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54:Quem di diligunt adolescens moritur.

 ファルマシア=リーベスト。それは私……ロセッタの二人目のご主人様。

 それは……嫁入り先で混血の血に目覚めて、再び奴隷になった私のこの髪を美しいと言い買い上げた女の名だ。

 彼女は重度の混血マニア。美しい物、珍しい物に目がなかった。表は孤児を引き取る振りで、小さな修道院を経営していた。その場所はよりにもよってこの世で一番平和だと呼ばれたシャトランジア。

 私の見事な赤を見て、彼女は私をメディシーと名付けた。薬を捩った名前だという。私の赤が見事な毒に見えたからという理由。ひねくれ者のこの女らしい皮肉な名付け方だと思った。

 あることないこと、あってないような理由を付けて彼女は子供達を地下室へと引き摺り込む。蟻地獄のような女だ。


 「止めなさいよ!この子嫌がってるじゃない!」


 来たばかりの私は何故その子が泣くのか嫌がるのかわからなかった。だからその子を庇って身代わりになった。

 あの頃の私は小さな正義を振りかざして、強がって生きていた。本当は誰かに助けて欲しかったけど、誰も助けてくれないなら私が助ける。そう強がって幼なじみ達を逃がしていい気になっていた。それで私が救われるわけ無いのにね。

 でも良いことをすればいつか、私にそれが返ってくる。幸せってそういうもんだと信じなきゃやってられなかったのよ。私の優しさは全て見返り欲しさの乞食のよう。

 私はこの暗がりから救い出してくれる蜘蛛の糸を待っていた。そのために私は蜘蛛を助け続けたのに、私が落ちた先は女郎蜘蛛の巣の中だ。信じられなかった。何でこんなことになったのか。

 前のご主人様……未来の旦那様の家では丁重に扱われていて、花嫁修業の毎日で……蝶よ花よと可愛がられた。正式な妻となるまで褥を重ねることはないと、年の離れた夫は私を娘のように優しくしてくれた。いつかは私もその人を愛せる日が来るだろうか?そんなことを考えていた矢先に髪色変わって、彼は私をいきなり冷たく罵った。訳が分からないまま私は、こんな所まで来てしまった。

 その一度の行為が、全て壊した。これまでの常識が倫理が価値観が、全て破られた私の……

 悔しそうに睨む私をあの女は気に入ったと笑うのだ。全て終わった後思い出したよう顔を近づけるあの女。私が舌を噛み切ってやろうとしているのを見て、あいつは口付けだけは諦めた。

 あの場所は修道院とは名ばかりで、隠れ蓑も良いところだ。悪の温床その場所はろくでもないところだった。シャトランジアやセネトレアで材料を集めて、ろくでもない物を作ってはセネトレアに売り捌く。その儲けた金でまた新しい奴隷を囲う。


 「メディシー?さぁ、ちゃんと言わないと解らないわ?」


 私が壊される。私の脳が壊される。負けるもんか。こんな奴に。私は今日もあいつを睨む。薬漬けにされたってこいつの望む言葉なんかやらない。憎しみだけが私を正常に保ってくれる糧だ。

 だけどこの女だけへの憎しみじゃ足りない。もっと糧が必要だった。そこで私が憎んだのが殺人鬼Suit。

 あの男がちゃんと私を助けてくれたなら、私はこんなところまで流れ着きはしなかった。

 こんな行為。こんな好意。間違っているこんなのおかしいわ。私にだって好きな奴くらい一人くらい居たんだわ。それなのに私を抱くのはその人じゃなくて、男ですらなくて。跳ねっ返りの私を愛しいと囁くのは最低な女。

 どうして私が混血の血になんか目覚めたのよ。あの男だ。あの男だ。あいつに出会ったのがいけないんだ。タロックにいた頃は混血なんかに出会わなかった。混血に出会うことで私は混血にされたんだ!あの男の所為。あの男の所為!あんな男大嫌い!男なんか大嫌い!でも女だって大嫌い!

 修道院の子供達だってみんな大嫌い!助けてあげたのに!私を助けてはくれない!それどころか私をとても汚らわしい物のように言う。どうしてそんなことを言うのよ。寵愛を奪った?はぁ?何それ?関心が無くなった子は、酷い目に遭わされる?これ以上何があるって言うの?もう既に最低最悪酷い目じゃない。

 私ばかり気に入られて?綺麗な服を着ていられるって?馬っ鹿じゃないの?あの女がそれを着せるのは、脱がせるのが楽しくて堪らないからよ。男勝りを演じている私が綺麗な洋服で浮かれたりなんかしてみなさい。それをネタに酷い目に遭わされるわ。綺麗なドレスもすぐに汚されてしまうわ。だからまた新しいのを買ってくれるだけ。


 この場所は誰かが誰かを怨まずには居られない吹きだまり。苦しいから誰かを呪う。私の呪いが向かったのがSuitの所。その憎しみが限界まで来た時、私は吹っ切れた。

 あいつを見てきたから私は人殺しの禁を科せてきた。あいつのようにはならないと、強い意志で耐えてきたの。

 だけどもう駄目だわ。目に映る全てが憎くて憎くて仕方ないのよ。みんな消えてしまえばいい。みんな死んでしまえばいい。

 隠し持ったナイフであの女の腹を切り裂いて。その隙に私は逃げ出して油を撒いて火を付けた。誰も私を止められない。私の足に付いて来られない。みんな炎に包まれて、綺麗に燃えてしまえばいい。浄化して清めて欲しい。この穢れをこの世の罪を。

 燃える修道院の中、私は寝転んで。このまま私も終われるんだと目を閉じて……だけど涙が止まらなかった。なんのために私は生まれて生きて来たのか解らない。嫌なことばかりしかなかったわ。ろくでもないこんな人生。呪っても呪っても全然足りない。炎がもっと広がればいいのに。この星を全部焼き焦がすよう。そしてこの火が怨みの煙りが天まで届けば良いのよ。そしてその熱で神さえ焼き殺してしまえ。

 だけど雨が降る。私の傍に。私だけに降り注ぐ。

 不思議だなって思った。私は悪いことしかしてこなかったのに。私の死神は天使みたいに愛らしい。そして私はその子に見覚えがあった。

 奴隷通りですれ違った子だ。あの時は二人いたけど、今は一人。金髪に金の瞳の可愛らしい双子の子。今は一人、冷たい雨を降らせて私に手を差し伸べる。


 あの日私はあの子達を哀れんだのだった。あの子達はあんなに綺麗な混血なんだから、きっと酷い目に遭うんだわ。それなら純血の私はまだまだ幸せね。そうやって他人の不幸を見て、自分の幸せを確保した。これはそんな罪深い私への罰だったんだろう。私は浅ましく醜い人間で、だからこんな惨めな死を遂げる。

 この子はきっと死んでしまったのだ。私に恨み言を言うためにここへ来たのだ……だけどその子は私を深く哀れむように見る。


 「遅くなって、ごめんなさい」

 「どうして……貴方が私に謝るの?」


 酷いことをしたのは、私の方なのに。


 「貴女は何も悪くありませんよ。これはこうなる前に貴女を救えなかった僕の罪です」


 そしてその子は私を許した。私の罪を許した。


 「貴女の言うよう、この世界は間違っている。誰かが作り直さなければ、何時までも貴女のような罪無き罪人を生み出してしまう。力を貸してくれませんか、ロセッタさん?」


 何で私の名前を知っているのかとかそんなことは気にならなかった。その琥珀のような透き通る目は、何でも知っているように見えたのだ。


 「僕はイグニス。僕は聖教会の次期神子で、この世で一番嫌いな物が神様です」


 あの人は私に、この醜い世界を作り直そうと言った。そのための力になって欲しいと。人殺しは確かに罪だ。それでも意味のある殺しもある。

 燃え尽きたその場所を見て、あの人は笑った。これは意味のある殺しでしたよと。


 *


 「この子が普通じゃないのは解るわよ。ここまで薬の効かない子は初めて。取っておきのを使って、やっと大人しくなった」


 私の言葉をファルマシアは恐れない。あいつが毒人間とも知らず、その首筋を舐め上げる。いっそ噛み付けば良かったのに。残念ながら今のあいつは汗も涙も出ていない。まだ毒殺は出来ない。


 「まぁ、初めてじゃないって言うのは残念だけどこれだけ可愛い子だもの。まだ楽しみは十分にあるわ。だってそれってこの子こんな涼しげな顔をしておきながら、薬漬けにされるくらいいっぱいされちゃったってことでしょ?こんな可愛い顔してド淫乱だなんてとっても愉しみよ」

 「……っ」

 「あらぁ?震えてるの?可愛いわね坊や」


 リフルの顎と胸を撫でてファルマシアが笑んだ。この女は私が親しくした奴隷にその矛先を向けることがあった。これはそれと同じ……私の目の前で何人こいつは抱き殺しただろう?

 私に関わるとそうなるって。あの場所に友達も味方も誰もいなくて。苦しみを分かち合う相手もいない私。依存させ、絡め取ろう、そんなあくどいやり方で。この女は私を手に入れようとした。心が折れれば薬に負ける。何も考えられなくなる。それが解るから私は強く憎んだ。Suitを……この男、リフルを。


 「…………」


 震えてる。だけどこいつの目は怯んでいない。じっと私を見つめている。何かを言おうと伝えようと必死に。

 このまま見ていれば……刺激にはなる。最悪の方法だけどオルクスに、ヴァレスタにされたことを思い出すかもしれない。いつものあいつに戻るかもしれない。だけど、そこに留まる保証はない。今度こそ壊れてしまうかもしれない。思い出したら……こいつが、壊れる。

 あいつという人質が居る以上、私は撃てない。


 「そいつを放しなさい、ファルマシア」


 私は片手で服を少しはだけさせる。こんな真似したくないけれど、他に方法がないじゃない。


 「あら?メディ……焼き餅?言葉は態度は男勝りで刺々しいけど、悲しいまでに貴女は女ね」

 「勘違いしないで欲しいわね。そんなんじゃないわ。私は仕事でそいつを守らなきゃならないだけ!……っ、だから!そいつにやるなら私にしなさいよ!」

 「それなら貴女に似合わないその黒くて硬い物をしまってもらおうかしら?」


 銃を捨てろと奴は言う。だけどその時リフルが顔を上げて私を見た。


 「私を撃てロセッタ!私ごと撃つんだ!」

 「え……」

 「ロセッタ。君には権利がある。君を救えなかった私を殺す権利が君にはある」

 「そ、そんなの……」


 意味ある殺しだとは思えない。だってそれは唯の復讐じゃない。世の中のため、より良い世界のため。そういう理由がないと、私の殺しは正当化されないのよ。

 こいつは殺人鬼。人殺し。だけど……だけど……それだけじゃない!


 「同じ銃なら君の銃が良い。その黒くて硬い物でぶっ放してくれないか?私の最期の我が儘だ」

 「ば、馬鹿!こんな時にあんたまでそんなこと言わないでよ!」


 冗談めかして下ネタを絡めてくるあたり質が悪い。


(リフル……)


 2年前初めて見たあいつは死んでるみたいに見えた。だけど目を開けて優しい目で私を見た。今日もそうだ。良かったと……私の無事を喜んだ。

 こいつは人殺し。こいつは犯罪者。それでもこいつは……


 「…………さよなら、リフル、あんたのこと大嫌いだったけど、今はそこまででもないわ!」


 意を決し顔を上げた私。リフルごと撃ち抜いてあげる。銃口を向ける私に一瞬あの女がたじろいだ。


 「メディ?そんな脅し、私には効かないわよ?」


 私は引く。引き金を引く!火花とその音に誰もが目を伏せる。その瞬間私は走り出す。鎖に繋がれたリフルを抱いて飛び上がる。

 無駄に長い鎖を手繰って、鎖に掴まり振り子のようにその場を離れる。それが再び元の場所に戻る前に、私はもう一丁の銃に持ち替えた。


 「あんたのことは今でも大っっっっ嫌い!でも光栄に思いなさい。女として死なせてやるわ」


 私は今度こそ本当の引き金を引く。

 数術弾は元々弾に数式が込められている物と、真っ新な弾がある。唯弾を飛ばすだけじゃ、教会兵器とは呼べない。少なくとも裏方仕事の私らの武器とは呼べない。

 真っ新な弾はそのまま撃っても勿論攻撃できる。だけどね、それだけじゃないのよ。

 この教会兵器は凡人の私を数術使いに変えてくれる。真っ新の弾に瞬時に私の思いを読み取って、相応しい数式を刻んで展開してくれる!


 「喰らいなさい!教会兵器“数値分解弾”!」


 ファルマシアのその身体に、開いた小さな穴。それがみるみる広がってその身体を数字を分解していく。血も肉も骨も欠片も残さない。


 「私の自慢の銃の味はどう?絶頂越して絶命もんでしょ?」


 もう何も言うことが出来ない、消滅した人間相手に私は勝利を宣言する。

 唯私の怒りの威力が強すぎて、あいつ一人だけじゃ足りない。周りの物をも飲み込んで全てを0へと帰していく。私は鎖を上って、天井付近に退避する。そしてその被害が収まったのを見て、眼下を強く睨んだ。


 「教会に手ぇ出したらどうなるか、解ってんでしょうねぇ!?」


 私の声に震え上がった人間達が蜘蛛の子散り散りに逃げていく。私一人であれ全部捕まえるのは無理。あれ全部殺したら、それこそこれが火種になる。これで足を洗わなかったらまた表で教会がとっちめるなり裏で私が殺しに行くなりしなくちゃいけない。

 でもあいつが今度こそちゃんと消えた以上、ここまでのことにはならないはずだ。

 私は鎖を引き千切って、あいつを抱えたままフロアへ降りる。

 私は勝った。とうとう勝った。今度こそ、あの女を殺した!殺せたんだ!だけど……達成感よりと同等の虚しさが胸を占める。私はあいつを殺したから人殺しに、運命の輪になったのに。あいつが死んでいなかったなら、運命の輪になる意味もなかった?


(……ううん、そんなことない)


 そんなの鶏と卵。今私はあいつを殺した。同じ事だわ。大差ない。

 私には許せない物がある。憎しみが怨みが、呪いがある。それを抱えながら私が歩く道を示してくれたのは神子様。汚らわしいこんな私でも、人を愛せない私でも、世界という遠い概念でなら……祈ることが出来るんだ。

 あいつは世界平和のために要らない人間。これでまた少し世界は平和に近づいた。それに……

 腕の中抱きかかえる人は温かい。守れたんだ。私にも、守れたんだ。こいつが私に何をしてくれただろう?私がしてやっただろう?もうどうでもいい。今は、この馬鹿が生きていてくれることが私は嬉しい。


 「ロセッタ……」

 「何?」

 「いや……ありがとう」


 鎖を壊してやれば、リフルが恥ずかしそうに私に礼を言う。男なのに女に助けられて情けないとか思っているのかしら。


 「今日の女優賞はあんたの物よ」

 「今は女装をしていないのだが……」

 「リフル!ロセッタ!」

 「アスカ!」


 私から離れ、アスカに駆け寄るリフル。ああやって自然に抱きつけるから野郎って羨まし……くなんかないわよ全然。でもちょっと苛ついたので私はアスカに嫌味を言う。


 「あんた今日出番無かったわね」

 「そ、そう言うこと言うなよな……」


 頭を掻いたあと、アスカは私に片手を差し出す。


 「でも助かった。嬢ちゃんが……ロセッタが居てくれて助かった。こいつを助けてくれてあんがとな」

 「仕事だから仕方なくよ」


 顔を背けて、でも手はちょっと触ってやった。


 「にしても凄ぇな。さっきの片方空砲だろ?」

 「威嚇にはあれで十分よ」


 私が最初に撃ったのは空砲。その隙に私は飛んだ。


 「それであの女何処の牢屋に飛ばしたんだ?」


 ああ、この男はあれが空間移動か何かだと思っていたのか。


 「教会の機密事項であんま詳しくは言えないけど、死刑執行用の弾よ。そんなにホイホイ使えるもんじゃないわ。唯、死体も残さず始末できる便利な弾よ」


 私の言葉にアスカは教会って怖ぇえみたいな表情を浮かべるが、リフルはそんなでもない。私とあの女のことを邪推しておろおろしている。どうしてこう普段はほんと女々しいのかしら。さっきはちょっと……立派に見えたのに。


 「ロセッタ……」


 間に合って良かった。それが間違い。間に合わなくてごめん。そっちが正しい。それを知ってこいつはこんな顔になっているのだ。

 少し似てると思ったけど……全然似てない。少し神子様に……こいつが似てるだなんて、私何馬鹿なことを思ってしまったんだろう。こいつは私を哀れむ顔じゃない。自分自身を呪う目をしている。


 「あんたには関係ない。だからこの件に関してはあんたは悪くない。悪いのは……悪いことする奴よ。でしょ?」


 私がそう強く言えば、リフルはああと頷かざるを得ない。押しに弱いわねこの男。


 「んじゃ、近場の教会に後のことは任せて……あの女が連れてたって奴隷保護させるわね」


 私は神子様に連絡を入れ、至急この場所にこの島の聖十字を派遣して貰えるようにしようとした。しかし私の話を聞く、神子様の声は少し強張っている。


(神子様?)

 《落ち着いて聞いてください、ソフィア》


 名前に力が籠もっていた。これは私を運命の輪として呼んだんだ。


 《ラハイアが、城に捕まりました》


 *


 世の中にはどうしようもないことがある。運命の輪なんて大それたもの名乗ってても所詮は俺らも人間だ。

 そんでも俺らは裏の人間。思い入れをしちゃいけねぇ。そいつがどんなに良い奴でもだ。

 それでも時に悩むのは、俺らも人間以外にはなれていないってことなんだろう。


 《それじゃあ詳しくはラディウス、貴方が話してください。ソフィアに回線繋ぎます》

(ちょ、神子様そりゃねぇよ)


 神子の言葉にラディウスは狼狽える。しかし回線は繋がれ、新たな声が脳へと響く。


 《どういうことよラディウス!あんたがついていながら!!》

(ソフィアー……んなこと言ったってフォローにも限度があるって)


 噛み付いてくる同僚の声に頭を抱えるが、向こうからはそんなモノは見えていないのだ。だから気を使ってもくれない。

 城と教会両方を行き来する俺の諜報活動もさることながら、あの坊やはフットワークが軽い。仕事の面に関してだけ異常なほど。時間外労働が好きにも程がある。金金金のセネトレアで、給料分以上の仕事をして笑っているのはあいつくらいだ。そんなあいつだからこそ、俺もソフィアも……運命の輪の大半はあいつに入れ込んじまってる。あいつは正義の化身だ。この世界が失ってはならないものだ。それでも神子は言う。こうなった以上仕方ありません。もう既に、決まってしまったことですよ。そんな預言めいた口調であいつを諦めろと俺達に言う。それでもソフィアは諦めきれないのだろう。だから傍にいた俺をこんなに責めるんだ。


(っつってもよー……なんたって第三聖教会全部が敵なんだ。運命の輪が二、三人いたところでどうにもなんねぇよ)


 全員殺すくらいなら簡単に出来るかもしれないが、それで物事の収束を図ったら絶対表沙汰になる。あくまで運命の輪は存在しないししてはいけない組織。裏で事の解決を図らなければならない。あんまり神子の予言から外れたことをして、収束の目処も立たない事態に至っても困る。

 それでも俺は知りうる限りの情報を神子とソフィアへ流した。そこからどう動くかはあの可愛子ちゃん次第だ。それで預言が覆るとは到底思えないが、やらないで後悔したいかやって後悔したいかは人によって違うだろう。


 「にしてもお前馬鹿だろ?」

 「馬鹿は馬鹿でも俺は唯の馬鹿ではない」

 「へいへい、熱血正義馬鹿」


 また地下牢に戻された俺の自慢の同僚。教会の奴らに痛めつけられたのはあちこち傷、痣だらけ。


 「ったく……ちょっと見ねぇ内に随分色男面になったじゃねぇか」

 「まぁな」


 こいつのことだ。殴り返さなかったのだろう。本当馬鹿だなぁ。馬鹿みてぇにこいつは……何時でも正しくあろうとする。

 こいつが教会に戻ったのを、城に密告した阿呆が居る。女王はこいつに懸賞金を賭けていたのだ。


 「そんな色男のお前のことだ。あの可愛子ちゃんがこのまま帰って来なきゃいいと、そう思ってんだろ?」

 「……さぁな」

 「おいおいー。熱血野郎がんなクールな言い回しまであの可愛子ちゃんを真似るなよ。移ったか?」

 「移ってなどいない!なぜ俺が奴の真似なんかを……」

 「……にしても馬鹿だろお前も。抵抗するなり逃げるなりすりゃあ良かったのに。お前の射撃の腕なら余裕だったんじゃね?」

 「身の潔白を証明するのに逃げる必要も暴力を振るう必要もない。必要なのは言葉だ。対話だ。討論だ」

 「世の中お前みたいな人間だけだったらそれも可能なんだろうけどさ。生憎この城にそんな人間は一人もいねぇんだよ」


 この国にだって何人いるか怪しいもんだ。そんな相手……あの殺人鬼、可愛子ちゃん位しかいないんじゃないだろうか。


 「そりゃ、お前を餌にすればあの可愛子ちゃんなら駆けつけて来るだろうさ。あの子はお前にメロメロだからな」

 「妙な言い方は止めてくれ」

 「事実だろ?」

 「そんなこと俺は知らん。奴に聞け」


 世の中にはどうしようもないことがある。俺がここでまたこの間のようにこいつを逃がしても、こいつは自分の足でここに帰ってくる。そして逃亡者の烙印を押され、余計不利な立場になるだけだ。ここにいたら間違いなく殺される。解ってる。解っているが、俺には何も出来ない。


 「お前もな、こんな告白なんてねぇだろうに。あの可愛子ちゃんは行動より言葉の方が嬉しいと思うな俺は」

 「変な解釈は止めろ。これは俺とあいつの賭けなんだ」

 「賭け?」

 「ああ……」


 性善説と性悪説。それを巡ってこの堅物とあの可愛子ちゃんは討論を続けていたらしい。なんとも堂々巡りな話題をチョイスしたもんだ。もう少し艶のある話題が出来ないんだろうかこいつらは。


 「……つぅかお前はそれでいいのか?あの子、お前のこと名前くらいしか覚えてねぇみたいだぞ?」

 「俺を忘れてもあれが正義を忘れることはない。あいつは罪を犯してでも、悪を許さない男だ」

 「……」

 「それでもあいつがそれで楽になれるなら、別にそれでいい。あいつがそうなる前に救えなかった俺が悪い」


 神子経由のソフィアからの情報だと、こいつが離れてから精神崩壊が進んだんだと聞く。責任を感じているのだろうか?


 「お前もそろそろ警備に戻れ。あまり俺の近くを彷徨いてると怪しまれるぞ」

 「それは困った。俺にはそういう趣味はねぇのに」

 「エティっ!!だからそういう方の怪しいじゃない!」


 同僚は眉をつり上げて俺を睨んだ。そんな顔は何時も通りのラハイアなんだけど。何時も通り過ぎて、俺はそれが辛かった。


 「へいへい。解ってるって。んじゃあな」


 この期に及んでまだ人の心配か。ほんとどうしようもない馬鹿だ。馬鹿みたいにこいつは優しい、誰にでも……


 「さぁて……馬鹿な同僚見習って俺様もたまには時間外労働でもやってみますか」


 *


 「くそっ!なんで船ないのよ!!」

 「落ち着けよ」


 アスカがなるべく穏やかに声を掛けてみても、ロセッタは怒り狂っている。貧乏揺すりは止まないし、いてもたってもいられない風だ。

 そうは言ってもこんな夜中に船はない。ここは観光地だし夜中に騒ぐのは泊まり客にはあまり喜ばしいことではない。第一今は波が高い。これじゃあ船は出せない。

 身内の危機に取り乱すロセッタ。そのロセッタの変貌に狼狽えるのがリフル。リフルの不自然さに戸惑っているのが俺だ。


 リフルはこの二年間のことを忘れている。それはつまりラハイアとの繋がりがほとんどないということ。出会ったことは覚えているが、そこからの数々の逃走追走劇を知らないと言うこと。だからロセッタが取り乱しているのがわからないのだ。本来ならリフルがこうなっていてもおかしくない。むしろそうなってこそのリフルだ。ラハイアのことを何とも思わないこいつは、それくらい異常だ。首元で揺れる十字架。その意味も分かっていないのだ。あんな風に嬉しそうにこれを身につけていた。俺が嫉妬するくらいあんなに通じ合っていたじゃないか。それが何だ。どうしてだ。


 「アスカ……?」


 俯いた俺を心配そうに見上げるリフル。違う。そうじゃない。そうじゃないだろう!?俺がラハイアを心配していると思っているのか?違うだろう?俺はラハイアを心配しないお前を心配してるんだ。あいつはお前の希望だったんだろう?あいつが危ないって言うのに何でお前が俺の心配してるんだよ?


 「とりあえずリフル、ロセッタ。お前は休んでろ。出港時間になったら俺が教える」


 そう言ってそれぞれ部屋に帰した。モニカに頼んで港の様子を見て貰っているし、何かあればすぐに連絡という手筈は整えた。今は身体を休めることしかできない。空間転移を使えるトーラがいない。それだけでこんなに不便だとは。

 眠れる状況ではないだろう。それでもこいつらは疲れてる。休暇に来た場所で疲れるようなことに巻き込まれるとは思わなかった。


 「ロセッタはまだ解るが……お前はラハイアと仲が良いのか?」

 「リフル……頼む。お願いだから、お前がそんなこと、言わないでくれ」

 「……?」

 「解んねぇならいい。お前も寝てろ」

 「……ああ」


 俺がそう言えば布団にくるまってはみるあいつ。だけど眠ったような気配はない。あいつはよくわからないラハイアの事より、先程の組織とロセッタの関係の方が気になるのだろう。


 「…………そういやお前、いろいろ薬盛られたって言ってたが何ともないのか?」

 「大丈夫だ。ちょっと身体が怠いだけで……それに、これは気分的なものだと思う」


 奴隷の頃に盛られた毒を嗅がせられた。そのトラウマからなのだろう。毒は効かないが、気持ちには効く。まぁ、毒人間だからそれで死ぬって事はないだろうが……心配と言えば心配にもなる。


 「あの嬢ちゃんのことは本人も言ってたがお前には関係ない。気に病むなよ」

 「……ああ」


 俺の言葉にリフルは頷くが、やはりまだその声は眠たそうにない。しかしこれ以上邪魔をしても余計眠れないだろう。何時でもモニカからの連絡が届くよう、窓際に腰掛けていた俺も仮眠するかと目を閉じる。視界を閉ざすことで風の音をよりはっきりと聞くことが出来る気がする。しかし、聞こえるのは風の音だけではない。風の音に紛れて俺のもとへ届くのは、息苦しそうな呼吸と呻き。そしてそれは室内から聞こえる。


 「リフル……?風邪でも引いたか?」


 よくよく考えればこいつはのぼせた後、そこで色々あったし夜風に吹かれたり攫われて薬を色々試されたりしたんだ。体調不良が悪化したのか?唯でさえこいつの身体は弱ってた。モニカを連れ戻して回復させるべきだろうか?


 「いや、気にしないでくれ。何でもないから」

 「何でもなくないだろ?これ以上悪化したら……」

 「頭痛がするだけだから……気にしないでくれ」

 「頭痛……?」

 「ラハイアという名を聞くと……何故か頭が痛むんだ」


 そこまで聞いて、俺はしまったと思った。あの場所からこいつを助けたのはラハイア。ラハイアについてこいつが考えること。それはそのおびただしい数の傷の理由を思い出すことに繋がってしまう。思い出したいことと思い出したくないこと。それが鬩ぎ合っているのだ。ロセッタには悪いが、今のこいつに余計なことを考えさせてはならない。思い出した時、こいつが平気でいられる保証はないのだ。あの時はラハイアが傍にいたから安定していた。だけど今ラハイアは危険な状況下にいる。もしあいつに何かあったら……そこでこいつが思い出したら、とんでもないことになる。

 ラハイアを助けること。それが本来のリフルが望むだろうこと。だから俺もそれをしようと思った。しかし……それがこいつにとって危険なことなら、俺は……

 隣の部屋。ロセッタはもう寝ただろうか。今の内に適当な理由を付けてこいつとここから逃げるべき……?

 考え込む俺は視線に気付き、其方を向いた。その先でリフルは穏やかに笑う。


 「駄目だぞアスカ。約束は守らないと」


 俺がこれから何を言い出すか、見越したようなその言葉。吃驚したが一応俺はしらばっくれる。


 「何の話だ?」

 「悪いことを考えている顔をしていた」

 「おいおい、言いがかりだな」

 「そうでもないさ」


 お前のことはそれなりに理解しているつもりだとリフルは言う。


 「思い出せなくてもお前の考えていそうなことは解るんだ。なんとなくな」

 「おいおいこのポーカーフェイスのアスカ様を相手になんつーことを」

 「いやお前のそれはそうは言わないと思う」

 「そうか?」

 「ああ。アスカが笑って喋っているときは大体嘘だ。真面目な顔をして恥ずかしい事を言う時は大体真剣だ。そして15秒以上黙り込んだら大抵ろくな事を考えていない」


 今がそのろくな事を考えていないパターンだとリフルが笑う。


 「私は大丈夫だ。だからアスカ……私の頼みを聞いてくれないか?」

 「頼み?」

 「ああ……お前に依頼したいことがある」


 その言い回しは懐かしい。このリフルは俺が自分がいまどんな請負組織をやっているのか知らないのだ。暗殺なんて、殺しなんて俺がしないと思ってる。請負組織は、少なくとも俺のことは世のため人のための何でも屋だと思っている。


 「2年前と同じ依頼だ。私の記憶探しを手伝ってくれ」

 「リフル……」

 「私は逃げてはいけないと言うことを思い出した。2年前のロセッタがどういう子だったかも……彼女が戦いを覚えたのは、私の所為なんだ。それは間違いない。なのに彼女を助けたつもりになっていた自分が嫌だ。こんなことがもう……他にあってはならない。そう思うんだ」


 自分を守るため、封じ込めた出来事を思い出そうと言うのか。だけどそれが一人ではきっと耐えきれないだろうから。だからこいつは俺に依頼する。


 「私の過去を見てそれでも、私を拒絶しなかったお前だから頼むんだ」


 奴隷時代の記憶。それがこのリフルにとって最も悪しき記憶だ。だからそれより最悪なんてあり得ない。仮にあったとしてもお前なら……そう言って綺麗な紫の目が俺に微笑む。


 「私はお前なら信じられる。お前は私のどんなに醜い姿を見ても……それでも私の傍にいてくれる。それを私は信じられる」


 今のリフルはお前の何を信じればいいと、俺に吐き捨てて逃げ出した。けれど2年前のこいつはそうじゃない。俺がこんな風になるなんて知らないから、俺を信じられるんだ。俺が狂っているとお前はまだ知らないから……俺を唯の世話好きのお人好しか何かだと思っている。


 「そんなんじゃねぇ。そんなんじゃねぇよ……俺を知ったらお前が俺を拒絶する。俺を忌み嫌う。俺がお前を嫌わなくてもだ」

 「アスカは、アスカじゃないか」

 「けどよ……」

 「私はお前を嫌わない。何があっても、絶対だ」


 それは俺が昨日口にした言葉じゃないか。それを覚えていないこいつが何故それを口にする?


 「私はお前を嫌わない。しかし私が私を嫌う日は常に私の傍にある。今以上に私が私を嫌う時は必ず来る」


 そんな日に、お前に傍にいて欲しいとリフルが俺の手を握る。


 「私が私をどうしようもないくらい忌み嫌う日が来たら……その時だけで良い。私をお前は嫌わないでやってくれ」


 俺が勘違いさせた言葉。それが良い方向に結びついている。こいつのことだ。落ち着いたらすぐに勘違いはもう解けたのだろう。それでも……俺の好意だけは信じてくれた。信じてくれたんだ。だから今こいつは、こんなことを俺に言うのだ。


 「馬鹿。俺がお前を嫌いじゃない時なんてそんな限定させんなよ。それくらい俺に選ばせてくれ」

 「やはり、迷惑だったか?こんな頼み事……」

 「俺は何時でもお前が好きだ。お前がお前を嫌ってもだ」


 俺を見上げるその双眸が見開かれて、笑みに変わる。


 「ありがとう、アスカ。例えお前がその言葉を違えても、私はお前を嫌わないよ」


 そこまで言うなら好きだくらい言ってくれても良いのにな。そう思ったら笑えてきた。


 「そういう仮定は止めてくれよ」

 「逃げ道くらい用意してやるのが優しさだと思ったんだが」

 「俺は優しくねぇから優しくしても損するだけだぜ?」

 「そんなこともないと思うが」

 「……でも、まぁ。引き受けてやるよ、お前の依頼」


 こいつが壊れる時に支えてやれなかった。俺が追い詰めたからこいつはあんな事になった。だから今度は間違えない。こいつが俺にチャンスをくれたんだ。


 「お前の……俺達の2年をお前に取り戻してやる。それにお前が負けないように、俺が全身全霊賭けてお前を支える。安心して寄り掛かって来い!」

 「解った」

 「いや、物理的な意味じゃなくてだな……」


 まぁいいか。俺に寄り掛かってきた主の肩を抱いてやった。


 「お前の知っている限りで良い。教えてくれないか?私がこうなった原因。それを紐解くための名前を」

 「…………ああ」


 直接原因の名前をぶち込んでやる。それを教えればそこから波紋のように広がるだろう。思い出さざるを得ない。良くも悪くもあの男は強烈な男だ。こいつのこの2年……周りの人間が変わったのも全てあの男に所以する。


 俺は肩から手を放し、しっかりとリフルの両手を掴んだ。その手が震えても大丈夫だ。何があっても大丈夫だと言い聞かせるように。


 「そいつの名前は、ヴァレスタ。暗灰色の黒髪に、血のように赤い眼を持つ男だ」


 その名を拒絶するように、聞きたくないと言うように……カタカタとリフルの手が、肩がその名に震え出す。だからもっと強くその手を握った。

 その手を放せ。耳を塞ぎたいと訴えるリフルの目を俺は見つめる。手は放さない。耳も塞がせない。俺は優しくないから逃げ場は与えない。

 引き受けた以上、依頼は果たす。出来ない依頼は引き受けない。だからこそ俺は依頼遂行率は10割。出来ることしか俺はしない。出来ないことは絶対しない。その俺が無茶だと思っても引き受けた以上この手は放さない。大丈夫だ、俺が居る。脅える紫の目を俺はじっと見つめていた。


 *


 「やぁ、ヴァレスタ異母兄さん」

 「オルクスか」


 その訪問者は日が昇り、日が沈む……夕暮れの優雅なティータイムをぶち壊すよう現れた。今日の茶は自分で淹れたため味は完璧だが面白くはない。ヴァレスタにとって自給自足ほどつまらないものはない。

 一つの行動が寄り大きな金に結びつかなければその行動に意味がないのだ。そういう無意味なことが俺は何より嫌いだ。


 「その様子だと其方の仕事は上手く行っているようだな」

 「まぁ、それなりには」


 オルクスはにたりと笑う。その反応からして研究とやらが好調に進んでいるようだった。


 「兄さんから借りてた三人も帰らせたし明日には十分間に合うと思うよ」

 「なるほど明日というと、処刑のことか」

 「うん。愛しの聖十字君の危機に彼が現れないわけがない」


 現れれば城に健在を伝えてしまう。城の興味は西へと移る。あの女王なら西を滅ぼしてでも弟を我が物にしようとするだろう。

 もし仮に現れなかったとして、それは奴を知らない西の人間の戦意を大きく殺ぐことになる。その場合西から逃げる奴も出る。西の戦力は低下する。

 殺人鬼という不自由な身の上故に、西の人間全てがあの男を知っているわけではない。あの男とトーラが居るから奴隷商が踏み込めない。身の安全を求めて西に住まう純血もそれなりにはいる。


 「しかしお前がわざわざ俺の所に来るということは、またろくでもないことを企んでいると言うことか?」

 「嫌だなぁ、そんな言い方。この間のろくでもないことは兄さんの方がノリノリだったじゃないか」

 「否定はしない」


 Suitを解放してから早3日。あの一週間が楽しかった所為で今は少々つまらない。リゼカにも仕事を任せているしいたぶる相手が那由多王子以上の不感症の埃沙くらいかと思うといたぶる気力も出ない。


 「しかしオルクス、お前が言うにはあれは俺の所へ戻ってくるのではなかったか?」

 「そうだね。お祭りが終わる頃には……いや、始まる頃にはって言うべきかな」


 明日になれば祭りが始まる。楽しみだねと異母弟が言う。


 「ハートのキングはカーニバル王じゃない。ハートのキングの二つ名は、自殺王だからねぇ。彼の処刑こそカーニバルの始まりの合図。間違いなく彼は死を選ぶよ」


 「そうだ兄さん。せっかくだから明日は僕も一緒に連れて行って貰って良いかな?ていうか僕がいないと兄さん困るよ?女王様が通行手形をご所望だからね」

 「……なるほどな」


 タロックの姫を欺くには、あの女が知らないことをするしかない。あの狡賢い女の隙を突くとすれば……タロックには存在しないもの。あの女が狡賢いのは認めてやる。しかしその点に関してあの女が無知であることは否めない。あの女は目に見える物が真実だと思い込む。他人を信じていないから、自分の目を過信している。


 「それで?その働きの報酬に何を求める?」

 「それは勿論、那由多王子のあの両目だよ。コレクションにあれは欲しいね」


 あくまでこの男はあの男の眼球にしか興味がないらしい。


 「兄さんは那由多王子の身体さえあればいいだろ?その時は適当に兄さんの好きな色の目を植え付けてあげるよ。なんなら盲目パーツでも付けてあげようか?嗜虐心そそらない?」

 「人を変質者のように言わないで貰いたいものだな。俺がいたぶるのはあくまで精神だ。抜け殻に用はない」


 唯肉体を拷問にかけること自体が楽しいのではない。そうすることで悲鳴を上げる精神を見るのが好きなのだ。目的と手段を混同されては困る。

 肉体と精神は密接に絡み合っているから、肉体の痛みがそのまま精神の痛みになる。そういう者が多いからこそ、いたぶるための基本はまず肉体的苦痛を与えること。その内その二つが切り離されて効かなくなる。あの男は元々ここに近い場所にいた。だからまず精神にダメージを与える。その後に肉体を攻撃することで痛みの感度は上がるのだ。そうすることでより良い悲鳴と苦痛の表情がそこに生まれる。いい憂さ晴らしにはなる。

 余りやりすぎると埃沙のように壊れるから、程ほどが大事だ。リゼカにはその反省を生かして飴と鞭を与えている。あれは壊れずに躾が出来た成功例だ。


 「第一に、俺はあれを飼いたいわけではない。あれには半年前の屈辱を晴らしたいだけだ」

 「あ、それじゃあ殺すんだ?」

 「無論。最後には」


 何を勘違いしていたのだろうこの男は。俺はお前とは違う。

 俺はこのセネトレアの王になる男だ。くだらん人間一人に執着なんてするものか。俺以外の人間など皆ゴミだ。代わりは幾らでもいる。人など所詮金で贖える商品だ。


 「あれが守ろうとしたものすべてを壊し、あの生意気な目が本当の絶望を知ったところで息の根を止めてやる」

 「それじゃあ報酬貰うの、まだまだ先ってことか。残念」

 「まもなく例の件での収穫が大量にあっただろう、あれで手を打て」

 「はーい。それじゃあ利子分にさ、あの女王様の目も僕が貰って良いかな?姉弟揃ってコレクションに加えてあげるんだ」

 「……勝手にしろ」

 「え?本当に?ヴァレスタ異母兄さんは刹那姫にご執心だったじゃない?」

 「俺に死体愛好の趣味はない」


 これから殺す女を愛する馬鹿が何処にいるだろう?死体を傍に置いて喜ぶ奴の気が知れない。生きているからこそいたぶり甲斐があるというものだろうに。


 「兄さんは気になる人とかいないのかい?王になるにも伴侶は必要だと思うよ」

 「適当に見栄えの良い名家の女でも正妻に据えればいいだけだ」

 「やれやれ。兄さんは本当女にっていうか他人に興味ないねぇ。那由多王子との一件だってあれが一番の嫌がらせだからやっただけだろう?」

 「他に理由が要るか?」

 「まぁそれで兄さんが楽しいならいいんじゃないかな」


 そう言うオルクスは俺を哀れみ馬鹿にしているように見え、軽く苛立つ。そんな様子の俺に、オルクスは何故かまたあの男の話題を振ってきた。


 「でも僕はてっきり貴方が那由多王子を気に入っているのは半年前の怨みとか刹那姫の弟ってだけじゃなくて、同じ色をしているからかと思ったよ」

 「……下らん」

 「まぁ兄さんにとってはね。だけど彼からしたらショックだよね。自分と同じ境遇の相手が全く別の場所に居るんだから」

 「…………」


 やはり逃がしたのは失策だったか。そう考える俺にオルクスはそんなことはないと首を振る。


 「心配しなくても彼は言いふらしたりはしない。出来ないよ。彼は混血は無条件で味方だと思っている節がある。貴方の所に戻ってくるって言うのは貴方の本心を尋ねに来ると言う意味だよ。混血同士解り合えるなんて勘違いしてそうだからねお優しいあの王子様は」

 「流石は平和呆けのシャトランジアの血が半分混ざっているだけのことはある」


  まぁあの男のことだ。建前はそんな言葉を盾にやって来そうなものではある。そこから本心を引き摺りだして、またあの屈辱に染まる顔を曝いてやろう。今度はもっといい顔をしてくれることだろうな。それだけの種はばらまいた。後は刈り取るだけ。


 「この東の主にどんな交渉を持ちかけに来るか、精々愉しませて貰うとしよう」


 *


 医務室の扉。そこが叩かれたのはもうすぐ夜が更けるという頃。ノック音の後は小声で呼びかける声がする。


 「せんせー……洛叉先生」

 「こんな時間にどうしたアルム?」

 「なんだか……色々考えたら眠れなくなっちゃって」

 「なるほど」


 洛叉は理解する。ディジットに心配掛けたくないとこの少女は自分の所を訪れたのだと。


 「何か飲むか?」

 「ありがと、先生」


 気分を和らげる作用のあるハーブティーでも淹れるか。しかしカフェインが強い物は駄目だな。医薬品の棚の一角から茶器を取り出し考える。

 アスカのような鳥頭の場合は前に何を入れたかも解らないビーカーや三角フラスコでも使って茶を出せばすぐに帰って行くしそれで良い。しかしこの繊細な少女が相手ではそうもいかないだろう。かといって高いカップを出せば絶対に割られる。安くてなおかつそこそこ可愛らしく見える物が良いだろう。


(……ん?)


 見れば見知らぬ食器がある。ディジットの仕業か。アルムやエリアス用に置いていったのだろう。本当に気が利くというか利き過ぎるというか。病み上がりだろうによく働く女だと思う。医者泣かせにも程があるので病人はしっかり休んでいて欲しいものだ。

 しかしこの場はありがたくそれを使わせて貰うことにした。


 「砂糖は?」

 「2……やっぱり1杯」

 「3杯か。了解した」

 「ち、違うよ!1杯だよ先生!」

 「しかし君は何時もその位かけていなかったか?」

 「だ、だって……大人の人は砂糖がなくてもお茶が飲めるんでしょう?」

 「しかし砂糖無しで飲めたからと言って大人になれるわけでもない」


 無理はするなと言い、それでも2杯に留めてカップをテーブルへと置いた。


 「気が急ぐのは解る。それでも出来ないことはするな。少しずつ先に歩いていく方が現実的だろう」

 「……うん」

 「いきなり大人に、母になる必要はない。君はその子達と一緒に成長していけばいい」


 無事に生まれるか、彼女が生き残れるか。それは解らない。それでも俺は医者だ。患者がマイナスになるようなことは言えない。それが治療の妨げになるのなら。第一俺は闇医者だし法に基づいて事実を説明してやる義理はない。俺が引き受けた以上、最善の治療を行うまで。


 「君はよく転ぶ子だ。だがその分他の人より立ち上がる力とまた歩き出す力は勝っている辛抱強い子だ。間違えた君だからこそ、他の者には見えない物が見える。そういうこともあるだろう」

 「……アルムにしか、……私にしか見えないこと?」

 「ああ。そういう物が必ずある」


 カップを両手で押さえながら、少女はその表面に瞳の星を落としている。翳りを帯びた輝きは六条から四条に減っている。かなり参ってしまっている。精神的に。


 「アルム、君はこれからどうしたい?」

 「私は……」


 ゆっくりと視線を上げた、アルムが俺を見る。赤い瞳の白目部分まで赤く染まって見えるのは……ここに来る前に悪い夢でも見て、泣いていたからなのだろう。

 そんなアルムが俺にぽつりぽつりと話し出したのは、自らのことだった。


 「先生。私とエルムちゃんは、多分アルタニアのお城で生まれたんだと思う。だから本当のお父さんとお母さんの顔はわからないの」


 アルタニア城の使用人とメイドの火遊び。そして先代アルタニア公、虐殺公の拷問と処刑……その結果の混血奴隷産業。この双子はその中で生み落とされた物の一つだ。

 しかし姉弟揃って同じ家に買われるのは珍しい。それだけでも幸運……或いは不運。家族への未練。父も母も知らない。だからこそ唯一の肉親のエルムにアルムの愛は傾いた。異常すぎるほどの盲目の愛。それでもエルムはそうじゃなかった。他人を愛した。この二人は正反対だからこそ、彼は彼女を忌み嫌い、彼女は彼を深く愛した。そんなところまでまるきり逆の選択をする。そして今度は……我が子への選択。生と死。それすら二人は違ってしまった。


 「だから私は……もしお母さんになるんなら、絶対寂しい思いをさせないで、お父さんとお母さんが何時も一緒にいてあげたかったの」


 しかしエルムはそれを認めない。無理矢理作らされた子供なんか。愛してもいない女……それも実の姉との子。どうして愛せるだろうか?それを知ったとき彼は彼女の腹を潰そうとした。おぞましいものを生ませてなるものかと。


 「でも……きっと寂しい思いをさせちゃうんだ。エルムちゃんは、お父さんにはなってくれないから」


 自分の知る寂しさを我が子に教えるくらいならば、いっそ生まれるその前に……それが母としての優しさだろうか?慈悲だろうかと彼女が問う。


 「やっぱり私はエルムちゃんの言うとおり、死んだ方が良いのかな?その方がエルムちゃん、喜んでくれるのかな?この子達も……生まれない方が、幸せなのかな……」

 「アルム……」


 少女は大粒の涙を両目から洪水のように溢れさせる。しかしそれを拭わない。俺に拭わせもしない。それを拒む目をしていた。

 その問いに俺は答えられない。彼女はカードだ、確率的にまず間違いなく死ぬ。成長速度の狂いのためなんとも言い難いが、今の段階では仮に子供だけ助かったとしても、……数術使いの力を持ってしても母体無しに生きられるかどうかは怪しい。

 それなら彼女の言う事にも一理ある。俺は医者だ。俺はカードだ。俺の数字なら、彼女を殺してやれる。安楽の死を望むのなら、俺は闇医者だ。患者が生を諦めたのなら、死なせてやるのが優しさ。


 「そんなことないよ」


 不意に響いた声は高い、少年の物。振り向けば隣室から次期第五公エリアスが現れる。


 「起きていたんですか。夜更かしはお体に障りますよ?」

 「え、エリス君?」

 「僕は病気で、嫌なこといっぱいあったけど。それでも良いこともいっぱいあった」


 金髪の少年はふらつく足取りで、それでも一歩一歩此方へ自分の力で歩いてくる。


 「僕の母様は、僕の所為で死んでしまったけれど。僕はさみしくなかった。リジー姉様が傍にいてくれた。姉様がいなくなってからは父様もとっても僕を可愛がってくれた。だからさびしいけど、さみしくなかった!」


 風の噂で聞いたことがある。確かこれまで女しか産めず、その後は流産続き……高齢出産の末、ようやく授かった跡継ぎの男児。この子を生んだ後、第五公の正妻は無理な出産が祟って他界したのだか。だからこそこのエリアス少年を第五公は溺愛している。目に入れても痛くない程に。そこを医者でもない死神商会オルクスに目を付けられたのだ。


 「部屋に閉じこめられてからは悲しかったけど、フォースが僕を助けてくれた。友達になってくれた。今はフォースがいなくてさびしいけど……ぼ、僕は……アルムちゃんがいるから、いてくれるから楽しいし嬉しいよ」

 「エリス君……」

 「だからそんなこと言わないでよ!死んじゃ駄目だよ!病気だって痛いし苦しいのに、死ぬのってもっと怖いんだよ!?そんなの嫌だよ」


 痛みを知る少年は、痛みに敏感だ。だから他人を哀れむことが出来る、優しさを持つ。アルムと同じ、それ以上の悲しみを映して涙を流す少年に、アルムの涙が引いていく。


 「もうその子達は生きてるんだよ。生まれてなくても生きてるんだよ。だから痛いのとか苦しいのは可哀想だよ」

 「しかしエリオス様。彼女はまだ幼く身体も小柄だ。出産は彼女にとってとても危険なことです」

 「え?」


 良い機会だ。アルムにもそろそろ教えるべきだろう。その上で選択を迫らなければならない。俺の勝手な個人的感傷で選択の幅を狭めるわけにはいかない。


 「そのアルムが死のうとしなくとも、痛み苦しみ……そして死んでしまう可能性があると言うことです。それならそんな痛みを知る前に死んだ方が幸せ。そういう風にも考えられはしませんか?」


 俺の言葉にアルムもエリアスも顔から血の気が引いていく。それでも俺は二人を見つめ続ける。選択を迫る。でなければ医者としてもこれ以上手の施しようがない。

 命の引き算。よくある話。どちらを選んでも何処からか非難の声は上がる。だから平等に両方生かすか、両方殺すかそれが正解だと俺は思う。

 教会は子供を神からの授かり物だとし、母体よりも子を優先する傾向がある。しかし俺は神には従わない。

 あの人が俺に教えてくれた。どんなに愛おしくても、命は須く1。同じ重さであるものだ。残り時間の差が命の価値を決めたりしない。要は生きる気があるか、ないかだ。医者はそれさえ聞ければいい。神など知らん。従わん。その上で多くの命を救えとあの人は俺に命じられた。


 「そんなこと、ありません!」


 しかしこの青目の少年は、俺の言葉を否定する。まだ幼い姿だが、その言葉から顔からは気迫を感じた。こいつは将来大物になる。そんな予感だ。


 「僕はオルクスに、長くは生きられないって言われていました。オルクスに診て貰わないといけないっていつも注射ばかりされてました。それでも生きていたから、僕は洛叉さんに会えました」

 「……私に?」


 突然のことで驚いた。何だこの話の流れは。突然この子は俺なんかに礼を言いだした。自分が攫われてきたという自覚がまるでない。


 「ここに来てから身体の調子が良いんです。僕は洛叉さんなら僕の病気を治してくれるって思いました。だから今まで我慢して、生きてきて良かったって思います」


 それはオルクスがわざと体調不良を引き起こさせていたからだ。この子の病気はそこまで深刻なものじゃない。親馬鹿の盲目さが引き起こした不治の病だ。恐らく元々身体が弱く抗体が少ないとかそういうことはあったのだろうが、事の発端は小さな風邪か何かだったのだろうと思う。

 オルクスがこの子の体内に入れてきた病原菌、ウイルス。それを沈めるための作用を持つ物を投薬。そして彼自身の免疫を高めるための食事と運動。閉じこめられていた所為で筋肉はやせ衰えているが少しずつ鍛え直していけばその内普通の子供と一緒に遊べる程度まで回復するだろう。

 しかしこれは事の真相を知っている俺だから言えることであり、この子供二人には少々、難しい話だ。なら俺は凄い。そういうことで話をまとめた方が手っ取り早く、そして後々役に立つ。


 「……生きていれば、良いことだって絶対ある。だから誰も死んじゃ駄目なんだ。どうせみんないつかは死ぬんだから……わざわざ殺すことも、死ぬこともないはずです!」


 純真な子供だからこその言葉だ。いや、子供では言えない言葉だ。幼い子供は無知だ。無知故に時に大人よりも残酷だ。この少年は純粋で、それでいて馬鹿じゃない。無知ではない。だからこんな事が言えるのだ。


(嫌な相手も、いつかは死ぬ……か)


 だから怨むことも憎むことも復讐も意味はない。手を下さずとも時が必ず手を下す。誰かを憎む間、幸せになれたかも知れない時間を失うくらいなら、誰も憎まず幸せを追い求める。それが正しい答えではないのかと、少年が俺とアルムに問いかける。


 「僕は……アルムちゃんに会えて良かった。君がこの部屋に来る度……何だか僕は、よく分からないけど、楽しいし、嬉しい。だからアルムちゃんがいなくなったら、僕は嫌だ」

 「エリス君……ありがとう」


 世界に一人だけ。愛し愛される人は彼だけだと決めていた。狭い世界に住んでいた。そんなアルムの鎖をエリアスが壊す。

 愛らしい姿と声のアルムの音声数術は、保護欲をかき立て守らせるものだ。だから他者から恋愛感情を引き起こすことはあまりない。故に異性から好意を向けられることが初めてなアルムは戸惑いがちに、エリアスの手を握って微笑んだ。エルム相手の時のような運命的なまでの強い想いは感じていない。それでも彼の好意に温かさは感じている。そんなほほえましさを感じる。このまま行くとあの鳥頭の言ったよう、本当にアルムは第五公の公爵夫人になりかねない。そうなれば混血への理解が第五島から広まるだろう。


(あの方もそれは喜んでくれるだろうが……)


 悲しいことに、アルムはカードだ。一枚しか残れないのが神の審判ならエリアスの淡い想いも十中八九叶わない。この神の審判とやらを根底から覆してでもやらない限り、どうしようもない。なんとかしてやりたいとは思うのだが……


(生憎情報が少なすぎて、俺でも少々難問だ)


 この悪魔のゲームを中止させる方法は何処にあるのか。何処にいるのかも解らない神という奴らを見つけ出し血祭りにでも上げれば止まるのか。奴らは確実に居るが、殺せるような者として居るかは不明だ。そんな非現実的なことを考えるより、まだ現実味があるのはカードを集め全ての願いを諦めさせることだろう。或いはその願いを代行して叶えてやる。その代わりにカードに願い殺し合うことを止めさせる。

 しかし本来自己中心的である人間がそんな提案に従うものか。第一願いが対立している場合、どうにかするしかあるまい。……となれば、敵は殺す。味方は守る。これが最善。この最善策を他の集団も取ってくるなら結局は殺し合い。解決などには程遠い。

 すっかり冷えてしまった茶を啜り、俺は溜息を吐いた。やはり世の中にはどうにもならないことがあるものなのかと。


 *


(アルムったら何処に行っちゃったのかしら?)


 咽が渇いて目が覚めた。ディジットが隣を見れば寝台が空。アルムが居ない。何かあったのではと下の階へと降りてみて……そこには見張りをしているフォースの姿。壁にもたれてはいるが、良く見れば何かフラフラしている。


 「フォース?」


 近寄ってその顔を覗いてみれば、灰色の目は瞼によって隠れている。


 「こら、フォース。こんな所で寝てたら風邪引くわよ?」

 「うーん……悪い、エリザ……」

 「エリザ?」

 「うぉっ!その声、ディジットか!」


 寝惚けていて間違えたのだろう。私も彼女もメイド服を着ているし。外見色も同じだし、見間違えても仕方ない。


 「もう、疲れたんならちゃんとベッドに戻って眠りなさい。もしあんたが風邪でも引いて肝心なときに本調子じゃないとか言われた方がみんな困るでしょ?」

 「そ、そうかもしれねーけど……部屋に戻ると心配で眠れないんだよ」


 それなのに見張りに来ると眠くなるらしい。でもそれだと見張りの意味ないじゃない。


 「ここには見張りに慣れてる人達だっているんだから、適材適所よ。何かあったらすぐにフォースの所に連絡来るはずでしょ?」


 身体を休めるのも仕事よと、無理矢理彼の手を引いて彼の部屋まで連れ戻す。フォースの部屋は片付いている。意外に思ったけれど物がない。だからだろう。


 「それにしても殺風景な部屋ね。今度何か花でも持って来てあげるわ」

 「要らないよ。俺いつもいるわけじゃないし、水やり忘れて枯らしても悪いし」

 「サボテンくらいなら大丈夫でしょ」


 フォースの顔にはめんどくさいと顔に書いてあったが敢えて無視する。だってこんな殺風景な部屋嫌だわ。まるで自分の死期を悟っていて身辺整理をする老人の部屋みたいなんだもの。私より年下の男の子の部屋とは思えない。


 「って何してるんだよディジット!」

 「ちょっと気になって」


 ベッドの下を覗いたら凄く狼狽えられた。あの様子だとオーソドックスな隠し場所に隠しているのだろう。もうちょっと捻りなさいよと言いたいが、それは可哀想なのでやめておいた。でもこの子も男の子なんだなぁとなんとなく思う。あのエルムがあんなことになるくらいだ。エルムより年上のフォースだってそういう物に興味があって当然だとは思う。


 「な、何かいたか?」

 「え?」


 だけどフォースの反応は変だ。


 「ベッドの下には妖怪とか化け物が出るんだろ?アスカが言ってた」

 「は?」

 「部屋の持ち主が部屋を出た隙にベッド下に潜り込んで、帰ってきて気付かずその上で眠ったところを殺しに来るんだろ?」


 それ何処の怪談?都市伝説?アスカめ。自分の持っているエロ本にこの子が触らないように妙な嘘を吐いたわね。

 アスカは巧妙に隠す時と、面倒臭いから使ってそのままベッド下に隠す時と2パターンがある。宿時代部屋の掃除をしていて見つかるときと見つからないときがあった。その内見つかるときはつまらないので放置。巧妙に隠されたときに見つけてやって机の上に置いておくと、掃除したって感じで妙な達成感があった。

 それはともかくどうすんのよこれ。この子本気で信じてるじゃない。

 今年でフォースは15だと思ったけど、まだ子供というか純真なところがあるのね。なんというか呆れ半分、馬鹿可愛い。少し癒された。この子も殺人家業に身を落として久しいのに、そんな怪談で震え上がるなんて。


 「別にいなかったわよ」

 「本当に?」

 「ええ」


 もしかして部屋で眠れないのってアスカの怪談の所為だったの?


 「タロックじゃ、畳に布団ってのがデフォルトだったから、ベッドってちょっと怖いんだよな。人が入れそうな隙間あるってのが」


 床に寝る方が好きだなんてこの子は不思議なことを言う。そんな眠り方して疲れないんだろうか?


 「でもフォース。床に布団降ろしたら、ちょうどベッド下と見つめ合う形で寝ることになるわよ。視線の高さ合っちゃうし」

 「こ、怖いこと言うなよ」

 「……うーん、そうねぇ」


 これはちょっとした悪戯心を出した私の責任でもあるし。まさかこの子がこんなに幼いなんて思わなかったのよ。


 「何か軽い物だったら作ってあげるわよ?お腹膨れれば眠くもなるでしょ」

 「え、えと……それじゃあ握り飯と沢庵と味噌汁がいい」

 「ふふっ。あんた、本当にタロック人ね。いいわ。待ってなさい……ってどうしたの?」


 フォースが部屋から出ようとした私の後ろを着いてくる。


 「俺も調理場まで着いていっていい?」

 「そんなにお腹空いたの?」


 本当は部屋が怖いだけなのだろうが、私は一応そう聞いてみた。


 「ああ。腹減り過ぎてどうにかなっちまいそうだ」


 強がりだけは一人前の男みたい。男ってどうしてこういう無駄なことが好きなんだろう?アスカや先生は言うまでもなく、大人しくて良い子だったエルムにもこういうところはあった。素直に言ってくれれば私だって対処のしようがあったのに。


(エルム……)


 「ディジット!それ塩じゃなくて砂糖!胡麻じゃなくて胡椒!」

 「あ。いけない……ごめんね、ありがとう」


 うっかりしていた。つい考え事をして……そんなの言い訳ね。料理をするときはそれを食べてくれる人のことを考えないといけないんだから。私は気を入れ直して調理に向かう。


 「ディジットはさ」

 「……何?」


 おにぎりをもぐもぐと咀嚼しながらフォースが私に話しかける。


 「もう腹は大丈夫なのか?」

 「ええ。もう大体平気よ。アスカが治してくれたし洛叉先生も診てくれているし」

 「そっか。良かった」


 そこでフォースが黙り込む。

 ここでも仕事の重大さを彼も理解しているのだろう。向こうにはフォースにとって顔見知りが大勢いる。戦いづらい相手だ。私とエルムのことも気にしてくれているのだろう。


 「大丈夫よ」

 「え?」


 傷の事じゃないわよと私は笑う。


 「フォースはフォースのやりたいようにやりなさい。みんなそうしてるんだから。貴方が他の人のことまで気に病んで、苦しんで、身動き取れなくなる必要はないの」


 みんな自分の一番を選んでその一番大切なことのために生きている。行動している。だけどこの子は一番以外をも振り切れない。或いは一番を選びきれていないのだ。


 「私は選んだ。大丈夫。だからもうこんなことにはならない。だからフォース、貴方も選んでおきなさい?迷うと私みたいにこんな怪我しちゃうわよ?」

 「……うん」

 「でもそれは後にしなさいよ」

 「え!?どっち!?」

 「あんた私の料理食べながら他のこと考えるなんて良い度胸じゃない」

 「ご、ごめん」

 「味噌汁も全然飲んでないし。冷える前に食べてよね」

 「は、はい」


 私が脅すように睨み付ければ、フォースが焦ったように箸を動かす。そして……


 「やっぱ……美味ぇ」


 ほっとしたように息を吐く。これで少しは嫌なことも忘れられたでしょ。そして私も、その表情から、大切なことを教えられていた。

 私も私のやりたいことをする。選んでいく。選ばなくちゃいけない。あの子達、二人とも同じくらい愛してるなんて、もう逃げてはいけないのだ。


 *


 「あんたの処刑、明日だって」

 「そうか」


 牢の前に現れた。黒髪の少女が言う。それにラハイアは静かに頷く。それだけの反応にティルトは驚いているようだ。


 「……驚かないのか?」

 「驚くほどのことでもない。俺は俺の無実を正義を知っている。だから何も恥じることはない。何があろうと俺は俺の信じるものを信じるだけだ」


 悪を追いかけることは、常に危険の中に身を置くこと。だから不慮の事故で事件で死ぬことは頭の中にある。だからといってそこで追いかけることを躊躇うわけにはいかない。それで救える物があるのなら、躊躇はそれは見殺しだ。


 「……あんた、聖十字なのにどうしてあの人と連むんだ?」


 味方であるはずの教会が俺を売るような世の中だ。敵が俺を守ることがあっても俺があいつを守ることがあってもなんら不思議なことはない。


 「奴は犯罪者だ。それは俺も認める」

 「それなのに……どうして?」

 「それでもあいつは悪ではない」


 しかしその言葉で納得できなかったらしい彼女に俺は、別の言葉で言い直す。


 「そういう君こそ、仇を何故守る?何故あの女王の傍にいる?」

 「そ、それは……あいつをこの手で殺すためだ。あいつを他の誰にも殺させない。だから俺は……」

 「俺もそうだ。あいつは俺が捕まえる。今度罪を犯したら現行犯で捕まえてやる。そして罪を償わせる」


 勿論それだけではない。それでもこの少女があの女王との関係を正しく理解していない以上この言い方が一番分かり易いものだと思った。今のティルトに何を言っても彼女はそれを理解しないだろう。


 「それなら何で途中で逃げなかったんだ?」

 「言っただろう?俺は俺の身の潔白を証明するために逃げられないと」

 「あの女王にそんなことは通じない!あいつが殺すと言ったら殺されるんだ!」


 その余裕はリフルが生きているのを知っているからなのだと勘違いしたらしいティルトは、俺にその場所を吐かせようとする。


 「あの人があんたを助けに来なければ、あんたは間違いなく殺される。あの人が生きてるんなら、庇うだけ無駄だよ!その場所を吐けば女王だって少しは機嫌を直すはずだ」


 だが、そんなわけがない。


 「彼女は殺すと言った以上、俺が何を言っても殺すだろう。君は女王の傍にいるんだ。そのくらいは理解しているだろう?」


 唯そうしないのは、俺がキングだからだ。しないのではなく、出来ないだけだ。だから俺をどうすれば殺せるのか、色々試してみるつもりなのだろう。


 「…………君がそれを俺に尋ねるというのは、君があいつを殺したいからなんだろう?」


 女王をリフルに盗られたくない。関心を奪われたくない。この少女は無自覚にそんな欲を持っている。女王は女王でカードについて調べ始めた。しかし聖教会関係の味方が居ないから、その解釈は逆走の上暴走している。そしてそれを止める者もいない。本当のことを教えれば、それはそれで正しい被害を生む。だから俺も何も言えないのだ。

 この少女はこの少女で神を信じない。だからこそルールは絶対だとは思っていない。だからルールに背いてでも殺れるものなら殺っておきたい。殺せるかどうか確かめたい。そういう意識があるのだろう。


 「私は……」

 「お子様はおねむの時間だぜ、お嬢ちゃん?」


 ティルトが振り向くより先に、そいつの銃が一発ぶっ放す。どういう弾を撃ったのかは解らないが、ティルトは気絶したようだ。

 牢の向こうで笑うのは、俺の同僚。恭しく片手を差し出してにやりと笑って見せた。


 「ずらかるぜ、お嬢ちゃん」

 「誰がお嬢ちゃんだ」

 「おいおい坊や、助け出すのが野郎だなんて最悪な気分味わわせてくれるんだ。気分だけでも可愛いお嬢さんを助けるつもりにならせてくれよ」

 「前にも言ったが俺は逃げん。さっさと帰れ」

 「そいつは知ってる。その上で俺はお前を攫いに来たんだよ」


 気絶させてでも連れ出すぜと今度は俺が銃口を向けられた。


 「ふむ、麗しきは男の友情というものか」


 その時、カツカツと……近づいてくる足音。そして背筋が凍るような恐ろしいほど美しい女の声。


 「其方が妾に惚れんのは、そういうことだったのかのぅ?トライアンフ?」

 「げ、こいつは夜分にどうなさったんです?お姫様」

 「妾を見くびるでないわ」


 女王は長く艶やかな黒髪を夜に遊ばせ、そしてにぃと赤い唇を釣り上げる。


 「姿、声、雰囲気、顔つき。それを変えられる其方は確かに変装の名人よ。だが妾が顔だけで男を認識していると思うたか?」


 「妾は顔の次に下半身を見る!服の上からでも大体のサイズと形を見抜ける!其方の敗因は、其方の息子にまで変装をさせなかったことじゃ!服で隠れているからと安心した其方の落ち度よ!」

 「くそっ、俺の変装がまさかそんなことで破られるとは」

 「くくく、どちらかの顔の時は常に戦闘態勢にでもしておれば良かったものを!あの猫に反応する癖に、妾で勃たんとは生意気な」


 緊迫した状況なのに、なんて下らない。そしてそんな下らないことでこんな危機に追い込まれるとは誰が予想しただろう。


 「ご忠告ありがたくもらっておきますよ女王様」

 「残念ながら其方に次はない」


 尾行してみて正解だったと女王が嗤う。


 「その聖十字は、コートカードのハートのキング。近々教会の者が奪い返しに来るのは予想していたがな、其方かと思うと些か残念じゃ。次はどんな男に変装するか愉しみにしておっただけに」


 女王は扇を片手に口元を隠す。そして深紅の瞳だけ光らせて俺達を見る。


 「さて、無謀にもここに飛び込んでくると言うことは其方もカードと言うことなのだろう?どれ、その秘部を妾に晒して貰おうか?」

 「残念ながらなお姫様。俺はそんな優しい男じゃありませんでしてね」

 「え、エティ!?」


 手袋を落としてラディウスが嗤う。奴の利き手に紋章はない。肉と皮が表も裏も焼き焦げた跡が残るだけ。

 それに熱そうじゃのぅと女王がパタパタと扇を仰いだ。


 「俺はブランクカード。ブラックブランクの方がそれっぽいですかね」

 「お前……なんてことを」

 「初めは腕切り落とした方が早いかなとは思ったんだけどなぁ、それだと俺の戦闘能力も低下するし?それより何よりこれから自家発電が利き手で出来なくなるのは困りもんだ」


 こんな時までそんな言葉で茶を濁す。あんな火傷をして、痛くないはずないだろうに。


 「さて、女王様?俺が誰か解らずに、それでも俺とポーカーやりますか?」


 確率的に女王は不利だ。俺もこいつのナンバーを知らないが、女王より上と言うことはまずありえない。


 「なるほどのぅ。やるではないか色男。やはり無理矢理でも其方とは一度くらい寝ておくべきだった。今の其方はなかなか美男に見える」


 女王がラディウスを褒め、少し残念そうに目だけで笑う。そして足下に倒れているティルトを踏みつけた。


 「起きよ猫!これは其方の仕事じゃ!」

 「い、痛ぇっ!何すんだ馬鹿姫っ!!……って、え?イアン?何そんな畏まった格好して……」


 痛みでティルトが飛び起きる。そうか。先程女王が仰いだ時、気付けの香を風に乗せていたのだ。毒を操るこの姫は、同じくらい薬にも学がある。女王は飼い猫の無事に眼を細め、その目で彼女を馬鹿にするためそこに嘲りの火を灯す。


 「虚けが。よく見よ」

 「その服……聖十字!?」

 「はぁ、やっぱ嬢ちゃんにはバレちまうか」


 ラディウスの変装をティルトは一瞬で見抜いた。それはおそらく普段から彼をよく見ている証拠。何らかの好意を抱いていた証だ。


 「気絶させるだけとは甘い男よ。これの命まで盗っておけば……いや、其方は猫が殺せないのかのぅ?どちらの意味かは解らんが」


 カードとして殺せないのか。それとも好意があるから殺せないのか。どちらにしてもそれはラディウスにとって不利なことを意味していた。


 「ラハイア、お前が大人しく城に来たのは俺の所為だったんだろ?」


 そう言って彼は牢の俺に一丁の銃を投げて来る。恐らくその中にはこの前と同じ物が入っている。自害する振りをして逃げろと、そう視線で合図してきた。


 「エティ……」

 「俺がお前を逃がしたこと、それがばれて危ない立場に追いやられていないかなんて要らねぇ心配してくれたんだろ?ったく余計なことしてくれたぜ」


 そう言って上着を脱ぐ同僚の背から出てきたのは長い銃剣。こっちが本当の得物だと言わんばかりの不敵な笑みを奴は湛える。


 「だがな……生憎俺も人間でね、そこまでされてお前を見捨てられる程、薄情じゃねぇんだよ」


 そう言ってラディウスはティルトに向かっていく。


 「っ……止めろラディウスっ!!」


 俺は引き金を引く。同僚に向かって。お前が逃げろ。そうして紡いだ空間転移弾。残されたのは静寂。


 「ラディウス……?」


 消えたのは彼だけではない。女王と、ティルトも居ない。今のに巻き込まれてしまったのか?近すぎたのか!?

 カードが二枚。それに相手はコートカードもいる。あいつ一人で大丈夫なのか?あいつがキングやジョーカーでもない限り、俺は安心できない。

 一睡も出来ず、固唾を呑んで……それでも俺は祈るしかない。祈るしかなかった。


 「主よ……」


 俺はどうなっても良い。だからどうかあいつを助けてくれ。あいつは軽い男だけど、意外としっかりしてるんだ。ああ見えて優しい奴なんだ。それを理解できる相手があまりいないだけで。その内そんなところを理解してくれる相手が現れる。そうすればあの男の軟派癖も直って、その子ときっと幸せになれる。運命の輪なんかから足を洗って……それで、それで……。

 祈りの内に長い夜が明け、日も登り……やがて泣き腫らした目をしたティルトが現れる。


 「処刑の時間だ、ラハイア=リッター」


 俺はその瞬に、ああ……この世には神などいなかったのだと理解する。少女からは、不釣り合いな程、血の匂いがしたのだ。目眩を感じるほどに、罪深い香りがした。

そろそろ13章も終わりが見えてきた感じです。

もうしばし、お付き合い頂ければ幸いです。

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