41:Homo proponit, sed Deus disponit.
「エルム!」
階段を下る少年を、呼び止める言葉はない。だから呼べたのは名前だけ。唯、このまま彼を行かせて良いものか、解らなかった。
だからリフルは言ってしまった。何を言っても今更で、余計な言葉なのだと知っていたのに。
「君は、それで……本当に良いのか?」
「…………もう後戻りなんか出来ないんです。俺にはもう……あいつしかいない」
「そんなことは……」
「それなら貴方が、俺を道具にしてくれますか?何があっても傍に置いてくれますか!?出来ないですよね。貴方はもう、いろんなものを持っている。何か一つ、誰か一人なんて貴方は選べない人だ」
出来ないのにそんな言葉を吐くな。同情されたい訳じゃない。そう強く睨み付けられる。
彼の紡ぐ悲しい言葉を止めたいと思っても、その術がリフルにはない。奴隷だった自分だからこそ、痛いほどその言葉が分かってしまう。
道具は使われることが喜びだ。それがどんな用途でも、命令こそが至福。それが人殺しでもだ。エルムは完全にあの男に依存している。それは瑠璃椿だった頃の自分を見ているようだ。
嫌われたくない。軽蔑されたくない。それなら、自分の汚い一面を、醜さを。それを見、理解しそれでも見限らない相手がいたならば、その依存を断ち切るのは不可能だ。もしも私が、お嬢様に、アスカに軽蔑されて捨てられたなら……どうなっていただろう。誰でもいい。こんな私を必要としてくれる人がいたなら、骨抜きになっていたはずだ。
奴隷は人ではない。人が人ではなくなること、だから奴隷は精神が不安定。道具か人か、その狭間で自己を見失う。奴隷にとって命令とは、朧気な視界をクリアにしてくれるもの。まっすぐに立って歩いていられるような標なのだ。
「エルム……」
道具としてでも必要とされたい。傍に置いて欲しい。何でもするから。だから愛して。必要として。気が向いたときだけで良い。私を見つめて。笑って欲しい。それだけ……それだけでいい?
何をやっても見つめて貰えず、片割れに愛を奪われ続けた。この子は、心が飢えている。とても追い詰められている。
「……それでも人間なんだ。私も……君も」
「違います。俺とリフルさんは全然違う」
「エルム……」
「貴方は見える人だ。人の視線を集める人だ!だけど……俺は見えない奴なんです。人の目は何時だって僕をすり抜けてきた……僕を見つけてくれたのは、ディジットとあいつだけなんだ!」
その言葉一つで、彼の気配が消えた。目を凝らしてももう見えない。闇に解けるように消えていく。耳を澄ませば足音が、息づかいが聞こえそうなのに……私にはわからない。
数術か、彼の力かわからないが恐ろしい力だ。見つけようとして見つけられるものじゃない。たぶんこうして私が視線を彷徨わせていること自体彼を傷付けていることだ。
「……いつか絶対、泣くのは君だ。君は人間なんだ。それじゃあ……満足、出来なくなる!大事な人なら尚更だ!」
目を閉じて、そう叫んだ。見えなければ彼が見つかるかもなんて、馬鹿な考えに縋って。だけどそんな馬鹿な考えにも、意味はあった。微かに彼が息を飲むのが聞こえた。
「君に……耐えられるのか!?そんなの……」
もっと傍にいたい。もっとこっちを見て欲しい。今と同じが明日も明後日も変わらず続いていく。それが道具と人の関係なら、それは絶望だ。今以上に至ることは決してない。傍にいることで与えられた心により、道具は変わっていくのに。どんどん人になっていくのに。それでも道具と呼ばれ続ける。胸の痛みが訪れる。
「そんなのっ、私だって無理だ!!」
「だから貴方は誰も……必要としないんですね」
誰か一人、何か一つを選べない。本当の意味では誰のことも好きになんてなれないんだと、残されていく言葉。それが胸を刺す。
「貴方は、あんなに必要とされているのに」
「わ、……私は」
「僕には……俺には選べない。あいつだけなんだ」
見つけてくれるのも、必要としてくれるのも。もう彼一人しかいない。閉じられていく狭い世界。他の何もかも全てどうにでもなればいい。いっそ壊れてしまえば余程今よりマシに笑える。そんな悲しいことを言うのに、聞こえた彼の言葉は……鼻歌でも歌うような明るい響きを持っていた。
「エる……っ」
それでも、手を伸ばして……目を瞑っていたことを思い出した。
私の手が掴んだのは彼ではなく、石の冷たい温度。階段から転げ落ちたのだ。かなり痛い。痛覚が戻って来ていたことを忘れていた。
「…………」
何やってるんだろうな私は。ちょっと泣きたくなってきた。
「今の、人の声か!?」
「押すな馬鹿!」
「おお、あれは確かに……」
何やら騒がしい。辺りを見回せば……ここは階段の下。右も左も牢のようだ。
「そこのお嬢さん!ストップ!そうそのまま動かないでくれ!」
「いや、違うこっちだ!視線を反対側に!あっちに!そう!良い感じだ!」
「……あの、何してらっしゃるんですか?」
何やら鼻息の荒い声援のする方を向けば、床に顔をくっつけた老人と男の一団が目に入る。
その視線が私のドレスの下に向いている。
もう少しでスカートの中が見えるぞとかなんとか言っている。いや別に減るものでもないしいいんだけど。実際見せたら半分くらいの人はがっかりするんじゃないだろうか。いやでもその後邪眼で見つめたら9割陥落できるだろうけど。っていうかもしかしてこの人達性犯罪か何かで投獄されたんだろうか。どんなことしたんだろう。何かすごく凄いことでもしでかしたんだろうか?ちょっと実演してみてくれたりとか……って私は何を考えてるんだ!
(……あの頃の弊害だな)
あの宿屋の主人に飲ませられた薬は、屋敷での奴隷時代に何度も盛られた薬と同じ。だからあんな昔を夢に見た。
あの頃はほんと凄かったからなぁ私も。性的な意味では最盛期だよな。当時盛られた毒薬と媚薬で毒人間として完全体になるわなんだで、今じゃ完全禁欲生活強いる羽目になってるんだが。最近欲求不満なのは否めない。それも行きすぎると幻聴まで聞こえてくるから困る。毒素でも溜まるんだろう。毒で死なないにしても、体内の毒の濃度が高まれば精神を病むのは間違いない。
それはともかくとして、まずは毒だ。今となっては手がかりがなかったあの毒。この島と何か関係あるのだろうか?グメーノリアは緑豊かな土地だ。毒草なども生えているだろう。
少数ながら毒物や薬品の生産ルートがあるのかもしれない。
(私の怨むべき土地が、まだ他にもあったとはな)
「ところでそろそろ起き上がっても良いですか?」
「後生だお嬢さん、あともう少し足を伸ばしてくれ!そうすれば見えそうなんじゃ楽園が!!」
ここにアスカが居たら違う方の楽園に突き落としそうだなこの人達。さっきは取り乱したから変な妄想をしてしまったが、よくよく考えればパンチラ程度をご所望の連中だ。そんな大それた罪は犯していないだろう。
「あなた方はどうしてそんなところに居るんですか?」
「それは……」
「何だ騒がしい……」
見張りがやって来た。声の方を振り返れば……鼻血を吹いて倒れていた。床に鍵が落ちる。
タロック女は少ない。故にタロック人の男は女に免疫がない奴が多い。変装とはいえ女装とはいえ、タロック人の女に扮した人間が見えそうで見えない角度を保っていたのだからそれは驚くだろう。この血の量だとしばらくは起き上がれないだろうな。冷静にそれを分析していると、牢の中で歓声が上がる。
「でかしたお嬢さん!ここを開けてくれ!!」
「まぁいいですけど……あなた方は何をした人なんですか?」
「ああ、そうじゃったそうじゃった。我々は……混血と関わった人間なんだよ」
*
「こっちこっち!この先だぜ兄ちゃん!」
「……本当にここに第二公の跡継ぎがいるんだろうな?」
ロセッタが少年に案内されて来た場所は……
(こんな裏道があったなんて……)
グメノリア公爵の居城。森から通じたその道は、丁度城の裏に出る。しかしなかなか迷いそうな場所。そこを迷わず行き来できるこの子供は、ここを歩き慣れているのだろう。
「ここの窓、壊れてるんだ。あれ、こっちだったかな」
「はっきりしろよな」
足下にある、それは地下の灯り取りようの鉄格子。少年は、押したり引いたりして正解を探している。
仕方がないのでロセッタもそれを手伝い、入口を捜す。
「……でもこんな地下にいるなんて、幽閉でもされているのか?」
覗き込んだ、牢の中は薄暗く人の気配もしない。眠っているのだろうか?
(でも妙ね。息づかいも聞こえない……この部屋じゃないのかしら?)
次の格子を覗こうとロセッタが横を向く。刹那、背中を蹴飛ばされる。
「……っ!?」
頭からぶつかった、外れた格子と一緒には地下牢へと落下。落ちてみると結構な高さがある。文句でも言ってやろうと、上を向けば……少年も降りてくる。人を突き飛ばしておきながら、薄ら笑いを浮かべるとは……ふざけた子供もいたものだ。一発殴ってやろう。そう思ったのだが……その笑顔が少し不気味でそんな気分も吹き飛んだ。
「で?そいつは、何処にいるんだ?」
「嫌だなぁ、ここにいるじゃないか」
少年は何がおかしいのか、ケタケタと笑い出し詰め寄る。
「申し遅れたけど俺は先代アンセルゴート=グメノリアが第一子。ギース=グメノリア。ようこそ、俺の城へ。存分に寛いでくれよ……ねぇタロック人の、“お姉さん”?」
*
「しかし……なんだこの城は」
アスカは溜息を吐いた。
あの馬に城前で適当に暴れてもらって、警備が其方に向かった隙に城内に乗り込んだはいいが……なんとも血生臭い城だ。彼方此方に処刑器具に拷問器具。通り過ぎた牢の数も途中で数える気を無くした。
純血至上主義者達の住まう城。純血の自分でさえ身震いをしてしまう狂気がそこにはある。
視線を向けた牢の中には、事切れた混血の骸が転がっている。墓にも入れて貰っていないのだ。死臭、腐敗臭が物凄い。彼らが混血だとわかるのは、鮮やかな髪の色が死後も尚そこに残るから。その髪はとても綺麗なのに、朽ちた身体はそうじゃない。
本来死体とはこういうもの。死とはそういうもの。当たり前のことだ、それでも違和感を覚えるのは……昔を思い出すからか。
(あいつは……本当に、綺麗な寝顔だったな)
死んでいるというよりも眠っているだけに見えた。死体が腐らないのは、たぶん毒の所為だ。頭では解っている。それでも生きているように見えた。
でも本当に死んでいなかったわけだから、だから腐らなかったと言えばそうなるのか?いやそもそも仮死状態が一年も続いて何の後遺症も無しに復活なんてあり得るのか?……というのがあいつと再会してからの俺の疑問だった。
しかしトーラが言うには、それは時間数術と言うものらしい。
あいつの身に起きたのは理論としては確立されていても人間じゃ扱えないとされているレベルの大きな数術だ。勿論数術学とやらで言うなら自然現象も人体の働きも全ては数式で言い表せるし弄れることではあるらしいのだが、代償や脳のキャパシティを越えている。だから人には無理とされている現象。それを引き起こしたのは不在の神の証明。誰も神の姿など見ていないのに、奇跡を示すことによって奴らは名を響かせる。
トーラの言葉を借りるなら、俺とあいつは元々1才差だったのが2才差になってしまったということだろう。それは別に良いとして、人の死とはそんな綺麗なものじゃない。
ここに転がっている混血……混血だった者も、元々はそれなりに綺麗だったり可愛かったりしたわけだ。それが今は……骨と肉塊。蛆や鼠に囓られてなんとも惨めな姿だ。美しい瞳ももうここにはなく、混血と知れるのはその髪の色だけ。その髪だけが今も美しく……それなのに捨て置かれ腐敗した死体にくっついているのは酷く不釣り合いで、歪な感じがする。もっとも片親の黒や金を継いだ者は混血かどうかも解らない。
混血なんて、純血なんて。死ねばみんな同じ。同じ骸になるんだ。それなのに混血だ、純血だなんて……考えるのも馬鹿らしい。そんな馬鹿な考えに取り憑かれた人間が、この島には掃いて捨てるほどいる。
(東裏町より酷ぇなこれは……)
セネトレア王都、ベストバウアー。その東部、通称東裏町。あの街は基本的に人種差別身分差別に五月蠅い奴らが多い。身分を買えないのは金がないから、金がないのは商人としての才がないから。そういうものの考え方。
そんな東の商人には、二種類の人間がいる。一つは混血を商品としての価値を認め生かしたまま売り捌く奴。もう一つは混血を憎み、しかし商品としての需要は認め……殺して売り捌く奴。しかしこの第二島は違う。混血を人間とも商品とも認めず、殺すことに意味を見出す。
《アスカニオス、あっちから音がするわ》
「相変わらず俺のご主人様はじっとしてられないお人だな」
先程まで定位置から鳴っていた、首輪の音。それが動き出したと、フィザル=モニカが言う。
《でも、分かり易いわよ?》
「え?」
《音、近づいてきてるし……段々足音増えてるもの》
言われてみれば確かに。もう俺の耳にも聞こえる。近くで牢の開く音。そこから逃げ出す足音と、次々と溢される感謝の言葉。
「…………ああ、なるほどな」
「あ、アスカ!」
俺のご主人様が手を振ってパタパタと駆けてくる。俺のイメージではこうなんというか、危機一髪みたいな所を颯爽と助け出す感じのものを想定していたのに、これでもかと言うくらい女装が似合っていようと、彼は男だ。うちの王子さまはなかなか活発でいらっしゃる。
彼が従えるのは、捕らえられていた人間達だ。大半はタロック男とカーネフェル女、ちらほらとタロック女とカーネフェル男。混血の姿はない。
「そちら側は?」
「いや、……ここより向こうの牢屋は空かもう手遅れかだった」
「そうか……」
状況確認を行う俺とリフルに、救出された人間の一人が暗い表情で近寄る。見れば黒髪黒目の少女。可でもなく不可でもなく、素朴な愛らしさのある少女だった。まぁ、でも二日後くらいには忘れそうな顔だ。名付けるなら村娘Aとかその辺だろう。
「……そちらは混血牢ですから」
「混血牢?」
「……この城では、処刑が執り行われています。混血はこの城に連れてこられた時点で死刑確定です」
「そいつはまた……」
「……なるほど。私が来た道は純血牢だったということか」
嫌な話を聞かされた、リフルの表情は硬い。救い出された男の何人かは、感謝からかそれ以上の好意からか、そんな顔を和らげようと明るく振る舞う。
「それにしても勇敢な女の子がいたもんだ」
「……どうも」
「しかし、運命ってのは残酷なもんだ。こんな綺麗なお嬢さんに出会えるならもっと早く出会いたかった」
「おい、勝手にこいつ口説くの止めてもらおうか?」
しかし度が過ぎた言動は慎んで貰いたい。俺が止めに入ると、その男達は苦笑する。苦笑……?いや、もっと自嘲的な笑み。
「こら、お前達その位にしておきなさい」
妙な間が漂う中、若い男達を窘めるよう言葉を投げかけてきたのは……初老の男だ。髪は加齢のため灰色に白ずんでいるがその目は黒い。だからタロック人だと辛うじて解る。温厚そうな穏やかな瞳をしているが、そんな物で俺の怒りは収まらない。
「悪いな兄さん。これはこの者達のちょっとした冗談じゃ」
「冗談で人の女(今回の設定)口説かれちゃ堪らねぇんだよ」
「しかし確かに別嬪な娘さんじゃて。これでは男共が浮き足立つのも無理はない」
「その男共にはあんたもカウントされてるって訳か。春の枯れた爺に見えてまだまだ現役ってわけかい爺さん?」
「アスカ、その辺にしておけ」
主にぐいと腕を引かれて、少し離れた場所まで連れて行かれる。
「まったく。言って良いことと悪いことがあるぞアスカ。少しは察しろ」
「察する……?」
俺はリフルが何に腹を立ててているのかわからなかった。
「いや、だって今回そういう設定だろ」
「そこではない」
《確かに数値がちょっと妙だわ》
リフルの否定に乗っかりフィザル=モニカが首を傾げる。
「何故彼らは処刑を免れたと思う?お前は単に順序だと思うのか?」
「まだいたぶり足りなかったんじゃねぇの?」
「……彼らはもう、刑に処せられた人間だ」
「え?」
「私も驚いた。奴隷、混血のみならず一般人の純血までこんな事になっていたとは」
救うべきを奴隷を狭めた。故に一般人の状況まで理解していなかった。もっとどうにかならなかったのかと主は自分を責めている。しかし俺の目には、彼らは至って普通に見える。そんな俺の理解力の甘さに主は苦笑して、やるせなさそうに溜息を吐く。
「……捕まったのが私で良かったな。お前が囮になっていたらお前は死んでいたぞ?」
「し、死ぬ?」
「ああ、男として」
「え……、そ、……そいつはまさか」
「察してくれたか。そういうことだ」
「そ、そんな話があるかよ!?」
主から聞かされた話に俺は目を見開いた。もっと早く出会いたかったと、あの男は言っていた。それはつまり、もう遅いから。
「混血を生み出さないためには異人種間での交際、結婚、ひいては性交渉が無ければいい。見せしめにしては酷い話だ。ここの支配者は、命か性別かどちらか選ばせて処刑をしていたらしい」
「デッドオアデッドじゃねぇかそれ」
人として死ぬか。或いは男、女としての生活を殺すか。その発想が恐ろしい。混血嫌いでここまでやるか?純血に……
カーネフェルあたりでも、混血は悪魔。混血を庇った者は魔に魅入られた者だと考える地域もあるらしいが、このグメーノリアはそれをも凌駕している。
「…………何でそんなこと、出来るんだろうな」
タロークだからとかカーネフェリーだからとか、混血だからとか。別に誰が誰好きなっても他人に迷惑かけない内は自由にしてやれよって話だ。正直いかれてやがる。
「迷惑なんだろうな」
「……は?」
「少なくともこの島の人間にとって、目障りなんだ。そこにいるだけで」
「そんなの」
「ああ、理由になんてならないな」
だが、それを止める理由になれない。人の認識を変えるというのは難しい。どんな言葉も無力だと、思い知らされる。俺の主が溜息を吐く。
「……それがこの島の風習なら、そこから出て行けば良いだけかもしれないが、話を聞く限りそうとも言い切れない」
「言い切れない?」
「彼らの中には、第2島の外から攫われてきた者もいた。それに……これだけのことが以前から起きていたなら、外部に情報が漏れないのは妙だ」
「……こんないかれたことを始めたのは最近だってことか?」
「ああ。そしてそれはこの半年以内だと思う。ここまで純血至上主義者が過激になったのは」
どこから半年と目処を付けたのかはわからないが、リフルがそう言うからには何か掴んでいるのだろう。
「……少し気になることがある。もう少しこの城の探索をしたい。アスカは彼らの脱出の手伝いをしてやってくれ」
「気になること?」
「ああ。グメノリア公アンセルゴートにはルナールとギースという二人の息子がいると聞いた。兄の方には会ったが、弟はまだ見ていない」
「狐と鵞鳥?そいつは随分と変わった名前だな」
「なんでも……二人の兄弟は後継者争いで揉めていたそうだ」
何やら新情報が多くて、話しについて行けないが……第二公よりその息子二人の方が重要人物と言うことっぽい。更にこいつのこの言い方だと、兄の方はもうどうにかなっている可能性がある。不可抗力か何かで殺してしまったんだろうか?
(いや、でも不可抗力発揮させるようなことした奴が悪いな。死体見つけたら八つ裂きにしておこう)
一人頷いていると、リフルがもう一つ気がかりなことがあると口にする。
「そう言えば……アスカ、ロセッタはどうしたんだ?」
「え?お前まだ会ってないのか?」
しかしそれは俺にとっても寝耳に水だ。
「あいつの方が俺より先に、お前のこと追って行ったはずなんだが……」
「……それでは各自行動しながら彼女のことも気に掛けてみよう」
《ロセッタならいるわよ》
「そうは言うけどよ、お前一人で大丈夫なのか?敵陣で個別行動って明らかに死亡フラグだろ。俺は断固反対だ」
「カードとしてなら私の方が強い」
「そうだ、モニカ!お前あいつら視覚数術でしばらく姿消してやれよ。そうすれば俺もこいつに付いて行ける」
《だから!あのロセッタって子の気配がするって言ってるの!!》
「「……え?」」
精霊の言葉に、俺はリフル共々目が点になる。
《地下から声が聞こえたわ》
「でかしたモニカ!……で?あの嬢ちゃんの状況は?」
《……うーんと》
精霊は首を傾げて……言い辛そうに、呟いた。
《……絶体絶命?》
*
「あっちの姉ちゃん、男だろ?それであんたの方が姉ちゃんだ」
「……どうしてそう思う?」
銃で牽制しながら、少年との距離を取る。得たいが知れないのは確かでも、情報を聞き出すまでは殺すわけにもいかない。どこまで本当かもわからないから、なるべく生かして捕らえたいのは確かだ。
(それでもこいつ……唯のガキじゃない)
ロセッタとリフルの変装を見破ったその目。どこまでバレているのか。混血のことまで知られていたら、厄介なことになる。その場合はここで殺しておくべきかもしれない。
何にせよ情報が足りない。もう少し対話が必要。
「顔見りゃ解る」
「顔?」
「ああ。あんたの顔には不満が書いてある。女特有の嫉妬だよ。野郎はそういう嫉妬の顔はしない」
少年は少年らしくない、皮肉たっぷりの大人びた笑いを浮かべる。
「あんたは別にあの姉ちゃんも兄ちゃんもどうでもいいと思いながら、あっちの姉ちゃんっていうか女装兄ちゃんがちやほやされてるのを見て、苛立っていただろ?」
そこで解ったと少年は言う。
「っていうかタロックの女って少ないだろ?出歩く場合、大抵は男装してる。そんな中あんな綺麗な女の人が現れたら逆に怪しい。何かを隠すための囮なんじゃないかと思う。それにセネトレアの富裕層じゃ割と有名な話に、綺麗過ぎる女は女かどうか疑えってのがあるんだよな」
「……そう、それで私が女だって解ったのね」
まったく本当にあの男は使えない。
だけど私もあいつも仕事柄上、変装はよくする。でもここでその変装癖が仇になるとは思わなかった。やっぱりセネトレアは勝手が違う。シャトランジアやカーネフェルとの任務と同列に考えていたつもりではなかったけど。
「で?レディをこんな誇り臭い部屋に落として何する気だったわけ?」
「え?さっき言ったじゃん」
「さっきって……」
どのさっきだろう。考え込んで……嫌なことを思い出す。第二公の二人息子は何か、賭けをしてはいなかったか?
「なぁ姉ちゃん。俺が何の理由もなくあんたを蹴ったと思うか?」
言われて思い出す。先程この部屋に突き飛ばされた時。思いだしてみれば背中に蹴りを食らった。結構痛かった。
「………あんた、まさか」
落下時の痛みかと思ったが、認識すれば違和感を知る。これは衝撃の痺れではない。
「蹴りはカモフラージュ。気付かなかっただろ?姉ちゃん身体小さいし、割とすぐ毒回ると思うぜ?」
首筋をさすればあった。これが毒針か。これを刺すのを気取られないために、このガキは思いきり私を蹴ったのだ。
咄嗟にナイフで傷を抉ったが、既に毒の一部は身体に回ってしまったようだ。手足の感覚が鈍る。こっちが先程までのような動きが出来ないことを知り、余裕たらたらのこのガキは、お喋りタイムへと突入。その横っ面に蹴りを入れてやりたい。
「アルタニアでは兄が家を継ぐ。タロックでもそうだろう?」
セネトレアと言う国は必ずしも兄が家を継がない。何か決定的要因があり、それが優れていれば弟でも妹でも家を継ぐことが出来る。
「それでも俺はある時から、俺が弟になった。この意味がわかるかお姉さん?姉さんなら解るだろ?あんた、シャトランジアの……教会の犬だろ?数値異常くらいは把握してるよな?」
そうだった。銃を見られた。銃持ちは聖十字兵と明かすようなもの。しかし入手経路は他にもなくはない。
「さぁね。これは裏町の横流しで出に入れた物よ」
だから私は惚ける。
「まぁ、それならそれでもいいけどさ」
少年はそう言って扉に手を掛ける。牢に鍵はかかっていなかったのか。近づいてくる足音達が此方に近づいてくる。
「悪いな姉さん。さっきのあれ嘘なんだわ。いい女娶って先に跡継ぎ作った方がグメノリア公になれるっての」
「嘘……?」
「あいつの正体を言いふらそうとした俺に、腐れ弟が提示した条件は民意さ」
「この一年でより多くの支持を集めた方が勝ち。この島はタロックとセネトレアの風習が丁度混ざってるところだからさ。兄だから継ぐってのもおかしいと思い始めた奴らも多い」
もし仮に兄弟の入れ替わりが知れれば、支持者はそっくり入れ替わる。つまりその条件とはこの男の弟にとって……保険だ。万が一自身が弟だと知れても、今の地位を失わないように……殺戮はそのためのデモンストレーション。自分はこんなに純血至上主義のために尽くしましたよというアピール。そのための……人殺し!
「……少なくともあんたの弟が公爵に相応しくないのはよぉく解ったわ」
「賛同してくれてありがとう、残念胸囲のお姉さん」
発砲してやりたくなったが、迂闊な真似は出来ない。この場を打開する弾はあるにはあるけれど、弾には限りがある。そんなにすぐ補充できる物でもない。万が一外したなら、みすみす手の内を晒してしまうことにもなる。それにこれを殺して良いかもまだわからない。
しかしロセッタの迷いなどお構いなしにやって来る増援。ぞろぞろと現れたのは、浮浪者のような男達の群れ。汚らしい笑みを浮かべている、そいつらを見ているこちらの顔が凍り付く。
私の顔に浮かんだ恐怖と嫌悪感に、少年は笑い出す。
「さぁ、お前ら今宵の餌だ!胸はねぇけどタロークの女だ!嫁にしたい奴がいれば、持ってけ泥棒だ!」
彼に付き従う賛同者は、欲に塗れた獣。
「あいつは馬鹿だよ。セネトレアに染まりすぎて、人間ってものを理解していない。人間の三大欲求に金欲だの強欲だのってのはないんだってのに!自分は高尚な生き物だとか思ってるから馬鹿なんだよ!」
彼の弟の策は、金による支配。混血を、混血を作り出すきっかけとなる者……それに懸賞金を掛けた引き渡せば金を送る。その金を貯めれば嫁を買う金になる。
しかし金というものは金のある場所へと流れる性質を持つ。あの宿のように客として客を陥れるためには、宿や商品……まず元手となる金がなければ意味がない。本当に金がない人間が金を手に入れようとしたところで、それには限界がある。
「世の中には金のある人間より金のない奴らの方が余裕で多い。そりゃあつまりそういう奴の支持を得た方が世の中引っ繰り返すに合理的」
「馬鹿っぽい言動は演技だったわけね……この私を騙すなんて、やるじゃない」
「そう言う姉さんこそ。外見だけは余裕で男だったぜ。胸全然ねぇし」
「そんなに死にたい?」
「姉さんこそ口を慎みな。あんたの連れの女男があいつ殺してたら、消去法でこの島は俺の天下だ」
「あいつは……」
言い返せなかった。そうだ。あいつは殺人鬼だ。相手が救いようのない下衆だと思ったら、手に掛けている可能性はある。或いは万が一手を出されて、毒で殺してしまっていたら。そうなった場合、確かにこいつは殺せない。なんとかこいつの協力を得なければ目的が達成されない。
「………くそっ」
構えた銃。引き金を引けない。神子様はあいつを助けろと言った。あいつの目的のためにはこいつが要る。
面倒臭い殺人鬼。この島を支配したいのなら、恐怖ででも従えればいいじゃない。
(あんたがそういう奴だから……)
私は引き金を引けない。いつもは躊躇いなく引いていた、引き金が重いのだ。動けない私を見て、ギースが嘲笑う。
「女って馬鹿だよなぁ、公爵様に会わせてやるって言えば金欲しさにホイホイ付いてくる。後先考えずにさ」
「あんた……ほんと、最低ね。女を何だと思ってるわけ?」
嗚呼、むしゃくしゃする。こいつは何を言っているんだろう?馬鹿みたい。馬っっっ鹿みたい!そんなに男が偉いわけ?そんなに男男言っていたいなら男が好きなんでしょ?もういっそのこと野郎と結婚すりゃあいいのよ!それでもう二度と私に関わらないでくれる?それなら私も何も文句は言わないわよ。それでそっから人類滅ぼさずに有性生殖で増やしてご覧なさいよ!それができたら認めてやるわよ凄いわね偉いわねって!
そんな威張っているくせに、やるのは女が良いですとか腐れたことぬかしてる奴は片っ端から脳味噌打ち抜いてあげようかしら?どうせあんたらの脳味噌なんか下半身にしか詰まってないんでしょう!?嗚呼本当、馬っっ鹿みたい!
“ねぇロセッタ。気分はどう?泣いているの?悔しいの?怒っているの?恥ずかしいの?そうね。全部よね。貴女のその顔、凄く良いわ”
私は、大嫌い。こういう人間が。
人を人として見ない癖に、自分は人以上に偉くて凄い何かだと思い上がっている生き物が。
(嫌なこと……思い出させやがってっ!!)
私が憎んでいるのは男とか女とかそういうものじゃなくて……人を自分の薄汚い欲望を満たすための道具にする最低の人間。
「道具さ!餌だよお前らは!俺が公爵になるための撒き餌!適当に女食わせておけばこいつらは満足する。タロック女が手に入らなくても金髪族の女なら簡単に捕まるし、安い金でも買える。要は混血が生まれる前に殺せば良いだけだろ」
その言葉に私はもう何も考えられなくなる。不意に引き金がとても軽くなった。片手を迫り来る男達へ。も一方をギースへ向ける。
「…………」
「何だ?やる気か?」
覚悟を決めろ。目で全てを私は嘲笑う。
人を道具と言ったなら、お前らも踏みにじられる覚悟があるんだな?罪には罰を。犯したなら、報いを受けろ。神子は悲しんでいらっしゃる。野放しのこの世の罪。裁かれず息をしている悪を討てとあの方が言う。
「生憎だけど……誰がタロック人の女って言ったかしら?」
ウィッグを投げつけて私は見せつける。鮮やかな赤髪は、暗い部屋でも明確に黒との境界を映し出す。
「その髪……混血か!?」
「良かったわね。私とやってたらあんたら全員味方に嬲り殺されてたわよ」
取り乱して一歩後ずさる連中達。だけどすぐに憎むべき混血が居るのだと思い直してまた進む。そんな一瞬私は見逃さない。飛び上がって今度こそ撃つ!
「まぁ、どっちみち死ぬけどね。私に殺されてっ!!」
*
「無事かロセッタ!……ろせっ…………」
「遅かったじゃない」
一番足が速かったのはアスカ。他ならぬ主様が先に行けとお命じになった以上、従うのが俺の義務だ。
辿り着いた地下は……真っ暗だ。でもそれに気付いて誤りと知る。これは……真っ赤だ。血の臭いが辺り一面に漂っている。あちこちの牢が空いている。しかし中に人はいない。それでも空気が生暖かい。ついさっきまで誰書いたような、人の息づかいが感じられる。
此方に笑みかけてくる、少女の表情は暗い。
「アスカ!ロセッタは……っん」
「あー無事無事!全然無事だから!」
此方に走ってくる主に駆け寄って、血まみれのロセッタを見せないようにリフルの両目を塞ぐ。これには背後でも嘲りの声が上がった。
「過保護」
「何とでも言え」
もっともこれは気休めだ。血の臭いで大勢の血が流れたことくらい気付いただろう。しかし優しい俺の主はまずロセッタの心配をする。ナチュラルにこういうことするから無駄に女とフラグ立つんだよなぁこいつは。ちなみに俺が同じことしても余り意味はない。心配だけなら俺だって一応してやったんだがな。
「しかしこの臭い……怪我はしていないか?」
「私が怪我なんてすると思うの?あんた馬鹿?」
だがロセッタはピリピリしている。気が立っているのか。構われるだけでも苛立って行くようだ。俺は溜息ながらに、視線を逸らし、階段を見上げる。すると新たに後ろからやって来た者がいた。
「ん、あの爺さんも来てたのか」
「あああ……」
老人は一つの亡骸の前に崩れ落ち肩を震わせている。知り合いでもいたのだろうか?
「……モニカ、アスカ。彼はもう……助からないか?」
「え?」
言われて良く見れば、それはまだ死体ではなかった。ロセッタが手加減をしたのかたまたま運が良かった……悪かったのか。
「だけどこいつは……」
ロセッタが撃ったと言うことは敵だったってことだよな。それを何故?そう思うが……
「……頼む」
ご主人様にこう言われたら、俺が断れるはずがない。
「いけるか、モニカ?」
《まぁ、やるだけやってみるわ》
仕方ないかと主から指を放した。それを見ても主は狼狽えない。唯少し悲しそうな顔をするだけ。やっぱり俺のエゴなんだよな。こういう顔が見たくなかっただけなんだ。俺が。
「退いてろ爺さん」
「な、何を……?」
「あんたらの嫌いな技術で救える命があるなら、見捨てるなってのが俺の自慢の方のお言葉でね」
純血至上主義者は数術が混血に連なる物だと否定し忌み嫌う傾向が強い。しかし混血は純血より数術の才能がある。だから混血を拒むと言うことは数術という魔法のような現象も受け入れないと言うことだ。だから考えも及ばないのだ。この怪我が何とかなるかもしれないなんて。
「……どうして、こんな奴あんたは助けるの?」
リフルにぶつかるロセッタの言葉。死に損ないの少年もそんな目で俺を見ている。
それに俺の主は、淡々と……自分の言葉を選んでいく。
「彼の兄弟を、私は死なせてしまったから」
「…………それって自業自得でしょ。あんた、襲われたんでしょ?それなのにそんなこと言ってるの!?馬っ鹿じゃないの!?」
「私は別に今更、失う物もないからな」
「……え?」
ロセッタはリフルを知らない。神子から聞いた情報を幾らか囓っているだけだ。だからその言葉の意味がわからなかった。
「……見ただろう?どんな人間だって、その人が死ぬとなれば悲しむ者がいる。あの人にとっては彼が最後の家族だ」
「は?」
脱線したと話題を引き戻すリフルの言葉。このロセッタの疑問符はそのまま俺の心の声だ。施術に集中しなければならないのに、思わず手を止めてしまいそうになった。
「あの男性がこのグメーノリアの公爵様だ」
「はぁ!?だってこのガキ、第二公は死んだって言ってたわよ!?」
「……投獄されていただけだが?」
話の食い違いから、ロセッタは倒れた少年に近づく。
「あんた私をどんだけ馬鹿にすれば気が済むの?」
「おい!人が回復してんのに横から傷増やすようなことするな!」
「……そんなことしなくてもそいつはまだ致命傷じゃないわよ。基本蹴りであっちこっち骨折ってやったし全治一年くらいかかるかもだけど。最後に殺そうと思っていたぶってた最中だったんだから」
つまりこれは殆ど他の人間の血だということか。紛らわしい真似してくれる。
「とりあえず喋れるように腹部の辺りだけ治してやれば問題ないわ。両手両足骨折はそのままでいいわよ。これまで女馬鹿にしてきたツケが回ってきたんだから。精々治療地獄に魘されなさい!」
「な、なんと恐ろしいことを!!女の少ないこの島じゃ、こいつの看病をするのも男になりかねんぞ!」
あまりの恐怖に第二公も震えている。
「そうよ、あんたはこれから完治するまで野郎に下の世話を尽きっきりで看病される運命なのよ!」
「いっそ殺せぇえええええええええええええええええええええ!!!」
「完治する頃にはあんたも少しは女の大切さってのが解るでしょうよ」
ロセッタは悪魔のように歪んだ暗い笑みを浮かべて笑う。