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44:Pessimus inimicorum genus, laudantes.

 街から水が引くまではしばらく時間が必要だった。その間城の中は何とも不思議な空気に包まれた。

 純血至上主義者に、今まで彼らに迫害されてきた人間。それが同じ場所に身を寄せる。勿論些細なことで諍いが起きる。

 アスカはそんな景色に、また始まったかと思わざるを得ない。


 「お前みたいな奴、助けてやらなければ良かった!」

 「勝手に助けたのはお前らだろう?誰が頼んだってんだ!助けたからにはちゃんと面倒を見ろ!さっさと食事を持ってこい!」


 「調子乗ってんじゃないわよ。それ以上うだうだ言ってんなら今から海に沈めに行ってやるわよ」


 しかし教会兵器を片手に、眼光を光らせるロセッタは大人相手でも震え上がるほど恐ろしいらしく、彼女に睨まれた人間は野の知り合いのトーンを抑えて小声で文句を言うようになる。そこで彼女に舌打ちされて、今度こそ何も言えなくなるのだ。


 「いや、流石だな嬢ちゃん。見せしめに一発撃ったのが効いたのか?」

 「当然のことよ」


 最初にロセッタが仲裁に入ったときに、ある純血至上主義者が彼女の禁忌に触れた。だから胸のことは言うなと教えて……やってはいないが、見ればわかりそうなことにも気付かないデリカシーのない奴が悪いな、うん。

 そして彼女の地下での活躍も広まり、彼女を恐れる人間が増えた。混血だからって舐めると本当に殺されると。

 しかしこういう鞭だけでは意味がない。


 「食事まだ貰っていない人は?」


 リフルは料理が作れない。毒人間故、毒物混入を引き起こす可能性が高いからだ。そんなわけで必然的に他の仕事に回される。かといって力仕事も出来ない。怪我の手当と軽い荷物の運搬。これくらいだ。料理も運ぶくらいならば問題ない。城のメイドから借りたらしい給仕服が無駄に似合っている。言うなればこれが飴だ。


(あいつもなぁ……毒さえなければこういう仕事も出来ただろうに)


 マリー様も昔は聖十字で救護兵として働いていたことがあった。その時に狂王なんかを助けた所為で惚れられてしまい、あんなことになってしまったわけだが。つまりそのなんだ、人殺し以外の仕事で働くあいつは何だかとても新鮮で、それでいて生き生きして見えた。俺はそう言いたい。


 《アスカニオス、今貴方もはいあーんして欲しいと思ったでしょ?》

 「思ってねぇよ」


 ちょっと俺も怪我して来れば良かったと思っただけだ。

 俺の視線に気付いたのか、空になった盆を小脇にご主人様が寄ってくる。


 「よう、お疲れ」

 「アスカ!」

 「第二公がそろそろ話がしたいってよ」

 「そうか。ロセッタは……?」

 「向こうでまた喧嘩の仲裁してるよ」

 「そうか。やはり揉め事は尽きないな……」

 「そりゃ一日二日でどうにかなることじゃないだろ、こういうのは」

 「それでもこうやって少しずつでも、混血への理解を深めて貰えればと思うよ」


 それはたぶん上手く行っていると思う。

 混血だって人間だ。ロセッタだって一応女の子だ。貧乳貧乳馬鹿にされれば怒る。それは当然の反応だ。人として当然のことだ。彼女の怒りは、混血も感情を持った人間だと相手に伝える行為とも言える。

 そして俺とリフルに救出された人間は、減らず口をたたく者もまだ居るにはいるが、身の回りの世話をしてくれるこいつに感謝というか、ときめいている阿呆も多数居る。

 こいつの邪眼は確かに褒められた者ではないがある程度の好意なら、世の中を円滑にする手段に成り得るのかもしれない。

 もっとも今回ばかりは邪眼の力だけで引き出した好意ではないだろう。こいつの言葉と行動あってのことだ。


 「…………」

 「どうした?」


 ロセッタには先に行くことを伝え、階段を上っていた俺たち。リフルはその間考え込むよう無口になった。


 「ああ、いや……私は混血と奴隷の被害を抑えるために、標的を殺すことで問題を解決してきた。それは一番手っ取り早いことだし、被害者も少なくて済む」


 それを後悔はしていない。そうすることで救える相手もいるのだと、それは断言しつつも……こんな方法もあったのだなと彼は言う。


 「しかし本当は……誰の被害も出さずに解り合えれば一番良いんだろうな」

 「まぁ、理想論だろうけどな」


 俺も一応は頷いた。


 「命だけ助かっても、何かあってからってのじゃ取り返しの付かないこともあるだろ。被害出したくなきゃそいつが誰も傷付けなきゃ良いってだけだ。傷付けた以上、自分もそうされる腹ぁ括れって話だぜ」

 「そうだな……」


 城で処刑された人々は、命こそあっても……失った者もまた大きい。それが何のしがらみもなくすぐに手を取り合えるなんて、そんなことはあり得ない。

 第一、あの純血至上主義者の中にはその罪がはっきりとしてないってだけで、それなりのことをしてきた奴らが大半だろう。奴らに酷い目に遭わされた者は、何で助けたんだと思っている。純血至上主義者ってだけで憎しみの対象になるのは間違いない。そこはこの城から解放してくれたこいつの頼みだから、渋々言うことを聞いていてくれるだけであり、ちょっとしたことで先程のように一触即発になりかねない。

 だからロセッタも目を光らせている。中立の恐怖であるべく彼女も頑張っているのだ。


(しかし……まさかエルムの奴がなぁ)


 こんなことを引き起こしたのが混血だと知られれば、また問題は深まるが、純血もまさか混血一人であんな大津波を起こせるとは思わないだろう。その辺は追求させないのが一番だ。

 リフルがこうやって怪我人達の看病に当たっているのもおそらくはその負い目。もし自分がエルムと再会した時に彼を殺していればこうはならなかったという気持ち。ここまでのことをエルムがするとは思っていなかった。或いはその前に止めるつもりだった。その甘さが招いた結果だと痛感しているのだろう。


(でも、こいつにはエルムを殺せねぇだろうな)


 カードとしては殺せても。本当にこいつが救いたかったのは、エルムのような混血なんだ。自分に似た境遇の、自分ではない誰か。それを救っても自分の過去は変わらない。それでもそうすることで自分が救われた気持ちになれる。こいつだってその位の救いを、見返りを求めていたんだ。それで何も変わらなくても。


(…………数値破りとか言ってたな)


 ロセッタは言っていた。自分より下位カードを殺すことは可能。幸福値さえ並べばそれは叶う。エルムは今回の件で大分幸福値を消費したはず。俺に殺せるレベルまで落ちている可能性はある。

 しかしそれはルール違反。自分の願いが叶わなくなる禁じ手だとロセッタは説明した。

 俺の願いは、こいつを普通の人間に戻すこと。しかしそのためにこいつを殺してしまっては意味がない。だから元々俺は願いを叶える気がない。

 そうなった以上俺の願いは、こいつを守ること。それはカードに神に叶えて貰わなくとも出来る。俺の意思で叶えられること。


(……エルムは、俺が)


 こいつに殺せないなら、俺が殺すしかない。またこんなことが起きたとしたら、傷つくのはこいつなんだ。


 *


 「いや、何とお礼を言って良いものか」


 城でのこいつらの活躍は第二公の耳にも届いていたのか、俺たちを出迎えた老人は開口一番にそう言った。


 「驚いたのはこっちの方なんだがな」


 息子達の件が片付いて……第二公は再びその地位を取り戻した。彼の命令で城の兵達が襲ってくることもなくなった。

 リフルやロセッタが混血としての姿をさらしても、この老人と来たら怒り狂うこともない。純血至上主義者の島の親玉の癖に。それは俺にとってなんとも納得いかないことだ。


 「こいつが混血だって解ったのになんであんたはそんなにのほほんとしてるんだよ?」

 「アスカ……何もそんな喧嘩腰で行かなくても良いだろう?」

 「あのなぁリフル、外交とか交渉ってのは舐められたらお終いなんだよ」

 「まぁ、確かに一理ありますな」


 第二公が頷いた。ここは公爵である彼が用意した客間だ。上客用の部屋なのか無駄に広く話し合いが出来そうな長机と椅子も揃っている。


 「私は元々純血至上主義者というわけではないんですよ」


 第二公はそう言った。


 「昔の私はなかなか嫁を娶らずにいましてね。単に面倒だったもんで、言い訳をして生きていましたよ。やれこの女は美人じゃないから嫌だ。やれこの女は身分が低いから嫌だ。やれこの女は髪の色が気に入らない。目の色が駄目だ。そうやって粗探しをしている内に民からそういう印象を持たれた。そして上に立つ私がそれでは、民も次第に感化されていく」


 そして時代が変わって、混血が生まれ、奴隷貿易に拍車がかかる。そのことで職を失う者も出て来た。怒りが向かうのは混血という存在。そこに純血至上主義というものが加わってとんでもないことになった。


 「確かに真純血への憧れはありますが、そこを民に誤解されそんな風潮の温床となった。下手なことを言えば私まで殺されかねない、そんな空気の場所になってしまった」


 公爵が恐れるのは、民という存在。誤解を真実と信じて、暴走する存在。


 「昨年の冬にはアルタニア公のこともありました。あれから完全に私は恐れていた。そこをあれ達に目を付けられましてな」


 公爵の権威を示すには、純血至上主義者を行うしかない。それも過激であれば過激であるほど良い。民は公爵を崇め恐れ敬い奉る。ルナールというあの青年がやったのはそれだ。だから民は彼に付いてきた。細かいことは気にもしないで。


 「でもギースってあのガキは、自分が数値異常の被害者だって言ってたわよ。その逆恨みで混血憎しって感じだったけど」

 「ロセッタ……」

 「お、嬢ちゃんも来たか」


 声の方を振り返れば、遅れてやって来たロセッタ。昨日も今日も大忙しだったから、かなり眠そうだ。そのためいつもより三割り増しで不機嫌に見える。そんなことを考えていたら何よと睨まれた。

 それに第二公も面目ないと頭を掻いて苦笑する。


 「いや、あれは……恥ずかしながらあの二人は異母兄弟でしてな」

 「爺さん若い頃は大分遊んでたんじゃねぇか」


 俺が嫌味を言えば、老人は悪びれもせず笑う。結婚したくないとかいってる奴に限って結構遊んでるもんなんだな。


 「元々兄のギースの方が次代公爵ということになってはいたんですが、殺されかけたことがありまして。何とか一命を取り留めたまでは良かったんじゃが……」

 「なんだ。唯の逆恨みじゃない混血の所為だーなんて」


 ロセッタが肩をすくめる。


 「しかし何でそんな逆恨みになったんだかな」

 「自然界の数値異常で動物が凶暴化するとか巨大化するとかそういう話くらい知ってるでしょ?」

 「そりゃあな」


 俺が裏町で請負組織やってた頃はたまにそういうのの討伐とか頼まれることもあった。もっとも自然の少ない第一島……人災の多いセネトレアからすりゃ微々たるものだが、飢えた鳥とかがタロックから流れてくることはある。そういうのがやって来るのは位置的にタロックに近い第三島アルタニアやこの第二島グメーノリア。第一島ゴールダーケンまでやってくることはここらに比べればまだましだ。


 「しかし、数値異常か。確かにここ近年自然界でもおかしなデータが上がっているとトーラが言っていたな」


 リフルが何かを思い出すような口ぶりで言う。


 「アルタニアでも巨大化した鳥に襲われたことがあった。あれはタロックから流れてきたらしいが……アスカ、ロセッタ。タロックでは数値異常がそんなに顕著なのか?」

 「俺が居たのはもう11年も前だし都近辺は整備されてるからな。あんまりそういうのを見かけることはなかったな」


 どちらかと言えば、俺が数値異常の生物と関わるようになったのはタロック時代よりセネトレアに来てからだ。請負組織をやっている間は、いろいろとそう言ったものの駆除を依頼されることも多かった。


 「セネトレアだと……第一島で見かけるのはせいぜい蜘蛛とか鼠が巨大化したってくらいだな」


 あと稀にGのつく虫とか。台所に湧いて出たというG地獄。一匹見かけたら三十匹はいると思え。あの依頼は地獄だった。あの後三日くらい魘された。暫くの間カサカサという音を聞いただけで身構えるようになった。あの時は報酬の対価以上の物を失ったような気がした。


 「ま、まぁ……綺麗な虫とか獣なんかを綺麗な姿で殺せば、標本とか剥製として高値で買い取ってくれる店もあるにはあるらしいぜ?」


 リィナとロイルは基本そういった魔物退治専門の請負組織だ。基本は駆除専門だが、依頼の中にはそう言ったものもあったらしい。

 ロイルに大暴れをさせその隙にリィナは毒矢で獲物を仕留める。そしてそういう所に流していた。結構金になるらしく、たまに俺もあいつらの仕事に付き合っていた。唯俺一人じゃ綺麗に捕らえるってのは難しい。生かして捕らえろなんて仕事だと絶対に無理。毒で仕留めようにも運ぶ途中で毒が切れて暴れられても困る。それにそういう面倒な仕事を頼む奴は大抵性悪だ。金のある奴は大抵性格も悪い。そしてケチだ。ちょっとでも商品に傷があると最悪報酬さえ払わない。そんな骨折り損のくたびれもうけは俺も嫌だ。


 「まぁ、街中じゃそんなに現れないでしょうよ。数値異常は自然界の数を壊すことだから、基本的に自然が残ってるところの方がやばいのよ」


 ロセッタの言うように、人工物は数値異常に影響されることはない。大抵は自然界の植物、それから動物に起こる現象。その数値異常で異常を来し、人に害を成すようなものを請負組織間ではまとめて魔物と呼んでいる。まぁ、魔物なんて言っても巨大化した鳥だの虫だの食虫植物だの、そんなのが大半だが。


 「数値異常ってまず植物から始まるのよ。それを食べた動物がそこから問題起こすって感じ」


 数値異常ってその植物の栄養価の面でも異常になってるってことだから、結構栄養面では優れてたりってパターンもある。だからそれで巨大化が引き起こされるのだろうと彼女は言う。


 「でもよっぽど山奥とかの変な物食べない限り、人間が数値異常来すことはないわよ。混血の突然変異とこれはまったく別の話だわ」


 自然界の数値異常は混血と直接関係はない。唯同じ時期に生じたと言うことで度々因縁付けられるのだとロセッタは言う。


 「しかし数値異常ってのは結局何なんだ?第一巨大化の原理は解ったが、あのガキみたいな数値異常って話は聞いたことねぇぞ?」


 説明は聞いたが、そのそもそもの原因が解らない。今言っただろみたいな顔で睨まれてもそこは全く解らない。それに対するロセッタの答えは……


 「万物が数ならば、当然起こり得ることよ」

 「は?」

 「人が狂えば自然が世界が狂う。それでバランスが取れる。そういうこと。世界という概念自体が一つの巨大な数なんだもの」

 「そりゃまたスケールのでかい話だな」


 ロセッタの言葉にモニカがうんうんと頷いているが、俺にはさっぱり解らない。ここには数術に疎い人間しか居ないのだ。そんな専門知識をいきなり話されてもわかるわけがない。


 「ともかく、構成数が変わった存在は性質を変える。簡単に言えば水ね。これまでは綺麗でそのまま飲めた湧き水に毒を流し込めば毒水になるでしょ。それと同じこと」


 言い直したロセッタの言葉は分かり易かった。


 「それと同じ原理でこれまで普通の植物だったものが汚染されて毒草になるってこともあるのよ。数値異常による毒物の中には、体内の構成数分解作用のある毒物ってのもあってね。そういうの食らうと成長止まることってあんのよ。どっかの誰かさんみたいに」


 横目でロセッタはリフルを一瞥。思いだしたように、彼女は一言付け加える。


 「さっき、巨大化の話をしたわよね?最近じゃその作用を持つ、成長促進系の数値異常植物も発見はされているわ」

 「それ、本当か!?」


 顔を上げた俺と、第二公の視線を切り捨てるよう冷たい目になるロセッタ。


 「勘違いしないで欲しいのは、それに相殺効果はないってことね」


 教会での動物実験でのデータだとそうなってると彼女は言う。


 「成長促進系食物を食らえば、成長は急激になる。だけどその分老化も早くなる。無理矢理急成長させるってことだから、寿命は平均より短くなる。反対に成長遅延系食物を食らえば、成長は遅れる。その分寿命が長くなる……ってわけでもない。薬か毒かで言うならば、促進系は薬だけど遅延系は完全に毒よ。だから脳をやられて精神を病んだり身体機能が停止する。こっちも寿命はそう長くはないわ」


 魔物はそのどちらも食べてしまった者。促進系の方が魅力的な食べ物。しかしそれが尽きれば遅延系を食べざるを得ない。そこで巨大化からの凶暴化の流れが出来上がるのだと言う。


 「それでは……」

 「後継者については、あいつには務まらないわ。他に養子貰うなり、生ませるなり考えておいた方がいいわね」


 ロセッタの言葉に、第二公が頭を抱える。そんな男を見やる赤目は、少しだけ彼を哀れんでいるようにも見える。

 ロセッタがあのギースという男を殺さなかったのは、本当に偶然だったんだろうか?俺にはどうも……違うように思えた。彼女は哀れんだんじゃないだろうか。どうせ死ぬからと。……いや或いは。どうせ死ぬなら……苦しんで死ね。そう言いたかったのか。付き合いの浅い俺には、彼女の真意が見えなかった。


 「……それならしばらくは、貴方にこの島を引き続き治めて貰うしかありませんね」

 「そうなりますかのぅ……」


 リフルの言葉に、第二公は小さくそう呟いた。


 「ところで第二公……この城から見つかったのだが。この毒薬に見覚えは?」


 リフルが取り出した二つの小瓶。透明な液体の入った瓶と、赤い液体の入ったその小瓶。


 「はて……?」

 「あんたそれ、今言ってた奴よそれ」


 疑問符を浮かべる第二公。それに食い付くはゴーグル装着済みのロセッタ。


 「それどっから?」

 「……昨日、ルナールという男の部屋から見つけた物だ」


 ああ、俺が風呂に入っている隙に出かけた散策でか。そう思うと少し俺の心も意地けて来る。


 「なるほどね。殺されかけたって……毒殺未遂だったんじゃない?」


 毒殺。その単語に俺は思わず顔を上げ、第二公の方を見る。ロセッタの言葉に、老人は静かに頷いた。


 「……爺さん、あんたが知らないのも無理ないんじゃない?あんたの息子かその母親か何かは知らないけど、兄のギースに遅延薬を飲ませて弟のルナールってのに促進薬を飲ませたんでしょうよ」

 「それはわかった。しかしお嬢さん方、何故そんなに毒が気になるので?」


 リフルとロセッタの会話から、何故そこまでその薬に固執するのかがわからないと言う第二公。その質問にリフルはぽつりと小さく零した。


 「匂いが」

 「匂い……?」


 それは意外な言葉で、俺も少し驚いた。鼻を利かせてみるが、別段変わった匂いはしない。


 「おい、リフル。別に変な感じはしねぇぞ?」


 俺もそこそこ毒の知識はある。俺の知る毒物と似た香りはそこにはなかった。


 「ああ。このままでは何も。……ロセッタ、この二薬には相殺効果がないと言っていたな?」

 「言ったけど」

 「それではこれが合わさると何になるか知っているか?」

 「…………いいえ」

 「なら……」


 リフルはその二瓶の中身を半分ずつ、他の瓶へと入れ替えてそれを俺たちの目の前で調合する。


 「これで、完成だ」


 色まで変わった。色だけは綺麗な濃桃色。頭がくらくらする。目眩を引き起こすような、甘ったるい妙な香り。吸い込むと心臓を捕まれたように心拍数が上がる。


 「何だこれ……」

 「あまり嗅がない方が良い。万が一口にでも入ったら、量を間違えれば最悪死ぬぞ。グメノリア公、貴方の息子さんは成長が遅れはしても止まったわけではないですよね?」


 第二公は頷いたが、俺とロセッタは状況理解が追いつかない。


 「あんた、これ何か知ってるの?」

 「ああ。むしろ悪化する。混ぜるな危険と言う奴だ。促進でも遅延でもなく、これは停滞。おまけに合わさることで引き起こされた数式反応で毒性も増している。ついでに言うと……」

 「うむ……これはセネトレアの一部で流通している“永遠の愛”とか言う媚薬によく似ているのぅ。一度城に献上されて来たことがあったわい。下らんと思ってそこらに投げておいたが……」

 「び、びびびびびびびびびびびび媚薬ぅっ!?」

 「ば、ばばばばばばばばばばば馬っ鹿じゃなななないの!?」

 「…………二人ともこういう方面は疎いのか?」


 どもった俺とロセッタに眉をひそめるリフル。俺としては何でお前がそんなもんの知識があるのかを尋ねたい。


 「ある程度、毒の知識のある人間が見れば危険な物だと分かるんだろうが……生成過程の材料が既に毒だ。しかしこれは本来香りと色を楽しむ香水のような媚薬なのでは?匂いを嗅ぐ程度なら別段害もないし、確かにある程度の興奮を煽る力はあるだろう」

 「恥ずかしながら私を含め、この島の人間はあまり毒には詳しくはありませんで……唯何分自然の多い島なもので、材料だけは豊富に揃っておるのかと」


 リフルの分析に、第二公が頷いた。その様子から俺たちも大体の成り行きを理解した。


 「つまり成分をよく分かってないで、混ぜ合わせて作ってみたらなんか良い感じの物が出来たってわけか?」

 「逆を言えば、ある程度知識のあるものの手にこれが渡れば……分離させ先の二つの薬を作り出すことも不可能ではないと言うことね」


 おそらく第二公が投げたその媚薬が、弟とその母親の手にでも渡ったのだろう。そしてそこから彼らは二種類の毒薬を手に入れた。そこまでは推測が出来た。しかし……俺の主は妙なことを言い出した。


 「一つで二度美味しいというわけだな」

 「は?」


 俺とロセッタの呟きにリフルが頷く。俺にはちょっとその意味が分からなかった。


 「香りだけなら媚薬香水、飲ませば猛毒。この商品を名付けた奴は毒の知識があったと思うがな私は」


 手に入らないなら殺してでも自分の物にしてしまえ。そんな裏が、この薬の名前にはあるとリフルが指摘。

 過去のいろいろのせいで、毒の研究は俺も興味がある分野。そこまでこの毒の製造者が自信たっぷりに名付けたこの毒は、どんなものなんだろう。少し興味が湧いた。媚薬としての効能も興味がないと言ったら嘘になるが、主の手前上……俺が興味があるのは毒の方ですという顔をしておいた。しかしそんな俺の浅知恵を俺の主はお見通し。俺という人間を理解していると言うよりは、男という生き物を熟知している。そりゃそうだ。エロいことに興味のない野郎はいない。だからエロいことに興味があるという前提で俺の主は話を進める。


 「ああ、もっともこれはあまり使っても意味はないと思うぞ?現に私は使われたが、使ってきた相手に惚れたりしなかったしな。一時的に性的興奮を煽る程度かと思われる」

 「あの、ご主人様。けろっとしれっとそういうこと言うな頼むから」


 しかしこうもさらっとそんなことを女装中のこいつに言われるとなんというかその……此方の方が恥ずかしくなるのは何でなんだ?


 「これは惚れ薬と言うよりは完全に媚薬であり痲薬であり毒薬だな。確かに最中は最高だが、毒人間の基礎が出来ていなかったら私はもう一度殺されているところだった。常人なら飲まされた辺りで死んでいる。強めに匂いを嗅がせれば一時的に昏倒させることも出来るだろうな」

 「やけに詳しいじゃない?」


 ロセッタがそれを指摘。確かにそうだ。こいつは毒人間ではあるけれど、研究者ではない。洛叉のような医者でもない。毒への知識は自身の毒での経験と、トーラや洛叉からの受け売り知識が大半だ。この場合は……その前者だとリフルが言う。


 「私の身体の成長が止まったのは、屋敷に拾われてから。正確にはこれを常用的に飲ませられてからだ」

 「!!」


 俺は言われて気付いた。確かにそうだ。俺が置き去りにした頃のこいつは本当に子供だった。成長が止まったとはいえ、あの頃に比べたら再会時は成長していたのだ。


 「当時もそこそこは毒性はあったのだろうが、人を殺すほどの力はなかった」


 11年前。俺がこいつの首を絞めた時……その毒に倒れるまでは猶予があった。そして暫し気を失う程度で済んだ。即効性に欠ける毒。それでも俺も子供で毒が回るのが早く、よく効いた。だから気絶した。それでも相手が大人なら、そうはならない。


 「相手が大人なら昏倒させることすら出来ない。精々目眩を起こさせるくらいだ」


 その目眩さえ、邪眼は恋とか愛とかいう精神疾患と勘違いさせるのだと言う。


(リフル……)


 俺の苦しげな視線が気に障ったのか、わざとこいつは明るい調子で話し出す。


 「私を毒人間として完成させた最後のスパイスがこれだということだな。もっとも真似をしようとしても普通はここに来るまでに死ぬから良い子も悪い子も真似をしないように」

 「お前なぁ……そこはボケるところじゃねぇだろ」

 「それはどうでもいいとして、問題は別にある」


 自分でふざけておきながら、自分で流れを引き戻す。それに付き合ってツッコミ入れた俺だけが残されて道化みたいだ。


 「私にこれを飲ませた人は、私を殺すつもりではなかった。にも関わらず私にこれを飲ませた。これが物凄く効く媚薬だか惚れ薬だとかそんな風に聞いて、どこからか入手したらしい」


 その生産地がまさかグメーノリアだとは思わなかったとリフルが溜息を吐く。


 「おい、そいつはまさか……」

 「ああ、そういうことだ」


 俺の問いかけに、リフルは肯定。


 「これを作った人間は、故意に情報をねじ曲げてこれを売り捌いている。それはわざと毒殺事件を起こして、この毒の知名度を広めようとしているようだ」

 「なんだってそんなことを。つかそんな話し第一島でも全く聞かなかったぞ?」

 「ああ。トーラからもそんな話を聞いたこともない以上、所有者は限られていると考えられる。大量生産は出来ない毒なんだろうな。特殊な素材でも使うのか」

 「まぁ……そうね。素材自体も珍しいものかもしれないけど、体内数に異常来すようなものはもっと少ない。同じ材料で作っても数値異常の生じている材料でないと意味はないわ。毒薬と香水としての効能はあるでしょうけど……それを引き当てるなんてあんたどんだけ運悪いの?」


 「ここまで来ると運の悪さが私の個性で特技だな」と主が笑うが俺からすれば笑えない。


 「しかし惜しむべきは、このセネトレアに私が現れた。毒殺殺人鬼の前に、この毒は霞んでしまった。微々たる毒殺事件など目にも留まらないと言うことか」

 「………い、今何と?」


 これまでリフルの毒話に専門外だと縮こまっていた第二公。そんなこの爺さんが突然目の色を変えたのは殺人鬼というその言葉。


 「失礼。訂正させていただこう。生憎私はお嬢さんではないんですよ」


 リフルの言葉に、老人は目を見開き絶句した。


 「その目、その髪……まさかSuit!?」


 言われてやっと気付いたのだろう。銀髪に紫眼の殺人鬼。


 「別に私は今回貴方を殺しに来たわけではない。その点は安心してくれ」


 殺す相手を助けるはずもない。リフルがそう告げると、老人も少し平静を取り戻す。


 「しかし……Suitがこんな別嬪さんだったとは。いや……いつぞやの那由多王子を彷彿させるお美しさで」


 その反応はこっちとしても予想外だ。


 「以前会ったことがありましたか?」

 「……は?」

 「だからこいつがその那由多王子だって言ってんのよ」


 酸素を求める魚のようにぱくぱくと口の開閉を続ける第二公。それが一分を超えた辺りでロセッタが苛立ち始める。それに恐れを成した老人が我に返った。


 「本当に、那由多様……お美しくなられて」


 我に返った第二公は、とても混血を見るような目ではない。感動したと言わんばかりの熱っぽい眼差しをリフルに送る。その目には感激のあまり、涙さえ浮かんでいた。


 「爺さんもこいつの処刑、見てたのか?」


 老人は深く頷く。当時のことを思い出すように遠くを見つめながら。


 「ああ、忘れもしない。あれは何があるのか解らんまま……招待状が届いて。タロックの城に呼ばれるなんて大事だと何も知らずに儂も他の貴族もはしゃいでおった」

 「そういやリフル、あんたの処刑本当いろんな場所の人間呼ばれてたって神子様言ってたわ。噂じゃシャトランジア王も呼ばれたらしいわよ」

 「何だか今更ながらそんなに多くの人間に見られていたと思うと恥ずかしいな」


 そういう問題でもないだろうというツッコミが咽に詰まる。けろりとした顔でそんなことをこいつは言うけれど、これはそんな簡単な話じゃない。

 他国の王族貴族を招いての宣戦布告と、法令発布。今日まで続く混血の迫害史は、そもそもこいつが処刑されたところから始まる。こいつがタロック王に処刑されたことで、純血至上主義というものが生まれ、それを主張する者が現れ、混血の地位が低下した。


 「……失礼ですが、仮に那由多様が生きていたとしても……今年で十八ではありませんでしたかな?」

 「こう見えても私は十八ですよ。毒が気になるというのはそういう理由です」


 とてもじゃないがリフルは実年齢には見えない。精々十代半ば、その辺り。

 それが今の媚薬による物だとわかった。第二公もリフルに恩義は感じているのか、その件は快く引き受けてくれた。


 「解りました。それではあの毒について、これから集められる情報を儂の方で調べさせることにしましょう」

 「それはありがたい。ですが今回は、その用で参ったわけでもありません」


 そうだ。それはそもそもの目的とは違う。


 「今私は第一島の西裏町に属しています。仲間が敵の策に嵌められ、東と城を敵に回した状況です」

 「なるほど。それで儂に東や城と手を組むなと言いにいらしたと?」

 「はい」

 「……昨日までなら、それも難しかったでしょうな」


 第二公には、民を従えることは出来ない。その暴走を抑えられるかは怪しい。しかし、……東がこの島を焼いた。それを白日の下に晒せば、民衆は少なくとも東には付かない。


 「……本当ならば、お力添えをしたいところですが……こんな状況です。どこに攻め込むことも無理でしょう。我々が那由多様に返せる恩は、我らが何処にも手を貸さないとお約束することくらいです」

 「…………それで、十分です。ありがとうございます」


 最高ではないが今のところの最善ではある。これで少なくとも背後から攻められることはなくなった。後は今後の第二公の采配次第。


 「ま、こんなところだろうとは思ったけど。それで爺さん、あんた帰りの船くらいは用意してくれるのよね?」

 「……そうしたいのは山々ですがのぅ、生憎城に船はない」

 「はぁ!?」

 「まぁこの辺り一帯山ばっかだしな。それに昨日ので流されただろ、大半は」

 「あんた公爵でしょ!なんとかしなさいよ!!」


 俺がフォローするがロセッタの怒りは収まらない。


 「い、いえいえ!何もないと言っているわけではありませんぞ!ここから北に向かった街になら、昨日の被害から逃れた船があります」

 「んじゃ、そこから帰るってことになるか」

 「お手を煩わせて申し訳ない、那由多様。案内の者を付けますので」

 「いや、そこまで気を遣わずとも。今は此方も大変な時期だろう?人手は一人でも多い方が……」

 「いえ、それなら一人……打って付けの奴がおりますので」


 どうぞ扱き使ってやってくださいと言う第二公が連れてきたのは……


 「「げ」」


 顔を見合わせてロセッタとその少年が同じ言葉を発した。


 「ちょっと!何勝手に牢から出してんのよ身内贔屓!ど腐れ公!」

 「おい親父!こんな凶暴女何放し飼いしてるんだよ!」

 「黙らっしゃい!」


 ロセッタの右ストレート炸裂。ギースは数メートルほど吹っ飛ばされた。一応手加減はされたのか、痛そうだが大きな怪我はないようだ。


 「ええと……これは一体」

 「この阿呆息子は、弟に城を追い出されてから島内を放蕩していた馬鹿ですが、故に島のことには儂より詳しい。そして今城にいても邪魔故」

 「はぁ!?俺まだ怪我人だぞ!?何重労働させようと……」

 「馬鹿が!お前は誰に刃向かったと思っている!?この方はかのタロックの那由多殿下であらせられるぞ!」

 「は?こっちの兄ちゃん?」


 俺を訝しげに見上げるギース。出会った当初のフォースを三倍生意気にしたようなガキだ。あんまり俺もこういう子供は好きじゃない。


 「その隣だ」

 「うっそだろ!?おんな女みてぇな兄ちゃんがタロックの王子さまぁ!?それに混血じゃねぇか!混血なんかと一緒に歩きたくねぇよ。空気が腐る」

 「俺の主を侮辱するとは良い度胸だな」


 とうとう俺の逆鱗に触れやがったか。抜刀しようとして……そこで俺はダールシュルティングが壊れていることを思い出す。殺さず痛めつける程度なら、今使える刃を使うよりそのまま素手で殴った方が効率的かもしれなかった。


 「……君はこの島に詳しいのか。それなら一つ聞きたいのだが……」

 「何でも聞いてやってくだされ」

 「は?どうして俺が」

 「この方に背いたり無礼なことをすれば、次期公爵の座は別の者へ譲るからの」

 「喜んで、お供させていただきます!!那由多様ぁ!!」


 なんて現金なガキだ。さっきまで空気が腐るとか言ってた癖にリフルに抱き付きやがった。

 流石に同じ男として両手両足使えないのは可哀想だと思って片手片足は治してやった俺が馬鹿だった。咄嗟のことにリフルもリフルで対応に困っている。俺が代わりに引っぺがしてやろうと思ったら、何やら様子がおかしい。リフルは焦っているというか、少し顔が赤い。


 「ちょっ……やめ、くすぐったい!こら……だめっ」

 「んー……やっぱ男か。胸全然ねぇ。あっちの姉ちゃんよりねぇ」

 「お前っ、ほんといい加減にしろよ!!」


 ガキの後頭部を思いきり殴り、リフルから引きはがす。何てことをしてくれてるんだこのガキは。恐れを多くも俺の主の胸を触るだなんて。


 「でもこっちの女装兄ちゃんのが、良い声で鳴くな。あっちの姉ちゃん胸もなければ色気もねぇし」


 ロセッタ、もうこいつ本当に殺そうぜと目で合図。彼女も深く頷いている。


 「第二公、あの……やっぱり無理じゃないかと?彼がこの調子だと私の仲間が彼を殺しかねません」

 「その時はその時です。無礼を働くこれが悪い」


 俺とロセッタの殺気にリフルが至難顔。この少年を連れて行くのは無理だと第二公に泣きつくも、第二公は最悪殺されても文句は言いませんとのこと。何考えてるんだかこの狸爺は。


 「まぁ、許可も出たし殺っとくか」

 「それもそうね」

 「だから、私は気にしていないから止めろ!わ、私も男だ。別に少し触られた程度で死ぬわけでもない……っう」


 殺害計画を練る俺達に制止の言葉を作るリフル、その身体が突然強張る。見れば背後にまたあのガキが。


 「でも男にしとくの勿体ねぇ。女だったら俺の嫁にしてやってたのに。見ろよ親父、この女装殿下尻の触り心地も最高……」

 「いい加減にしろっ!」


 俺は鞘ごと刀身二本収まったダールシュルティング(鈍器)でギースの横っ面を殴り飛ばした。


 *


 「まぁ、馬車があっただけまだマシか」


 あの馬はそのまま宿の主人が貸してくれることになった。半永久的に。

 城に逃げていて無事だったのがこいつ一頭だけだったのだから仕方ないと言えば仕方ない。あまり大きな馬車だとこの一頭だけでは運べない。

 第二公から贈られたものは決して大きな馬車とは言えないが、子供三人大人一人くらいを運ぶくらいならわけはない。


 「ぶっ……くくく、ははは……ふふふ」

 「ロセッタ……私の顔を見て吹き出すのは止めてくれないか?」


 出発前の騒動を引いて、ロセッタがまだおかしなテンション。余程ツボにはまったらしい。


 「なんならリフル、お前もこっちに避難して来いよ」


 御者台に誘えば馬車の中から主がやって来る。


 「災難だったな」

 「この子を貸して貰えたんだからそうも言えないさ」

 「にしてもなぁ……」


 旅立つ直前、あの宿屋の主人が追いかけてきてどうしたことかこいつに求婚しやがった。火事場の吊り橋効果で完全に惚れてしまったらしい。こいつは苦笑しつつ「私は男なので」と逃げる。それに宿屋の主人は一度卒倒。

 その内に城にちゃっかり避難していたらしい婆コンビが俺の方へとやって来て同じような言葉を口にする。


 「随分モテていたな、アスカは」

 「俺は婆に興味はねぇってのに」

 「そう言うな。50年前くらいは美人だったかもしれないじゃないか」

 「今は逃れよう無く婆だろ」

 「そりゃあ誰でもそうだろう普通は」

 「くくくっ……そういやあんた“結婚が無理なら、最後に一発だけでも抱いてくれ”とか言われてたわよねあの婆連中に」


 ロセッタがまた思い出し笑い。馬車の中で笑い転げている。俺もなことを思い出させられた所為で操縦が雑になる。


 「なんだ。童貞卒業の良い機会だったじゃないか。勿体ない」

 「そこまでして捨てたくねぇよ!俺だって選ぶ権利くらいある!第一俺は婚前交渉は……」

 「あの婆、結婚までしてくれそうだったじゃない」

 「だから!俺だって相手くらい選びてぇだろ!!」


 ロセッタだけじゃなくて心の支えであるリフルにまでにからかわれて、ちょっと泣きたい。ちょっと主を睨んでみると、戸惑うような視線とかち合った。


 「…………?」


 今の話題で何でこいつがそんな顔になるのかがよくわからなかったが、たぶん言いすぎたと思ったんだろう。きっとそうだ。


 「そういや、俺に聞きたいことって何だったんだ女殿下?」

 「お前ほんと死にたいか?」

 「女装殿下が無礼だって言うから変えたんだ!」


 無礼な案内人ギース。旅に不便だからとリフルが言うので渋々もう片手を治してやったので、今は杖さえあれば自力で歩ける。まったくその恩を忘れたのかこの糞ガキは。

 とりあえずそばにリフルを置かないようにしていたが、ロセッタともこのガキは殺伐とした雰囲気がある。地下で一体何があったんだか。


 「リフルで良い。今の私は別に王族でも何でもないしな」


 そしてこいつはこいつでこの無礼者相手にまた甘いことを。こういうのは甘やかすと付け上がるんだからびしっと言ってやればいいのに。


 「んじゃリフル姉ちゃん、俺に何聞きたかったんだ?」


 これ以上呼び名で文句を言うのも面倒臭いとリフルはそれで妥協したらしい。


 「グメーノリアはいろいろと触媒の産地だと聞いた。聞けばアルタニアに出荷している鉱物の三割程度はこの島のものらしいな」

 「ああ、ここすげー田舎なだけど鉄とか宝石とかはよく採れるんだよ」

 「それならこれから向かう場所、或いはその付近に良い感じの鉱山はないか?せっかくグメーノリアに来たんだ。武器の強化になる物があれば見てみたいと思ってな」


 リフルのその言葉は、もしかして俺のために言ってくれている?


 「おい、リフル……」

 視線をやれば、その先で主が小さく微笑んだ。


 「新しい剣を作るには材料も必要だろう?」

 「それは賛成ね。この島から協力者を出せない以上、多少の触媒は漁らせて貰わないと。こんな事もあろうかと、第二公から多少の無茶は通るように一筆書状を認めさせて貰ったし」


 そしてロセッタのこの言葉である。ひらひらと手紙を片手に彼女がほくそ笑む。凄い、まるで追いはぎのような目だ。


 「あんた……鬼だな」


 ギースが青ざめた顔でロセッタを見る。


 「女食い物にしてた最低野郎には言われたくないわね」

 「んで、良さそうな場所はこっちにあるのか?」


 このまま二人を放置しているとまたロセッタが発砲しそうなので程ほどの所で止めておいた。


 「そんなら運が良かったな兄さん。これから向かうユーヴェリアって街の裏にはでっけえ鉱山があるんだ。船の準備してもらう間に見てきたらいいぜ」

 「ユーヴェリアか……どんな街なんだ?変装はした方が良いところだろうか……?」

 「大丈夫だと思う。過激派はこの島の南部に多いし、北の方はつまんねーところだって地元の奴らもそんなにいかねーし。それに下手に変装してタロック女だと勘違いされる方がやばい」


 無理矢理やられたいってのなら止めねぇけどと、ギースがリフルをせせら笑う。まだこいつは礼儀という物を解っていない。本当にリフルがタロック王族だというのも信じていないのだろう。


 「混血なら手出しされねぇだろうけど、タロック女なら無理矢理でも嫁に攫われるぜ。嫁不足はどこでも深刻だしなー……前に捕まえた女流しに行ったら中古とか年増でも高値で売れたな」

 「あんたこれ以上女馬鹿にしたこと言ってみなさい?噂の王都裏町の発展BARに縛り上げて放り込むわよ」

 「ああ、あるな確かにそういう飲み屋。セネトレア歴が浅い頃、うっかり間違えて入って危うくトラウマ植え付けられそうになったことがあったぜ俺も。何とか逃げてきたけど」


 ロセッタの脅しに俺もそれっぽいことを言って乗ってやる。こういうガキは一回痛い目遭わせてやらんとわからないんだ。ちなみに迷い込んだ云々は同じ酒場の常連客の話だ。ここでは真実味を出すために敢えて俺の話として言ってみた。

 それにギースの顔が引きつる。ここで止めと言わんばかりにリフルが続く。


 「私も午前0時時代に情報収集の一環として遊びに行ったことがあったんだが、全く駄目だったな。向こうの嗜好とこっちの嗜好は違うらしくてな、女みたいな顔じゃ相手にならんと追い返された」


 冗談だよな?と目を向けるが、どうもこいつはマジだ。真顔で言っている。え、本当に行ったことあるの?


 「仕方ないんで隣のSMバーに入ったら、蒼薔薇がとんでもなくモテていたな。鞭で打ってくれと行列が。逆に彼を虐げたいという奴もいたが返り討ちに遭わせて被虐属性に開花させたりして遊んでいたぞ彼は」

 「な、何してんのお前ら。当時ハルシオンとお前仲悪かったんだろ?」

 「ああ、その嫌がらせの一環で相方として連れて行かれたらしい。私が変な客に絡まれて助けを求めてくるのをにやにやと観察するつもりだったらしいのだが、私も当時は荒れていて別にやれれば何でも良かったしそういう客に付いていこうとしたら全力で止められたな」

 「何してんのお前!?ほんと止めて!!慎み持ってっっ!!」

 「いや、だって……流石に蝋燭とか鞭は私も苦手だが、縛られたり目隠しとか際どい衣装はぞくぞくするじゃないか。縛って目隠しで後ろからやってくれるって言われたらちょっと気になるだろう普通!」

 「気にならねぇよ普通っ!!」

 「え、……それに凄いエロい衣装を買ってくれてだな。お礼に一発くらい」

 「何でそこで喜ぶんだよお前はっ!!」

 「毒人間はいろいろと不便な分欲求不満なんだ!!何を今更、裏本編のエロ担当たるこの私にお前は何を言っているんだ」

 「メタネタ止めろ!!んで、その話のオチは?」

 「ん?結局そいつのアジトは混血虐待者の巣窟でな、二人で壊滅させてきた」


 そこで話の一区切り。何か後ろが静まりかえっている。

 リフルと顔を見合わせ馬車の中を振り向くと、ロセッタがギースに向かってなにやら勝ち誇った笑みを浮かべていた。


 「思い知った?これが第一島の連中の日常会話よ、田舎者の芋ガキにはちょっと早かったかしらねおほほほほ!!」

 「……王都の人間、怖ぇえ」


 今の話の何処でギースが沈んだのか解らなかったらしいリフルは見当違いの方向へフォローを入れる。


 「いや、その発展BARの話だが……その点私より、ギースやアスカは人気が出るかもしれないぞ。私のように女々しくもなく生意気な少年を屈服させたいお客や、激戦を潜り抜き鍛えたその肉体とハッスルしたいお客はわんさか居るに違いない」

 「だからどうして俺までそこで落とすオチを用意するんだよお前は!!」


 *


 「ここが、ユーヴェリアか」


 馬車に揺られること数時間。その街が見えてきた。その頃にはもう夕暮れ。

 こんな時間に訪問しても失礼だろう。船の所有者を訪ねるのは明日になりそうだ。リフルがそんなことを考えていると、宿に馬車を預けたアスカが現れる。


 「結構綺麗な所だな」

 「ああ」


 緑に囲まれた、少しばかり古風な街。鉱山業が流行っていた全盛期は今より少し前なのだろう。多分20年前頃。混血の誕生で、セネトレアは奴隷貿易中心経済になってしまったから。

 それでも街の長閑な空気は、人の心の刺々しさも和らげてくれるのか……道行く人はそこまで私を気にしない。珍しい客が来たと思っている程度なのだろう。金を払えば誰でも客か、宿も快く歓迎してくれた。


 「ロセッタは?」

 「疲れたから今日は休むってよ」


 アスカの言葉に私は頷き、宿に残るという彼女を置いて、街の散策に出かけることにした。

 その背後でだるそうな声が一つ上がった。


 「俺も休みてぇ……」

 「てめぇは案内人だろ!きっちり働け」


 アスカに叱られているギース。彼も眠たそうに欠伸をしている。


 《ていうかでもぶっちゃけ彼邪魔じゃない?》


 モニカの嫌味。しかしギースは普通の人間。彼女の声など聞こえない。それを良いことにモニカは結構辛らつな言葉を吐いている。ギースが居る以上、私もアスカもあまりモニカを構えない。それが不満なのだろう。


 「流石にこんな時間に鉱山には入れないだろうしな、店だけでも回ってみるか?」

 「ていうか兄さん達、どんだけこっちのこと知らないんだよ?昼でも勝手に鉱山入って鉱物漁ったり出来るわけねぇよ。そういう権利持った奴を雇わないと」


 私もアスカも第二島のことには疎い。この島出身のギースがそう言うのなら、そういう決まりがあるのだろう。言われてみればそれももっともだ。


 「なるほど……確かに一理あるな。誰でも勝手に入って採ることが許されるならとうに資源も枯渇している、か」

 「おいガキ、それでその資格持ってる奴ってのは何処に居るんだ?」

 「酒場の方にはいると思うぜ。けどまぁ、……面倒臭いし普通に店頭の物漁った方早くね?」


 それも確かに。


 「まぁ、わざわざ疲れに行く必要もないか。多少は復興支援で金をばらまくのも良いだろう」

 「そうは言うけどな、お前そこまで俺ら持ち合わせあるわけでもねぇぞ?」

 「解った。金が無くなったら私が酒場で適当に金を持っていそうな男を路地裏に引っ張っていけば問題ない」

 「問題しかねぇよなそれ!!」


 思ったままのことを口にしているだけなのだが、アスカにはよく叱られる。昨日の今日だ。モニカに言われたことを当てはめるなら、なるほどそう言うこともあるのかも知れない。

 彼女はこれを無自覚の好意だと言っていたが、そんな風に言われると今までの何時も通りが、少し奇妙な物に思えてくる。


 「そこまで心配するな。私も男だぞ」


 一応はそう言ってやるも、本当にこいつは私が男に見えていないんだろうな。何とも過保護なことだ。

 しかしその過保護も無駄に終わった。なぜなら店舗に並ぶ商品はどれも手頃な値段だからだ。勿論そこには理由がある。


 「しかし、あんまぱっとしねぇ触媒ばっかだな」


 アスカの言葉に私も頷く。値段も安いが、質も悪い。目に見える数値はとてもじゃないが折れた剣の代わりになりそうにない。


 《アスカニオス!これなんか元素の含有量良いわよ!!おまけになかなか丈夫そうな数値だわ!》


 立ち寄った何件目かの店先で、モニカが飛びついた触媒鉱石。連れて行かれた先で、アスカが疑問を口にする。


 「値段書いてねぇなこれ」

 「店主、これは非売品なのか?」

 「いいや、それは……先客がいてな」


 妙に思わせぶりなその口調。それを尋ねれば、店主は自分の腕を見せる。片腕が折れているのか。包帯が巻かれていた。


 「最近山も物騒になって、仕事に行けなくなったんだよ俺も。鉱山に数値異常の怪物が棲み着くようになって……とてもじゃないがこんな老体じゃ仕事にならん」


 「それは俺の最後の仕事で掘り当てた物なんだ。数値異常は鉱物にも影響してるんだかなんだか、今とんでもない物が掘り当てられる時期なんだってのが俺には解ってる」


 だからこそ仕事に行けないのは悔しい。


 「山の魔物を退治してくる代わりに、それが上手くいったらこれを譲ってくれって言う男が居てな。もしそんなことが出来るなら、くれてやるわと言ったんだが……まだ山から帰って来ない……おそらくは、もう……」


 「親父ー!全滅させてきたぜー!!」

 「おお、あの声は!!帰って来たか心配させおって!!」


 店の外から聞こえてきた男の声。店主が喜色の笑みで戸口に走り……


 「げっ!ロイル!!」

 「おっ!アスカ!!」


 そこに現れた男に私もアスカも目を見開いた。それは相手も同じだが、彼らの方はほっとしたような表情だ。

 なるほど……通りで誰も私に驚かないはずだ。既に先客が居た。混血の、先客が。たぶんそう言うことなのだ。


 「お前らよく生きてたなー!」

 「笑って言うことか!!」


 武器が壊れてなかったらアスカの方からまた一戦仕掛けていそうな勢い。

 アスカの様子がおかしいことにロイルも気付き、遅れて現れたリィナを見、彼女が頷くのを見てにぃと笑った。


 「……親父、やっぱあれいらねぇーや。こいつに譲ってやってくれ」

 「おお、なんと器のでかい男だ!ますます気に入った!ならばお前さんにはこれをやろう!これぞ本当に非売品の非売品だ!持っていけ泥棒!!」


 店主が店の奥からいくつかの鉱石の入った袋をロイルに手渡す。


 「マジで?んじゃこれやるよ。退治の途中で拾ったんだけど俺青ってあんま好きじゃねぇーし」

 「な、なんと!!これは幻のブルーダイヤモンド!!お前さんはなんと無欲な男だ!」


 店主は感激のあまりロイルの手を取って感涙している。


 「単なる馬鹿だって絶対」


 ギースの突っ込みには全体的に同意したい気持ちもある。

 店主から報酬として受け取るはずだった鉱石をアスカへと投げ、ロイルは笑う。剣を壊したことが申し訳ない気持ちが三割、後は物足りなかったという不満が七割。


 「そいつで今度は丈夫な剣作れよアスカ。そんでまたやろうぜ。……今度はあんな幕切れじゃなくて、本気でとことん最後までやり合おうぜ」


 殺すつもりでやり合おうと、本当に楽しそうに彼は言う。殺人鬼と呼ばれる私にも解らない狂気が彼の内にはある。快楽殺人とも違う。殺すことが目的ではない。唯、本気でやり合う過程で死ぬならそれも仕方ないという戦闘狂の至る境地。

 アスカは戦闘狂ではないからそういう気持ちはわからないのだろう。それでも彼が東の人間である以上、逃げるつもりはないようだ。


 「……ああ。やってやるさその時は」


 剣士二人の睨み合い。ちょっとそれには私は付いていけない。何歩か下がったところから見ている。それはリィナも。

 彼女は私の視線に気付いて、私の方へと歩み寄る。そして抱えた袋の中から一掴み……それを私の手に握らせる。


 「リフルさん、これをどうぞ」

 「こ、これは……」


 山から採ってきたらしい宝石の原石だ。


 「新しい剣を作るのにもお金はかかりますよね?うちのロイルが本当、ごめんなさい。これはその費用の足しにしてください」

 「…………ギース」


 リィナから渡された原石。それをそのまま、ギースへと手渡す。


 「これは街の復興のために使うように、父君に渡してくれ」

 「リフル姉ちゃん……」


 彼はそれと私を驚いたように見比べる。


 「俺が、ちゃんと親父に渡すと思うのか?」

 「私は別に君に何もされていない。疑う理由はないよ」


 そう告げれば彼は何も言わない。小さく頷いて原石をしまった。


 「…………本当に、リフルさんは相変わらず優しい方ですね」


 そんな私と彼のやり取りを見て、リィナが苦笑する。


 「兄さんじゃ、逆さになっても出来ないやり方です」

 「…………リィナ。どうして……西へ戻って来ない?」

 「私とロイルは依頼を受けました。エルム君を助けるという依頼です。請負組織ですから、一度受けた仕事は最後までやらなきゃ駄目でしょう?」


 にっこりとリィナは私に当たり前のことを教えるように微笑んだ。

 そしてアスカとロイルのいがみ合いが続いていることを見て、私を店の外へと連れ出した。


 「半年前の依頼の通り、エルム君を守って救う。それがロイルの言い分です。勿論嘘じゃないですよ。半分くらいはそんな気持ちです彼も私も」


 半年前、ロイルがヴァレスタの下に付いたのは、エルムとアルムを解放させるためだった。そのためにセネトレア王(偽)に手を掛け、王位継承権まで失った。王子としての地位を犠牲にしてでも依頼を果たそうとした。彼は確かに立派だ。唯の戦闘狂に出来る事じゃない。彼は、戦うことが好きだが……決してそれだけの人間ではないのだとリィナは言いたいのだ。

 だから少なくとも半分は、と彼女は言った。


 「半分……?」

 「ロイルは私と違って優しいんです。あんな最低な男でもまだ何処かで好きなところがあるんです。だから兄さんを見捨てられない。……それにそうすることでアスカさんが本気で戦ってくれるでしょう?本当……ロイルは、馬鹿なんだから」


 戦闘狂といってもそれは彼の三割二割。他にもいろいろ考えている。それでもその三割二割に命を賭ける。平然と。命を投げ出す。

 そういう生き様を愚かと言いながら、そんな彼に惹かれる自分もまた愚かだとリィナは重いため息を吐く。


 「ねぇ、リフルさん。私はロイルが大切です。私よりも兄さんよりも、世界の誰より彼が大切です。貴方には、そんな人がいますか?」


 リィナは選んでいる。自分にとって一番大切なもの。それをもう見つけているのだ。


 「私は……」


 そこまで好きな人はいない。世界の何もかもを敵に回して、その全てを犠牲に捧げても構わないと誓えるほど、思い焦がれる人はいない。

 リィナの瞳は真剣だ。これが誰かを愛するということ。そういう人を見つけた人間の瞳なのだ。邪眼のまやかしになど狂わない。はね除ける意思と光の灯った瞳だ。


 「半年前の一件で、ロイルは城という後ろ盾を失いました。王位継承権を失ったと言ってもそれを信じていない兄弟も多い。兄さんという後ろ盾を得なければ、また……命を狙われ続けます」


 だから東から帰ることは出来ない。ヴァレスタの傍にいることで、ロイルの命の保証は為される。そのためにリィナはあの男に従っているのだ、半分はそんな理由で。


 「私は、そんな大好きな人を死なせたくない。大好きな人の願いを叶えてあげたい。私は……それだけなんです」

 「…………そうか」


 返す言葉がなかった。本気で人を愛する人は、それだけである種の狂人だ。その狂気を止める言葉はない。我を失うほどの情熱。それは悪でも正義でもなく、唯一途なだけの想いと切なる願い。

 とてもじゃないがそんな恋を知らない私には、彼女を止める術がない。彼女を責める言葉もない。唯、悲しく見送るだけ。


 「…………エルムを、どうか頼む。守ってやってくれ、全てから。私からも」

 「リフルさん……」

 「私は西を同じ目には遭わせない。そのためには、誰とでも戦う。私も、守りたいものはある。負けるわけにはいかないんだ」

 「……はい、任せられました」


 半分は彼を思ってくれているのなら、どうかと彼女に言葉を託す。私ではもう……エルムの味方になってやれない。

 あの子だけを必要として、使って、愛してやれるような人間にはなれない。私には今もまだ、彼が道具には見えないのだ。

 2年前に出会ったあの子は人間だった。私の目にはそう見えた。器用で不器用で、寂しがり屋の小さな男の子。あの頃のまま、生きられない彼の力になりたかった。それでもそれは……私には出来ないこと。


 「それから……彼に伝えてくれないか?」

 「はい、何ですか?」

 「救えなくてごめん。私はヴァレスタになれなくてごめんと……」

 「……わかりました」


 リィナは俯きながら、そう言ってくれる。だけど顔を上げた彼女は、涙に潤んだ目で私を見る。私を責める。


 「私は兄さんが嫌いです。でも、リフルさんは嫌いじゃありません。大切な……友達だと思っています」

 「リィナ……」

 「だから、兄さんなんかとリフルさん自身を比べないでください。兄さんは貴方にないものを持っていますが、貴方だって、兄さんが持てない素晴らしい物を沢山持っていますよ?」


 ロイルへの好きとは違う。それでも嫌いではないと、彼女は私に言ってくれる。こんな私を友人だと、言ってくれる彼女に私も泣いてしまいそうだった。


 「敵対者を全て従えることなんか出来ない。殺さなければ殺されるなら、先に殺す。支配地内を踏み荒らされて、プライドを傷付けられたならきっちりやり返す。それが兄さんのやり方です。だけどリフルさんは……そんなこと、しないじゃないですか!貴方がそう言う人だから……私は安心して貴方の敵でいられるんです」

 「……それは私を買い被りすぎだ」

 「そんなことありません!」


 リィナのその大声に、驚いた剣士コンビが店の外へと現れる。


 「おいお前、何リィナ泣かせてるんだよ!」

 「そういうリィナも俺の主泣かせてる気がするんだが」

 「リィナはそんなことしねぇよ!」

 「リフルだってしねぇよ!」


 そしてまた些細なことでいがみ合う。いつもはアスカがかわしているのに、昨日の一件以来アスカの沸点がロイルと同じレベルまで落ちている。いつもの余裕が見られない。彼も疲れているのだろう。


 「ロイルが遅いから愚痴ってただけよ」


 ナイスリィナ。その機転に私も頷く。


 「お前もお前だぞアスカ。ロイルとばかり話していて、主である私に寂しい思いをさせるとは」

 「わ、悪い……」


 私の言葉に、謝るアスカ。でも満更でも無さそうな顔をしている。男って馬鹿だ。

 ロイルも分かり易い私の言葉に、リィナの気持ちの通訳、代弁なのだと悟ったのか、少し顔が赤い。そして小声でリィナに謝っている。

 その陰で、リィナと目が合う。“男って馬鹿だ”……そんな意思の疎通がなった気がした。

 別れの挨拶もそこそこに、闇の中へ消えていく二人を見送りながら……アスカがポツリと呟いた。


 「そういやあいつら……どうやって東に帰るんだろうな?船あんのか?」

 「……さぁ、どうなんだろう」


 *


 「何あんた、勝手に人の部屋来るんじゃないわよ」

 「ノックしただろ」


 ロセッタが寝転がっていると、室内に黒髪の少年ギースが現れる。出かけると言っていたがもう帰ってきたのか。


 「俺、なんか邪魔みてぇだから先に帰ってきた」

 「まぁ、あいつら見てれば誰でもそう思うわよ」

 「…………これ」

 「何これ?」


 ギースに差し出されたのは石だ。結構重い。嫌がらせならぶん殴ろうかと思ったが……見ればなかなか綺麗な原石だ。


 「どしたのこれ?」

 「リフル姉ちゃんから貰った。街の復興のための金にしろって」

 「それならどうしてそれを私に寄越すのよ?」

 「うっせーな!立て替えたんだよ!解れよ!」

 「は?」

 「だからこれ、鑑定して貰ってそれと同じ値段、その倍俺の金を城に戻ったら親父に渡す。だからこれ、お前にやるって言ってんだよ!」

 「意味わかんないんだけど」


 何故そうなるのか。私にその分の金と交換してくれと言っているのだろうか?


 「……昨日は、悪かったって言ってんだ」

 「…………ああ」


 なるほど、これはお詫びのつもりだったのか。


 「混血だからとか、女だからとか……酷いこと言って、悪かった」


 俯いたギースに私は近寄って、手渡された原石でその頭をぶん殴る。


 「痛っ!」

 「目ぇ覚めた?」


 ふざけたことを抜かすこのガキは、しっかり言ってやらないとわからないのか。


 「あのね、あんた自分がしたことわかってんの?」

 「わ、わかってるからこうやって……」

 「私にじゃないわよ。これまであんたがやって来たこと。謝るのは私にじゃないでしょ?」


 私は未遂で済んだ。だけど済まなかった人達は大勢いたんだろう。


 「物とか金で人の気持ちとか傷ってのは治らない。だからあんたは一生後悔して、一生償い続けなきゃいけない。それが罪を犯した人間の生きる道よ」


 こんな物で、癒されて堪るか。私はそれをギースへ押し返す。


 「これはリフルの言ったとおりのことに使いなさい。いいわね」

 「でも……」

 「あんたの余生が後どのくらいあるかわからないけど、あんたは公爵継いで、今まで傷付けた人を救わなければならない。あんたと同じような阿呆から、他の人を守らなければならない。私があんたを殺さなかったのは、死んで楽に償わせてやる気がないからよ。あんたは犯した罪の分、苦しんで苦しみ抜いて大勢の人を救わなければならない義務がある」


 その手を引いて部屋の外まで連れて行き、彼を突き飛ばして戸を閉める。


 「わかったら安静にしてさっさとその怪我治しなさい。あんたはこれからやるべき事が沢山あるんだから」

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