49:Vae victis!
今更なような気もするけれど少し雰囲気注意回。
「これが、君が僕に見せたかったものかい?ニクス……?」
「…………」
そう尋ねられて、フォースは固まった。答えられなかった。どんなに頷きたくても。
傲慢な女王の処刑祭り。次々に人が死ぬ。これじゃあまるで、これじゃあまるで……アルタニアと同じだ。
その光景に、俺もカルノッフェルもアルタニア公アーヌルスを思い出す。そしてそこから人殺しの俺達は、自分たちの罪を自覚する。この女のやり方を非難することが出来ない。俺達も無実の人を殺してきた過去がある。
「俺は……」
見せたかったのはリフルさんだ。戦いに行くあの人だ。だけどあの人は……ここにはいない。
その時急に、上がる歓声。その歓声に何事だろうと、俺達は人混みを掻き分け次の罪人がちゃんと見える場所まで移動する。そこまで移動するまでに、何度か歓声が上がり……なにやら騒がしかった。観衆の熱狂が最高値に達した……それを俺は肌で感じた。
なんとなく、あの人がそこにいるような気がして、人を押しのけ道を急ぐ。そうしてようやく辿り着いた先……その先に聖十字に連れられたあの人が居た。
銀色の髪。紫の目。それで女王と渡り合う姿。何故生足なのかは解らないが、雪みたいに透き通る白……俺なんかよりよっぽど、雪の名前が似合いそう。そんな綺麗な足だった。
「おい、……」
あの人を見つけてようやく俺も落ち着いて、振り返る余裕が出来た。俺はちゃんとあいつが付いてきているかどうかを確かめる。
あいつは青い綺麗な目をいっぱいに見開いて、凝視していた。あの人を。瞬きも忘れたように、あの人を見ていた。
その様子が尋常じゃなかった。だから俺は心配になった。まずいことをしてしまったのではないかと。こいつをこんなところに連れてきて大丈夫だったのかと。
俺が急いであいつの所まで戻って、その様子を確かめようとすると、あいつは小さく微笑んだ。
「ああ……そうだね、姉さん……」
あいつはやっと目を伏せて、その拍子に涙が流れるのが見える。
「姉さんが何故彼をモデルに選んだのか……解ったよ」
「お、おい!しっ、しっかりしろよ!?」
「確かに……綺麗だ」
そういうこいつは、あの人があの人に見えているかも怪しい。そこに誰かを重ねている。震える身体から絞り出される言葉は、俺が今まで聞いたこともないような……温かな声色だった。
「人は……人のためにも死ねるんだ。命乞いもしないで、あんな風に……何も悪くなんかないのに」
「は?死ぬ……?」
なんでそんな物騒な言葉が出てくるのか。俺は広場を振り返る。あの人の身体が傾いで行くのを見る。
「リフルさん!?」
聞いてない。そんなの。
殺されるかも知れないとは聞いた。だけど自分からそんな事をするなんて、俺は聞いていない。いないんだ。
*
あの騒動からなんとか逃げ出して、俺達は西裏町まで駆け込んだ。影の遊技者。ここならリフル達が最初に戻ってくるだろう。迷い鳥まで帰れなかったのは、残った人間の安否をなるべく近くで探りたい。そんな理由からだった。それでも……あいつらが戻らないまま、日は暮れて夜が訪れる。
店の材料を拝借して晩飯を作ったが……手付かずの皿が残された。それは彼の不在を表すようで見ていられず、いっそ捨ててしまおうかとも思う。だけどそうすれば、本当に戻ってこないような気がして……料理が冷えていくのを俺は唯、じっと見つめるばかり。
それにトーラが手を伸ばし、ぱくつくのを見て注意するが、彼女は勿体ないよと言ってのける。
「そう言ってお前はさっきロセッタの分まで食っただろ!」
「数術使うとお腹空くんだよ。頭使うから」
「お前の代償は睡眠時間だろうが!」
「姫様がお前の料理をご所望だ。光栄だろう?拒む理由などないはずだ」
取り巻きの鶸紅葉は相変わらずトーラの味方だ。
「これはあいつの……」
「お前は自分の主に冷えた飯を出すのか?」
帰ってきたなら新しく作り直せと睨まれる。確かにその通りだ。俺は観念し、皿から手を放しトーラの自由にさせてやる。するともぐもぐ口を動かしながら、トーラがもそもそと喋り出す。元王女の癖にマナーがなっていない。
「向こうにはロセッタさんが行ったから……戦力的には問題ないとは思うんだ。彼女とラハイア君は教会兵器も持っている。リーちゃんは解毒が出来る」
「お前の所に情報流れてきてねぇのか?」
妙なことを言う。トーラの言うことは、俺にとっては謎の言葉だ。
アスカは当然の疑問を口にする。先程までのように頭に流れてくる声はないのかと。それにトーラは首を横に振る。
「あれは思考を読み取り読み取らせるわけだから、彼女にも彼女の守るべき秘密がある。彼女は教会側の人間だし、いざというとき此方と彼方の情報が漏れたりしたら困るでしょ?少なくとも僕は彼女とこの数式でリンクすれば教会側の情報をごっそりゲット出来ると思う。彼女はそれを警戒してる」
「その危険なら、さっきまでだって……」
「無理無理。あの数式で思考を結びつけるには、僕がある程度その人の情報を手に入れないといけないし、本人が了承しないと実用レベルとして使えない。その位僕への信頼がある相手以外には基本的に使えないんだよ。彼女は僕を警戒してるし、そんな隙ないよ」
その言い方だと俺がお前を信頼しているみたいじゃないか。いや、してないわけではないが……そう決めつけられるのもなんだか。
「彼女に関してだけは……さっきのあれは読唇数術だよアスカ君。彼女の口が見えている時だけ、彼女の音声として読み取らせて、アスカ君にも聞こえるように僕が彼女の音声で再生させてたの。声を出していないだけで口は動いてる。口が動かなきゃ何も流れない」
「つまりあいつが目に見える場所に居なきゃ無理って事か」
「そう。だから今彼女がどんな情報を持っているかは解らないって事」
「まぁそれでもよく頑張ってくれたよエーちゃん」
《我をあんな血生臭い城に連れて行くとは》
土の精霊エルツは主に向かって悪態を吐いている。この精霊は血の穢れを嫌うらしく、鼻をつまんで、俺の方に視線を合わせない。あれだけ斬ればそりゃあ返り血くらい浴びるだろう。不可抗力だ。
しかし悪態の半分以上が俺に向かってきているので、別段気にした風でもなく、トーラは土の精霊の頭を撫でる。以前は人間程度の大きさがあったのに、力を使って疲れたのか今は掌サイズに縮小化している土の精霊。トーラが城壁を崩し、彼に作らせた壁のお陰で、無事に逃げられた人間が殆どだ。背後は塞がれたが左右は空いている。今はリフル達も逃げ切れたと信じたい。
「城門は鶸ちゃんが開けてくれたし、これでSuitが死んだっていう噂は広まるはずだ」
精霊の次は鶸紅葉を褒め、トーラが今後のことを考える。褒められたからなのか、心なしか鶸紅葉も嬉しそうだ。
しかしこれからのことを見通すためにはこれまでを振り返る必要がある。トーラはリフル達の行動の推測を開始。
「……リーちゃんのあれは、城に喧嘩を売るためじゃない。まずは東と戦うための行動だったんだね」
「東と……?」
「だってセネトレア教会は奴隷商、東との癒着が酷い。聖十字のラハイア君の行動は、城に東を敵視させるには丁度いい。東がそれを逃れるためには、教会との繋がりを完全に切らなければならない」
東に出来るのは、教会と手を結んだまま城と敵対するか。教会を売って、責任逃れをするか。その2つの道を巡って東は更に分裂するはず。トーラはそう読む。
「……少なくともヴァレスタにとっては城は敵。なら城に弁解する必要はないと彼は考える。リーちゃん達のお陰で王都は三つの勢力が全て対立し合うって言う構図が出来上がった。2対1はあり得ない。これだけでも十分ありがたい話だよ」
「……いや、でもよ。Suitが死んだって彼方さんが信じてくれたんなら、まずは城をほっぽってこっちを攻めに来るってことはないか?」
「だけど、リーちゃんは死んでいない。僕らは使えないはずの駒を使ってチェスが出来る。これって凄いことだよ。上手く敵の懐に潜り込めれば、一気に王手だ」
「なるほど……」
あいつらが無事に帰ってさえ来れば、戦況はこっちが有利。その確信を得るためにも、早くあいつらの無事を確認したい。
俺の鼓動が五月蠅いのは、トーラの話に負けの想像が出来ずに胸が躍るからなのか、その鍵となるあいつが居ないことに脅えて焦っているからなのか。
膝の上で祈るように手を組んだ俺を見て、トーラがぼんやりと天井を見上げて嘆息。
「唯この場合……心配なのは、ラハイア君なんだよね」
「……あいつが?」
「セネトレアの第三聖教会にとって彼は目障りな存在だ。城に対して一石二鳥って、教会から尻尾切りに使われる可能性があるんだ」
正義を重んじるあまり、セネトレア色に染まった教会との折り合いが悪い。それを始末する良い機会だと考える輩も出てくると、トーラは言う。その様子が憂鬱そうなのは、そうなった時にリフルが何を言い出すか、何をしでかすか。それを恐れてのことに違いない。
その言葉に俺は思い出していた。昨日のロセッタ。その様子がおかしかったこと。彼女はラハイアの身を案じていた。それはこの可能性を危惧してか?
(あいつ……俺の所為だとか言ってたな)
お前がリフルから目を離すから。それはディジットにも叱られたことだ。
そんなにどいつもこいつも、俺にあいつを見ていろと言うが……あいつだっていろんなところを見ているじゃないか。俺の方なんて見ているかも怪しい。それなのに俺だけはあいつから目を離すななんて言われても……俺だって人間だ。俺の人間関係、交友関係はあいつ一人で完結するほど狭くない。昔なじみの心配をする一瞬さえも命取りだと言うのだろうか?
大体リフルも何で相談無しに突っ走ったんだ。俺だって呼び止められて悩みを打ち明けられたならちゃんと対応した。モニカだってあいつは俺に一番心を許してる、だからそういうことを相談するなら俺だって言っていた。その俺に頼らないっていうのはあいつなりに思うところがあったってことだ。おれが考えるべきはその思いを酌み取ってやること。あいつが何のために何をしたのか。それをちゃんと理解してやることだ。
そう考えると……ラハイアのことでの行動だから俺には話せないというのが濃厚。リフルならあいつのために命を投げ出しかねない。俺なら間違いなく止める。ちょっとでもそう言う危険が在れば絶対に。だから言わなかった。それが答えだ。
彼のための行動を、西にとって良い方向に繋げる。それが個人的感情と、頭としての責務を同時に果たすやり方。だけどそれはまず西ありきではない。まず、あの聖十字ありき……
(そんなにあいつが大事なのか)
確かにあいつは良い奴だ。だけどそこまで思い入れることはないはずだ。世の中広いんだ。探せばあいつの代わりの正義漢くらいどこかにはいるはずだ。何故そこであいつに拘るのか。西にとって彼は部外者。少なくともあいつが守ってやる義理はない。それでもあいつがそうしたいって言うなら……
「そうなった時はあいつを西で匿ってやればいいじゃねぇか」
俺はあまり気が進まないが、その方がリフルも喜ぶだろう。
「馬っ鹿じゃないの……?」
突然店内に投げ込まれたその声に、俺もトーラも店先を向く。
荒い呼吸を繰り返している赤毛の少女。一番足が速いのは後天性混血の彼女。だから一番早くここへ来た。そう考えた。だが、彼女の表情から……それはないことを俺は薄々感づいている。
「ロセッタ……」
あいつらは?そのたった5文字を俺は続けられない。断言されるのが怖かった。
「……リフルが捕まったわ」
その言葉に俺はその場が凍り付いたのを知る。そんな中で言葉を発することが出来たトーラは凄い。
「……誰に?」
「城にじゃない。城に捕まったのはラハイアよ」
第三者が関与してきた。ロセッタはそれを伝える。そしてトーラの顔を憎々しげに睨み付ける。
「あんたは悪くないけど、それでも私はあんたが嫌い。その顔が大嫌いっ!!」
「……兄様が、やらかしたってことだね」
その言葉でトーラも悟る。リフルを攫った相手のことを。
「あの男っ、ラハイアを人質にリフルを捕まえてっ……それに飽きたらずラハイアまで城に売りやがったの!!」
震える拳を押さえつけるロセッタ。そうしなければトーラに殴りかからんばかりの怒りがその身を駆けめぐっているのだ。
「それで、人質を取る以上何か要求はあるんだよね?何か言ってた?」
「第二島と第五島のこと。それからカルノッフェルのこと。私達は早くやり過ぎたのよ」
与えられたのは二ヶ月の猶予。だが、俺達はそれを3日でその大部分を成し遂げた。それをあの男は気に入らなかったのだと言う。
「あいつは……私達にもっと消費させたい。時間も、幸福値も!命を磨り減らせってそれがあいつのお望みよ!!自分はそこまで強いカードじゃないから、こういう汚いやり方しか出来ないんだわ!」
「それじゃあ……」
「ええ!そうよ!あいつ無しで東ととことん泥沼の殺し合いしろって言ってるの!!あの男はね!!」
「そんなの……どっちにしろろくでもねぇ話じゃねぇか」
リフル一人のために、西に危険を背負わせる。何人死ぬかわからない。そんなのリフルが望むものじゃない。そうなればリフルは、リフルを救出に向かう方を求める。その過程で自分が殺されたとしても、オルクスを討つことを望むはず。
いや、違う。忘れていた。ラハイアだ。リフルは城に捕らえられたというラハイアへの支援を俺達に求める。だけどそれはあまりにも……西にとって何にもならない。
「だけどこうして悩んでいる内にも……東が攻めてくる。一刻の猶予もないのも事実だよ」
「第二島からもらった触媒で、戦闘要員の強化は図っているけどさ。触媒としては良いんだけど……武器の不足感は否めない。数術使いは接近戦に弱いでしょ?そこを全部数術でカバーするってのも難しい。そうなると鶸ちゃんと蒼ちゃんを頼ることになる。二人をリーちゃんとラハイア君の救出に使えないとなると……成功率も減る」
「救出か、決戦か。選ばねぇとどっちも失う……そういうことだな」
あいつを助けに行ってもあいつは喜ばない。俺達を責めるだろう。だけどこんな気持ちのまま、東と渡り合えるのか?
「……東に第三島を握られてるのも痛いね。武器と防具は明らかに彼方の方が上だ」
「ですが姫様。此方には次期第五公がいます。東が此方に攻めてくると言うことは、第五島と手が切れることになるのでは?」
「違うよ鶸ちゃん。この場合はそれは裏目だ。第五島も攻めて来る。東はそういう風に話をまとめるだろう。僕らはあの子を死守し、それで第五公を説得……するためにもオルクスの悪事を暴露………」
「そのためには証拠が要る。そういうことだな?」
「うん、アスカ君の言うとおり」
「唯、人員は割けないってことね」
「……うん、そうなるね」
「全く……フォースの馬鹿はこんな時に何やってるのよ」
リフルがいない今、俺達の中でマシなカードはフォースとハルシオン。フォースが不在となれば切り札はハルシオン一人。その彼を迷い鳥と西の守りに当てるか。それともリフルの救出に回すか。そこが分かれ目。俺も奴らの次にはマシなカードではあるが……モニカがいない今、武器もまだ欠けている状況で……どこまで戦えるか怪しい。
「ロセッタさん。貴女も後天性混血児。蒼ちゃんの代わりに守りに就いてもらえないかい?アスカ君もそっちをお願いしたい」
「なんで私が!?」
トーラの言葉に驚くロセッタ。それでも俺はなんとなく、そう言われるような気がしていた。
「オルクスとのことは僕の問題だ。決着を付けるには僕が行かなきゃ多分、終わらないと思う。彼がリーちゃんを攫ったのは、僕を困らせるためだと思うしね」
全てを見透かすような瞳で、トーラは兄の思考を読み取っている。その行動の意味を解読していく。
「これから蒼ちゃんを連れ戻す。そして鶸ちゃん、君も一緒に来てくれる?」
「姫様のお望みならば……いつでも、何処へでもお供させていただきます」
トーラの声に、さっと跪く鶸紅葉。これで話はまとまったか。そう思えた……
「私は嫌よ」
異を唱えたのはロセッタ。流石部外者。空気を読まない。
「あんたらじゃ話にならないわ。ラハイアはわたしの所の身内よ。あんたらあいつのことは全然考えてないのね。あいつはあんたらのお頭に付き合ってあんな所まで行ったのよ?」
「そうは言うけどよ……ロセッタ、お前は今俺らを手伝うのが仕事なんだろ?」
「ええ、そうよ!だから私はここにいてあげてるんじゃない。あいつ見捨ててでも、情報届けに来てやったのよ!」
個人的な感情よりも、任務が最優先。
「それでも私の任務は西を守る事じゃない。リフルの監視!それからリフルを助ける!それが私の仕事!あいつ以外の命令は聞けない!」
仕事を盾に、自分の気持ちをぶん投げて……譲れない一歩を下がらない。ここで引くわけにはいかないのだと彼女の赤い眼が燃える。
「リフルの救出は私も行くわ。あの男なら、絶対にあいつを見捨てるようなやり方は選ばないもの。普通、どうしようもないようなことを選ぶわ!それをこの私が助けてやる!だから……私はどっちも見捨てない!」
「…………解った」
ロセッタのその意思に負け、トーラが折れた。虎目石の目を俺へと向けて、訂正事項を口にする。
「蒼ちゃんは引き続き迷い鳥の警備。アスカ君がそのサポート。これでこの話は終わりだ」
*
迷い鳥に帰らされた俺を迎えるのは、仏頂面の混血少年。相変わらず俺のことは嫌いらしい。それでも俺はそうも言ってられないので、適当に挨拶はしてみる。主人から遠ざけられた者同士、仲良くしようぜとは言わないでおいた。
「お前と一緒に仕事ってのも珍しいな」
「……僕は純血なんかと仕事なんかしたくないんだけど」
マスターが言うから仕方なくだとそっぽ向く蒼薔薇ことハルシオン。揺れる緑の髪に、蒼い瞳。その蒼に生じた変化を、俺はこっそり聞いてみる。
「お前、目の調子とかはどうなんだ?」
「別に。あの変態とマスターに見て貰ったところだと問題があるのは植えられた右目だけだし、こっち隠せば問題ないって。どうせ元々見えなかったんだし、今までと同じくらいは戦える」
「なら、頼りにしてる。真剣勝負なら俺よりお前の方が強いはずだからな」
精神揺さぶったり騙し討ちでもしなければ、唯の純血の俺が後天性混血に勝てるはずがない。過去に蒼薔薇と鶸紅葉に勝利したのは、俺が正々堂々戦わなかったからだ。
しかし今は切り札であった即死刀ゲシュヴィンターが死んでしまった。鋼鉄刀エアヴァイテルトと猛毒刀クレアーリヒだけでは心許ない。触媒は手に入ったし、それをトーラに加工してもらい、迷い鳥の刀鍛冶に刃を仕上げさせたは仕上げさせたが……これは数術、モニカとの連携強化を図る物になりそうだ。モニカが行方不明である以上、宝の持ち腐れ。
「お前はさ」
「……何?」
「いつもこんな気分だったのか?」
トーラはリフルと仕事に出かける。その間このアジトの守りを任される。大事な主の側から離れて、その無事と命運を他人に託さなければならない。忠実に主の命令を、願いを叶えること。それはこんなに大変なことだったのか。
俺は何時も命令を破って……あいつの傍に近づいた。今だってそうしたい。だが、今の俺は足手纏いだ。それであいつに何かがあったら、そう思うとここにいるのが最善だと認めるしかない。
「マスターは、リフルと違って強い。僕が心配するのは失礼なくらいだ」
「けどよ……」
「それでも僕があの人の心配をするのは、僕がそうしたいからだ」
「よく心配なのに、命令守ってられるよな」
「心配しても、僕が命令を守るのは……あいつがしぶとい奴だって解ってるから」
あいつ。それはリフルのことだろう。
「あいつは僕より弱い。ずっと弱い。だけど今日まで生きてきた!あいつはそう簡単に死なないし!そう簡単に、死なせない!いざって時は誰の盾にでもなる!命に代えても!」
かなり遠回りに、彼を信じているんだとハルシオンが口にした。信じているから任せられるのだ。どんなに悔しくても、仕方ないなと認められるのだと。トーラへの好きとも違う。それでもあいつが嫌いではないのだと。
「あいつは……僕まで庇った。あいつなら……マスターに何かあったら絶対同じ事をする」
2年前のことを振り返り、懐かしむように彼は言う。
その言葉で、こうなった理由は分かった。それでも俺は純粋に、感嘆する。せざるを得ない。
「お前凄いな……普通恋敵まで好きになれねぇだろ」
俺なら洛叉を認める辺りのあり得なさ。そんなの天地が逆さになってもあり得ない。
「それは僕が凄いんじゃない。凄いのは、あいつだよ」
ハルシオンは小さくそうこぼした後、俺と別れて違う場所の警備に向かう。
その背をほどほどに見送り……俺も仕事を始める。しかし警備と言っても何時何処に誰が攻めてくるかも解らない。
もし何かあればすぐに此方に情報が来る。要するに迷い鳥で適当に過ごしておけ、常に警戒して目を光らせながら。これはそういう仕事。
何もなければないにこしたことはないが、それはそれで微妙だ。普段通りの生活。だけどあいつがいない焦燥感。こうしている内にもあいつに何かあるのでは。そんなことばかり考える。
「アスカー!」
「うおっ!」
背後から突然抱き付かれた。この声は……
「アルムか」
「うん」
こうしていると以前と変わらない。普通の少女なのに……そう思うとどうも信じられない。
俺より年下のこんな幼い子が、もう母親になるんだと思うと……なんだかやるせない。エルムに共感したリフルの言葉を聞いた後では、素直にそれを喜んでもやれない。アルムがエルムを盲目な程に愛しているのは知っているが。
(もしあいつが……)
毒人間じゃなかったら、十分あり得ること。好きでもない女に襲われて、無理矢理責任取らせられてどこか遠くへ行ってしまう。幸せでもない結婚。幸せでもない家庭。
そんなことが起こり得ないだけ、毒人間で良かったと……一瞬俺は思ってしまった。何考えてるんだ俺は。毒人間ってことは惚れた女がいても付き合えねぇし、添い遂げられねぇ。人としての幸せなんか掴めないってことじゃないか。
(それでも……)
何処かへ行ってしまうことはない。そうやって縛り付けようとする俺の心は、アルムのそれと似ているのかもしれない。だから俺は……エルムより、アルムを哀れんだ。それは自分と重なる部分を見抜いたから?あいつがあの日責めたのは、アルムであり俺の一部だ。
あいつが妹だったなら、俺だって……そうやって手に入れようとしただろう。俺が何も間違わずに済んでいるのは、あいつが弟だからだ。だから俺はあいつの騎士でいられる。傍にはいられる。
アルムのように、弟から憎まれずに、離れられずに、見捨てられずに今日まで至る。正体こそ明かせないが、信頼されている今が……幸せなのには違いない。
「……アスカ?」
なんとなく、アルムの頭を撫でていた。あいつよりは低い身長。だけど確かに伸びている。あいつは止まってしまったが、この子は変わり続けている。あいつも変わらないのは見た目だけ。中身は変わっている。遠くへ行ってしまうんだ。子供子供と思っていても、そう思い込もうとしても。ずっと傍で守ってやるからと言っても時々虚しい。あいつも誰かを守るための存在になっている。
「アルムも大きくなったな。また背、伸びたんじゃねぇか?」
「うん!あと何年かしたらね、アスカも追い越すよ?」
「ははは、そいつは怖えぇ」
こんな現実味のない発言なんかは、まだまだ子供みたいなのに。
「それじゃあ私、お洗濯手伝ってくる」
「あんまり疲れるようなことはすんなよ。今日は洛叉に診てもらったか?」
「ううん、まだ」
「んじゃ、先に診て貰え。行くぞ」
アルム一人じゃ心配だから、俺もついて行ってやる。闇医者の診察室へと二人で向かい、ノックも適当に扉を開けた……
「この鳥頭が」
ところを思いきり殴られた。待ちかまえていたかのような姑息な手だ。ていうか扉の前でスタンバイしているとは。
「……っう。いきなりご挨拶だな変態」
「黙れ。またあの方を危険な目に遭わせたどころか救出もままならんとは」
余程自分が付いていった方がマシだったと言わんばかりの蔑みの目。診察と称して毎日少年と少女と女の裸見る以外何もしてなかった奴に言われたくない。
睨み合う俺と洛叉をすり抜けて、室内に入ったアルム。彼女は誰かを見つけて挨拶の言葉を紡ぐ。
「あ、こんにちは」
「…………」
その言葉の先を見れば、年端もいかない少年がいる。
何も発さないせいでそこにいることに気付かなかった。この少年は確か、エリアスとかいう第五公の縁者。
「ん、こいつは……」
「フォースがいなくなって話し相手がいないと口も心も閉ざしてな」
「そりゃあこんな変態相手にはそれくらい閉ざすだろうな」
「いや、どうにもそれだけでも無さそうでな」
意味ありげな視線を二人に注ぐ変態。ロリとショタを二人まとめて料理してやろうとか企んでそうで怖い。この街に、やっぱりラハイアは必要かもしれない。基本こいつみたいな性犯罪者は一回去勢してそれを自分の下の口にでもぶっ込んでやればいいと思う。
「エリス君は、第五島から来たんだよね。どんなところ?何が美味しい?」
「……果物とか」
「へぇ、いいなぁ!私甘いの大好きだよ」
「…………」
アルム相手には喋ったり喋らなかったり。その反応は人見知りともちょっと違う。
「なるほど」
「そういうことだ」
アルムもアルムで罪な少女だ。そうやって好きでもない男相手にそんな天使みたいな笑顔向けたら、慣れない土地で心細いこの少年が、ときめかないはずがない。
微笑ましい二人を見守りながら、混血と純血のこういうのもいいなとちょっと思った。
「ここで一発やらせておけば、あれ次期公爵の子ってことにしてあいつ公爵夫人になれるんじゃないのか?」
「流石鳥頭。人でなしならではの発想だな」
「違ぇよ」
玉の輿みたいな言い方したら、闇医者に蛆を見るような目で見られた。
「アルムの子供にも父親は必要だろって話だ。片親欠けると、結構寂しいもんだしな」
「その時は俺が名前だけでも籍を入れてやっても良い。養子にしても構わない」
「お前は本気で手ぇ出しそうで誰も賛成しねぇよ」
親子丼とか言いかねんわこいつだと。
「失敬な。こう見えても俺は子供好きだ」
「どう見ても子供好きだろ。変態として」
沈黙された。どうしよう。生々しい沈黙だ。否定でも肯定でもなく、それでいて肯定が妙に現実味を帯びてくる。
俺も黙っていると闇医者は俺を廊下へと追い出して、それに自分も続く。
「……彼女もカードだ。どうせろくな事にはならん。どちらか選ぶことになるだろう」
「選ぶ?」
「自分の命か、子の命かだ」
外からは夏虫の声が聞こえるのに、それが一瞬俺の耳には聞こえなくなった。唯、洛叉の声だけがした。
「これまでの時間を取り戻すよう、急速に成長し過ぎている」
確かに、腹が膨れている。第二島へ向かう前と今とでは……明らかに。
「…………更に、子の数がまずい」
「双子なのか?」
「いや……」
闇医者はそれを否定。深刻な表情のまま、そんなものではないと口にする。
「混血は必ず双子で生まれる。その混血同士の子だからなのか……四人だと確認出来た」
「よ、よよよよよよよ四つ子だと!?」
「あんな小さな身体で、その出産には耐えられまい。そろそろ決めなければ間に合わない時期だ」
何でそんな話を俺にするんだよ。そう言い返したいが、それは逃げ。どうなってもいい。俺には関係ないというあまりに薄情な答え。あいつだったらそんなことは言わない。そんなことを言う俺に、あいつは失望するだろう。
「堕ろすか、死ぬか……」
闇医者の口からもたらされた恐ろしい二択。それを聞いていられなった俺は、あいつに掴みかかっていた。
「てめぇ、医者だろ!?医者なら全員救ってやれよ!!」
「馬鹿が。医術は魔法とは違う。人の学により成り立つ、人の技だ!人に出来ないことが医者に出来るか!」
「てめぇ、それでも天才か!?普段威張り散らしてんだ!やるときはきっちりやって見せろよ!!」
「感情で物を語るな!屑がっ!」
怒った所為で、口から出たのはタロック語。洛叉が返してきたのもタロック語。後でそれに感謝した。これだけ怒鳴っても、アルムには理解できない。
扉から何事かと顔を出してきたアルムに、何でもないと言ってやり……俺は洛叉から手を放す。
俺に一言野蛮人がと悪態を吐いてから、闇医者は自身の見解を語り出した。
「子供はカードではない。生まれさえすれば審判で死ぬことはおそらくない」
アルムは強いカードではない。かなりの確立で死ぬ。カードである以上、生き残れるのが一枚……その一枚に入れる可能性は低い。
どうせ死ぬ人間。ならば子供の方を優先する方がまだ可能性はあると言う。しかしそう言う洛叉の顔は明るくはない。
「しかし教会と数術使いから狙われることになる。更に近親相姦の子だ。生まれて幸せになれるかどうかも怪しい。……父も母も傍にいない。だが生まれる前から罪がある。そんな人間に、この世界はどう映るのだろうな」
お世辞にも美しい物とは映らない。そんな含みを持たせる洛叉の言葉。
生まれない方が幸せ。それが救いかもしれない。こいつはそう言うけれど、だけどそれを決めるのは……
「そいつを決めるのは……そいつ自身なんじゃねぇか?」
「…………鳥頭らしい、愚かな考えだ」
「お前は医者だろ。人を救うことだけ考えてれば良いんだよ。そいつがもしその方が良かったって言うんなら、その時は責任持って殺して救ってやれよ」
お前は医者だ。でも闇医者だ。生かして殺すのが仕事だ。楽に死なせてやれ。その時は法に背いてでも。そう言ってやれば、この変態も……諦めたように息を吐く。
「でもまぁ……その辺はアルムの選択に任せるしかないんだけどな」
「……最善は尽くす。それ以上は俺には言えん」
*
「…………」
「何か言いたそうだなリゼカ」
そう言って笑うヴァレスタは、いつもより機嫌が良さそうに見えた。それは僕が、この男のために働いたから……ではない。
「もうしばらくしたら出かける。準備をしておけ」
「はい」
「その前に茶を淹れ直せ」
「はい」
この半年。随分慣れた。こいつの好みの茶の淹れ方も、茶器の扱い方も。不思議なものでこんな雑用でも、使われるというのは嬉しいことだ。こんな下らない命令。あいつはお礼なんか言わないけれど、それでも僕はこいつに茶を淹れるのが好きだ。
こいつが何も言わない時は、最高に上手く淹れられた時。いつもは粗探しをして文句を言いながら飲むこの男が、黙り込むのはこっそりと僕を褒めてくれている時だ。
「……どうぞ」
机に置いたティーカップ。
客がいる時は高い物を使うが、こいつは元来ケチな男だ。普段は見栄えは良いが安いモノを使う。幾らでも換えが利くような物を。
僕はどちらの物なんだろう。よく使われるって事は多分後者か。僕ほど使わないフィルツァーには、僕に頼めないような仕事を頼む。僕は商人としての仕事は出来ない。多分あいつが高い方のティーカップ。人種としての値段は僕とあいつでは逆だけど、こいつにとってはそうじゃない。混血は、こいつにとってはゴミ同然。
「っ!?」
不意に殺気を感じて、僕は退避。先程まで控えていた場所に、淹れたばかりの茶が降り注ぐ。
「……っく!」
落下してくるティーカップ。それをギリギリの所でキャッチ。手に高温の茶が触れてちょっとヒリヒリする。
「よく避けた。以前のお前なら頭から被っていたところだが」
そうだった。ここへ来たばかりの頃はよく熱湯を浴びせられた。
「しかし避けるとは無礼な奴隷がいたものだ」
「どうしろって言うんだよ……」
勿体ない。床に零れた茶を掃除しながら僕が呟くと、地獄耳のご主人様が呆れたように僕に言う。
「考え事をしながら淹れたような茶など不味くて飲めるか」
そんな一言に、ドキリとする。こいつは僕を見ていないようで、実は見ている。そんな素振りを見せない癖に。
すぐに忘れられてしまう僕。姉さんの陰に隠れて見えなくなってしまう僕。そんな僕が、見られている。そして見ただけで、僕の悩みまで理解されているような感覚。
それが王の支配と言う物なのか?リフルさんとは全然違う。この傲慢な男は優しい王ではない。それでも、そんなこいつが俺は誰よりも王に見えるのだ。
「良いかリゼカ。お前は奴隷だ。奴隷は道具だ。道具は余計なことを考えるな。唯この俺に忠実であればいい」
何時も同じ仕事を同じようにこなせるのが最高の道具だとヴァレスタは言う。だけどそれが難しいのだ。こいつの言葉に僕は一喜一憂してしまう。何とも思っていない振りをしても、僕も人間なんだ。こいつ以外の言葉は割と流せるし、西裏町では毎日そんな風にテキパキ仕事が出来ていた。こいつが僕が凹むようなことを言うから悪い。こいつの言葉が響くから、いけないんだ。
「道具が勝手なことを考えるな。良いか?お前は男でも女でもなく、奴隷で道具だ飼い犬だ」
人権なんか基本的にこの男と僕の間にはない。こいつは奴隷の僕に給料なんか絶対に出さない。毎日が奉仕活動みたいなもの。衣食住が揃っているだけ幸せだ。怒らせると住以外を奪われることもあるのでそうも言えないと言えば言えないのかもしれないけど。
「俺の許可無く勝手に責任を取って所帯を持とうだの、自殺しようなどと考えないことだ。お前のようなゴミに親になる資格など無い。道具が勝手に増えるなど気味が悪いだけだからな」
酷い物言いだが、姉さんのことで責任を感じるな、あと死ぬな。要約するとこんな所か。この男は本当に人付き合いという物が下手だ。人格破綻者で金の亡者だから仕方ないのかもしれないけど。
だから仕方ないから僕が折れてやっているだけ。こいつは僕より年上なのに変なところで子供みたいな人だから。普段は仕事をバリバリこなして悪行三昧しているって言うのにさ。
我が儘で最低で自己中心的でろくでもなくて、良い所なんて一つもないような気がする。精々顔だけだ。その唯一の取り柄も全ての欠点でマイナスに落ち込んでいる。そんな顔だけの男だこいつは。だけどそんな顔だけの男に、どうして僕は仕えているんだろう。別に顔が好きだとかそんなことは一切無い。その澄ました面に、土の味でも味合わせてやりたいと思っていた時期もあったくらいだ。
敢えて言うなら僕はこいつの、駄目なところが良いんだろう。こいつが駄目な奴だから、僕はその間必要として貰える。こいつが完璧な人間なんかだったら僕は要らないんだ。そう思うと、こいつのこの人として駄目なところにも……半年も経てば情が移ってくる。
「理解したなら茶を淹れ直せ。時間が押している、早くしろ」
「……はい、ヴァレスタ様」
犬でも3日飼えばって言う。犬だって3日飼われれば……少しくらいは好きにもなるよ。こんな最低な男でも。
*
「あ、お客さんが来たみたいだね」
いらっしゃいと牢へ新たな人間を招くオルクス。
どうせろくなことにはならないだろう。ろくでもない状況がより最悪に向かい出すだけ。なら顔を上げるのも億劫だ。
リフルはそれを無視するに務めた。それは今始まることでもない。先程からだ。
オルクスも今はまだ何もする気がないらしく、取るに足らない話を私に語るだけだった。今のところあれ以外に私に聞かせるための悪い情報がまだ手に入っていない。そんなところか。
「これはまた、随分と良い格好だな那由多王子?」
「……!」
その声に、思わず目を開けてしまった。暗い牢の中、奴の赤い瞳が光っている。灰暗色の黒髪、そして赤すぎる赤い瞳。優しいリィナとは似ても似つかない男。請負組織gimmckが頭ヴァレスタ。
生きていたのは知っていた。それでも……どうしてここで会うのか解らなかった。オルクスは混血だ。この男は純血至上主義者。混血が嫌いだったはず。
「そんな難しい話でもないよ。僕は元セネトレア王族。ヴァレスタ兄さんもそう。顔見知りだって交流があってもそう不思議ではないはずだよ」
私の動揺を見透かすように笑うオルクス。しかしトーラは半年前に出会した以前、ヴァレスタに会ったことはなさそうだった。ならばオルクスが彼と出会ったのはトーラと別れた後。仕事の中で出会ったと、考えるのが妥当。どちらも商いをする者。片や人間解体の奴隷商、片やパーツ売りの人身売買屋。確かに相性は悪くない。
「平静を保つために色々考えるのも良いとは思うけどさ、そんなことしてもここからにげられるわけじゃないんだけどね」
オルクスが私の沈黙から何やら察し、それで釘を刺すことを忘れない。
「それで?彼まで呼んで一体何のパーティを始めるんだ?」
「それは勿論……僕はこれからちょっと出かけるんだよ。その間暇だっていうからヴァレスタ兄さんにお留守番を頼んだんだよね、キャッシュで」
「まぁ、俺も表舞台では死んだことになっている以上、しばらくは暴れられないのでな。貴様をいたぶれて金が手に入るのだから、そう悪い仕事でもない。半年前の借りもついでに返せるメリットもある」
「そんなお手数煩わせてまで返してくれなくてもいいのだが。というか私もかなりされた方だと思うぞ?完治までしばらく掛かったな」
とりあえず口では適当に合わせているが、内心私は焦っている。ヴァレスタに、東の人間に私が生きていることが知られたのは不味い。城でのパフォーマンスの意味がまるで無くなってしまった。
オルクスと繋がりがあったのはリア。リアと繋がりがあったのはカルノッフェル。カルノッフェルと繋がりがあったのが……
(しまった……)
それが、ヴァレスタだった。そこまで上手く符合するような者があるとは思わなかった。少なくともその全員に協調性があるとは思えない。カルノッフェルがリアを殺したことでそこでの繋がりは絶たれていた。その先に結びつけられることがないと私は思ってしまっていた。しかしオルクスとヴァレスタ。輪が回る。一周してその両端が関係していた。セネトレア王族という点と点があったことを私は忘れていた。
オルクスとトーラ達の関係の方にばかり目を向けていた。
と言うか私はこの男……ヴァレスタのことをそこまでよく知らないのだ。ロイルの異母兄でリィナの異父兄。エルムの主で東裏町の支配者。混血狩りの組織にも深く関わっている。精々、その程度。その程度しか知らない。その他にはこいつがいけ好かない最低野郎だと言うこと以外、何も知らない。
「口の減らない男だ」
部屋の内装を見たヴァレスタはにぃと唇を釣り上げる。気違いに刃物。ドSに持たせてはならない物がこの部屋には沢山あり過ぎる。ここで初めて私はこの椅子に座ったことに後悔した。ラハイアのためと思えば、ここに来たこと自体は後悔していないが、その点についてのみは後悔した。
「震えているな。俺が、恐ろしいか?」
そりゃあ恐ろしいさ。気持ちいいのは好きだが、痛いのは大嫌いだ。痛覚が麻痺してた頃は大分無茶もしたが、今となっては思い出しただけでも身体が痛む。
それでもここで弱みを見せるわけにはいかず、私は不貞不貞しい程度を取るしかない。馬鹿だな私も。だけど泣いて嫌がって許しを求めたところで、何も変わらないし余計こいつを喜ばせるだけだと解っているから、こうするしかなくなった。
第一私は暗殺請負組織SUITの頭だ。頭に置かれている以上、それ相応の振る舞いをしなければならない。私が下手打って、組織を……みんなを舐められ危険に晒すわけにはいかない。
こいつも私と同じだ。私がこいつを恐れさせれば……こいつは私を、私の組織を恐れるはず。そうなれば迂闊に手は出せなくなる。今ここで、私がこいつを脅えさせなければならないんだ。例え何も出来なくても、抵抗だけは出来るはず。
「勝手に人の心を決めるのは止めて貰いたい。そういう身勝手な男は嫌われるぞ?お前のような男が独りよがりな行為に没頭し、大抵女に愛想尽かされるんだ。向こうが演技だとも知らずに自分が上手いと思っている奴ほど滑稽なものはないな」
「顔に似合わず品のない。王族としての風格とマナーを叩き込んでやろうか?いや、奴隷が板に付いている貴様には無理か失礼。混血などに品など説いても無駄か。そうだな、言い直すなら、躾か」
顎を捕まれて、無理矢理上を向かされる。彼の赤い瞳が、段々と別の色に見えてきた。部屋の灯りの角度の所為?暗さの所為?わからない。
睨み付けてもこの男に邪眼は効かない。本当に、厄介だ。こいつも男だ。欲がないわけではないだろうに。
「それじゃあ、僕はちょっと出かけてくるね。そうだな、一月かそこらは戻ってこないと思うから、どうぞごゆっくり。あ、でも彼一応人質だから殺さないでねー」
鍵一式をヴァレスタへと預けて、鼻歌交じりにオルクスは牢の外へと去っていく。何処に悪さをしに行くのか。このまま見送るのが不安で、視線が其方に向いてしまう。それにヴァレスタは機嫌を悪くしたのか、顎を掴む手に力を込めた。
「さて、邪魔者が消えたところで始めるか。それで那由多王子、貴様がどんな辱めがお好みだ?」
「そうだな。目隠しで無理矢理とかされたら恥ずかしくて憤死してしまいそうだ」
「なるほど。それだと喜ばせるだけだから却下と言うことか。よくわかった」
エロ展開に持ち込めれば基本的に私は負けない。毒殺し放題。だがしかし、こいつは少々特殊な男だ。第一毒殺成功したところで拘束されていては意味がない。となれば私も毒殺を控える。それを見越してのオルクスは私を拘束したわけだ。
「とりあえずこれだけ道具が揃っているんだ。一式試してみるか。それで一番お前が嫌がった物でたっぷり可愛がってやる」
*
セネトレア城の地下。その中でも重罪人を閉じこめた牢がある。その中の一つに入れられているのがラハイア。
女王がすぐに処刑しないのは、情報を吐かせてからにしたいという思い。そして探しても死体が見つからないという線から、あいつが生きている可能性を疑ってきている。万が一と言うときのための餌。あいつを誘き寄せる餌。それに俺を選んだのだ。
女王の前であいつと馴れ合った様子は見せていない。だが、女王も馬鹿ではない。俺達が通じていたことくらいはもう気付いているだろう。
(あいつが現れるはずがない……)
あいつだって捕まっている。本当なら俺が助けに行かなければならないのに。この暗い牢の中、何度昼と夜が巡ったことだろう。
ここにはあの同僚ですら、近づくことが出来ない。それくらい城の深い場所に俺は置かれている。しかし、ここに来て何日か目……そんな状況に変化が現れる。新しく、このフロアに連れてこられた罪人がいた。そしてそれを連れてきたのは、ティルトだった。その時知ったのだが、ここは死刑囚を置く場所らしい。向かいの牢に一人の少年を運んで来たティルトが言うには……
「あんたは運が良かったんだよ。俺にもあの女にもあんたは殺せない」
唯その少年の処刑日は、もう決まっているらしい。俺はその少年に見覚えがある。リフルの所に居た、フォースと言うタロック人の少年だ。
彼は運ばれて来てから丸一日、ぴくりともしなかったが……次の日の夜に、ようやく起き上がった。
「気がついたか?」
「……あれ、あんたは」
牢の向かいにいる俺に、気付いた彼は……自分の身に起きたことを思い出したらしい。
「そっか……俺」
「何があったんだ?」
「リフルさんがどうなったか心配で……」
それで城に忍び込んだところを捕まえられたと言うことか。
「でも、何で俺生きてるんだろう?」
女王にも、ティルトにも会ったことがある。リフルとの近しい場所にいる人間だとバレている。なのに生かされているのはおかしい。そう口にした彼に……俺は逆だと答える。
「女王もあいつのことは気掛かりらしい。だから君から情報を吐かせようとしたんだろう」
「げ……」
これから拷問でも始まるのかと震え上がる少年。少なくとも俺の目の前でそんな十字法に背くような真似はさせない……と言えたら良いのだが。今の俺に出来ることはそう多くない。
「……まさかあんな男女に負けるなんて」
「ティルトに?」
「信じられねぇ。あいつ一ヶ月前まで唯の村人だったのに、俺は2年前から処刑人やってきたってのに……」
この少年はアルタニア公の番犬、元処刑人だ。城の騎士と真正面から渡り合うのは難しいだろうが、隙を突けばそれなりに戦えるはず。ティルトが持っていたのは片刃剣。この少年の得物は毒籠手と諸刃剣。中近距離戦闘では彼に分がある。彼女は接近戦しかできないはずだ。それにキャリアも違う。確かにそれはおかしな話だ。
「そいつはあの嬢ちゃんが坊主より強いカードだってこった」
「え、エティ!?」
俺達の会話に割り込むは、同僚もとい潜入捜査官。忍び足で気配を殺して近づいてきていたのだろう。こんな所でそんな無駄なスキルを発揮しないで欲しい。
「よ、生きてるかラハイア?」
「どうしてここに!?」
今までここに入り込めなかった同僚が、今になってここまでやって来るとは思わなかった。だから、驚いた。
「そっちの坊主の処刑が明日になったって事で、その通達と温情かけに」
「温情?」
「いや、あのお姫様にエロ本の差し入れって有りすかって聞いたら許可貰えたんだわ」
そう言って向かいの牢に卑猥な雑誌を投げ込んだ。
「お前もそろそろたまってんじゃないかと思ってな。何気にするな。俺達親友だろなぁ兄弟?」
別に羨ましいとか思って見ていたわけではない。何やっているんだこいつと思っただけだ。なのに無理矢理俺の牢にも怪しげな雑誌を入れようとする同僚。それを押し返すが、表紙が一瞬目に入って俺が固まる、その隙に本は鉄格子をすり抜けた。
「あ、悪趣味なことをするな!」
「ベラドンナちゃんがお前のタイプだったんだろ?サービスしてやったんだから感謝しろよ?この一週間かけて教会にある那由多王子の画像情報プリントアウトして顔切り抜いて貼ってやったんだから全頁」
「こんなもの俺の牢から見つかったら、女王に別の意味で殺されるだろうがっ!」
こんな危険な本、処分しなければ目の毒だ。
「いやいや、ラハイア。騙されたと思って一回パラ読みしてみろよ。俺はこれで大分搾り取られたぞ。やっぱあの可愛子ちゃんは胸さえあれば完璧だ」
「使用済みを寄越すな阿呆っ!!」
「馬鹿言うな。ソフィアに俺の秘蔵本全部捨てられたんだから、それ最新号だぞ?確かに使用済みだが」
「おい、聖十字の兄さん。そっち嫌なら俺のと取り替えてくれよ。もう読み終わった」
「だ、駄目だこれは子供には目の毒……」
「はいはい、文句言うな。人類皆兄弟ってことでほれ、坊主」
俺の手から本をひったくり向かいの牢へ渡す同僚。代わりに投げ込まれた本。その本には折られた頁があった。
「ん……?」
良く見ればそこに、手紙が挟まっている。
“神子様からだ。数術兵器をお前に託す……”
そんな言葉から始まる……一通の手紙。その手紙に示された場所を探れば……袋とじの中に……弾が一つ隠されていた。俺の銃は奪われてこそいないが、銃から弾はすべて抜かれたし、予備の弾も奪われた。手紙の中にはそれの使い方も記されていた。
「どうだい?堅物の聖十字の兄ちゃんも、たまにはこういうのも悪くないだろ?」
「今更他人のふりをされてもな」
「ああ、盗聴防止の数術はしてるんでな。喋る分には問題ないのさ。問題ない猥談当たりに音声情報変換して聞こえるように改変してるから」
唯、見られてはいる。それを同僚は告げていた。
「でもまぁ、そっちの坊主のお陰で助かった。無理矢理ここまで来る方法もあるにはあったんだが、それじゃあ後々城での情報収集できなくなるし厄介なことになりそうでねぇ……自重してたんだわ」
「しかし何故……彼は処刑なんだ?」
「それは女王の勘違いだな。この城の奴らはカードの強弱は解ってても属性まで考えに入れちまってる。そいつが関係してくるのは審判終盤になってからなんだよ」
「終盤?」
「あのお姫さんは先見の明が在りすぎて、逆に間違えちまってる。城には教会関係者がいないからな。解釈を間違えたまま判断してるんだ。いくら女王が聡明だって、知らないもんを解るはずはないよな」
確かに城には元からの数術使いも混血もいない。神子もいなければ教会関係者もいない。だから間違えたまま突っ走っているのだと、彼は言った。
「要するに同じ属性のカードでしか殺すことが出来ないと思ってる。そんなことねぇのにな」
「俺はハート……あの二人がカードなら、俺とは違う属性と言うことか」
「あのお姫はタロック人だからスペード。あの嬢ちゃんはタロック人で庶民だからダイヤ。基本スペードはタロック寄りの王族貴族中心にしか出ないからな。農民系はクラブなんだがクラブはカーネフェル人に独占されてる感じが強い。そうなりゃダイヤになるしかねぇ」
カードの模様は、出身地や縁の地、そして職業に関係することが多いとラディウスが解説。神子の親衛隊だけあって、この審判にも明るい。ソフィアと違って、説明してくれる気もあるからまだ分かり易い。
「それにあの嬢ちゃんの村は傭兵の村、そっちの坊主はアルタニア……つまりはセネトレアとの繋がりも深い。商いとセネトレアに関係するのがダイヤ発現の条件。同じダイヤであの嬢ちゃんの方が強いカードだった。だから殺せる。そう考えて、坊主は死刑日決定しちまったんだな」
「……あいつも、ダイヤ」
「それに城に殴り込みに来たって事はあの可愛子ちゃんの情報を自分は知らないと言ってるようなもんだし、そこから用無しって判断されたんだろう」
「なるほど……だからか」
だから、ここで逃げろとこいつは数術兵器を渡しに来たのだ。この一週間総力挙げて集めたらしい、情報をそこに書き記して。
「……あいつは、本当に…………」
伝えられた情報に……俺は、呆れてしまう。
「ほんとあの可愛子ちゃんの魅力はおっそろしーな。どんだけ懐柔されてんだって」
牢の向こうで同僚が笑う。今は城の騎士に扮して。
「それにしても…………しかしよくそこまで変わるな」
「俺は潜入捜査のエキスパートだからな」
こいつは尖晶石スピネルの混血児。なんでもカラーチェンジとか言う特殊な目で色を変えられるらしい。それで一人何役も扱き使われて潜入捜査を任されていたと言うことだが、その力だけではないだろう。
飄々としているから、いるのかいないのか解らない。薄くも濃くなく微妙な存在感。目が覚めるような美形でもなく、かといって見られない顔でもない。表情や雰囲気一つで別人に見え、髪型服装一つでまた変わる。
覚えているけどいない。それは適当なこいつがさぼっているのだと誰もが思う。その間に教会と城を行き来しているとは思わなかった。
「しかし君も本当に馬鹿だな。俺が目の前にいて死なせるはずがないだろう」
「んなこと言われても、リフルさんが心配だったんだよ!悪いかよ!!」
向こうの本にも挟まれていた情報があったらしく、そこにはリフルについてのことが記されていたようで、フォースはとりあえず彼が生きていることに安堵している。しかし手紙はそこで終わっていないだろうに。多分。
「いや、リフルさんが生きてるって聞いたらほっとして……」
「生きていると言ったが無事とは言っていない」
「なんだって!?」
俺を睨み、そして手紙に目を落とし……再び俺をフォースが睨む。
「あんたがついてて何やってんだよ!!」
少年に怒鳴られ、俯く俺を……もう何て呼べばいいのか解らなくなってきた同僚が庇ってくれる。
「いやいや、あの場合は仕方ねぇって。あの可愛子ちゃんが、こいつ好きすぎて身代わりに人質申し出たんだよ。惚れた方の負けって言うだろ。よってこいつは無罪。そんなに文句言うんだったら……お前ら自分で探しに行けよ」
肩をすくめて溜息を吐く同僚。
「お前は貸し作って借り逃げする男じゃねぇだろ?あの可愛子ちゃんをさっさと助けてやってやれ」
同僚は笑いながら、もう一つ差入れだと言い2つの牢にポケットティッシュを投げ込んだ。それに呆れる俺。鼻をかみ始めるフォース。映像だけ見てたらたぶんわけがわからない。
そんな風景によしと頷き、同僚は元来た道を引き返す。まだ城でやるべき仕事があいつには残っているのだろう。
俺は毛布にくるまり、本を引き摺り込む。何もいかがわしいことはしていない。袋とじから取り出した弾を銃に詰めているだけだ。暗いこともあり結構大変だったが、ある意味リアルな時間を消費することが出来たようにも思う。
その頃にはまた地下牢は静けさを取り戻していた。その静寂を振り払うよう、俺は2つの牢の間そこを目指して発砲。そこから漏れる光に目を瞑り、開けると景色が変わっている。
「ここは……」
西裏街の裏通り。咄嗟に頭の中に浮かんだ住所は、以前教えられた場所。あいつの正体を知った店の前だった。
“これが神子様のとっておきの教会兵器。空間移動弾ってところか。あんま量産出来ねぇ貴重な弾だからなー、足の速いソフィアには渡されてねぇんだよな”
手紙にはそう書いてあった。教会兵器に馴染みのある俺でも驚いているのだから、部外者の少年はもっと驚いているだろう。
“使い方としては、行ったことがある所しか無理だ。基本は人でも物でも半径10メートル以内で持っていきたいものだけ持って飛べる。そうだなお前の性格的には住所と風景でも思い描けばいいんじゃね?”
かなりアバウトな説明文だったが、成功したのだから……十分感謝に値する。
「……向こうに忘れ物はないか?」
「え、ああ」
俺も少年もしっかり本を持ってきていた。手紙があったし証拠を残すのは不味い。そう思ったからだがそれは言い判断だった。ラディウスは本の中にも情報を書き綴っている。新発売の本とか言うがこれ違うだろう。文字入れする前な……写真集のような本に、記事の如く綴られた文字、それがことごとく情報だ。文字は小さいからぱっと見は気付けない。
「……俺も出してくれたことには礼を言う。ありがとう」
それじゃあと歩き出そうとするフォース。その背を追って俺も並んだ。
「待ってくれ。俺も……一緒に探させてもらえないか?」
別々に探すよりも、その方が効率的……かどうかはわからない。それでもあいつの助けなんて教会は頼れない。
今の俺の状況を記す文から察するに、教会には戻れない。彼らと共に行動した方が、迅速にあいつを見つけられそうだ。俺一人で暴走し……闇雲に探し回り、人目に付くことは避けたい。
「……あんたらには牢から出して貰ったしな」
彼らのアジトへの行く道が俺にはまだ解らなかった。向こうから此方に来たことはあったが、逆の道を辿るというのはこれがなかなか難しい。そんな俺に気がついてか、仕方ないと少年は息を吐く。付いて来いという意味らしい。
「ありがとう。感謝する」