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ep:Pallida Mors aequo pulsat pede pauperum tabernas regumque turris.

挿絵(By みてみん)


 「殺す必要は、無かったはずだ!」


 殺せばそれでお終い。それがピリオド。改心などあり得ないが、それ以上の不幸は生まれない。哀れみなど不要。それだけの罪を犯した人間が、罰から逃れようなどこの私が許さない。

 だと言うのに聖十字。お前はどうしてそんな目をする?


 「お前が哀れむ義理などこの者に、あったようには思えないのだが?」

 「確かにこいつらは最低だ!だが貴様はもっと最低だっ!」

 「具体的には?」

 「この者達は罪を犯した!しかし人を殺しては居ない!まだ取り返しの付く罪だ!改心もあっただろう!だが貴様はその可能性を奪った!それは絶対に許されざる悪だ!」

 「ふ、笑わせるな聖十字。この者達が殺人を犯していないだと?この者達は確かに人を殺したんだよ。人の心をな」

 「……何っ!?」

 「死者は数術ですら蘇らない。それと同様、身体の傷は癒せても精神の傷は数術では癒せない。故にこの者達の犯した罪は、人殺しと同等……それ以上の悪だ」

 「そ、それは……」

 「それは誤りだと言うか?ならばお前に癒せるのか聖十字?この傷ついた者達全員に生きる喜びを見出す手助けがお前などに出来るのか?いや……出来たのか?加害者が死を免れ、いずれ幸福になるかも知れない世界の中で、この者達が救われる日はあったのか?」

 「っ………」

 「私が非を認めるならば、彼らが直接復讐できる機会を奪ってしまったことくらいだ」

 「だ、だがっ!こんなに苦しめて殺す意味があったのか!?」

 「ああ、あるな。あの者達に苦しみ悶えての死を与えてこそ、被害者の心も浮かばれるというものだ」

 「し、しかしっ!生きてさえいれば……彼らも自らの非を認め、償いのために生きるようになったかもしれないではないか!」

 「あり得ないな。天と地が逆さになったとしても」

 「何故そう言い切れる!?」

 「救いようのない悪人には、同族の匂いが解る。私は改心などしないし生き続ける限り何時までも人を殺し続けるだろう」

 「そ、そんなことがっ……」

 「あの者達を殺したことを全く悔いていないこの私が言うのだ、まず間違いはない」


 今日の所、口でも私の勝ちだ。これ以上長居して追っ手が来ても厄介。そろそろお暇しよう。


 「逃げるなSuitっ!!」


 屋根へと上がり退路に向かう私に、聖十字は妙なことを言う。

 ラハイアが奴隷達の保護を終えるまで、私が律儀に待っていてやる必要性など皆無だろう。


 「面白いことを言うな聖十字。逃げるなと言われて逃げない人間が居たら見てみたいものだな私も」

 《危ないっ!リーちゃん!!》

 「っ!?」


 トーラの声に振り返る。その寸前、身体が傾いだ。痛覚が麻痺しているから痛みは差ほど無い。それでもその出血と……眼下で震える聖十字の姿から、撃たれたのだと自覚した。


 「…………愚かだな、聖十字。そんな物で私は止まらん」


 自然と口元に笑みが浮かぶのは、口から笑い声が漏れるのは、私が本当にこいつを気に入ったからだ。背筋が震えるような、寒気のような恐ろしさ。だけど同時にとても愉快で楽しくて堪らない奇妙な感覚。

 ああ、こいつだ。私を殺すのはこいつだ。こいつになら殺されてやっても良い。

 だってこの男……私より痛そうな顔をしている。撃った方がだ。震える手から銃が転げ落ちる。今にも泣き出しそうな顔。それでも私を睨み付けて……いや、あれはもう縋るような眼差しだ。


 「私を止めたいのなら頭か心臓を狙ってみろ。殺人鬼も人間ならば、それで死ぬはずだからな」

 「お、俺はっ……貴様を殺すつもりなんか……」

 「ならば何故撃った?止めるつもりだったと?」


 笑わせるな。そう吐き捨てた私に、聖十字が肩を震わせる。


 「そんな震えた貴様の腕で、誤って射殺という可能性が万が一にもなかったと言い切れるのか聖十字?貴様の行動は貴様の主張と矛盾している。それに気付かぬほどお前は愚かか?」


 そう、今のは反射だ。言い返せず、私に口でも負けて……自分の力では被害者を救い出せず、加害者の命も守れなかった。そこでかっとなって引き金を引いてしまったのだろう。

 まだ彼は幼い。自らの感情を持て余している。正義を見つめる余り、見えていないものも多いのだ。


 「私を撃ちたいのなら撃つが良い。だがそれはお前が私と同じ物だと認めることだ。悪人は死をもってのみその罪を贖わせることが出来るのだと」

 「違うっ!俺はお前を殺さないっ!!」

 「ならばどうやって私を止めるというのだ?」

 「お前の……き、貴様が罪を犯す前に俺がこのセネトレアの悪を曝く!全てを捕らえ、償わせるっ!二度と貴様が人を殺さないような社会を築く!その上でお前を捕まえるっ!」

 「下らんな。言うだけなら誰にでも出来る。聖十字、貴様の言葉は余りに軽い。信じるに足る物はない」


 血を流しながら、何ということもないと歩き出した私に、聖十字は絶句している。何か恵田の知れない者を見るように私を見ている。それでもそこに恐れはない。浮かんでいるのは怒りのようだ。

 私の言葉に言い返せない自分に怒り狂っている。私の言葉を認めたくなんかないのに、それに勝る言葉がないのだ。噛み締めた唇からは今にも血がこぼれ落ちそう。


 「この世の悪を見よ。悪を知れ。お前の言葉は軽すぎる。偽善とは言わないが、お前の理想は余りに幼稚だ。理想を求めるばかり、貴様は現実を見ていない」

 「Suitっ!!」

 「その上で私を止める方法を、考え直してみるのだな」


 彼に背中を向けた私の耳に、駆けつけた追っ手の声。Suitの名が彼らの耳にも届いたのだろう。我先にと此方に向かってくる。


 「ちょっと、待ってくれ!援護を呼んだのは向こうの人々の保護のためであって……」

 「Suitなんて大物みすみす見逃すのか?」

 「捕まえれば大手柄だ!一気に出世に繋がる!」

 「そうなりゃ給料だって大幅アップだ!逃がすなっ!!」


 ラハイアと、他の聖十字達のあまりの相違に私は溜息を禁じ得ない。


 「……やれやれ」


 金のため、身分のため、名誉のため。なんて下らぬ世の中だ。だからこそ、そんな中であの男は光り輝く。あいつは本当に正義を求めている。弱者を守り慈しみ、悪を憎み、それでも信じ許す優しさがある。ああいう者に国を任せられれば、世界の在り方も変わってくるのではないだろうか。

 いっそのこと私が女だったなら、そもそも処刑などされず、タロックとシャトランジアに関わることが出来た。タロックでは無理だろうが、シャトランジアに身を預けでもすれば、後は簡単に彼を王にすることが出来ただろう。それさえ出来れば余程楽に物事の解決が出来たのだろうが、無い物ねだりも出来ないか。


 生憎私もあいつ以外に捕まる気はない。あんな漁夫の利のような奴らの手柄になって堪るか。


 《ちょっ、リーちゃん!そっちは……》

(適当に敵を撒く、後で落ち合おう)


 退路から外れた私に通信先のトーラが焦る。妨害が入ったのかそれとも通信可能圏内から外れてしまったのか。本当に私は運が悪い。


 「……追われてるの?」

 「え?」


 屋根の上を飛び歩く私は一人の少女と目が合った。彼女は驚いたように青い眼を見開いた後、ふわりと笑って私を手招く。


 「しーっ。こっちこっち!ばれないように、そっと来て!」

 「君は一体……何を考えているんだ?私は殺人鬼だぞ?君を人質したり傷付けたり殺したりするとは思わないのか?」

 「そういうことする人は、言う前にやると思うの。違う?」

 「……一理ある。あるにはあるが……」

 「うわ!凄い怪我っ!痛くない?」

 「こ、これは私がやる。道具だけ貸して貰えないか?床の掃除も私がやるから君はじっとしていてくれ」


 屍毒に触れさせないよう細心の注意を払う私をお構いなしに、興味深く見つめてくるその少女。


 「……?よくわからないけどわかった。で、それって銃で撃たれた穴?へぇ……こんな風になるんだ」

 「見てて面白いか?」

 「興味深いなーって。私は撃たれたことないしわからないわ」

 「……何故そこでスケッチブックなど取り出すんだ?」

 「私、これでも絵描きなの。あ、別にグロイ絵専門とかじゃないからね!唯人体構造に興味はあるってだけで」


 少女はとても楽しそうに私を見る。


 「専門は人物画っ!貴方に惚れたわ殺人鬼君!私のモデルになって!」


 *


(夢を見ていたのか……)


 2年前の夢。アスカの下から離れ、トーラと二人で暗殺業をしていた頃の記憶。

 ラハイアに撃たれたのはあれが最初で最後。今となってはあの頃の自分の身体が呪わしい。毒の副作用……痛みを感じない身体。本当ならあの日、ちゃんと撃たれていたらどれくらい痛かったのだろう?両目を抉られたこの痛みよりも痛いだろうか?わからない。でも……こんな痛みより、私は其方を知りたかった。こんな理不尽な痛みより、彼の怒りに、彼の正義に触れていたかった。それがもう叶わないことだと思うと、より私の目は痛むのだ。二つの空洞が泣き濡れる。眼球なんてもう無いのに、涙腺だけはまだあるのか。流れているのが血なのか涙なのか、見えない私にはわからない。

 唯、真っ暗で。何も見えない闇がある。ここは私の心の内のよう……


(ラハイア……)


 そうだ。出会った頃のあいつは……そこまで銃の扱いが上手くなかった。それが城ではあんなに見事に……成長したものだな。そう思うと悲しくて、悔しくて……彼の不在に胸が軋んだ。もう彼が居ないなんて……信じられない。信じたくない。

 それでも今のは嫌な夢ではなかった。


(リア……)


 リアと出会ったのもあの頃だ。懐かしい。あの笑顔が最初から何処にも存在しなかっただ何て……本当、嘘みたいだ。私はまだこんなにも彼女のことを覚えているのに、リアなんて人……何処にも居なかった。私がオルクスに踊らされていただけだ。

 私は身近な女性をそういう風に思わないよう、心に距離を持っている。それを見抜いた。彼女は仲間じゃないから、だからこそ言えることがあって……だから頼れる部分もあって……殺しと無関係の世界を生きる彼女がとても、私には眩しくて。薄汚れた私には出来ないような生き方で。触れることは出来ない世界。それでも見つめるだけでも心が温かくなる。そういう幸せ。彼女が描きたかった絵は……完成することなく彼女は消えた。そもそもリアでなくなった彼女は絵というものに興味すら持てなかったかもしれない。彼女が絵を描いていたのは失われた自分をそこに見出し、探すための旅。空白の絵の中に、失われた過去があると信じたのだろう。それを取り戻したのなら……もう彼女に絵は必要ない。それでも彼女が残してくれたものは大きい。私達に与えてくれたものもまた。


(トーラ……)


 あの日、リアのところから帰った後、トーラにはこっぴどく叱られたんだったな。あれ以来トーラは通信数術を新たに改良、念話を長距離通信を可能にした。しかしそのために脳波の一部読み取らせ、心の中まで筒抜けにして明け渡すなんて……普通じゃ考えられないが、何故だろうな。そこまで嫌な気はしなかった。

 トーラには私の嫌な部分をすべて情報として知られていた。だから別に怖くなかったのかも知れない。今更だと思っていた。

 それでも、そうじゃなかった。何があっても彼女は私を嫌わない。そう思える前提は、彼女が私の目に魅了されているからで。私は常に負い目を感じていた。だからこそ、彼女になら何をされても仕方がないと思っていたのだろう。そんな私を見る彼女は、とても悲しい目をしていた。それにも気付かないで居た私に、それを教えてくれたのはリアの絵だった。冗談のように、軽口のように、挨拶のように私が好きだと彼女は言った。だから私はそれを重く受け止めずにいた。それがどんなに彼女を傷付けていただろう。別に私に何を求めるでもない。唯、傍にいて欲しいだけだと彼女は言う。それさえ私は私に許せない。やはり私はあの日見た、ラハイアの銃口に焦がれるのだ。あの銃で撃ち殺されたい。お前は悪だと糾弾されて、彼の正義の礎にでもなれたらそれで幸せな終わり方だ。私が最悪の悪になれば、私を討つ彼の正義は揺るがない。彼ならばその先でもきっと正しい世界を生み出せる。だから、私は死にたかった。彼に殺されたかった。

 それまでこの苦しみから逃れるためだけに死を望んでいた私に、意味ある死を見出させてくれたのはあの男なのだ。


(ラハイア……)


 何も見えない。何も残されていない。声が嗄れてしまえば、もう本当に何も残らない。

 後に残った物と言えばそれは痛みだ。それだけだ。もうどうしてこんな事になったのか解らない。すべて私の強がりがいけなかったのか。そうだ。それさえ捨てられたなら、少なくとも私は助かっていた。

 こんなことを思うなんて、私は余程疲れているんだ。だからこんな酷いことを考える。私は私なりに正しいと思う選択をして来たつもりだ。その後悔はない。そう言いたいのに、私はそう思えなくなっている。私なりの正義を歩くか……何を馬鹿なことを言っていたんだ私は。

 私はこれまで何のために、こんなことをしてきたのだろう。混血のため?奴隷のため?その結果何を守れたか?何も守れていないじゃないか。リアを、その上ラハイアを、トーラまで失い……私は、もうどうしたらいいのかわからない。何の光も見えないんだ。ここは、唯々……暗い場所。そんな場所で尚輝くのは……彼の言葉だ。


 “嫌なら嫌と言え。それでも駄目なら助けを求めろ”

(それでも駄目なら?)

 “助けが遅かった俺を怨んで俺を殴ればいい。好きなだけ”

(それでは何も変わらないだろうが、馬鹿)

 “自分を恥じるな。罪を犯した奴が悪い。悪は必ず教会が裁く。お前のような者は胸を張って生きていけば良いんだ”


 馬鹿だな。本当に馬鹿だ。救いようがない。

 今だってまだ、もしかしたらこれが悪い夢なんじゃないかなんて思う心がある。もしこれが本当でもまだ……助けてと言えば、あいつが来てくれるんじゃないか。この眼はもうどうにもならなくても、あいつは遅れてでもここに来てくれるんじゃないかなんて。俺を罵れ、殴れと間に合わなかった自分自身に腹を立て。あいつがそんな風だから、私には殴れるはずもなくて。唯、あいつが来てくれたという事実に安堵する。こんな私を見ても、きっとあいつは変わらないままだろうから。

 信じられるモノ。あいつだけは絶対この眼に毒されたりしない。


 「醜いな」

 「っ……!?」


 私の耳に響くのは、他の男の低い声。その声は私の姿、そして胸の内まで嘲笑う。


 「貴様は愚かだ。あんな男が自身の片割れだとも思ったか?」

 「違うっ……」

 「ああ、そうだな。思い上がりも甚だしい。薄汚い殺人鬼……貴様が身の程というものを思い知るまでそのままだ。夏場だしな、そのまま放置すれば蛆などその眼孔に集るかもしれぬな」

 「っ!?」

 「生きながら卵を産み付けられ肉を食い破られる気分はどんなものなのだろうな?なんなら蟻でも集るよう、砂糖でも塗ってやろうか?」


 ヴァレスタ……この男なら、本気でやりかねない。見えないから、声だけの今の私には……その声が何より恐ろしく感じる。奥歯が鳴る。身体が震える。それさえ傷を抉る痛みに変わる。痛くて痛くて、泣いても痛い。逃げ場が何処にもない。どうすればいいのか解らない。


 「しかしまぁ俺も鬼ではない。貴様がここで俺に謝り降るなら、その目を治してやっても良い。代わりのパーツなら幾らでも用意してあるからな。なんなら城に手回しし……あの男の両目を貰ってきてやろうか?」


 悪魔の囁きが、これほど甘く聞こえるのは何故だろう。もう縋り付きたいくらい、私は弱り切っている。もう私には何もなくて。守るべきものもなくて。プライドだって、もう滅茶苦茶で。何のために今まで耐えてきたのかも解らなくなってきている。最初からこの男に従っていれば……私はもっと楽になれたのではないか?何も好き好んで痛い目に遭う必要なんか何処にもない。そうだろう?

 助けてくれ。そう咽から懇願の言葉を振り絞ろうとした……そんな私の耳に聞こえるものがある。喉元で鳴る鎖の音だ。チョーカーに付けた十字架が鳴る。彼はこれが触媒だと言っていた。私の暴走を抑える助けになればと、違う道を歩いていてもお前は同志だとこれを託してくれたのだ。


(何を馬鹿なことを……)


 駄目だ。苦しい。痛いし楽になりたい。それでも……その逃げだけは駄目だ。

 そんな、今更。今更そんなことをするのなら、今までの何もかもが水の泡。私は自分がこの痛みから逃げるために死ぬことが、あってはならない。

 私は人殺しだ。殺人鬼だ。この程度の痛み、良い報いじゃないか。まだまだ足りないくらいだ。私はこれまで何人殺した?こんな物で足りない。贖えるとは思えない。

 笑い出した私に、ヴァレスタが少し引き気味に声を出す。


 「……気が触れたか?」

 「愚かはお前だと言ったんだ」


 これが最後だ。私と同じ髪の色の男を嗤い、私は息を吸う。そこで気付いただろう。だが遅い。私の唾液も猛毒だ。咄嗟に止める勇気などこの男にあるはずがない。

 そうだ。愚かはお前だヴァレスタ。この私に口枷もしないなど愚の骨頂。何もかにも奪われた。もうなくす物もない私が何を恐れる?

 私は死だって怖くない。このまま生にしがみつき、おめおめと生き恥をさらしお前なんかに仕える方が私は余程耐え難い。

 コートカードの幸運で、それが為せるのかは解らない。ラハイアのように幸福値があったにもかかわらず死んでしまうカードもある。カードの死の定義が私はまだよく分からない。それでも上手く行けば私は逃げ出せる。ようやく終われる。そうだ。もう守る相手が居ないなら……私がこうして生きている意味も、もうなかったんじゃないか。同じ逃げなら、此方の方が正しい逃げだ。こんな男の言いなりになって、これ以上罪を犯すくらいなら……もう、私が死んでしまえばいいんだ。両目を無くしても私にはまだ、見えるものがある。私が取るべき答え。どんなに辛くても、痛くても……私は約束したんだ。


(私なりの、正義を歩くっ!)


 私が人質になることなどあってはならない。それで西の生き残りが死ぬようなことがあればその方が大事だ。思い切り舌を噛む。そこから溢れる屍毒ゼクヴェンツ。これでますます誰も私に触れられなくなる。私の自害を止める者は誰もいない。

 これで終わりだ、何もかも。


 *


 「はぁ……」

 「神子様?」


 ようやく二人きりになれたというのにため息を吐く神子に、私は恐る恐る問いかける。しかし金糸の髪と琥珀の瞳を持つその人は、にこりと微笑みその問いをかわすのだ。


 「気にしないでマリアージュ、こっちのことじゃないからさ」

 「は、……はぁ。解りましたわ」


 マリアージュは考える。此方のことではないのなら、それは何処のことだろうと。思い当たるものと言えば……同僚のソフィアが飛ばされている国、先日まで自身も滞在していたセネトレアのことだった。


 「かの王は“私は死をもって罰せられるのが適当である。”……そう言ったが、神が奪ったのは彼の子の命だった」

 「イグニス様までアルドール様に感化されたんですの?」


 あの少年王はその明るい外見にそぐわず、インドアだ。第一印象なら太陽の下で草原でも駆け回っている方が、余程らしいのだが……彼はこの蒸し暑い日差しの下でも今日も今日とて長袖で、読書などを嗜んでいる。しかし窓の外を見下ろせば……いつの間にか外に連れ出され、騎士達に稽古を付けられていた。暑そうだ。もう少ししたらお茶くらい運びに行かないと。


 「嫌だなマリアージュ。余所の世界ではこれも教会に関係する書物の一節だよ。この世界とはあまり関係ない時間軸だけどね」


 見れば神子様が手にしているのはまるきり違う本。今の言葉はこの人が、頭の中のモノを読み上げたのだ。教会の地下深く……眠る禁書の一冊だろうか?そんな重要機密をぽろっと話してしまうのだから、神子様は本当に掟破りだ。言い換えるならそれだけ私達を信頼しれているのだとも言えるのだろうが。


 「要するに、神様ってのは酷いものだって話だよ。その子に何の罪があったと言うんだろうね。生まれたことが罪だったとでも言うんだろうか?」

 「イグニス様……」

 「そうだね。そういう意味では僕も、那由多王子にはほとほと同情しているよ。親の罪を子が背負うなんて全くもってナンセンスだよ」


 それは親の罪という一点でのみ。同情の余地がないと言うのは彼自身が犯した罪。どんな理由があろうとも、彼は確かに罪人だ。その償いは、彼自身が遂げなければならない。許しとはそう簡単に得られる物ではない。


 「……可哀想だとは思うけどね、彼にはまだまだ働いて貰わないと困るんだよ僕も」


 これから戦火は拡大する。舞台はカーネフェルからセネトレアへと移る。その間に内側の掃除をしてもらわないと困るんだと神子様は言う。


 「僕の知る神は、あの本のそれとよく似ているよ。本人ではなく、その者が大切にした者から奪いたがっていくところが本当に」


 それが一番人の心を抉るやり方なのだと心得ているんだろうか。そう語るこの人は、それを深く理解しているように私には見えた。

 セネトレアでの任務で何度か目にした那由多王子。今はリフル様とか言う名前だったあの人。

 王族から殺人鬼まで身を落とすなんて……酷い話があったものだ。それでも下手な同情は良くない。心の隙を狙われる。あれは普通の人ではない。彼は彼女とも見紛うような美しい人だったけれど、危ない目をしていた。人のそれとは思えない、妖しい光を宿していた。


(大切な者……?)


 そんなものが彼にもあったのか。それは少々意外だった。あんな生き急ぐ、危ない目をした人間に……そんな者があっただなんて。


 「しかし神子様。その大切な者を失った人は、この先どうやって生きて働いてくださるのですか?」

 「いい着眼点だよ。僕もそこに一時期頭を悩ませたんだ」


 神子様が小さく笑う。


 「死んだ者は帰らない。それがこの世の理だ。この審判に打ち勝ちでもしなければ、それは覆せない。つまりはほぼ限りなく不可能。そういうこと。……だけどね、人は愚かな生き物だから、裏切りを犯してしまうんだよ」

 「裏切り、ですか?」

 「ああ、そうさ。特に人の良いあの王子様なら間違いなくね」


 彼は再び大事な者を作ってしまう。亡くした分、その心を誰かに何かに預けてしまう。寄りかかるよう、縋るよう……失った者が大きければ大きいほど、その代替品を欲してしまう。それを錯覚させることはあまりに容易いことなのだ。それは何も他人事ではないと私に言うように、神子様が語りかけて来る。


 「彼は誰でも彼でも大切だ。だからそこで頭一つ抜きんでるのは難しい。それでもその一つが失われれば、ぽっかりと大きな穴が空く。それはとても大きなチャンスだ。……だけどそこを埋められるのは限られた人間だけなんだよ」

 「限られた人間……ですか?」

 「例えるなら共通点だね。亡くした人に重なるキーワード。それが心を結びつける大きな要因なんだと思うよ」


 例えばそうだ、セネトレアのアルタニア公。神子様はそんな例を出す。


 「新アルタニア公は名前狩りなんて物を生み出した。あれはそのキーワードが悪い方向に働いた例だね」

 「良い方向に転んでいたらどうなっていたんです?」

 「そうだね……彼はその名の女性を愛することになったんじゃないかな。普通の人間ならこっちに流れるんだろうけど、彼の場合は意志が強すぎたんだよ。一途だったとでも言うのかな、或いは心が狭すぎたと言うのかな」

 「それでは那由多様は浮気性だと?」

 「それは何とも言えないね。彼は自分がどうでも良くて、他人が物凄く大事っていう人だから。フラフラしてもいるし頑固でもある。あれが上手く転んでくれると良いと思うんだけどね」

 「それは神子様にしては随分と曖昧なお話ですね」

 「僕にも見えない未来だからね。不確定要素は多いんだ」


 ラハイアの死も、早すぎるラディウスの脱落も……その一つだったと告げられる。避けられたかもしれない未来に思いを馳せた。一時とはいえ私も彼と彼らの同僚だったのだから。

 ラハイアの死が、彼に与える影響はあまりに大きい。彼は彼に代わる救いをどこかに見出すと、神子様は断言していた。


 「でも彼がそうならなくて別に良い。彼のその感情が何であれ、彼は好意を寄せられるだけで幾らでも頑張ってくれる人だからね。その好意に答えられない分、しっかり働こうと思ってくれる……優秀なカードだよ」

 「でも……正直こんな序盤でジャックが一枚欠けるのは……痛手ですよね」

 「ジャックに関しては……そうだね。敵なら早めに消えてくれた方が助かるんだけどね……味方のジャックが消えるのは正直痛手だよ。孵化の可能性の切り札が奪われるってことなんだから」


 確かにキングは強い。しかしジョーカーには劣ってしまう。ジャックはクィーンにもキングには劣る最弱のコートカード。それでもジャックは二つの孵化の可能性がある。この審判での切り札だ。神子様が禁術を使ってでも彼を守る保険を貼ったのはそのためだ。それでも……神子様に流れる幸福値。それが数日前より明らかに増している。それはカードが元の場所に帰ってきたことを示してる。使われなかった幸福は、振り分けられた数をそのまま神子様へと与えてくれる。こうなったとしてもそれは十分得策だった。そう言える。それでも私の胸には不安が過ぎる。


 「ハートのジャックが、彼の手へと帰ったんですね」


 吊されている彼の紋章が、その手の平のナンバーが変わったことに気付いた者がいるだろうか?いないだろう。皆自分のことに忙しい。死人のことなど構う暇もないはずだ。第一神子様の視覚数術を敗れる者はそうそういない。

 元々ダイヤのジャックとやりあって、ラハイアが勝てる保証はなかった。相打ちが常。その勝率を引き上げるため、神子様はカードを入れ替えた。しかしその幸福が招いたのが……ハートのキングの異名そのもの。


 「悲しいことだけど、それでも世界は回り続ける。例え誰を亡くしても。……それもこの世の理さ」


 仮に僕が死んだって、それは同じことなんだ。そんな物騒なことをとても綺麗に笑って語る神子様は……その目はどんな未来を見ているのだろう。

 私には解らない。本を閉じる神子様の……その手に現れたハートの紋章。その裏で蠢くのは王者の証。ハートのキング……自殺王。だからこそ、私は神子様が心配なのです。

悪魔の絵本 15章 悪魔【逆】に続きます。


区切りの良いところでとりあえずピリオド。15章から本格的に死に祭り。

無駄に長い13章、ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。

あの件とかその件とかは15章で大体解決するかと思います。

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