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42:Perierat totus orbis, nisi iram finiret misericordia.

※やや注意回。いろんな意味で。

投獄されていた第二公の存在を、城の兵士達は知らなかった。彼の息子が新しく雇った人間だったのだろう。彼が本当のことを言っても、頭のおかしい爺が戯言を言っている程度にしか思われなかった。

だから今度牢に入れるのは、その兵士達の方だ。第二公の命令にも従わない以上実力行使に出るしかない。

主に任せると死人が出るので、アスカは進んでその役を買って出た。伸したところから、元受刑者達が牢へと兵士を運ぶ。そんな作業を繰り返し、ようやく城も静まった。


「…………っとまぁこんなところか。これも貸しにしとくぜ爺さん」

「まったく、手間掛けさせるんじゃないわよ」


再びウィッグを被った黒髪ロセッタも、俺のフォローをしてくれていたので、割合早く終わった方だ。しかしロセッタの機嫌は悪い。


「っていうか何あの馬放し飼いにしてんのよ。あれあの宿の奴らの馬じゃない」

「いや、何か乗せてくれたし。ついでだから攪乱のために暴れて貰ってたんだよな」

「確かに門番とか伸してはくれたみたいだけど、何でこの馬私に襲いかかってくるのよ」


それはお前が馬車横転とかさせたからだろう。そうは思ったがこれ以上茶々を入れたら俺まで要らぬ怒りを買ってしまう。


「今度私に刃向かったら馬刺しにしてやるから覚悟しなさいよ」


食料庫から持ってきたニンジンを与えると、暴れ馬はようやく大人しくなった。ロセッタの方の鼻息はまだ荒い。動物相手に何そんなに怒ってるんだよ。


「すまんな、兄さん達」


第二公が頭を下げる。


「私に言いたいことも聞きたいこともあるじゃろうが今日はもう遅い。とりあえず一旦この場はお開きとしよう」


そう言って老人は客室へと俺たちを案内する。元受刑者達にも自由に城内で寛いで貰うように言っていた。同じく囚われの身だったわけだから親しみもあったのだろう。権力を取り戻した途端外に追い出すようなマネをしないだけ、まだ人格者であると言えるのかも知れない。


(しかし……)


この爺さん、ロセッタが混血だってのを見て……そして自分の息子の一人が殺され、一人が重傷。一人は一命を取り留めたとはいえしかしよくもまぁ、こんなに落ち着いていられるものだ。


「んじゃ私一人部屋貰うから」


老人から鍵をひったくって、ずかずかと室内に侵入。老人に謝罪をしているリフルにお前のせいじゃないんだからほどほどにしておけと、俺たちも部屋を借りることにした。

流石は公爵の城。客室もなかなか立派だ。


「風呂まで凄ぇなこれ。疲れただろお前が先に……」


部屋のあちこちを散策し、立派な浴室を発見。早速主に勧めてみるが……


(ちょ……ちょっと待てよ)


考えてみればこいつとこういうシチュエーションは初めてだ。同室で寝泊まりしたことくらいはあるが、いっつも宿とか迷い鳥では違う風呂を使っていたし。

その理由にはこいつが毒人間だってこともある。風呂なんか入って、汗なんか流したら共用風呂なんか毒湯に変わる。

実際大量のお湯で薄められてるしその位で人が死ぬことはないだろうが、それがそれなりの回数続けば問題も発生するだろう。かといってあいつが入る度に大風呂から毎度毎度湯を取り替えるのも経済的にあれだからと、こいつは基本一人風呂しか使わない。

うっかり先にと勧めたが、こいつに余計な心配とかかけさせたりしないだろうか?やっぱり無礼でも疲れたから俺先に入るわとか言ってた方が良かったんじゃね?


「…………」

「あ、あのな!り、リフル!!」


ほれ見ろ。主が俺を不審そうに眺めている。かと思ったら、裏のありそうな悪女めいた微笑を浮かべた。


「そんなに狼狽えてどうしたんだ?覗く気でもあったのか?」

「な、何でそういう発想になるんだよ!」

「お前は何だかんだで私の女装が好きじゃないか」


否定する言葉が見つからないが、そこで肯定してしまってはいけないような気がする、人として。だんまりを決め込む俺に、主はまたあの顔で笑う。


「なるほど。それくらいなら別に減るものでもないとは思ったのだが、それ以上か。風呂のお湯を飲むのは止めておけ。お湯で薄まるとはいえ運が悪ければ毒で腹くらいは下すぞ」

「の、飲みませんっ!お前本当にどっからそういう発想出て来るんだよ!?」

「いや、魅了レベルが上がると禁断症状もその位なるのかと」

「どんな禁断症状だよ!」


いや俺も俺の自尊心だけはどんなになっても忘れずにいたい。そんなことして死んだりしたら天国の親父やマリー様に顔向けできない。とか思っていたら発想云々ではなく、前例があるとこいつは言う。


「現に先生は毒性の水質調査だと言って入浴中に窓から突然現れてビーカーと試験管に湯を入れて颯爽と持って帰ったぞ?」

「俺があいつを殺す理由がもう一つ増えたな」


元とはいえ相手は王子だっていうのに、無礼にも程があるだろうあの変態闇医者。身分は失ったとはいえ今仕えている相手にそこまでやってのけるとは、ある意味感心する。


「まったく。少しはお前も怒れよ本当に」

「別に減るものでもないしな」


失って困る物など何もないと言わんばかりの潔さに俺は頭を抱える。もう少し自分を大切にしてくれなんて、こいつがこうなった当事者の俺だけは絶対言えないことだけど。


「そうだな。よくよく考えればお前は毒への抗体もかなりある方だし、別に風呂くらいで死にはしないか。なんならお前も一緒に入るか?」


相手が男だと知っていても、相変わらず女装がよく似合う。っていうか俺こいつの裸どころか半裸すら見たことないぞ。頭では理解していても、実際脱がれたら実は女なんじゃないかとか馬鹿なことを考えてしまうくらい、こいつは本当に女装が似合う。だから肌なんか出されたらとてもじゃないが直視できない。


「え、ええええ遠慮しますっ!!や、やっぱ俺先な!」


逃げるように浴室へ駆け込む俺を、主はひらひらと手を振りながら見送っていた。後から冷静になって考えてみれば、あの発言自体が主の策だったんだろう。この俺を騙し討ちに遭わせるとは、あいつもなかなか強かになったものだ。俺が風呂から上がると、あいつは部屋にいなかった。

鍵はあいつが持っていったみたいだから、俺が外に出たら部屋の鍵を閉める奴がいない。否応なしにあいつが帰ってくるのを待つことになって暫く。城の散策をしてきたらしいリフルが戻る。


「何だよ。散策なら俺も連れて行ってくれれば良かったのに」

「そうふて腐れるな。その……ちょっと気になったことがあってな」

「気になること?」


俺がそう尋ねれば、主は硬く口を閉ざした。それでも俺がじっと見つめ続けると、観念したよう目を伏せる。俺はそこで意外な名を聞いた。


「…………公爵の息子のルナールという男の下で、エルムに会った」

「エルムに!?」

「……東とルナールは敵対していたらしい。何かその情報が残っていないかと思ってな」

「…………そんなら、不可抗力じゃなかったんだな」

「…………不可抗力だ。彼は私を助けるために、あの男を殺したんだ」

「違うな。東と敵対していたんなら、どっちにしろ殺すために来てたんだろ?」


俺が詰め寄れば、主は何も答えない。代わりに一冊の本を俺へと見せる。それはどうやら日記のようだ。


「彼の部屋から見つかったものの一つだ」

「いやでもまさか自分の悪行を逐一残す阿呆が……」


リフルからそれを受け取りパラパラと捲ってみた……そして俺は鈍い頭痛と目眩を覚えた。


「いるもんなんだなそういう阿呆が」

「ああいうタイプは絶対つけていると思ってな」


妙に確信めいたことを言う。でもまぁ確かに。俺はそのルナールなる男に会う前にそいつが死んだのでわからないが、こいつは実際会ったのだから俺より知るところもあるだろうな。


「ああいうタイプ?」

「ああ。父と兄を蹴落として公爵の座を簒奪するような男だ。虚栄心と名誉欲の塊は、自分が如何に優れた人間かという功績と記録を求める」

「なるほどな。一理あるぜ」


やるじゃねぇかと俺はリフルの頭を撫でる。その瞬間、びくっと主の身体が強張った。


「リフル……?」

「よ、汚れているからあまり触らないでくれ」


拉致られて馬車で運ばれたり、そんなこと全然無いと思うのだが、私に触るなと主が俺の手をはね除ける。今のが子供扱いだと思われたのだろうか?突然怒ったような複雑そうな顔になるリフル。


「お前はよく私のような者に気安く触れるな」

「……?毒に慣れてるってのはお前が言ったんじゃねぇか」


俺はこいつの最凶の毒、屍毒ゼクヴェンツに触れたことがある。以前こいつの毒に倒れた時に解毒として使われたことが何度かある。勿論解毒目的ではなく、本来の毒殺のためにその毒を用いられたなら俺も恐らく死ぬだろうが、その他の毒なら即死をやり過ごせるとは思う。しかし主は首を振る。


「そうじゃない」

「そうじゃないって?」

「……そういう意味じゃないんだ」


言い辛そうに、目を逸らし俺から離れて行く主。


「例えば……世の中には拒絶された方が気が楽だということもある。だから私は彼女のことはそういう意味では好ましいと思っているよ」

「なるほど。つまりそう言う意味では実は俺のことが嫌いってことか」

「そういう話でもない」


茶化そうとしたが乗ってくれない。かなり本気の話らしい。こいつが自分のことで思い詰めるなんて珍しい。こいつは他人のことで思い詰めることは多々あるが、自分のことは一歩引いているというか何もかも諦めた目をしている。こいつの動力源に、自分という言葉はない。


「……ちょっと思い出す事があって。それで……私は私が如何に薄汚れたものかと言うのをよく思い知ったよ。最近はお前が私を甘やかすから、うっかり忘れてしまいそうになっていたが……」


その言葉の響きは感謝とそして恨み言。矛盾した音を宿している。それは忘れてはならないことだと彼は暗に言っていた。


「そんな私の姿を知っていながら、嫌悪を示さないお前がとても変だと私は思う」

「……は?」

「言い方が悪かった。そういう風にさせてしまっているのが私の目なんだと言いたいんだ」


こいつは何を言っているんだ?嫌悪をお前に?俺が変?すべてお前の目の所為だ?ちょっと待てそれはおかしいだろ。お前がお前を嫌う原因を作ったのは俺の責任じゃないか。責めるなら俺だろう?

俺がお前の何かを嫌うとしたら、それは全てその目と自分の所為にするその考えだ。

だけどそれさえ、信頼にはならない。優しい言葉は全て邪眼の引き出す好意とこいつは疑わずにはいられないのだ。酷い言葉ばかりこいつに投げかける、ロセッタの方が俺より安心して話が出来るなんてそんなのどうかしている。


「どうして俺がお前を嫌わねぇといけないんだ?俺はお前の目なんかに負けてねぇし、仮に負けたとしても、それでお前を嫌う理由にはならない。お前はお前だろ?」

「……それじゃあアスカ。お前はアルムとエルムのことをどう思う?」


あの混血の双子。自分自身ではなく、そのそれぞれへの思いでもなく、二人の関係。主はそれを問うている。

エルムがディジットを刺したことではなく、そこへの怨みを今は忘れてそれだけ考え答えて見せろと彼が言う。


「お前はどちらが悪かったと思う?お前の正直な意見を聞きたい」

「そ、そうだな……」


言われて、考える。アルムとエルム。あの姉弟との付き合いは俺もそれなりには長い。少なくともリフルよりは、あいつらとは親しいと思う。

姉のアルムは世間知らずというか天然というかちょっと年齢よりも頭の中身が足りないというか。もっともそれは数術の代償だったらしい。そんなことを知らなかった俺にとってはは、姉のアルムの方が手のかかる妹と言った印象。失敗はとても多いが、それでも何処か憎めない愛嬌を持っている子だ。明るいく可愛らしい声と笑顔は店の雰囲気を良い方向に変えてくれる。だから彼女が沈むことはディジットや店まで静まるということで、ディジットの店にはなくてならない存在。

対するエルムは礼儀正しく落ち着いていて何でもそつなく真面目にこなすしっかり者だ。それ故超弩級ドジッ子姉さんの陰に隠れて陰と印象が薄い。

俺は洛叉の野郎のような趣味はない。ないがそれでも単品で見れば十分彼も可愛いとは思う。唯彼の方が弟だというのに、全くそこに胡座をかくことが出来ないのは哀れだとは思っていた。何でも一人で出来るから、人を頼ることとか甘えることを知らない可哀想な子だ。

そんな二人が禁忌を犯してしまうとは。言葉で言われても信じられない気持ちの方が強い。俺より年下のガキが、もう惚れた腫れたの言い出したかと思うと目眩がする。俺にとっては二人とも、本当にガキ。子供以外の何者にも思えない。男でも女でもなく、あいつらは子供。弱くて小さくて守られるための存在。それが今は殺すだの殺されるだのそんな物騒な世界に足を踏み込んでいる。二人ともカードだ。理解はしている。それでも、頭が付いて来ない。


「……そりゃ、襲われたとかなんとか言っても相手はあのアルムだろ?」


洗脳とかされやすそうなタイプだとは思うが、それで彼女自身が強くなるわけではない。思い切りが良くなるだけだ。二人は女と男。双子とはいえ身体的な差は現れる時期。現にエルムの方がアルムより背が高い。力だって彼の方が強いはず。なのにそれをしなかった、出来なかったのはエルムの責任だ。流された方にも責任はある。


「エルムだって男だし、その気になりゃ突き放せたんじゃないのか?」

「……お前がそう思うのならそうかもしれないな」

「第一子供に罪はねぇじゃねぇか」


トーラからもたらされた情報で俺は知ったが、あの時のエルムは腹の中の子供ごと、アルムを殺すつもりだったらしい。


「なるほど。それならお前の言う罪は誰にある?」

「そりゃアルムを洗脳したエルフェンバインとヴァレスタだろ。後は流されたエルムだろうな。出すもん出して、挙げ句の果てに責任取らねぇどころか殺しに走るなんて最低男だろ」

「そうだな。誠実なお前らしいもっともな意見だ。お前は何だかんだ言って優しいからな」


俺の言葉にリフルは頷いた。しかし再び顔を上げたあいつの瞳は冷たい輝きを宿していた。


「だが私は、とても……吐き気がするよ」


そして小さく微笑んだ。泣きそうな笑みだった。こいつは今傷ついている。それなのにその表情は、目が覚めるように美しい。

俺は間違えた。俺の答えはこいつへの拒絶の言葉となって届いた。だけど拒絶こそこいつが望んでいたものだっただろうに、その言葉に主はそんな目をする。


「それからアスカ。お前はいくつか忘れていることがある」


動けない。また、これだ。だけどこいつはそれを不思議がってもいない。今のは理解して俺の目を見た。


(邪眼の性質が変わっている?)


鼓動の高鳴りが魅了の所為なのか、それとも何らかの恐怖か緊張か。俺には区別が付けられない。


「トーラの情報から言うなら……第一に、エルムは怪我を負わせられ身動きが取れなかった。第二に襲ったのはアルムの方だ」


俺が動けないのを良いことに、主はゆっくりと俺の方へと戻ってくる。こいつはそんな俺を嗤っているようだ。


「第三に、二人は実の姉弟だ。禁忌の意味を正しく理解していないアルムは兎も角、常識を併せ持つエルムの方の拒否反応は日常からも伺い知れた。そんな二人が関係を持ったとして、その時……そして今回、彼はどんな思いになっただろうか?」


俺はその言葉にはっとする。ディジットを傷付けられたことで頭に血が上っていた。加害者の心なんて考える余裕がなかった。


(そうだ……あいつらは)


アルムはいつも「エルムちゃん大好き!」と彼への好意を公言してはばからなかった。それは幼い彼女が家族愛か姉弟愛と恋愛感情を履き違えているからだと誰もが思っていた。

その言葉にエルムはうんざりした表情で法律と常識を説いていたが、難しい言葉をアルムは理解できず、結局は「物知りなエルムちゃん格好いい!」となる。どうしようもない。

彼女を泣かせれば、立場が悪くなるのは彼だし、そうなればディジットを困らせる。だからこそそう邪険にも出来ず、溜息で適当に彼女をあしらっていた。

あの二人の関係は完全にアルムの方からの一方通行、片思いだ。しかし女は女であるが故、それだけで一つ武器を持っている。少女は女になる方法を教えられ、それで愛しの彼が手に入るならとまんまと騙された。或いはエルムもアルムが実の姉でさえなければ、もう諦めて彼女を受け入れたかもしれない。


(それでもエルムは……)


耐えられなかったのだろう。彼女と子供を殺して、自分も死ぬつもりだったんじゃないか?俺は理解していなかった。女だからって何もかもが許されるわけじゃない。そんな方法で手に入れた愛に恐らく意味などない。たぶんそれは愛でもない。それは唯の……情。依存という鎖だ。

俺が全てを理解したころ、主は俺をすぐ傍から見つめている。涙はもう乾いていて、傍観の目が俺を見ている。俺が悪かった。もう許してくれ。そう訴えようにも、声が出ない。謝る相手はたぶん、こいつだけではない。


「お前の言い分が正しいなら、例えばの話だ」


白い手が俺の首へと伸びる。その手が俺の首に絡みつき、更に近くから紫の瞳に見つめられる。

もうここまで来ると余計なことが考えられなくなって、唯その色が綺麗だなと見惚れるだけだ。誰に何を謝りたいのかもわからなくなる。この綺麗な人がたった今、この瞬間、俺だけを見てくれていると言うことに至福さえ覚える。


「お前は今、動けない」


そう耳元で囁かれて……抱き付かれ、俺は背後に倒れる。


「それで今、私はお前を襲っている」


背中と頭を打ったが、その痛みもすぐに忘れる。問題発言のはずなのに麻酔のような甘い声。


「もし仮に私が女なら、お前は今エルムと同じ状況だ。三つめの条件には当てはまらないが、その辺は主に手を出したとか私が男だとかそういう禁忌と背徳感で補ってくれ」


はっとそこで我に返った。それでもまだ身体は動かない。

俺はあの二人の比なんてものじゃない。こいつが知らないだけで、条件は三つとも満たされている。冷や汗が額に浮かぶ。それを恐怖と受け取ったのか鼻先触れ合いそうな距離であいつが俺を嗤った。


「これで出すもの出せば悪いのはお前になるんだったな?」


こんなに間近で見るその笑みが、もう女にしか思えなくて今度はどうにかなりそうだ。

頭では分かっていても、未だにこいつが男だというのが信じられない、納得できていない俺がいるのだ。再び邪眼に魅せられて、判断力が鈍っている。

変装のウィッグと硝子は外されていて、元の流れる銀色の髪がそこにある。その奇跡の色のなんと美しいことか。

その髪と同じ色……首元で揺れる、他の男から贈られた十字架。ここにいなくても、我が物顔で所有されているようで、この女の心はそいつに向かっているんじゃないのか?

そんな相手が今俺を見ている。このまま抱けば、この女が俺の物になる。それは甘美な誘惑だ。そうだ。こいつだって、子供が出来たならその子を残して死ぬような無茶はしないだろう。そうだ。それで何もかもが……そう思うと歓喜に胸が震える。

俺はもう完全に魂を抜かれていた。その人は手招くように優しく笑い……俺の頬を思いきり引っ張った。


「い、痛てててててててててててっ!!」

「やっと正気に戻ったか」

「な……っ!?」


自分から迫って来ておいて俺を危ない人扱いですか。そうですか。いや、確かに一瞬思考やばい方向に飛んでたな。恐るべし邪眼。やっぱり間近で見ると害があるのは間違いない。寿命が五年くらい縮まったような気がする。


(どうかしてる、俺……)


先程までの俺には、こいつが完全に女に見えていた。今だってこいつが女じゃない事を思いだして、少し後悔している。主だろうと王女だろうとこいつが女だったら、俺完全に手出してたわ。それを確信して嫌な気分になった。


「少しは襲われた側の気持ちを分かって貰えたか?」

「ま……まぁ、一応は」

「そうか、それなら良かった」


性質の悪い冗談だったのだろう。からかわれた。そう思うのに、何だか拍子抜けした気分。

むしろ魅了されて骨抜きなって喜んでましたなんて言えない。口が裂けても言えない。

そんな発言は慎んだ方が良い空気があったので俺はその言葉を飲み込んだ。


「もっとも……二人がああなる前に救えなかった私には、アルムのしたこともエルムすることも……咎められはしないがな」

「……エルムのすること?」

「エルムはもう、人殺しに躊躇いがない。恐らくこれからはヴァレスタの道具として使われていくはずだ」

「……公爵の息子って奴を殺したの、……お前じゃなくて、あいつだったのか?」

「別にそうとは言っていない」


とてもじゃないがそんな言葉は信じられない。そう長く見たわけではないから記憶に薄いが……思えば傷口もおかしかった。付着した血液の方向を見れば彼は背後から刺されたように見えた。そして思い返してみれば、それはこいつの短剣よりも大きな傷口。


「なんだってお前はそんなにエルムの肩ばっか持つんだよ?」

「…………彼は私なんだ」

「は?」

「……なっていたかもしれない私なんだ」


その言葉に……俺の頭の中にこいつとエルムの顔が浮かんで……けれど重なる部分は何もない。だからその意味が分からない。


「……アスカ、私は何故エルムがその元凶の一人であるヴァレスタに付いたのかがずっと疑問だった」


主はさっさと自分は椅子へと戻って腰を下ろす。机に頬杖をつく彼は何だかとても頼りなく……小さく見えた。


「だが今日彼と会って、わかったんだ」

「わかった?」


俺も起き上がり、主に続く。


「彼はもう人間じゃない。彼は……奴隷という生き物だ」

「何言ってるんだよ。奴隷だって人間だろうが」

「…………身体はな。彼は心が奴隷だ」


心がとは、俺の主は妙な言い方をする。その違いを問えば、主は小さな溜息の後にゆっくりと答えてくれる。


「身体が奴隷でも心が人間でいたいと願う者なら私は助けるし助けられる。それでもその逆は、何も出来ないんだよ私には。彼は奴隷、道具で居たがっている。あの男は道具としてはエルムを愛してやってくれているんだ」

「あ、愛ぃい?いやいやいやいや、あれは金以外に興味持たないような奴だろうぜ。見るからに金の亡者だろ」

「道具への愛情は、使ってやることだよアスカ。道具は必要とされるだけで嬉しいものなんだ」


妙に確信めいた口ぶりでリフルは言う。まるで自分のことを物語ってでもいるかのように。


「命令を与え、所有し傍に置く。それが……それだけが今のエルムの生きる糧なんだ」


壊されていく。築かれた罪の意識も常識も。悪に染まったあの悪魔によって。そんなもの取るに足らないこと。そもそも奴隷に悩む頭などあるはずがない。ならば下らん悩みは捨てろと、こうしてまた彼に命令を下したのだ。


「殺せば殺すほど、何が良いことで悪いことなのか分からなくなる。その内主に褒められること、喜ばれることが正義。その反対が悪という認識になってしまうんだ。道具という生き物は」


価値観が変わる。世界が変わる。喜びも悲しみも概念から覆る。


「私はエルムに言われたよ。ならヴァレスタと同じ事が出来るのかと」

「……そうか」

「彼を人として救いたいと思うのは、彼の求める答えじゃない。余計彼を悲しませるだけだ。私は彼だけを見ていることは出来ない。それでは彼への救いにならない」

「お前に出来ないこと……そんなの、誰にでも無理だろ。ディジットだって……出来なかったんだ」

「それでもあの男はエルムを救ったんだ。罪深いあの男でも……そんなあの男にしか救えない人間が居たんだ」


正しいことをやっていれば、何もかも上手く行くとは思わない。だからこそこいつは殺人鬼。悪いことをやって、それでも救えるものがあるからと手を汚している。

そう。その道理なら、あの金の亡者にしか救えないものがあるのも何も不思議な話ではない。唯……俺の主は、自分の無力が悔しいとそう嘆いているだけだ。


「だからアスカ。お前は私を見るな。もっと広い目で、世界を見てくれ」

「どうしてそこでだからになるんだ?」


お前は切れる男なのに、私のこととなると正常な判断能力を失う。それはあまりに勿体ないと主が溜息ながらに俺を見る。


「二年前の私は、今のエルムと同じだった。そこから私を立ち直らせてくれたのはお前だアスカ」

「…………」

「……エルムがそれを望んでいる以上エルムはもう無理かも知れない。それでもお前はあの男と違う方法で、私や彼のような奴隷を人に戻してやれる。それは誰にでも出来ないことだ。誇って良い。それはお前の力だ」


エルムを人に戻すことが出来る可能性。それを自分たちの中で持っている唯一の者がお前だと主は俺を見る。だけどそんな風に褒められても全く実感がない。自信もない。無理だと確信している俺が居る。


「違う……俺はそんなんじゃない」

「……アスカ?」

「誰にでも同じ事が出来るかよ!」


そりゃある程度なら力になるだろう。それでも俺だって考える。無関係の人間、見知らぬ他人、親しい人間、それでもそれぞれやれる範囲がある。諦める場所がある。依頼ならなんでも引き受けるとかそんな真似はしない。俺だって引き受けない仕事はあった。基本的に俺が引き受けるのは自分に出来ると確信できる範囲内だ。セネトレアに来たばかりの頃、高額な報酬に目が眩んで危ない真似をして、それじゃあ駄目だと気がついた。治療費で金が飛ぶようなやり方じゃ意味がない。第一お前を見つける前に死ぬわけにはいかなかった。


「お前は元々人助けのための請負組織だったじゃないか。お前は仮にあれが私でなくとも同じ事をしただろう?」

「しねぇよ!!」


思わず怒鳴ってしまった。その声の大きさに驚いたのか、リフルが目を見開き言葉を無くす。それでも言葉を押さえられない。


「なぁ……俺には邪眼なんてねぇのに、どうしてお前はそんなに俺を美化するんだよ?」


俺はあれがお前じゃなけりゃ、あんなに親身にならなかった。お前だから……俺は。命も人生も、俺の全てを賭けるに値すると思ったんだ。玉座も王冠もなくても、お前が俺の王だ。俺の王はお前以外に居ないんだ。


「なぁご主人様、お前はエルムの気持ちが解るんだろ?それならお前に仕える俺のことだって解ってくれよ。俺だってお前に命令されたい、願いを叶えてやりてぇ。力になりたい。ずっと傍に置いて欲しい。俺だってなれるものならお前の道具でいたいさ!」

「あ……アスカ」

「お前は俺を人間として見て、人としての俺の幸せばかりを考える。だけどな俺は道具だ!お前の道具だ!道具の幸せは人間様とは違うんだよ!どうしてお前はいつも……いつも、いつも!俺を遠ざけようとするんだよ!?」


俺にとってはこんな当たり前のことなのに、それがいつも伝わらないのがもどかしい。それで二度とこの人を見失わないなら、人間止めても良いんだ。どんな姿に変わっても、近くでこの人を守れるなら、俺は俺を無くしても良い。

テーブルに叩き付けた両手の痛みさえ、今は全く気にならない。


「な、何も泣くことないじゃないか……」


取り乱した俺に困ったような顔のリフル。言われるまで気付かなかった。俺は泣いていたのか。何て情けないことを……

それでもその情けなさが、もたらしたものもあった。


「……わかった。お前がそこまで言うならお前のことに関して私もそう五月蠅くしないことにする。お前の生き方も幸せもお前が決めて選ぶと良い」


主は観念したように小さく溜息を吐いた。それで机の向かい側から身を乗り出して俺の頭を撫でる。完全にあやす体勢だ。俺の方が子供扱いされているのは釈然としないが、その手がその姿がマリー様に重なって見えて動けない。それでも笑い方があの人とは違う。魂も人格も別物だから、顔が似てても浮かぶ表情は全くの別物。


「ところで私もそろそろ風呂にでも入りたいのだが?しかしどうしても離れたくないと言われるとお前に背中でも流して貰わなければならなくなるな」


お前も顔を洗いたいだろうし付いてくるか?と聞かれたが、俺は勢いよく条件反射の如く首を横に振った。そんな俺を見て、リフルが吹き出した。


「遠慮します。って何笑ってんだよ……?」

「だって、そんな立派ないいえが言えるんだ。やっぱりお前は人間じゃないか」


……返す言葉もなかった。

浴室へと消えていく、リフルと入れ替わりで室内に現れた精霊フィザル=モニカ。そう言えばこいつ今の騒動の際ずっと姿を見せなかったな。


「……お前完全に聞いてやがったよな?」

《いや、惜しかったわね》

「惜しいわけあるか!!」


他人事だと思ってハラハラドキドキしながら覗いていたらしいこの精霊。精霊の癖に全く清らかさを感じさせないのはどうしてなんだ?


《でもまぁアスカニオス、あんな情けない口説き文句じゃ誰も落とせないわよ?その辺はアトファスを見習って………》

「モニカ……?」


そこで固まる精霊。何かを思い出したのか。


《いや、アトファスもこっち方面は駄目だった。そう言えば……》


モニカは頭を抱えている。


《私の入る隙がないってくらいお熱い癖にアトファスが奥手だから全く進展無くってあのクソ女が誘いに誘って押して押し込み外堀埋めて、最終的にアスカニオスが生まれた時はがっつり騎●位だったような気がするわ……あの姫、処女の癖に淫乱ってよっぽど鬱憤堪ってたのね》


マリー様が淫乱。俺の母さんが淫乱。処女だったのに淫乱。お姫様なのに淫乱。初回から●乗位。何か悲しいようなそんな痴態に少し胸が躍るような、ついでにあいつを思い出して少し納得するような不思議な気分だ。マリー様の血なのかあいつの淫乱属性。

しかしエロい話は俺も好きだが、身内の生々しい話を聞くと無償に死にたくなるのはなんでなんだろう。


(ていうか俺の出生を汚すな!マリー様を汚すな!……でも親父は割と早そうなイメージあるんだがどうだったんだ?)

《アスカニオスも素早さ高いし早そうよね》

(お前人のパラメをどんな目で見てやがるんだよ……)

《でも相手があの子ならねちっこい遅い系か、早くても持久力と連射スキルあれば喜ばれるんじゃない?》

(黙れっ!俺の主まで汚すな!)


風呂場のリフルに聞こえないように小声で怒鳴った。これ以上精霊が余計なことを言わないようにその口を両手で塞ぐ。塞ごうとするが相手は風の元素の塊なのですり抜けられ手逃げられる。それでも俺が睨めば、はいはいと溜息一つで防音数式を張ってくれた。

まだ言い足りないことがこいつにはあるようだ。


《まぁ脱線したけど、それで奥手のアトファスも結婚前のお姫様に手を出したってなればもう腹切るかって覚悟で処刑を願い出たんだったわ》

「親父……」


なんか性格全然違うのに、変なところで俺に似ている。やっぱり親子なんだなぁと思って少しだけ嬉しくて……そして悲しくなった。


《まぁ、シャトランジア王もアトファス気に入ってて元々あの女嫁がせる気だったみたいだし?責任取れよっていうかむしろGJ我が娘って感じ》

「何か策略の一環で俺が生まれたと思うと悲しくなるな……」


お姫様ってもっと清純なイメージがあったのに。そんな唯の女みたいな言い方されると俺も凹む。


《馬鹿。アスカニオスの場合はその双子の子の件とは違うわ。言ったでしょ?悔しいけどマリーとアトファスは誰の目から見ても相思相愛だったんだって》


あれでは生殺しだ。手を出さない男の方が悪いと、精霊は珍しくマリー様の肩を持つ。


《そりゃ婚前交渉はあまりシャトランジアでは喜ばれる事じゃないし褒められることじゃないけれど、そうでもしなきゃあの男求婚なんか出来なかったわよ。今のアスカニオスと同じで、あの女を神格化神聖視し過ぎていたんだから》

「親父……」


親父……お前もか。俺のへたれなところは多分親父の血のせいだ。余計なもん引き継がせやがって。


《まぁ、だから私的にはあの冗談が本当になれば良かったのにって思うくらい。アスカニオスはリフルちゃんを、あの王子さまを神聖視し過ぎ》

「あのなぁ……」

《本人は自分がそんな目で見られるようなものじゃないって思っているからそれが苦しいのよ。貴方はあの子を人として見ているつもりで、人として見ていられていないんだわ》


セクハラ精霊の癖に、妙に的を射たようなことを言う。


「俺があいつを……人として見ていない?」

《私もアトファスの忘れ形見を不幸にさせたいわけじゃないから、一応忠告して置いてあげるけど。貴方もう少し自分の気持ちに気付かないと、後で絶対後悔するわよ?》

「後悔?俺が……?」

《貴方があの子を見る目は、はっきり言って異常よ。貴方がそれを認めていないのがそれを更に危うくしているの。あの子が心配しているのは貴方のそういう所よ》


距離を置かれるのは、その所為なんだと指摘される。俺たちの前に姿を現したのは先日だが、これまでずっと俺たちを見ていた観察者から言われる言葉には強い説得力がある。


《あの子は貴方の嘘を信じる。そして本当を疑う。それはアスカニオス自身、嘘を本当だと思い込んでいるから》

「俺が嘘を吐いてるって?そんなの……」

《だってアスカニオスはあの子が好きじゃない》

「そりゃあな。俺の自慢の可愛いご主人様だぜ?」

《そうじゃないって言ってるのに、もう……!どうして貴方はそうやって言葉遊びで逃げるのよ!?そんなに自分の心を認めるのが怖い!?》

「お前もセネトレアの俗習に染まりすぎたんじゃねぇか?人の好意やら愛を何でもかんでも恋愛感情やら肉欲に結びつけようってのはあんまりにも下世話だぜ?」


これだから女はと肩をすくめれば、これだから男はと溜息を吐かれた。


《でもまぁ、そのアルムって子のやることも解るわ。私だって人間の女だったらそれでアトファス寝取れたんならそうしてたわよ》

「言い切るなよな」

《言い切るわよ。女は力で男に叶わない以上、物にするには頭使わないと》

「なるほど……だからお前は精霊なんだな」


口では言うが、実際行動は出来ない。愛する者の幸せを願って身を引いたんだろう。それだけには終わらず、その男の子供である俺の面倒までこうして見ていてくれるのだ。それはこいつが人間じゃないから、出来ることなんだろう。


《褒めてくれたって、これはあげないんだから》

「ん?なんだそれ……ってああああああああああああああああああ!?」

《これ?さっき貰って来たばかりの数術代償よ》


精霊がひらひらと俺に見せるその布は……面積の薄い、女物の下着だった。両脇が紐になっている。俺にはちょっと刺激の強い下着だ。


「ばっ馬鹿野郎!なんつーことを!!本気でやりやがったなてめぇ!!って言うかなんであいつもあいつで女物なんか……」

「女装するには下着から。そこまでやらなければ意味がない。スカートを捲ってみて男物だったら相手も萎えるだろうが。私の暗殺相手は毎度毎度女装少年性愛者ではないんだぞ?そこを邪眼と衣装で誤魔化してだな……異性愛者でもその気にさせて毒殺するのが私の仕事であって」


背後から聞こえた解説に俺は青ざめる。恐る恐る振り向けば湯上がり主様。下ろされた髪は湿り気を帯びていてちょっと長く見えるし、風呂上がりのためか白い素肌がほんのりと赤くなっていて妙な色気がある。思わずごくりと生唾を飲み、何やってるんだ俺はと省みる。


「お、お前なんつーもの渡してるんだ!着替えは大丈夫なのか!?」


俺はとりあえず怒鳴ることで動揺を隠した。しかしその言葉に俺の動揺は広がる。下着をこいつに渡したって事は……こいつ着替えを持っていったようには見えなかったし……まさか。ドレスの下の宇宙はどうなっているんだ。まったくけしからん。


「気にするな。換えならある。変装時は二枚重ねがデフォルトだぞ?」

「あ、そうなのか?」

「ああ。彼女に渡した物の上の物がまだあったしな」

「余計悪いわっ!!」

「衛生面は私に問題ないじゃないか。何をそんなに怒っているんだお前は」

「倫理的にアウトなんだよ!!」

「歩く18禁と名高い私に今更何を」

「お前今で18だろ!18以前からその称号持ってるのが十分アウトだって言ってるんだって!」

「アスカ、ここはセネトレアだぞ?」

「う……。そうだけど、そうだけどな!!お前一応王子様だろ!そんな危ない属性ばっか身につけてどうするよ!?」

「奴隷時代の私を知らない面々の前なら兎も角、どうしてお前の前でわざわざ清純な振りをしなければならないのか理解に苦しむ。お前はトーラの情報で、私の過去を見ただろう?」

「そりゃあ……、まぁ不可抗力で」

「ならば欲求不満の私が猥談くらい口にしたって良いじゃないか。ロセッタは怖いしあまり変なことは言えないからちょっと鬱憤が溜まっていたんだ!少しは私の猥談に付き合ってくれてもいいだろう!?お前はそんなに友兼部下甲斐のない奴だったか?」

「お前のその顔でそういう言葉が出る度に、俺に与える精神的苦痛をお前は知らないだろ!?結構理想と現実のギャップに傷つくんだぞ俺も!!」

「よかろう。それでは勝負だアスカ!」


え、なんでそうなるの?疑問符を浮かべる俺に、主は風呂でのぼせたのか少し様子がおかしい。


「お前なんか風呂上がりで変なテンションなってないか?」

「この枕投げでお前が勝ったら私はお前の前で今後一切猥談をしない!」


それでもこんな条件を出されたら飲むしかない。

俺だってこいつと猥談をするのは嫌いじゃないが、身内の話を聞かせられるのは辛い。話のネタがこいつ自身の自虐ネタだと聞かせられている俺が困るのだ。少なくともそれだけは止めて欲しい。神聖視というか聖域が、やっぱそう言うものが俺のこいつへのイメージの中にはあるんだ。そこを汚されるのはこいつ本人でも俺にとっては苦しい。俺の脳内の勝手な想像を片っ端から切り捨てられて行くのは。


「……よし。受けて立つぜ」

「それでは負けた方がここ最近の夜のおかずを白状すると言う罰則で」

「いや、普通にそれ負けられねぇよな」

「私は別に聞かれても困らないがな。お前が勝つ気ならさっさと投げろ。当たった時点で私の負けだ」


こいつが俺の攻撃を避けられるとは思えない。こいつ最初から負ける気で。やっぱり俺の主は素晴らしい人だ。

そう思った瞬間に、主はあの悪女めいた笑みを浮かべる。


「その代わりその時は猥談相手として洛叉の所に通い詰めるが問題ないな」

「問題しかねぇええええええええええええええええええええ!!!!さっさと俺を倒せぇええええええええええええええええええええええええ!!!」

《……アスカニオス、格好悪い》


精霊が俺の無様さを端的に表現してくれた。




(以上が今日の報告です)

《なるほど》


何がなるほどなのだろう。私にはさっぱり解らない。いや、でも国のトップの考えるようなこと、私がそんなに簡単に解っても困る。解らなくて良いんだとロセッタは自分を納得させる。それでも脳内に聞こえてくる神子の声は、機嫌良さそうに響いた。


《しかし第二島の件はこれでどうにかなりそうですね。まだまだ問題はありますし、後ろ盾にというのは無理でしょうが、背後から責めてくることはおそらくありません》

(でも、それでは戦況としては苦しいのでは?)

《人を割けない分は代わりに触媒でも貰ってきてください。西の強化に役に立つはずですよ》

(……わかりました。それでも良いのでしょうか?)


神子様の言葉をしっかりと胸に刻みながら、それでも私は気になるところがあった。


(リ……Suitは、甘すぎます。私はこの城からまだ匂いを感じるんです。第二公が私への理解を示したのも胡散臭いったらありません)

《そうですね。此方の情報では厳格な純血至上主義者ということでしたが……何か裏がありそうですね。引き続き油断せずに、彼らの監視をお願いします》

(解りました)


そこで仕事の話は終わった。神子様は伸びをするような声を出し、疲れを顕わにする。


《いや、それにしても旅というのは疲れるね。ロセッタは大丈夫?》

(ええ、近距離でしたし)

《僕もカーネフェルに来てから本当忙しくて。今日は野宿で明日からは馬車旅ですよ》

(み、神子様に野宿を!?なんて畏れ多いことを!!教会はどうしてるんですか!?)

《いや、奇襲で教会も焼かれてしまって。いや、でも野宿なんて久しぶり過ぎて違和感を覚える辺り僕も贅沢病に掛かってしまったんだなぁと思うと情けない》

(……申し訳ありませんイグニス様)


上司が野宿なのに、私豪華な部屋陣取って一人部屋で一人ででかい天蓋ベッドです。


《いや、今日は君も疲れただろう?働いたんだからそれくらいの報酬は当然だよ。僕のことは気にせずゆっくり休むと良い》


だけど心優しい神子様は、私にそんな言葉を返してくれる。通信はそこで途切れた。神子様も疲れているのだからあまり報告が長引くのも良くないことだ。私もそこで頭の中を切り換える。


「はぁ……」


身体を洗ってすっきりしたはしたが、まだ血の香りが鼻から離れない。

血の臭いは好きじゃない。思い出す風景が三つあるから。そのどれも決して明るい記憶ではない私にとって。


(なんだか嫌な感じだわ)


事もあろうに私を止めたのはあいつだ。あの男だ。Suit。二年前、私に血の海を魅せた男が。

今日血の雨を降らせたのは私。この二年で私も落ちるところまで落ちてしまった。


「いくら神子様の命令だからって……」


よりにもよってあの男の傍に私を送り込むことはないじゃない。私は何をやって居るんだろう。そう思う。神子様のため。ひいては世界のため。それでも納得できないものがある。

酷く惨めだ。私が。


別にそれはあの男の所為じゃない。それは、ここ数日で既に痛感している。それでもその切っ掛け。あの男との出会いが全ての始まり。そう思うと、私は……リフルを怨まずには居られないのだ。あいつがもっと殺人鬼面をしてくれていればそれも容易いことなのに。何なのだろうあの男は。人殺しの癖に。人殺しの癖に。

家族が悲しむから、あいつを殺さないでやってくれ?そうやって、お前が許すから……

私はこんなに惨めな思いをするんだ。


「何なのよ……あいつ……」




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