46:In hoc signo vinces.
「ラハイアっ!」
「ぐはっ!」
そいつは突然現れた。まだ別れて三日しか経っていない気がしたが。
「き、貴様!な、何をする……」
急に現れて、いきなり抱き付くとは。これが男だと知っても、長年騙されていた所為もあり、未だに信じられない部分もある。でも確かに胸はない。やはり男に違いない。
男に抱き付かれて喜ぶ趣味はない。振り払おうとするが……何も言えなかった。こいつがこんな風に俺を見るのは二回目だ。
「……まったく。寮長にばれたら何と言い訳をすれば良いんだ」
「女を連れ込むの禁止って?そんなの守ってんのお前くらいだぞライルー」
賑やかな同僚は、俺の連れてきた客に興味津々と言ったところだ。ここ俺の部屋なのに、さも当然のように最近こいつは上がり込む。掃除をしてもすぐに散らかすのは止めて欲しい。あと俺の寝台の下にわざと嫌らしい本を置く配慮は止めてくれ。何が「お前も普通の男らしさをアピールして部下との交流を活発化させるため」だ。
「大丈夫だ。その時は私が男だと言ってくれても……」
「余計俺の品位が疑われるっ!お前は俺をここまで出世させておきながら、そんな理由で失脚させたいのか!?」
怒鳴るが二人は俺の話を聞いていない。何やら阿呆な会話に同僚が引き込んでいる。
「いやぁ……ソフィアから聞いてはいたが、ほんと女みてーな顔だな。勿体ねぇ。ちょっとこれ胸に詰めてくんね?」
「こ、こうか?」
「や、やべぇ!マジパねぇ!ほんと惜しいっ!これで胸さえあれば俺の理想のロリ顔巨乳ちゃんのできあがりだってのにっ!!」
「せっかくもらった果物を食いたく無くなるようなことをさせるな!」
「やべぇ、これ着エロならいける。ついててもやれる気がしてきた」
「は、はぁ……ありがとうございます」
「礼を言うところか!?今のは!?むしろ訴えるところだろうが!!」
Suit……リフルは何処かがずれている。世間知らずというわけではないだろうが、ちょっとおかしい。
「っていうかライル君よぉ、耳飾り片方なくしたと思ったら何?この子にあげたわけ?いや、びっくりしたぜ俺はよー」
にやにや笑う同僚。何度同じ話を蒸し返せば気が済むのか。
「いや、片耳ってのもおしゃれだとは思うけどさー。付ける耳間違うととんでもねーことなるって。それともそっち系なのかしら?」
「風通し良くなりたいか?」
「冗談でもそういうとこソフィアに似ないで。頼むから。昔のラハイア君に戻って」
こいつに触媒として与えた十字架。こいつは耳に付ける意味を知っていたのだろう。しかも女装常習犯だ。だからどちらにつけるか迷ったのか、加工しチョーカーにしたらしい。なかなか似合っている。こいつもやはり十字が似合う。きっちり罪を償わせた後は、俺の部下として迎え入れてやっても良い。そう言っても……こいつは聞かないのだろうな。
「それで、今日は何の話だったんだ?」
「例の殺人事件、間もなく片が付きそうだ」
「何!?」
「私の仲間も無事脱出をした。第二島は災害に見舞われ、何かに荷担することはないだろう。そして第五島もしばらくは大人しくしているはず」
「あー、そういやそっちの方はソフィアもそんなこと言ってたな」
「エティ!報告はきちんとしてくれ!!」
「わりーわりー。ちょっと兵士の姉ちゃんが巨乳だったからそっちに意識飛んでたわ」
突然の新情報に俺は驚くが、同僚はけろりとした顔で職務怠慢。しっかりしてくれ。
「ならば犯人の居る場所を割り出したんだな!それは何処だ!?」
「……あの犯人はもう壊れている。殺されるまで人を殺し続ける」
「そんなことは、ない!」
「……あいつは最愛の人をその手に掛けた。もう生きる希望がないんだ」
こいつは何を言っているんだ?他人のことだろう?何故それを自分のことのように、そんな悲しげな瞳で俺に言うのか。
「ラハイア、ひとつ覚えていてくれ。死ぬことが……殺されることが救いの人間も居るんだ」
「…………お前も、そうなのか?」
それにはリフルは答えなかった。相変わらず俺に考えさせるのが好きな奴。何処まで俺を試すのだろう。
代わりに奴は、犯人にいるであろう場所を俺へと告げた。
「場所は恐らく……最後の被害者が、軟禁されていた隠れ家だ」
犯人が現場に戻るのには意味があると言わんばかりに奴は言う。そしてリフルは、俺に両腕を差し出した。
「……何の真似だ?」
「ラハイア、お前は私を見つけたな。今日はだからここへ来た」
私を捕まえてくれと、そいつは微笑んだ。
「女王は、たぶんあの男の死体を出したところで納得しない。適当に死体を持ってきたと言うだろう。そうなればお前の首が刎ねられる。だが私を差し出せば話は別だ」
「何を馬鹿なことを!お前は今回は、誰も殺していないじゃないか!!」
「馬鹿はお前だ!あんな女に挑むなんて!!お前にもしもの事があったら、この国はどうなる!?お前はこの国の……世界の希望だ!」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどいない!」
「お熱いねぇお二人さん。とりあえずさっきの夏みかんむいたし食わね?」
「後にしろ!」「後にしてくれ!」
「お前らもう結婚したら?息ぴったりじゃねぇか」
此方は真面目な話をしているというのに、同僚はごろごろと寛ぎながら果物を食っている。邪魔だし出て行って欲しい。
「それに私なら……あの女を言いくるめることも叶う!元々あの女が私を指名手配したのは私に会いたいから、唯それだけだ!それでお前を危ない目に遭わせるわけにはいかない。……わかってくれ」
「そして私を差し出せば、お前はこの国で確かな地位を手に入れる。お前の目指す正義のために、それは必要になってくるはず」
「そのために、貴様を犠牲にしろだと!?」
「犠牲ではない!私は償いに来たんだ、私の罪を!」
「お前は、街を守るのではなかったのか!?まだ死ねないと、言っていたではないか!」
「私の仲間は戻った。彼らならもう大丈夫だろう。心残りが一つあるにはあるが、それもこれから私が何とかする。そのためにも私は城に行かなければならない」
「あの者達には、お前が必要だろうリフル!!」
「……そんなわけないだろうラハイア。私は唯の、人殺しだぞ?」
それ以外の私が何処にある?お前は私の何を知っている?紫の目が俺を責める。
否定したいのに、俺にはその言葉がない。
「お前が私を連れて行かなくとも、私はこれから城へ行く。お前に会い自首しろと言われたと言うぞ?それが嫌なら私を連行しろ。或いはラハイア……ここで私を撃ち殺せ」
「そんなこと……出来るなら、とっくに俺はお前を殺していた」
吐き捨てた言葉に、リフルはそうだろうなと頷いた。
「私がお前にこんな事を言うのは妙だと思う。だけど私を信じてくれラハイア。私はあそこへ死にに行くのではない。殺しに行くのでもない。戦いに行くんだよ。私は私の仲間の潔白を晴らすために、女王と語らいに行くだけだ」
そのおまけでお前の仕事が更に楽になるなら、それに越したことはないじゃないかと奴は言う。何処まで本当なんだ。信じろとは虫の良い。そうやってお前は俺を騙すのだろう?何時もそうだ。そうじゃないかお前は。俺を二年間ずっと踊らせてきたじゃないか。
それを今になって信じろだって?
「…………馬鹿が」
「お前ならそう言ってくれると信じていたよ、ラハイア」
相手が悪人だからと、これまで嘘を吐いたからと疑うのは俺の信じる道じゃない。何度騙されてもその度に信じるのが俺のやり方だったはず。
「お前は、馬鹿だ」
何をそんな幸せそうに笑って居るんだ。手錠を掛けられて。
*
「はぁああああああああああああああああああああああああああああああ!?ざっけんじゃないわよ!何で止めないのよラディウスの馬鹿っ!!ここであいつが死んだら歴史が変わっちゃうでしょ!?」
同僚からのとんでもない情報に、ロセッタは思考どころか実際声に出してしまった。念のため何時も部屋に防音数式を張っていて正解だった。だけどこんなの聞いたら叫ばずにも居られない。
神子様の見た未来のためにも、リフルはまだ死んではいけない人間だ。タロック王を殺すため、あの男の力が必要なのだから。
(こんな情報、神子様の話にはなかったわ)
未来が変わっている?不味い。それならどう動くのが正解?一手……それが狂えばとんでもない、取り返しの付かないことにもなりかねない。
(神子様!神子様っ!!)
緊急で指示を仰ぐ。
《どうしましたかソフィア?》
(大変です神子様!リフルが勝手にセネトレア城に向かいました!)
《……ああ、そうなりましたか。あの腐れブラコン変態王子が。しっかり繋ぎ止めとけっての!!せっかく仕込みに仕込んで用意した僕の切り札その1がぁあああああ!!あいつ生き残らせると後々道化師戦で有利だったってのにっ!!》
(み、神子様?)
《気にすることはありませんよソフィア。それは主にアスカニオス殿下の責任です。自分の性癖を認められず女に尻尾振ってるからそうなるんですよあの馬鹿王子》
いつになく神子様の口調が辛辣だ。大分怒っていらっしゃる。
《ソフィア、大丈夫です。ある意味これで西の勝利は八割方確定しました。そういう意味ではそう悪い流れではありませんよ。唯……問題もあります》
(問題?)
《ええ。このルートは、那由多王子にとってとても辛い物になります。彼の心が折れたらこの戦、西が負けます。そうなれば対セネトレア戦争……シャトランジアとカーネフェルにとっても厳しい物になる》
(あいつにとって辛い……?)
《……ロセッタ。貴女は彼を憎んでいますね?それは今も変わりませんか?》
(私は……)
私はあいつをどう思って居るんだろう。わからない。わからないわ、そんなの。
そんな、簡単に言える事じゃない。水に流せる事じゃない。だけど……
あいつは私に手を差し伸べて、私を女だからって馬鹿にしない。私の身体的特徴を悪く言わない。庇ってくれる。
そしてすぐ泣く。よく泣く。女々しく弱い。その癖甘い。ギースみたいな奴を信じて……あいつを立ち直らせた。私が助けを呼んできた時にはあちこち火傷をしていたけど、笑っていたわ。無駄に綺麗な顔を汚して。
かと思えばすぐに変な猥談したり、妙な媚薬に詳しかったり。なんなのかしらあいつ。わけがわからない。
(神子様……もしかして、私をあいつの傍に置いたのって)
《ええ。彼は貴女に似たトラウマを持っています。だからこそ解り合える部分、支えられる所もあると思ったんですよ。そして彼の強さは貴女にとって救いに成り得るかもしれないと……》
(似た……トラウマ?)
《媚薬の話で気付きませんでしたか?彼はセネトレアに捨てられてから8年間程愛玩奴隷をさせられていたんです》
(お、王子なのにですか!?)
そんな話、聞いてない!奴隷だったとは聞いたけど、そういう奴隷だったなんて!!いや……だけど……思い当たる節はある。あいつは何で自虐ネタだなんて言ったの?どうしてあんなにエロい話に抵抗がないの?その妙な開き直りっぷり……
《結構悲惨だったみたいですね。やれ愛するお嬢様の父様にやられるわ、母様にやられるわ、それお嬢様に見られるわ。最後には彼の目に狂ったその屋敷の人間が血で血を洗う殺し合いを始めたそうで、彼以外全員死亡したとか》
神子様は淡々と話すけど、その一言一言にぞっとする。
《那由多様はソフィアと同じです。人を思い、人を恐れる心がある。それでもこの世界を見捨てられない。その救済を望み、手を汚す覚悟がある。……それでも彼の心は脆い玻璃をしています》
とても一人じゃその心を割らずに生きては居られない。それが割れたとき、彼もまた道を踏み外し、狂気の淵へと堕ちるだろう。神子様はそう予言する。けれどそれは避けられる未来なのだと付け加え……
《彼を無理に許す必要はありません。唯貴女は任務が終わるその日まで、彼の傍で生き、彼を支えてあげてください。優しい言葉など必要ありません……誰が欠けても、貴女はそこに居てください》
(神子様……神子様は、こうなったことで……誰が死ぬのか、もうお解りなんですね?)
《ええ。こうなった以上……もうどうしようもありません。彼らは表裏一体……近すぎたんですよ。悲しいことですが……闇路に光は歩けません。その逆もまた然り》
その言葉に、私もそれが誰を指すのか理解した。
その犠牲はあまりに大きい。無理矢理でも救える道はないのかと、尋ねかけ……あの二人は頭が固いことを思い出す。意地の張り合い。敵対している癖に、あいつらお互い大好き過ぎるだろってくらいに。どちらか一枚犠牲にしなければ、この状況打開は困難。反対に彼を生き残らせたなら、タロック攻めの時の足並みが揃わない。それを見越して、捨てるべきは彼。神子様はそう言っている。
《ソフィア、貴女も覚悟を決めて下さい。その時になって貴女まで取り乱しては……それこそお終いです》
*
「おーいリフルー!ついでにフォース!何処行ったんだあいつら……?」
もうすぐ夕飯の時間だってのに見あたらない。二人を捜し回るアスカに近づいてくる足音。
ああなんだ、こんな所にいたのか。そう振り返った瞬間。思いきり鳩尾を打たれた。
「あんた馬鹿っ!最っっっっ低っ!!あんたの所為よ!何もかもっ!!」
「げほっ……!がっ……!ちょっ!おち、つけ!」
そのまま吹っ飛ばされ、何とか受け身を取るも、すかさず馬乗りになられ、倒される。そして顔やら頭やらを殴られる。
そんな凶暴凶悪犯はロセッタ。強気な彼女が泣いている。どうしたんだと俺も戸惑うが、話が出来る状況にない。
「何でっ、あんたあいつのこと見てなかったのよ……」
「あいつ?……まさか、リフルに何かあったのか!?」
「仲間から情報が入ったわ。……あんたが目離してる隙に、あいつライル坊やの所に行ったのよ。城に連れて行ってくれって」
「はぁ!?な、何だよそれ!!」
「私が聞きたいわよ!あんたあいつにどんな躾けしてたわけ!?あんた馬鹿!?あいつがそんなに大事ならっ、何でもっと見てないの!?縛り付けてでも首輪付けてでも捕まえておきなさいよっ!!あんたが中途半端にしかしないから、あいつは何時でも無謀なのよ!!」
突然の糾弾。その言葉に頭がついていけない。
「あいつは本当っっっっっっっっっっにっ!!ライル坊やにメっロメロなのよ!女王にあの坊や殺させたくないばっかりに、自分が捕まりに行ったの!!自分の名前悪用した犯人まで哀れんで、フォースの馬鹿に始末させに行って!それで静かに眠らせてやるつもりなんじゃないの!?死人に口なしだもの!!弁護も反論も出来ないわよ!あの女王が死体で偽者だとか文句言ったらそれで坊やが殺されるの!!黙って見てられるわけないでしょあのお人好しがっ!!」
「う……嘘、だろ?」
心臓が痛い。胃がキリキリと締め上げられる。あいつが死ぬ。殺される。そんなの……そんなことって。
「だってあいつ……コートカード!それもキングだろ!?そう簡単に……死ぬわけが」
「あんたがそんな脳天気だからこんな事になってんでしょ!?馬鹿ねあんたは本当にっ!」
それでもロセッタがリフルのためにこんなに怒り狂うなんて……ちょっと普通じゃない。これじゃあまるで、他のことに怒っているみたいだ。
「…………あんた、もしかして……あのラハイアって奴のこと好きだったのか?」
「馬っ鹿じゃないの!?」
思いきり頬を打たれた。
「あんな馬鹿……馬鹿みたいな正義馬鹿…………嫌う馬鹿が何処にいるのよ」
それはこの不器用な少女なりの、肯定だった。それは恋愛感情ではないかもしれない。それでもこの少女は彼を、人として好いていたのだ。リフルがあの坊やを酷く気に入っているように。あの少年には確かに何かある。
人殺しだからこそ、彼の綺麗事に惹かれてしまう。正しくて、お綺麗で。馬鹿にしてやろうと思うのに、気がつけば魅せられる。彼の語る正義を信じたくなる。不条理の中にこそ、彼の正義は光り輝く。
悔しいが俺でも……あいつを見るリフルの目を覆うことは多分出来ない。正直逆立ちしたってあの坊やに勝てる気がしねぇ。俺じゃあいつの光になれねぇ。隣を歩くことは出来ても。
「あいつはね!こんな馬鹿みたいな国で!馬鹿みたいな奴らのために死んで良い人間じゃないの!!あんな貴重な馬鹿っ!世の中探したって何人もいないわよ!!」
「おい……でも、おかしくねぇか?今危ないのはリフルなんだろ?」
もう一発叩かれた。
「あの馬鹿が、他人を見捨てるわけないでしょ!?そんなこともわからないの!?馬っ鹿じゃないの!?あの坊やだって、Suitにベタ惚れみたいなもんじゃないっ!!どっちか女だったら間違いなくあいつら結婚してるわよ!!」
……悔しいが、これも返す言葉が俺にはなかった。
*
「ほう……なるほど。よくぞ連れて参った聖十字。本物か偽物か犯人かなにやら解らぬが、そのシルエット……なかなかの美男の香りがするぞ」
妖艶な女王がにんまりと笑む。その怪しげな笑みに、同僚はすっかり骨抜き。頼りない。
ラハイアは背筋を正し、彼女を仰ぐ。
「して、早うその者の顔を見せぬか」
女王からの催促。そんなにリフルの顔が見たいか。しかしこいつの頼みもある。そう簡単には渡せない。
「女王陛下、私はこの者を献上に来たわけではありません」
「なんと!」
「私はこれを捕らえ、裁きのために連行しました。この男はあまりに多くの罪を犯しました。それを教会の法では相応に裁けない。だからこそここへ参ったのです」
「ふむ、面倒だが確かに其方の言うこともわからぬでもない」
「真の正義のために、一般公開で彼の裁判を行っていただきたい」
「よかろう。ならば早速民草共に通達せよ!妾が直々にこの美男を裁いてやろう。丁度他にも処刑の人間が幾らかいたからのぅ……明日は裁判処刑祭り!メインディッシュにこの男は最後に料理してやろう!」
「はっ……ありがたき幸せ」
*
「……これで、良かったのか?」
「ああ。上出来だラハイア」
牢の前に付きっきり。格子の内と外で背中を合わせる。顔を見ずともその男が笑っているのがラハイアには解る。
「どうせあの女のことだ。美男は無罪、醜男は死罪などと言うに決まっている。あの女の傍若無人な振る舞いが広く人々に知れ渡れば……必ずやこの国を変えるための光明になる」
確かに現状として女王の酷さを知る人間は、高位の者だけ。酷い噂話ほど、美しさ故の風評被害と思われる。
一月前のセネトレア王の葬儀では、愛する夫を失った哀れな妻の姿を演じ民衆の涙を誘い、玉座を奪ったことも「愛する夫に代わりこの国を守るのです」とかそんな話でまとめていた。あれが美女と言うだけで流される人々は何かがおかしい。
城の中の騒動が外に漏れることはあまりなく、何人死んだとか殺されたとか、正確な数字もなく……俺もこの間城の兵士に案内されてあの墓の数を見るまで本気にしていなかった。
「……お前は何故、祖国でもないこんな国のために必死になっているんだ?」
「それはお前もだろう?ラハイア。お前の国がセネトレアであるはずがない」
質問に質問で返すなと呆れて溜息を吐くが、こいつは俺が言わない限り言わなそうだ。仕方ない、折れてやるか。
「俺の目は人から譲り受けた物だ。その人は酷い目に遭いながら……それでも最期までこの世界を愛していた。こんな世の中を美しい物だと信じて死んでいった。……俺はそうは思えない。だが、その人が信じた世の中を作りたい。この眼に見せてやりたい」
「…………なるほど」
「そのためにはまずセネトレアだ。この悪の温床である国を変えなければ世界は変わらない」
次はお前の番だぞと無言の圧力を送れば、背中の向こうでくすくすとリフルが笑う気配がする。
「私はそうだな。奴隷のいない世界を作りたい」
その答えは意外ではない。こいつが今までしてきたことを考えれば、わからないでもない。
「混血も、タロック人もカーネフェル人も……普通の人で居られるような、そんな世界だ」
「何故そう思った?」
「私の父が戦争をする所為で、奴隷貿易が蔓延った。私が処刑された所為で、混血迫害が生まれた。要するにその後始末だ」
「……嘘だな。それだけであるはずがない」
「あのなラハイア。私もお前相手に言い辛いことはあるんだぞ?」
「何を今更」
「私はな、お前のように綺麗な人間ではない。だからそれを知られるのが怖いんだよ。汚らわしい人間とは概してそういうものだ」
恥ずかしいと言うよりは、呆れたような声だった。
「……私は好きになる相手くらい、誰でも自由に選べる世界が来ればいいと思うだけだよ。奴隷なんかじゃない。関係を強要されない。そんな風に馬鹿みたいに誰もが馬鹿になれる世の中が良いと思う」
その言い方は、そういう自由がない。関係を強要された奴隷だったと言っているようなもの。言いたくない……理由は分かった。
「……下らん」
「く、下らないことがあるか!」
牢の向こうから噛み付くような声。こいつが感情的になるのはかなり珍しい。余程この話は俺に聞かせたくなかったのだろう。
「嫌なら嫌と言え。それでも駄目なら助けを求めろ」
「それでも駄目なら?」
「助けが遅かった俺を怨んで俺を殴ればいい。好きなだけ」
「それでは何も変わらないだろうが、馬鹿」
「自分を恥じるな。罪を犯した奴が悪い。悪は必ず教会が裁く。お前のような者は胸を張って生きていけば良いんだ」
「襲われたことのない人間だからこその綺麗事だな」
鼻で笑われ俺も少し頭に来た。振り返り俺も怒鳴り返してやった。
「生きているだけマシだろうが!生きていれば幾らでも人生やり直せる!」
「そういう台詞は薬や媚薬でも盛られてから言ってみろ。助け呼ぶどころじゃないんだ!惚れた女の父親や母親に手を出されてみろ!自分の何もかもが嫌になって毎日首を吊りたくて仕方がなかったんだからな!」
「この国に改革が必要なことはよく分かった!」
「わかって貰えて光栄だ!」
そこで再び互いに顔を背ける。
そのまましばらく黙っていたが、やがてリフルの方から不思議そうに俺に尋ねてきた。丁度外の光が弱まって……暗くなっていく。夜が近づいて来る。それを悟ったからだろうか?
「……お前は帰らないのか?」
同僚は何処かへ消えていったが、俺はそうも行かない。こいつは何かと危なっかしい。こいつの仲間が誰も傍にいない以上、俺が面倒を見てやるしかないじゃないか。
「俺が目を離した隙に、あの女王に襲われたらどうする?」
「嫌だと言って助けを求めれば良いんだろう?」
「俺は助けを求められたときのためにここにいる」
「……なるほど」
リフルが小さく吹き出した。ツボにはまったらしい。こいつのツボはよくわからない。
「しかし異母姉様は好色だからな。一度遊ぶくらいならお前のような堅物もタイプだと思うが」
「俺は遊びでそんなことをする趣味はない」
「顔だけならなかなかなのに勿体ないなお前も。もう少し警戒を解けば女にもモテるのではないか?」
「そもそも女にモテたいのならこんな仕事には就かん」
「これだから堅物は。それとも何か?女以外にモテるほうがお好みか?きゃー隊長さんすてきー(棒読み)」
「あの馬鹿の様なことを言うな!俺は正義のために……」
「はいはい。聞き飽きるほど聞かされたぞそれは」
お前が聞いてきたんだろうがとぶつぶつ文句を言ったが軽く流された。こいつは、これだから……
「それで?お前の言う平和で美しい世界とやらが完成した日にはどうするつもりだ?」
そして話題をすぐ変える。何だこの気紛れは。
「それは勿論、その治安維持のために尽力するのみ」
俺も一々律儀に答える必要ないのに、どうしてこうしてしまうんだろう。そしてせっかく俺が答えてやったというのにリフルは溜息なんかを吐いている。
「つまらない男だな」
「何だと!?」
「少しは色気のある返答は無いのか聖十字?」
「……やはり貴様はあの女王の弟だな」
「あんな女と一緒にするな……と言いたいが、今の言い回しは確かに似ていたな。以後気をつける」
「そうしてくれ」
「しかしそんな調子だとお前は一生独身のまま終わるぞ。もしくは政略結婚で微妙な夫婦間。仕事人間過ぎて妻に浮気、不倫をされて離婚。誰の子かも知らぬ子を育てる羽目になりそうだ」
「否定のしづらい妄想は止めてくれ。第一そう言う貴様こそ……普通に女と家庭を持っている姿がイメージ出来ないような感じではないか」
「ふむ、これは痛いところを突かれたな。まぁ私は毒人間だし基本女は作れないからな。家庭など夢のまた夢だ。第一今日明日死ぬとも知れぬ身で何を馬鹿なことを言っているんだか」
下らない話だ。そんなものに時間を消費するのは馬鹿げている。しかしこいつと実りのある話などまず無理だ。こいつはのらりくらりと何でもかんでもかわすから。
「……貴様は死ぬつもりはないと俺に言ったな」
「何を急に真面目な話に……空気を読めラハイア」
しかしそうはいかない、いつまでもこいつのペースでいられるか。逃げるのがこいつ。王のが俺の仕事だったはず。
「言ったよな!?」
「死ぬつもりはないが万が一死んだらそれは不可抗力だな仕方ない」
「言ったからには俺はお前を死なせない。俺はお前を教会で裁くまでは死なせん。何が何でも庇ってやるし守ってやるから覚悟しておけ」
「あー何で私毒人間なんだろう。もし普通の人間なら、今自分の唾飲み込んだだけで死ねるのに」
「それだとそれは毒ではないから死ねないだろうが」
「それもそうだな」
「下らないことを考える暇があったら寝ておけ。貴様の取り柄など顔ぐらいなんだから、いざという時にあの女王の美貌に負けてみろ。民衆は一気にあの女の味方になるぞ」
「手厳しいことを言うなラハイア。それでは私がまるで顔だけの男みたいではないか。私だって他に取り柄くらいあるんだからな」
「ほう、例えば?」
「いや、か……身体とかそういうスキルとか」
「卑猥なことを言っている暇があったら寝ろ!さっさと!明日に隈の一つでもつけていてみろ!その時はさっさと戦術的撤退させるからな!」
「それは困った」
さして困った様子でもない声でそんな事を言ったあと、背中の向こうからは何も聞こえなくなる。ようやく観念したか。俺もほっと息を吐き……神経を張り巡らせたまま目を閉じる。
その瞬間何故か思いだしたのが、俺の部屋であの同僚に言われるまま胸に果物詰めさせられているこいつの図で吹き出しそうになってそれを堪えるのが大変だった。
(おのれ……エティ)
何処かへ遊びにか報告にか消えた同僚がほんの少しばかり憎らしかった。
*
「もう……どーしてリーちゃんはああなんだよぉ!!どうしてそんなにラハイア君にぞっこんかなぁ!!」
「うちの組織きっての自慢の馬鹿を馬鹿にするんじゃないわよ!!」
それは自慢なのか?と突っ込みたかったが今はそんなことを言っている状況じゃねぇ。アスカはそれを自重した。
「今入った情報だと、明日王宮広場で公開裁判が行われるらしいわ。あいつはその最後の目玉。そこを何とかして助け出すしかない」
「判決がどうなるかによって変わるけど……もしそれが死刑の場合は多少無茶してでも僕が助け出す。数術で飛べば一気に行ける」
「まぁ、でも相手は刹那姫だろ?異母姉弟っつってもあの姫さん、うちの王子に滅茶苦茶興味津々じゃねぇか。死刑はまずねぇよ。死刑って事にして後宮に入れるくらいはあるかもだけどよ」
「……そうとも言い切れないわ。あの馬鹿、女王の粗探し。その非道っぷりを公の場で晒すことでまず城から攻め落とす気なのよ。しばらく東が大人しいと見越した上で」
多くの情報を知るロセッタ。もう取り乱してはいないが、それでも口調は冷ややかだ。
「となれば女王に対し辛らつな言葉を口にするかも知れない。わざと怒りを買うような真似をするかもしれない。その場合、死刑も十分あり得るわ」
「…………それじゃあ明日の配置について慎重に計画を練ろう」
「いや、結局はお前頼みになるだろう。トーラ、お前は休んで数術代償支払っとけ」
「でももう少し練るまで眠れないよ。とりあえず向こうにカード全員は割けない。ディジットさんとアルムちゃんはまだ本調子じゃない。洛叉さんはエリアス君の面倒見なきゃ。フォース君はまた行方不明。ってなると……」
「動けるのは俺とロセッタ、それからトーラ……鶸紅葉にハルシオンってとこか?」
「混血数術使いが一人、純血精霊憑きが一人、後天性混血が三人……なんかバランス悪いわね」
「それに蒼ちゃんは眼の件もあるでしょ?何かあると困るし、蒼ちゃんは今の僕らの中では一番強いカードだから本拠地待機が望ましいね」
「なら、決まりだな。4人ってのはちょっと少ないが……あんま大人数だと数術で飛ぶのも難しいし、この辺が妥当だろうな」
「まぁ、そうなるね」
また留守番を喰らったハルシオンは少し落ち込んでいるが、ここを守るのも大事な仕事だ。すぐに頷きマスターの命令ならばと聞き入れる。
鶸紅葉はリフルの無謀さに辟易しているようでもあるが、それも本来誰も巻き込まないために一人で行ったのだとは知り……少し自分を責めているようでもある。
「おい、あんま気にすんなよ」
「何のことだ?」
会議の終わりに、鶸紅葉に声を掛けるがギロリと睨まれた。
「あいつは元々こういうやり方……一人の方が動きやすくて好きだっていう奴だし」
「それくらい知っている!瑠璃椿自体との付き合いは私の方がお前より長い!」
「あ、そういやそうだったな……」
「あんな大々的に乗り込むなど、暗殺者失格だ。連れ戻してまた1から基礎を叩き込んでやる。そうすれば少しはあんな貧弱男でも見られるようになるだろう」
そう言って立ち去る彼女。彼女なりに不肖の弟子を心配しているのだろうか?よく分からない。
「何が気にすんな、よ。あんたこそしっかり寝なさいよね。いざって時に寝不足で役立たずとか止めて欲しいわ」
去り際のロセッタに膝裏を蹴られた。転びそうになった。
「っと……。にしても面倒臭い女ばっかになっちまったなここも」
つかモニカの奴も耳が良いならさっさとリフルの不在を教えてくれれば良かったのに……
「……って、おい?モニカ?何処だよ?モニカ!?」
返事はない。
「あいつ……もしかして、リフルに付いていったのか!?俺の精霊なのに!?」
それが吉と出るか凶と出るか。解らず俺の不安の種がまた一つ増えた。
*
「どうしてあいつ……いつも俺を置いていくんだろうな」
今回のことだってそうだ。一言でも俺に言ってくれたなら俺も協力した。どうしてわざわざ聖十字なんかに。幾らあいつがお気に入りだからって。あいつが勝手に女王とやった取引の尻拭いをしてやる必要なんかねぇはずだ。
「何やってるの、アスカ?」
明日も早いんでしょと声を掛けてくるのはディジットだ。
「あー……まぁそうなんだけどさ」
寝るに寝られず、夜風に当たっていたら、彼女も俺の隣へやって来る。風呂上がりなのだろうか。髪も下ろしていていつもより俺の好みだ。おまけに良い匂いがする。そう思ったら思いきり頬を打たれた。
「あんたねぇ……馬鹿でしょ?」
「いきなり叩いてそれは酷いんじゃないか?」
「今更私なんかに何て顔してんのよ」
「今更ですか」
「今更よ」
何ともつれないお言葉だ。
「あんたが一番大切なのはあの子でしょ?普段はストーカーかってくらい凝視してる癖に、そうやって見ていて欲しい時に、見ていてあげなきゃいけない時にあんたが余所見するからこんなことになるのよ」
「見ていて欲しい時……?」
「あの子だって誰か頼りたいときくらいあるでしょ?でも誰にでも頼れる性格じゃない。あの子、エルムと似てるところあるもの」
ディジットのそれは……後悔を感じさせる、重い言葉だった。
「あの子はあの子達みたいに双子じゃない。一人しかいない。あんたは楽な仕事よ。あの子だけ見て、あの子だけ好きでいてあげればいいの。それで何でもかんでも上手く行くわよ」
誰とも比べず、一人だけ。守って愛してあげればいい。口で言うのは簡単だ。俺だってそうしているつもりだ。
「だけど俺だって……いろいろあるだろ。人間関係とか」
「普段あの子のためにそういうの一切構わないで生きてきた奴が今更何言ってんの?半年前なんか酷いもんだったじゃない」
病み上がりとは思えない、ディジット節が俺に炸裂。言い返せない。
「私はあんたに心配されたりしても全然嬉しくないし、その所為でリフルが危ない目に遭う方がよっぽど辛いわ」
「ディジット……」
「あんた少しは先生を見習いなさいよ」
「は?」
「あんたはね、あの子にいろいろ省きすぎ。それからなんとなくで済ませ過ぎ。普段余計な口は回るのに、肝心なことは何も言わない。なぁなぁで片付ける。その癖態度だけは思わせぶり。私への態度と真逆じゃない」
あんたは私をそういう風に好きでもない癖に上っ面で好きとか言うわ、頼りたいときに何処にも居ないわ、いっつも遅れて現れるとかなんなのよ本当にと叱られる。
「だってそれは、あいつ邪眼あるし……そんなこと言ったらますます怪しまれるだろ。魅了されてるんじゃねぇかって」
「あんた、やっぱ馬鹿ねぇ。まぁ初恋は叶わないって言うし、こんなもんなのかしら」
「……は?」
「あんたの何もかもが間違ってるって言ってあげてるの。幼なじみのよしみで。あんたも黙ってればそこそこいい男なんだから、少しは物を考えなさい」
無くしてからじゃ遅いのよ……そう、忠告された。
「今のあいつは誰かに仕えるような奴じゃない。誰に捕らえるってんだよ」
「……死神に」
「え?」
死神商会のこと、ディジットは知っていただろうか?思わず眼を見開くと……彼女の方が驚いた顔。
「あの子、死なせるわけにはいかないんでしょって言ったの」
「あ、ああ。そうだな……」
考えられない、そんなこと。あいつが死ぬなんて。それは俺にとって、この世界の終末に等しい。
「我ながら変な話だけどな……」
幾ら弟だからって。幾らご主人様だからって。どうして俺はそこまであの人が大切なんだろう。世の中にゃ、兄弟失っても生きてる奴は五万といるし、雇い主を亡くしてってそれは同じだ。だけど俺はそうじゃない。
あいつが傍にいないだけで……息も出来なくなるような、そんな喪失感。やはり俺も邪眼の魅了が深く根付いているのか。
他の誰かを亡くしたら、悲しいとは思う。泣くかもしれない。だけど生きていけない。世界の終わりだなんて思うほど、どうして俺はあいつに依存してしまっているのか。自問自答しても、邪眼以外の答えが見つからなかった。
*
「……よく来たね。待っていたよ……“ニクス”」
「…………俺はフォース。フォース=アルタニア。けどお前がそう呼びたいんなら別にそれでも良い」
「へぇ、優しいんだね」
「良く言われるけどな、違うと思う」
その暗い廃屋で、青年は椅子に腰掛けていた。青年の前にはキャンバス。描きかけのまま放置された一枚の絵。リアという少女が死の間際まで描いていたであろうその絵。そこにはこの男が浮かべたこともないような……優しい目をした男が映っている。彼女はこれを描きながら……過去を思いだしたのだろうか?
「……最初はお前がアルタニアに戻ってると思った」
「絵的に映えるよね確かに。あの男と同じ城で僕もまた死ぬ。悪くないとは思うけど……それじゃあ君の罪科がまた一つ増えるからね。死の間際まで嫌がらせをするのは悪趣味かなと思って」
「そういやそうだった。お前、俺に公爵殺しの罪着せたんだったな。今思いだしても腹立つ」
仇と復讐者。妙な関係だ。それがこんなことで笑い合う。
「ニクスって誰の名前だったんだ?本当は」
「さぁ、誰だったかな。もう忘れたよ」
「嘘吐けよ。だから俺を殺さなかったんだろ」
「名前だけじゃないよ。彼は君とよく似た声をしていた。一瞬本当に彼が生きていたのかと思ったくらい」
あの日、アルタニアの地下牢で出会った日。こいつが笑っていたのは……旧友を懐かしんでのことだったのか。俺は恐れ戦いていたけれど……こいつはそんな理由で笑っていたのか。
「だけど彼なら知っていることを君は知らなかった。屋敷では拾われたとも聞いたしね。年寄り共の慰みの罪滅ぼしに拾われたんだろうとは思ったよ。……でもまさか、顔まで似ているとは思わなかった」
以前であった頃は、こいつの両目は失われていた。しかしその目を取り戻し……紛い物の純血として生まれ変わったこいつが第五島で見たのは……俺に救いを求めたのは、俺が本物のニクスって奴に似てたから。
「ニクスはね……僕と姉さんのことを知っても、気味悪がらず祝福してくれた僕と姉さんの友達だよ」
「気味悪い……?」
「君はそう思わないのかい?」
「俺は……そう言うの、あんまよくわかんねーけど」
誰かを好きになること。それはなんだろう。
世の中にはいろんな好きがあって、俺の中にもいろんなそれがあって。
それは俺の一方通行のものがほとんどで。親父は俺を捨てた。お袋は俺を売った。グライドは商人についた。ロセッタは教会についた。パームは何処にいるかもわかんねぇ。アーヌルス様はカルノッフェルの方がお気に入りになった。コルニクスは死んじまった。エリザは俺を騙していた。もう、嫌になる。
だけどリフルさんは……俺がどんな汚い人間になっても、変わらずに俺を優しい目で見る。笑ってくれる。よく抱き締めてくれる。あの人は俺を嫌わない。何があっても。それを俺は信じられる。俺もあの人を何があっても嫌いになんかならないよ。それは絶対だって言い切れる。
「自分が誰かを心底好きで、その人も自分を同じように思ってくれるなんて……それだけで凄い奇跡みたいなもんじゃねぇか」
その繋がりが誰かの目から見ておかしいって否定するのって馬鹿みてぇ。そういう奴は何も大切な人がいない馬鹿だけだ。自分の気持ちを認めるのが怖い臆病者だけだ。俺もそうだった。ちゃんと何も伝えられずに生きてきた。だから俺は多くを失った。いつも奥手で、いつも受け身で、そんなんだから俺は何も守れなかった。大事な物は大事だって伝えて、好きな物は好きなんだって胸を張って言えるような男にならなきゃ、多分何も守れねぇ。
「俺はお前を憎んでる。それは認める」
「まぁ、そうだろうね。僕だってあの男のことは憎んでいたしそういうものだよ」
「でもたった一人のためにそこまで狂えるお前が凄いとも思う。そこまで誰かを好きになれるあんたが羨ましいと思うよ」
俺はリフルさんが好きだけど、あの人のためにこの世界を壊せるだろうか?多分出来ない。あの人はそんなこと望んでいない。そう逃げる。
「そうかな。僕は普通のことだと思うけど」
「普通……?」
「愛した人のいない世の中なんて、地獄みたいな物だよ。気にくわないことばかりが歩いている。これで狂わずにいられるなら、それを僕は人間とは呼ばないよ」
カルノッフェルがひひひと笑う。
「僕も最初はね、あの男とは違う。立派な公爵にでもなって目に物を見せてやろうと思った時期もあったんだよ」
あちらこちらで繰り返される名前。振り向いてもその人はいない。それでも呼ばれ続ける名前。気が変になりそうだ。よくある名前。ありふれた名前。多くに愛された名前。聖女の名前。もうその人はいないのに……
「僕が馬鹿だったよ。あの子に目なんか貰った所為で僕は……本当に大切なものが見えなくなった」
声で彼女と知れたなら、ちゃんと出会えていたはずだ。もう一度大切な人に。
「メアリ……君が見たかったのは……こんな景色だったのかな。僕が彼女に見せたのは、ろくでもない風景ばかりだった気がするよ」
その名は誰を指すのか。その目をくれた人だろうか?俺が知らない名前が一つ飛び出した。
「それなら……その子は、あんたにもっと綺麗なものを見せたかったんじゃないのか?あんたが立派な公爵を続けられるように」
「今となっては後の祭りさ」
「…………リフルさんは城に行った。Suitとして名乗り出て。お前の罪もそのまま被る気だ」
「何だって……?」
ここで初めてカルノッフェルが動揺した。ほんの一時でもこいつはリフルさんを愛しの姉さんと勘違いした。だからちょっとは興味を持ってはいたのだろう。多分……俺が駄目だった時の追跡者として愛でていた。
「この世界は、お前が絶望するほど……本当に醜いか?価値がないか?汚れているか?お前が愛する価値がもう……何処にもないのか本当に?」
俺はこいつを殺しに来たはずだった。だけど、リフルさんは俺にこいつを救えと言った。俺はその意味をこの土壇場に来てまた考える。曲がりなりにもこいつは領主。……アルタニアの公爵だ。
「……今アルタニアが、また領主を失ったら……また荒れる。多くの人が死ぬ。また冬がやってくれば治めてくれる者がいなければ犯罪が起こる。それくらいは解るよな?」
俺の口を吐いて出た言葉。それは俺自身に言い聞かせるようなもの。俺は今、言いながら考えている。最善とは何だろう。
リフルさんは、死ぬことが望みだと言っていた。それでも俺にはそうは見えなかった。本当はあの人だって、幸せになりたいんだ。だからあんな泣きそうな顔で笑うんだ。誰にも許して貰えないからって、自分の心に嘘を吐く。欲を殺してあんな悲しいことを言うんだ。
そんなことあるわけがない。だって生きて居るんだ。誰だって……進んで不幸になんかなりたくない。だからこそ幸せの奪い合い。不幸が生まれる。
だから誰かが進んで不幸を引き受ける。そうなれば空いた分の幸せが、誰かの元へ行くだろう。あの人は、だから笑うんだ。泣きたいのに笑うんだ。誰かが幸せになれるなら良かったって。
そんな風に笑う人がいるんだ。この世界を勝手に絶望的だなんて言わせて堪るか。
「付いてこい……あんたのその目が見たがった、とびきり綺麗で美しい景色をあんたに見せてやる」