ep5.ヘドが出そうなヴァンパイア・ジョーク
エンパイア合衆国は多種族国家だが、しかしそれぞれの種族が完全に溶け合って暮らしているのかといえば、そうではない。
たとえば西海岸の港湾都市には世界的にも有名なキョンシー・タウンが存在する。
児童文学の舞台として名高い中西部の都市には三千人規模の人狼コミュニティがある。
合衆国最北端のポーラー州にはセルキーとビッグフットだけが住む街がある。
このように、各種族の人々はしばしば同族同士で固まって共同体を作り上げる。
とりわけ少数派と呼ばれる種族ほどこの傾向は顕著である。
合衆国きってのヴァンパイア・コミュニティで生まれ育ったココ・ヘミングウェイは、自分の暮らす町も、それに吸血鬼という自分の種族も嫌いだった。
根暗・虚弱・高慢の三重苦、それがココの思う吸血鬼だった。
太陽が苦手だから揃いも揃って青白いインドア派ばかりで、種族的な弱点はどれもこれも社会生活を送る上でのハンディキャップたり得て、なのにプライドは呆れるほど高い。『我々は少数派ではなく希少派だ!』をスローガンにして、なにかといえば他種族の住民を下に見た発言を繰り返す。
というか、吸血鬼同士でもマウントの取り合いばかりしている。
基本的に、吸血鬼は自分が吸血鬼であることに過剰なまでの自尊心を抱いている。
だから、彼らは情けない虚弱体質ですら高貴な種族の証とむしろ誇りにして、テレビに十字架でも映ろうものなら途端に体調不良を主張しはじめる。
ニンニク入りの冷凍食品をオーバーアクションで否定する。
曇りの日でも雨傘ではなく日傘を持ち歩く。
『このバスって川を渡るの? 流れる水の上をかぁ、調子悪くなっちゃうなぁ』
反吐が出そうなヴァンパイア・ジョークの、これはそのほんの一例である。町にも川はあったけどみんな平気な顔して渡ってたじゃん! とココは回顧する。
大人たちがこんな調子だったので、周囲の子供たちもバッチリその薫陶を授かっていた。
ココは早い段階で町からの脱出を決意し、多種族サゲからもマウント合戦からも距離を置いて受験勉強に没頭した。
そうしてやがて時期が来ると、名門プラードの受験を希望して両親を(吸血鬼らしく見栄っ張りな両親を)歓喜させた。
「誰もわたしを知らない遠くの学校で、わたしは自分の中の吸血鬼を全否定したわたしになるの! シルバーの十字架アクセをジャラつかせて、ニンニクマシマシのペペロンチーノを食べて、お日様の下でテニスやラクロスに青春の汗を輝かせるのよ!」
目指せ理想の高校デビュー! そう闘志を燃やしてさらに勉強に打ち込んだ。
合格の通知は分厚い学校資料と共に届いた。
学生寮の受け入れが始まるのは入学式の二週間前だったが、その一日前にココは単身ニューヤンク行きの高速鉄道に乗った。
列車は途中何度も川を渡ったが、もちろんココの体調に変化はなかった。
さて、そのようにして生まれ故郷からの脱出を果たしたココだったが、では、大都会ニューヤンクシティは、そして名門プラード校は、少女をどのように迎え入れたか?
プラードはココを歓迎した。
歓迎して、かつ、堕落させた。
「ちょ、吸血鬼じゃん! うっわ、はじめて見た! ウソ、マジで同級生?」
引っ越しから三日目、暇に飽かせて探検していた校内で出会った女子生徒たちは(内訳はエルフが二人にホビットが一人)、ココが吸血鬼でしかも自分たちと同い年の新一年生だと知ると、我先を争うように彼女とSNSのアドレスを交換したがった。
「吸血鬼とかマジ高貴、マジセレブ! ヤッバ、吸血鬼と友達とか……ヤバ!」
新しくできた友達はココを、吸血鬼のココを、褒めて褒めて褒めちぎった。
あたかもテレビスターかインフルエンサーのように持て囃して持ち上げまくった。
地元では軽んじられ続けていたココにとって、それはまさしく褒め殺しだった。しかも今年の新入生の中に吸血鬼はどうやらココ一人だけで、それが発覚するに及んで賞賛はさらに加熱した。
「希少派どころかもうそれ唯一無二じゃん! ヤバ! マックスヤバ!」
中学を出たばかりの十五歳の少女が、どうしてその威力に抗えようか?
そのようにしてココはあっさりと初心を見失った。
自分の中の吸血鬼を全否定するどころか、彼女はそれを全肯定してしまった。
友達の勧めでSNSでの動画配信もはじめてみたのだが、配信者としての記念すべき第一声は次のようなものであった。
「みんなお初~、吸血鬼のココちゃんで~す! これ、ちゃんと映ってるかな? ううん、ちゃんと配信できてるかじゃなくて、あたしの姿がみんなにちゃんと見えてるかなってこと。だってほら、吸血鬼ってさ、鏡とかカメラに映んないじゃん?」
それは紛れもなく、かつて彼女が唾棄したはずの、反吐が出そうなヴァンパイア・ジョークであった。
※
かくしてココは高校デビューを果たした。
夢見ていたのとはまったく真逆の形で。
吸血鬼であることを最大限にアピールして、高慢に、驕慢に、そしてしばしば傲慢に振る舞い、そのたびに取り巻きとなった友達からおだてて褒めそやされる毎日。
傍目には馬鹿にされているようにすら見える露骨で行き過ぎたよいしょに、しかしココは酔った。危険なまでに酔った。
免疫がなさ過ぎたのだ。
吸血鬼であることに、吸血鬼を謳歌することに。
それまでの分を取り戻そうとするかの如く、ココは吸血鬼的に活動した。
すなわち他者に対してマウントを取って、多種族を見下す発言を繰り返した。
専らのターゲットとしたのは同じクラスのゴブリンの男子、希少性ではない正真正銘の少数派の彼であった。
ディスったところで誰も文句を言わず本人も反撃の素振りさえ見せないゴブリン君をサンドバッグにすることで、ココはさらに、さらに、自尊心を膨れ上がらせた。
吸血鬼として、どこまでも先鋭化されていった。
突如現れた第三者からいきなりの鉄拳制裁を加えられたのは、そんな折だった。
そして、他でもないゴブリン君に庇われ、二発目の鉄拳から守られたのは。
ココが悪い夢から目覚めたのは、まさしくこの瞬間であった。
わたし、ダメなんじゃない? と彼女は思った。
人としてやったらダメなこと、しちゃってたんじゃない? と。
あたかも憑きものが落ちたような気分だった。
しかし行ってしまった行動とその結果は、なかったことにはならない。
ココは悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、とにかくゴブリン君に謝ろうと思った。
※
しかし、あれからもう三ヶ月が経つのに、彼女はまだ謝れないままでいる。