50:Nihil est incertius volgo.
記念すべき50回目が拷問回。今章一番?のエロ回。
この章だけ15禁にしたのは、大体今回の所為。
この回だけで近親、NL、BL、GL全部入ってるってのが恐ろしいわな。でも裏本編はいつもそんな感じだから困る。
やばそうな描写はなしで進めました。心情表記メインだから、うん。
毒人間という主人公の設定と背景、それから暗殺者としての信念を折るためにはどうしてもこれが必要でした。エロが目的のわけではないんです、一応。
これはちょっとと言う予感がした方は、ここでブラウザバックをお願いします。
痛いのと、苦しいのと、恥ずかしいのと。
だけどいつか慣れる、拷問だって。なんだ、こんなものかと思えるようになる。
リフルはそんなことを思い始める。打たれている間暇だったから、いろいろなことを考えた。
最初は悲鳴を抑えるのが大変だった。泣かないようにするのも大変だった。何かを考える余裕などなかった。その内私は感覚が麻痺して来る。痛みも最初よりは和らいだ。
だけど打てば打つほどあいつが惨めな気分になるように、打たれる側の私が常にあいつを嘲笑ってやる。それが出来るようになればもう少し。一時的に攻撃は強まるけれど、それを乗り越えれば私の勝ちだ。奴は舌打ちをしながら手にした得物を床へと叩き付けるようになる。
心を閉ざせ。何も感じないように。私は人間じゃない。犬畜生以下家畜以下。唯の道具だ。私は奴隷だ。息さえしない。眠らない。虚ろにあいつを嘲笑うだけの道具だ。
瑠璃椿の頃の気持ちを取り戻せば大したことはない。ああなんだ、こんなものか。痛いのは身体だけだ。心は全然痛くない。
「……なんだ、もう終わりか?」
「不感症を打ってもつまらん」
「自分が感じさせられない低スキル持ちだと自覚して貰えたなら幸いだ」
「黙れ!」
とりあえず鞭には飽きたらしい。本当は「嫌」とか「止めて」とか泣き叫んで、懇願すればこいつのお気には召したのだろう。だけどそんなことしたらこいつが喜ぶのが目に見えていた。よく頑張った私。
「しかし私を被虐趣味に目覚めさせてくれるんじゃなかったのか?新しい扉さえ見えてこないが」
普段人をいたぶるばかりのこの男。精神的に抉られるのには慣れていないのだろう。口惜しげに歯噛みする。
こいつが私の身体をいたぶるなら、その間私はこいつの心をいたぶることにしよう。どっちが先に根負けするか、そういう勝負なのだろう、これは。
そして次にこの男が持ち出したのは蝋燭だ。これも割とメジャーな。意外性に欠ける。30点。
「ははは、面白いことをするな。長剣に心臓すぐ横貫通させた私が今更蝋燭如きで痛がるとでも?」
「人の気が萎えるようなことを言うな。奴隷は奴隷らしく淫売で媚びへつらったらどうだ?」
「生憎私はお前の奴隷ではないのでな」
「少しは顔に似合った言葉を話せ。お前が身の程という物を弁えてこの俺を崇め奉るなら、少しは手加減してやっても良いんだが?」
「というか私は風属性だからな。あまり火は効かないらしいぞ?」
「お前はコートカードだろうが。四大元素とは無縁のカードが何を言う。本当は痛いのだろう?熱いのだろう?正直になってみろ」
「しかしだな。もし仮に私がそういう属性にでも目覚めたらどうするつもりなんだ?生憎だがエロモード入った私の邪眼魅了率は格段に上がるぞ?毒殺されたいというのなら相手になってやっても良いが」
「誰がお前のような薄汚いゴミに手を出すか」
「何を。そういうお前は姉様を口説いたそうじゃないか。半分は同じ血の私も実は結構いける口だろう?顔だけならいけるとか、これで女だったらとか思って居るんだろう?素直になったらどうだ?好きなんだろう?正直になってみろ」
「俺の言葉をなぞるなっ!!」
そこで口枷を嵌められた。私が喋ると盛り上がらないと気付いてしまったらしい。というか最初から気付け。
しかしむしろこれはありがたい。手足縛られていても唾毒を手にするチャンスだ。隙を見て唾でも吐きかければ、上手く行けば毒殺できる。涎塗れになった私の顎でもあいつが触れればそれで殺すことも出来なくもない。
(いや……ちょっと待て)
よく考えたら奴との対抗心でこれまで煽り続けたが、むしろ涙は私の武器だった。涙も毒だ。泣き喚いた方が良かったかも知れない。そろそろ心が折れたという設定でそういう風に演じてみるのも良いかもしれない。それでこいつを毒殺できればそれにこしたことはない。
物は試しに泣いてみるか。いや……駄目だ、出来ない。そんなことしてもこいつを喜ばせるだけ。そんなの嫌だ。私にプライドはそんなにないが、意地は私にもある。私はSUITのお頭なんだ。そんな私が敵の頭の前で、そんな情けない真似が出来るか。
こうなれば徹底抗戦。私はヴァレスタを嘲笑う。それだけが私に出来る抵抗だ。
「なんなら姉様と同じドレスでも着て一緒に踊って差し上げようか?もしそれで反応なんかしたら不名誉極まりないだろうが」
言葉は口枷の所為で正しく伝わらなかっただろう。それでも私が勘に障ることを言ったという気配は察したはずだ。わからないからこそ無性に腹が立つ。実際に言われたことよりも酷いことを自分で想像して、被害妄想を膨らませ、私への怒りをより強める。
そうだ。それでいい。私は伝わらない言葉を駆使して、目の前の男を嘲笑い続けた。
*
エルムが待てと言われて放置された部屋。
僕がご主人様に呼ばれたのは……そこから三日三晩が過ぎてからのことだった。
「部屋の掃除をしろ。俺は休む。夕方には起こせ。食事の仕度も忘れるな」
なんて自分勝手な。僕はいつ命令が来るかわからないから殆ど眠らず待ってたんですけど。そんな事を言ってもまるで取り合ってくれないのは解っている。だから言うだけ無駄だ。
「はい」
だから僕はそう言った。
地下へと向かおうとした僕を、ヴァレスタは呼び止めて……
「リゼカ、部屋の掃除以外は何もするな。間違っても数術なんか使うな。睡眠の邪魔だ」
「……?解りました」
妙なことを言う。確かにクレプシドラの力で水を撒けば床掃除とか簡単だけど。この男がどういう散らかし方をしたのかによって掃除の仕方も変わってくる。それじゃあ今こいつが言っているのはそういうことじゃない。奥の部屋へと戻っていくヴァレスタに、血水の精霊も首を傾げる。
《なんかあいつおかしくないか?》
「基本的にあの人は何時もおかしいと思うよ」
クレプシドラはそれもそうかと頷いていた。聞こえてたら一拷問くらいされそうなものだけど、部屋からヴァレスタは出て来なかった。本当におかしい。疲れているようだ。
(あいつ、何やってたんだろ……)
とりあえず命令通り地下へと下る。牢の鍵は開いていた。仕事で拷問を引き受けたとは聞いたけど……それならもっとすっきりした顔か機嫌良く帰ってくるはずだ。あいつは人をいたぶるのがお金の次に大好きなんだから。でもさっきのあいつはなんというか、そのどちらでもない。ここに来る前はあんなにそわそわしていた癖に。
(仕事が思うように進まなかったとか?)
あいつは物事が思い通りにならないのが嫌いだ。計画を妨げる物が何より嫌い。
朝方とはいえ明かりもほとんど無い、薄暗い牢。どこから掃除を始めようかと辺りを見回せば、拷問されていたらしい人間がいる。
「り……リフルさん!?」
両手を天井から鎖で吊されて、気を失っている。勿論両足は床に付いていない。今も拷問は続いているのだ。
僕が人質だった頃だってここまではされていない。基本牢に閉じこめられていただけ。あいつに仕えるようになってからは……言いがかりのような理由で最初はよく拷問されたりお仕置きされたりもあったけど、最近はそんなこともあんまりなくなった。やるにはやるがじゃれる程度の拷問だ。生死の間際を彷徨うような怪我は勿論、気絶するような拷問もない。唯単に、あいつは僕の嫌そうな顔を見たいだけなんだと理解した。
だけどあいつは他人をいたぶるのが大好きだ。だからその鬱憤が溜まっていたのだろうか?
(それにしても……酷い)
服もボロボロで破けている。全身傷だらけで鞭の跡とか、蝋の跡とかも見える。元々肌の白い人だからその赤い跡が余計に痛々しく見える。この人は毒人間だ。血も武器だ。だから血は出ないような拷問をしなければならない。だからあいつも神経使っていたのだろう。
そこまでするなら拷問なんかしなきゃいいのに。そうは思うが、あいつは金の次にプライドを重んじる。金のためなら折れるが、その影でギラギラと怒りを募らせる。ある意味あいつは金よりプライドに支配されている。
半年前のことはあいつにとって屈辱だったのだろう。計画が台無しにされた。だからこれはその復讐。
「余計なことはするな……か」
情に流されて、回復数術なんか使うな。あいつはそう言いたかったのだろう。
《こいつ、良い匂いするのに血が出てない。惜しいなー……ヴァレスタの奴、やるなら血の出ることやればいいのにな》
血水の精霊は傷跡から滲む血の臭気に、空腹時に隣の家の夕飯の煙でも吸い込むような浮かれた声。
「…………」
僕には何の声も聞こえなかった。この人は拷問の際に悲鳴の一つも上げなかった。だからヴァレスタはつまらなかった。それでエスカレートしたんだろう。長く苦しませるのが、苦しむ姿を見るのが好きなあいつが激怒した。
気絶するまでいたぶって、気絶してもいたぶって、我に返ったらもうこんな時間だった。そう解釈するのが妥当だと思う。だってこの人、ぴくりとも動かない。もしかして死んでいるんだろうか?
まじまじと見つめれば……数値の流れが見えてくる。微かだが息はある。死んではいないようだった。
「……掃除か」
数術は使わない。それでも掃除ならいいはずだ。またあいつがこの人をいたぶる時に、全身蝋だらけでは仕事をさぼったと僕が殴られるか鞭で打たれる。だからこれはそれを避けるためのことだ。
僕は床掃除の前に、水で彼の身体を拭う。少しは炎症や火傷の痛みを抑えられればいいんだけれど。そう思って、濡れたタオルで触れた瞬間、びくっと彼の身体が震えた。
「す、すみません!」
痛かったんだろう。声にならない悲鳴が聞こえた。
「……その声…………エルムか?」
今ので目が覚めたのだろう。彼が僕を見る。その動作に揺れる鎖の音が重く聞こえる。
鎖を外してあげたいが、牢に鍵は掛かっていない。だからこれを解いたら逃げられる。……それならそうしてはあげられない。
「…………なんというか、その……すまない。みっともない姿ばかり、君には見られている気がするよ」
「ご、……ごめんなさいっ!!」
その言葉に目を逸らす。今のこの人は全裸未満半裸以上だ。
「とりあえず……我慢してください。何もしないよりはマシだと思います」
傷跡だけを見るようにして、僕は作業を進める。
「……あいつ、反抗しても泣いてもどっちにしろ嬉しい奴だから……基本無視、無反応が一番ですよ」
「そうだろうなとは思ったんだが、私も私で色々と鬱憤が溜まっていたんだよ。言いたいことは言わせて貰った。そう言う意味では少しすっきりしたな」
「よく……そんなこと言えますね」
体中傷だらけで顔まで打たれた跡があるのに、今も現在進行形で吊されているのに、大したこと無いと言わんばかりのけろりとした顔。確かにずっとこんな風にされていたらどうすれば屈服させられるのか解らない。それにこの人その間ずっとあいつに暴言吐いていたらしい。
(凄いな……)
打たれた分は相手の精神えぐり取る気でいる。肉を切らせて骨を断つというそれだ。この人自身は毒と目の力がある程度で戦闘能力も身体能力も高くない。それでも何も出来ないのに、何もしないに収まらない。
「食わず嫌いと言ったところだが、痛いと言ってもこの程度か。よくよく考えれば半年前の方が痛かったな」
「……どうして貴方は、そんなに強くいられるんですか?」
「私は弱いよ。だからこんな所に捕まっている」
「……そういう意味じゃ、ありません」
「私は弱いが、それでも一応私は組織の頭だ。どんなに弱くても強がらなければならない時は幾らでもある。私にも、……守らなければならないものがあるんだ」
そう言ってその人は笑った。優しい笑顔だ。その優しい笑顔が守る者の中には、憎らしいあの姉さんが入っているんだろうなと思った。そう思った瞬間から、その笑顔がとても遠くに感じられて、僕は実感する。嗚呼、この人は……本当に僕の、僕らの敵なんだ。
掃除も終わり、立ち去る僕にその人はありがとうと言ったけど、その言葉に僕の心が動くことはもうなかった。あの人はあそこに繋がれているのがお似合いだ。だって逃がせばあの女のことを守りに行くんだろう?それってとっても不愉快で、理不尽なことだ。
姉さんみたいな女なんか、守る価値はない。ディジットも、リフルさんもそんなことしなくていいんだ。
(死ねば良いんだ)
あの日からずっと僕は僕が死ねばいいと思っていた。だけど違う。死ねば良いんだ、姉さんが。
余所のキッチンはまだ慣れない。だけどそれで口に合わない物を出すわけにもいかない。余裕を持って夕飯の仕度を調えて、夕方を待つ。
「起きてください、ヴァレスタ様」
「遅い!余裕を持って五分前に起こせと言っただろうが」
ノックをし部屋に踏み込めば、もうご主人様は起きていた。
ていうか言われてません。大体その台詞は普通逆だろ。あと五分というのが相場だろう。睡眠時間程無駄で金にならない時間はないと思っているこの男らしいと言えばらしくはある。
「くれぐれも余計なことはしなかっただろうな?」
「生温いと思います」
「……何?」
「あんなことしてもあの人は悔しがらないし泣いたりしない。したとしても演技です。胸の内では絶対あんたを嘲笑う」
「……だろうな」
「だから先にあの人の心を折らないと駄目だ。心の支えを失えば……あの人は弱くなる」
例えばこんな事はどうでしょう?
僕が口にした意見。いつもは奴隷の意見なんか聞かんとフィルツァーの手前、蹴られるのがオチ。だけど今日はあいつもいない。少なくとも話くらいは聞いてくれる。
「ど、どうでしょうか……?」
「……なるほど。その頃には向こうの仕事も終わっている。それをやれば支持者もまた増える」
黙り込む主。考え込むようにそれを反芻しているようだ。そんな反応されたのは初めてだから、僕もどう反応すればいいのかわからない。わからないままでいる僕の頭を……半年仕えて初めて、あいつが撫でてくれた。
「奴隷にしては上出来だ」
あいつが笑っている。僕に。僕の言葉で。
それで何が変わるわけでもないけれど、そんな些細なことがとても……嬉しいんだ。
*
どのくらい痛めつけられていたかは解らない。私も気を失っていた。エルムが去った後にまた眠ってしまった。それでも寄るが来たのは解る。暗い室内が、更に暗くなった頃、階段の向こうから聞こえてくる足音。嗚呼、悪魔がお目覚めらしい。黒髪のあの男が、牢の中へと入ってくる。
リフルはそれを見届けた後、挨拶をする。人間関係の基本は挨拶だ。例え敵とはいえそれは変わらない。挨拶で喧嘩を売れて、余計関係が悪化するなら好都合。
「それで?飽きもせずまた私をいたぶりに来たわけか。ご苦労なことだな」
「一日中吊されてもまだそんな口を聞く余裕があるか」
「大層なことを言っていた割りには下手だったんでな、感じるものもなかったよ。精々今日は満足させてくれ」
「そうだな。当初の予定では、お前を被虐趣味にでも目覚めさせて拷問で感じる身体にでもしてやって、羞恥心をギッタギタに痛めつけて自尊心を粉々にしてやろうと思っていたのだが」
「そうだな。それはそれで面白いかもしれないな」
「だが、よくよく考えてみればお前には自尊心も羞恥心もないことを思い出した。男の癖に平気で女装し男を誘惑するような変態王子には」
適当に挨拶を交わす中、いくつか情報も拾えた。どうやら昨日のようなやり方で今日は仕掛けてこないらしい。
「結論として、お前は先に心を折らなければ幾らいたぶっても意味がないと理解した」
「それに今更気付くとは、やはり天才だな」
「褒めるようで実は褒めるどころか思いきり貶したりするのは止めろ」
口枷を外した途端これかと、ヴァレスタが舌打ちをする。しかし今日の拷問メニューを考えて来ていたこの男は、それを思い出してか笑った。
「何か金になりそうな物はないかと、お前の荷物を漁った際に面白い物を見つけた」
「!」
ヴァレスタの片手が、持つのは小さな小瓶。城での死んだふりをする際に使った毒媚薬。私に毒は効かないが、その匂いを嗅げばトラウマで目眩が起きる。深く吸い込めば気絶くらいはする。それを飲み込んだなら……気絶こそしないが条件反射で私は目眩と共に変な気分になる。それで魅了率が上がることも解った。城での一件、あそこで女王があそこまで怒り狂ったのもたぶんその所為。
「こんな媚薬を持ち歩くとはな……この淫乱、薄汚い豚が」
この反応。その様子だと、ヴァレスタはこの薬が何なのかを知っている。
「これは本来100倍に薄めて使う物だ。市場に流通している物はその程度の濃度で売っている。それでも普通の人間にはよく効く物だ」
原液で持ち歩くとは薬物依存も甚だしいと言わんばかりに、ヴァレスタは私を見下した。
「この国には馬鹿と変態が多いからな。こういう物もよく売れる。第四島の歓楽街は媚薬のメッカと名高いが、あの島にもこれが流れることは少ない。こしれを薄めて売ればそれなりの金になる。ありがたく貰っておこうと思ったのだが……少しくらいは無駄遣いも悪くないと思ってな」
「……私を毒殺する気にでもなったか?」
「馬鹿か?そもそもこれは飲む物ではない。塗る物だ。飲むは飲むでも上から飲むのは唯の阿呆だ。第一お前は毒で死ぬかどうかも怪しい」
それならどうするんだ。いややはり聞きたくない。ヴァレスタは悪人面の笑みを浮かべている。
「俺も疲れた。今日からは楽に仕事をこなそうと思ったまで」
そう言って男が招くのは……人。牢の中にぞろぞろと人間が入ってくる。それはどれも立派な服装ではない。髪の手入れをしているかも怪しい。一目で奴隷と分かる。
いや、違う。割と普通の人っぽい外見の者もいる。多少薄汚れてはいるが、着ている服などは極々普通。そしてその中にはまだ小さな子供もいる。その髪色目の色……暗がりでもそれとしれる……純血とは違う色。混血奴隷!?確かにそう言う子は他の奴隷よりマシな恰好をしている……何処かから攫われてきたのだろう。
純血奴隷と混血奴隷。そのどちらも私が助けてきた人間。私の弱点。それを今ここに呼ぶ理由。不意に脳裏を駆けめぐる、恐ろしい考えがある。私の顔が青ざめるのを見て、ヴァレスタは満足そうに口を釣り上げた。
「少しはお気に召してくれたようだな」
「ヴァレスタっ……!!」
「ヴァレスタ“様”だ」
例えここでそう呼んだとしても、これから行うことを止めるはずがない。でもそう言われたなら今の私なら呼んでしまうかもしれない。それがどんなに見え透いた嘘だとしても。
「何、気を病むな。こいつらは混血狩りに捕まったゴミとそのゴミを匿ったゴミと、それから奴隷としても使えない売れ残りのゴミ。故に近々処分されるゴミだ。そんなゴミを哀れんで、この高貴で美形でお優しいヴァレスタ様が最後のチャンスを与えてやろうというのだ」
「ヴァ……っんぐ」
「お前はそろそろ黙れ。説明の邪魔だ」
無理矢理口枷を付けられる。逃げてくれとももう言えない。泣きそうに歪んだ私の顔に、ヴァレスタは気分が良いと言わんばかりの顔。奴隷達を見回して、慈悲を与えてやると口にする。
「さて、ゴミ共。お前らが生き延びる術を教えてやる。どんな方法でも良い。この不感症を満足させてやれ。この部屋にある物なら何を使っても構わん」
部屋にはいつの間にか、物が増えている。おそらく拷問の主旨が変わったからと、こいつが運び込ませた物だろう。その中には何となく使い方が分かるものと全く分からないもの。それから拘束具やら女物の服から際どい露出度の衣装まである。これには違う意味で青ざめた。
「判定は俺が行う。こいつを最高値まで感じさせたならば、その者は時点で奴隷身分から解放だ。何処へなりとも行くが良い」
私は喋れない。喋れさえすれば、適当に毒に触れられる前に嘘を吐いて彼らの解放を迫ることも出来る。しかし判定がこの男ということは、それが不可能。
それに比べれば恥ずかしい様の一部始終をあの男に観察されることくらいどうってこともないが、それもやっぱり普通に嫌だ。
しかしそんなことはどうでも良い。今は問題じゃない。この男の狙いは、私の力で私が救おうとした者を殺させることにある。
(そんなこと……させるものか!)
私は邪眼を発動。魅了するためじゃない。動きを封じるためだ。
私は邪眼のもう一つの使い方を知った。魅了を完全に自分でコントロールできれば相手の動きを封じることが出来る。半年前に、混血狩り達を殺した力。アスカをこの前固まらせたあの力。長い間それを続けたことはない。どれだけの時間、それを続けられるのかはわからない。それでも私はそれを行わなければならない。今はそうするしかない。彼らを死なせないためには!
「愚かだな」
私のやることを知っているかのようなヴァレスタの反応。
「二度も同じ手を食うと思うか?そして半年前、俺にはそれが効かなかったことを忘れたか?」
確かにそうだ。何度か昨日も試みたが効かなかった。しかしそれとこれとは話が別。ヴァレスタに効かなくとも、彼らに効くかどうかは違う話。けれどこの男はそれが同じ事だ言っている。
「お前の魅了など、命の危機……本当の恐怖の前には消え去るまやかし」
俺がそれを煽ってやった。ヴァレスタが私を思いきり、嘲笑う。
「そう言うわけだ。好きに始めろ」
ヴァレスタは牢の外へと出、鍵を閉める。そして用意した豪華な椅子に腰掛けて、傍観の体勢に。
「もっともそいつは毒殺殺人鬼。何処に毒を隠し持っているかは解らん。無論危険な賭ではある。しかし我々に虐殺されるのと、この顔だけは極上の女のようなこれとやって安楽死させて貰えるならどっちがいいだろうな?ゴミの分際で腹上死ならまぁ、大分幸せな終わりだろう?」
「……っ」
悪魔の囁きに、死に取り憑かれた奴隷達は耳を貸してしまっている。私の声は彼らには届かない。
来るな!死にたいのか!そう目で訴えても伝わらない。動きを止める邪眼は使えないのに、魅了自体は働いているのか?あまりのことに、もう私の目からは涙が溢れ出してしまいそう。
「なぁ、Suit?お前は奴隷助けのための商人貴族専門の殺人鬼だったな。それなら明日からはどう名乗るんだ?混血、奴隷殺しの殺人鬼?」
*
それはアスカが迷い鳥の警備に来て七日。城での騒動から丁度一週間経った頃だ。平和すぎて不気味な思いを抱える俺の所に駆け込んできた奴がいた。それはフォースとラハイア。
「お前ら無事だったのか!」
「俺はだけど……っ!大変なんだよリフルさんが!!」
まくし立てるフォースの話。それを俺は相づちを打ちながら聞いてやる。
「なるほど……」
そしてラハイアへと近づいて……思いきり殴り飛ばした。
「あ、アスカ!?何やってんだよ!!」
「うるせぇ。これくらいさせろ。これでとりあえず後腐れなく協力してやるって言ってんだ」
「いや……当然のことだ」
こんなことで気が済むのならと、ラハイアはもう片方の頬を差し出す勢いだ。
俺の行動は理不尽だとは思うが、そんなこと言ったら世の中理不尽だらけだ。傍にいなかった俺がああだこうだ言えることじゃないのは解ってる。それでも傍にいてあいつをみすみす拉致らせたこいつを俺が許せないのは確かな事実。
「そっか。それじゃあ……」
そう言ってフォースが笑う。そして俺を一発殴りやがった。
「っ痛……ガキ……てめぇ!!」
「俺だってアスカには腹立ってんだよ!リフルさんの気持ちも知らないで!!」
「あいつの……?」
「リフルさん、本当は死ぬ気だったんだ!俺はその気持ちを変えてくれたこの人に感謝してる。教会は大っっっ嫌いだけどな!!」
リフルが死ぬつもりだった。そんなこと、俺は知らない。ラハイアの表情からして、ラハイアもそれは知らなかったようだ。何も知らない俺達に、フォースはどうしてそのくらい気付いてやれないんだよと睨み付けてくる。
「“何処にいても、何処にも居てはいけないような気持ちになる”……あの人はそう言って泣いてた」
その寂しげな言葉。それをあいつの口が語ったのか?それは何時……?俺が目を離したその時に?
そんなことない。そんなはずあるわけないじゃないか。何処かに行きたいなら何処へでも連れて行くし付いて行く。お前がそこにいて悪いって言う奴がいるなら俺が懲らしめてやるし、二度とそんなこと言わせないようにする。それが駄目ならそういう事を言う奴が居ない場所まで逃げればいい。それだけのことじゃないか。なのにどうして、あいつはそんなことを言ったんだ?
「二人は、リフルさんの夢を知ってる?」
「そりゃ奴隷のいない世界を作ることだろ?」
「それから混血が人として生きられる社会に変えることだろう?」
俺達の返答に、フォースは心底呆れてしまう。腹立たしいことに蔑みの目を送られた。
「リフルさんは……いつかラハイアさんに殺されるのが夢だって。その日のために生きてるんだって言ってた」
「何を馬鹿なことを……」
「馬鹿なんかじゃない。あの人にとってあんたは希望なんだ。世の中で唯一変わらない正義だって信じられるモノなんだ!城にあんたを連れて行ったのは、教会じゃあんたはあの人を裁けない。だから城で殺して貰うつもりだったんだよ!!全ての罪を償うために!!」
頭から冷や水をぶっかけられたと思った。そのくらいわけが分からなかった。
「だけどあの人はそうしなかった。話と違う。俺も驚いた。だけどあの人は生きてる……それはあんたがあの人を変えたんだ。俺じゃあどうすることも出来なかったあの人を!!」
フォースの言葉は完全にラハイアを向いていた。そしてフォースはさっき俺を殴った。それはつまり、リフルがあんなことを言ったのは俺の傍にいたから。死のうという気持ちを変えさせたのはラハイアが傍にいたから。
俺とラハイアの違いは何だ?数え切れないほどあるが、決定的、致命的な違いは何だ?
(……邪眼だ)
俺は魅了されている。毒されている。だけどラハイアは違う。魅了されていない。俺とは違う、まっすぐな心を持っている。それでもあいつとの間には確かな絆がある。
魅了されていないから、だからそれを信じられる。その繋がりをあいつも素直に受け入れられる。俺が幾ら魅了されていないと言った所であいつは信じない。魅了されているのは事実だから。始まりは違うんだ。そう言った所で……虚しくなるだけ。
「……今は考えるだけ無駄だ。食い違いがあったならあいつに尋ねればいい。今は一刻も早くあいつを見つける。それが先決だ」
褒められても天狗にならない。そういう美徳も今は腹立たしく映る。俺の口から舌打ちが出たのは不可抗力だ。
「しかしこれだけの情報があると絞り込むのは難しいな。手当たり次第という風に行くには人員もかかる上に、敵に此方の事も知られてしまう。違う場所に逃げられる可能性もある」
行動は慎重に行わなければと言うラハイアに、フォースが一枚の紙切れを差し出した。
「これは?」
「俺が掴んだ情報。オルクス達の隠れ家の一つだ。そしてこれはそっちの情報の中の一つと一致してる」
行ってみる価値はあるんじゃないかというその提案。
「おい、でもトーラ達が掴んだ情報だと第五島にオルクスの本拠地があるってんで、そっちから潰しに行ったぞ?本拠地なら末端の情報も手に入るだろうって」
「確かにそれは悪くない。だが今この情報を唯見ているだけ……彼女たちが戻ってくるまで何もしないでいられるのか?」
確かにその通りなのだが、迷い鳥の警備が手薄になるのも困る。
考え込んだ俺は、目の端に何か光る物が在るのに気がついた。それはラハイアから見える。幾らお綺麗な事を言う聖十字だからって、光ってまで見えないだろう。どういう補正?目を凝らして、目を擦って、それでも消えない。しかしよく見ればそれが唯の光ではないことに気付いた。あれは数字だ。
「お前、モニカじゃねぇか!!」
「……は?」
「お前何俺の精霊乗っけてんだよ!」
ラハイアの肩にへばりついているのは俺の風の精霊。
フォースもラハイアも彼女が見えていないようだ。ラハイアは元々純血、その上に元素の加護の薄いコートカード。仕方ない。フォースはギリギリ数札だが、俺以上に元素の加護が薄いナンバー。精霊までは見えないのかも知れない。或いは……
「モニカ!おい!しっかりしろ!!」
モニカを引きはがし、様子を見る。彼女はぐったりしている。弱っている。だから見えなかったのかもしれない。俺も気付くまで時間がかかった。
気を失っているモニカは、揺すっても引っぱたいても目覚めない。とりあえずこいつは風の精霊だ。上着を脱いでバタバタと風を起こして扇いでやった。周りの元素が増えたことと関係あるのかどうか解らないが、それを暫く続けると……モニカが目を開いた。
その間フォースとラハイアは俺の気が触れたのかとか思ってそうな気があった。そういやモニカ云々の詳しい話、フォースは知らないんだよな。東のあの店で俺がわけのわからん技発動したくらいにしか思っていないんだろう。
《アスカニオス……?》
「ったく……心配かけさせんな」
何があったのか。それを問えば、彼女は小声で俺に説明。
《城で力使い過ぎちゃった……契約者が傍にいないのに無理した所為》
精霊自体は元素の塊。庇護する対象、契約者がいてはじめて自由に数式を汲むことが出きる。俺の目的から考え、リフルも庇護の対象だが契約者ではないリフルの傍ではあまり大がかりな術が使えない。消費が激しくなるとのことだ。確かに俺も契約する以前は軽い数術しか扱えなかった。祝福と契約は別物だと彼女は言う。
《祝福は一方的な力になりたいって思い。それを相手もきちんと望んでくれないと大きな数式は紡げない。契約って言うのはそれを明確にするための手段なの》
願いのシンクロ。それが大事なのだという。唯の元素なら意識を持たない。それを酷使することは簡単だ。しかし精霊は膨大な元素の塊。故に生じた自我がある。波長を合わせるというのはとても難しいこと。だから精霊使いには才能以外に相性が要る。今までトーラが精霊を従えることが出来なかったのはそのためだ。あの土の精霊とは寂しさの共有が出来たからこそ成功したまで。
(それならこいつは……)
どうして俺に従っている?こいつの願いって何なんだ?
《私は、アトファスから……マリーから、アスカニオスの幸せを託された。私は貴方の幸せを守りたい。そして貴方も自分の幸せを願っている。希う思いがある。だから貴方と私の願いは一致する》
リフルにこいつが付いていったのは、俺にそれが出来なかったから。俺の代わりに傍にいてくれたのだ。
「モニカ……」
《褒める時はちゃんと笑って?そんな顔で褒められても私嬉しくないのよ》
泣きそうな俺にモニカが小さく微笑んだ。
《オルクスが消える間際に繋がった場所の数値は覚えた。一キロ圏内に入れば私には解る。早くあの子を助けに行きましょう!》
「ああ、ありがとう」
俺はモニカに笑み返し、そしてフォースを振り返る。
「おい!フォース!お前俺の代わりにここ残れ!」
「ええ!?」
「俺の精霊はこの場所が正しいかそうじゃないか、一キロ圏内まで行けば解るって話だ。こいつは俺にしか使役出来ねぇ。なら俺が行くしかねぇ。大体お前ら数術使えねぇだろ。相手はあのオルクスだ。何が出てくるかわからねぇしな、ないよりあったに越したことはないはずだ」
その言葉に、フォースを言いくるめることが出来た。不満そうな顔はしているが、それが最善だとは理解してくれている。
「…………リフルさん、ちゃんと連れて帰って来なきゃ……また一発殴るからな」
そう言い残してフォースは会議室から出て行った。
残された俺とラハイア。こいつと二人で行動した事なんて殆どないから少々気まずい。
「精霊か……」
そう呟かれた言葉。信じて貰えるかは怪しい。どうしたものかと考え込む俺に、ラハイアは聞いたことがあると言う。
「モニカという名前はあいつも呼んでいたな。独り言にしては妙だと思ったが……そうか。俺達に力を貸してくれていた者がいたんだな」
俺の傍に精霊がいるものとして、ラハイアは頭を下げる。
「普通に考えればあの穴から落ちて無傷というのはあり得ない。感謝する、モニカさん」
《う……本当見えてないのが惜しいわ!昔のアトファスみたいで凄いツボなのに!!》
男のことになると俺とのシンクロ率が極端に下がるモニカ。それがちょっと不安になった。本当にこいつ俺の願いを叶えてくれる気、あるんだろうか?もしかしてラハイアに一目惚れしてふらふらと付いていっただけじゃないのか?……その可能性が大いにあり得る。それが効を出しただけなのかもしれない。こんなことあまり言いたくないが、褒めて損した。
「とりあえず、この場所の近くまで行ってみようぜ?ここが辺りかどうかはモニカが解る。万が一外れでも、他の場所を同じように探ってみれば当たりにぶち当たる可能性は強い」
「……ああ」
「待てっ!!」
会議室に駆け込んできたのは蒼薔薇。顔色が悪い。植え付けられた右目を押さえて、彼は呻いている。
「おい、大丈夫かハルシオン!?」
「何かあったのか?!」
俺とラハイアが彼の元へ駆け寄れば、強気な彼が両目から大粒の涙を流して吠える。
「何があったかわかんねぇけど、落ち着けよ、な?」
とりあえず落ち着かせないと話にならない。そう思い優しく話しかけるが、殺意の宿る目で睨まれた。
「お前らはっ……見えないからっ!何も見えないからっ……そんなことが言えるんだっ!!」
彼は言う。見せられている。死神に。吐き気を催しても足りない、……研ぎ澄まされた悪意の炎を。
*
ロセッタ達が第五島を探し回ること一週間。
ようやく死神商会の本部を見つけたそこに踏み込んだ後に……私は新たな情報を知る。
残念ですがと伝えられた、神子様からの情報に……私は愕然とする。馬鹿な男だとは知っていたけど。今度こそ私は言わざるを得ない。
(馬っ鹿じゃないの!?何やってるのよラディウス!!)
ラハイアが無事だったことは素直に嬉しい。ラディウスが良い仕事したって褒めてやっても良い。だけど……
(そんなの、あんたらしくもない)
女好きのあの男が、あの坊やのために自分を危険に晒すなんて。そんな、リフルみたいな真似、絶対しない奴だと思っていた。何勝手に感化なんかされてんのよ。
ロセッタは胸の中で悪態を吐く。吐かずにはいられない。困ったことは幾らでもある。その中で一番恐ろしいことは……ラハイアが手に入れた住所の中のどれとも、今この場所が一致しないと言うことだ。
彼方が間違い?それとも此方が?騙されているのはどっち?そう思うと二人が心配。だけど……私達のいる所が正解っていう保証もないんだ。
以前鶸紅葉という後天性混血が攫われた場所。それはトーラが攫われた場所とは異なる。トーラが連れて行かれたのは第五公の城。鶸紅葉がいたところはそこではない。僅かな情報をつなぎ合わせてようやく見つけた。知る人ぞ知る死神商会。
第五島は第一島から近い。海を越えずに陸続きの橋を渡ればいい。他の三島に比べて簡単に行き来ができる。だから……手間取ったのは移動ではなくその場所の割り出しだ。
ここには確かにオルクスの手がかりは在るだろう。忍び込んだ雰囲気から、鶸紅葉はここが自分が連れてこられた場所だと言い切った。
だけどここが正解じゃないなら……これは何?だって……目の前にオルクスはいるのに。
「いらっしゃい、よく来たね。チェネレント、それから僕の可愛いベルジュロネット」
「そこ、ナチュラルに私の存在スルーするんじゃないわよ」
この腹立つ対応は絶対にオルクス本人で間違いない。視覚数術で目の色を変えているが、それはこの島での用心のためだろう。
「ごめんごめん聖十字のお嬢さん。でも1対3なんて不公平だろ?だからちょっと見ない振りをしたかった僕の気持ちも解って欲しいな」
「嘘ね。あんたは私を怒らせて判断能力の低下を図ったんでしょ?でもお生憎様。私はそこまで馬鹿じゃないわ」
私は銃口を向ける。今度こそこの男の風通しを良くしてやるために。だけどこいつは余裕を無くさず、それでいて此方を非難するような声。
「数術使いに、後天性混血児が二人。それに教会兵器までってさぁ……カード三枚でよってたかって僕を襲いに来るなんて、ちょっと酷いよね。そんなわけで僕も商人らしく取引をしてみたよ」
オルクスの目的はあくまでつぶし合い。カードを磨り減らすことが目的。そして極力人が戦わないこと。
「そんなわけで、僕は高みの見物と行かせて貰うよ」
オルクスの声に現れるのは、第二島で出会った純血の男女。リフル達との顔見知りとのことだから……それは当然トーラ達とも顔見知り。トーラは苦い顔になっていることからもそれが伺える。
「兄貴の奴、ほんと俺らのこと扱き使いすぎだよな。でもまぁ……後天性混血とやり合えるってのは美味しいよなリィナ?」
「もう、ロイルったら。そんなこと言ってるから今度は第五島まで飛ばされたんじゃない」
「……ロイル君!?リィナさん!!それに彼は……」
トーラが狼狽える。顔見知りだからってここまで?それにしては何かおかしい。彼女の視線はその二人より……もう一人の来客に向けられいる。
遠目にみてもなかなか整った顔立ちの少年。たぶんタロック人。長い髪は黒より明るい。たぶん茶色とか?目も黒より明るい。それならきっと赤目だろう。貴族らしい品のある美少年だが、私達に向けられる目は冷たい。他の二人はそんなことないのに。
(あいつ、純血至上主義者ね)
だからオルクスは目の色を変えていたのだ。奴が混血だと教えれば、彼は戦闘意欲を無くすだろうか?いや、それはない。標的が一匹増えるだけだろう。
(なら、言っても無駄ね)
私が視線を他の二人へと移すと……金髪の女の方は礼儀正しく頭を下げて、会釈の後に弓を構える。黒髪の男の方は本当に楽しそうに剣を抜いた。
「お手柔らかにお願いします」
「一回お前らとやりあってみたかったんだよな」
「ロイル君は……うん、まぁ……そう言うだろうね」
顔見知りと戦うことにそこまで抵抗がないロイルと言う男。戦闘を挨拶か何かと勘違いしているような気がする。その様子にトーラも憎むに憎めずと言った顔。
「姫様、彼とは私が」
「まぁ、そうなるよね。前衛は任せたよ鶸ちゃん」
「あんたらがやりにくいってんなら私が全員殺してやるわ。純血なんて私の敵じゃ……」
歯切れの悪いトーラに、私がそう言ってやれば……彼女はあの少年に目をやった後、私を見る。
「……そうだよね。それじゃああの少年剣士からやって。彼は数術使いだ。早めに潰すに限るよ」
「了解」
指示を貰ってすぐに私は発砲。寸前の所で弾かれる。今のは風の数術だ。
「なるほど、数術使いってのは嘘じゃないわね。でも純血の数術使いなんて大したこと無いわ」
「混血が生意気な口を聞くな。ゴミ共が」
「あっそ。んじゃ即行で終わらせてやるわ」
純血の身体能力で、私に叶う奴はいない。素早さでも力でも、私の方がずっと上。
「口の割りに大したこと無いじゃない!」
「くっ……!」
少年は防戦一方。剣士だから接近戦も出来るという強みはあるが、それでもそれは普通の人間相手の話。生憎私は普通の人間じゃないもの。
私の銃を剣で防いだ、その反射神経は見事。だけど、腹ががら空きだ。私はそこに思いきり蹴りを入れてやる。それを防ぐまでは本当に立派。だけど私は後天性混血児。ちっこい外見でもパワーは馬鹿にならない。剣を砕いてその破片で彼を傷付け吹っ飛ばすくらいは余裕。
私の見事な攻撃。吹っ飛ばされた彼を見て、トーラに弓を射っていた女が振り返る。鶸紅葉と黒髪男は尚も戦い続けていたが。
「グライド君っ!」
「グライド……!?」
その名前に私は一瞬固まった。私を我に返らせたのは、彼の名を呼んだ女の悲鳴。今の隙にトーラが彼女に攻撃を当てたのだ。
「リィナ!」
その声に男も一度退き、彼女の方へと駆け寄った。
「鶸ちゃん!」
今だと止めを刺せと言うトーラ。それはその二人ではなく……倒れた少年に向けて。
トーラは知っていた。この少年の正体を。だから私に言ったのだ。先に殺せと。それはきっと……私が判断に迷うのを見越して。
「や、止めてっ!!」
私の叫びに呼応するよう、辺りは静まり返る。
「うん、わかった」
静寂を破った言葉。それは今まで見物をしていたオルクスの声。
彼は向かってきた鶸紅葉を数術の壁で弾いて、グライドを守る。
「それでどうする?聖十字の……ええと、ロセッタお嬢さん?」
「ロセッタ……ロセッタだって!?」
わざとトーラはここで私の名前を口にしなかった。それはグライドに教えないため。だけどオルクスが呼んでしまった。彼は昔から頭が良い。多分私に気付いただろう。
「…………何で君が、そんな……混血なんかに」
「……っ、別になりたくてなったわけじゃないわよ!」
驚いたような目。それが段々また元の冷たい目……それ以上に嫌悪を表す目に変わる。
「グライド……あんたこそ、どうして奴隷商なんかの所に……」
「気安く僕の名を呼ぶなっ!気持ち悪い……」
気持ち悪い?ちょっと何言ってるのよ。あんたはそんなこと言う奴じゃなかったじゃない。ちょっと髪の色変わったくらいで、それだけで……
「僕の過去最大の汚点は、ロセッタ。君だ。君なんかを一時でも友人と呼んだ僕が僕は許せない!」
一瞬何を言われているのか解らなかった。あの優しいグライドが、私にこんな事を言うなんて。そんなこと、今までなかったのに。
思い出も過去さえも、記憶ごと、粉々に打ち砕かれる。武器を失っても彼の口は塞がらない。多分死ぬまで私に呪いの言葉の雨を降らせる。
もう何も聞きたくなくて、銃口を向けるのに……その引き金を引けない。だから彼も止まらない。
「吐き気がする……!今までずっと僕を騙してたんだな!?」
「違う、私は……」
「もしも過去に戻れるなら……僕は君を記憶ごと葬り去りたいっ!!」
私は後天性混血児。元は純血。そう言っても彼には届かない。今、私は混血。彼には目の仇にされている生き物。
何で、そんなに嫌うのよ?髪の色が変わっただけじゃない!
昔のグライドはいつもみんなに優しくて。私にも優しくて。フォースがパームが悪さして、私が怒って追い返して……みんなの前じゃ泣けない私が落ち込んでると、それに気付いてくれる。何でも相談に乗ってくれた。弱音を聞いてくれた。フォースに言い過ぎたと私の代わりにそして適確に怒ってくれたりもした。感情ではなく理詰めで責められて、反論できなくなったフォース達から謝罪の言葉を引き出してくれたりもした。その時は何時も……上手くいったねと私に笑いかけてくれるんだった。同じ赤目同士、何か解り合えているものがあるような気がした。
だけど今は、何も通じない。伝わってこない。彼は本当にゴミを蛆をゴキブリを見るように私を見る。私を見ている。そこまで私が嫌いなのか。それだけがよく伝わってくる。
震える手。そこをオルクスの数術で弾かれる。武器を弾かれ無力化した隙に、オルクスは私の拘束を命じる。相方を傷付けられた怒りからか、男の方はその命令に従った。
「さて、トーラ。僕は君の愛しのリーちゃんの居場所を知っている。だけど僕も商人だ。タダではあげられない。解るね?」
私に人質としての価値はない。それでも拘束する理由は、私に邪魔されては困るそういうことだろう。この男、かなりの馬鹿力。力は同じくらいでも、体格の差はでかい。押さえ込まれてしまえば私が脱することは不可能。
「……まだ僕にさせたいことがあるの?」
「それがあるんだよ。2つばかり」
「まずはベルジュロネット。全ての武器を捨てて貰おうか?」
「………っく」
リフルのためはトーラのため。鶸紅葉は武装解除。床へ全ての武器を叩き付けた。
「……これで、満足か?」
「まだだよ」
それじゃあまだわからないとオルクスは笑う。
「君は暗殺者じゃないか。何処にどんな武器を隠しているかもわからない。次は服でも脱いで貰おうか?」
「っ……………」
暗殺者とはいえ、彼女も女だ。人目がある。男の前で脱ぐなんて羞恥、屈辱でしかない。
しかし彼女の躊躇いは逡巡。勢いよく服を捨て去った。下着姿になった彼女は、お望みならばもっと脱いでやるとオルクスを睨み付ける。
「……次は何をしろと?」
開き直った彼女はこんな恥ずかしい恰好なのに、全く下品に感じない。潔さから生まれ来る、高貴さのようなものさえ纏っている。
「そうだな。それじゃあトーラ。彼女のサラシを結び直してよ。僕は向こうを向いているから、その時に武器がないかを確認。今度は腕ごとぐるぐる巻いてあげて」
鼻歌交じりに後ろを向くオルクス。ロイルにもう良いよと言って、私を拘束具に繋ぐ。私の力でも壊せないとは……この男、後天性混血を使って研究でもしたのか。
「もう今日はリィナさんとグライド君を休ませてあげていい。君も存分働いてくれた。宿は手配しておいたしそこで手当もさせる。それからこの街では好き勝手に飲み食いしてくれていいよ」
お疲れ様とロイルの肩を叩いて、倒れた二人と共に下がらせる。
ロイルは険しい顔をしていたが、相方が目を開けたことでその表情も僅かに和らいだ。それでも昔なじみが危険な目に合っているというのに助けようとはしない。
肩を貸され、立ち上がったグライドも……私のこれからが最悪なものでありますようにと嘲笑いの笑みを浮かべ、私を一瞥。部屋から去っていった。……トーラの声が聞こえたのは、多分そのすぐ後。
「…………出来たよ」
トーラの言葉にオルクスが笑う。
「それじゃあ次はこれ」
そう言って彼女の片足を、壁から伸びる足枷に繋ぐ。私のそれより鎖は長い。両手両足拘束された私より随分甘い。……たぶん何かある。
そう感づいた私にオルクスがにやりと笑みかけ、一度手を叩く。その音に従うように姿を現す診察台。そこにも無数の拘束具がある。
「それじゃ、次は君だよトーラ。君がここに寝そべってくれれば君の愛しのリーちゃんの居場所と、今どうなっているかを見せてあげる」
「……わかった」
トーラは数術使い。例え拘束されても戦える。逃げ出すことも出来る。この場所で数術が使えたと言うことは、数術を防ぐ式も記されてはいないはず。大人しく彼女もそれに従った。
「だけど兄様、甘いよ。僕に何かしたってそれでリーちゃんがどうなることはない」
「それはどうかな?」
「リーちゃんは優しいから、僕なんかのことでも胸を痛めてくれる。だけどそれだけだ!それで判断を誤るようなことはしない!リーちゃんは僕ら、請負組織SUITのお頭だよ!何時だって最善の方法を選んでくれる!!」
確かな信頼の灯った、熱い言葉だった。だけどそれすら嘲笑うよう、死神達の主はけらけらと彼女の炎を嗤う。
「ねぇトーラ。お前は彼の無事を確認したいと言ったね?それは結構。だけど今、彼はお前に見られたくないかもしれないよ?それでも本当に見たい?」
嗤うオルクスが、指を鳴らせば……何処からか音声が聞こえる。余所から音だけ拾ってきている?多分そう。
その中にはあいつの……リフルの声がある。音だけじゃ何が起きているのかわからない。だけどはっきりとしないその声。苦しげな呻き。それは確かに悲鳴のようだ。
「リーちゃんに、何をしたの!?」
拘束されながら、それでも人の身を案じるトーラ。本当にあの男が好きなんだなと私はぼんやりと考えた。
「さぁ。僕も任せっきりだからあれからどうなったかわからないな。唯、ヴァレスタ異母兄さんのことだから、とびきり素敵な拷問を考えてくれてはいると思うよ?大切な人質だし、生かさず殺さずってね」
「あ、あの人にリーちゃんを任せただって!?」
Suitとgimmickの頭との間には確執がある。神子様が言うには、半年前の抗争が原因だったとか。二人とも相打ちで死にかけたらしいから、怨みがあっても仕方ない。そんな相手が人質ならば、死ぬより辛い目に遭わそうと考えてもおかしくはない。
そう考えた時から、その音声が何を意味するのか私は解った。よく考えれば聞いたことがある。聞いたことがある呻き、息遣い。
奴隷だった私はそれを知っている。だけどこのお姫様は知らない!この姫様大好きな侍女に守られてきたから、そういう人の汚い欲を知らない。情報として知っていても頭で身体で理解してない!
「駄目……!見るなトーラっ!!」
惚れた男のそんな有様、直視に耐え難い。あいつだってこの女には、……ううん、誰にだって見られたくないはずよ。
なんなら自分だけでも数術で飛んで逃げろ。私はそう叫ぶけど、死神が彼女に囁く。
「どうするトーラ?お前なら見さえすれば、彼が何処に捕らわれているのか知ることが出来るかもしれないよ?」
居場所を教えるとはそういう意味。言葉では文字では教えない。
だから知りたければ見ることを望め。死神がそう持ちかける。
「…………見せて、兄様」
「そう?それじゃあ解った。だけど僕は無理強いしてないからね。これを望んだのは、あくまでお前ということだ」
*
時間の感覚が狂う中、私は今が何時なのか解らない。それでも数は数えられる。奴隷の数。倒れた数。また一人動かなくなった。私に触れればそうなった。
涙を拭ってくれた奴隷も。口付けから始めた者も。長く私の肌に触れて汗毒で死んだ者もいる。
何時頃だっただろう?リフルの口枷はもう外された。だけど、もう何も言えない。頭がくらくらする。ヴァレスタが牢の中に残したあの毒媚薬。上から下から飲まされた。塗りつけられた。昔を思い出しておかしくなりそう。媚薬の匂いで気を失いそうなのに、飲ませられた毒が私を眠らせてくれない。心臓が破裂しそうなくらい痛い。怠い。身体が熱い。風邪でも引いたような感じで、意識が朦朧とする。触れられた場所から熱が灯る。全身性感帯でもなった気分だ。
だけど仲間を失い、その命を犠牲に奴隷達も学んでいく。触れてはいけない毒はどれか。水をぶっかけられて毒を流される。そんなことを繰り返されれば風邪も引くだろう。
直接触れるのは危ないと、服の上から手袋越しに這いずり回る手、手、手。
「やはりお前は見下げた屑だな。この変態!随分と良さそうな顔をしているじゃないか」
朦朧とした意識を引き戻すのはあの男の声。私をここに帰らせる。引き戻し、逃がしてくれない悪魔の悪意。
「……って、ないっ!」
「仲間を殺しておきながら自分だけよがるとは本当にどうしようもないゴミだなお前は。少しは相手を満足させてやったらどうなんだ?」
何お前は女じゃないんだ。ぶち込まれても問題ないだろう?と牢の向こうで嗤う声。
「それとも何だ?腸液コントロールが出来るほどお前は使い込まれた中古品なのか?嗤わせるな。……と言うわけだお前ら、理論上問題ない。この淫乱を満足させるにはAやらB程度ではどうにもならんぞ」
悪魔が煽る。奴隷を煽る。生きたければ踏み込めと。俺の前でこいつのプライドを粉々に砕いてやれと。
私が気を失ったら、その時点で何か起こっても判定は不可。あくまで私が起きている時に判定を通らせなければならない。だから気絶すれば起こされる。水をかけられるくらいなら良いが、電気を流されるのは本当に死ぬかと思った。
奴隷達は魅了はされているが、ヴァレスタの恐怖に支配されているのも事実。自分の頭で考える余裕と欲を併せ持つ。そして恐怖が勝っているから、私の懇願など聞いてくれない。口枷が外れた頃は必死に訴えかけた。それでも何も響かないのだと気がついて、何も言えなくなった。信じられないのだろう。私みたいな非力な人間が、ここから自分たちを救い出してくれるだなんて。
「なぁ、変態殺人鬼?淫乱王子様?毒人間のお前は随分と欲求不満なんだろう?そんな身体じゃ女にも手を出せんからな。良かったじゃないか。何年ぶりに女を抱けるんだ?しかし男女入り乱れで襲われるなんてなかなか経験できる事じゃないぞ。良かったな、これでまた変態レベルが上がるわけだ」
「…………っ」
だけど、私がここで我慢すれば。毒さえ人にかからないようにすれば。彼らを解放出来るのだろうか?逆に違うところで我慢をすれば、汗毒で殺してしまう。だけど……そんな、こいつの目の前で……?
屈辱と羞恥に染まる私の顔を、それはもう満足気にヴァレスタが見ている。唇を噛み締めても、私の怒りは収まらない。
私が折れなければみんな死ぬ。私は僅かに残るプライドも投げ捨てなければならないのだ。
(いや……これしきのこと、今更だ。何を躊躇う)
まだ救いもある。仲間連中がここにはいない。こんな惨めな私の姿を、見られることはない。それだけでもまだ私は……救われる。
「……やるならやれ。どこまで満足させてやれるかわからんが、お相手させて貰おう」
「だ、そうだ。遠慮するなゴミ共。その悪しき目に毒されて、本当は最初からやりたかったんだろう?死んだ奴らは大馬鹿だな。遠回しなやり方でこいつが落とせるはずがない。危険を冒してこそその対価は勝利に繋がる、そういうものだ」
グラスに酒を注ぎ、ヴァレスタはそれを呷る。人の嫌がる顔を眺めながらの酒は極上の一杯だとその目が物語る。それに悲鳴が加わればもっと良い。そんな物足りなさと、これからの期待をそこに秘め。
『やぁやぁヴァレスタ兄様、盛り上がってるみたいだね』
「ああ、オルクスか。首尾はどうだ?」
突然聞こえてくるオルクスの声。私は声を抑えるのに必死だ。
『こっちも良い感じ。僕の所まで馬鹿な女がぞろぞろとやって来てくれたからね』
「……っ!?」
オルクスの言葉に私は凍り付く。今この声のある場所に、私の仲間がいるのだ。
「そうか、それは良かった」
『うん。だから僕も僕の目的を達成出来そうだよ』
僕の目的。オルクスのその言葉。何を企んでいる?
『審判の終わりまで半年弱あるでしょ?その間僕も観察記録でも付けようと思ってね。まぁ実際上手くいくかもわからないし、上手くいっても時間も足りないし早産どころか死産になるだろうけど、混血研究の実体曝くには良い方法だよ』
その言葉に愕然とする。そうだこいつはトーラを攫ったときにそう言っていた。それじゃあ今あいつの所にいるのはトーラ!?トーラが危ないっ!!助けなければ。そう思って暴れる私を押さえつける奴隷達。今はお前達を構ってる暇はないんだと目で訴えても聞いてくれない。
「お前なら胎児のパーツまで商品化して売り出しそうだな」
『標本にしても売れそうだよね。もし僕が上手く行かなくても、その時はこの子達が守ってるあのスタールビーの女の子。あの子を解剖させて貰おうかな。あの子は確実に妊娠してるよ。もう少しお腹の子が成長したら狙い時だね』
「止め、ろ……っ!トーラにっ……アルっ……ムに、手を……だすなぁっ!!」
「ゴミ共、その粗大ゴミがまだ喋れる余裕があるようだがどうなっているんだ?喘ぎか悲鳴か懇願以外俺は聞きたくないのだが?」
今度余計なことを喋ったなら、適当に一人殺す。ヴァレスタが私に向けてそう言った。
『嗚呼、トーラと貴方は本当に気が合うんだねぇ。トーラも貴方が心配で、貴方がどうなってるのか見たくて堪らないんだって』
オルクスが嗤って、リアの時のような立体映像を作り出す。
『り、リーちゃん!?』
「っ……」
見られたくなかった。こんな情けない姿を。だけど今何より心配なのはトーラの方だ。トーラは台に拘束され、動きを封じられている。オルクスの言葉からして、彼女の身にも危険が迫っている。
やるなら私にしろとオルクスを睨み付ける。その意味を彼は理解こそしてくれたが、受け入れてはくれなかった。
『僕は意味のないことはしない主義なんだ。那由多王子、貴方は王女じゃないんだからこればっかりは身代わりにはなれないんだよ?僕は欲じゃなくて、研究のためにやりたいんだもの』
予め研究成果に繋がらない行動は時間の無駄だろう。死神がそう嗤う。
『ねぇ、トーラ。よく考えたらさ、彼の苦しみが君の苦しみ。確かにそれはそうだ。だけど君の苦しみは彼の絶望。そしてベルジュロネットの絶望だ』
オルクスが視線を後ろに向ければ、新しく生まれる2つの立体映像。鶸紅葉と、ロセッタだ。二人は壁に繋がれている。鶸紅葉の方は目のやり場に困るような下着姿。
『さぁ、僕らも見せつけてあげよう?僕のチェネレント』
『っ………』
『惚れた男の目の前で、大嫌いな僕に抱かれる気分はどうだい?』
トーラの上に跨って、その唇に触れようとしたオルクス。引きつったトーラの顔。泣き出しそうな顔。私にこっちを見ないでと訴えかけてくるような悲しい目。
「トーラっ……!!」
言うなと言われた。だけど言わずにはいられなかった。痛々しい私の声。それに死神と悪魔が嗤う。
私の悲鳴に応える神はいない。それでも……人はいた。思いきりオルクスを蹴り飛ばしたその人は……この暗闇に、凛と声を響かせる。
『汚い手でっ、私の姫様に触れるなっ!!』
私の悲鳴、その絶叫。その声に全ての音を隠した者がいた。
『ベルちゃん!』
『……なんて女なの、あいつ』
鶸紅葉の行動に、ロセッタがそう呟いた。
一瞬で拘束を解除。腕を縛るサラシは羞恥を捨てれば破れる縛め。足の鎖が解けないのなら足を切る。後天性混血と言えど、生身で肉体を切断するというのは難しいはず。
『下着の中まで確かめなかったのが貴様の誤算だ』
肝心なところで紳士ぶったのが運の尽きだと鶸紅葉がオルクスへと告げる。
彼女の手にはナイフ。下着の中から取りだした、それで足を切り落としたのだ。威力が弱いならより素早く振り落とす。そうして彼女は縛めを逃れた。足首を切り落とした一瞬の判断。その痛みに声も上げずトーラのもとまで飛ぶ勇気。それは並大抵な精神では出来ない芸当。見事なものだ。トーラへの忠誠心……それ以上の想いがあってこその。
『リフル……お前は確かに薄汚い屑だ!本当なら貴様にも大事な姫様など任せられん!!』
あの日から私を再び瑠璃椿と呼んだ鶸紅葉。そんな彼女が私を認めるように、私の名前を口にする。
『だがお前は誇るべき頭だ』
惨めな私の姿を見、それでも彼女は嗤わない。
『強くなったな、瑠璃椿』
今敢えてその名を呼ぶのは、暗殺者としての私を認めてくれたと言うこと。弱い私をあの屋敷から拾い上げ、戦い方を教えてくれた人。私の弱さに呆れながら、私の戦闘スタイルをそれでも使えると言ってくれた人。
私が殺しているのは、私が守るべき奴隷なのに。この人はそれを褒めている。敵に従う者は敵だと言う。それを殺している私は、汚らわしいがそれでも立派なものだと口にする。
(違うっ……)
首を振る私を、彼女は最後に睨み付けた。
『泣くな。そんな顔でもお前も男だろう』
守られる者じゃなくて守る者。それになれた私を彼女は褒めてくれたのだ。それなら泣くなと彼女は言う。だけどそんなこと言われても……止められないものは止められない。
『姫様、飛んでください!ここは私が引き受けます!』
鶸紅葉はそう言って、オルクスにナイフを向ける。彼女の攻撃が彼に届いたところで……映像は途切れた。
(トーラ……)
トーラなら飛べる。鎖の中からでも飛べる。逃げれば拘束から逃れられる。だけど、逃げてくれただろうか?
あんなに見られたくなかった。それでも見えなくなったら不安に押しつぶされそうになる。
そんな私を現実に引き戻すのは、悪魔の声だ。
「さて、余興は終わったようだな」
「……え?」
「俺は一人殺すと言ったのに、お前は本当に残酷な男だな」
気がつけば牢の中に、動く者は誰もいない。私だけ。私だけ……?
「っ……!?」
私は泣いた。泣いてしまった。涙が毒だと解っていても触れてしまった奴隷がいた。魅了が進んだんだ。一瞬でも恐怖より魅了が強まった。向こうのことを見て、怒り狂う私の顔を見て……魅了されてしまったのだ。私の意識が向こうを向いている間にも、私は色々されていた。魅了された者は私の視線を求める。意識が自分に向くように、振り向かせるためにいろいろやってしまったのだろう。そうして皆、毒に触れてしまったのだ。
「わ、……私は」
私は、なんということを。殺してしまった。その数は40にも上る。広い牢の中は死体で一杯。夏場だし、最初の方の者はもう……腐り始めているようだ。
我に返って、媚薬の効果が抜けていく。この部屋に漂う死臭。これは私が生み出したもの。
私の顔が青ざめるのを見て、満足そうに悪魔が笑う。
「これでお前も俺達と変わらない。奴隷殺し混血殺しというわけだ」
これだけ殺して言い逃れなど出来まいと、ヴァレスタが私に釘を刺す。
死体を踏みつけながら、牢の中に入ってくる男。その靴を私に舐めろと言わんばかりに、思いきり踏んでくる。
「少しはいい顔になったな。薄汚いお前にはお似合いの面だ。そういう顔の方が幾らかはマシに見える……俺の好みだ」
嬉しくない。そんなことを言われても。
「そう言えばお前は先日こう言っていたな。姉様の振りでもしてやろうかと?」
私の頭から水をぶちまけた後、ヴァレスタはそんなことを言う。
「そこまで言うのならと用意させた。流石に胸は余るだろうからな、その辺の寸法は違うものだが」
適当に身体を拭かれ、その上から姉様の来ていたドレスに似た、露出度の高い服を着せられる。それでも足りんとこの男は、私に黒髪のウィッグを被せる。
「眼球に傷を付けられたくなければじっとしていろ」
眼球。その言葉にオルクスの視線を思いだし、身体が震える。何故ここで怖がるのか解らないとそんな顔でヴァレスタが私に上を向かせる。そして両目に赤い色硝子を入れて……姉様の姿を真似させた。
「ふむ……やはり顔はそこまで似てはいないな」
「…………腹違いだから当然だ」
「だが種違いよりは似ている方だ。俺とリィナなど、見る影もない。あれには王族の高貴さすらない。父が王族ではないのだから当然と言えば当然だがな」
不意にもたらされるその言葉。リィナとヴァレスタは父親が違うのか。
リィナは私と同い年。今年で18。彼女がカーネフェル人の外見と言うことは、母親父親が共にカーネフェル人、或いはカーネフェル人の染色体を持つタロック人同士から生まれた。そう考えるのが妥当。
しかしヴァレスタはタロック人。タロック人の外見で生まれるには、カーネフェルの染色体を二人が持っていてはいけない。或いはカーネフェル染色体のないタロック人それとカーネフェル人。タロック人とカーネフェル人ではカーネフェル人の外見色が劣勢だから……
(いや、ちょっと待て……)
タロック人とカーネフェル人が交わったなら混血が生まれる。それは今年で20年目。20年前からそういう風になった。ヴァレスタはセネトレアの元王子。それは確か……最長でも20であるはず。セネトレア王は即位したのが丁度その頃。そこから幾人もの妻に同じ時期に生ませたのだのだから……ヴァレスタの父と母は共にカーネフェル染色体のないタロック人でなければならない。
しかしそうなると……リィナがおかしい。リィナとヴァレスタの母が同じなら、そんなことあり得ないのだ。彼女がカーネフェル人ならヴァレスタが生まれるはずがないし、彼女がタロック人ならリィナは純血として生まれていないはず。
思い至った結論に、私の顔が青ざめる。それにこの男はまずます機嫌が良くなった。
「まぁ、それでも口元などはよく似ている。肌の色などもそうだな」
私を観察し、姉様と同じ場所を一つ一つ挙げていく。
これから何をされるのかは、分かり切ったことだった。私は姉様の代わりにされるんだ。あの傲慢な女王に振られた腹いせに、私を思う存分蹂躙するつもりなんだ。それでも納得できないものがある。
それによくよく考えればおかしい。姉様のドレスを着てやろうか?言うには言った。だけどそれは私が口枷をされた時。トーラのような数術使いでもない限り、人の心を正しく見透かすなんて不可能だ。なんとなくではなくはっきりと、この男はそれを当てて見せた。それはつまり……
「どうして……」
「お前が半年前に俺にしたことを忘れたか?」
「違うっ……」
項垂れた私の目から、再び涙が溢れ出す。
信じられなかった。信じたくなかった。そもそも根本的に間違っている。あり得ない。だから誰も疑わない。だって信じられるか?
「お前“も”混血なのにっ!!どうしてこんなことをするんだ!?」
混血狩りの長が混血。混血が、混血を殺しているなんて。




