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 夕方になり、勤務時間は終了。池袋北署の捜査1係の刑事たちも全員帰宅の途についた。少なくとも他の部署の目から見たら、そのように思える。

 だが捜査1係の面々にとっては、これからが本格的な仕事。署の外で極秘の捜査会議を始めるのだ。

 捜査会議といっても全員が顔をそろえるわけではない。藤沢係長と当日の夜勤の刑事は、まず除外。さらに2つの班に分かれて、別々の場所で会議をすることになっているから、それぞれの班の会議は、ちょっとした打ち合わせに毛が生えた程度の少人数でやるしかなかった。だがそれでも、やらないよりはましである。

 海老名の班は、大手チェーンが運営する大き目の飲み屋で会議を行なった。

 飲み屋では人目が多過ぎないか?と言う意見も、もちろん出た。だが海老名が言うには、大き目の飲み屋なら却って人目につかない。みんな酒を飲んで酔っ払っているし、仲間同士で大声で話し合いながら騒ぐものだし、他の客が別の席で何を話しているかを耳にすることはない、とのこと。

 「よーし、みんなそろったな。とりあえずは乾杯といくか」

 海老名は陽気に大声を張り上げたが、他の刑事たちは高木を除いて、緊張感で凝り固まったまま。みんな解凍がまだ足りない。まとめて電子レンジに放り込みたいぐらい。早速瓶ビールを5本も頼んだのに、そのうち4本は海老名の前に並んだまま。1本はお調子者の高木の前にあり、グラスにはすでにビールが注がれてある。

 「おい、みんな、とりあえずグラスにビール注いで、ただの飲み会やってるように見せかけろよ」海老名が小声で言う。「葬式じゃねぇんだから、そんな神妙な顔してると、却って他の客から怪しまれるぞ」

 一応みんなのグラスにビールを注ぎ、盛大に形だけの乾杯。ただし実際に口を付けたのは海老名と高木だけで、他の刑事たちはビールの入ったグラスをテーブルに置くと、すぐに凍り付いた眼で海老名からの指示を待ち始めた。

 「いやぁ、仕事が終わった後の1杯は実にうまいな」と海老名は店中に響くような大声で、わざとそう言った。

 「本当っすね。何かこう、晴れやかな気分になりますよね」高木はそう言いながら、もう2杯目を飲もうとした。

 「ブー、お前はもう、これ以上飲むことは禁止。一番酒癖悪いんだから。後は話が一通り終わるまで、つまみだけで我慢しろ」と海老名は急に事務的な口調に戻って言った。「さてと……仕事しようか。三橋みつはし、さっき2人で打ち合わせした、今後の流れの方をよろしく」

 三橋天真(てんま)は、みんなの前で今後の捜査方針について説明を始めた。大まかな流れは戸塚警部が海老名たちに指示した通り。当分の間は、新田の班は天国が見える教会周辺を中心に、海老名の班は「ジギー・スターダスト」の店員と常連客などを中心に、再度聞き込みをしようと言うことになった。もちろん両者には重なる部分もあるので、捜査の進展次第ではその流れも日々変わり、班の人間も入れ替える……そのようなことを、三橋は読経するように抑揚よくようのない淡々とした声で説明した。

 しかも三橋は坊主頭で、袈裟けさでも着ればまるで仏教の僧侶。「……なんて、むなしいもんですよ」それが口癖。出世、人生、世の中……彼にとっては全てが虚しい。実は元々本庁出身の刑事で、捜査能力は当然のことながら非常に高い。当時は今と正反対で、出世と情熱に燃える熱血刑事だったとか。今の彼を見ていると、とても想像すらできないが。だがある日、ある容疑者に拷問まがいの暴力を振るって、自白を強要させたことが発覚。このことが原因で2年ほど前、池袋北署に左遷。以来、すっかり人が変わってしまった。

 三橋の説明が一通り終わると、海老名は1人だけビールを飲みながら、

 「ま、そういうことだ。細かいことは俺が個別に指示を出す。ちょっとやりにくいかもしれないが、くれぐれも極秘で捜査してることだけは肝に銘じてくれ」

 次にまず緊急で調査した事柄について。鈴木彩の司法解剖を担当した法医学者は、そもそも存在していなかった。偽名を使っていたのだ。

 「やはりと言うべきか……鑑識の大原君も言ってたけど、あの性転換夫婦が飼ってた猫を解剖した、本庁の鑑識官も偽名だったってさ。今頃は殺処分されて三味線にでもされてるだろうよ。可哀想に」海老名が自分の飼い猫のことを思いながら話す。

 「これで本当の死因はわからなくなりましたね」と高木が、つまみの枝豆をひたすら食べ続けながら言う。

 「でも大体の原因はわかってる。あれは毒殺とみて間違いないだろう」と海老名。「左腕に注射痕がいくつもあった。あれは常習的な薬物依存症だね。ヘロインだかシャブだか……純は彩が薬物をやってるのは知らないと言ってたけど。劇物を口から飲んだんじゃなく、どさくさ紛れに注射を打たれて死んだ可能性が高いと思う……あ、すいません、ビールもう1本!」海老名が店員に頼んだ。

 「海老名さん、1人だけ飲んでて大丈夫なんですか?」三橋が泡のなくなったビールのグラスに口を付ける振りをしながら言った。

 「大丈夫だよ、俺なら。それにしてもさ、ちょっと話題変わるけど。こいつ、田島拳志郎って奴。本当に鈴木彩と同一人物なのかね? いくら美容整形してるからって似ても似つかないんだけど」

 海老名は田島拳志郎……つまり鈴木彩が男だった頃の顔写真を見ながら、つぶやいた。田島は面長の顔に小さく細い目。まるでホチキスの針のような目をしている。この顔からどのようにすれば、鈴木彩のような丸顔に大きな目へと美容整形できるのか。

 「どうも5年ほど前に経産省を辞めてから、音信不通になってたようですね」

 数少ない女性刑事の1人である東田萌愛ひがしだもあいが言った。まだ20代の若さ。名前の通り、イースター島のモアイ像に顔がそっくりの馬面。鼻息がいつも荒い。身長172センチの長身に、男のように広く盛り上がった肩幅。学生時代は空手に打ち込み、全く女らしさがない。正常な男なら誰も興味をかないし、街角で誰も振り向いてくれない。ニューハーフなんじゃないの?なんて説もあるぐらい。東田は話を続ける。

 「元々両親とは仲が悪かったそうです。原因は不明ですが、息子がトランスジェンダーで、女になりたがってたことを知らなかったらしいですね。女に性転換したことも、同じく男に性転換した元女と結婚したことも知らなかったそうです」

 「女になった後の写真、両親に見せたらどんなこと言ってたんだろう?」と海老名。

 「さあ……私が直接両親に聞き込んだわけじゃないんで……」

 「わかってる。杉並すぎなみに住んでるそうだから、本庁の奴らしか会ったことはないだろう。そこでだ、モアイ、明日にでもお前が杉並まで行って、両親に会って来てくれないかな? おそらく田島の両親に接触しても、問題はないと思う」

 次に、現在にまでわかっている殺人の容疑者について。

 「まずウラジーミル・チストフとラモーナ・ストーン。この2人は除外しても構わんだろ」海老名は相変わらずビールを飲みながら続ける。「本庁の奴らは白人のうち、この2人のいずれかを犯人にしたがってたようだが、俺が見たところ、この2人はシロだ。チストフは大酒飲んで暴れ出す典型的なロシア人。ストーンはただの間抜け。この2人に直接聞き込んでも問題はないと思う。それより容疑者からは外れた、というより本庁の奴らがわざと外したんじゃないかと俺が思ってる、ミハイル・タルコフスキー。こいつは絶対に怪しい。ロシア人とか言ってるけど、英語ペラペラでロシア語は話せないと言う噂だからな。こいつと接触するのは極力避けろ。遠回しにタルコフスキーに関する詳しい情報を手に入れたい」

 「タルコフスキーが捜査に圧力をかけた張本人というわけですか?」と三橋。

 「それはまだわからないが、圧力をかけた奴らとつながってる可能性は十分にある。用心してくれ」

 さらにもう1人の東洋人と思われる容疑者は、許明と桜田剛。

 「この2人もシロかもしれないけど、まだわからない。怪しい点も多数あるし。当分は様子見だ」と海老名。「それから他に、白幡茂男と和戸尊、夫の鈴木純本人。この3人も怪しい。この5人には当分近づくな。タルコフスキーを含めて合計6人。この6人に関して遠回しに、もっと詳しい情報を集めてくれ。もっとも、どこで地雷を踏むかはわからんがな。その時は俺が責任を取って、地雷撲滅のための基金に募金してやるよ。今日のところは以上だ。詳しいことは明日個別に追って指示する。明日から本格的な捜査再開だぞ。さ、みんな、もう遠慮しないで飲んでいいぜ! どうせ戸塚さんのおごりなんだから。もうこのビールもすっかり冷めてるじゃねぇか。さぁさ、飲め飲め! 今度は本当の飲み会だ!」


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