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45:Cum tacent, clamant.

「あんのクソ野郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 アスカは叫んでいた。叫ばずには居られなかった。


「落ち着けアスカ」

「落ち着いてられっか!」


 主はよくもまぁ冷静でいられるもんだ。俺はもうロイルの顔面に蹴りを入れてやりたい。昨日の内に街にあったでかい船は盗まれ、残されたのは手漕ぎの小さな舟って話にならない。


「本当に申し訳ありません。公爵様の使いの方にこのような失態を……」

「いえ、別に貴方の所為ではありませんよ」


 舟の持ち主をリフルは宥めるが、とてもじゃないが俺にはそんな気力はなかった。

 来た道を引き返しながら、遠くに見える海が実に忌々しい。


「ったくエルム連れてるんなら、空間転移でもなんでもさせればいいだろうが」

「アスカ、あれは高等数術だからそんなに誰にでも出来る技じゃないんだぞ?」

 《そうよそうよ!私が無理してアスカニオスにさせたとしても、あんた廃人なるわよきっと》

「つまりお手上げって事?」

「よし……泳いで帰るか」

「いや、筏でも作った方が堅実じゃね?」

「それなら普通に小舟のがマシじゃない」

「まぁ、君たちがどうしてもっていうなら僕を止めないけどね」


 それは誰の声だろう。何食わぬ顔で会話に割り込んできた声。それはとても聞き覚えのある。そえでもとても懐かしい……


「……俺、疲れてるのか?」

「私もそうなのかもしれない……いや、もしかしたら幻聴が聞こえるほど私は彼女のことを……」

「きゃ、もうリーちゃんったら照れ屋さんなんだからぁ!これ以上僕を無視すると服の中に手ぇ突っ込んで、あんな所とかこんな所をああしてこうして腰砕けにしてあげよっか?」


 その問題発言に振り返る。誰もいない。視線を落とす。何か居る。

 リフルの腰にぎゅっと抱き付いている金髪の少女。いつもの赤頭巾じゃなくてなかなか立派なドレスを着ている。


「もう、リーちゃんがなかなか迎えに来てくれないから、僕脱出して来ちゃった!」

「トーラ……、本当にトーラなのか?」

「よくよく考えたらリーちゃんと離れるのって結構フラグ消滅っぽくて怖いしね。それにリーちゃんにはやっぱり僕が必要でしょ?」


 リフルがトーラと認めるからには、オルクスである線は薄い。それでもこんなに早く逃げ出してくるとは……本当によくわからんが凄いんだなうちの数術使い様は。


「でも流石はリーちゃんだよ。よくもまぁ、グメーノリアをここまで骨抜きにさせたものだね。でもまぁ僕らも頑張ったんだよ。僕もフォース君も無事脱出したし、それに今なら第五島は西に刃向かえない」

「そいつは一体……?」


 俺が探りを入れると、トーラがそれはアジトに帰ってからだとほくそ笑む。


「ところでそこのフォース君擬きみたいな子は?」

「第二公のご子息だ。ここまで案内で来てくれた」

「へぇえ、なるほどなるほど。君どうする?なんなら君も第一島に見聞を広めにでも来るかい?」


 トーラの提案に、少し悩む風なギース。それでも彼は静かに首を振る。


「俺は……この島で、自分に出来ることを……やるべき事を探します」

「何だよ急に畏まりやがって」


 調子が狂うなと言ってやるが、ギースは態度を崩さない。


「……リフル様」

「……?これは?」


 ギースがリフルに手渡したのは、何かの記された紙切れだ。


「昨日と今日で、……この辺知り合い使って集めた情報です。あの媚薬を売っていた奴はちょっと前に他の島に移ったらしいです」


 何かの手がかりになればと、集めてくれたのだろう。良く見れば確かに……彼は寝不足のような顔をしている。今まで良く見てなかったから気付かなかったが。


「それからこれが、そいつの隠れ家から見つかった、その材料になったと思わしき植物です」


 そう言って小さな袋をギースがリフルに差し出した。


「少ししかお力になれず……申し訳ありません」

「いや……十分だ。ありがとう」


 リフルが優しく微笑むと、途端にギースはぐずり出す。


「俺……帰って親父の協力します。また街を復興させて……今度は混血が来ても心から歓迎できるような街を作りたい。いや、作ります!だから……その時は、やり直させてください!」

「ギース……」

「俺、財布なんか盗まないし……危険な目にも遭わせない。この島の本当の良さを、案内できるように頑張って…」

「ああ、楽しみにしている。君が公爵になった……その時はまた遊びに来させて貰うよ」


 リフルが手を差し出すと、ギースもそれに応え、深く頷く。

 そんな二人に背を向けて、肩をすくめるロセッタ。


「……口だけだったら承知しないわよ」

「お、お前も来いよな!次期公爵様の命令だぞ!」

「私、偉そうな男って大嫌い」


 大嫌いにやけに力がこもっていて、ギースが少しショックを受けたみたいだが、振り返るロセッタは少しだけ笑っていた。


「次来るときまでには、少しはレディーファーストの精神でも学んでおきなさいよね」

「んじゃ、こいつのこと頼んだぜ。またなんか悪さしようとしたら蹴ってやれ」


 随分俺に懐いてくれたこの馬との別れも名残惜しいが、半ば壊滅状態のこの島には必要な力だろう。俺がそう頼めば、了承した言うように馬が鳴く。


「おいギース、こいつが乗せてやるってよ。さっさと城に帰ってがっつり働いて来い。……モニカ」

 《アスカニオスのお人好し!》

「……あ、足が」

「一応これで完治だけどな、治して貰った分はしっかり頑張れよ」

「…………はい」


 俺の脅すような言葉にも、なんともまぁ殊勝な態度。この一日で何か思うところがあったのか、随分と見違えたものだ。


「あの……それから、これ」

「ん?」


 俺に手渡された袋は大きい。そしてずっしりと重い。見ればゴロゴロと原石が入っている。


「……さっきの船主に船の代わりに何か出せって言ったらくれました」

「わぁ、これは凄い!なかなか質の良い触媒だよ」


 袋の中身を覗き込んだトーラが絶賛。後にギースの手を取ってにこりと笑う。


「ギース君だっけ?どうもありがとう!」

「あ、……いや…………うん、ああ……」


 ああ、そっか。すっかり忘れていたが、トーラもトーラで混血だ。黙っていればそれなりの美少女に分類される。がさつで男勝りなロセッタと並べば、初見の相手からすれば結構可愛く映るのかもしれない。自分との対応の差に、ロセッタが少し機嫌悪そうにしている。やっぱあんな凶暴嬢ちゃんでも一応は女のプライドがあるらしい。


「……ああ、そっか」


 何がそっかなんだろうか?近くでギースの顔を覗き込んだトーラは心得たと言わんばかりに手を打った。


「アスカ君、ちょっとその袋貸して」


 そう言って先程ギースからもらった袋を漁り出す。そしてめぼしい石を見つけると、さっさと錬磨にカットに加工をし、ガリガリとその内の一つに数式を刻み、ギースへと返す。


「一応首飾りに加工しておいたけど、困った時はこの石握りしめればいいと思うよ。体温加熱で発動するようにしておいたから」

「何したんだお前?」

「まぁ、試しにやってみてよギース君」


 言うより早いとトーラが指図。言われるがまま、それに従うギース。


「こ、これは……」


 鏡を彼に差し出して、トーラはにやりとほくそ笑む。


「視覚数術発動装置に仕上げてみました。これで年相応の姿になれるようにしておいたから、これで問題事はいろいろ減ると思うよ」


 見た目が変わるだけで実際に成長した訳じゃないのでそこは気をつけてねとトーラは注意事項を語る。


「君たち第二島の人は混血とか数術って嫌いかもしれないけど、便利なこともあるんだよ」

「……す、凄ぇ。あんた、魔法使いみたいだ」

「まぁ、そんなものだよ数術使いも混血も」


 長年悩まされた、成長速度低下現象。それをこんな一瞬で解決するなんて、リフルにもロセッタにも出来ない芸当。それをやってのけたトーラをヒーローのように崇めるギース。

 こいつに限っては混血への偏見も大分払拭されたようだ。しかし俺にはまだ気になるところがあった。


「おい、大丈夫なのか?こいつ純血だし数術の才能なんかねぇだろ?それがこんなのバンバン使ったら……」

「それが大丈夫そうなんだよ。この触媒、かなり質が良い。それに視覚数術って扱うの高度ではあるけど消費代償自体は少ないしね。計算を触媒にやらせるんだったら、彼の体温くらいで扱えそうだ」

「ま、マジで!?」


 こんな質の良い触媒をくれたんだから、一つくらいお礼をしてあげても良いかと思ってねとトーラは笑う。


「まぁ、こんなアイテム作れるのは世界広しと言えど僕と何人かくらいだろうけどね。ちゃんと使用者情報も刻んでおいたから、あれはギース君にしか使えないよ」


 要するに僕が凄い。で完結するトーラの説明。


「さ、君も忙しいんでしょ?こっちは僕がなんとかするから大丈夫。船の用意はしてきたんだ。早く城の方に戻ってあげなよ」

「確かに。今は一人でも多く人手が欲しいか」


 トーラの言葉にリフルも頷く。


「ここまで送ってくれてありがとう、ギース。グメーノリアと君の未来に祝福を」

「ありがとう、ございます」


 リフルに微笑まれ、ギースも少し顔を綻ばせる。最後にもう一度頭を下げて、去りゆく彼に手を振って……それが見えなくなったところでトーラがやれやれと息を吐く。


「流石に数術体勢のない人間の前で、空間転移なんて目の前で見せたらびっくりされちゃうからねぇ。あれは手品の域を超えてるよ」

「ほんと疑り深いなお前……」

「そりゃあね。一応結界数式は張ってるとはいえ、ここは第二島だし油断は出来ないよ」


 それにと彼女は言葉を続ける。


「さっきリーちゃんに抱き付いて読み取った情報からだと、この島これからまだ一悶着ありそうだしね」

「あの短時間で……情報を?」


 信じられないと驚愕の表情を浮かべるロセッタ。しかしリフルへ平然としている。

 俺もトーラのすることなので特に驚きはしない。基本こいつは何でもありだ。


「そんな驚くことか?」

「そりゃあ驚くわよ!あんな短時間で情報引き出す方も、引き出させる方も!」


 情報を引き出そうとする力に、抵抗する意識という自衛本能が働く。気付かれないようにそれを引き出そうにも望む情報を引き出すには時間が掛かるものだと彼女は言う。この様子じゃ、彼女の知る神子様よりもこの情報能力に関してはトーラの方が上だと認めたようなもの。


「リーちゃんは僕への情報分野でのガードは甘いからね」

「長らく共犯者だったからな」


 それも二人の信頼関係あってこそだよと主張するよう、またリフルにくっつくトーラ。あんまくっつくなと言いたいが、感動の再会とのことで無理矢理引きはがせない自分が悔しい。


「そんなことよりトーラ」

「ああ、そうだね。立ち話も何だし、さっさと帰ろう。向こうが船ならたぶん僕らの方が早く戻れる……って言いたいところだったんだけど、気が変わったよ」

「へ?」

「そこの鉱山から、とんでもない気配がする。そうだよねフィザル=モニカさん?」

 《やっぱり気付くか。流石だわ、セネトレアの王女様は》


「今もらった原石なんだけど、それと同じ気配があの山からするんだよ。僕の間が正しければ、とてつもない精霊が眠ってる」


 ふふふと彼女は不敵な笑みを浮かべるが、その虎目石の瞳の内には何らかの決意の色が見て取れた。


「僕は契約している精霊がいないからねぇ。それじゃあ兄さん達とは渡り合えない。ここらで僕もパワーアップしておきたいんだ。寄り道してもいいかなリーちゃん?」

「……ああ。西の方は問題ないなら」

「そっちはオッケー。今は洛叉さんにとっても大事な仕事任せてあるから、おいそれと東も城も攻められない。暫く均衡は続くよ」

「その均衡を崩すために……力が要ると言うことか」

「そーいうこと。無茶して逃げ出して来た理由の一つはそれだよ」


 リフルに腕を絡ませてはしゃいだ様子のトーラ。こんな時に女といちゃつくなんてと呆れた様子で睨むロセッタ。睨まれるのがトーラではなくリフルの方だというのがなかなかに理不尽だ。


「でも鉱山に入るには資格を持つ者かその人の許可が要るんでしょ?」

「嫌だねロセッタさん。その位僕が購入していないとでも思ったかい?」


 書類上では僕もこの鉱山の一部の権利者だよとトーラが胸を張る。


「触媒採掘のために目を付けては居たんだけど、なかなか人員を送り込めなくて困ってたんだ。本当君たちはよくやってくれたよ。貴重な第二島の情報を持ち帰ってくれるなんてさ」

「何でかしら。お礼を言われている気がしないわ」

「それはロセッタさんの人格の問題だと思うな」

「お前ら何昼間から火花飛ばしてんだよ」

「火花くらい飛ばしたくなるよ!せっかく僕が囚われのお姫様っていうヒロインっぽいポジションになったってのにリーちゃんってば女の子と一緒に旅してるなんて許せないよ!」

「私はこんなついてるんだかついてないんだかわからないような女男に興味ないわよ!」

「ほんとに本当?ムキになるのが怪しいよロセッタさん?やましい気持ちがないならこの誓約書にサインしてよ。“私は今日も未来も絶対にリフルのことは嫌いです”って」

「やってやろうじゃない!」


 何だかよくわからないが張り合う女二人に疎外感を感じる俺とリフル。


「…………まぁ、とりあえず元気そうで安心した」

「……だな」


 そう苦笑し合っていると、トーラが俺へと向き直る。


「アスカ君ありがとう!アスカ君の妨害のお陰でリーちゃんとロセッタさん全然フラグ立たずに済んだんだよ!」

「お、おお……」


 トーラが俺の両手をがしと掴んで眼をキラキラ輝かせる。かと思えば眼光鋭く、両手に力を込めて俺を脅す。


「でもあんま調子乗らないでよね。何着実に自分だけリーちゃんとのフラグ積み上げてるの?」

「何もしてねぇだろ俺は!」

「してるよ!同性なのを良いことに、同室当然みたいな顔するわ!寝惚けて添い寝までするわ!あまつさえ変装のためとはいえ今回は、リーちゃんの旦那役だったんだって!?もう!アスカ君てば狡い!酷い!惨い!!」

「トーラ、その辺にしておいてやれ。今回は不可抗力だ」

「うう……リーちゃんてばほんとアスカ君に甘いんだから!」


 走り出すトーラ。それを慌ててリフルが追いかける。それを適当に歩きながら追う俺とロセッタ。


「何なの、あの女」

「んー……まぁ、大目に見てくれ」

「いきなり絡まれて優しくできるほど私は甘い女じゃないわよ」

「まぁ、そんなんだろうけどな」


 ロセッタはもう手遅れな程機嫌が悪い。まぁ、突然言いがかりのように絡まれていい気になる奴はいないだろうな。


「でも……あいつもあいつで、報われねぇ奴なんだよ」


 *


 鉱山に入って数分。黙々と歩いた。誰も何も発さない。それが少しばかりリフルにとっては苦痛だった。

 昨日ロイル達が魔物退治を終わらせたという話だったのでそこまで邪魔も入らずに道を進むことが出来た。

 まだ地元の人間の作業は開始していない。あの店主は自分の怪我が治るまで、魔物が消えたことを他の者に話したくないのだろう。抜け駆けをされては困るという欲で。


(しかし……)


 トーラはそもそもどうやって逃げ出してきたんだ?逃げ出して来た、それは一人で?こんな所で時間を潰していて本当に大丈夫なのか?

 トーラはその全ての答えを知っている。それでもトーラとの会話がなければそれもわからない。わからないことは……不安だ。

 それは今の気まずさよりも、優先すべき事。リフルは息を吸い、覚悟を決める。


「…………フォースはどうしたんだ?」

「フォース君は西に戻って貰ったよ。彼にもやるべきことがあるからね」

「そうか……」


 聞きたくて聞けずにいた心配事。その一つが片付いてほっとする。フォースの安否……それがわかっただけでも嬉しい。そんな私の様子にすぐそばで溜息が上がるのが聞こえた。


「もう……本当リーちゃんは、リーちゃんなんだから」


 それは呆れたような、それでも確かに笑っている。その言葉から、トーラが機嫌を直してくれたような気がした。


「あのさ、リーちゃん。僕にはどうして精霊がいないかわかる?」

「いや……」

 《トーラちゃんって土属性の人間でしょ?なんか嫌な感じするもの》

「おい、モニカ……」


 モニカの割り込みに、アスカが後ろで文句を言っている。確かにいきなりなんて事を言うのだろう。


 《あ、誤解しないでよ。別に私個人がどうこうって話じゃなくて。私風の精霊でしょ?土の元素とは相性最悪なの、苦手なの》

「その道理でなら私と彼女は気が合うはずなんだけどね……生憎今のところ全然だわ」


 モニカの言葉に、ハートカードで水属性のロセッタが思いきり息を吐く。


「でもリーちゃん風属性なのに僕やフォース君と仲良いでしょ?人間関係は元素云々で言い表せるほど単純なものじゃないんだよ」


 フォースの名前が出てくる度に、少しロセッタが反応する。何だかんだで彼が心配なのだろうか?彼女も不器用な人だな。


「うん。まぁモニカさんの言うとおり僕は土属性。だからダイヤのカードなんだけど……土の精霊って何処にでもいるってわけじゃないんだよね。セネトレアの中で目撃情報が上がっているのはこのグメーノリアくらいなものだよ」


 島の名前に由来するくらいだから密接な繋がりがあるのだろう。言われてみればそう思う。


「精霊に気に入られるのって偏に才能なんだけど、土の精霊に好かれるのって特に難しいって言われてるんだ」

 《ほんとあいつら住処選びに五月蠅いもんね……》


 坑道に入るのも嫌だと言わんばかりのモニカの声。


 《それにあいつら人付き合い下手な癖に世俗的過ぎるのよ。だから嫌い!金金金ってほんと夢がないったら嫌になるわ》

「数術代償に美少年の使用済み下着欲しがる精霊に言われても反応に困るんだがな、おい」


 すかさずアスカのツッコミが入ったが、モニカは聞く耳を持たない。


「リーちゃん、本当にあげちゃったの?」

「約束は約束だからな」

「酷いよモニカさん!僕のリーちゃんになんて辱めを!!ていうかそれ100万シェルで売って!!」

 《私土属性のこういうところ嫌いなのよ》

「わかった。500出そう」

 《幾らお金を積まれても美少年の下着って言う至高の宝の前には金貨もゴミ同然よ!》

「なんか、風属性と土属性が解り合えない簡略図みたいだな」


 モニカとトーラのやり取りに、アスカが渋い顔で言う。私も頷くしかなかった。

 そんな私達の様子に我に返ったらしいトーラが、一つ咳払い。


「先にも言ったように僕は土の人間だからモニカさん同様、風の精霊はまず僕を好かない。大抵精霊は同属性か相性最高の人間しか気に入らないからね」

「でもイグニス様は全属性の精霊従えてるわよ?」

「その辺は神子様の七光りパワーだよ。先代とかからの契約をそのまま継いでるってことも良くある話だし、契約内容によってはあり得ないことでもないよ。基本契約ってのは嘘は吐かないけど言わない教えないの騙し合いだからね」

「あっそ」


 トーラと自ら崇める神子様との比較に忙しいロセッタ。ここまで来るとトーラが気に入らない余り粗探しが楽しくなってきているのかもしれない。


「……ヴァレスタ兄様がこの島に来なくて良かったよ。もしここの精霊が彼の手に渡っていたかと思うとぞっとする」

「土の精霊は、あの男のような人間を好むのか?」

「どうだろう?話は合うと思うよ、かなり」


 彼は交渉術に長けているからねと自嘲気味にトーラが笑う。


「それかエルム君もこの鉱山に来てたら大変だったよ。彼精霊憑きの体質だし、水属性だから土の精霊にも好かれやすいと思う」


 昨日のロイル達の魔物退治に彼は付き添わなかったようだ。それは大技で疲れていたというのもあるだろう。トーラはここの精霊が彼の手に渡るよりは、今の惨状が遙かにマシだったと言う。


「だけど僕も無策で挑む訳じゃない。とっておきのマル秘アイテムを僕は持っているんだ」


 何をするのだろう。トーラの秘策に、私も思わずごくりと息を呑む。それを見たトーラがにっこり笑い、何処から取り出したのか手品のようにシートを広げ、そこに座り込む。


「さて、それじゃあこの辺でお昼にしようよ」

「え」

「マジで?」

「馬っ鹿じゃないの?」


 呆気にとられる私とアスカ。それに続く、ロセッタの辛辣な言葉。しかしトーラは気にした様子もなくお弁当と飲み物を取り出す。その中身にアスカも飛びついた。


「その料理……まさかお前が作ったわけじゃねぇよな?」

「勿論!これは正真正銘、ディジットさんの手料理だよ」

「誰よそれ」

「馬鹿!それ以上ディジット馬鹿にしたらお前には一口も分けてやらねぇぜ!?」


 アスカもそそくさとシートに上がり込み、涙を浮かべながら彼女の手料理を手に取った。


「良かった……無事だったんだな、あいつ」

「洛叉さんは変態だけど腕は確かだよ」

「……違う意味で大丈夫だったのか?」

「大丈夫だアスカ、先生は15才までの少年少女にしか興味はない」

「全然大丈夫じゃねぇよなあいつの頭の中は相変わらず」

 《嫌だ、何これ美味しい!!》

「ディジットさん火属性だしねぇ。モニカさん好みの味だと思うよ」

 《くぅ……あの時のあの女かぁ。女にしておくのは勿体ないわ。この料理を作ったのが男だったら私惚れてたかも。っていうかあの時助けて良かった。アスカニオスと契約してなかったらあの子死んでただろうし》

「それはお前自分を買い被りすぎだろ」

 《何よ!ちょっとは感謝しなさいよ!!その卵焼き私に寄越しなさい!!》

「駄目だこれは俺の好物なんだから」

「アスカ、こっちの漬け物も絶品だぞ?食べてみろ」

「う……あ、はい」

 《よっしゃ!隙有りっ!!ファインプレーよリフルちゃん!やっぱり素敵!愛してるっ!》

「アスカ君狡い!リーちゃん僕にも食べさせて!!」


「し、正気なの?何でこんな状況であんたらピクニックしてられるのよ。ていうかあんたら暗殺組織でしょ?なんで暗殺組織の癖にこんなに浮いてるのよ。こんなにちゃらちゃらしてんのよ」


 突然の身内団らんに、疎外感を感じているのかどうもとけ込めないロセッタ。自分は部外者だという意識が強いのだろう。それも事実だ、仕方ない。それでも今は協力者。ここで除け者にする理由はない。


「ロセッタ、君も疲れているだろう?彼女の料理の味は本物だ。ここは一休みすることにしよう?」


 私がそう頼み込めば、仕方ないわねと渋々彼女もシートに上がり込む。


「何これ!やばいっ!!」

「ああ、それはよく分かった」

「ちょっと!こんな美味いならもっと早く誘いなさいよ馬鹿っ!!」

「うん、わかった。でも感動する度に私の背中を叩かないでくれないか?」


 一口食べる度にロセッタに背中を叩かれる。彼女、後天性混血児だし結構痛い。


「アスカ、場所代わってくれ」

「俺人身御供!?いや、ご主人様の命令なら代わりますけどね……ほらよ」

「あ……」

「うぉっ!」


 立ち上がった途端、地面が震えた。かなりの揺れだ。アスカに抱き留められる形で倒れるが、その間も揺れは続いている。次第にその揺れが強まるにつれ、地響きの中から声が発せられた。


 《我らが天敵、風の人間、風の精霊まで連れ込んで……事もあろうにピクニックとは!我を馬鹿にするのも大概にしろっ!出て行けよそ者がっ!!》

「よし、いよいよお出ましだね」


 宙に浮かんだトーラが、にやりと犬歯を光らせる。


「やぁやぁ、初めまして。鉱山の主。僕はセネトレアが王女、チェネレント。今は第一島ゴールダーケンが王都ベストバウアー西裏町の統率者、情報請負組織がトーラ。今日は貴方の力を借りたくてはるばるここへ参った次第……」

 《地を汚すセネトレイアの眷属は気に入らん!すぐに立ち去れ忌まわしき王女!》


 トーラの長ったらしい口上も、精霊はお気に召さない。苛立った声でそれは吠える。


「嫌だねぇ。そうやって選り好みすることないじゃないか。僕ってばこれでも結構可愛い美少女設定なんだから。そこのアスカ君とかに使役されるより全然嬉しくない?」

 《我は風の人間になど従わん!!以ての外だ!!》


「アスカ、私達は物凄く嫌われているようだな」

「だな」


 ここまで嫌われると言うことも珍しい。私は新鮮だが、アスカは大分苛立っているようで、ロセッタの方へと顔を向けて頼み込む。


「ロセッタ、お前土と相性良い水属性なんだろ?ちょっと行って悩殺してきてくれよ」

「嫌よ。私経済論とか話せないし、土の精霊の喜びそうなことなんか言えないわよ」

「え、何あいつらそういうことをご所望なのか?」

「それは私達には無理だな。私は基本毒とエロスと暗殺で何でもかんでも解決してきたし」

「だな。基本俺ら剣と毒と騙し討ちで何でもかんでも解決してきたし」

「やっぱあんたらそんなんでも物騒な人間なのね……」


 さっさと諦める私とアスカにロセッタが冷ややかな目を向ける。

 そんな感じで私達が馬鹿なやり取りをしている間も、トーラの交渉は続く。


「嫌だな、何も僕も唯で契約しよう何て言っていないよ。ちゃんと献上品と契約条件を携えてここまで来たんだよ?」


 そう言ってトーラが取り出すは、大きな重箱。これまた見事な料理がそこには立ち並ぶ。見るにも十分楽しめる、美しい料理の数々。先日の父親との一戦で、ディジットはまた料理の腕を上げたらしい。


「金銀財宝大いに結構!しかしそれで腹は膨れない!失われない宝石よりも、僕は無くなってしまうこの儚い宝石にこそ価値があると思うね!」


 トーラはその重箱こそが宝箱、宝石箱だと断言する。そして騙されたと思って食ってみろと言い放つ。


「これは旧ライトバウアー、……僕らが復興させた街で作った食材で作った物だよ。当然無添加無農薬!合成着色料不使用!これを食べて貰えば解ると思うけど、僕らは自然との共存を叶えている!そう言い切れる!」


「何か悪徳企業のスローガンみたいなこと言い始めたな」

「そういうのに限って環境汚染とかしてるのにね」

「こら、二人ともそう言うことを言うな」


 トーラの演説に、アスカとロセッタからのブーイング。お前達はどっちの味方なんだと私が詰め寄ると……


「え、俺は当然お前の味方だろ」

「私は正義と神子様の味方に決まってんでしょ」


 トーラの味方が居なかった。あまりにも酷い答えに私の口から溜息が零れる。仕方ないので私が三人分以上彼女の味方でいようと思う。


「それに今なら召喚毎にお土産として地酒に地麦酒!更にワインも付いてくるっ!!君たちはお酒とか料理も好きでしょ!?ちゃんと情報上がってるんだからね!」


 何だか今度は押し売りのようになっているトーラ。どの辺が秘策なのかよくわからない。

 わからないがトーラの勢いに、精霊も押されているような感はある。


「鉱山の主、貴方は一昨日のことをご存知か?」

 《風の人間などと我は話さぬ》


 本当に嫌われたものだ。それでも聞こえてはいるのだろう。構わず私は立ち上がり、続く揺れの中、トーラの隣まで向かって行った。


「……豊かな土壌作りのためには確かに水は必要かも知れない。しかし、今回多くの人が亡くなった。……もしその水がこの地にまで及んでいたならば、貴方がたの住まいも侵されていた。それを貴方は何も思わないのか?」

 《我は先日まで眠っていた。あの水に眠りを邪魔されたのは不快だが、我に被害はない。人が幾ら死のうと我らには何の関係もない》

「嘘だな。何の関係もないのなら、貴方はこのユーヴェリアを作らせなかった。地震でも何でも起こして壊してしまえば良かった。それをしなかったのは、貴方が人との関わりを望んでいるからだ!」


 私の言葉に、返事はない。もう答える気がないのか、それとも図星だったのか。


「トーラ、土の精霊の特徴は?」

「頭が良くて頑固だよ」

「なるほど……」


 言われてみれば確かに、あの男のようだ。ヴァレスタ……

 私はあの男と再び対峙する時が来る。ここで折れるようでは私は次もあの男に勝つことは出来ない。

 この声の主をあの男だと考えろ。そしてあの男なら、どうすれば誘いに乗る?金を積む?そんな金、今はない。宝石をばらまく?元々それはこの鉱山から採れたものじゃないか。それでは駄目だ。


「ならば聡明な鉱山の主、一つ勝負をしないか?もし私達が負けたなら、其方の望む物を差しだそう。もし彼女が勝ったら、彼女の力になってくれ」

 《ほう……》

「トーラ、彼女は私達の中で最も聡明だ!彼女が知らないことは何もない!その彼女と知恵比べと行こう!何、聡明な鉱山の主様だ。こんな小娘に負けるはずないだろう?」

「リーちゃん……」


 これがあの男なら来る。食い付く。絶対に。

 リィナは言っていた。あの男が動くのは、金と……それからプライドだ。傷付けられたプライドのために、この島を半壊させたのだ。

 私はあいつを見下していた。金だけのために生きる金の亡者だと。だけど違う。その前に、あいつは男だ。プライドを傷付けられて黙っていられるような奴じゃない。


 《……良かろう》


 来た!食い付いた!!まだ第一段階突破。それでもそこで安堵する。トーラは不安そうにこちらを見る。でも大丈夫だ。きっと大丈夫。


「リーちゃん……」

「お前なら大丈夫だ。お前は、トーラだろう?」

「ううん、あるよ。解らないこと……」


 気を強く持てと笑みかけても、彼女は不安そうに私の袖を引く。


「僕は、リーちゃんが僕をどういう風に思ってくれているのか解らない。全然、解らない……」

「トーラ……」

「だけど僕はリーちゃんが好きだよ。リーちゃんがそうじゃなくても」


 何度も好きだと言われた。それでも、それはいつも冗談めかして。こんな真剣な……彼女の言葉を聞くのは初めてだった。だからだろうか。それはとても胸に響いた。


「解ってるんだ。リーちゃんが未来を見ていないこと。リーちゃんはさ、死ぬことを考えている。だから自分の幸せなんか考えられない。だけど僕は君に死んで欲しくない。ずっと隣にいて欲しい」

「トーラ…………」

「僕は立派な王女になるよ。身分が無くても全てを無くしても。胸を張って君の目を見ることが出来る女になる」


 モニカの言っていた言葉が思い起こされる。嫌われたくない。だからそういう自分を演じているのだと彼女は言った。

 それでもそこまで真摯な気持ちを捧げられて、何も感じないはずがない。心が揺れる。揺れ動く。

 こんな彼女を仲間だと切り捨てるのか?女にここまで言わせて、まだ逃げるのか?目を逸らすのか?彼女は今も私から目を逸らさないのに。


「今、僕をそういう風に好きじゃないならそれでいい。それでもいい。だけど明日の君を、僕と君との可能性まで否定しないで」


 今日、恋を知らない人が……明日も恋を知らないとは限らない。今日、誰も愛せない人でも……いつかは愛せる日が来ると、全知全能の彼女が言う。


「だから、賭けをしようよリーちゃん。僕は君に僕を惚れさせてみせる。負けた時は潔く君の生き方死に方に僕は文句を言わない」


 強く言い切る彼女の光り輝く目。その光は美しい。この一瞬を本気で生きている。そんな彼女に尊敬、羨望……そんな目で見つめられると、酷く胸が締め付けられる。言いようのない愛しさを感じるのは嘘じゃない。


「だけど君が僕に負けたなら、僕をそういう好きになってくれた時には……生きることを考えて。お願いだよ……」

「…………わかった」

「ありがと、リーちゃん!じゃ、約束ね!」


 そう言って小指を差し出すトーラ。指切りだろうか。高さを合わせるため、かがみ込んだ私に……彼女がにやりと笑って見せた。


「と、虎娘ぇええええええええええええええええ!!!な、な、なんつーことをっっっ!!」

「な、なっ……なっ、何してんのよ!!ふ、ふ、ふしだらだわ!!」


 トーラの笑みを見つめながら、背後でアスカとロセッタが騒いでいるのを、何処か遠くで聞いている。こんなに近すぎたら、今は彼女しか見えない。


「ちょっとは、ドキっとしたでしょ?リーちゃんだって男の子だもんね」


 その決めつけのような強引さが、昔……失われた人と重なって一度……鼓動が鳴る。

 一歩進んで、精霊に向き直るトーラ。彼女は吹っ切れたような笑みを浮かべ彼へと挑む。


「さて、やる気もチャージさせてもらったし、勝負と行こうか鉱山の主さん!今の僕は誰にも負ける気がしないよ!」

 《下らん茶番を……これだから人間は》

「それでルールは?そっちが出題して僕が答えられなかったら僕の負けって事かな?それともフェアにそれを交互に?僕はどっちでもいいけど?」

 《我が出題。娘、お前が答えよ。我はどんな質問でも答えられる。故にその時間が無駄だ》

「そりゃあ凄い自信だね。おっけー。それじゃそれで行こう」

 《……ある世において金より軽く、金と同等の重さと価値を持つ物とは何か?》

「あ、そんなんで良いの?」


 その出題は謎々のよう。それでもトーラはそれに吹き出す。楽勝だと言わんばかりに。


「金より価値があるっていうんなら人によって答えは異なるし話は別だけど、同等の重さと価値っていうと答えもかなり絞られるよね」


 アスカ君なら金よりリーちゃんが大事だって言うだろうし、リーちゃんは自分の命は金より軽いっていうだろうね。トーラが肩をすくめて苦笑する。


「そしてその言い方だと、貨幣経済とはちょっと違う感じがする。物々交換っぽさがあるよね。つまり現代の市場でそれにそこまで価値はない」


 金と同じ価値がある?そんな言い方をされるとやはり私としては物以外の物を想像してしまう。しかしトーラはそれは形あるものだと断言する。


「答えは胡椒!大航海時代の常識さ!歴史を動かすのは金じゃない、食ってことだね」


 自信満々にトーラは頷くが、私も……アスカ達もその答えにはピンと来ない。


「大航海時代?」

「聞いたことがないな」

「そりゃあ今の時代の話じゃないもん。現代人も本も知るはずないよ。大陸の位置からしても、そんなことしなくてもカーネフェルやシャトランジアから安価で手に入るじゃないか。それにタロックは塩漬けとか乾物とかそういう保存法があったし」

「……こいつ、神子様みたいな訳の分からないことを妙な確信を持って断言している!?」

「ああ、お前の所の神子様ってのもこんな感じなのか」

「まぁ、トーラがそう言うのならそうなんだろうな」

「もう、リーちゃんったら優しいんだから!これ以上僕に惚れさせないでよ」


 歴史さえ知らない歴史。文明よりも遙か以前。或いは未来。知らない私達から聞けばまるで空想。それでもそれを彼女は読み取る。確かにあったことだとして。


「鉱山の主さん、貴方も結構物知りかも知れないけど……僕は先読み専門の数術使いじゃない。僕は後読み、大昔も過去も僕の数術は曝くよ幾らでも。ここまでの才能を持った数術使い、そんじょそこらにいないと思うよ?」

 《……娘よ。お前が優れた数術使いであることは認めよう》


 その声はトーラの答えが正解だと認めている。しかしまだトーラを主と認めてはいない。


 《ならば娘よ、お前は金より重きを何とする?》

「そんなの簡単だよ。金と同じ価値が胡椒なら……それ以上の価値があるのは、一緒に美味しい物を食べたい大好きな人達だよ。いくら香辛料で美味しい料理が作れても、一人で食べるご飯は本当の意味では美味しくないんだ」


「母様が、兄様がいなくなってからは……全然美味しくなかった。だけどベルちゃんやハルちゃん……それから組織のみんなと食べるご飯は美味しい。ディジットさんの所でリーちゃんやアスカ君と食べるご飯も美味しい。ディジットさんの料理の方が美味しいけど、リーちゃんと二人で食べに行ったお店のケーキは最高だった!」

「トーラ……」

 そんな些細なことで良い。私が望むのはそういうこと。好きになってとは、何もそういう行為じゃない。貴方が毒人間なら、触れ合うことが叶わなくてもそれでいい。

 一緒にご飯を食べてくれるだけで良い。そんなことでも私は幸せをそこに見ることが出来る。心がそこにあるのなら。

 それはトーラの切なる声だった。私は今まで、誰かを好きになること、愛すること……愛されることを、そういう行為から切り離せなかった。奴隷の頃にそれが愛なのだと言われ続けた。それでも彼女は違うという。

 勿論そういう欲もある。それでもそんな狭い物じゃない。もっと広い意味で貴方が好きだと伝えられている。


「見せびらかして食べたり、美味しい物は一人で食べても美味しいって言い張る頑固な人もいるけどさ。それは違うよ。大好きな人と同じ嬉しいを共有してこそ、美味しいご飯が食べられるってものだよ」


 トーラは虚空に手を翳す。差し伸べる。声の主へと。君の分もあるんだよと。


「だから君もこんな所にずっと閉じこもって無くて良いんだよ。僕と一緒に毎日ご飯を食べようよ?」


 金よりも素晴らしい物。金では買えない宝物。それが一日三回机に並ぶ。それは夢か魔法みたいじゃないか。

 揺れの収まりから暫く……地下の穴から浮上してきた元素の塊。それが形作るは土色の髪に黒曜石のような瞳を持つ少年の姿。これで土属性じゃなかったらとモニカが舌打ちをする程度には整った顔立ち。


(……なるほど)


 トーラは考えた。自分も土属性。ならば思考の系統も土の精霊と似る。自分の望みは何か。それを考えた。その自己分析の甲斐あっての勝利だろう。

 君も寂しいんだねと精霊に語りかけるトーラ。それは彼女自身が寂しかったのだ。


(私は……)


 それに気付いてやれなかった。片割れを失って、だからこそ2年前の彼女は生にしがみついていた。そして今、その片割れの安否を知り……彼が敵対する以上、戦うことになる。そのための力を求めた。

 肉親を、たった1人の片割れを討つ覚悟。その寂しさを乗り越える。他に守るべき物を見つけた。だから選んだ。負けるわけにはいかないと、力を願った。

 この精霊は彼女のそんな強さと、悲しさに同調したのだろうか。


 《我が名はエルツ=エーデル》

「よろしく、エーちゃん」


 そっぽ向きながらシートに上がり込む土の精霊。彼に早速渾名を付けてトーラは笑う。それに精霊の黒い瞳が点になる。


 《え、……エーちゃん!?》

「嫌?それならエー君とエーさんとどっちいい?」


 高貴な我の名を、何故そんな低俗な名称に貶めているのかと慌てふためく精霊。


「諦めろ。この虎娘のネーミングセンスを探る出題をしなかったあんたが悪い」


 アスカが頷く。今まで散々風の人間がと馬鹿にされてきた鬱憤もあったのだろう。実に良い笑顔だ。


「……その内慣れると思うが」


 一応私もフォローを入れるが、土の精霊に眼飛ばされる。


 《こんな駆け引きで折れるなんて、大物精霊かと思ったけど大したこと無かったのね》

 《黙れ風女!!お前のようにふわふわと尻の軽い女に侮辱されるのは我慢がならん!》


「もー、喧嘩しないでよ。ディジットさん秘蔵のデザート没収するよ?」

「モニカ、程ほどにしておいてくれ。それ以上喧嘩をするなら私にも考えがある」


 《何するつもり?リフルちゃんが私に出来ることなんかたかが知れて……》

「今度から数術代償用に物凄ください下着を買ってくることにするがそれでもいいか?私のキャラ崩壊しそうな危険物を着用するぞ?おまけにフルネームを書いてやる。前と後ろに」

 《いやぁああああああああああああああああああああああ!!それだけは止めてぇえええええええええええええ!!リフルちゃんにあんなのとかそんなのは似合わないからぁああああああああああああああああああああ!!!》


「何でセネトレアって……精霊までこんなに人格破綻してんのよ」

「いや、モニカに至ってはシャトランジア産の精霊らしいぜ?」

「え!?み、みみみ神子様の精霊はもっと……」

「もっと?」


 自慢の神子様とトーラを比べようとしたらしいが、ロセッタは頭を抱えて呻き出す。


「……やっぱ似たようなもんだったかもしんない」


 *


「少しの間だけだったとはいえ、第一島がこんなに恋しくなるものだとは。不思議なものだ……」

「すっかりリーちゃんも王都に染まっちゃったんだねぇ」


 トーラの数術で、帰還した第一島アジト迷い鳥。吸い慣れたはずの空気。それも第二島とは全く違う味に思えた。


 しかしこの微妙な空気は何だろう。精霊をゲットして更にパワーアップしたトーラは非常に心強いが、私にくっついているトーラ。此方に向けられる二者の視線が何だか居心地が悪い。

 アスカが怒る理由はモニカの言葉があるからなんとなくはわかるが、ロセッタまでどうして怒るのだろう?彼女は私の目に魅了されていないはずなのだが。


(街が危ない状況だというのに女といちゃついているように見えるのが気に入らないのか?)


 ああ、きっとそれだ。聖職者ってそういうものだって聞いたことがある。

 自分は神に人生捧げてるから、恋愛も結婚も性交も出来ない。更には自慰をも禁止する法がある宗派もあるとか。なんだその地獄。私は仮に生まれ変わってまた人間になったとしても聖職者だけにはなりたくない。

 まぁ、そんなわけで他の男女がいちゃついてるのが気に入らなかったり、やたら性に関して厳しいのが聖職者だ。自分たちの欲求不満を正義の名の下に迫害の大義名分にすり替える輩もいるのだからとんでもない話だ。

 大体私だって毒人間ってだけで基本聖職者と同じレベルで禁欲強いられてるわけだ。これでいちゃついてるなんて言われた日には、流石に困る。


「姫さまぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

「!」


 風のように飛んできたその声の主。それに私ははじき飛ばされる。


「……助かった」

「無事で何より」


 今日二回目。倒れた私を寸前でキャッチするアスカ。彼のお陰で怪我無く着地できたのだが……よくよく考えれば、今のに即座に反応できるって凄いな。余程常日頃から私に焦点ロックオンしていなければ無理だろう。彼はそんなに私を凝視しているのだろうか?ナチュラルにこの男も変態だな。無自覚なのがまた何とも言えない。


(私も……どうかしているな)


 モニカが変なことを言うからだ。トーラはまだわかる。可愛いと思うし、本当に私を慕ってくれている。それに女の子だ。強気に言い寄られれば、そりゃあ私も男だ。多少はときめいたりする。それはわかる。

 だけど、アスカは男だ。人としてとか元ご主人様としてとか、そういった感情では好きだ勿論。しかし今みたいに、彼の異常性を垣間見て……なんかこう、ぞくぞくするのは何なのだろう?寒気、ともまた違う。愉快というか面白いというか、ある意味胸が躍るのは。


(所詮……私も毒の王家の人間と言うことなのか)


 そんなことで面白いと思うなんて、気が触れている証拠だ。普通そこは怖がるとか、彼をそんな風にしてしまった自分を恥じるとか悔いるとかだろうに。


「…………?どうかしたか?」

「え?俺なんかしたか?」


 やたらまじまじと見られている視線を感じて顔を上げたが、彼は私を見ていたという自覚がないらしい。基本彼はよく私の顔を見ているが、それは私の顔が好きだからなのだろう。しかし今日はいつもより、視線をやや下に感じる。凝視されてるのは口元だと思う。


(…………急に現実味を帯びてきたな)


 モニカの言葉。それがありありと色を輪郭を持ち始めた。トーラが私に口付けたところを彼は見ていた。それくらいなら溺れた彼女を助けた際……2年前もあったのだが、あの時は彼は見ていなかった。

 動揺して狼狽えているのはわかるが、ここまで露骨に見られると、私としても何だか落ち着かない。狼狽えて目を逸らすならまだ可愛い物だが、ここまで凝視されては私の方が目を逸らしたくなる。

 目を逸らした先では鶸紅葉がトーラ相手に熱い抱擁を交わしていた。彼女も隙あらば感激のあまり何かしでかしそうな感はある。もし私とトーラとの一件が知られれば、私が殴られるか、トーラが泣きつかれるか。


「痛い、痛い!痛いよベルちゃん!……あ、鶸ちゃん」

「心配したんですよ私めはっ!!どうして帰ったなら帰ったで一言言いに来てくれなかったんですか!?」

「だって鶸ちゃん仕事で居なかったじゃない」

「その辺にしときなよ鶸紅葉。マスターもお疲れなんだ」


 いつもは蒼薔薇の方が頼りないのに、鶸紅葉が取り乱すと彼の方がしっかりするというのがこの一件でわかったことだ。友人の意外な一面に少し驚くが、彼と彼女はそれでバランスが取れているんだろうなとも思った。トーラの従者同士、仕事仲間としては最高の関係だと思う。いつも冷静沈着な鶸紅葉が素の言葉を吐けるのは、多分トーラと彼の前だけだ。


 彼らの再会を邪魔するのも忍びない。また時間が出来たら会議室に呼んでくれと彼に伝えてトーラ達から離れる。


「アスカもロセッタも疲れただろう?声が掛かるまでゆっくり休んでくれ」

「解ったわ」

「お前はどうするんだ?」

「とりあえずフォースと洛叉、それからディジットとアルムの様子を見に行こうと思う」

「俺も付き合うぜ」


 アスカと二人っきり。いやモニカがいるかと胸をなで下ろし……彼女の気配が消えていることを知る。

 なんとなく今のアスカと二人きりにはなりたくなくて、縋るようにロセッタの方を見る。


「ろ、ロセッタ。やはり君もついてきてくれないか?ふ、ふ、フォースのことは君も心配していただろう?」


 あ。しまった。言い方間違えた。こんな言い方をしたら彼女は間違いなく否定する。


「馬っ鹿じゃないの?私あんな奴のこと全然心配してないわよ」


 そう吐き捨ててさっさと階段を上がっていくロセッタ。馬鹿、私の馬鹿っ!!何ということをしてしまったんだ。


「お前、さっきからなんか変だぞ?疲れたか?」

「…………」


 変なのは私じゃなくてお前だというのに。どうしてそんな平然とした顔でいられるんだ。少しは自分のおかしさに気付け。お前の目には何が見えて居るんだ。人と話をするときにそんなにそんな唇だけガン見する奴が居るか。

 もう嫌だ。なんでアスカのこの馬鹿みたいな異常さに、私がこんなに悩まないといけないんだ。モニカ曰く、これは邪眼の所為じゃなくて昔からだって話じゃないか。っていうかモニカもモニカでなんですぐ居なくなるんだ。


「別に私は普通だ」


 これ以上アスカの相手をしていたら身が持たない。さっさと他のことに頭を切り換えよう。

 とりあえず医務室へ向かって洛叉に皆のことを尋ねよう。


「ただいま、先生」

「リフル様、長旅お疲れ様でした」


 最近というかここ数日だけだが、忙しかったからあまり洛叉とは絡んでいなかった。それでちょっとまた魅了邪眼の禁断症状が出ていたんだ。それに治療のため寝不足の日々が続いたのだろう。多分、彼は疲れているんだ。だから理性が弱まった。

 だから医務室に入る私に跪き、その手の甲にキスしたりするんだ。たぶん半分寝て居るんだよ彼は。先生は素でこんな面白いことをする人じゃない。プライドがあるようで殆どなくて、ないようで実はかなりある人だし。


 そう目でアスカに訴えるが、アスカの目が燃えている。血走っている。ガン見している。今度は私の手を。言われて気付くが、これ……あからさまなまでに嫉妬の目だ。嫉妬の鬼だ。屋敷時代の旦那様とか奥様を彷彿される。かなり危険だ。このまま放置すればアスカによるアスカのための洛叉、トーラ殺人事件が発生しかねない。


(先生、お願いなのでそういうこと止めて下さい。特にアスカの前では自重して下さい。今のアスカはちょっと危険です)

(この鳥頭は常に危険人物ですが?)


 これが聞こえていたらアスカはお前が言うなと言うんだろう。しかし否定しようにも私には難しい。この小声でのやり取りにも彼はかなり苛立っている。昔の、2年前の優しいアスカは何処へ行ってしまったのだろう?


「それで先生、ディジットとアルムは?」

「妬けますね。私の所に帰ってきて早々他の女の話ですか?」

「だからそう言うことを言わないで下さい。本当、いつか殺されますよ?(アスカに)」

「返り討ちにしますので問題ありません」


 このドSとドMの両刀使いは質が悪い。私の困っている顔も好きだし、私に強気で迫られるのも好きらしい。私はもう18なんだから、この人のストライクからは外れているはずなのに……この止まった外見が憎らしい。まだ余裕でストライク入りしているのか。


(いや……)


 洛叉に至ってはそれだけではないらしいが。処刑される以前の城での私の遊び相手。その思い出補正で彼が私にかなり執着してくれているのは理解している。思い出せないことが心苦しいのは確かだが、そんな過去の男みたいな大きな顔されると私の番犬の顔がみるみる内に険しくなる。

 アスカは今にも医務室の戸棚を破壊し始めそうだ。それはいけない。そうなれば洛叉の仕事も滞る。それは困ると思ったのか、ようやく彼も本題に入ってくれた。


「出血ほど傷は深くない。縫合後に、ここの数術使いに塞がせた。身体の方は問題ない」

「そ、そうですか……」


 その言葉に私も安堵の息。背後のアスカも少し気が和らいだ感がある。しかし、洛叉は確かな緊張の宿った目で私を見る。


「危ないのはどちらかと言えばアルムの方です」

「アルムが……?」

「これまでの半年分の停滞を取り戻すよう……腹の中の子が急速に成長している。母体への負担はあまりに大きい」

「そんな……それじゃあ、これから彼女は?」

「混血の妊娠自体前例がありません。今は見守るしかない……」


 最悪耐えきれず彼女は死んでしまうのではないか?そんな不安が頭を過ぎる。

 俯いた私の頭に触れるものがあった。顔を上げれば洛叉の手だ。


「先生?」

「何かあったら……俺が全力で対処します」


 洛叉が俺と言うときは、個人的な気持ちを表に出すときだ。適当にのらりくらりとしている彼が、自分を信じてくれと言いたい時に使われるものだと私は解釈している。彼の言う私は、大抵仕事の建前言葉。だから今彼は……本気で全力を尽くすと言ってくれているのだ。


「洛叉……」

「確かに私は変態で犯罪者。しかしそれ以前に私は医者です。医者は患者の味方です。一度引き受けた命は最後まで匙を投げません」

「……ああ、ありがとう」

「そして医者である前に俺は貴方の臣下です。俺は何時如何なる時も少年少女、そして貴方の味方です」

「それっ、唯の変態だろうが!この変態闇医者っ!!」


 良いことを言ったと思ったが、実はそうではなかった。ちょっと私も感覚が麻痺していた。アスカのツッコミで目が覚めた。でも相変わらず彼は私の手を見ている。彼の方はまだ目が覚めていないようだった。いい加減正気に戻ってくれアスカ。


「っつれーしまーす。おい洛叉、診察に連れてき……ってああああああああああああああ!!リフルさんリフルさんリフルさんだっ!!」

「フォース!!」


 彼の登場に空気が私の心が癒されていく。ああもうっ、本当お前は……大好きだっ!!相変わらず子犬みたいで可愛いな本当に。パタパタと駆け寄ってくる彼の結った髪がまるで尨毛の犬の尻尾のようだ。

 小動物を愛でるが如く癒しを求めて彼を抱き締める。久々のフォース。癒される。やっぱり年下は良いな。アスカとか洛叉みたいにギスギスしてなくて。この純真な所が良いんだ。フォース然りラハイア然り。


「リフルさん、俺は嬉しいんだけど……後ろの大人げない大人二人が怖いんで、そろそろ止めて下さい」

「え?」


 振り向けば確かに大人げない年上男×2。お前達15の少年より精神年齢が低い大人ってどういう事なんだ?もう少し広い心を持て。そう訴えたところで聞く男共でもない。名残惜しいが渋々フォースから離れる。


「……むしろ洛叉は今の図はご褒美だったんじゃないのか?」


 お前の好きな年代の少年が戯れる図だぞと言ってやるが、このマニアは妙なことを言う。


「単品ずつはツボでも、私はあの鳥頭と違いNTR属性などありませんので。乱●や、3●、或いは貴方と彼に踏まれる図なら大歓迎ですが」


 私もそこそこにはそれなりには変態かも知れないが、彼もなかなかのものだと思う。平日の昼間から年若い子供の前でこんな事を言える彼は凄いと思う。


「洛叉。俺は別にいいけど、こいつの前であんまり変なこと言うなよ!」

「こいつ……?」

「入って来いよエリスー!」

「エリス?」


 フォースの声に恐る恐る室内に踏む込んだのは、10にも満たないような愛らしい少年だ。金髪青目の絵に描いたような美少年。これは不味い。洛叉のツボだ!どストライクだ!診察と称して変なところにぶっとい注射と称して別のものを挿れかねん。


「だ、駄目だぞ洛叉!あんな幼気な子に手を出したら怒るからな!やるなら私にしろ!お前も毒の耐性はあるだろう!?一発でも二発でも上からでも下からでも受け止めてやる!だからあんな子供に手を出すな!犯罪だぞ!?」

「リフル様。貴方は私をどういう目で見ているんですか?でもそうですね。それじゃあ今晩あたり私の部屋に……」

「行かせるか阿呆っ!」


 客用スリッパで思いきりアスカが洛叉の頭を殴打する。すぱああんといい音が響く。


「何をする鳥頭。男の嫉妬は見苦しいぞ」

「こいつをそんな人身御供にして堪るかっ!」

「まったく、これだから冗談を冗談と解らぬ浅学貧民鳥頭は困る。自分の学のなさを棚に上げてこの暴力。人としての人格を疑うな」

「っていうか普段怪しい言動ばっかしてるあんたがわりーよ。信憑性ねーし」

「言うようになったなフォース。その調子だ!見直したぜ!」


 洛叉を罵るスキルをマスターしたフォースを親指を立てて絶賛するアスカ。大人げない。実に大人げない。さっきまでフォースにさえ嫉妬していた自分をもう忘れたか?


「つーか、エリスが怖がるからいい加減変態スイッチオフにしてくれよ洛叉もリフルさんも」

「わ、私もか?」

「リフルさん、子供には目と耳の毒だよ。こいつが意味理解してないから良いものの……」


 洛叉とセットで変態扱いされて少し凹んだ。でもちょっとドキドキする。何だろうこれ。フォースの蔑んだような目……ちょっと、良い。ゾクゾクする。


「り、リフルさん?」

「大人になったな、フォース。お前相手にときめく日が来るとは思わなかった。お前はなかなか将来有望だな天然ドSの素質がある」

「ええ!?俺Sだったんですか!?逆だと思ってた……」

「何故そこでショックを受ける?」

「って、だからこういう話止めましょうよ!子供もいるんですから!」


 フォースに叱られた。まぁ彼の言うことももっともだ。


「それでその子はどうしたんだ?フォースの隠し子か?」

「おい、隅におけねぇな。どこの女に生ませたんだ?」

「だからどうしてそういう話ばっかになるんですか?」


 フォースに若干呆れられている。からかうのもこの辺にすべきか。


「こいつはエリアス。第五島ディスブルーの次期公爵。要するに跡継ぎ……エリザベータの弟です」


 エリザベスと名乗りフォースにくっついていたあのメイド少女。彼女の弟だとフォースが紹介。


「しかし、どうしてそんな子がここに?」

「こいつオルクスに滅茶苦茶な治療されてたんですよ。わざと体調不良にさせられたりして、その度に治しては第五公に言うこと聞かせて……」

「なんて酷いことを……こんな子供を道具にするとは」


 自分が利用されている自覚がないのだろう。少年は詳しくは何も解っていない様子だ。


「俺とトーラの脱出を助けてくれたのはこいつです。こいつがいるから第五島はしばらくここには攻められない。その間洛叉にちゃんと治療してもらって、第五島を最終的にオルクスと手を切らせるのが目的です」

「なるほど……」


 トーラが言っていたのはこのことか。このエリアスという少年が切り札。第五島を牽制するための……


「洛叉、頼んだぞ。間違っても手は出すな。街の存亡に関わる」

「心得ております」


 それでも心配だ。洛叉も疲れているだろうし、意識と理性が飛んでうっかり朝チュンとかそんなことが万が一でも起こりでもしたら。そんなことがあってはならない。そんなことあれば、誘拐どころじゃ済まない。知れ渡れば第五島全軍が攻めて来る事にもなりかねない。


「どうしてもムラムラしたら私の部屋に来い。何時でもどんなプレイでも相手をしてやる。メイド、水着にSMに、弟プレイに痴漢プレイに看守に囚人なんでも有りだ!」

「心得ました」

「だからどうしてお前はそうなんだよリフルっ!!あと変態!お前もそこは心得るなっ!!」

「街より余裕で私の方が安いに決まっているだろうが。第一減るものでもない」

「磨り減るんだよ俺の心と神経が心労でっ!!」


 言っていることは立派だが目が合わないのがおかしい。私は余計なことを言ったかもしれない。今度はアスカの視線が私の手から尻へと移動した。まだ唇とかの方がマシだったかもしれない。


「フォース、ぷれいって何?」

「カーネフェル語で祈るって意味じゃなかったかな……」


 遠い目で、それでも嘘は吐かずにフォースがエリアスに告げていた。


 *


 「……あんたら何やってんの?」

 「ディジットっ!!」


 医務室での騒ぎを聞きつけてか、新たな訪問者。ディジットとアルムだ。二人とも見た感じだと元気そうに見えた。無事で良かった、その一言を発する前にアスカが二人に駆け寄った。大切な人の無事を知り、アスカも涙目。ばっと抱き付くも、今回ばかりは邪険に出来ずディジットも溜息ながら彼の髪を撫でる。ディジットの方が年下だとは思えない。あれではアスカのお姉さんか母さんみたいだ。

 いやでも男って、恋人に……女の人にそういう所を求める者も多い。アスカは幼い頃に母親を亡くしている。そういう節があっても不思議ではない。


(…………)


 さっきまで私を凝視していたのに、今はもうディジットしか見えない。これが本来のアスカだ。2年前からそうだ。彼は彼女が好きだと公言していたじゃないか。


(あれはモニカの妄想だったんだな)


 やはりアスカは邪眼に惑わされていただけだ。思えばディジットが倒れたときから解っていた事じゃないか。誰かのためにあんなに怒るアスカを見たのは初めてだ。誰かのために誰かをあんなに酷く言うアスカも。エルムを必要以上に敵視したのも全てはディジットのため。

 ここにいては邪魔だなきっと。トーラの所を離れたときと同じ気持ちになる。少し悲しいけど嬉しいことだ。人の繋がりは全て私と誰かで集約、完結されていない。そういうものだ。私が居なくても誰かと誰かは支え合い……世界は巡っていく。

 トーラだって、アスカだって……悲しいのははじめだけだ。きっと慣れる。私の不在に。生きていけるはずだ。彼女も彼も強いんだから。他にも支えてくれる人はいるのだから。いくらでも強くなれるさ。

 そっと医務室を抜け出して……ふらふらと私は彷徨う。何となく何も聞こえない場所に行きたくて、物見櫓まで上った。そこにごろんと横になり、空を見上げれば一面の青。このまま吸い込まれて空に落ちていけないだろうか?誰にも気付かれずに、ひっそりと死んでいけたら素晴らしい。そんなことを考えていたら、ザッと誰かの近づく足音。


 「こんな所にいたんだ、リフルさん」

 「フォースか」

 「何やってるんですか?」

 「空を、見ていたんだ」

 「何でですか?」

 「こうしていれば、目も乾くだろう?」


 泣かずに済む。そう笑えば、彼も笑った。


 「リフルさんでも泣きたくなること、あるんですね」

 「それは、あるだろう?私も……一応人間らしいからな」

 「例えば、どんなことですか?」

 「何処にいても、何処にも居てはいけないような気持ちになる」


 ここは、みんなの傍はとても幸せなのに……時々息をするのが、とても苦しい。それは私が、いろんな人の幸せを奪って生きているからなのだろう。

 自重の笑みで目を伏せる私の横に寝ころぶ者がある。たぶんフォースだ。


 「リフルさん、怒らないで聞いて欲しい話があります。いや、怒ってくれても良い。だけどそれは最後まで聞いてからにして欲しいんです」

 「……?わかった。何の話なんだ?」

 「第五島で聞いた話です。そいつは罪を犯した男です。とんでもない男です。だけど……泣いていました。俺はその時、一瞬判断に迷った。変な話ですよね……俺、そいつを殺したくて……今まで追いかけてきたのに」


 *


 フォースはそこに、多くの人の死を重ね見た。初めて銃を撃った時のこと。毒矢で射たときのこと。城の悲鳴を聞いたこと。

 多くの人を殺した人間にも、平等に死は訪れる。人は必ず死ぬ。人を殺さなくても、人殺しでも、みんな死ぬ。

 だけどまさかその人殺しの口から、そんな言葉を聞くとは夢にも思わなかった。

 そいつは死にたいと言った。殺してくれと懇願するよう俺を見た。俺はそのままこの冬椿を振り下ろせば良かった。リフルさんの願いに背いても、自分の欲のために殺すなと……その約束を破ってでも、そうすることで復讐を果たせるはずだった。

 だけど俺は躊躇った。出来なかったのだ。


 「第五島の牢に、その男は繋がれていました。たぶん暴れすぎたんだ。だからオルクスとヴァレスタから、しばらく何も出来ないように捕らえられていた」


 リフルさんはそれが誰かわかっただろう。だけど何も言わずに俺の話を聞いている。約束を守ってくれているのだ。俺なら多分ここで何か言ってしまう。だけどこの人はそうしない。この人のそういう所を、俺は尊敬している。


 「最初は訳が分からなかった。別人かとさえ思った。それは俺の知る、人殺しからあまりに遠く離れて見えたんだ……」


 エリアスの部屋には外から鍵が掛かっていなかった。トーラとエリアスを連れて部屋から抜け出して、夜の城を進んだ。その時凶暴な囚人の噂話を聞いた。

 そいつを解放して暴れさせ、その隙に逃げればいい。そういう話になった。だけど俺達が牢で会ったのは……変わり果てたカルノッフェルの姿だった。

 あいつは憎々しげに、オルクスの名を呼び……恋しげに悲しげに姉さんと叫び続けた。物陰に身を潜めた、俺達はその現場に居合わせた。カルノッフェルの殺気が強すぎて、俺達の気配が霞むほど……だからオルクスは俺達に気付けなかった。あれほどの数術の使い手でも、そんなことがあるんだと俺は驚いた。調子に乗っていたんだろう。人を傷付けることが楽しくて、油断したんだ、あいつも。


 「オルクスは、そいつに……残酷なことを教えてしまった。今の今まで騙されていたんだ。俺……あいつの気持ちなんか考えたこと無かった。わかるはずもないと思っていた。あいつがアーヌルス様に母親、姉さんを殺されたんだって聞いても俺の怒りは消えなかった」


 人殺しに堕ちた俺にはもう言える正義はない。人を殺したら、その人を思う人が悲しむ。だからどんな悪人も本当は殺してはいけない。もうそんな綺麗事は言えない。


 「殺されたからって殺して良いなんて、そんなはずない。でもそう言ってしまったら、俺のこの怒りも復讐心も、本来あってはならないものなんだ。そう思ったときから……俺とあいつは同じ生き物なんだって俺は気付いたんです」


 俺が死にたくないから、殺されたくないから、生きるために呼吸をするように、罪のない人を生け贄に捧げた日々が俺にはある。俺は俺が犠牲に捧げた人の家族、恋人から……怨まれ殺される日がいつか来るんだと思う。死にたくないとは、言えない。そういう人に出会ったならば。受け入れるしかない、どんな痛みでも。

 俺はカルノッフェルに向かう俺……それと同じ人間が現れた時に、どんな顔で迎えるのだろう?あいつみたいに笑って相手が出来るだろうか?返り討ちに遭わせるなんてこと、出来るのか?していいのか?駄目だろう。


 「絶望したあいつは……未来の俺の姿だと思った。いつか俺もあんな暗い目をして、その人に……殺してくれと頼むんだろうなって……」


 悲しいけれど俺には解る。これは続いていくことだ。復讐という言葉に魅せられた人間の末路だ。馬鹿だ。俺もあいつも。リフルさんが、何もかも背負ってくれると言ったのに。それでも俺は捨てきれない、憎しみがある。あいつの復讐の正当性を理解していても。俺は俺のエゴのためにあいつが許せない。例え、哀れんだとしても。


 「リフルさん、あいつは罪を犯しました。でもあいつが罪と認めたのはたった一つです。それ以外の殺しをあいつは悔いていません。それでもたった一人……その一人のために、あいつは、あいつの心は折れました」


 それでも、俺には解らない。俺はまだあいつと同じ、その罪を犯していなかった。だからこそ、慟哭するあいつの悲しみがわからない。わからないからこそ……その嘆きは心に響き、俺の胸を揺さぶった。気がつけば、俺も泣いていた。未来の俺の悲しみに。


 「あいつが悔いた女性の名は、リア……マリア=イーゼル。正確にはマリア=アルタニア。カルノッフェルの……最愛の女性、生き別れの姉さんです」

 「……っ!?」


 リフルさんが飛び起きる。それでも何も発さない。驚きのあまり、声を失っている。

 俺もゆっくり起き上がり、彼へと向き直り……ひとつひとつ、言葉を伝えることにした。


 「オルクスの荷物の中から……彼女に関する書類が見つかりました。彼女はカルノッフェルの双子の姉で、後天性混血児。死神商会を始める前に見つけた……人格改造、記憶書き換え屋の最後の素体」


 リフルさんは呼吸も忘れたように、俺の方を凝視している。


 「彼女は奴隷商に引き渡された弟を追って第三島から第一島へ行き……そこで混血の地に目覚め、普通の混血と勘違いした馬鹿に両目を奪われました。そして捨てられていた彼女を助け、新しい目を与えたのがオルクス」


 彼女はカルノッフェル同様、黒髪から金髪に変わった。だから目さえなければカーネフェル人に見える。目を植え付ければ尚のこと。


 「奴は彼女に青目を与えることでカーネフェル人として仕立て上げた。そして嘘の記憶と人格を脳へと刻み……行方不明の娘を捜す富豪の家に娘として送り込み、金を手に入れました」


 その金でオルクスは独立、死神商会を企業。脳を弄くり回す組織から、人身売買組織に転身。第五島を中心にその勢力を拡大させる。


 「植え付けた目から情報を得ることが出来るオルクスは、そこでリフルさんとリアさんの交流を知った。そしてヴァレスタとの会合で、アルタニアの二人の姉弟を利用することを思いつく……」

 「……っ」


 ポタポタと、リフルさんの手に服に……毒の涙が染みこんでいく。声は出さない。一度出せばそのまま叫ばずには居られなくなる。カルノッフェルみたいに……

 それが解るから、この人は必死に耐えるのだ。悲しい人だ。


 「あいつら、最初から……カルノッフェルを使い捨てる気だったんだ。リアさんを……大好きなお姉さんを自分の手で殺してしまったあいつは、本当に狂う」


 あいつは、見境なく人を殺す鬼になる。それをリフルさん……Suitの所為にすれば、Suitの汚名はもう消せない。リフルさんが何もして無くても取り返しの付かないことになる。あいつがこれ以上人を殺せば……エリスがここにいても、東が攻めてくる理由は出来上がる。そんなのはごめんだ。そう思うのに、手が震えて……手が、震えて。

 あいつは殺してくれって俺に言った。あそこで殺しておくべきだった。リフルさんのためにも、西のためにも……俺の復讐のためにも。痛いほどそれは理解していた。頭では解っていたのに!


 「だけど俺……出来なかった。俺は、そんな大好きな人を自分の手で殺してしまった奴の絶望が解らない。復讐の心も捨てきれないのに、そんな気持ちで哀れんで……何もかも終わりにするのが良いことなのか、解らなかった……」

 「…………」


 取り乱す俺に、リフルさんは落ち着いた目。俺の狼狽えっぷりに冷静さを取り戻したのか。彼は俺を手招き、優しく抱き締めてくれる。落ち着けと背を撫でて、お前は間違っていないと頭を撫でてくれる。


 「……話は終わりか?」

 「……はい」

 「フォース、お前は初めて人を殺した日のことを覚えているか?」

 「はい……」


 俺が殺した。俺を追いかけてきた、俺を殺そうとした奴隷商。毒に苦しむそいつを見ていられなくて、その男の拳銃で……終わらせた。そんな俺の弱さをこの人はかつて、優しさと呼んだのだ。


 「あの日の私は、悪人は苦しんで死ねばいいと思っていた。惨めに野垂れ死んで当然だと思っていた。だけど私は、自分を殺そうとした相手を哀れめるお前に心が洗われるようだった」


 そんなことはない。あれは唯、俺が見たくなかっただけだ。そう首を振る。だけどこの人はそうじゃないと言う。


 「それでも結果として彼の死、その苦しみは和らいだ。自分のためでもお前が人を救ったことは嘘じゃない」

 「そんなこと……ありません」

 「いいや、ある。あの日お前に出会わなければ、私はあの日のままの人殺しだった。そのくらいお前との出会いは私にとって意味のあるものなんだよフォース」


 それは私だけではなく、彼にとっても同じだ。リフルさんがそんなことを口にする。


 「カルノッフェルが何故、今日までお前を殺さなかったか解るか?」

 「え?」

 「相手は後天性混血児。本気で殺そうとしたなら……殺せていたはずだ。半年前のあの日に」


 生き延びたのではない。生かされていたのだと、その人は俺に言う。


 「俺があいつに……生かされていた?」

 「私はラハイアが好きだよ。あいつは私を追ってくる。私はあいつになら捕らえられても良いと思うし、他ならぬあいつの手で殺されるのが私の夢だ」

 「え……?り、リフルさん!?」


 何をうっとりととんでもないことを言い出すのだこの人は。


 「そのために私はあいつを何度も導いてきた。お綺麗なあいつが見たくないようなものを見せてきた。それと同じだ。カルノッフェルはお前を認めているんだ。追跡者として」


 誰にでも殺されたい訳じゃない。殺されたい相手を選ぶ。殺しの、犯した罪の償いのため

 ……そうじゃない。これが報いだと自嘲することが出来る、嗤って死ねる、そう言う相手。自分の愚かさを、世界の全てを嘲笑い、死ぬための好敵手。それにお前は選ばれたのだと告げられる。



 「生きる楽しみは死ぬための積み重ねの楽しみだ。自分の終わりの演出のために生きて居るんだよ、我々人殺しは」


 生きるために生きるのではない。死ぬために生きている。人殺しはみんなそう。人を殺したその時から、生きる権利はないのだ。残された権利は死ぬ権利だけ。だから皆、その死に様を考える。死ぬまでの時の使い方を考える。

 この人は何を言っているんだろう。わからなかった。わかりたくなかった。でも……心の何処かがその言葉を受け入れていく。言葉が染みていくのがわかる。


 「何の面白味もない世の中で、必死に追ってくる奴が居る。その鬼ごっこというのは良い慰みになるんだ。絶望を知る人間には……束の間の、楽しみだよ」


 そう言ってリフルさんは、身体をまた倒して寝ころんだ。多分今のままじゃ毒の涙が俺に触れると知ったんだ。流れる涙は頬を伝ってそのまま石板に染みこんでいく。

 俺を慰めるために伸ばされた手が今は、この悲しみから助けてくれと縋るよう……俺を放さない。


 「フォース……私は間違っていたな。復讐のために殺すなとは言った。だが、彼を殺すべきは私じゃなかった。私は憎しみで彼を殺してしまうよきっと。彼を哀れんでも尚……彼を救えはしないんだ」


 カルノッフェルが狂ったのは片割れが死んだと聞いたから。カルノッフェルが壊れたのは、その片割れを殺したのが自分だと知ったから。

 悪魔と死神に踊らされた哀れな双子。二人の想いを知った今でも……この人は後悔しているのだ。大切な友達を……それ以上に大切だった人を守れなかった自分を。

 リアとの思い出が、オルクスによって作られたまやかし。嘘の人格とのなれ合い。本当の彼女はこの人と出会ってすらいない。本当はこの人をどう思っていたかももうわからない。そもそも覚えてすら居ないのかもしれない。壊されたのは、傷付けられたのは……この人の心もなんだ。

 そんな人、初めから何処にも居なかった。リアなんて人は、いなかった。思い出全てに裏切られた。憎む理由も認められない。そもそも部外者。愛し合う二人がいて、その二人の中で完結した話。その人の死を嘆いても、憎むことなど許されない。だってこの人は、その二人の中には入れないんだ。マリアという人にとって、この人は……友達ですらない。


 「フォース……彼を救ってやってくれ。彼も彼女もきっと……それを望んでいる。……二人を会わせてやってくれ。ここに……救いはない。もう、彼の彼女はいないんだ」

 「リフルさん………」


 憎んでいるだろう。言いようのない悲しみがあるだろう。それでもこの人は、あいつを救ってくれと言う。俺はそんなこの人を、どうすれば救えるのだろうと考えた。

 そして……俺は答えを見つける。この人は俺の背中を押してくれたのだと、そこで気が付いた。手の震えは……もう止まっていた。


 「……俺、行きます。あいつが何処にいるか……わかったから」


 俺は起き上がり、弱々しい腕の拘束をふりほどく。


 「いってきます……リフルさん」

 「いってらっしゃい……」


 リフルさんは、やっぱりいつものように泣きながら笑っていた。

 俺のこれからすることは、この人を笑わせることは出来ないんだろうな。それでも思いきり泣けるなら、俺も泣いて付き合おう。たぶん俺も泣いてしまうよ。大嫌いで心の底から憎んでいた男のために。

 その死を喜んで見送れる程、俺はあいつをどうでもいいとは思えない。

 俺がこれから殺しに行く相手。それは俺の一部。俺の心の欠片だ。俺はこれから俺を殺しに行くのだ。それは痛いし苦しいし辛いし悲しいことだ。復讐って、こんな気持ちになるものだとは思わなかった。

 誰かを憎む事って、心の一部をそいつに支配させることなんだ。だからあいつは抜け殻のようになった。狂った。アーヌルス様を殺した時に、あいつはもう……死んでいたんだ。心はきっと。

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