51:Post festum.
引き続き注意回。エログロ回。
直接描写は避けました。でも台詞から……お察しください。
世の中は理不尽だ。
僕は稀少なカーネフェル人の男。それだけで何度か攫われそうになったけれど、その度に両親が僕を守ってくれていた。金を積まれても商人に僕を売ることはない。幸せだって思っていた。だけどそんな日常もある日突然終わりを告げる。
昨日まで優しくてもいきなり掌を返したように冷たくなる。髪の色一つ変わったくらいで、その日から僕は悪魔の子と呼ばれるようになった。
父さんはその日の内に僕と母さんを家から追い出した。自分は悪くない。悪いのは悪魔を生んだあの魔女だ。責任を全て母さんに押しつけて自分は逃げた。あんなに優しかった、父さんが。信じられなかった。
教会は混血に優しいと誰が決めた?そんなの多分シャトランジアだけだ。セネトレアでその常識は全く通用しなかった。母さんは魔女と判決を受け、処刑された。
僕は教会で清めるとかなんだとか理由を付けられて、そのまま奴隷商に売り渡された。
信じられなかった。髪の色一つ変わったくらいで、ここまで全てが変わるなんて。昨日まで見えなかった人の悪意が、肌で空気で感じられる。
だけど王都まで運ばれる間、その馬車が襲われた。純血至上主義者だ、混血狩りだ。商人は積み荷を捨てて、自分たちだけ逃げ出した。あの男と同じだ。純血なんて、みんなそう。自分の命が惜しいんだ。どいつもこいつもそうやって……人を犠牲にして、それで何とも思わない。
「なんだ?一匹変なのが混じってるぜ?」
「蒼眼か。もっと薄い色なら混血にもいるが……こんなの見たことがねぇ」
「薄気味悪い、こいつから殺してやろう」
集団の中で目立つこと。それは時に死を意味する。余程僕の目が気に入らなかったのだろう。僕の目はそこそこ良い色だ。深さもある。だからだ。
セネトレアの人間は、自分の血の薄さに劣等感を持っている。だから自分より濃い色を持つものを妬むのだ。混血狩りは、自分たちとは違う蔑みの対象を持つためのもの。僕の蒼は、ただそんな色だと言うだけで、僕を窮地に立たせた。
あの日の痛みは忘れない。本当に死ぬかと思った。多分あのまま捨て置かれたなら僕はショック死していただろう。
奴らは僕があとどのくらいで死ぬかを賭けていた。悔しかった。泣きたかった。だけど泣けなかった。呻く僕。世界を呪って人を呪って……そうして死んでいくんだなって思った。そう思うともっと悲しくて、涙が溢れて、傷が痛んだ。
「ねぇ、鶸ちゃん?後何秒だろう?」
「五秒で全員殺します」
「だってさ5……4……3……2……1……」
その人は笑って死の予言。不気味なことを言っているはずなのに、その笑顔はとても綺麗に見えたんだ。
「0!」
虎目石の少女が笑う。すると混血狩り達が全員動かなくなった。本当に五秒でやったんだ。この人達。
「ちょっとじっとしててね。今治してあげるから……」
彼女に手を翳されて、痛みと血が引いていくのが解る。少女は辺りを見回して、僕のえぐり取られた眼球が既に破壊されていることを知る。そうだあれは僕の間の前で火で焼かれて、そのまま野犬に食わせられていた。自分の目がそんな風になっていくところを見せられるなんて、気が触れてもおかしくない。でも痛みでそれどころじゃなくて、そんな余裕がなかったのだ。
「ど、どうしよう鶸ちゃん」
捜し物が見つからないことに焦る少女。狼狽えるその様子が何だか少し可愛いと思った。
そんな状況でもないのに。
それに連れの少女が考え込んで……僕の方へと近づいた。
「君は男だな?」
「は、はい……」
「なら我慢しろ。後何年かすれば箔が付く」
「えええええ!?」
「命を救われただけでもありがたいと思え!」
酷い言い草だ。男を何だと思っているんだこの人は。
「もし女だったらどうしてたんですか?」
「その時は……私の目でもやっていたよ。女の子がそれでは可哀想だからな」
酷い女尊男卑があったものだ。だけど不思議とその人が嫌いだとか苦手だとは思わなかった。
「何ですか、それ……」
吹き出した僕に、手当をしてくれていた金の瞳の少女が笑う。
「うん、笑うととっても可愛いよ。それくらい可愛ければ余裕で嫁のもらい手見つかるよ!見つからなかったら僕が貰ってあげるから、元気出して?」
「姫様、彼は男です」
僕を可愛いと言うその人の方が、何倍も何百倍も僕には愛らしく見えていた。
片目が無事だったこと。それをこんなに感謝したことはない。もし僕の両目が焼かれていたら、僕はこの人をこうして見ることも出来なかったんだから。
*
蒼薔薇は、落ち着いた後も何も話さず……アスカは困惑していた。隣を見ればラハイアも同じ。どうしたものかと考える。
「…………」
すると蒼薔薇が顔を上げ、こんな事を言い出した
「行きなよ。あいつを助けに行くんだろ?」
「しかし……」
「僕なんかに構っててあいつがどうにかなってもいいわけ?」
「あんたあいつが気に入ってた聖十字だろ?いっつも遅れて現れる。今回もそうなりたいの?」
蒼薔薇に睨まれて、ラハイアは椅子から立ち上がる。しかし俺はすぐにそれには続けない。
「お前があんなに取り乱すなんて、何かあったんだろ?」
「僕に何かあったら何?あんたに何の関係があるの?」
「一応は俺ら仲間だろ」
「仲間だって?」
俺の言葉に蒼薔薇が表情を曇らせる。
「僕は情報請負組織TORAの一員。あんたは暗殺請負組織SUITの人間。仲間じゃない。協力関係にあるだけさ」
仲間なんかじゃない。だから僕に構うな。彼はそう拒絶する。
「あんたの一番と、僕らの一番は違う」
「トーラに、何かあったのか?」
「あったらなんだよ」
「え?」
「そう言えばあんたらが助けてくれるのか?違うだろ?アスカ……お前はリフルの方を先に助けに行く。そんなんじゃ足手纏いだ。マスターは僕が助ける」
迷い鳥はどうするんだとは言えなかった。言う前に蒼薔薇が窓から外に飛び下りる。
蒼薔薇という戦力がなくなって余計俺達は動きづらくなる。リフルを助けに行きたいが、ここの警備が手薄になるのも困る。ここにフォースだけ残すのも心配だ。
カードとはいえディジットやアルムが戦えるとは思えない。となれば残りは……
「それで?この俺に医療行為以外の仕事もしろと?」
「戦えそうなカードが他にいねぇんだよ」
不本意だがこうなれば後は洛叉しかいない。こいつだけには頼りたくなかった。それでもそうも言っていられないのだ。
今はそう言う状況。それを理解してくれたのか、闇医者も渋らず頷いた。
「…………貴様の頼みというのは気に入らんが、あの方のためだ。甘んじて受けよう」
「洛叉……」
扉を閉めながら俺は小声で礼を言って置いた。聞こえなかったら耳が遠いあいつが悪い。
廊下に待たせたラハイアに手を挙げて、俺はいつでも出発できると彼に伝える。
「こっちの件は片付いた」
「そうか。それでは行こう」
「ああ!」
俺達が迷い鳥を出る頃には……もう夜も更けていた。数術無しで歩いていくなら目的地に着くのは明日朝頃になってからだろう。
*
「今日はこの辺にしておいてやる」
そう言ってヴァレスタが牢を出る頃には、Suitはもう何も言わない。大人しいものだった。
相手の体力は元々高くない。ここ数日は無理の連続だったのだからまぁ無理もない。長めの鎖に切り換えて、室内に放置。あれなら寝台まで届くはず。
あんなストレス発散道具を早々に壊してしまうのは勿体ない。すっかり忘れていたがあれは一応人質だった。
ゴミなんか相手にするのは時間の無駄。あんな毒物相手にしたところで。そうは思ったが、いい暇潰しにはなった。いい憂さ晴らしにもなったし、ゴミ共も処分できた。何よりあの男の絶望に染まった顔、あの目。実に良い。おまけに具合も悪くなかった。相手が毒人間とはいえ、此方が完全装備なら毒に触れることもない。存分に痛めつけてやれた。
上に上がるとリゼカが客人……いやここの持ち主に茶を出していた。もう昼か。
「一月と言った割りには早かったな。それとも俺は一ヶ月もあいつをいたぶっていたのか?」
「いや、まだ一週間と一日だよ。仕事が一旦区切り付いたんでね、こっちの仕事のお手伝いに来たんだよ」
そう言ってオルクスが差し出す小箱。中身を確認してなるほどと思う。
「少し落ち着けばまた彼は生意気になるだろうからね。その時にでも使ってみてよ。効果は凄いと思うよ」
「そうか」
「とりあえずそろそろこの場所を嗅ぎ付けられる頃だろう。場所を移そう」
「了解した。それで奴も運ばせるか?」
「うーん。ちょっと面白い事をしてきたし、一旦帰してみるのが良いと思うよ。どうせまたすぐに彼は戻ってくる、だってあんなことになっちゃえばまともに仲間の顔も見られないよ。それにどんな顔してアジトに戻れる?東に一人でフラフラやって来るって予言しておくよ」
それも面白そうではある。その過程の奴の心を思えば、此方の気分も明るくなる。
「確かに。奴のあんな姿を見せれば、西の連中も我を忘れて乗り込んでくるだろう。本当に奴は良い撒き餌だな」
そして国取りへの一手がまた進む。
「それでリゼカ、このクソ不味い茶はなんだ?」
「僕のは美味しいよー?」
「それは飲む側の心の違いなんじゃないですか?」
「良い度胸だな飼い犬風情が」
そうして手を挙げようとして、その目がそれを期待しているのに俺は気付いた。子犬が、浅ましい真似を。
敢えて殴らず手を下げる。少しがっかりしたようなその反応。間違いない。この子供はふて腐れている。俺がSuitばかりいたぶって構っていたからだ。道具の癖に嫉妬とは面倒な。
殴る代わりにちょっと手招き。やっぱり何か期待するような目で俺に近づく。
構って欲しいなら欲しいと言えばいいだろうに。言われても鬱陶しいと蹴るだけだろうが。こいつは蹴られるだけでも幸せに違いない。構って貰えるならそれが暴力でも構わないとは、半年前のこいつからは想像も出来ない姿だ。
「分かり易過ぎる嫉妬は見苦しい。それとも何だ?お前もああいうことがお望みか?万年発情駄犬が」
「ばっ……馬鹿じゃないですか!?あんた、やっぱり最低だ!!こんな真っ昼間からなんて事を言ってんです!?」
俺の耳打ちに凄い勢いで顔を赤らめ、俺を罵倒する。クソ不味い茶を出した罰に、暫く拷問は無しだ。こいつは構わない方が堪えるようだから。
「リゼカ、新しい仕事だ」
「え……?」
俺の傍から離れる任務に、心細そうな顔をする。客人の前だというのに全く持って情けない。
「帰ってきたらこのクソ不味い茶の分、きっちり仕置きしてやる。覚えておけ」
「は、はいっ!」
見えない耳と尻尾が見えそうだ。その尻尾をぶんぶん振るこの子犬。嬉しそうな顔で笑ってみせる。随分価値観歪んできたなこいつも。俺の教育の賜だろう。ここまで人間堕とせるとは俺の調教の腕もなかなかだ。
そんな俺とリゼカのやりとりを、オルクスはにこやかな笑みを湛えて見守っていた。その視線に妙な違和感を感じたのは、俺の気のせいだったのか?
*
(マスター……トーラ様……)
蒼薔薇がそれを見せられたのは本当に、突然だった。
植え付けられた右目に映る風景。その中にはオルクスがいた。奴だけじゃない。マスターも鶸紅葉も。それに聖十字のロセッタもいた。
全員が拘束されている。鎖と壁は頑丈で、鶸紅葉の力を持ってしても破れない。そこで彼女は足を捨てた。そしてオルクスに一撃加える。
その隙にマスターを逃がした。そこまでは良かった。問題は、それからだった。
『やれやれ、少しばかりはしたないよベルジュロネット?まぁ、そんな恰好で暴れられても僕の君への好意は揺るがないけどね』
むしろそそられるよと嫌らしい視線を鶸紅葉の胸部へと向けるオルクス。その露骨な視線に流石に羞恥を感じてか、鶸紅葉がそれを隠した。その一瞬の隙にオルクスは指を鳴らす。
今度は壁に映されるスクリーン映像。そこには先程同様、別室で診察台に縛られたマスターがいる。
『き、貴様!!姫様に何を!?』
『ここの部屋で移動数術を使ったら別の部屋に転送される数式を記して置いたんだ。数術自体は使えるから、移動数術も正しく使えると思い込んだあの子のミスだよ』
映像の中では気を失っているのかマスターは目を開けない。
『僕のお願いは2つと言ったはずだよね?でも君がどうしても可愛いお姫様を汚されたくないっていうなら、君が僕の実験に付き合ってくれる?それならそのお願いはあの子に頼まなくてもいいんだよ?』
初めからこれが目的だったのか。鶸紅葉を己の物にするために、無理矢理手籠めにするために、わざとマスターをダシにした。
そんなこと言われたら、鶸は抵抗できない。先程までマスターが縛られていた診察台に今度は彼女が縛られる。
『ねぇ、ベルジュロネット?さっきまで君の可愛いお姫様が縛られていた所だよ?そう思うと少しは興奮するだろう?』
それは事実だったのだろう。だからこそ余計羞恥に染まる鶸紅葉の顔。しかし彼女が視線を逸らしたのが気に入らなかったのか……
『可哀想に、痛かっただろ?』
そう言いながら、足首の切断面を爪を立てて引っ掻くオルクス。声にならない悲鳴を上げる鶸紅葉。
『終わったら足くっつけてあげるから、もうちょっと我慢だよ』
そう言ってオルクスは彼女をいたぶり始めた。最中は僕も見ていられなくて、何かを喋られるような状況になかった。何でこんなものを僕に見せるんだ。
いつも冷静で、頼り甲斐のある鶸紅葉。僕の同僚だけど、同じような感じはしなくて、彼女の方がずっと強くて。姉さんみたいに思っていた。そんな格好いい姉さんが、凌辱されている。
『黙っちゃつまらないよ?』
『……っ、殺して……やるっ!貴様をっ……必ずっ……』
『嘘でももうちょっと色気のある睦言言って欲しいなー。そう言うこと言ってくれないとあの子もやっぱり手出そうかな』
『ひ、卑怯者っ!!』
『そうだよ。愛する君を手に入れるためなら、僕は何だってするよ。それが僕なりの愛の証明なんだよ?』
そんなこと言えば、心が折れる。いくら強い鶸紅葉でも。マスターを、トーラ様を心から愛している彼女だからこそ。首を吊りたくなるだろう。
あれが僕でも多分そういう気持ちになったはず。僕と鶸紅葉は同じ気持ちを抱えている。だからそう言う意味では姉さんと言うより、自分の分身を見ているような気持ちになることもある。
『それじゃあ簡単な所から行こうか?君は僕とあの子、どっちが好き?』
『姫様だ!』
『嘘で良いって言ったのに。そんなにその姫様を汚されたいの?』
『くっ……わ、私は……』
『私は?』
『き、貴様……が好……きだ』
『駄目だよ、ほら君は唯の侍女だろ?王族には敬語使おうか?あと変な部分で区切って別の単語を言ったつもりで逃げないの』
従うしかないと解っていても、鶸紅葉の抵抗は続く。マスターと同じ顔でも、この男はマスターじゃない。
『別に言ってくれるまで待つけど。その分僕との時間が長引くし、何回もされることになるけどいいのかな?』
あの双子の前例から、マスターを襲おうとしたオルクス。でも実験とはいえ本当は好いた女との間に子が出来れば一番だ。混血同士の妊娠の仕組みが解っていない以上、オルクスが鶸紅葉に手を出したところでどうなるかはわからない。アルムとエルムの前例一件しかないのだから。片割れ同士しか受精しないのか、それとも何かあの二人に別の理由があったのか。それを確かめる上で、オルクスはこの行動に及んだ。
『……うーん。僕としてもどうせなら楽しくやりたいんだよね。それじゃあ……こんな趣向はどうかい?』
オルクスは数術で、マスターの着ている服と同じ物に服を換えた。瓜二つの彼と彼女。一見マスターそのものだ。
『さ、鶸ちゃん。楽しもうよ?』
そして声まで同じ高さに戻してきた。虫唾が走る。その名で呼ぶな。言おうとして言えないまま、唇を噛み締める鶸紅葉。唇が血に滲むのを見て、オルクスがその血を舐め取るように口付ける。その舌を噛み千切ってやる。そう彼を睨み付けた鶸紅葉も、あまりにそっくりすぎて……頭では解っているのにそれが出来ない。
『ねぇ、鶸ちゃん?倒錯的でしょう?』
惚れた女と同じ顔の男に抱かれる気分はどんなものだと、あの人の声で彼女は囁かれる。
『僕のことなんか嫌いなのにねぇ。鏡で見せてあげようか?今すっごく良い顔してるよ?本当は君が抱きたかったのかな?でもさぁ、こういうのも悪くないんじゃない?』
今の状況に耐えきれず、彼女は目の前の人をマスターだと思い込もうとしているのだ。愛おしそうに姫様と呼ぶ声は、聞き慣れた単語なのに妙に甘い。
聞くに堪えない。見るに堪えない。いつもの彼女からかけ離れた姿。女なんてとっくの昔に止めただ捨てただそんな風に振る舞ってる彼女が、今は女にしか見えない。
呼ばれる名前が自分の物ではないのは気に入らないが、そんな甘い声で呼ばれるのは悪くないと、プラスマイナスプラスだと……オルクスは少しは満足げ。
この辺になってくると僕も落ち着いてきて……というか一線引いた場所からそれを見ることが出来るようになっていた。
アスカを睨んで迷い鳥から飛び出したのはこの辺りで。早く助けに行きたい。だけど場所が解らない。そんな僕の声に応えるように。もう一人の囚われの少女が声を発した。
『遠路はるばる第五島まで来たっていうのに……随分見苦しい物見せてくれたわね。それともシュトランリトゥスの名物はこういうとんでもファックなのかしら?』
『いいや違うよ。僕は君には興味ないし、君の目にも興味ないし、伝言役頼もうかと思って一部始終を見て貰ってたんだ。たぶんその内もう一人合流するだろうから、そこですぐに助けに来るか、戦力を整えてから来るかどうか考えてみると良いよ』
愛しの侍女を思い通りに出来たからか、機嫌の良いオルクス。気を失った彼女に服を掛ける余裕さえ見せる。見れば鶸紅葉の足が元に戻っていた。約束は守ったらしい。
そしてその言葉は僕が見ている、見せられていること前提の言葉。やはりこれはこの男が見せていたことだったのだ。
『でもまぁ、僕はもう一つお願いがあるっていったよね』
それに気付けなかった鶸紅葉の甘さにオルクスが微笑む。
『そ。僕はチェネレント愛しの那由多王子に絶望を叩き込むっていう依頼を受けていてね。そのためにも僕はトーラが必要なのさ』
とりあえず目的地は第五島。先を急ぐ僕の耳に聞こえるオルクスの声。右目の中でオルクスが笑っていた。
『眼球抉られるとショック死することってあるんだよね。だけどその辺は僕、眼球専門人身売買組織だからね眼球摘出術と移植術は僕の右に出る人はいない』
何故突然そんな話をし出したのか解らなかった。だけど、不気味な感じは十分あった。
『虎目石の目って結構レアなんだ。おまけに先読み後読みの力を持つ数術使いの瞳だろう?数術使いも眼球マニアも挙って欲しがる一品だよ』
その熱っぽい言い草に、僕は背筋がぞくと震える。それはこれから彼女の両目を抉りますと宣言しているに等しかった。
『僕は自分の目をコレクションに加えるにはどうしても、この子の目が必要なんだよね。その片目を取引に貸し出せば、僕は那由多王子の目も手に入れることが出来る。あの紫水晶は是非欲しいね。なんたって片割れ殺しの瞳だよ?レア中のレアアイテムだね』
人体パーツをアイテム呼ばわり。虫唾が走る。それからやっぱり背筋が震える。寒気がする。あの人と同じ顔でとんでもないことを言うこの男が僕は恐ろしい。
『さ、そろそろ起きなよチェネレント。ようやく君の出番だよ?』
『……う……ん。あれ……何で僕……まだ縛られて……?』
『嫌だなトーラ。妹がお兄ちゃんに勝てるわけがないじゃないか。お前は僕の掌の上で遊んでいたんだよ』
一度映像に微笑んで、その後オルクスは指を鳴らす。今度はマスターのいる部屋へと僕の目の中の景色が変わる。その部屋から伸びている光。天井に映された映像が、先程までの部屋のもの。
『良かったねトーラ。僕の可愛いベルジュロネットが一つ目のお願いを聞いてくれたよ。僕も約束は守ろう。僕はお前に手は出さない』
『鶸ちゃんに……ベルちゃんに、何したの!?』
『あはは、嫌だなこれだから生娘は。男と女が密室に二人っきり。それ以上そこに何故とかどうしてなんてナンセンスだよ』
『だからナチュラルに私の存在忘れるんじゃないわよ』
空気読む気ないなあの女。聖十字の言葉をオルクスは当然の如くスルー。音声を一方通行に切り換えたらしく、向こうで女が叫いているのが見えるが何も聞こえない。
『というわけで二つ目のお願いだ。これが済んだらお前とあの少女は解放してあげる』
にこりと微笑むオルクスが何やら物騒な医療器具一式の準備を始める。その金属音にマスターの顔が引きつっていく。
『お前は僕に自分が嫌われていると思っているだろ?別にそんなことはないんだよ』
『兄様……』
『僕もお前の目は好きだよ』
『い、嫌ぁああああああああああああああああ!!』
その発言は今からえぐり取ってやる。後の残り物は用無しだ。そう言っているも同然だ。
マスターの悲鳴が聞こえたのだろう。画面の向こうで鶸紅葉が飛び起きる。しかし身体は拘束されている。一方的にこの映像音声を見せられている。僕同様、何も口出しできないまま……それでも何を叫んでいるかは解る。姫様と呼んでいるのだ。
『ショック死させない方法も、させる方法も僕は知っている。だけどお前はカードだろう?運を天に任せてみるのも楽しいかもしれない』
仮に死ななくともでこれで幸福値も大分削れるだろう。だから麻酔は使わない。そう言って、オルクスが僕らの目の前で麻酔薬の瓶を叩き割る。せめて麻酔をと、僕も彼女も懇願するが、死神は聞き入れない。彼女の顔を押さえつけ、器具で無理矢理目を開かせる。
『ああ、当然この部屋は城同様、お前は数術は使えない。お前の全情報なら幼少時代に読み取ったしね。そこから変わった分も書き換えた。それくらい知ってればこういう数式を使うことも難しくないよ』
逃げ出そうと紡がれる、数式が、霧散していく。壊されていく。数式を壊す数式がこの部屋に展開されている。そんな凄い術、誰にでも使えるわけじゃない。それが分かっただけでも大きいが、僕らの中で一番優れた数術使い。トーラ様の数術が封じられるというのは何より痛手だ。
『お前みたいな死の予言者の手を、何の理由もなくベタベタ触るわけがないだろう?いつか何かに使えると思って危険を冒してでもスキャンした甲斐があった』
思い出を打ち壊す残酷な言葉にトーラ様の目から涙が溢れる。その涙で滑りが良くなったと死神は微笑んで、その目にメスを突き立てた。あの人の大絶叫。その悲鳴を最後に映像は途切れる。
*
「さて、そういうわけだ。もうすぐここにお前の仲間がやって来るらしい。こんな姿見られたくないだろう?」
ベッドで泥のように眠っていたリフルが叩き起こされたのは寝台に潜り込んで一時間経ったか立たないかの頃だ。
ヴァレスタは若干眠たそうだが上機嫌。弱々しくそっちを睨む私の顔を見て嗤う。
「だが俺も鬼じゃない。だからここにお前を置いて行ってやる」
鬼じゃない。もっと非道だ。こいつは悪魔だ。
あっちこっち傷だらけ。こんなのアスカ辺りに見られたら、回復しようとするだろう。だけど……こんなの見せられない。恥ずかしいとか、情けないとか、そういうレベルでもなくて。死んでしまいたくなる。トーラや鶸紅葉は無事だろうか?無事だと良い。そう思うけど次会ったときにどうやって彼女たちを見ればいいのか解らない。
「まぁ、お前が“ヴァレスタ様、貴方様の奴隷にして下さい”とでも申し出るなら考えてやらんこともないがな」
「…………っ」
誰がこんな男に仕えるものか。牢の中に積み上げられたままの死体。もう動かないその死体の山に、私は怒りで身を震わせた。
「勘違いするなよ。これを作ったのはお前だ。お前が殺したんだ」
私の反応に、嘆息するヴァレスタ。死体を一つ一つ指さして、その死因と時刻を私に教える。その全て、お前がやったことだと突きつける。
「お前があの鶸紅葉とか言う女のように手でも足でも引き千切って逃げれば良かったんだ。昼間はずっと鍵を開けておいてやっただろう?お前は自分可愛さにそれを怠った。その結果引き起こされたことまで俺の所為にされては困る」
正論だった。こんな最低な男に、正論を説かれた。返す言葉がない。それが悔しい。悔しすぎて、視界が歪む。
「お前はあいつらを殺したくてここにいた」
「……違う」
「お前はこの俺に抱かれたくてここにいたんだ」
「違うっ!」
「違わない、お前は淫乱だからな」
死刑宣告より重い。そんな響きで発せられたその言葉。撤回を求めようにも自分の内側でそれに異を唱える自分がいない。その通りだと受け入れてしまう。
力なく項垂れた私に男は満足げに笑い、耳に触れるような距離で言葉を一つ残していく。
「……俺に飼われたくなったなら、首輪を外して東に来い。その時は道具として使ってやる」
そうして響く靴音が、遠離って消えていく。
何も聞こえなくなった後は外からの街の喧噪が気になり始める。その声に知り合いのものが混ざっていそうな気がして我に返った。
もうすぐ助けが来る。その前に責めて身支度を調えなければ。
牢の中に残る衣装。その中で極力露出度が低いもの。その結果、露出の高いと思われていた姉様のドレスが一番マシだった。他にも露出の低い物が最初はあるにはあったが今はない。破れていたり水浸しで使い物にならないから。足と肩と首と胸元、
この服は、それから顔が露出している。シーツを被ってその辺は誤魔化せたら誤魔化そう。
(しかしこんなの……なんて言い訳すれば良いんだ)
道で転びました。絶対無理。殴られました。殴られたって跡じゃない。
せめてフォース当たりだったら何も詮索して来ないだろうし、こんな事知っても誰かにきっと話せない。第一一番私に懐いてくれているから私が話さないでねと口止めすれば絶対話さない。だから助けに来てくれるなら是非フォースで。実は前々からあいつは頼りになる男だと思っていたんだ。だから頼む!来てくれフォース!アスカは絶対来るな!
「リフルぅううううううううううううううううううううううううう!!何処だぁあああああああああああああああああああ!!」
(…………終わった)
上の階から聞こえてくる声に、私は気が遠くなる。
「馬鹿者っ!敵陣の中で大声を上げるものがあるか!」
「お前だって声でけぇよ!!」
言い争う声。それは……そのもう一つの声は……
「ラハイア!?」
*
《ここよ!間違いない!……だけどおかしいわね?人の気配が殆ど無いわ》
モニカにそう言われ、アスカが飛び込んだ敵の隠れ家。
そこは確かに静まりかえっていた。だけどずっと全くの無人だったとは思えない。生温い空気が漂う不気味な場所。しかしそうも言っていられない。
「リフルぅううううううううううううううううううううううううう!!何処だぁあああああああああああああああああああ!!」
「馬鹿者っ!敵陣の中で大声を上げるものがあるか!」
「お前だって声でけぇよ!!」
ラハイアは自分のことを棚に上げ俺を叱責。
「ていうかモニカが敵の気配ないっつってんだよ!」
《今地下から声がしたわ》
「よっしゃ!地下な!」
《ええ。ラハイアって呼んでた》
「なんで俺じゃねぇんだよ!!リフルの馬鹿っ!!!お前を助けに行くのは俺の役目だって決まってるじゃねぇか!」
俺が叫いている内に、ラハイアが勝手に地下へと下り始めている。
「おい!そうやって抜け駆けは卑怯だぜ?」
「……約束した」
「は?」
「助けが欲しいなら、俺を呼べと。もし俺が間に合わなかったなら気が済むまで俺を殴れと」
「何だその妙な話は」
「俺は部外者だ。だからこそあいつが俺に心を許してくれている部分もある」
「どういうことだ?」
「あいつはお前達には見られたくないこと、知られたくないことがある。俺は聖十字だ。被害者のそういう心も守る義務がある」
今日のあいつは被害者。犯罪者でも攫われれば被害者なのだと言う聖十字。
「だから俺に先に向かわせてくれ。俺のためじゃない。あいつのために」
「…………」
その目は真剣だ。俺みたいな欲でこいつは動いていない。ピンチのあいつを助けたいという俺の名誉欲とか、英雄気分に浸りたいだとか、あいつからもっと信頼されたいとかそういう欲がこいつにはない。欲塗れの俺なんかより、よっぽど……こいつがヒーローだ。あいつが助けて貰いたがった相手はこいつだ。俺じゃない。
悔しいが何も言えなくて、それを同意と受け取ったあいつが階段を下る。
《アスカニオス……》
モニカが俺を見る。それは哀れみか?同情か?どっちでもいい。それが俺の慰めに変わることはないのだから。
*
「……リフルなのか?」
薄暗い牢の中一人の人間がいる。その目の色髪の色はあいつのものだが、その服装は先日の女王を思い起こさせる。
俺と視線を合わせない。服から覗くあいつの肌はとても痛々しい有様だ。蒼薔薇という少年に言われたように、俺は今回も間に合わなかったのだ。
牢に手を伸ばす。鍵は掛かっていなかった。
「……すまない。俺を殴ってくれ!」
「っ……」
伸ばされた手。殴られる。そう思ったその手は俺に巻き付き、抱き付いた。あいつが泣いている。そこで俺はあいつ以外の物が初めて目に入った。見れば周りは死体の山。異臭さえ漂っている。
これはと問いかけ、やはり聞けない。今は落ち着かせようとその背を叩く。叩いた拍子にびくっとその身体が震え、強張った。服の隙間から背中を見てみれば、ここも酷い傷跡。火傷に無数の鞭の跡。
「悪い……痛かったか?」
「…………大したこと……ない。こんなの……全然」
「それじゃあ何が痛かった?」
「……っしたこと。この人達、私が……殺してっ、しまったこと!」
俺の肩口が涙に濡れる。それが毒だと知っていても拒めない何かあった。間に合わなかった俺が悪い。このままこいつが泣きやむまでこうしていて、それで毒に倒れるなら仕方のないことだ。だから今度は傷を労るようにその背を肩を撫でた。
「馬鹿か?貴様が……お前がそんなことするはずがないだろう?」
「私が……でも……」
「今回ばかりはお前が被害者だ。言っただろう?間に合わなかった俺が悪い。悪いのは俺だ。お前は気に病むな。とりあえずこの件は俺が処理する。教会にこの者達の墓を作らせる」
「でも、そんな風に……私は思えない!」
俺から離れて、あいつが叫ぶ。嗚呼、また泣いている。
「どうして私を拒まないんだ!?汚らわしいとその手を振り解かない!?何故私をそんな、優しい目で見るんだ!?」
「それは……お前が同志だからだ」
壁際へ逃げるリフル。でも鎖があるから逃げられる距離は限られている。俺は近づき捕まえて……その縛めを撃ち抜いた。鎖は外れたがまだ枷が残っている。これは戻って他の道具で壊すしかないだろう。
自由になって逃げようとする、その手を俺は引き寄せる。ちゃんと目を見て話せば、伝わるはずだ。俺の言葉が。
「この国には多くの悪がある。正義の名を騙る悪もある。それでもお前は悪ではない。お前は罪人だが正義の心を持っている!絶対にそうだ。言い切れる!」
こんなことお前が望むはずがない。二年もお前を追いかけた。お前の殺しを知っている。その俺が言うんだ。間違いない。
「本当の悪はお前ではない。罪深いというお前に罪を背負わせたものこそ悪だ!こんなやり方で……お前の正義を踏みにじった!俺はそいつが許せない!」
「ラハイア……」
「そんなに泣くな。お前は悪くないのだから胸を張ってだな……」
涙を拭ってやれば、それが手袋をすり抜け手に付着する。途端に急速な痺れを覚え、身体が傾ぐ。それを慌てて抱えるリフル。しかし相手は貧弱で怪我人。一緒に倒れてしまった。
「馬鹿、私の涙も毒だと言ったじゃないか!」
「いや……つい」
辺りを見回し、めぼしい物が見つからなかったのかリフルが小さく「すまない」と言う。
「でも、これは不可抗力だからな。あくまで解毒であって私は悪くない」
先程の俺の言葉をなぞるようにそう自分通れに言い張って、何故か顔を近づけられる。
痺れでそれどころじゃなかったのでそれ以上何も思わなかったが、次第に頭がはっきりするにつれて違和感を覚えていく。顔、近すぎる。あと何か口の内側がもぞもぞする。でもなんだかくすぐったいような違うような……
「って何をしているんだ貴様はっ!!」
我に返って引きはがす。
「無論解毒だ」
「あんな解毒があって堪るか!!」
「麻痺毒フェルリーレントには私の睡眠毒アインシュラーフェンが解毒になるんだ」
涙が毒で、唾液も毒で、それが解毒になるなんて言われても真実味を感じない。
「流石にあんな方法嫌だろうと思ったな。刃物を探したんだが見あたらない。私の血液、屍毒ゼクヴェンツなら全ての毒を粗方無効化出来るのだが」
「だ、大体だな!それならせめて患部の指にしろ!なんで口なんだ!」
「いや、お前が倒れた時に口の中に涙毒が入ったのが見えてな。手よりそっちの方が問題だった。一応手も貸してみろ」
何この図。女装してる殺人鬼に指まで咥えられている。俺が乾いた笑いを漏らしていると、背後で抜刀する音が聞こえたような。振り返るとアスカが鬼のような形相をしている。
「な、ななななななな何してんのかなお前ら?」
「ええと、何なんだろうな」
「無論解毒だ。よし、もうこれで問題ないはずだ」
リフルが平然としているので妙な気分の俺達だけが置いてきぼりになる。とか思ったら何故か俺に擦り寄ってくる殺人鬼。腕なんか勝手に組んでくる。
「お前に何かあったらと思って心配したぞ。というかお前城に捕まったのではなかったのか?」
「いや、仲間が助けてくれた。フォースも無事だ」
「何?あいつも捕まっていたのか?……お前が助けてくれたのか。本当にありがとう」
突然俺を持ち上げるリフル。一緒に助けに来たのにろくに言葉も交わしていないアスカが歯ぎしりをしながら俺の背中を睨み付ける。
(お前、どういうつもりなんだ?俺が憎しみの視線に当てられていて困る)
(ちょっと我慢してくれ。怒り狂って視線がお前に向いているアスカなら私の怪我に気付かないはずだ)
(……仕方ない、そういうことなら付き合おう)
*
「……」
気まずい。リフルはそればかりを考える。ラハイアが教会に帰ってあの事件のことをまとめると言うから私も人質役として行った方がいいのだろうか。ていうか連れて行って。そうそそくさと付いて行こうとしたのだが……
「お前は教会の天敵だろ」
アスカに腕を捕まれて、お前はこっちと引き摺られた。「そんな薄着では風邪を引く」とか言ってラハイアが貸してくれた上着をも焼き焦がさんばかりの熱い視線が降り注ぐ。
私が不安げな視線をラハイアへと向けると……彼は優しく微笑んだ。今日は私が被害者役だからこんなに優しいのだろうか?ベラドンナという偽名で彼に会っていた頃のような目で彼が私を見つめている。
「近々また会いに行く。東とのことも城とのこともいろいろあるだろう……此方で得られる情報を整えてから其方へ向かおう」
「ラハイア……ありがとう」
アスカは二度と来るなみたいな顔をしているが、気にしないし気にさせない。あんな惨めな姿を晒しても彼は私は軽蔑しなかった。それだけで私も随分救われた。思い出すだけで涙が溢れそうになる。
いつまでも彼に手を振る私を、その辺にしておけとアスカが呆れていた。我に返るともうラハイアは道の向こうへ消えていた。
(うっ……)
気まずい。アスカが私を見ている。何か言われる?言われる前に何か言って話を逸らせばいい?解らない。
「………ったく」
「うわっ」
「ふらついてんじゃねぇ。危なっかしいだろうが」
ちゃんと歩いているつもりでも彼にはそう見えなかったらしい。お前はどれだけ普段の私を観察しているんだ。そんなちょっとの変化に気付くなんて……
(いや……気付くか)
所詮はつもりだ。身体は限界だ。一刻も早く休みたい。
眠ってしまえば何も言われない。いっそこのまま目を閉じて、そのままずっと目覚めなければ逃げられるのに、全てから。何も言わなくて済む。何も聞かれなくて済む。それはいいな。それが良いな。私はもう、どんな顔をすればいいのか解らないんだ。ラハイア以外の人間の前で、どんな風に笑えばいいのか解らない。
魅了されている者は私を責めないだろうけど、それが怖い。本当は私を汚らわしいと思うのに、それを思わせないようにしている私が嫌なんだ。
守りたい場所が、人がいるのに……そこが帰りたい場所じゃない。こんなにも心苦しい帰路があるものなんだな。
*
(……眠っちまったのか?)
アスカが抱きかかえていたその大切な重みは、死んだように眠っている。余程疲れていたのだろう。このまま長時間運ぶのは難しい。迷い鳥までは行けない。影の遊技者にもどることにした。
静かな店先。最近ここを開けるのも戸締まりをするのは自分たちのような気がする。当然だ。ディジットはまだ迷い鳥で療養中。
長く借りていた俺の部屋。そこが懐かしいと感じるほど、俺は迷い鳥の生活に慣れている。
自分の部屋のはずなのに、少し戸惑いながら寝台を整え、リフルを寝かせてやった。
ドレスから覗く素肌のその痛々しい傷跡。その傷跡を辿れば衣服の内側にも続いているような痕跡がある。
《駄目よアスカニオス、寝ているレディの服に手をかけようなんて》
「いや、こいつ男だろ」
それに手当をするには不可抗力だ。脱がせなければ回復数術もかけられない。
《あのね、心の傷は数術じゃ治せないのよ?》
モニカが俺を睨み付けた。
《確かに数術を使えば身体は治せるかも知れない。だけど目覚めたときそれをこの子が見て何も感じないと思う?傷つくわ。見られたんだって》
「……!」
《傷を治すのは、リフルちゃんが起きてるときじゃないと駄目。じゃないとフェアじゃないわ》
「そんなの……こいつが許すかよ」
《それなら許されるような男になりなさいよ!貴方の言っていることは、起きてる時じゃ絶対に相手にされない女の寝込みを襲って無理矢理やっちゃうようなくらいに最低よ!》
「そ、そこまでじゃねぇよ!」
《同じよ!アスカニオス、貴方が癒してあげるべきはこの子の身体じゃなくて、守ってあげなきゃならないのは心でしょう?》
そんなお前がこの子の心を抉ってどうするんだと、精霊は俺を窘める。
《貴方がそんなことだから、この子はラハイア君に靡くのよ!私だって彼にメロメロよ!あの子年下だけどいい男だわ!》
「親父と同世代のお前から見れば誰でも年下だろ」
《揚げ足取らない!あのね……こんな顔でもこの子は男の子なんだから、自分の身くらい自分で守れるわよ。守れないんだったら何か考えがあっての自己犠牲でしょ?それならそんな風に考えないよう、貴方がちゃんとその心を守ってあげなきゃ駄目じゃない!》
身体だけ守っても意味はない。身体を守れなくても心を守れれば、救えれば十分感謝されるだろう。精霊はそう言う。それはまるでこいつがもう、何かされちまったみたいじゃないか。そういう前提、止めてくれよ。俺はまた……俺がまた、目を離した所為でこいつがどうにかなっちまったなんて。そういうの、俺に聞かせないでくれ。
昔棺で眠るこの人は、本当に綺麗な死に顔だった。この世の汚いこと、醜いもの……その全てと切り離されて。この世界で一番綺麗なものはこの人なんだと思った。
この人は罪も知らない。悪も知らない。人の罪により騙されて殺されて、だけどその全てを知らないまま目を閉じた。だから騙されてもこんな綺麗な顔で死ねるんだ。
だけどこの人は再び目覚めて、今の寝顔は安らから遠離っている。綺麗なその顔も傷だらけで痛々しい。疲れて眠りこけている顔は以前より窶れている。
前は眠っているような死に顔、今度は死んでいるような眠り顔。このまま死んでしまうんじゃないかと不安になる。だから傷を治したいって思うのに……
(あ……)
それはこいつの怪我を治すためじゃなくないか?
俺が苦しい思いをしたくないから、こいつを治したい。それはとても……独りよがりで。自分勝手な想いじゃないか?
そんなことだからこいつは俺よりラハイアを選ぶ。モニカはそう言った。
俺はこいつを大切だと言いながら、結局自分しか見ていない。本当に大切なら、こいつを見なければならないのに。
(俺は……)
どんなに近くにいても。傍にいてもこいつを裏切っていたのだ。大嘘つきな俺は、俺自身をも騙していた。
最初は唯、綺麗だなって。目が離せなくて。それが俺だけの物になったような気がして。嬉しくて。守ることが誇らしくて。それがどうして今はこんなに醜い想いに変わってしまったんだ?どす黒い思いが俺の内側にはある。
誰かを大切に思う気持ちってもっと清らかなものじゃないのか?とてもじゃないが俺の中にあるものはそんな綺麗な気持ちじゃない。それが邪眼に歪められた思いだと、あいつは言うのだろうか?
俺をこんな風に変えたのはこいつの目だというのだろうか?そうやって目の所為にこいつの所為にする心自体が、もう取り返しの付かないほど醜く歪んで濁って汚れてしまっているのだろうか?
だけどこいつは何をされても何時までも変わらない。この身体の内側にある心は今も綺麗なままだ。その輝きに魅せられて手を伸ばしてしまいそうになる。どうすればその綺麗なものに触れることが出来るのだろう?それに触れることが出来れば、醜い俺も浄化されて……昔みたいにまっすぐに唯綺麗だなって守ることが誇りなんだって思えるようにならないだろうか?
(……せめて顔だけでも治してやりたいな)
顔まで打つとは最低な野郎がいたもんだ。こんな綺麗な人を打つなんて。国宝級レベルの美形だぞ俺のご主人様は。こいつの姉貴が絶世の美女なんだから、こいつだって絶世の美少年くらいは名乗って良いはずだ。どっちかっていうと少年ってより少女って顔してるけど。
怪我を確かめるように、そっとその白い頬に触れる。柔らかな手触りが気に入って、それを何度か繰り返す。その内に掌が唇へと触れた。その柔らかさ、滑らかさにはっとする。
思い出したのはあの光景。解毒と言ってラハイアに口付けるこいつの姿。
あの瞬間俺は固まった。邪眼に掛かってもいないのに動けなかった。その光景が幼い頃の記憶と重なって見えて……動けなかった、あの日のように。
それは親父とマリー様の密会だ。俺の家にこいつの棺を預けに来た時。その別れ際にそっくりだった。
《アスカニオス、ストップ!》
「ぎゃあっ!」
突然俺の顔の真ん前に現れるモニカ。もう少しでモニカとキスしそうな勢いだった。
「ちょっ、俺のファースト奪う気か!」
《だから寝込み襲うなって言ってるでしょ!?もう!!私止めなきゃやってたでしょ!?》
「は?やってたって何をだよ?」
《貴方、もう少しで鼻くっつくってくらいまでこの子の顔覗き込んでたわよ?私がすり抜けて飛び込まなかったら危ないところだったわ!》
言われたことを考えるが全く心当たりがない。この腐れ精霊、また大嘘で俺を騙す気でいるな。そう思ったが……モニカの顔は至って真面目だ。
「俺はせめて顔の傷は治してやりてぇなって顔見てただけだ」
《無意識でそれだから怖いって言ってるの。でもまぁ、それには同意よ。顔くらいは治しても良いと思うわ。顔の傷は心の傷だもの》
「いや、わけわかんね」
それでもモニカが数術の発動を手伝ってくれる。顔は綺麗になった。しかしこうなると他の傷が気になってくる。傍にいたいが余計なことしかしなそうだ俺。
「モニカ、こいつ見ててくれ」
《アスカは?》
「飯でも作ってくる。ご主人様には暖かい飯食わせてやるってトーラと鶸紅葉に約束したからな」
ディジットの使うキッチン。そこに立てば彼女の気持ちも何だか解る。トーラが精霊を説得した言葉も分かる。誰かのために作る料理は楽しい。あいつがいないだけで飯はすごく不味かった。唯傍で一緒に飯が食えるだけで幸せなんだってトーラは言った。案外そんなものなのかもしれないな。幸せなんて……そんな些細なこと。
死ぬまで傍で、一緒に笑って飯が食える。そんな関係、幸せすぎるくらい幸せだ。俺が家臣としてそういう風に仕えても、それは家族を錯覚させる。俺の望んだ形を思わせる。
あいつがそれで笑ってくれれば、それだけで……そう思えるようになりたい。例えその食卓が大人数のものでも。あいつの笑顔が他を向いていたとしても。そう思えるように…………
「……無理だろ、そんなの」
すぐさま想像の中でぶち切れている自分を想像し、想像の中くらい平和に出来ないものかと自分の心の狭さを恥じる。でも多分そうなる。絶対無理だと断言できる。俺達を騙したトーラより、俺の方が腹黒いと思うと少々凹む。意外とあの女腹黒そうで綺麗なもんだ。
「……っかしいな」
唯、大事なだけだったのに。それだけなのに。どうしてこうなっちまうんだろう?
*
ご丁寧にロセッタが、映像の中でシュトランリトゥスと言っていた。恐らくあれが街の名前。第一島から第五島を抜け、蒼薔薇は街を調べ南西へと下る。
その街にたどり着くまでに夜になってしまっていたが、距離もかなりある仕方ないことだろう。それでもそこで出会った赤毛の少女は開口一番僕を怒鳴った。
「遅いっ!」
「距離を考えてよ。僕が後天性だって僕は数術なんか使えないんだ!ずっと走り放しだったんだからな!」
「私だってこの街敵だらけで色々大変だったんだから!」
すぐに街を出て、話が出来そうな場所に移動した。ロセッタは防音数術の弾を撃ち、これでよしと頷いた。
「あの建物全部探したけどトーラはいなかった。多分飛ばされたの別の場所よ。街の中も一通り探したけど見つからない。手がかり無しっていうのは本当痛いわ……」
「鶸は?」
「彼女はオルクスが嫁にしたいくらい惚れてるみたいだから、無事だと思うわよ。彼女と何処かにあいつが数術で飛んで、その後に私は解放されたわ」
オルクスを殺してやりたいのは山々だが、あいつの言っていた言葉が気になる。二人で合流してくるか。それとも仲間を連れて来るかと。
「……あの言葉からすると、近くには潜んでいそうな感じはする」
「でしょうね。だけど確実に罠ね。あんた強いカードでしょ?どうにか磨り減らしたいって気持ちがあるんだわ。それで今あっちはどうなってるの?」
僕が迷い鳥のことを話すと、彼女は低く唸る。
「数兵しかいないのは痛いわね……あんたと同ナンバーとはいえフォースでしょ?あいつじゃ心配だわ」
そして僕がいなくなった後の向こうの情報を彼女は口にする。
「教会の情報だと、夕方頃リフルが発見されたみたい。ラハイアの馬鹿が教会に戻って死体の後片付けを始めて、アスカはリフルを連れ帰ったみたい」
「あいつ……無事だったのか」
それは良かった。だけど今心配なのはマスターだ。あれきり連絡が途切れた。
「……僕はこの眼で一部始終見せられていた。だけどマスターの悲鳴を最後に何も見えなくなった。あんたは他に何か見せられたのか?」
ロセッタは表情を曇らせる。その思い出したくもないと言わんばかりの表情は、マスターの身に何かあったということを僕に教える。
「あんたのご主人様を守れなかったのは悪いと思うわ。だけど私は教会の人間。彼女を最優先には出来ない。一度、帰らせて貰うわ。あいつらがこの島にいるって保証もないんだから」
「……教会の人間は、血も涙もないんだな!混血一人どうなっても良いって、そう思ってるんだろ?」
「ええそうよ!この世界に何人人間がいると思ってんの?たかが一人!それだけのために運命の輪は廻りはしないわよ!」
ロセッタは僕の胸ぐらを掴む。その目が僅かに濡れている。血も涙もない。言い過ぎた。涙はあった。教会の犬でも。……彼女も、人間だった。
「……この情報が来る前だったら手伝ってた。怨むんなら遅すぎた自分を怨むのね」
そう吐き捨てて消えるロセッタ。僕は追わない。追えなかった。
彼女は僕じゃない。それならそれで、仕方ない。彼女の一番はあの人じゃない。属する場所も違う。頼る必要もない。僕は僕のやるべき事をやるだけなんだから。
ここじゃないと言われた街の中。僕は再び踏み込んだ。自分の目で確かめるまで僕は絶対に信じない。
死神商会の場所を探り、その中に忍び込む。僕は後天性混血児。僕の目にオルクスは興味がない。だからか人の気配もしない。本当にいないのか……そう思って引き返そうとした時だ。誰かの声がした。誰かじゃない。あの人の声だ!
「マスター!!何処ですか!!」
僕は走る。その声を求めてっ!
「蒼ちゃん……ハルちゃん!!」
あの人が泣いている。声に滲む悲しみがある。だけど上手く泣けないのだ。酷いことをされたから。
声の聞こえる場所。そこに繋がる扉はない。
(それならっ……)
僕は息を吸い、思いきり壁をぶち破って中へと侵入。あの人はいた。出口のない部屋を彷徨って這いずり回っていた。
「マスター……」
可哀想に。マスターは数術使い。目で多くの情報を見る。目を盗まれた彼女は、無力な赤子も同然だ。ここが何処か解らず、道も解らず。数術も使えず泣くしかない。
ロセッタが部屋を探していた頃は、痛みで泣くことも出来なかったのだ。気絶していたのかもしれない。もし僕が彼女と一緒に帰っていたらと思うとぞっとする。彼女はこの出口のない部屋、一人死んでいったのかもしれない。
(いや……)
或いはオルクスは数術でこの部屋を巧妙に隠していた。彼女は本当に用済みだった。用無しだった。でも敢えて今聞こえるというのは……
「そういうこと。袋の鼠って事だよ」
「オルクス!」
「ナンバー10って結構地味に強いカードでしょ?一枚ずつ始末するのが一番だと思ってね」
フォースと僕。共に行動していたら厄介。
二手にと、仲間と共に。その選択を与えたのは第三の選択に嵌めるため。どちらも蹴らせる。その前提で敢えて二つの答えを渡した。そのどちらかしか僕オルクスは想定していません。そういう考えを植え付けるために。
「醜いチェネレント。可愛いお目々がなくなったお前を愛しの王子様は果たして愛してくれるかな?目があっても無理だったんだから尚更無理だよね」
心を抉るその言葉に、マスターが泣く。だけど痛くて泣くに泣けない。涙は傷口に染みるのだ。
「僕はマスターが好きです」
「……え?」
「どんな姿でも貴女が好きです」
悪魔の子と呼ばれ、死にかけていた僕を救ってくれた人。僕に居場所をくれた人。誰よりも、大切な人だ。
「片目のない僕を貴女は、一度も醜いなんて言わなかった。僕を貴女は悪魔だなんて呼ばなかった。そんな貴女が美しくなければ、この世の全ては腐っています」
僕のために髪飾り、僕のために服を用意して、可愛い可愛いと僕を褒めてくれた。男扱いされていないのは解った。男として見て貰えていないのも知っていた。だけどこの人の笑顔をすぐそばで見られるなら役得だと思った。
「トーラ様。貴女は誰より美しいです。貴女の心は今も輝いて見えます。何を失っても貴女のその気高さは美しさは衰えません。リフルだってそれは知っています!あいつはそんなことで貴女を嫌いに何てなりません!僕が保証します!」
「ハルちゃん……」
彼女を抱えて僕は飛ぶ。天井ぶち破って外へと逃げる。
建物の外。ここならばオルクスの数術も及ばない。
「それでもその姿であいつに会いたくないんなら……僕が貴女にこの目を捧げます」
オルクスに植えられた目なんかはこの人にはあげられない。何が起こるか解らないから。
それでも残された、僕の左目。これは元々僕のもの。安心してこの人にあげられる。
躊躇なく僕はそれを取り出した。丁寧に綺麗に傷を付けないように。それをマスターに渡して僕は微笑む。
「数術で、治して下さい。マスターならきっと蒼い眼も似合います」
「でも……」
「早く!奴らが来る前に!お願いです!!」
僕の懇願に、マスターは後押しされる。数術を発動し……傷口の消毒、麻酔、それから回復数術で視神経を繋いでいく。
「無駄だよ。後天性とはいえ元は純血。純血の目なんかで数術が扱えるわけがない。目を治したところで脳味噌沸騰して死ぬんじゃない?そろそろ幸福値も減ってきたころだろうし」
僕らを追いかけてきたオルクス。彼は一人じゃない。何者かを従えている。その暗い影は黒髪黒目のタロック人。二年前に戦ったことがある相手。
「……ロイル!?」
あの日の明るい様子はなく、バトル馬鹿のような印象は消えている。とても冷たい目で僕らを彼は見つめる。
「彼はコートカードのJ。つまりそっちの片目のナイト君じゃ相手にならないって事。ナイトはナイトでも数札だからねぇ」
「こいつが……J!?」
一枚ずつ強いカードから、殺していくのがオルクスの戦法。数札でも数が揃えば馬鹿にならない。一枚一枚が弱いカードでも結束すればコートカードをも討つ。それを恐れるかのように。絶対有利な立場からしか戦わない、戦えない。負けるのが怖い。負けたくない。だから勝てる勝負しかしない。勝てる勝負にするために、周り諄いことをする。
「……見損なったよ、こんな奴の下に付くなんて!」
僕はロイルを睨み付ける。オルクスが汚いのは今に始まった事じゃない。だけどロイルがそんなオルクスの言いなりになっているのは解らなかった。
「二年前のあんたは馬鹿だった!呆れるくらいバトル馬鹿だった!だけど僕より全然正々堂々してたじゃないか!それがなんだってこんな奴にっ!!」
「…………話はそんだけか?んじゃさっさと始めようぜ?」
まるで聞く耳を持たない。冷たく輝く対の長剣。それを彼は構えた。
(嫌いだ……大っ嫌いだ)
純血なんか、大嫌い!こうしてすぐ、僕らを裏切る。僕らだって心がある。信じて、それで裏切られれば……心は、痛いんだよ?