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 5月。様々な花が咲いては散り、暖かな陽気に背中を押されて新緑は深まっていく。冬の名残の肌寒さも緑の葉に覆われ、透き間すらなくなってしまった。

 長い連休も明け、新米の若い制服警官たちに5月病が流行し始めるころ。20年も警官人生を送ってきたある刑事にも、軽い5月病が肩にのしかかり出している。

 池袋北いけぶくろきた警察署の刑事課・強行犯捜査係(通称・捜査1係)の海老名忠義えびなただよし。40を過ぎて、もうとっくの昔に5月病に対しては免疫ができているはずだが、今年はなぜかまた新型の5月病に感染してしまったようだ。身体がだるい。頭が痛い。仕事なんかに行きたくない。それは決して二日酔いのせいだけではないようだ。

 丸出為夫まるいでためお。全てあいつのせいだ。トレンチコートにベレー帽、パイプ煙草。その姿はシャーロック・ホームズの間抜けな物真似なんかではなく、もはや海老名にとっては悪魔の化身のように思えてならない。ひょっとしたら今日も朝から、すでにあいつが署へと遊びに来ているかも。それを考えただけで、仕事場である警察署へ歩く足も自然と重くなってくる。

 自称・名探偵。その仕事は、海老名たちの仕事の邪魔をするだけ。出鱈目な推理を披露したり、犯人と間違えられるようなバカなことをしたり……その一方で、海老名を始め、色々な刑事たちの秘密、というより弱みを知っている。いったいどこから、そのような情報を仕入れて来るのか? あいつはいったい何者なのか? バカなのか? 利巧なのか? 

 海老名は警官なのに酒気帯び運転をして、上司の藤沢周一ふじさわしゅういち係長に免許証を取り上げられてしまった。そのことを警官でもない、ただの私立探偵である丸出は知っている。それだけなら、まだいい。前回の事件で新たな秘密を知られてしまったようだ。同僚の女性刑事・新田清美にったきよみの秘密を。新田の秘密は海老名の秘密でもある。新田が一方的に射殺した殺人犯に関して、海老名はそれを正当防衛だと主張したのだ。だが新田の話によると、正当防衛の成立が難しい単なる射殺のことを丸出は知っていたが、それに海老名が関わっていることを一言も言わなかったとか。

 丸出は、あの件に海老名が関わっていることを知っているのかどうか。それを考えただけで、宇宙空間に放り出されてしまったような無重力状態を、地に足を着けながらも感じてしまい、正気を保つにもその正気までが宙をさまよってしまいそう。

 ああ、もう我慢ならん。こっちまで、あいつのバカを感染うつされそうだ。あいつはいったい何者なんだ?

 そこで海老名は丸出の身辺調査を始めた。丸出からもらった名刺に住所が書かれてあったので、少なくとも奴の仕事場がどこにあるのかは、わかっている。池袋駅西口から歩いて5分ほどの雑居ビル。5階。だがそこにあるのは……精神科の医院だけ。

 「わどメンタルクリニック」

 あいつは嘘の住所を名刺に印刷してたのか? 海老名は、初めはそう思った。そこでこの「わどメンタルクリニック」の中に入ってみた。中は薄緑色を基調とした落ち着いた雰囲気。清潔感があり、清掃も行き届いているようだ。少なくとも精神科の医院としてはきちんとしていて、信用もできそうだった。

 入口近くの受付に、白衣を着た看護師らしき女性が1人。年のころは40代半ば。新田と同じぐらいの年齢か。目鼻立ちの整った割と美人。まだまだ口説き落としても悪くないような女だった。

 「あの、すいません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが……」

 海老名は白衣を着た女性に聞いてみた。

 「ここに丸出為夫という探偵がいると聞いたんですけど……」

 「丸出先生? 丸出先生なら、ここにお住まいですよ」白衣を着た女性は、観音のような優しい微笑を浮かべながら、海老名にそう言った。

 「でもここは……」

 「ええ、ここは見ての通り、メンタルクリニックでございますけど、丸出先生の探偵事務所も入ってるんですよ。ほら、あちらの方に事務所があるのが見えるでしょ?」

 そう言って、白衣の女性は左手である方向を指し示した。海老名が近眼の目を細めてよく見てみると、上部に大きく「3」と示された薄緑色の扉に、「丸出為夫探偵事務所」とマジックペンで汚く手書きされた張り紙が貼ってある。丸出の名刺に書かれてあった住所が、間違いでも嘘でもないことは、一応明らかにはなった。

 「はあ、丸出為夫探偵事務所ね……」海老名は半分あきれてつぶやいた。「そういえば、ここにお住まいとか言いましたよね? ここは丸出の事務所というだけでなく、住まいなんですか?」

 「そうですよ。丸出先生は、ここに住んでいらっしゃいます」白衣の女性は言った。「ただ、あいにく今、外出中なんですよ。アポは取っていらっしゃいますか?」

 「アポ?」

 「そうなんです。先生は、事前にアポを取られてないお客様には会われない方針でして……今ここでアポを取っていかれますか?」

 「いや、結構です。ただ丸出がここにいるってことを確かめたかったものでして……ここで失礼させていただきます。ありがとうございました」

 そう言って海老名は「わどメンタルクリニック」を後にした。

 それにしてもあのバカが。事前にアポを取らない顧客には会わない方針だと? ただでさえ無能なのに、客なんて来るのか? 今外出中というのも、どうせ今うちの署へ遊びに行って、うちの刑事たちの仕事の邪魔をしているのは明らか。おそらく一般人を相手にはしないで、うちの署や警視庁本庁から報酬をもらって食っているだけだろう。とんだ税金泥棒だ。ただでさえ警察は税金泥棒だなどと悪口を言われているのに、その税金泥棒からまた泥棒じみたことをして稼ぐなんて……どこまでも嫌な奴。


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