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55:Fiat eu stita et piriat mundus.

いよいよクライマックスというか前夜祭というか。

裏本編でもカードキャラに死人が出ます警報。胸くそ悪い警報。

 不思議なものだ。おかしな気分だ。今俺は歩いている。こんなにゆっくり何処かを歩くのは久しぶりだ。何時も俺は慌ただしく駆け回ってばかりいたから。

 こんな国は。こんな街は。いつも汚れて見えていたけど、こうしてゆっくり歩くことで見出せる色がある。駆け抜ける俺が見過ごしてきた美しさ。

 例えば見上げた空。その蒼に交わる海。二色の青が合わさる景色。

 皮肉なものだ。こんな綺麗なものが見える場所を、処刑場に選ぶなんてこの女王は悪趣味だ。それとも最後の慈悲か。哀れみか。嘲笑か。処刑場は離宮のすぐ近く。おびただしい数の墓が俺を誘うように笑うように佇んで……そんな道を抜けてここまで来た。

 俺を守ったあの女性は、こんな物をこんな世界を美しいと言ったのか?違う。世界の色じゃない。違うと思う。そんなものじゃない。あの人は、人の心を……その内側を信じて逝った。例え世界が色を亡くしても、それでも世界は美しいとあの人は言ったのだ。


 「ふむ。その潔さはあっぱれ。なるほど其方はすぐに組み敷きたくなるようなとびきり美男というわけでもないが、そこそこの美男。そしてその目……唯生意気なだけではない。噛めば噛むほど味が出る鯣のような男じゃな」


 逆さまになりながら見る世界。逆さまになったところで醜いものが美しく見えるはずがない。世界も人も相変わらず醜い。もっと醜く見えてくる。吊されてそれでも睨み付けることを忘れない。女王を見据える俺の目が、気に入ったのだと女王は言った。


 「のぅ、聖十字?其方が今ここで妾を美しいと讃え跪くのなら別に処刑などなかったことにしてやっても良いぞ?其方は餌に過ぎんのだからな」

 「……断る」

 「そうか。ならば処刑までそのまま晒してやる。者ども、門を開け。愚民を誘え。妾は一眠りして来るぞ。朝方まで忙しく睡眠不足じゃ」


 兵に開場を告げて女王は離宮へと戻る。異母姉弟だというが、その背はあまり似ていない。この女王には、追いかけたくなる衝動はなかった。

 殺人鬼Suit。気がつけば何時もあいつが俺の前を歩いていた。俺はそれを追いかけて、こんな所まで来てしまった。思えば遠くへ来たものだ。だが……俺はようやくあいつに追いついた。或いは並んだ。追い越した。前を見てもあいつがいない。その方が良い。

 だけど俺は忘れていた。俺一人で俺はここまでやって来たわけではない。俺に手を貸してくれた奴が居た。俺が俺の意地を俺の意思を貫こうとすることで、あの同僚は余計なことに巻き込まれ……死んでしまった。


(俺は……間違えたのか?)


 初めは随分と軽い男だと思った。馬が合わない。ああいう奴は嫌いなんだ。それなのにあいつはよく俺に絡んできた。シャトランジア時代からだ。


 「よぅ、ラ・イル君。相変わらず固ぇ仏頂面してんなぁ」

 「久々に現れたと思えば貴様は何様だ!」

 「いやぁ、ジャンヌちゃーん!相変わらず綺麗だねぇ!」


 そう言いながら俺の親友の胸元ばかり見ているあいつは最低野郎だ。

 ジャンヌは女の身でありながら、聖十字の門を叩いた見所ある少女だ。そんな彼女をこの軽薄な野郎が色目で見ていると思うと腹も立つ。彼女の頑張りを見て、高潔な魂を見て、貴様はそんな風にしか彼女を見られないのかと。


 「人の話を聞けエティ!」

 「エティエンヌ、お世辞は結構です。私よりも綺麗な方は幾らでもいらっしゃいますからその方達に声を掛けられたら如何ですか?」


 怒鳴った俺を遮るよう、事を穏便に済ませようと……それでもしっかりとした意思を持った彼女の青い瞳。男の軽い言葉にも、さらりとそれを微笑みかわす。彼女はとても強い。


 「いやぁ、堅いなぁ……せっかく可愛いんだからさ、もう少し男に俺に優しくしようぜ?ってことでジャンヌちゃん、今週の休日俺とデートなんかどう?」

 「ごめんなさい、その日はライルと自主訓練なんです」

 「はぁ!?お前ら休日くらい休めよ!?んな無茶しても身体保たねぇって」

 「お前には関係ないだろう?」

 「ジャンヌちゃんもこの熱血馬鹿に付き合うことないって!君は女の子なんだからこいつの体育会系のノリに着いていったら大変だぞ?無茶して後で倒れたりしたら……」

 「そういうわけにはいきません。私は女です。その分既に不利なんです。……それなら他の時間を削ってでも頑張らないと、強くなれません。渡り合えません」

 「貴様も少しは彼女を見習え。その腐りきった性根を叩き直してやる。貴様も俺達に付き合え!」

 「え。嘘ん。俺様ちょっとその日は巨乳ちゃんとデートだからしぃーゆーあげん」

 「頑張りましょうね、エティエンヌ?」

 「は、はい……」


 ジャンヌに微笑まれ、そこで視線を外しつつ、あいつは折れた。今になって考えてみるとあいつは神子から任される通常の任務の他に、俺と彼女の監視役として送り込まれていたのだろう。

 士官学校に顔を出したり出さなかったり。居ないことの方が多かった。よくサボっていた。それでいて成績は良い。難なく奴は聖十字兵になった。神子の手下ならどうにでもなっただろう。

 ジャンヌは故郷を守るため、カーネフェルの第二聖教会の配属を希望しその希望のまま配属された。俺は故郷よりも、その故郷を害する国セネトレア……あの国を叩き直すためにセネトレアの第三聖教会の配属を希望し、俺も希望通り受かった。平和呆けしたシャトランジアの第一聖教会がもっとも人気が高く、その他の危険地帯の教会は希望すれば通るようなものだったんだと思う。命の危険がなく、それで高給なら誰だってそれを選ぶだろう。だが俺も彼女も金のために聖十字を志したわけではない。金のためだの職のためだのそんな理由で適当に士官学校に来る者のなんと多いことか。真面目に訓練も受けない!抗議も聞かない!見ていて苛々する。人を国を守りたいという気持ちが貴様らにはないのか!?ならば出て行け。正義を名乗る悪こそが、最も許し難き悪なのだと、どうして誰も気付かない!正義を名乗る以上は、常に正しく居られるように心がけ、自分を縛め生きるべき。だと言うのになんなんだこのチャラチャラした者達は。

 教会の腐り具合に俺は苛立っていた。そんな時に「抽選漏れたー」とか叫いているあの男が同じ教会に配属されたことを知り、もう関わりたくないと思った。


 「私はカーネフェルを、貴方はセネトレアを。離れていても貴方は志を同じくする私の親友です。共に頑張りましょう」


 別れ際、彼女から手渡された十字架の耳飾り。片耳分を交換しようと差し出された物だ。俺はそれに応えて、彼女と共に歩くつもりで頑張った。俺は彼女のまっすぐさに憧れていた。彼女の友人になれたことを誇りに思う。彼女のような人間が居るんだ。まだこの世界は捨てた物じゃない。

 そんな思いで街を歩いた。そこで目にした殺人事件。初めて俺はこの国で、人の死んだ場面を目にした。長い黒髪に深紫の瞳。綺麗なだけで何も映さないその瞳。俺にタロークの少年を保護させ、その隙に逃げ出した殺人鬼。その場の酷い有様に、俺は怒り狂った。

 物取りでもない。金も奪われていない。あれは快楽殺人。こんな酷いことが出来る奴が居るなんてと。

 しかし数日後目覚めた生き残りの被害者奴隷。その男の口からもたらされた言葉に、俺は愕然とする。その男が言うには、自分は助けられたのだと。毒を喰らったが奴隷と知ってすぐに解毒をしてくれた。そして自分たちを見捨てた奴隷商に怒り殺した。あの近場に落ちていた銃は、毒に苦しみ藻掻くそれに耐えかねたあの少年が止めを刺したのだと。

 それじゃああいつは、何がやりたかったんだ?俺にあの子を保護させたかった?あの子を助けるためにあんな嘘を?

 唯の殺人鬼じゃない。あいつは俺が神から与えられた試練なんだと思った。あいつを改心させろと言われた気になった。

 あいつは俺がこの国で最初に出会った犯罪者。だからこそその印象も強い。そしてその後出会う人間達は本当に人間の屑ばかり、本当に改心など無理なのではないかと諦めたくなるような下衆ばかり。もう、嫌になりそうだ。そんな時にあいつから俺に手紙が届いた。

 その手紙通り向かう先であいつは予告通り人を殺した。俺は必死に追いかける。それでもまた、保護する奴隷達を盾に逃げられた。

 仮面で瞳は見えなかったし今度は黒髪ではなく、美しい銀髪をしていた。それでもそのやり口と、その口調ですぐに解った。あいつは他の犯罪者とは違う。こいつは改心させられる。こいつを悪から正義の道へ正したなら、俺は自信も付く。他の犯罪者達を改心させられるようにもなる。名ばかりが大きくなったその殺人鬼。一筋縄では行かないそいつに比べたら、他の犯罪者など三流も良いところだ。

 大した理由もなく罪を犯す人間は、また大した理由もなく罪を犯したり、理由もないともうやらなかったり。それでもこいつは違う。明確な理由と意思がある。だから何度でも繰り返す。罪悪感がないわけではない。それを知りながら行うそいつ、追う俺も辛いのだ。もう誰も殺させたくない。殺すことでこいつは報われもせず、快感を感じることもない。俺の前に現れる仮面の男は何時も、悲しげに笑みを作って愉快と演じる。早く終わらせてやる。もうこれ以上誰も殺させない。そう思って追いかけた。それでも俺は間に合わず、あいつに失望された。

 フォースという俺が亡命させたあの少年が罪人になった。教会が裏切ったのだ。もうお前は頼らない、教会は信じないとあいつが言った。俺が追うべきはあいつではなくて、教会の悪の方だった。俺を出世させて、教会を変えさせるつもりだったあいつが、耐えられなくなってしまった。その間に犠牲になる人の数を憂いたのだ。

 俺はその言葉に従って、教会を追えば良かった。それでも俺はあいつを追いかけた。あいつの中に俺の信じるものの答えがあると思った。あいつを追わなければ俺は、もう、俺の信じる正義を信じられなくなっていた。

 その時だ。あの男が俺に再び近づいてきたのは。恋人や母親を騙り俺宛に届く殺人鬼からの手紙を、あいつは見破って……それを誰にバラすでもなく、協力をしてくれた。味方など誰もいない教会内であいつの存在が……日増しにありがたいものになった。信じられる仲間が出来た。あいつが助けてくれたから、俺はリフルを追うことが出来た。俺が走って来られたのは、あいつが……俺が忌み嫌う運命の輪達が俺のために回ってくれたから。

 俺に否定される度、ラディウスもソフィアも他のあいつの仲間達も……寂しそうにだけど嬉しそうに小さく笑いかけるのだ。俺の言葉を馬鹿にしながらも、何故か眩しそうに俺を見ていた。

 彼らがどうして教会の汚れ役、正義のための人殺しに身を落としたのか俺は知らない。だがあいつがら悪い奴ではないのは知っている。故に俺は神子が許せない。何故あんな人の良い奴らにそんな非道を強いるのか。あいつらはもっと別のことで正義を守ることが出来るはずなのに。

 俺はいつか神子に会って直談判をするつもりだった。そして運命の輪を解散させる。それが叶うような道筋をしっかりと立てて。そのためにはセネトレアという犯罪大国に秩序をもたらす必要がある。そしてそこの犯罪者共を死刑なくして改心させられるような俺になる。もっと人の心に響く言葉を。どうすれば人の心に訴えかけられるのか。俺の言葉じゃ至らないのか。誰も止められないのか?

 もしもこの世にたった一言、それで人の心を黒から白へと変えることが出来る言葉があるのなら。どれほどこの世界は美しく居られただろう。しかしそんな魔法がこの世にはないから、俺はやるしかない。言葉で足りないのなら、この身をもって証明してやる。


 *


 「証明ですって!?」

 「くそっ……律儀に並ぶなんて馬鹿過ぎるだろ」


 アスカは舌打ちをする。しかしこの場で一番憤りがマシなのは自分だという自覚はあった。

 処刑場へと連なる道。そこにしかれた検問には両手を見せることが掲げられている。女王はカードのことを学んだらしい。リフルの処刑の時も門を塞いでいたのはこれを狙ってのことだったのか。

 第四島から第一島へ戻って来られたのは処刑日当日の昼。処刑は間もなく、夕暮れに始まると言う。この検問を抜けなければ、ラハイアを助け出すことなど出来ない。


 「おまけに検問の相手があの嬢ちゃんとは……」


 ティルトには以前会っている。万が一変装がばれでもしたら、大変なことになる。ラハイアを救い出すことの難しさを思い知れば、俺の頭は別のことを考え始める。聞けばあれはリフルを誘き寄せるための罠だと言う。そんな場所にみすみす飛び込んでも良い物か。それは俺の主を危険に晒すだけではないのか?このままあの坊やをSuitとして処刑して貰うのが一番なのでは?そんな酷いことさえ考える。


 「で?どうだロセッタ?」

 「…………あいつ、ジャックだわ」


 教会兵器の一つであるゴーグル。それでロセッタは数値を視ることが出来る。正確に読み取るにはそれなりに近づかなければならないが、彼女も裏の人間だ。出来ない仕事ではない。人混みに紛れてティルトの数値を読み取ってきた彼女が言うには、その幸福値の桁からしてコートカードJで間違いないと。


 「神子様から聞いた情報通りだわ」


 城に潜入していたという運命の輪が曝いた情報だというが、念には念を。数値からの裏付けも行うことにした。


 「属性はダイヤ。あんたらスペードとは相性最悪。相手が数術使いじゃないってのはありがたいけど、だけどここはセネトレアでしょ?金の臭いがプンプンする。ダイヤの力が増してるわ」


 相手としては最悪。彼女は思いきり息を吐く。


 「リフル一人なら切り抜けられるだろうけど、私達数兵も一緒じゃリフルの幸福を下げてしまう。私達の底上げの方に数値が割り振られて、8+9+13÷3=10……単純計算私達は10カードみたいなもんなのよ。となると属性云々以前に彼女のJの幸運に競り負ける。彼女が持ち場を離れるまで、あそこを切り抜けるのは難しいわ」


 ティルトを睨み付けるロセッタの目があまりに鋭いので、その殺気に気付かれまいと俺はその視界を身体で遮った。そんなにこの嬢ちゃんはラハイアが心配なのか。許可さえされたなら、あの女を撃ち殺してやると言わんばかりの形相だ。


 「………私一人なら、やれるんだな?」

 「リフル?」


 カーネフェリーの娘に女装をしたリフル。その手は化粧でカードを隠しているし視覚数術で普通の素肌に見せている。露出が少ないと何かを隠しているのではと思われる。そのために今日は夏服全開。腕から足から露出は多めだ。その手足に傷はない。ラハイアを助けるためだと俺に治させてくれた。正直俺の方が複数の意味で何度か参りそうになった、凄惨な有様だったが、正気を取り戻したこいつは顔色一つ変えずに俺に傷を見せた。もうこいつの頭にラハイア一色。あいつのこと以外何も考えられないみたいだった。


 「二人はティルトがあの場を離れてから来てくれ」

 「……モニカ」

 《何?》

 「頼む。こいつについていってやってくれ。お願いだ」

 《……解ったわ。それでいいのね?》


 俺が頷くとリフルの側にすいと飛んでいく風の精霊。リフルとモニカを見送る俺に、ロセッタが歩み寄る。


 「……いいの?あんたとあいつなら割っても11。ギリギリ渡り合えるかもしれないわよ?」

 「ギリギリじゃ駄目なんだよ。あいつは本気であの坊やを助ける気でいる。俺はあいつの邪魔は出来ねぇ」


 あいつは俺を信じてくれた。だから今度は俺があいつを信じる番なんだ。あいつは男だ……守られるだけじゃねぇ。誰かを守れる、絶対守れる。そう俺が信じてやらないで誰が信じるってんだ。


 「あいつは死なない限り何度でも立ち上がる。甦る。一回死んだ人間は、そんなに柔じゃねぇよ」


 あの坊やがあいつの希望なんだ。ラハイアさえ生きていてくれれば、リフルは何度だって甦る。その希望を信じて顔を上げられる。まっすぐに空を見上げる。俺じゃあそんな太陽にはなれない。ヴァレスタの名に震えるリフル。その怯えを止めたのがラハイアの名前だった。俺じゃあ太刀打ち出来ねぇ。次元が違う。あいつにとって失ってはならないもの、それがあの坊やなんだ。あの少年があいつの心臓みたいなもんなんだ。俺はリフルを死なせるために行かせるんじゃない。あいつを死なせないために今、見送るんだ。


 *


 処刑場。そこに踏み込んで、私は涙が出そうになる。彼はいた。既にいた。逆さまに吊されている。絞首台に足から吊されている。

 処刑にはまだ時間があるというのに、何時からああされていたんだろう。彼の真っ白な制服は所々血に滲んでいる。柵があるがその向こうからは自由に石を投げて良いことになっているのか、兵士もそれを止めはしない。何故彼がこんな責め苦に遭わなければならないのだ。彼は何一つ、悪いことなどしていない。私がそれを保証する。


 「死ね!殺人鬼!」

 「聖十字がSuitかよ!よくも騙したな!」

 「死んで詫びろ!」


 面白半分で彼に誹謗中傷。これは私を誘き寄せるための罠だ。解っている。だが城での一件でラハイアにSuitの容疑が掛かっている。元々私の犯行場所に彼は向かいすぎていた。教会もその検挙率を訝しんでいた。私の犯行を止めずに、奴隷虐待の方ばかりを解決する彼のやり口には。でもそれは全部私の所為だ。私のやり方に彼を巻き込んだだけ。


 「……っ」


 私はもう駄目だ。耐えられない。これ以上彼が迫害を受けるのを黙って見てはいられない。私が欲しいのならどうにでもしろ、姉様!

 柵を越え絞首台に飛び、彼の前に立つ私にも石は飛んできた。だけど避けない。この眼で悪意のある者を強く睨み付ける。邪眼に染められ動けなくなる人々。石を投げる者はいなくなった。大量の人間を完全支配するのはかなり疲れる。だから石を投げそうにない人間は除外した。


 「な、なんだお前は!」

 「何で犯罪者なんか庇うんだよ姉ちゃん!」

 「この男は私の恋人だ!庇って何が悪い!」


 以前手紙で書いた大嘘だ。だけど気持ち的にはそんなようなものだった。その位自然に、強く守りたいと思ったのだ。迫真の演技だ。群衆だって押し黙る。

 私の言葉に、チャリと鳴る首の十字架。持ち主の側に帰ってきたことを喜ぶように私の首元で鳴る。


 「ラハイア……」

 「リフル……」


 何故追ってきたのだと彼の目は私に問いかける。でもそれは私を追ってきたお前に返る言葉じゃないか。だから私は彼に微笑むに留める。


 「こんな時まで……下らない、嘘を……」

 「嘘なものか。なんならここから帰ったら、本当にしてやってもいいんだぞ私は」

 「せっかく……忘れて楽に、なったと聞いた……」

 「馬鹿なことを言うな。お前が居たから今の私が居る。私が最後の最後で正義を信じられたのはお前のお陰なんだ。賭けはお前の勝ちだラハイア。私を煮るなり焼くなり好きにしろ」


 私が笑えば、ブツンと紐が切れる。コートカードキングが二枚も揃えばこの位の奇跡は余裕で起こせる。ラハイアと一緒なら、なんでも出来そうな気がした。この腐った世界を変えることだって、きっと。


 「ひ、紐が切れた!?」

 「どういう事だ!?あんなぶっとい紐、そんな簡単に切れるもんじゃねぇって!」

 「や、やっぱり聖十字を、神の使いを殺すなんて罰が……」

 「阿呆か!神なんてそんな迷信!信じてんのか!?」


 処刑場は群衆のざわめきで埋まる。未知への恐怖を無神論で覆そうとする者、目には見えない形無き神を恐れ戦く者。


 「ラハイア、神か悪魔かは知らんが……まだお前は見捨てられていない。少なくとも死神に嫌われた死に損ないはお前の味方だ」

 「むしろ貴様が死神ではないのか?」

 「それを言ったらお前はもう死んでいるよ。私はお前を気に入っているからな」


 私は笑って片手を彼に差し出した。ラハイアは絞首台の下で未だ座り込んでいる。


 「さぁ、こんな所さっさと逃げるぞ」

 「断る」

 「……は?」

 「俺は何もやましいことはないからな。逃げる理由がない」

 「この期に及んでお前はっ……この堅物っ!石頭!お前に何かあったら、誰が私を改心させてくれるんだ!?」

 「改心も何も……お前は悪ではないだろう?お前に俺は必要ない」

 「私はお前が必要だ!お前は私の罰だろう!?お前が私を裁いてくれるのだろう!?私を更生させるのではなかったのか!?その手で私を捕らえてくれると言ったではないか!」

 「俺はこれまで俺の信じる道を、正義を歩いてきたはずだった」

 「その通りだ。お前は何も間違っていない」

 「……死んだんだ」

 「……え?」

 「俺の同僚が、女王と……ティルトに殺された。俺はあいつを助ける気で……助けられてばかりで、最後までそれを返せなかった」

 「ラハイア……」


 敵も味方も死なせない。そうやって進んできた彼だ。敵を死なせてしまうことは何度もあった。それでも……味方を死なせてしまったことはこれが初めてだったのだ。その痛みに屈して立ち上がれないのだ。彼の足はこの場に縫いつけられてしまっている。


 「ここで立ち止まって、それでもお前はお前と言えるのかラハイア」

 「っ……」


 その胸ぐらを掴み上げるつもりが、背の伸びた彼が相手では私が縋り付いているようにしか見えない。それでも私は言いたいことを言う。この馬鹿をここから逃がさなければならないのだ。どんな手を使ってでも……


 「お前のために死んだ人は、こんな所で立ち止まっているお前のために死んだのか!?違うだろう!?進み続けるお前のために、その人はそうしたんじゃないのか!?」

 「お前には解らないんだ!」


 何時もまっすぐに私を見つめてきたその瞳が初めて逸らされた。今まで歩いてきた道さえ信じられない彼。そんな今の彼に私の言葉は届かないのか。見つめて魅了して、それでここから連れ出せるのならその目を無理矢理此方を向かせる。だけど……彼に私の目は効かない。動きを封じるか欲を煽るかそれしかできない役立たずだ私の目は。トーラのように凄い数術も使えない。魔法のようにここから二人で逃げ出すことも出来ない。


 「お前まで死なせてしまったら……そう思うと俺は……俺がどんなに恐ろしいか解るか!?」

 「ラハイア……」

 「お前が死んだと思っていたこの半年間、俺がどんな気持ちだったかお前は解るか!?俺の中の正義が、その火が消されてしまったかのようなあの感覚がお前に分かるか!?俺はお前が居なければ……前を向いて走れない!」


 私が方位磁石。失った仲間が歩く道。今のこいつは方向は解っても歩けない、走れない。そんな状態。だからもう諦めた。そんな馬鹿なことを言う。

 ラハイアの、ロセッタの同僚。思い出す。冗談めかした口調の明るい男だった。面白い奴だと思った、私も。彼が真似ていたらしいが、少しアスカに似ていた。だからちょっと昔のアスカを思い出して、私も彼が少し好きだった。

 それでも彼はラハイアと立ち止まらせるために死んだはずがない。よりこいつが先に勧めるよう、最後まで足場を作ろうと懸命になったに違いない。立ち止まることはその思いを踏みにじること。何より死者への冒涜だ。


 「教会に帰れないならうちに来い。私がお前の足場にでも踏み台にでもなってやる!だからお前は私を追いかけろ!私はずっと、逃げてやる」


 そうだこんなのはおかしい。立場が逆だ。


 「私がお前を追うんじゃない。お前が私を追いかける。それが正しい在り方だろう!?お前は聖十字!殺人鬼は私だ!」

 「お前が悪ではないと俺は言ったが、あれは嘘だ」

 「え?」


 私の言葉にラハイアは立ち上がったが、私の手は掴まなかった。


 「リフル。お前“が”正義だ」

 「違う。それはお前だラハイア!……っ!?」


 突然目の前が真っ白になる。あいつの上着を頭から被せられたのだと知る。


 「な、何をする!」

 「やはりお前は黒より白の方が似合う。元の髪にもきっとよく似合う……」

 「は、放せっ!何を……」

 「……よく隠したな」


 ドレスの下に隠した黒いマントを取り出して、制服の代わりにラハイアがそれを纏う。まるで自分が本当にSuitだとでも言うように。そして私に着せた上着のボタンを傷だらけの両手で閉めていく。私じゃモニカがいてもラハイアの傷を癒せない。せめてその手を温めようとしても、私の毒は彼を殺めてしまう。無理矢理その手を引いて逃げ出すことも出来ないのだ。こんな傷だらけでは毒が出たらすぐに彼の中に毒が回ってしまう。


 「……いいかリフル。お前は見ろ。見届けてくれ」

 「嫌だ」


 お前がここに残るなら私も残ると頑なになる私を、彼が叱り付ける。


 「お前はSuitじゃない。お前は那由多だろう?一国の王子が一人の人間のために命を危険に晒すな。お前にはやるべき事がある。やらなければならない事がある。いいか?俺は兵士だ。唯の兵士だ。それを解れ」

 「違う、お前は……お前はっ、私の希望だ!」


 代わりなど幾らでもいる。そんな言い方しないで欲しい。代わりなんて居ない。ラハイアはラハイア一人。他の誰もお前になんかなれない。


 「ふぁあ、なんの騒ぎじゃ?」


 今まで昼寝でもしていたのだろう。眠たそうな表情の私の異母姉、セネトレア女王刹那。長くてまっすぐな黒髪は寝癖一つ付かずに風に広がる。

 群衆のざわめきに私達の会話は掻き消され、誰も何も聞こえていなかった。誰も何も解らない。女王が見て解ったのは紐が切れたことと、柵を越えた侵入者である私の姿。


 「その女は誰ぞ?」


 欠伸をする女王はカードを隠すこともなく、その手にスペードを刻む。手を下ろす瞬間に垣間見たのはⅡという数だ。国の権力者は上位ナンバーに属するとは聞いた。姉様はタロック出身だからスペード。ならばスペードのエースは……おそらく父様。


 「なんでもこの男の恋人だそうです」


 兵士に状況を尋ねる女王は、私を値踏みするような視線。そこから逃げず、私は彼女の心に訴えかける。如何に冷酷な女王でも、私の姉だ。通じるものがあると信じたい。


 「愛する人を守りたい、救いたいと思うのは間違いですか女王様?人として当然のことではありませんか?無実の彼のためならば、私は代わりに命を貴女に差し出しましょう」


 私の言葉に女王はくくくと笑い、やがて忍び笑いが哄笑へ。けらけらと笑う女王は扇を開き口元を覆い隠す。


 「なるほどのぅ、其方がそこまで美女でなければ信じてやったかもしれぬ」


 敗因はその顔だと女王は私を見据え、笑うのだ。顔は変えた。しかし視覚数術などもう破った。視覚開花の成った瞳が私を射抜く。


 「やはり来たか、那由多」


 その言葉に、ぞくと肌が震えた。一瞬にして辺りが静まりかえる。彼女には私の顔が私として見えている。変装自体もしているが、それで何処まで逃げられるだろう。


 「良いか、姉として一つ教えておいてやろう。男女の愛とは実に醜きものじゃ。それは多種多様の醜き欲での結びつき故、普通は命など投げ出せぬ。勘違い系の醜女と其方の美男なら、あり得ぬ話でもないのだが。妾のために死ぬ男が居ても、男のために妾は死なん。それと同義よ」


 男と女の交わりは斯くも醜いことだと嘲笑うように語る姉。彼女抱える憎しみが垣間見えるような言葉だった。


 「確かに欲ではない其方の繋がり結びつきは、この世でも類い希な程美しい物かもしれぬ。其方らは醜き契りなどなく、それでも互いに命を投げ出せるのだからな」


 そう語る姉の言葉の憎しみの矛先が私とラハイアの二人に移って来ている。姉様が憎んでいるのは男という生き物のような気がした。姉様の認識する醜く浅ましい男という生き物から外れた私達を好ましく思いながら、それでも許せないというそんな矛盾めいた憎しみをその深紅の双眸から私は感じる。


 「しかしのぅ、那由多。確かにこれでもかという程似合うておるが、男児としてそれはどうなのだ?そのような辱めを受けてまでこの男を助けたいか」


 下手なことは言えない。答えは二つに一つ。嘘か、真実か。ここでそうだと言えば「ならば、気に入らん。殺してくれる」となる。かと言って違うと言えば「そうか。それなら殺してくれる」となるだろう。どちらにしてもこの女が私達二人を無条件で解放するとは思えない。この場合の殺してくれる、がラハイアに向かうことがあってはならない。私がやるべき事はその憎しみが私に向かうよう、殺されるのが私であるように仕組むこと。


 「私の気持ちが解らぬ姉様ではないでしょう。姉様は聡明な方ですから」


 この女は決めつけられることを恐らく嫌う。はいでもいいえでも答えた時点で此方の負けだ。ならばそこは彼女に委ねる。それが最善手。あくまで曖昧に濁す。それでも匂わせる。言葉に確信めいた含みを持たせる。それでいい。


 「姉様、私はこの男だけを救いに来たわけではありません。腹違いとはいえ貴女は私の姉様です」

 「ほぅ、其方はこの妾を救いに来たと申すか?」

 「ええ。彼は聖十字。彼を手に掛けること、その恐ろしさを正しく認識されているのですか?」


 聖十字兵は十字法の化身。歩く法だ。それを殺すと言うことは、十字法に天に唾吐く行為に等しい。だからこそ戦地ですら、両軍聖十字には手を掛けない。あくまで彼らは中立で、負傷者と民間人のために働くだけの存在だ。それでも彼らのいる場所では凄惨な事件は起こらない。万が一それが法に触れ、彼らの逆鱗に触れるかわからないからだ。この女王がしようとしたことは、そんな眠れる獅子を呼び覚まそうとする愚かな行為。戦争を予言する神子からすれば、むしろそれは好都合。待っていましたと言わんばかりの愚行だろう。

 女王の味方をするつもりはないが、神子の思惑通りラハイアを犠牲になどさせられない。仕掛けるなら他に幾らでも方法はあるだろう。そんなに正義の名を騙らなければ何も出来ないのか。その大義名分のためにこの男を犠牲にしてでもか?


(そんなの……間違っている)


 私は王子だ。だから死ぬことに意味があった。しかしこいつは本当に唯の人間だ。そんな者を殺して何になる?損失でしかないだろう。私は死んで意味を成す者、彼は生きて意味を為す者。だから死ぬべきは彼じゃない。


 「彼を傷付けることは、かのシャトランジアに踏み込むこと。教会兵器、古代兵器を所有するシャトランジアに戦争の口実を与えることになるのです。そうなれば無辜の民が傷つく。貴女がこの国の王ならば……貴女は民を守る義務がある。そんな危険を冒すべきではありません。それは姉様の身をも危険に晒します」

 「く、くくくくく!教会兵器!古代兵器!!面白いではないか!!」

 「……!?」


 私の必死の説得に姉は喜色満面の笑み。どうしてここでそう笑う?私には解らなかった。


 「そうかそうか。そんな楽しいことになるのか、この美男一人殺すだけで」

 「正気ですか姉様!?」

 「妾は何時でも正気と書いてマジと読む。確かに美男は世の宝。殺すのは損失じゃ。だが……そこまでの大事が起きるというのなら、多少の犠牲もやむを得ぬ」


 「それにのぅ、那由多。妾は妾を案じる其方より、妾を殺さんばかりの敵意の宿った其方の目が好みじゃ」


 私の頬を撫でて女王が笑う。そこで突然群衆のざわめきが帰ってくる。彼らは女王の登場に浮かれているだけで、私達の会話内容を理解していたようには思えない。防音結界までマスターしていたのかこの女。数式展開の早さも異常。この女が頭が良いのは悔しいが、認めざるを得ない。両作用系とはまだ理解は浅いが、この数日で格段に数術の理解が増している。早くこの女は殺さなければ。日増しに厄介になる。


 「さて、そこな女は其方の恋人だそうだな。よいよい、ならばこの処刑を最も良い場所で見せてやろう」

 「放せっ!」


 暴れるがこのクソ暑い中完全装備の兵士達に取り押さえられる。汗毒が出たとしても鎧を貫通出来ない。力で振り払おうにも勝てる相手でもない。

 私はコートカードだ。姉様は弱い数兵だ。なのに何故、勝てないんだ。


 「ラハイアっ!」


 叫ぶが彼は振り向かない。兵に連れられ再び階段へと歩いていく。ラハイアの気持ちは女王に味方なのだ。敵同士だが、犠牲者は誰かというその一点で結託している。

 それにロセッタの言葉を思い出す。カードの幸福値の平均値。それを考えるなら、ラハイアと姉様では私の勝ちだ。私の幸福でこの場をひっくり返せるはず。ならば他にいるのか?まだカードが。姉様に味方しているカードが。私は拘束されながらも、辺りを見回した。


 「……っ!?」


 いた。金髪の髪の死神と、赤い眼をした悪魔が居る。開場の最も高い客席に、そいつらはいた。高みから見下ろしている。死神も悪魔も彼を見放していた。彼を救える者がいるなら、それは多分神だけだ。あれだけ正しく生きてきて、神に仕えてきた彼のために。奇跡を一度くらい見せてくれてもいいだろう?彼はそれくらいのことをして来たんだ。私とは違う。私なんかとは違う。


 「モニカっ!!」


 それでも神が何もしないなら、私が抗う。認めるものか。私の味方のカードが足りないなら、ここで減らす。ここで殺す。オルクスも、ヴァレスタも私が今ここで殺す。

 モニカに命じて風を吹かせ、その風に毒を乗せる。直接毒を喰らわせることは出来なくとも、兜にマスクの中に薄まった毒を吸い込ませることは出来る。殺せなくても暫く動きを封じることは出来るはず。

 モニカの浮遊数術に乗り、私は距離を詰める……その前に!視覚数術のタイプを変え不可指数術化。これで一般人には私が見えない。あまりおかしなことをすると、私の正体が群衆にバレた時、混血への偏見が更に強まる。人混みに紛れて消えたのだと、そう錯覚させるのが一番。

 風の精霊の力は偉大だ。あっという間に標的の元まで辿り着く。後は私が殺すだけ。手を切り裂いて血を出して、モニカに風を吹かせる。あとはこの血をあの二人にぶつければ私の勝ち。今度は女王……いや、先にティルトを始末する。それで大分戦況は変わる。

 先にラハイアを助けても、周りのカードが減らなければ助けられない。彼の意思を挫くことも難しい。だから今は敵のカードを、幸福値の平均を減ら……


(いや……ちょっと待て)


 私はキングだ。平均値で幸福値を割り出すなら、相手が道化師でも連れてこない限り私には勝てないはず。向こうにキングが何人いようと、それ以下の数兵が混ざっている以上、平均値は下がるはずだ。

 それならば何故私は、こんなに不利な状況にいる?考えればおかしい。私は最高幸福値を割り振られたコートカード、その中でも一番強いキングのはずだ。その割りにここ数日、カードになってからの私はろくなことがなかった。私が幸福値の使い方を解っていないから?それとも幸福値の働く方向は、決まっているのか?例えばそれは悪運。私は死なない。拷問されても処刑にかけられても、そこから逃げ出してきた。今だって姉様は私を殺そうとはしない。確かにそれは、幸福なのではないか?私の望む幸福ではない、それでも。

 私のカードとしての幸運は他のことには働かないのか?戦闘運や、リアルラック。そういうものにはまるで影響がないように思う。他のカードが別の場所に運を割り振られているのだとしたら、この状況も頷ける。コートカードだからと簡単に、なんでも思い通りに行く訳ではない。


 「そう言うことだよ、王子様。カードの平均値はしぶとさ。総幸運値は純粋にその場のリアルラックを引き上げる。まぁ元々コートカードに選ばれる人間なんてリアルラック底辺ばかりだし?一人じゃそこまでカバー出来ないんだろうね」


 此方の心を読み、攻撃に僅かの躊躇いが生じたのを見逃さず、オルクスが紡ぐ防御壁。私には破れない。時間稼ぎに入られた。こうなっては此奴らをどうにかするのはもう無理だ。


 「要するに君はここで死ぬことはないけれど、ここで誰も打ち負かすことは出来ない。君の味方の二枚が現れたところで、此方の総幸福値は覆せないんだ」


 今回ばかりは僕らも女王様の味方だからねぇと死神はけたけた笑う。トーラと瓜二つの顔がこんなに憎く思えるとは思わなかった。


 「くそっ……」


 なら女王だけでも。ティルトだけでも、殺しに行く。そこでラハイアを説得する。目の前で人殺しをする私を見れば、あいつは思うはずだ。私は悪だ。このまま見過ごせない。まだこいつを改心させるために、自分は生きなければならないと……そのためならここにいる人間、無関係の人間を幾らでも殺して……そうだそれなら、殺れる。カードじゃないならいくらでも、私は殺せる。


 「……っ!」

 「まぁ、待てSuit」


 再び飛び上がる。その寸前ぐいと腕を引かれた。耳元で聞こえる声に、身体が強張る。


 「せっかくいたぶってやったと言うのに、勝手に傷を治すとは……生意気な」


 完治した傷。それを皮膚の上から、服の上から引っ掻くようになぞられる。治ったとはいえまだ皮膚はその痛みを覚えているのか、脅えるようにひくついた。


 「放せ、今はお前と遊んでやっている暇がない」

 「お前になくとも俺にはある」


 背後から私を抱え込み、処刑台を見えるよう顎を捕まれ前を向かされた。


 「見てみろ、あの男……お前を見て居るぞ?」

 「ラハイア……」


 不可視数術を破ったのか。凡人なのに……あいつはどこまで、私を追う術に長けているんだ。


 「お前がここで無辜の民を殺したならば、あれはどんなに傷付くだろうな?」

 「っ……」


 それはあの惨めな姿を見られたときよりも辛い。あれはまだ私が被害者だった。だけど今度そうするならば、私が加害者。


 「被害者面でもしたいなら、この観衆の中、あの男の前でまた抱いてでもやろうか?貴様が泣いて嫌がれば、あの堅物も気が変わるかもしれないぞ?」


 その言葉に、寒気を感じた。それは悪夢のような、悪魔の囁きだ。あの男なら、それを多分見過ごせない。私を助けに来てくれる。今度こそはと絶対に。

 しかし、逃げることは本当に……正しい彼にやましさを背負わせる。女王に身の潔白を証明するためにここに来た、彼をその行動は犯罪者に変えさせる。

 群衆さえ敵に回したら、彼は本当に犯罪者。誰も彼の正義を信じない。例え彼の身体を救えても、彼の心を殺してしまう。

 私は選択を迫られている。あの聖十字の心か体、そのどちらか一つしか救えないのなら、お前はどちらを選ぶのかと。


(ラハイア……)


 ここで一言、助けてと叫んだなら彼は処刑台を飛び下りる。それが解る。それじゃ駄目だ。私は一人でここを振り切って、私があいつを助け出さなきゃ……私は彼の全てを救えない。

 私は大丈夫だとラハイアに笑み掛けて、そして横目でヴァレスタを思いきり睨み付ける。


 「下らん。数術を見抜けない者からすれば、変質者はお前だ。いきなり粗末な物を取り出し一人で踊り出すのだからな。それでは幾ら顔だけ良くとも女も寄って来ないぞ?ああそうか、だから私などで憂さ晴らしをするしかないのか、哀れだな」

 「粗末?あんなに泣いて痛がった奴がどの口でそんなことを言うのだか。大体この俺の物が粗末なら貴様のあれは何なのだろうな?」

 「ステータスだ。世の中にはマニアが居ることを忘れるな」


 悔しいが顎を押さえられたのは痛い。拘束された状態で私が自由に使える毒は唾毒に涙毒くらい。頑張ってもそこに汗毒が加わるくらいだ。

 しかし手に毒を垂らそうにも、この暑い中この男も完全装備をしている。馬鹿じゃないのか?こんな真夏にこんな長袖。明らかに怪しい。こんな真夏に黒のコートを着ているなんて変態か分かり易い裏の人間、或いはその両方を兼ね揃えた馬鹿くらいだろう。防水性の手袋では、私の毒も通らない。

 為す術もない。だけどそれは前回の話。今の私にはモニカがいる。こいつらは混血の私が数術に目覚めたくらいにしか思わなかっただろう。そして数術使いは接近戦が不得意。こうして押さえ込めばもう勝利は揺るがないと思っているのだろう?それが大きな間違いだ。私は一人じゃない。


 「やれ、アスカ!」


 モニカは女精霊。一人で攻撃数術は紡げない。補助数術がメイン。回復数術も契約者のアスカが居なければ治療の質が落ちる。だけど契約者、その許可さえあれば……


 「来いっ……フィザル=モニカっ!!」


 聞こえる声。それにモニカが反応。それまでオルクスにもヴァレスタにも認識できなかった存在が輪郭を取り戻し実体化。モニカは風の精霊。姿を隠すのが上手い。

 トーラとは違い、情報分野には疎い。私を過剰評価しているオルクスのことだ、精霊が居たなど気付けなかっただろう。掌サイズの精霊が、成人女性サイズまでに急成長。アスカとのシンクロで、彼女の数値が膨れ上げる。そしてアスカは女じゃない。男のアスカに憑くことで、本来攻撃数術を使えないモニカに、攻撃数術が紡げるようになる。

 モニカに憑かれたアスカが私の狙いを読んで、苦しげな表情、それでも思いきり鎌鼬をぶつける。吹き出す鮮血、屍毒ゼクヴェンツ。それがヴァレスタを襲う。咄嗟にオルクスが数術で庇ったようだが、ヴァレスタが私を放した。それだけで今は十分。私は武器を手に入れた。血を纏わせて階段を駆け下りる。


(ラハイア……)


 不可指数術を解除。血まみれの女に、群衆は悲鳴を上げて道を空ける。邪魔な兵士達は思いきりこの眼で睨み付ける。処刑台に着くまでに体力と気力が保つか心配だが、出し惜しみはしていられない。片っ端から動きを封じる。不意に、すぐ側で数値の気配。首の十字架から力を感じる。触媒だと彼は言っていた。それが私の邪眼を手伝ってくれている。

 息を切らしながら駆け下りた先で、私の前に立ち塞がるのは黒髪の騎士。男装の少女……女王の猫。こんなことならタロックでこの子を助けなければ良かった。本気で私は後悔している。

 彼女は刀を構えて私を処刑台に近づかせない。睨み付けても彼女は引かない。邪眼をはね除けている。私以外の者に深く毒され、支配されている。話して通じる相手じゃない。それをそこから理解して、スカートの下、太腿に括り付けた短剣を取り出す。それに血を纏わせて、退かなければ殺すと目で語る。それでも彼女は退かない。

 状況はまだ悪い。それでも最悪からは動いている。場の状況が変わってきている。これはラハイアが揺れているから。そうに違いない。やってやれない勝負じゃない。私は短剣を構える。

 13+13+9+8=43、そこから/4=10,75。相手は13+11+2+X。そしてこれまでのやり口からしてオルクスはコートカードではない。アスカやロセッタよりも強くはない。国の権力者でもないからAから3まではあり得ない。彼は=3<X<8……4、5、6、7の中のどれかと見て間違いない。となれば最低で5、最高で8,25。平均値だけなら私はティルトを殺せる。カードの数で見た総幸福値で言っても私達は43、相手側は30から33!ラハイアさえ生きる気になってくれれば、私は彼を助けられる!

 血の一滴でも付着したなら私の勝ちだ。捨て身の私に、ティルトは戸惑う。当然だ。多少剣に慣れているとはいえ、村娘などに人殺しの思考回路が読めるものか。傷を恐れぬ者、死を恐れぬ者とどう戦えばいいのか、この少女はまだ知らないのだ。

 剣だけなら、力だけなら私の上を行くだろう。それでも今彼女は劣勢。気持ちで私に負けている。守りたい者の重さが違うんだ。安全な場所にいる女王を守るお前と、今正に殺されそうな彼を守りたい私とでは。

 私の血が毒で解毒薬だと知っているこの少女は毒に触れたらアウトだとも気付いている。だから血の赤にばかり目が行く。


 「っ……、これで終わりだ!」

 「くっ……」


 私はわざと彼女の攻撃を食らい、血を流す。その一瞬彼女が怯んだ隙に血まみれの片手を伸ばす!……と同時に鳩尾に蹴り。フェイントと騙し打ちはこの2年アスカから学んだものだ。

 力がないなら武器に頼る。今日の靴は強化靴。急所に食らえば、かなり痛い。彼女はしばらく起き上がれない。今のうちに止めを刺そう。血まみれの短剣を手に、私が彼女に近づいた。その私の背中をラハイアが呼ぶ。


 「もう止めろ……勝負は付いた」

 「まだだ。彼女はカードだ。この先私の仲間を……大切な人を必ず脅かす。ならば見逃す道理はない」

 「いや、ある。俺は聖十字だ。俺の前で何人たりとも殺人は許さない」


 処刑台を降りたラハイアに、私は風向きが変わるのを知る。


 「……ふむ、そこな聖十字。よくぞ妾の猫を助けた。褒美に一つだけ願いを叶えてやろう」


 女王は私とラハイアを見て、そんなことを口にした。


 「…………俺を、私をSuitと言うのなら、処刑の前に正式な裁判を開いて欲しい」

 「馬鹿っ!お前は何を言っているんだ!?」


 ここは無罪にしてくれだの命を見逃してくれだの幾らでも他に言うべき事があっただろう。なのにこの馬鹿は、何を言っているのだろう。

 私は掴みかかろうとしたが、両手が血まみれだったのでそれも出来ず立ちすくむ。


 「良かろう、そんなこともあろうかと、客席に教会の人間を招いておったわ。第三聖教会大司教殿、そのように取り計らって下さるか?」


 大司教と呼ばれた男は、ふてぶてしい笑みを浮かべそれに応じる。

 第三聖教会の最高権力者。数術使いに守られて、普段は居場所も掴めない。大きな表行事でも起きない限り姿を見ることも出来ない。


 「あいつが……お前を、亡命者達を売った男だな」

 「待てリフル、証拠がない」

 「お前はあいつを私に殺させるために、ここに誘き寄せたのではないのか!?」

 「違う!」


 殺しに行こうと歩き出す、私の腕を引くラハイア。血に触れてはいけないと、急いで私は振り払う。その勢いで私は、彼を怒鳴りつけた。


 「黙れ!この腐った国の教会をまとめる奴が知らなかったで済むものか!仮に知らなくともあれは万死に値する!お前をこんな所に引き渡したんだぞ!?許せるものか!」

 「ああ。許せないな。……だから俺は戦う。戦って無実を証明する。そして真実を曝く」

 「だが……」


 そんなものお前一人でどうやって。渋る私をラハイアがじっと見つめてくる。


 「ああ。だから……助けてくれ」

 「ラハイア……?」

 「情報を集めてきてくれリフル。俺と……共に戦ってくれ。そんな血まみれの剣ではなく、言葉の剣で」


 戦うのは最後の手段だ。まずは対話だ。すぐに暴力に走るのは、対話から逃げている。説得できない。解り合えないと諦めている。それは弱さだと彼が私を叱り付けているようだった。


 「……そこな聖十字の“恋人”よ」


 女王が私を一睨み。小さく微笑み、猶予を与える。


 「裁判は明日の正午じゃ。明日までにこの男を無罪にする証拠証人を集めて来るが良い!それでこの男が自由を勝ち取れたならば、其方二人共、何処へなりとも行くが良い!」


 もしこの不条理な裁判の中、ラハイアの無実を証明出来たなら、私も彼も諦める。女王がそう、約束する。


 「……お前は本当に馬鹿だ。こんな面倒臭いやり方を選んで」

 「……すまない」

 「だが、面倒臭いお前が好きだ。必ず無罪にしてやるから、首を洗って待っていろ!」

 「首を洗う意味がわからん」

 「まったくお前は子供だな。首筋に口付けて甘噛みしてやるの意に決まっているだろうが」

 「誰が解るか!そんないかがわしいことをっっ!!そしてそんな用法例えはなかったはずだぞ!?」

(細かいことを気にするな。一応今は私がお前の恋人役という設定なんだ。少しは周りの目を気にしろ。ここで観客を味方に付ければ、それだけで明日は少し有利になるんだから)


 小声で私は彼に忠告をする。正義が正義でそれだけで何時でも勝てるなら私だってこんなことはしない。それで勝てそうにない相手だから私も小狡い手をこうして使っているのだ。

 一応観衆の目には、言われ無き罪で犯罪者にされた聖十字のもとへ、その恋人である少女が傷だらけになって彼を助けに来たと言うことになっている。


(というわけだ。少しは私に話を合わせろ)

(ふ、不本意だ……)


 頭を抱える彼に、私は小さく吹き出した。こんな私に嫌がる顔も、もう二度と見られなくなるところだったのだ。今私がどんなにほっとしているか。お前は全然解っていないのだろう?それなら少しくらい意地悪しても良いじゃないか。


 「ライルっ……私、貴方がいなくなったら生きて行けないっ!貴方みたいな人が人を殺すはずがありません!今だってあの子を助けたではありませんか!」

 「リフル……」

 「私、必ず貴方の無実を勝ち取ります!待っていてくださいね!」


 血が付かないようにそれでもそれっぽく見えるよう演技をし、彼に身を寄せる。そんな私の演技に付き合って、彼も血に触れないようにそっと私を抱き締める。演技なのだと解っていても、少し気恥ずかしい。こんな風にされると、彼に正体がバレた日のことを思い出して。もっと凄いことは他の奴に幾らでもされてきたと言うのに。これしきのことで私を照れさせるとは、この男もなかなかやるな。

 そっと視線を上げてみれば、彼も慣れない演技に照れている。それが逆にそれっぽいというか初々しいというか真実味を増している。観客の殆どは騙されていることだろう。

 掴みはオッケー。これなら行ける。それどころか観客が何かアンコールのノリで変なことを言い出した。


 「そこな悲劇のバカップル。低俗な愚民共が其方らの口付けをご所望のようじゃ」

 「!?」


 貴女は私の正体知っているだろうが。そう怒鳴りたいのをぐっと堪えた。

 お気に入りの猫を私に苛められた事への苛立ちを、これでチャラにしてやると言わんばかりの満面の笑み。私の嫌がり照れる顔が堪らんと彼女が笑う。


 「ふ、ふざけるな!こ、こんな人前で……俺は晒し者かもしれないが、彼女は違う!」

 「聖十字、妾に逆らうなら今すぐ裁判を始めても良いのだぞ?」

 「くっ……」


 不味いなこれは。姉様が私に探りを入れて来ている。私が毒で死なない体質だと知り、どこまでどんな力があるのか試しに来ている。例えば口付けで人を殺せるのかどうかまで。


(こうなった以上姉様に逆らえばこの場で死刑だぞ。減る物でもない、諦めろ)

(へ、減る物ではないが……しかし)

(と言うか一度やったろうに。万が一の時はちゃんと解毒してやるから安心しろ)


 私は赤く濡れた指先で、下唇に紅を引く。屈んだ彼に口付けて、群衆の期待通りの方をやってやる。そうすることで彼に毒が行く。そこですぐさま唇の血を舐め取って彼に与えて解毒する。全ての絡繰りが解っていない人間が見れば、私が積極的にやった位にしか見えない。姉様も口付けでは死なないのかと勘違いして理解してくれたようだ。


 「く……っ」


 公衆の面前でこんな事をする羽目になるなんてと羞恥に震える聖十字。まぁ元気を出せと笑み掛けて、離宮へと連れて行かれる彼を見送る。その姿が見えなくなる前に、私もアスカとロセッタの方へと走る。この一日が勝負。トーラがいないのは痛いが、完璧な情報さえ集まれば、ラハイアの無事は約束された。


 「アスカ!ロセッタ!」


 二人に駆け寄る前に、オルクス達の方を確かめたが、もうそこに奴らは居なかった。これからどう動くのか心配と言えば心配だが、今はそんなことはどうでも良い。


 「……どうかしたのか?」

 「あ、あんたねぇ……少しは恥じらいって物を」

 「そうだぜ。慎みってのを持てよな。ったく……」


 何故か二人ともとても機嫌が悪かった。アスカは解るが、ロセッタの意味が解らない。ああ、そうか。ロセッタはラハイアに惚れているのだったか。ならば悪いことをした。


 「間接で良ければお裾分け出来ると思うが、要るか?」

 「誰が要るかっ!!馬っ鹿じゃないの!?」


 名案だと思ったのだが、思いきりロセッタにビンタをされた。


 「お前って時々……うん、ちょっともう少し女心考えてやれ。な?」


 寄りにも寄って私より女性経験の浅いっていうか皆無なアスカにそんなことを言われるなんて、少し屈辱的だった。


 *


 「さて、裁判ということだったが聖十字」


 ラハイアが離宮の中に入って、女王に連れられてしばらく。拓けた場所に出た。そこが法廷なのだと解る。明日の下見だろうか。


(それにしては……)


 妙だ。だって法廷の中に絞首台があるっておかしい。そう思った俺に、にこりと女王が笑う。


 「気が変わった」

 「は!?」

 「いや、裁判自体はしてやる。唯、少々苛ついてな。妾の最愛の弟に、妾より先にディープ口吸いをするとは全く持って遺憾よの」


 それは貴女がやれってさせたんだろうが。言い返そうとしたが、震えて声が出ない。女王の目が笑っていない。深紅の瞳が血色の瞳がギラギラと殺意に燃えている。こんな理不尽な理由で、俺が殺されるのか?わけがわからない。しかし女王はその理不尽のまま、それを執行しようとする。


 「処刑と裁判の順を入れ換える。何、後に其方が無罪になることもあるだろう。気に病むことはない。その時は其方は無罪とちゃんと認めてやるからのぅ。さぁ、今度こそ上って貰おうか。今度は頭から13階段、本番じゃ!」

 「断る。約束を違えるのか!?女王!!貴様はそれでもあの男の姉なのか!?」

 「妾は嘘は吐いていないぞ?裁判は約束通り明日執り行う。唯処刑が明日やるとは妾は一言も言っていない。それだけよ」


 殺されてもそこで有罪決定というわけではない。それなのにこの階段を上らないのは、上れないのは何かやましいことがあるからではないのかと、俺を挑発する女王。


 「このラハイア、そのような挑発には断じて乗らんっ!」

 「それならそれでも良いが、其方が階段を上らなければ、一時間おきに一人ずつ、教会の人間を殺すことにしようかの」


 一段上る事に、殺す予定の人間一人の命の保証をしよう。女王はそんなことを言う。

 これから行われるはずの処刑に心躍らせていた、聖職者と軍人達。観覧席を陣取る彼らに、控えた兵士が剣を向ける。


 「た、助けてくれ!儂は死にたくないっ!」

 「め、命令だ!これは任務だラハイア君!今すぐ階段を上るんだ!!」

 「そうだ!上れ!出世頭か何だか知らんがお前はまだ我々より偉くない!上官の命令は絶対だ!そうだろう!?」


 中には軍人もいるだろうに、人に指図することに慣れて剣と銃も満足に扱えない。城の兵士に勝てない、金ばかり食って肥え太った豚共が。そんな者達が俺に死んでくれと懇願、命令、大騒ぎ。


 「救えん屑が……」


 こんなのが上司と上官だと思うと、俺は今まで何処にいたのか疑問に思う。正義を信じて来たはずなのに、この場所はあまりに暗く淀んで光も見えない。これほど醜い物を何故俺に見せる。俺はこの世の美しい物を信じたくて、証明したくて生きていたそのはずなのに。どこまで俺を試すのだ。この性根まで腐りきった奴らを相手に、改心なんて本当に……出来るのか?俺が命を投げ出したってこいつらは絶対改心何かしない。無理だ。目に見えている。

 悔しげに舌打ちをする俺。その表情を覗き込んで女王は良い笑顔。さっきは少しこいつも見所がある、改心の余地があると……そう思ったが間違いだった。この女は本当に俺を困らせ苦しませることを愉しんでいる。


 「なるほど、其方は狡賢いのぅ。其方を売った人間が一人ずつ死んでいく。其方に不利なことを言う人間が減っていく。明日の裁判が有利になる。手を汚さずに復讐が出来る。其方はほんに悪魔のような男じゃな」

 「このラハイアを、……聖十字を侮辱するな!」


 そうだ、俺は聖十字だ。何があっても悪には屈さない。それでも……


 「いいか良く聞けそこの屑共!俺は貴様らが大嫌いだ!神に仕える身でありながら、人の命を軽んじ、金のために人を売るその神経!その癖自分の身に危険が走ると死にたくないだと?ふざけるな!貴様らは滝に打たれて悔い改めろ!その腐った性根を叩き直して来い!いいな!」


 俺は別にこの腐った奴らのために死ぬわけじゃない。俺は俺のために。俺の信じる正義のために……


 「この俺の前で、誰一人殺させはしない」


 顔を上げ階段を、一段一段踏み締めて……俺は上り詰める。一段進むごとに、丸く作られた輪が少しずつ大きくなって、その縄の太さを荒々しさを俺に伝える。

 一段上る事にほっと息を吐く者達。自分の命は助かった。免れたその余裕から、軽く殺意を覚えるような口汚い言葉を俺に吐く。


 「ちんたらしてんじゃねぇ!さっさと上れ!」

 「ここまで来てぶるっちまったのか!?綺麗事の偽善者が!!」

 「正義だって?若いって愚かの代名詞だねぇ。ん?どうしたんだ?足が止まっているよ?」


 俺はなんのためにこんな所まで歩いて来てしまったんだろう。片耳で揺れる十字架は、彼女に貰ったものだ。俺の物はあいつに贈った。俺のために情報を集め回っているだろうあいつの首で揺れている。だけどこの片耳の片割れは、今どこにいるのだろう。


(ジャンヌ、君は今……どうしているだろう。君ならこんな時……どうしたんだ?)


 短気な俺はすぐにこの階段を飛び下り観客席に喧嘩を売りに行く。彼女に出会う前の俺ならそのくらいしただろう。奴らを殴ってでも謝罪の言葉を引き出して、暴力で改心をさせることが出来るのならば、幾らでもぶん殴っただろう。

 だけど俺のやり方で駄目だったことを、彼女は変えた。多くを変えた。だから俺も彼女を見習った。あいつは少し彼女に似ている。そのやり方が似ている。誰かのための罪を被って、手を汚そうとする姿が、この眼に焼き付いて離れない。

 俺が喧嘩をし謹慎を受けた時、それを解いてくれたのは彼女だ。相手を殴ったのは俺ではなく自分だと言い張り謹慎を受けた。それを知った俺が抗議した時、彼女は笑っていた。


 “だって貴方は、苛められていた子を助けるために殴ったんでしょう?貴方がそうしなければ私が殴りかかっていたかもしれません”


 俺がここで死んだなら、戦争が始まるのか。彼女の様な優しい人が、正義のために手を汚すのは見たくない。シャトランジアに戦争の糸口を見つけさせてはならない。悪を討つための戦争なのに、悪人は命令をするだけ……そして優しい人に人殺しを強いる。拭えない罪を知るのは、そういう者達なんだ。

 リフルがいつも悲しげな目をしているのはあいつがその罪を知っているからだ。死なせてしまうことがこんなに辛いのに、人を殺した者が知る悲しみは、苦しみは……どんなに深くて重いのだろうか。


(リフル……)


 俺がここで死ねば、ラディウス失った時のような痛みを俺はあいつに与えてしまうのだろうか?俺がこんなよくわからないものに汚された正義を語ることで、死んだとしたら笑うだろうか?あいつは……怒って多くの人を殺してしまうのだろうか。この豚共を、俺の仇として……殺しに行くのだろうか?

 それは駄目だと、止めてくれと言おうにも俺にはもう伝えられなくなる。最後の一段が踏み出せない。後一歩。それがどうしようもなく重いのだ。


 「な、何やってんだよ……馬鹿姫。なんだよ……なんなんだよ、これ」


 突如響いた少女の声に、俺も女王も振り返る。そこには手当をされたティルトの姿。彼女はもう起き上がれるようになったのか。

 彼女の無事に、胸をなで下ろす俺。俺を見て、彼女も何か言いたげにしていたが……この状況を前に取り乱す。


 「馬鹿姫!俺の命の恩人に、なんてことしてくれてんだ!ラハイアに何かするってんなら……俺が今ここで、あんたを殺す!」

 「ふむ。よく考えれば上には12人しかいなかった。妾としたことがうっかりしておったわ」

 「放せ!何でこんな女の言うこと聞くんだよイオスっ!!」


 女王の側に控えていた無表情なカーネフェリーの騎士が、女王の命でティルトを押さえつける。そして彼女を黙らせるように、その首筋に剣を押し当てる。


 「あんな糞爺共では其方もテンションが上がらぬだろう?胸はないとはいえこの猫も一応女。ヒロイズムに酔って命を投げ出す気にはなれるだろう」


 女王は扇を仰いでくくくと笑う。


 「さ、熱血色男。其方の正義とやらは女子供を見殺しにするようなものだったかの?」


 その声が決め手だった。


 「…………ティルト、頼みがある」


 俺は最後の一段踏み出して、白銀の十字銃を彼女の方へと投げた。それをあいつに渡してくれと……それから言付けを頼むことにする。


 「リフルに伝えてくれ。このことで誰も恨むな。誰も殺すな。俺は俺と……お前の正義を信じていると」

 「嫌だ!止めろ!止めてっ!あんたみたいないい人が!死ぬなんて!殺されるなんて、そんなのおかしい!間違ってるっ!!」


 ティルトは顔を上げて女王を見る。涙でぐちゃぐちゃになった顔で、女王に懇願する。


 「刹那っ……刹那姫。……女王陛下!!俺は……私はなんでもします!だからこの人を、殺さないでください!!」

 「…………」


 その視線を女王は冷めた目で見やり、やがてにぃと口角を釣り上げた。


 「猫よ、一つ妾の問いに答えよ。其方はこの男をどう思う?」

 「優しくて、凄い良い奴で……親切で……」

 「そうではない。好きか嫌いかじゃ」


 今度は何を企んでいるのか。この女王は妙なことを言う。正解のない質問。何を言ってもどちらを選んでもそれ以外を言ったとしても女王は俺を殺す気なのだ。それはリフルにあの問いをした時点で決まっている。この女王の最愛の人に、必要以上に近づいた。それはこの女王にとって何よりの大罪だ。

 しかしこの問いの意味が解らない、少女は簡単に答えてしまう。今更どうにもならないことだから、俺は彼女を怨みはしない。一種のすがすがしさを感じるほど、まっすぐな答えを聞いていた。


 「好きに決まってんだろ!嫌う理由があるわけない!こんな凄い奴、他にいるもんか!」


 その一言に、俺は僅かに救われた気になる。

 正しいことをしてきたつもりでも誰にも感謝されずに当然だと言われることの多い世の中。ここまでの12階段。12人誰にも俺は感謝をされなかった。

 13人目の人間は、裏切り者。女王にとっての裏切り者。俺にとっての初めての味方。そして最後の救いだ。


 「そうか。ならば妾も殺さない理由などありはせぬ。妾はそういう完璧パーフェクト超人が何より嫌いなのだ。存在自体嫌味で鼻につく」


 騎士に命じてティルトの首の剣への力を強めさせる女王。一筋の血が彼女の白い肌からにじみ出す。


 「この女の首を刎ねられたくなくば、いい加減そこから飛び下りよ聖十字!其方の正義を示してみせよ!」

 「止めろッ!駄目だラハイアっ!!」

 「ティルト、伝言よろしく頼む……くれぐれも奴と喧嘩などしないようにな」


 それは願いだ。それは祈りだ。同じ名前を持つこの二人が、殺し合う事なんてあってはならない。解り合えるはずだ。俺とあいつも、俺と彼女も解り合えたのだから。あいつと彼女が解り合えないはずがない。必要なのは対話だ。俺の伝言が……その対話の種になればいい。


 「い、嫌ぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 少女の悲鳴が響く中、俺は空中へ踏み出した、その刹那に思い出すのは……別れ際、照れたように笑っていたあいつの笑顔。明日あいつがどんな顔で俺を見るかと思うと胸が痛む。またあいつは泣くだろうか。泣くのだろうな。……自惚れじゃない。解るんだ。あいつはそう言う奴だって。

 俺の我が儘。俺の正義のために、あいつの心を犠牲にする。それを申し訳なく思う。


(……ごめんな、リフル)

当初のプロットと大分話が変わったけれど、各人のことを考えたらこうなるのかなと。

より主人公らにとって辛いことになりました。ラハイア編なのにラハイア死んだ後もちょっと続くんです。ごめんなさい。

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