍵のかかってた棚の記録なんですけどー・・・わざわざ王国の方に運んだり、かと思えば北部で下ろしたりー。しかも荷の量に比べて期間も曖昧なんですよー、ほら他のときはこれの半分の時間で往復してますしー」
ミリセントはアルが指の先に出現させたバーナーっぽい蒼炎で焼き切った戸棚の中身を調べていたらしい。
「積み荷が何かわかりますか?」
「それが何かの略語っぽくてちっともー。でも重さもまちまちなんですよー、すっごい重いのもあれば軽いのもあるみたいですー」
彼女の言う通り、記録に載っている情報はどこかおかしい。おまけに売上を減らされている部分があったが、その表現も変だ。欠損や廃棄はわかる。しかし乱雑な字で”衰弱の為返品、後に廃棄”と書いてあった。
アルとミリセントは思わず顔を見合わせる。”衰弱”。そんな言葉、生物にしか使わない。
ついさっきまで攫われていたミリセントとアルの脳裏に同じ言葉が浮かんだ。
人身売買。帝国はおろか大陸では奴隷は禁止だ。つまり売買している時点で違法。
「とりあえず、これはミリセントさんが持っておいて下さい。そろそろ上の階に行きましょう」
「わ、わかりましたー、でも大丈夫でしょうかー・・・?」
「攫われてたミリセントさんが命からがら持って帰ったってことにすればたぶん立派な証拠になりますよ」
「そういうことじゃないんですけどー」
持ってたら追われたりしない?そんな視線を向けるミリセントだがアルはさっさと行ってしまう。
「うぅー・・・や、やってやりますよー」
ミリセントが後を追うと、アルは階段から4階の様子を探っていた。魔導灯が点いている部屋は一つしかない。気配もほとんど感じなかった。
その部屋の扉に忍び寄るアル。そろ~っと上ってきたミリセントが後ろについたことを確認したアルは大型短剣をスッと抜いて扉を勢いよく開けた。
「うおっ!?・・・な、なんですか!?ってあなた方は誰ですか!?」
中にはひょろりとした男が一人。痩せぎすというよりは無駄な脂肪がないだけといった風情だ。驚いた表情でこちらへ誰何しているあたりグリム氏族に所属している者だろう。
「騒ぐな。そこの金庫に用がある。開けろ。そうすれば危害は加えない」
アルは殺気をぶつけて男の背後を短剣の先で指し示す。明かりがついていたから無力化ついでに入ってみたが当たりだったようだ。かなり分厚そうな金庫が置いてある。
違法な商売をやるなら証拠は大事に保管しておくはずだ。
「ご、強盗!?」
「違う。お前達グリム氏族がやってる後ろ暗い商売の証拠を掴みに来た」
「後ろ暗い商売なんて知らない!僕はただの雇われで―――――」
「騒ぐなと言った」
「うっ・・・!?」
かぶりを振る男へ肉薄したアルが短剣を首元に当てる。
「開けろ」
「ひっ、わ、わかったから・・・!」
男はしゃがみ込むと回転数字盤式金庫を渋々と言った具合で開け始めた。ミリセントはソワソワしている。なにせこんな経験は初めてなのだ。
「あ、開けたぞ」
「ミリセントさん、すいません。確認お願いします」
アルは男に短剣を突き付けたままそう言った。これでお目当ての物じゃなければこの男から情報を聞き出すつもりでいる。
「わ、わかりましたー」
いそいそと寄ってきたミリセントは金庫の中にある幾ばくかの金塊には目もくれず革の装丁が施されている分厚い大判の帳簿らしき一冊を引っ張り出した。ドサドサと紐に包まれている手紙の束のようなものも落ちる。
ミリセントはそのまま目を通し始め、みるみる内に顔色を変えた。
「え、これってー・・・」
「何が書いてあるんです?」
「・・・人身売買の取引先と扱うときの符丁、みたいですー・・・」
思っていた以上にしっかりとした証拠が出てきたせいで、どうしよう?とミリセントは蒼褪めた顔をしている。アルはやはり、と目を細めた。
その時、ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえてくる。複数人の足音だ。
「マズい、気付かれたか」
明らかに急いで。気絶させて転がしていた連中が見つかったと考えていいだろう。どうすべきかアルが迷っていると、
「えぇぇっ、ど、ど、ど、ど、どうしましょー?」
ミリセントは盛大に狼狽した。しかしなぜか男の方も焦っているように見える。
「おい!上だ!」
声が近付いてきた。そして大して間も置かずドーンと扉が開かれる。入ってきたのはグリム氏族の武芸者達10名ほど。
その中の一人、髪を丁髷のように後ろで纏めた武芸者はアルに目を止めると、ニヤリと笑った。
「テメエは・・・・・ハンッ、餌に食いついてきやがったか。ルドルフさんの言った通りだ」
5階の社長室でルドルフから直接命令を受けていたグリム氏族でも古株の武芸者だが、当然アルは知らない。
「あんた誰だ?会ったことないぞ」
無礼極まるアルの誰何に丁髷武芸者は皺を深めて扱き下ろす。
「こっちは何度も見てるんだよ。しっかし、まさかルドルフさんの言う通りそこの女を助けに来るとは・・・『月刊武芸者』の記事通り良い子ちゃんらしいな」
ミリセントは思わず己を庇うように立っているアルを凝視した。
―――――記事通り?じゃあやっぱり・・・!
「人身売買やってる悪党からしたら大抵の武芸者は良い子ちゃんだよ」
アルはミリセントからの視線を受けずに革装丁の帳簿を指す。なぜか丁髷武芸者は焦りを見せた。
「テメエ!そいつは!」
「ああああ!すいません!剣突きつけられて脅されて仕方なく!殺さないで下さい!ごめんなさい!」
丁髷武芸者に雇われ事務員の男は慌ててすがりつく。
「誰だテメエ!触んじゃねえ!」
「雇われて入った事務方ですぅ!書類整理やっとけって言われてあの、あの、ほんとすいません!そんな大事なモノだとは思いも―――――」
「この大馬鹿野郎が!金庫に入れてたモン引っ張り出す馬鹿がどこにいんだ!」
「おぶっ!?のぉわああぁっ!」
雇われ事務員はすげなく一発殴られ、後方へと蹴り飛ばされていった。背後の武芸者達も喧しい非戦闘員が邪魔なのか部屋の外へ蹴り出している。
「相当マズいものらしいな。悪いね、貰ってく」
アルはその状況を見て、憎たらしい笑みを向けた。
「誰がやるか。言ったろ、餌に食いついたって。そこの女をボロ雑巾みてえにヤっちまうわけでも売り飛ばしもしなかったのはテメエらを呼ぶ為さ。飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったもんだ。大物の害虫が釣れやがった」
丁髷の男の言葉にアルはピクリと眦を吊り上げる。
―――――こいつら・・・まさか。
ミリセントはアルの後ろでビクビクと怯えていた。他のグリム氏族の武芸者達がバタバタとやってきていたからだ。当初は10名程度だったのに、もう倍以上はいる。部屋に収まり切っていないし、全員が物々しく武装している。
万事休すというやつだ。しかしアルはニヤリと笑い、
「飛んで火に入るねぇ。お前ら程度が出す半端な炎に、俺が焼かれるとでも?本気でそう思ってるのか?」
本気で魔力を昂らせた。
ゴオオオオオオオ――――――ッ!
異常なほどに濃密で暴力的な魔力が狭い一室の中を荒れ狂う。周囲の机や壁がビリビリと震えていた。
「ひょえー・・・」
「うっ・・・!?」
「ぐくっ・・・!」
「こ、こいつ・・・!」
思わず呻くグリム氏族の武芸者達。何を相手にしているのか心底から理解させられた。
「この化け物が・・・!」
丁髷武芸者が憎々し気に吐き捨てる。
「ハッ、人でなしよりマシだね」
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ―――――。
アルはそう返して左手を己の心臓の上へ持っていき、グルリと5針戻した。『八針封刻紋』が3時を指し、アルに変化が訪れる。髪色が灰色へ、瞳が緋色へと。
ミリセントは口をポカンと開けてそれを見ていた。
―――――”灰、髪”・・・じゃあやっぱりお兄さんが、あの”鬼火”。
キュッと窄まった瞳孔が武芸者達を貫く。『龍眼』を発動させたアルは荒れ狂う魔力に”灰髪”を靡かせ、蒼炎を右手に握りしめた。
「テ、メエ!何しやがる気だ!?」
荒れている魔力の渦の中でもハッキリとわかるほどに濃い魔力。本能が総毛立った丁髷武芸者が問うと、
「決まってる。爆発させるんだよ」
アルは平然と返す。
「そんな魔力でやればテメエだって巻き込まれる!ハッタリだ!見え透いた手を使いやがって!」
丁髷武芸者の言葉に後退りしかけていた武芸者達がそれもそうかと考え直した。
「手前の魔力で怪我してたら世話ないだろ。魔力で己を保護するのは初歩の初歩だって知らないのか?」
しかしアルは鼻で笑う。そしてすぐさま、
「じゃあな」
と言って蒼炎を纏わせた腕を振りかぶった。
「「「「う、うおおぉぉっ!?」」」
武芸者達が反射的に後退る。それを見てニヤリと笑ったアルはすぐさま振りかぶっていた腕を床に向けて叩きつけた。
ドッゴオオオオオ―――――ッ!
アルが纏わせていたのはマルクの『影狼』と同じく『気刃の術』で生み出した超高圧縮・高密度の蒼炎。要は『蒼炎羽織』の簡易版だ。
それを一直線に階下へ向けて伸ばしたらどうなるか。多少堅牢に作られた高楼だろうと簡単に熔かしてぶち抜く。
黒煙を上げて床に開いた大穴を確認したアルはすぐさま振り返ってミリセントに帳簿を持たせて椅子に乗せた。
「えっ?えっ?お兄さん?」
「ミリセントさん、俺の仲間かロドリックさん―――”荒熊”に助けてもらうんです。ついでにそれも見せて下さい。そうすればたぶんわかりますから」
「ちょ、ちょっとお兄さん!?」
ついていけないミリセントにアルは急いで告げるべき事柄を述べていく。
「死ぬ気で走って下さい。何とか足止めはしときますから。それじゃ、よろしく!」
そう言い切って椅子ごと大穴に投げた。
「へっ?お兄さんは、どうす――――――ひっ!ひゃああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ポカンとしたミリセントは下に視線をやり、ぽっかりと開いた穴が存外深いことに気付きサアッと顔色を悪くさせながら悲鳴を上げて落ちていく。
「ふぎゅうー!?」
しかし途中で止まった。否、勢いが緩やかになった。アルが『念動術』で椅子にかかる質量を軽減したのだ。
そのまま緩やかに降りていき、やがて床についた。ミリセントはここを知っている。2階の酒保らしき場所だ。
「ミリセントさん!屋根伝いでも何でもいいから走るんです!」
上から”灰髪”のアルが顔を見せる。呆けていたミリセントは手渡された帳簿に視線をやり、一拍置いてから慌てて鞄に詰め込むと運動神経のあまり良くなさそうな動作で椅子から飛び降りて駆け出し、アルが侵入の際に使った窓から抜け出していく。
「い、急がないとー!」
ミリセントは鈍い己を叱咤した。
―――――お兄さんが”鬼火”。あの”鬼火”に頼まれたんだ。
屋根をおっかなびっくりに駆け、尻もちをつきながらもどうにか地面へと着地する。彼は足留め役を買って出て、己に真実を託したのだ。
何としても伝えてみせる。それが記者たる己の本分なのだから。その想いと共にミリセントは走る。
丁髷武芸者が叫んだ。
「クソったれが!追え!あの女から帳簿を奪い返せ!」
「お、おう!わかった!」
「チイッ、一気に降りていきやがった!」
階段へ駆け込もうとした武芸者達だったが、轟音と共に行く手が塞がれた。
「どこに行く気だ?害虫はここだぞ?」
アルはゆらゆらと揺れる蒼炎を片手に挑発する。
「チッ、殺せ!あの野郎を殺してさっさと追え!」
丁髷武芸者が指示を出した。近くにいた武芸者が斧槍を両手に斬り込むが、ここは屋内だ。そんな長物を自由にブンブン振り回せるはずもない。
「ギャッ!?―――――ごべえっ!?」
蒼炎を顔に浴びせかけられ、怯んだ隙に闘気交じりの蹴りを食らって壁にめり込んだ。
「何やってやがる!」
「コイツが!―――――がぶるぇっ!?」
あえて刃尾刀を抜かず、縦横無尽に4階を跳ね回る。壁を蹴ってグリム氏族の顔面を蹴り飛ばし、
「っの野郎おおぉぉぉぉあっ!?」
目前の敵に蒼炎をゴウッと噴射して敵意を集めることに集中していた。
―――――時間を稼がないと。
挑発するような表情のままアルは冷徹な思考と共に戦い続ける。
評価や応援等頂くと非常にうれしいです!




