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3:Scire tuum nihil est, nisi te scire hoc sciat alter.

話に出てくる一ヶ月前→タロック編1(女帝【逆】)でのセネトレア王暗殺事件のこと。今の今まで時系列忘れてて思い出してうわっと。女帝書き直すのもいいけど、矛盾がもっと増えそうで……

この3話は審判開始一日前あたりです。紛らわしくてすみません。

 彼とこんな風に会ったのは何時の事だっただろう。

 確か仕事の時だ。怪我が治って間もなく。潜入していてまだ殺すに至らない段階で、聖十字のラハイアが貴族の屋敷に踏み込んだ。証拠を予め探し出し、裏を取って踏み込む。後は十字法発動でお縄。

 裏を取るためには清濁共に飲み込むことをしなければならないだろう。以前の彼なら絶対に出来の眼差しに、目が縫い取られたように其方ばかりを見てしまう。

 何を血迷ったのか。追うべき敵が死んだはずの敵が目の前にいるというのに、彼は何と言ったのだったか。もう大丈夫だと笑ったのだったか。唖然とした。多色狡賢くなったとしても、この善人はやはり馬鹿だ。呆れた。呆れてしまった。そして私も笑ってしまったのだったかな。

 始めて失敗した仕事。不思議と悪い気はしなかった。私は嬉しかった。彼に打ち負かされたことが嬉しかったのだ。

 失敗したと告げ、後は聖十字に託すと仲間に告げてその件から手を引いたのだ。死以外の方法で人の悪を、人の罪を裁くというのだ。その行く末を見守ろうとその件だけは見逃してやることにした。

 笑う私をアスカもフォースもトーラも、不思議そうに見ていたような気がする。


 *


「良かった。無事だったんだな」


 凛と響く声は闇を切り裂く光の刃。多少の穢れ、その前には霞んで消えてしまうだろう。真っ直ぐな彼


 通された聖十字の駐在所。数ヶ月ぶりの聖十字兵。あんな偶然もうないだろう。殺人鬼SUITが死んだとされている今、彼の前に姿を現すことは二度と無いと思った。


「君が姿を消したから心配していたんだ」

「ごめんなさい。早く家に帰りたくて……そんな気持ちで一杯で……」

「いや、そうだな。悪かった。俺の言葉が足りないからいけなかったんだ。君たちへの配慮が不足していた。すまない」


 別人として会って話すラハイアはいつもとは違う。それはそうだ。片や宿敵犯罪者、片や保護対象の少女。それに同じ対応をしていたら人間として聖十字として問題だ。

 しかし彼が目を離した隙にすぐに脱走したはいいけれど、何の因果かまたこうして会ってしまうとは。


「そうか、変装しているのか。それがいい。この国は物騒だからな」


 髪の色、目の色を出会った時とは変えているのに一発でそれだと気付くとは、聡いのか鈍いのか。


「君は何故あんな所に?」

「友達と買い出しに来ていたんです。そうしたらはぐれてしまって。悲鳴が聞こえてもしあの子だったらどうしようと思って、走って……そうしたら」

「そうか。本当に済まない。我々の警備が行き届かないせいで、事件を未然に防げなかった。俺がもっとしっかりしていれば……君にあんなものを見せることは」

「いいえ、ライルさんは悪くありません。悪いのは…………殺した人間です」


 死体は惨い有様だった。その人が一体何をしたというのか。彼女の身を襲ったのは死ではない。死以上のものを人から奪う行為だ。

 眼球は勿論無い。ぽっかり空いた二つの深淵。腹に開いた大きな穴。話によれば臓器のいくつかも失われていた。死者を包む衣はなく、生まれた姿で打ち棄てられて。身体には擦り傷切り傷打撲骨折という損傷。何かの拷問と暴行の跡。剥がれた爪。へしゃげた指。耳も片方欠けていた。

 そしてそのすべてをやったと騙るあの名前。誇らしげに、掲げるように赤色で記された四文字。背筋が凍った。これが自分がやったとその文字は言う。胸を差されたような痛みが襲ってくる。

 あのままあれを見ていたら、倒れていただろう。彼に呼ばれてもうどうしていいのかわからなくなって彼に縋った。何も話せないけれど、彼に縋るしかなかった。彼の声を言葉を聞いていたかった。それ以外の何も、聞きたくなかったのだ。あの場所で。


「いいや、奴は死んだ。だからあれはそれを騙る者だ」


 ラハイアが静かにそれでもきっぱりと強い口調で言い放つ。


「俺はあれを引き起こした人間が許せない。罪のない人々を殺めたことは勿論だが……既に死んでいる人間の名を騙り、罪をなすりつける行為が許せない」


 死人は死人。罪を犯すのは生きている人間だ。聖十字はそう語る。何人たりとも死者をそれ以上裁いてはならないのだと彼が言う。


(こいつは…………例え私なんかでも、それ以上を糾弾しないのだな)


 殺人鬼SUITという彼の中での死者。その死者の尊厳を守ろうとしてくれている。


(ラハイア……私は)


 この男になら殺されても構わない。彼に殺して欲しい。この真っ直ぐな男に罪を裁いて欲しい。そうだこのまま罪を逃れることはしない。いずれ生きているのだと教える。

 うっすらと微笑むと、そっぽ向きながら少年が口を開いた。


「君もそろそろ帰るんだ。暗くなればこの辺りはもっと危険だ。君の家の傍まで部下に送らせよう」

「あああああああああああああ!もうっ!こんなところにいたの!?探したんだから!!」


 建物に飛び込んできたのはトーラ。


「ああ、彼女の友人というのは君か」

「迷子だと思って訪ねてみたらやっぱり!迷惑かけてごめんなさい」


 ぺこぺこと頭を下げる。そして何食わぬ顔でラハイアの手を握る。


「ほんとにありがとうございましたっ!さぁ帰るわよ!」


 半ば強引に今度はリフルの腕を引いて駐在所を後にする。外に出ればそこにはフォースの姿もある。


「リフルさん………何やってるんだよ。心配したんだよ俺も。指名手配されてる俺じゃ聖十字なんか入って探しに行けないし」

「いや、すまない……つい」

「まぁそう言わないであげてよフォース君。あんなの見たら目眩もなるし卒倒しそうにもなるよ。聖十字君はリーちゃんの看病してくれたんだし」


 情報収集は捗ったのか、したり顔のトーラ。さっきもラハイアに触れて情報を引き出していたようだったし収穫があったのだろう。


「いろいろ話したいことはあるけどとりあえず帰ろうか」

「迷い鳥?」

「う~ん……とりあえずディジットさんの店の影の遊技者?アスカ君あたりにも話しないと彼暴走しそうだ」


 *


「ベラドンナ……」


 彼女に会ったのは何ヶ月ぶりだろう。

 エティエンヌ達の協力を得てからというもの、仕事は以前より捗るようになった。これまで一人でなんでもやらなければと気負っていた。人を頼ること。協力者を得ることで、これまで出来なかったことも不可能ではなくなる。自分がやらなければならないのはそういうことだったのだと教えられた。

 彼女と初めて会ったのは、そんな風に無茶な仕事を始めた頃だ。不思議と初めて会った気がしなかった。そこまで珍しい色の混血ではなかったけれど、彼女の中には目を引く強い何かがあった。あの目かもしれない。小柄の少女の中には不釣り合いな強い意志を宿したような瞳。全てを射抜くような眼差し。何かを酷く憂いた目。それでもまだ諦めていない。何かを信じているようなその瞳。それがまっすぐこちらを見ている。

 どこかミステリアスな少女だ。一緒に保護した者達の話では、最近来たばかりの子でよく知らないと言うのが総意。聖教会に連れてくる前にどこかに彼女だけいなくなっていて捜索したが見つからなかった。自分の不手際で事故にでも遭ったのか死んでしまったのではと後悔を抱いていたが、再び生きた彼女に会うことが出来た。変装していたが、ぴんと背筋の伸びた綺麗な後ろ姿。それで口から彼女の名前が出た。


(何故だろう……彼女に会うと、とても懐かしい思いがする)


 今度はいつ会えるだろうか。いや仕事中に何を考えているんだ。報告書へインクが垂れて大惨事。もう一度書き直すはめになった。それを書き終えた頃、見計らったように聞こえる声がある。


「おいおいおいおい、どうしたライル?何溜息ばっか吐いて……」

「交代まで10分も遅れてくるとは聖十字としての自覚が足りないぞエティ!」


 扉の開く音。現れる金髪の髪。へらへらと笑う男がそこに一人。仕事で無茶をするには頼もしい相手でも、普段の仕事では全く役に立たないサボリ魔同僚。そんな自由気まますぎる同僚に、叱責すればひらひらと手を振りながらかわされる。


「はいはいはいはい。怒らない怒らない!女の子がいるところであんまりガミガミしてっとモテないぜ」

「女の子……?」


 言われてみれば奴は一人ではない。その背中の後ろ。背が低くて解らなかったが少女が一人隠れていた。


(混血……?いや、……純血?染めているのか?それとも変装?)


 少女の髪は鮮やかな赤。けれど顔を上げた彼女の瞳も赤。人種の判別に迷うその出で立ち。


「エティ、彼女は?」

「え。365人いる俺の日替わり彼女の内の一人…………げふっ」

「軽口はいい加減にしなさい。ぶっ放すわよ」

「はいはい、冗談!冗談だって!俺だってこんな胸のない彼女はお断り頼まれたって土下座されたってほんと無理無理あり得ないこんなまな板相手に機能する奴は男として欠陥があるに違いな……がはっ!ほんとすみません!冗談です!冗談だって!」


 少女は手にした教会兵器、十字銃でエティエンヌの頭をがつがつ殴る。二、三発は甘んじて受けていた彼もそろそろ我慢の限界でそれを避け始めようとして、それが叶わず同じく十字銃でそれを防ぎ応戦し始めた。


「貴様ら、教会兵器で遊ぶな!」

「遊んでないわよ。本気で殺る気だもの」

「余計悪い!ここは十字法の適応圏内!どんな理由があろうとも人を殺すことはあってはならない」

「そうそう。例え胸がないとか言われても………ぐはっ」

「だから貴様は馬鹿か!幾ら真実とはいえ不用意に煽るな!……痛っ」

「私は例外。ていうかさりげなく同調してんじゃないわよそこのあんたも」


 二丁拳銃の使い手だったのか。油断してたらもう片方の凶器に横っ面を殴打された。


「私だって好きで胸がない訳じゃないの!文句あんなら混血なんて種族作った腐れファックな神様にでも文句言うのね!ていうかあんな脂肪の塊に欲情するなんてあんたら男共って人として何か欠陥があるとしか思えないわ!そんなら潔く肉屋に行ってラードにでも欲情してきなさいよ変態共が!それに生憎、私は神様なんて糞ったれた奴信じていないの。私は元々タロークだし、カーネフェリーの信仰なんかさっぱりよ」


 教会の敷地内で天に唾吐くとんでもない物言いだ。流石にこれは咎めなければ。


「しかし教会兵器を持っていると言うことは君も聖十字なんだろう?それならそんなことを言ってはならない」

「…………あんたの目、節穴?」


 少女が両手に構えた教会兵器。それは自分の持つ白銀のそれと同じく、十字の紋章が刻まれた銃。けれどある一点だけが異なっていた。少女が手にしている教会兵器は、漆黒だった。

 それには見覚えがあった。片目で見た風景。その銃を扱い死にかけたこの自分をこの世の地獄から救ってくれた人間がいた。


「漆黒の……十字銃!?まさか………アクシス!!」

「そ。そういこと。ラハイアってあんたね。私は神子様からの命令でこのセネトレアへやって来た諜報部運命の輪(アクシス)の者。つかついでに言うとこっちのアホもアクシスメンバーよ」

「は……?エティエンヌが?」

「あー……悪いなライル。それ偽名なんだわ。セネトレアって事件多いしずっと一般兵に潜入捜査命令くらってたんだなー……まさかお前みたいな奴がいるとは思わなかったけど」

「何だと!?」


 急な話について行けない。二人の間で視線を彷徨わせていると同僚だった者が苦笑し、赤髪の少女は呆れたような視線を返す。


「ま、あたしらは教会の裏側の人間ってわけ。最近仕事やりやすくなってたでしょ?それはこいつが裏で得た情報あんたに流してたからよ」

「いや、まぁここまで純真だと騙すのもちょっとは心苦しいもんがあったな。ほんと口からの出任せ設定信じる信じる」

「よく言うわよラディウス。この間ルキフェルが文句言ってたわよ。潜入捜査のための相方って連れ出されて任務だからって渋々ついていったら油断したときに胸触られそうになったとか」

「馬鹿だなソフィア。そこに豊かな胸があれば触りたくなるのが男のいや人のさが……ぐはっ」

「黙れ風下人間!」


 とうとう少女がぶっ放した音が聞こえたが、それをきっちり避ける同僚だった者。至近距離の弾丸避けるって人間業ではない。今自分が見ているものが本当に現実なのかよくわからなくなる。しかし、たった一言。それがアクシスだからと言われれば、それまでなのかもしれないと、そう思い出している頭もある。


「まぁ、いろいろあってね私は神子様の命令で、しばらくあんたの護衛に就くことになったわ」

「ちょっと、待ってくれ!何故そんな話になる。第一俺は女の子に守って貰うなど……」

「男の癖にうだうだがたがた五月蠅いわね。いい加減黙らないと一発食らわせるわよ」


 天井に向けて空砲が発せられる。そのけたたましい音と少女の鋭い眼差しにラハイアは言葉を失う。少女の赤は夕日のような燃える赤。それなのにそこには暗い決意が見て取れる。運命の輪は、教会に存在しないはずの存在。隠密……そして、死刑執行機関。死刑制度を廃した聖教会。その教会が抱える闇。十字法で裁けない人間を狩るための組織。

 教会は認めているのだ。この世には殺すことでしか裁くことが出来ない悪が存在していることを。


「やっと静かになったわね。ったくガキが手こずらせるんじゃないわよ」

「君の方が子供じゃないか」

「あ、馬鹿!ソフィアに歳と身長と胸のことは言うなよ」


 今度こそぶっ放された銃。高いところから水面に飛び込んだときのような痛み。全身水塗れ。一般兵には普通の鉛玉か睡眠弾くらいしか渡されていないが、裏組織ともなるとレベルが違う。今のは数術弾だろう。数式の刻み込まれた弾丸……引き金を引くことで凡人にも数術を扱わせる事が出来る、とんでもない教会兵器だ。


「こうなるから」

「とてもよくわかった」


「私は今年で16。そこの坊やはまだ15でしょ。年上には敬意を表しなさい。タロックじゃ基本よ」

「しかし何故俺の所に………?」

「近々星が降るのよ。あんたは大事なカードだからね。死なせるわけにはいかないんだって」

「星?カード?」

「ま、その内解るわ。明日にでもね。もう一つの任務が始まるまでラディウスだけじゃ頼りないしあんたの護衛も付き合ってあげるって言ってんの。それに今回の事件、先読みの神子様からの情報、欲しくない?」


 聖教会の神子は先読みの神子。世界最高峰の数術使い。彼からの情報ならば喉から手が出る程欲しい。しかし、神子は信用するに値するのか。戸惑うラハイアに少女が口元を歪め、小さく笑う。


「あんた、この腐ったれた国の聖教会で随分頑張ってたそうじゃない。味方なんかいないのに。神子様はそんなあんたに気付いたからこのラディウスを送り込んだ。移民の件のおかしな書類とかも調べてシャトランジアへの手紙寄越したでしょ?セネトレアの第三聖教会の独断なのか、それともシャトランジアが絡んでいるのか追求するあれ」


 ああそうだ。神子宛に何通も手紙を出したんだ。アルタニアで指名手配されたあの少年のことをSUITから聞かせられ、すぐに書類を集めて調べまくった。そして教会上層部のいろんな場所にそれを送ったのだ。そうだ。あの手紙を出してからだ。この同僚が自分に近づいてきたのは。


「神子様はあの手紙であんたを気に入ってね。腐れ第三聖教会の現状を知ると共に、その改革の一角をあんたに任せようとお考え。そのために私達はしばらくあんたの下でそれを手伝ってあげるってわけ。ってことでこれ以上犠牲者出る前に潰すわよ。私が変装して囮役やったげるから、こんなヤマさっさと解決しましょう」

「しかし、いくらアクシスとはいえ……女性に囮役などさせるわけには」

「私は強いわよ?それにあんただって、早くこれを解決させたいって気持ちはあるんでしょ?そんなら手段だなんだの言ってる暇はないはずよ」

「そうだぜライル。ソフィアはアクシスの中でも一番の肉体派だからな。そこらへんの筋肉達磨が束になって掛かってもこいつには勝てないって」


 以前出会ったアクシスの者が言っていた。アクシスは……確か上位ナンバー程優れた数術使い。下位ナンバーほど肉体派。


「君の№は……?」

「私は№21よ」

「だから最強だって言ったじゃねぇか」


 少女と同僚だったものがくくくと笑いを漏らしてこちらを見る。

 そして少女は一度目を伏せ……笑いを止めてまっすぐラハイアを見つめる。その片側の黒の瞳を。


「今回の件、あんたのその目にも関係してる商人達が絡んでるって線が濃厚。自分と同じような人間作らないためにも、あんたはこれを止めなきゃならない。違う?」


 アクシスと出会ったのも、この眼のためだった。瞳の奥が痛むのは、記憶のせいだ。思い出したくもない。それでも忘れられない記憶。


(そうだ……彼女は、あの人に似ているのかもしれない)


 悲しみと絶望を宿して、それでも希望を忘れず、救いを求めるよう何かに縋ろうとするその瞳。

 彼女はこんな糞ったれた世界を美しいものだと言った。そう信じた。信じようとしてそれを信じながら死んだんだ。

 だから自分はそれを信じようと決めたんだ。世界の本質、人の本質それは善だと信じよう。そして今がそうではないのなら、それを正しあるべき姿に戻そうと誓ったんだ。


「…………ああ、そうだな。解った………俺に協力を、お願いしたい」

「最初からそう言えばいいのよ」


 少女が銃をホルダーに収め片手を差し出す。

 初めて少女が微笑んだ。勝ち気そうだが十分優しさを感じられるそれ。それはいつかの彼女に、少し似ていた。ソフィアとベラドンナ。雰囲気も全く異なる二人の少女が、記憶の中の少女と重なるなんて……つくづく変な話だ。


 *


 ディジットの店に戻るや否や、アスカの部屋へと直行。トーラが防音盗聴防止数術展開後、今日得た情報について話し合うことになった。トーラは手に入れた情報の何処から話し始めるべきかと首を傾げた後、ラハイアの名前を口にした。



「あのラハイア君だっけ?リーちゃんが気に入るだけのことはある子だね」

「………そうか?」


 彼の名前が出ると、少し気が安らぐのがわかる。気に入っている人間がよく言われるのは悪い気はしない。それどころか自分のことのように嬉しくさえある。

 自然と綻ぶ口元に、視線を感じて顔を上げれば少し苛々したような表情のアスカと目があった。意味がわからない。トーラはそんなアスカを見た後、肩をすくめて苦笑する。


「彼さ、君が死んだ者だと思って、今回のこと表沙汰にしないよういろいろ頑張ってたみたいだよ」


 そこまでトーラが告げると、アスカもそれなら仕方がないかみたいな顔へと代わる。何が仕方ないのかまったくもってわからない。


「僕が読み取った情報だと、事件はもっと前から始まっていた。昨日一昨日の被害者が名前狩り対象者だってのは同じだけど、事件現場は聖十字が隠蔽してなかなか情報収集が出来なかった。教会の数術使いも動いてたんだね。けっこうな使い手が出てきてる。その隠蔽した情報って言うのが、今日見たあれと同じ。犯人はやることやって、それをみんなSUITがやりましたって宣言してるんだ」


 何故教会がそれを隠蔽するのか。教会はSUITは死んだものだという認識を覆したくない。そういうことなのだろうか?


(しかし……それで教会が得をするとは思えないが)


 第一、多少は出世したとは言っても、ラハイアだってそこまで偉いわけではない。トーラが認めるレベルの数術使いを何人も指揮することが出来る立場などにはない。となると、ラハイア以外の人間が裏で動いているということなのかもしれない。


「まぁ、あんなのさ……SUITやリーちゃんを知ってる人間が見れば、絶対にそうじゃないって解るようなもの。あの聖十字君にはリーちゃん手紙送ってたよね。その中のいくつかは君の直筆のままの文章もある。その筆跡鑑定と示し合わせればあれが君の時ではないことはわかるはず。君が無罪だって証拠はあるんだよ」


「だけど今日のは発見者の悲鳴というもののせいであれが大勢の人間の目に留まってしまった。犯行時間がこれまでとずらされていたのも大きな要因だね。犯人はあれを多く人間に見せたかったんだろう」

「つまり、これはこいつを誘き寄せるための犯行ってわけか?」



 トーラの言葉にアスカの目つきが鋭くなる。トーラは溜息ながらにそれを肯定。


「せこい手使ってきたもんだよ。これを見て見ぬ振りをすれば、SUITは本当に死んだ、或いはもっと酷い外道に成り下がったと世間からは思われる。ここで止めに行くためリーちゃんが正体表しても、今回の罪まで背負わされて処刑されかねない。商人組合とか城からすれば、君を殺したいはずだもの。これは君が本当に死んだのか、それを確かめるための犯行なのかもしれない」

「っつーことは、商人組合……その下請けのあのgimmickって連中の差し金か?」


 gimmickの名を聞いて、物憂げな表情になるのはフォース。あそこにはフォースの友人がいる。その友人との一件がまだ尾を引いているようだ。


「……と、一月前までの僕ならそう言うだろう。だけど思い出して欲しいんだ。一月前のことなんだけど、タロックにセネトレア王の暗殺に行ったでしょ?」


 トーラはアスカの問いには答えず、違う仕事のことを口にした。まだ記憶に新しい、奇妙な依頼。


「ああ。あの件の裏はどうなっている?」


 おかしな依頼だった。

 依頼人の名前はない。殺人鬼SUITに宛の依頼がトーラの所へ舞い込んだ。その手紙には情報が記されていた。半年前、gimmickの連中も城の連中も躍起なって探したセネトレア王ディスク。ロイルが殺したというそれは影武者。王の行方は誰にも掴めないまま。

 そんな中、リフルの異母姉のタロック王女刹那とディスクの婚約が正式なものとなった。王は盛大な結婚式をあげ、そしてすぐにまた行方不明。

 その王の居場所を告げる、その手紙。


「結果的に、僕らはあの依頼を遂行してしまったのだから、あの依頼主は……殺人鬼SUIT……もしくはそれを継ぐ者が存在することは知っている。それが今回の件とどう繋がるのかはわからないけどね」


 もし仮にあの依頼主が商人組合……その裏組織である請負組織gimmickだったならば、彼らはSUIT健在を知ったということ。

 あの赤目の男……リィナの兄、ヴァレスタ。彼は自分と同じ、死んだとされている人間。この毒で触れたんだ。生きているはずがない。

 トーラが言うにはあの組織を彼の代わりに仕切っているのはフォースの親友、グライドというタロック人の少年。彼は混血を忌み嫌っている。そして主である男を殺したSUITが生きていたと知れば、復讐と排除を考えるはず。

 だから誘き寄せようとしている?それも無くもない話。けれど彼が憎んでいるのは混血だ。今回殺されているのは純血ばかり。その二点をどう繋ぐ?

 考え込むリフルの耳に、トーラの呟きが届いた。


「……不思議な気分だったな。いつかの僕があんなに殺したがっていた、憎んでいた男が。あんなにあっけなく死んじゃうものなんだね」


 そうだ。あれはあまりにあっけなかった。

 乗り込む船はタロック行きの貿易船。そこに紛れる方法から、タロックから帰還するセネトレア王を迎える馬車まで、用意されていたのだ。依頼の手紙を差し出せば、滞りなく事は運ばれる。罠だろうか。そんな警戒を解く間もなく……与えられた情報通り、そのまま動いた。その結果、雲隠れしていたセネトレア王をいとも容易く殺すことが出来たのだ。


「僕としてはあれが本物じゃなくてもいいと思った。最悪みんなを連れて僕が空間転移でセネトレアに逃げることさえ考えていた。情報さえ揃ったならね」


 タロックは鎖国している。トーラの情報収集能力でもタロック全土の情報を得ることは出来ない。セネトレアからは距離がある。殆ど情報が手に入らない。

 だから時を待てとトーラは言った。かつてもしリフルが……父であるタロック王への復讐を望むのならば。

 あの日自分が選んだ答えは復讐ではない、償いだ。タロック王子那由多としてやるべきことは、父が犯した罪を償うことだ。奴隷貿易を、そして父の凶行を止め、虐殺を終わらせる。自信の罪を償うのはその後。

 しかしそれを果たすためにも情報は必要だ。この妙な依頼を飲むことであの地の情報を得ることが出来るのなら。それがそもそもの目的。セネトレア王暗殺依頼は二の次。当たりだったら儲けもの。その程度の認識だった。


「やっぱり僕はあれは刹那姫……セネトレア王妃からセネトレア女王にのし上がった彼女からのものだと思うな。彼女なら王の居場所を知っていてもおかしくはない。それに彼女はリーちゃんを欲しがっていたからね……彼女の暗殺に向かわされた君の正体を殺人鬼SUITだと知ったんだろう。それで夫を餌に僕らを釣り上げたんだ」


 ……その可能性もある。異母姉は、この目と髪の色を気に入っていた。奴隷に扮した自分をオークションで買おうとした程だ。

 そして彼女は人の命を何とも思っていない。気に入らない。そんな理由ですぐに人を殺める人間だ。……それがこれまでの人生で、一度だって咎められたことのない人間だ。タロックの姫という身分と地位、その美貌。その全てが彼女の罪を罪として成立させない。彼女は生まれながら全てを許された人間。本人もそう思っている。だからあんなことが出来るのだ。


「釣り上げたって話じゃねぇな。あのお姫さんは、そうすることでセネトレアを乗っ取っちまったようなもんだぜ」

「……ああ、タロックから帰って来てまず……王都の異変には驚かされた」


 首苅り女王。その二つ名で城の内部を震え上がらせた女王刹那。夫の留守を良いことに気に入らない人間を次々に処刑。夫が死んだら、結婚条件通り玉座を譲り受けた。……王位継承権のある王子や王女はこれまた処刑。数ヶ月の間に独裁王政をこの無法地帯に築きあげた。王宮前の広場には数々の処刑道具を並べ……離宮の傍には処刑会場を設立。身分や性別、人種に関係なく、彼女の機嫌を損ねれば平等に死を賜る処刑台。

 ディスクと刹那の婚姻は、タロックとセネトレアの結びつきを強めるものだと思われていた。しかし全く違う。刹那姫の行動で……セネトレアはタロックの属国になってしまったようなもの。


「リーちゃんみたいな邪眼はないけどさ、刹那姫も大したものだよ。絶世の美女だかなんだか知らないけどさ、逆らえる男が全然いないんだ。城の連中はみんな彼女に骨抜きにされちゃってる。逆らう者はみんな処刑されるんだし……城は完全に彼女に支配されている。……奴隷商達も頭を抱えてるよ今頃。こうなるのが解ってたからリィナさんのお兄さんはリーちゃんに彼女を暗殺させようと思ったのかもしれない」


 結婚早々未亡人。王の葬儀では悲劇のヒロインのような見事な立ち振る舞い。それを見た多くの男は彼女にすっかり入れ込んだ。後継者は彼女が既に皆殺し。彼女を口説き落とせば、この国の王。議会さえも凌駕する彼女を口説き落とせば……地位に名誉に金に、世界で一番の女を手にすることが出来る。命知らずの愚か者達が、王宮への列を作っては絶たない。人はどこから湧いてくるのか。生きて戻ってくることが出来た者が何人いたか。不穏な噂も聞こえているだろう。それでも人はどこからともなく湧いてくる。風の噂で耳にした女王の美貌。それを実際に目にしたわけでもない者さえ、女王は魅了し処刑台へと誘う。


「この無法王国に、法が突然現れた。彼女は気まぐれで尊大で利己的な法律だ。商人達の金儲けだけを守る法じゃない。彼らだって彼女を怒らせれば殺される。でも彼女は奴隷貿易を咎めもしない。それどころか奴隷を買って遊んでるって話だよ。何をやりたいのか解らない、得体の知れない法律だ」


 トーラは女王を法と呼ぶ。法は人を従えさせる力。それは時に恐怖で、時に魅了。彼女という法に支配された人々が、この国に溢れる。

 金さえあれば、そう謳われたセネトレアが変わってきている。金とそれから女王の気まぐれ。


「あの依頼が刹那姫からのものだとして、彼女にはリーちゃんが生きていることがバレている。それなら今回の事件を引き起こしているのは彼女ではない。それでも彼女はリーちゃんを探している。これ見て」

「……、これは!?」

「城に忍び込ませてた僕の部下が秘密裏にゲットした……城から発行された指名手配書。これが張り出されるのは明日から。これまで君は生死問わずだったんだけどこの手配書は生かしたままが条件。その代わり賞金額が倍以上に跳ね上がっている」


  トーラが差し出すは一枚の紙切れ。その紙には名前と数字が記されている。人相書きはない。


「……本当にどうしたものかな。どこから潰すべきなのか、僕も迷うよ。城も商人組合も、奴隷貿易を壊すためには邪魔。刹那姫がこの国を良い方向に向かわせてくれるとも思えない」

「トーラ……、あの……もしもの話なんだけどさ」


 フォースが恐る恐ると言って風に口を開いた。縋るような目でこちらを見る。


「gimmickと……手を組むって出来ないかな?」


 予想だにしないその言葉に、その場にいた人間全てが目を見開いた。それに気まずそうに、それでもはっきりとした言葉で自分の考えを語る彼。


「gimmickも、城と女王とは敵対してるんだよな。それなら協力することって不可能じゃないと思うんだ」

「奴隷商と、手を組む……か。……なるほどな。フォースでなければ思いつけない考えだ。少なくとも私じゃ思いつかない」


 呆れと感嘆。その両方がやって来る。愚かというか……いや、優しいと言うべきなのか。この少年はその親友とやりあって……死にかけた。死んでいたかもしれないのに、こんなことを口にする。思いつける。これが彼の才能なのかもしれない。


(彼は本当に、一度受け入れた人間を大切にするんだな……)


 真っ直ぐに此方を見据える灰色の瞳。出会った頃から変わらない。その手を汚した後も……彼は彼をなくしていない。


「リフルさん……俺、グライドを説得してきます。それに……エルムの安否も知ることが出来るかもしれない」


 しかしそれをすぐに認めることなど出来ない。助言を求め、トーラへ視線を送れば彼女が、西と東の関係をフォースに教える。


「フォース君。ベストバウアー西裏町を束ねる僕が、リーちゃんに味方してるのは、アルムちゃん奪還の時にgimmickにバレてしまった。それでもこの半年間、東と西が衝突せずにいられるのは……リーちゃんと彼。gimmick頭ヴァレスタが死んだってことになっているからだ」

「それじゃあ何か?SUITを騙る殺人は……東と西を衝突させるために起こされたものってか?」


 トーラの言葉から導くアスカの推測。もしそれが真実ならば、自分は動いてはならない。SUITが生きていることが明るみに出れば、東と西の戦火が切って落とされる。

 アスカの問いに、トーラは力なく首を振るだけ。


「……わからない。僕らと手を組み城を潰すためにリーちゃんを探しているのか。それとも僕ら西側を滅ぼすためにリーちゃんを誘き寄せたいのか……僕には犯人の思惑は解らない。でも教会の数術使いがあの文字を隠していたのは、西と東の衝突を抑えるためだってことは確かだと思う」


 城から潰すのなら、フォースの言うように東との共同戦線は確かに一つの手だ。しかし敵の敵は味方とはいえ、所詮は敵だ。信頼など出来ない。城を追い詰めるつもりで挟み撃ちにされるのは此方かもしれないのだ。迂闊な判断は出来ない。自分一人のことならそれでもいい。けれどトーラを巻き込んでしまった以上、西裏町の平和も脅かされる。彼女の力を借りたリフルはトーラも、西裏町も守らなければならない義務がある。だから自分の感情一つでフォースの気持ちを汲むわけにはいかなかった。


「……どちらにしても、この件にもっと深入りする必要はある。捜査の方をもっと念入りに行わなければならない。どうするか決めるのはそれからだ」


 情報不足を理由にフォースの意見をかわし、決断を先延ばしにした。フォースは気落ちした面持ちだったが、やがて静かに頷いた。


「トーラ、これまでの死体発見現場の場所から犯人の行動圏内をもう一度洗ってくれないか?犯行時刻は今日のようにバラけることもある。囮役は交代で、24時間体勢でその周辺を徘徊する。それでどうだろう?」

「うん……そうするしか、ないね。僕も配置する部下を増やしておく。でもリーちゃん……君は明日からにして。今日はあんなもの見せられたんだ。ゆっくり心身共に休ませないと、明日からの捜査に響く。ちゃんとした精神状態が整ってないと肝心なところでミスをしてしまうかもだよ」

「……そうだな」


 これから囮として出かけようとしたのが見透かされていた。トーラの言葉はもっともだ。ここで無理をして失敗すればまた、アスカ辺りと揉めてしまう。これ以上の揉め事は困る。

 それに今回ばかりは本当に失敗するわけにはいかない。勿論止められるものならこれ以上の犠牲者が出る前に止めたい。しかし標的は名前狩り。

 トーラだって自分の組織に加盟している人間か、それか何かの情報に関係する人間しか知らない。セネトレアに戸籍なんて存在しない。そういうのは金持ちだけのもの。この国に何人の人間が住んでいるのか。その一人一人の名前。その全てをトーラといえど把握はしきれていないのが現状だ。良くも悪くも情報に絡まない普通の人間。そういう中にも被害者候補は多数いる。名を知っているだけの人間全てに護衛を配置出来るほど、トーラも部下を割けはしない。西裏町自体が不穏なのだ。事がどう転ぶかで、この西裏町にも危険が迫りかねない。守りは固める必要がある。迷い鳥に派遣している部下と、西裏町に配置している部下。その割合を見直す必要さえ出てきた。セネトレア城、商人組合、アルタニア……そしてタロック。幾つもの糸が絡み合い真実がよく見えない。動くならば慎重に。唯の一つも間違えてはいけない。許されない、自分には。

 

「わかった。今日はゆっくり休む。トーラ……お前も無理はするな」

「ははは、リーちゃんが心配してくれるの?嬉しいな。解った解ったよ。僕も今日は大人しくゆっくり休むから。……それじゃ、アスカ君、リーちゃんをよろしく。僕は部下への指令してからじゃないと眠れそうにないし、組織の方で休むよ」

「送っていくか?」

「いいよいいよ。僕強いし。送ってもらったら逆にリーちゃんが心配で僕の部下に送らせなきゃならなくなっちゃいそう」

「酷い言われようだな」


 けれど否定は出来ない。それが解って、二人で苦笑する。

 トーラはそのままアスカの部屋を出る……前にアスカに何やら耳打ちをしてから手を振って、そそくさと去っていく。ばたばたと駆けていく姿は今日一日の疲れを感じさせない、疲れ知らずの子供のようだが、彼女は敢えてそう振る舞っていたのだろう。疲れていないわけがない。


(本当に……無理はしないでくれるといいんだが)


 彼女も焦っているのだ。彼女が言った、二年前の言葉。神の審判。

 先読みの彼女でも、それ以降の未来は殆ど見えない。顔のない人間が殺し合うと言っていた。何かしていないと不安なのだろう。これまで見えていたものがある日を境にわからなくなるのだ。怖くて堪らないはずだ。


「あいつが心配か?」


 ぼーっとしていた。声を掛けられて我に返る。部屋に残っているのは自分とアスカだけ。いつの間にかフォースも姿を消していた。

 アスカの言うあいつとは、彼女のことだろう。そう言う彼も彼女を心配しているようにも見えた。


「……私はこの二年。いや……正確にはもっと前からかもしれないな。瑠璃椿だった頃から彼女との繋がりはあった。私は彼女に支えられてきたんだ。ずっと助けられてきた」


「それでも私が彼女にしてやれることは何があるだろうか」


 彼女の好意に胡座をかいている。邪眼が引き起こした恋なのだとしても、彼女は本当に……いつでも自分を助けてくれる。邪眼を恨むことなく、支えてくれるのだ。


「私はこんな身体だ。彼女を受け入れることは出来ない。報いることは出来ない。それでも彼女に感謝している。……彼女は、彼女の復讐を終えた。本当ならもう私に協力する必要もない。二年前の彼女なら、きっとそう言ったはずだ。それでも彼女はまだ……私に力を貸してくれている。そんな彼女に私はどう報いればいいのか……」


 セネトレア王は死んだ。リフルが殺した。その時セネトレア王女である彼女は、兄の仇を取ったのだ。ライトバウアーで散った混血達にようやく報いることが出来たのだ。

 二年前、廃墟のライトバウアーで、リフルがトーラに語った言葉。

 あの日の自分は自分の復讐のために父を殺すのは止めろと言ったのだ。王女ならば個人的な感情ではなく、国のため民のためを考え行動すべきだと諭した。それでも彼女も人間だ。復讐心をなかったことにはおそらく出来ない。あの男が死んだとき、彼女は嬉しかった?泣きたかった?それとも……あまりにあっけなくて未だに何も感じられない?

 それはわからない。けれど彼女を支えていた一つの柱が失われたことは真実だ。

 出来ることならば、その柱の代わりに彼女を支えられたら、そう思う。


「……どうすれば、私は彼女を支えられるのだろう」


 答えなんかきっと帰ってこない。ただ、聞いて欲しかっただけ。誰かに、アスカに。それだけ。それだけのつもりで呟いた胸の内。それに彼は静かに答える。


「そんなの簡単なことだろ」


 分かりきったことを聞くなというように、彼は言う。平然と言い切った。


「あいつはお前との今が好きなんだろ。それ以上が出来ないんなら、あいつとの今を続かせてやれ」


 簡単なことのようにアスカは言う。けれどそれは難しいことだ。彼が言っているのはこういうことだ。「死ぬな、生きろ、生き続けろ」……そういうこと。


「……無茶を言うな」


 もし自分が人殺しでなかったなら、そんな日も許されただろう。毒人間でも、生きるくらいなら許されたかもしれない。それでも、自分は人殺しなのだ。

 だから無理だよ、そう告げる。けれど目の前の男は引き下がらない。緑の視線が真っ直ぐに、刃のように突き立てられる。明確な意思をそこに宿して。


「無茶じゃない。SUITは死んだんだ」

「いや、死んでいない。SUITはここに生きている」


 アスカは言う。死んだ人間が裁かれることはない。世間がSUITを殺したならば、彼が犯した罪をもう一度裁かれることはない。だから何もお前が死ぬことはないのだと、彼は言う。そんな彼の言葉は嬉しいけれど、それさえきっと……邪眼が引き出す好意の内だ。

 彼や彼女の優しい言葉に触れる度、私は思う。やはり私は生きていてはいけないのだ。こんな優しい人達を、狂わせているのはこの私なのだから。


「アスカ、私は人殺しだ。私は許されてはいけない人間だ。私は自分の罪から目を背け、罪から逃れ、生きて幸せになどなってはいけない人間だ」


 本当なら、トーラもアスカも他の誰かにその分の好意を預けるはず人間だ。自分がそれを奪っているのだ。トーラのすぐ傍には彼女を慕う人間だっている。それに気付けない彼女でもあるまい。それを知った上で、トーラはリフルに好意を預ける。鶸紅葉達はそれでリフルを憎むことはないけれど、傷つかないはずがない。彼や彼女がリフルを恨まないのは、それもまた邪眼が引き出す好意の一つ。既に何かがおかしい。

 思い人が得体の知らない力に絡め取られてしまったら。リフルを恨み、殺そうとした……混血の少女。リリーのようになるのが自然な姿。

 だから本来憎まれ殺されそうになってもおかしくない。そんな繋がりで、そんなことが発生しないのはとてもおかしな事。平穏だと感じれば感じるほどに、それが歪なものだと知れる。

 殺人鬼SUITは、人を殺めるだけではない。殺めた人の周りの人間を傷付け、不幸にする。更にはその殺人鬼の傍にいる人間達の関係をも崩し、そのあったかもしれない未来と幸せを奪い、自分への好意へとすり替える。そんな最低な人間だ。


「だってそうだろう?人の幸せを奪って、壊して、傷付けて。それでどうして許される?SUITは裁かれるべき人間なんだ」


 目の前のアスカだってそうだ。多くをこんな化け物に奪われている。それを教える。それを耳にして、それでも本当にこの化け物を恨んでいないと、殺したいと思わないと言えるのか?生きていろなど、言えるのか?本当に?それは本当に自身の心だと証明できるのか?


(……出来ないだろう?)


 お前は間違っているよと微笑むが、彼は頑なに同じ言葉を繰り返す。


「SUITはいない。ここにはいない」

「そんなはずはない。現に私はここにいる」

「ここに生きてるのは、SUITじゃない。お前はリフルだ」


 彼から贈られた名前。それは母からの最初で最後の贈り物。

 那由多ではなく、別の人間として幸せに生きろと名付けられたその名前。王子でも何でもなく、唯の普通の人間として生きなさいと託された名前。


(……あ)


 彼にその名を貰ったのは、この場所だ。彼の部屋だ。瑠璃椿は……ここで死んだんだ。道具から、奴隷から……あの日名前を贈られて、私は人になったんだ。


(そうだ……私は人間だ)


 それを思い出し、うっすら微笑むと……目の前のアスカがほっと息を吐く。ようやく観念したかと思ったんだろうな。残念ながら、そうじゃないんだ。


「私が瑠璃椿だったなら……きっとそれに頷けたんだろうな」


 道具は道具。人を殺しても人殺しではない。それは武器。武器が主を守るため、敵を灰乗するのは自然なこと。そこには罪など存在しない。あるのは命令だけ。

 瑠璃椿は、貴方の奴隷。貴方の道具。命令なのだと言われたならば、勝手に死ぬことは許されない。命も彼の所有するもの。彼がそういうのなら、私はそれに従っただろう。それでもその名を捨てさせ、人の名前を名付けたのはアスカ……お前じゃないか。


「アスカ。私は人間だよ。私はリフルだ」


 私は人間だから、もう貴方の命令には従えない。自分の意思で、自分で物を言う生き物。

 そして人間には責任がある。果たさなければならない義務がある。


「だけどアスカ……リフルも人殺しなんだ」


 静かに彼にそう告げて、彼の部屋から遠離る。彼は追ってこない。詰みだ。反論する言葉が見つからなかったのだ。否定できるはずもない。だってそれは紛う事なき事実。


(アスカは後悔しているだろうか。この名を私に贈ったことを)


 もしあの時那由多の記憶を取り戻しても、……彼が瑠璃椿を望んだのなら、道具として私は傍にいただろう。けれど彼がそんな人間だったなら……彼を傷付けていることを、ここまで心苦しいとは感じなかっただろう。


 *


「あ、お帰りリフル。夕飯まだだよね?一緒にどう?」


 三階から階段を下り、食堂へと向かう。そこでカウンターを陣取っていたリアが振り返る。帰ってきた頃はそれどころではなく部屋へ直行したからわからなかったが、今は彼女が少し窶れたように見える。


「リア……?疲れていないか?」

「あはは、今日ここのお店で絵描いてたら繁盛してね。もう頭と指がくったくたぁ!」

「……店の手伝いじゃなかったのか?」

「いや……厨房の良い香りに耐えられなくて暴食しそうになったから出禁食らっちゃって絵ばっか描いてました」


 利き手を振って苦笑する絵描きに、ディジットが苦笑する。


「気にしなくて良いわよ。本当今日はお疲れ様。リアちゃんの絵のおかげでうちの店も大繁盛。……そう言えば貴女っていくつ?ついついちゃん付けなんかしてたけど失礼だったかしら?」


 ふと思い出したようにディジットがリアに訪ねる。そんな話をリアとしたことはないからリフルもリアの年齢は知らない。彼女は何というか、年齢不詳だ。身だしなみに気を使わないから流行などにも疎いしまるで興味がない。女性の場合は好む衣類や化粧の度合いや雰囲気で、おおよその年齢を推し量ることが可能だが、彼女は化粧もしないし服も動きやすさ重視で男物とかを着用していることさえある。無邪気に笑うその様子から子供っぽい印象を他人に与えるけれど、スタイルは悪くない。その胸囲に注目した途端に、子供と呼ぶのは誤りのようにさえ思わせる。


「んー……あんま気にしてなかったっていうか、気にしたこと無いんでよくわかりません」


 ディジットの問いかけに、リアは本気で考え込むような素振りを見せた。本気で覚えていないらしい。けれど、そう言われてもついつい納得してしまう。


「リアは時間に縛られないで生きている人間だからな」

「そうそう。寝たいときに寝て、食べたいときに食べる。描きたいときに描く。春も夏も秋も冬も大体そんな感じ。何回季節が巡ったかって意外とどうでもいいっていうか些細なことですぐに忘れちゃうんですよ」


「時々夢の中でも絵を描いてたりするんで、こっちとあっちがどっちかそっちかわからなくなるっていうか。向こうの季節とか時間とごっちゃになってて更にわけがわからなくなって、面倒臭いから考えるの止めようかなって」

「リアは本当に、絵が好きなんだな」

「リフルには無いの?そういうの」

「…………え?」

「こういう事をしてると楽しいとか。こういう事をずっとしていたいとか。趣味……とも違うけど、何だろうな……これがなきゃ生きていけないって感じの」


 楽しいこと?していたいこと?突然の質問に返答が出ない。

 長い間奴隷として生きてきた自分には、そこまで多くの自分がないのだ。

 主の喜びが奴隷の喜び。


(お嬢様……)


 アルジーヌと言う名の少女が一番最初の主だった。彼女が笑うと自分も嬉しい。彼女が泣くと自分が困る。

 瑠璃椿という奴隷の感情には、いつも最初に主があった。

 道具は命令されるのが幸福。使われない道具に意味はない。どんな命令であっても、必要とされるのは幸せなことなのだ。それがどんなに吐き気を催すような命令でも。


 それでも瑠璃椿はもういない。いま生きている自分はリフルという人間。


(これがないと……生きていけない?)


 そんなものあっただろうか。主は大切。失えば悲しい。けれど自分は生きている。主を失ってものうのうと生き続けていた。

 ただ生きること。生きる上で、必要なものなんて何もないんじゃないのか?ただ生きるだけなら。

 それならリアが言うのは、ただ生きるだけの生ではないのだ。彼女の語る生とはもっと光り輝く何かだろう。そんなものを見つけられれば、自分も彼女のように笑えるのだろうか?


「リアにとってはそれが絵なのか……」

「うん。極端な話、私声が出なくなっても良い。今よりもっと自分のイメージを形に出来るんなら、そうだな……歩けなくなっても良い。目が見えなくなったら辛いけど……でもまだ手がある。私は私のこの手がある限り、ずっと絵を描くの。それって凄く幸せ」


 多くを犠牲に捧げても、それでもそこに幸せがある。目指すものに今より近づけるのなら、声や足を失っても良い。彼女は情熱的に夢を語る。その横顔は、時の止まったリフルから見れば、はっとする程美しく映る。鏡に映る自分なんかより、邪眼なんかより……こんな風に夢を語る人々の方がずっと素晴らしいものだと思う。


「だからさ、私……もしこの利き手が動かなくなったら生きていけない。もう片方の手とか足とか口とかで、筆も鉛筆も握ろうと思えば出来るのかも知れないけど、今と同じ物はもう絶対に描けなくなるでしょ?」


 それが彼女の今。リアの今。今を失うことは、誰であっても辛いこと。

 それはトーラだってそうだ。トーラが望む今。そこに組み込まれている自分。それが失われれば、彼女をまた傷付けてしまうのだろう。


「そんなことなったら私発狂してペーパーナイフでざっくざっくやっちゃうわ。あ、ペーパーナイフじゃ切れないか」


 けらけらと笑うリア。そんな彼女を見つめる視線に憧れのようなものが混じり出すのを止められない。彼女は凄い。彼女は見つけている。自分の人生の中で大切なものを、譲れないものをしっかり見出しているのだ。


「リアは……どうして絵を描き始めたんだ?」

「……何でだったっけかなぁ。楽しかったってのは最初からあったんだけど……自分の気持ちをそこに乗せて、伝えたいことをぶち込んで……それを見た人にドンぴしゃで言いたいこと伝えられたときの快感が癖になったって奴かなぁ」


 遠い記憶を懐かしむよう、リアが小さく笑う。


「最初はそんな自己満足の独りよがりだったわけだけど、私が伝えたいことってさ……ほらそんなにないわけよ。私適当な人間だから引き出しがないの。すぐネタに尽きてねぇ」


 私が伝えたいことなんて、お腹減ったとかあれ食べたいとか眠たいなぁとかそんなことばかりだから、絵にしてもつまらないでしょ……とリアがけたけた笑った。


「だから、誰かを描くことで私は私の引き出しを増やす。そうしながら馬鹿な私もいろいろ考えるの。そうすることで私の描ける色が増えていく気がするから」


 描くことで、彼女は自分を探しに行く。自分自身も知らない自分の心に触れるため。


「私は君を描くときは君のことを考えてるよ。君の表情から、君が何を考えているのかを私が考える。勿論見当違いで外れてるって可能性は十分にあるけどさ、私はそんな風に何かを誰かを考える時間が好きなんだ」


 もしかしたら絵だけじゃなくて、そういう時間も含めて描くってことが好きなのかもしれないな。そんな彼女の言葉は自己分析を語るよう。


「私が言いたいことを描くっていうのも楽しいけどね、誰かが言いたいことを……今は全然駄目だけど、頑張って頑張っていつか100%まで近づけられるような仕事が出来たら良いと思う。文字も言葉もないけれど、分かって欲しいことを分かってもらうこと……その手助けが出来たら下っ手くそな私の絵もさ、少しはそこに生まれた意味があるんじゃないかな。私はただ自己満足の絵を描くのも楽しいし好きだけど、その楽しいとか好きを他の人と共有できるなら、もっと私は楽しくなれる。まぁ、それもまた自己満足の一つの形なのかもしれないけど…………」


 そこまで言った後、リアはそうだと手を打ち、一つの例え話を始めた。


「同じ絵を見てもさ、人が10人いればその10人とも違う感想を持つものなの。ある人はそれを神だと言って、ある人はそれを糞だという。肥だめの中を覗き込んだ方がまだましな物を見ることが出来るってくらい毒を吐く人もいるかもね」


「それを描いた人はさ、何を思ってそれを描いたんだろう?自分でそれを神だと思った?それを本当に糞だと思いながら描いた?肥だめを想像しながら描いた?どうなんだろう。伝えたいことを伝えられないって……悲しいことだよね。だけどみんなが違う感想を持つって言うことは、その絵描きは伝えたいことを伝えられていない証拠なんだよ。修行不足なんだ」


 彼女にしては珍しく、厳しい言葉。それは自分自身への戒めのように聞こえてくる。


「それはとても我が儘で傲慢なことかもしれないけれど、生涯にたった一枚でも良い。10人共を魅了する、絶対支配の絵。10人全員に伝えたいことをそのまま伝えられるような作品……そんなものを私は描いてみたいんだ」


 伝えたいことを伝えるための手段。それが自分にとっての絵。他に方法を知らない。だから絵を描くのだと彼女が言う。そんな彼女の言葉に、芽生える気持ちは憧憬だ。


「私は……リアが羨ましいよ」


 彼女は真っ直ぐな人だから、すんなりと言いたいことを吐き出せる。


「え?全然だって。私には何にもないよ。空っぽ引き出し人間だし」

「…………私にも君のような才能があったら、絵を選んだかもしれない。しかし生憎私にはそんな才能はない」


 だからこの言葉で、何かを紡ぐしか術がない。誰に対しても、こんな風に言葉を作れたらいいのに、それさえ上手く行っていないのが自分の現状。


「そんなのが才能だって言うんなら、リフルにもあるじゃない」

「私に?」

「私が描く才能なら、君は描かれる才能!」


 ディジットが運んできた食事に片手でパクつきながら、利き手は鉛筆を放さない。くくくと笑ってリアが微笑む。


「ねぇリフル、いつか私に描かせてよ。すっごいいい感じの笑顔の絵!」

「そ、それは……難しいな。こ、こんな感じか?」

「駄目だめ!全然違う!」

「他を当たってくれないか?私には無理だ」

「そんなことないわ!君が本気で笑ったら、私それ描けるような気がする。10人が10人君に見惚れるような絵を描いてあげるわ!」


「そう!そのためにはリフルも引き出し増やしてくれないと。まずは趣味でも見つけてみようか?」

「難しいな」

「んん…………それじゃ手っ取り早くどっかの誰かに恋でもして来ようよ。そういう笑顔でも可」

「それはもっと難しいな」

「……今の顔、ちょっと良かった。何?気になってる子でもいるの?お姉さんに話してみない?ほらほら」

「いや、やっぱりディジットの料理は美味いなぁと思って」

「ああ、そういう笑顔ね。うん、確かに美味しい。……ああ幸せ。生きてて良かった」


「大げさねあんたら……もう」


 ディジットが苦笑しながらこちらを見る。


「……そう言えば今日、私もリアちゃんに一枚書いて貰ったのよ。不思議よね。鏡見ても自分の心までは見えないのに、この絵を見ると自分の悩みを言い当てられたような気持ちになるわ。やっぱり何かしらの才能なんじゃない?」

「それはディジットさんの感受性の方の才能ですって」


 傲ることなくリアが答える。

 見せて貰った絵の中のディジットは、確かに悩みを抱えているように見える。優しく微笑んでいるけれどどこか頼りなく、不安気。瞳の中に映るのは悲しみだ。


「ディジットは…………謝りたい人がいるんだな」

「……そうね。謝りたいわ。エルムと……それからリフル、貴方にも」


 青い瞳がじっとリフルの方へ、そしてそれを越えた所へ向けられる。誰もいない空間に、誰かの姿を探すように彼女はそれを見ている。


「この半年、いろいろあったわね……」


 店の場所がgimmickの人間に知られている。また何か危険が及ぶかもしれない。そんな理由でディジットとアルムを迷い鳥に連れてきたのはトーラだ。

 リフルが目覚めるまではそこにいた彼女たちも、起き上がれるようになった頃にはこの店に帰ることを申し出た。エルムが帰ってくるかもしれない。その時は真っ先に彼を出迎えてやりたい。抱きしめて、謝りたいのだと彼女は言った。もしかしたらもう帰ってきた彼が、誰もいない店で独りぼっちで寂しい思いをしているかもしれない。そう思ったら多少の危険があってもこの店で待っていたいのだ。そう告げられた。そんな彼女たちを引き留めることは出来なかった。


「私も気持ちの整理がつくまであたふたしてたし、貴方も怪我とか仕事とかで……ゆっくり話すこともあまり出来なくて、ちゃんと謝っていなかったように思うの」

「ディジット……それなら私だって同じだ。先生もアルムもエルムも……みんな連れ帰ると言ったのに、私はそれを守れなかった」

「違うわ。悪いのは私。貴方を騙した。……貴方やアスカがあんな大怪我したのだって、私が貴方を騙したから……」


 彼女の言葉に思い出す記憶がある。それでも首を振って、それをリフルは振り払う。結果論で人を恨んではならない。恨むべきはそれを防げなかった自分自身だ。


「ディジット。それでもあれは貴女のせいじゃない。貴女が弓を放ったわけでも、剣を突き刺したわけでもない。至らない私の弱さがそもそもの原因だ。大体それを言ったら……この店が狙われたのも、二人が攫われたのも……私が原因だ。巻き込んだのは私の方だ。謝るのも私の方だ。謝ってどうにかなることじゃないのはわかっている。それでもすまない……謝らせてくれ」

「馬鹿ね……貴方、言ってることが矛盾してる」

「……え?」

「直接手を下したんじゃない私を悪くないって言いながら、何もしていない自分のことは悪いって言ってるわよ」

「それは私の立場が……立場には責任がある」

「元王子様だかなんだか知らないけど、私が知ってる貴方はそんなのじゃないわ。身分も立場も関係ない。悪いことは悪い。悪くないことは悪くない。私を悪くないと貴方が言うのなら、貴方だって何も悪いことはしていない。私が貴方を恨むのは筋違いよ」

「ディジット……」


 優しい言葉。それが胸の内側に突き刺さるナイフだと彼女もまた知らないのだ。これは彼女の言葉ではない。それを強要している。それがこの私という化け物だ。それに深い罪悪感を抱きながら食事を終え、階段を登る。続いてくる足音が一つある。


「…………リフル」


 背中越しに呼びかける声はリアのもの。


「あのさ、誰かが誰かを好きで居続けるのってたぶんすごい力が要るんだと思う。その切っ掛けが不本意なものでもさ、今君に預けられてる思いってのは嘘じゃないと私は思うよ」


 この少女には、目や毒のことは話していない。それでも殺人鬼SUITが毒使いだというのも知っているだろうし、観察力に優れた彼女だ。周りのおかしな様子と自分の関係には気付いているだろう。


「おかしいとは、思わないのか?」

「君に何かあるのはわかるよ。でもそれが君の全てじゃないんじゃないかな。君にあるその何かまで、私は紙に映せない。それでも君がその何かだけの存在だったら、私はもう野垂れ死んでたよ」


 君が空っぽな人間なら、そんなモデルを描いた絵が売れるわけがないとリアが言う。


「君の絵に足を止めて、立ち止まるお客さんがいるんだ。それで気に入ったって笑ってそれを抱えて帰って行くんだ。それは君の何か以外の力。君自身の魅力なんだって私は思ってる」


 邪眼の力以外に、こんな化け物の中に何があるというのか。つまらない人間。最低な人間。そんな自分の中に何があるというのか。


「あの人達が君に優しくするのも、君を大切にしてるのも……そっちの力なんじゃない?君への好意を継続させているのは君自身の力だよ」


「……逆だよ、リア。間違いだ」


 最初が邪眼以外の何か。片割れ殺しの物珍しさ。それが目を引いて、ちょっとした興味、好奇心……好意を引き出す。そしてこのつまらない人間を知っていくにつれて幻滅していくであろうその好意。それを長続きさせているのが邪眼の力だ。長続き所か増大させる悪しき力だ。人の心を弄ぶだけの悪趣味な力だ。


「逆でも、君への好意は本物でしょ?」

「だから……私は苦しいんだ。私もあの人達のことは好きなんだ。だから……だから辛いんだ」


 同じように思っても、それが本当の意味で重なることなどあり得ない。邪眼がそれを狂わせている。誰の好意に対してもそうだ。


「なんだ、それなら簡単じゃない」

「……簡単、だって?」


 深刻な悩みをけろりとなんということもないと返すリア。思わず振り返る。彼女の顔は嘘もなく本気でどうしてこんなことわからないんだろうなぁと驚いているよう。


「君があの人達をもっと本気で好きになれば良いんだ。理由とか切っ掛けとかそんなの気にならなくなるくらい大切にしてあげればいいんだよ。そんなの気になる内は、まだ全然ってことなんだから。私にとっての絵。君にとってはそれが周りの人達なんだよ。きっとそうだよ」

「………………そんな、ものなのか?」


 簡単なこと。彼女が言うよう、そんなことで解決することなのか?そもそも、そんなことが出来るのか?何も考えずに、考えられなくなるくらい、誰かを大切に思うこと。


「君が彼らに対して失礼だって感じるべきなのは、君の何かの力じゃなくて、その中途半端な好意の方だよ。君のことを本気で大切に思ってる人に対してそれはとても失礼なことじゃない?釣り合いが取れていないんだ」


 リアはそんな言葉を残し、借りた部屋へと消えていく。その背中を見送り、扉の閉まる音を聞き……取り残された廊下に一人佇む。


「失礼……な、こと………?」


 十分大切に思ってる。そのはずだ。それでも中途半端?まだ足りない?それじゃあどう伝えればいい?そんなもの、私にはないのに。

次話でようやく裏本編連中もカードを手に入れるみたいです。

ここに来るまで長かったなぁ……

裏本編は最初に死神から書き始めて過去回想で隠者とか魔術師しようかと企んでた時期もありましたが、紛らわしいので過去からちゃんとやろうということに。

そうしたら審判はじまるまで2つの章も消費しなきゃならんというこの暴挙。

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