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36:Munit haec et altera vincit.

雰囲気注意報?いやもうこのくらいは裏本編では普通の気がしてきた。

 西裏町で夜を明かして、迷い鳥へ戻ってすぐに……私が聞いたのは、耳に残る張り手の音。頬に走った痛みからそこを打たれたのだと知った。

 まだ病み上がりだろうに、私達が戻ってきたことを聞いた鶸紅葉が会議室までやって来たのだ。


 「鶸!やり過ぎだ!!」

 「止めるな蒼っ!一発ではまだ足りんっ!!これは姫様をっ……姫様をっ!!」

 「言ってくれるじゃねぇか、鶸紅葉」

 「止めろアスカ。私は大丈夫だ」

 「お前は大丈夫でも俺が許せねぇんだよ」


 リフルも鶸紅葉に殴られる覚悟は決めていた。だからそんなに驚くことではない。平手であっただけまだ優しいくらいだ。


 「瑠璃椿っ!お前が付いていながら………何故姫様から目を離した!!」

 「こいつを責めるのは間違いだ。マスターを守れなかったのは……僕の責任だ」


 鶸紅葉と蒼薔薇のやり取りに、ロセッタが小さく笑う。何かに気付いたと言わんばかりの不敵な笑みだ。


 「…………なるほどね」

 「ロセッタ?」


 そして後天性混血二人に視線を送り、その手を凝視する。


 「ねぇそこの青目の兄さん、ついでに赤目の姉さんも。あんたら結構いいカードでしょ?」

 「何を突然……?」

 「あんたら二人を殺せなかったっていうのは、数術使いとしてはそれなりでもあのオルクスって奴はそこまで強いカードじゃないって事なのよ。まだゲームも始まったばかりだし幸福値の差は歴然ね。だから人質に出来るカードを人質にすることにした。殺せない人質なんて人質の意味ないもの」

 「それでは……姫様が危険だと言うことには変わりないではないかっ!!」

 「まぁ、落ち着きなさいよ。あんた私より年上でしょ」


 鶸紅葉のスタイルの良さへの八つ当たりか、ロセッタの口調はきつい。


 「向こうにはフォースの馬鹿がついていった。ぶっちゃけこっから出せる内で最善の布陣よ。あいつ地味に良いカードだし」


 ロセッタは片手をひらひらと動かして、自分の利き手を指さした。


 「昨日無理矢理見せて貰ったんだけど、あいつはⅩ。あんたらの中ではリフルの次に強いカードよ」

 「ま……マジで?」


 アスカの呟きに、全員が同じ事を思ったことだろう。いや、一人だけ違うようだ。蒼薔薇……ハルシオンは納得がいかないと、自分の片手を晒す。


 「それなら……僕だって」


 彼の手にはクラブの紋章。そして刻まれたⅩの数。


 「あの妙な数術使い相手に生きてるだけ十分幸運じゃない」

 「……そ、それはそうかもしれないけど、不公平だ」

 「あんたは後天性混血でしょ?あっちだって警戒するわよ、だけどフォースは唯のタロック人。だからあっちが勝手に舐めてくれるわけ」


 むしろ強いと思われてるんだから良かったじゃないと言われても、トーラを守れなかったことは彼にとっては苦痛でしかないようだ。先程庇ってくれた彼のために何か言いたかったが……何を言っても慰めになるようには思えなかった。


 「まだカードについてここの連中は正しく理解していないようだから私が教えといてあげるわ」


 感謝しなさいと言わんばかりに彼女は尊大に語る。


 「カードには幸福値って言うのが割り当てられる。これを用いることで、まぁいろいろ有利になるわけよ。それでこれは上位カードほど少なく、下位カード程数が高い。だからコートカードは強い。幸運だから。要するに死に損ないってわけ」

 「死に損ない……」


 確かに。これまで何度も死に損なった。リフルは自分の過去を思いだし、それは間違いでもないと頷いた。


 「まぁ、その代わりコートカードは元素の加護を受けない。元々数術使いでもない限り、数術を使えるようにはならない。要するに、リフル以外は全員ある程度は数術を使える可能性があるってことね。まぁ後天性のお二人さんは絶対に無理だと思うわ」

 「やっぱり不公平だ!」

 「うっさいわね!私だって後天性だから使えないのよ!!こればっかりは諦めなさい!代わりに他の使い道があるんだからいいじゃない!」

 「他の、使い道?」


 叫き出すハルシオンと対照的に落ち着きを取り戻す鶸紅葉。


 「一応カードの強弱があって、殺せないカードがあるって言われているわね。基本的にはそうよ。ゲームの中盤終盤くらいになれば話は別。幸福値の差が物を言うわ」

 「それじゃ……こいつが、そこらの雑魚カードにやられちまうってことが」

 「ええ、あるわね。だからあんまり無駄遣いするんじゃないわよ」


 幸福値の使い方に気をつけろと彼女は言う。それにアスカが心配そうにこちらを見る。でもそんな風に見られても、まずその幸福値とやらの使い方が解らない。


 「しかしロセッタ。私は数術は使えない。幸福値の消費というのもよくわからないのだが」

 「あんたらでも数術代償は知ってるわよね?幸福値は本来数術の才能のない人間が、数術を使った時に消費される数術代償であることが多い。後はそうね。ちょっとしたことでも願ったりすると、消費されたりするから気をつけて」

 「願い……?」

 「カードは命を賭けて戦う分、願いが叶いやすい環境にあるの。他の人間よりは幾らかね。だから強く願えばなんとかなることも結構ある。だけどそうすると幸福値を消費してしまう。それはカードとして弱体化するってこと」


 それでもカード同士が戦い、願いと願いがぶつかる以上、叶わない願いも勿論生まれる。それに叶えられる願いはそう大きな事は無理。現実的にあり得ないことはカードの願いでは敵わないのだという話だ。


 「毎ターンクリティカルヒットを出し続けるとか、避け続けるとかそういう幸運だと思ってくれればいいわ」

 「……要するに私が弱くとも、それを消費することで格上の相手とやり合うことが出来なくもないということか」

 「そういうこと」


 それは一筋の光明。そう思った刹那、彼女が言葉を付け加える。


 「幸福値が低くなればコートカードの幸運も地に落ちる。本来殺せないような弱いカード相手に負けて殺されるということも出てくる。私達はこれをカード破りと呼んでいるわ。そのために幸福値を消費する行為が数値破り」

 「カード破りに、数値破り……?」


 何だか物騒な言葉だ。リフルが聞き返せば、ロセッタもそれを肯定。深く、深く頷いた。


 「でもカード破りはルール違反。つまりカード破りを行った者が生き残っても勝者にはなれない。ルール上失格ってこと。カードになった以上、何かしらの願いはあるはず。これは自分の願いを諦める覚悟があるかって話なのよ」


 その言葉の重さに、一同は黙り込んだ。皆何か考えていることがあるようで、場の空気まで重くなる。しかしそれを気にせずロセッタは言葉を続ける。空気は読まない主義らしい。


 「オルクスが二ヶ月の猶予を与えてきたのは、私達との戦いを長期化することが狙い。カードの弱体化を図ったものと見て間違いない。なかなかいい解釈してやがるわ。……で?どうするの?」

 「それは勿論姫様を」

 「悪いけどあんたには聞いてないのよ。私がイグニス様から手伝って来いって言われたのはあくまでリフル、あんたのことよ」


 鶸紅葉の言葉を遮るロセッタが、決断を私に迫る。


 「おそらくオルクスは第5島にはいるとは思うけど、何時何処に居るのか……向こうの戦力がどの程度なのか。少ない情報で挑んでもまぁ返り討ちに遭うのがオチね。情で動いても何も変わらないわよ。それに彼女を攫ったってことは、少なくともオルクスはトーラは殺せるカードだってこと。わかるわね?迂闊な真似をすれば本当に、彼女死ぬわよ」


 頭なら、情で動くな。組織を考えろ。もう私は一人じゃない。命を預けられている。無謀な賭けは出来ない。それは事実だ。それでもその選択は鶸紅葉やトーラを傷付ける。


 「教会から空間転移使える数術使い要請してもいいんだけど、あっちはあっちでライル坊やのサポートがあるし、難しいのよ。精々行きの分の数術使いしかやってあげられないわ。おまけに第2島なんか数術使いと混血嫌いの集まる土地でしょ?下手な飛び方したら吊し上げられるわよ。だから空間転移は第2島行きにはまず無理。おまけに時間的にも2公や4公の説得にどのくらいかかるか解らない」


 その時間の全てをオルクスとのことに費やせば、そこで敗れた場合後がない。最善は如何に2公4公を攻略し、そしてカルノッフェルの事件を止めるか。そしてオルクスを捕らえ、トーラの無罪を証明するか。そしてそれを迅速かつ、カードの強度を保ったまま行うか。鍵はそこにかかっている。


 「…………私とアスカとロセッタは、第2島へ行き、第2公の説得に当たる。鶸紅葉は情報収集と請負組織TORAの統括。ハルシオンは必要とあれば洛叉やアルムの力を借りて迷い鳥と西裏町の守りに当たってくれ。オルクスの意図はわからないが、右目の方を隠していれば問題ない、そうだったな?」

 「ええ、問題ないわ」

 「それでは頼む、ハルシオン」

 「…………まぁ、マスターも同じ事を言っただろうね。それが最善か」

 「し、正気か!?」


 リフルの結論に、鶸紅葉が目を見開いた。これまでそんな選択をして来なかったリフルが……仲間を見捨てるような選択を口にしたのが信じられないと。心の何処かで信じていたのだ。今すぐトーラを救いに行こうと、そうその口から発されるのを。

 それを裏切ることは、とても苦しい。それでも今考え得る中での最善はこれだった。


 「私は……トーラとフォースを信じる。第5島にはこれ以上の人員を割けない」

 「ふ、ふざけるなっ!!」


 掴み挙げられた胸ぐら。もう一発くらい殴られるなら、それで彼女の気が済むならば、甘んじて受けよう。そう思いリフルは目を閉じる。その時、聞こえてくる声があった。


 「鶸。マスターがあいつの手を取ったのは……街のためでもリフルのためじゃない。セネトレア王女としての判断だ」

 「蒼……」


 それはハルシオンの声。トーラとオルクスの一部始終を見ていた目撃者。


 「トーラ様は、王女としてご自分の侍女を救いに行ったんだ。二ヶ月の猶予を求めたのも彼女だ。片割れの性質を深く見抜いた上で、彼女はゲームを挑んだんだ。オルクスは、自分の勝利条件、敗北条件の定義されたゲームを好むと気付いて」


 兄妹だからこそ……信じたくなくて目を背けていた一面。一緒に居たからこそとそれでも解るその一面。それから目を逸らさずに、挑みに行ったのだと彼は言う。トーラが消えた理由を知った鶸紅葉は、驚愕で返す言葉を失ったよう……


 「……リフルの言っていることは今のところ最善だ。それを疑うって言うのはあの人の言葉を疑うってことなんじゃない?」

 「蒼薔薇……」

 「トーラ様は、お前を見捨てるような自分は胸を張ってセネトレア王女だって言えないって……だから行ったんだ!!それで僕らを信じて時間を稼いでくれているんだ!!その信頼を、裏切るっていうのか!?」


 ハルシオンの青い眼から涙が溢れ出す。鶸紅葉はそんな彼を抱き寄せて、その背を撫でる。


 「…………蒼、私が悪かった。すまない」


 そして……、心を決めたようにリフルへを目を向ける。


 「命令…………しかと、聞き入れた。Suit様」


 *


 「ったく、俺の精霊は使えねぇな。空間転移くらいマスターしてねぇのかよ」

 《あれって本当大変なんだから!無精霊でもないとマスター出来ないわよ!》

 「む……?」

 「あんたらそんなことも知らないの?っていうか漢字二文字目で区切ったら殺すわよ」


 用意された船に乗り込むと、アスカと精霊が喧嘩をしていた。気になった言葉を問いかけようとすれば、ロセッタに銃を突きつけられた。別にやましいことは何も言うつもりはなかったのだが。


 「いーい?精霊って言うのは種族云々は置いといて、性別的には4種類いるわけ。その子は女精霊だから補助系に特化してる。男精霊は攻撃系に特化。エルムって子に憑いてたのは中精霊。要するにまだ発展途上で性別がない中性、子供って事ね」

 《私は、アトファスに惚れたから女精霊になったのよ。きゃっ、言っちゃった》

 「精霊ってのは確か恋した対象によって性別変わるのよね」

 「んじゃお前そこの男前な嬢ちゃんに惚れていっちょ攻撃数術覚えろよ」

 《嫌よ!私はワイルド系より爽やか系の方が好きなんだもの!!》

 「そこの羽つき虫、死にたいわけ?」


 照準を変えるロセッタ。彼女を宥めるために、リフルは話題を逸らした。


 「いや、十分助かっているじゃないか。モニカは風向きを変えてくれるんだ。船が順調に進むのはありがたいことだ」

 《嫌だわ、リフルちゃんったら本当可愛いんだから!》


 しかし食い付いてきたのは精霊の方だった。


 「それで、もう一種類というのは何だったんだ?」

 《スルーっぷりがクールでいいわ》

 「お前美形なら何でも良いんだろ実は」


 フィザル=モニカにアスカのツッコミが冴え渡る。


 「無性精霊っていうのは高等精霊ね。っていうか不安定期の中性精霊なら性別変動は起こり得るけど、もうそこの精霊みたいに確定しちゃった奴は無性精霊にはなれないわね。世俗染まりの欲塗れじゃそんな高尚なものにはなれっこないわよ」

 「ああ……確かに末期だな。なんで代償があんなもんなんだよ」

 《あら?この私の心遣いが解らないなんてアスカニオスはまだまだ子供ね。私がそういう環境を作ってあげたことで、貴方はさも契約のためだという顔で大好きなご主人様から下着を巻き上げられるんじゃない!!一枚二枚くらい誤魔化して私物に出来るチャンスじゃないの!!》

 「いらねぇよっ!!誰がんなもん頼んだ!!お前は俺を何だと思ってるんだよ!?」

 《上手く行けば目の前でストリップ頼めるチャンスでもあるのにっ!!何で有効活用しないのよ馬鹿っ!私ほどご主人様思いの守護精霊も居ないわよ!?あの子が毒人間だったから数術一回に付き一発貴方とやらせてあげて言わなかっただけまだ良心的じゃない!それだったらもうあんた軽く3回は死んでるわよ!?》

 「モニカはセネトレアジョークが達者なんだな」

 「馬鹿、感心する所じゃないでしょ?あんた今セクハラされてるわよ」

 「可愛いものじゃないか。この程度でセクハラなど言っていたら高級奴隷などやってられん」


 まだ口論を続けている一人と一精霊を甲板に残し、リフルは階段を下る。ロセッタもそれに続いて立ち止まる。彼女の足音が止んだことで、リフルも振り返り……二人で同じ事を思いだしてしまっていることを知った。それは2年前。船で二人…………そして。

 足が竦んでいるのだろう。気の強い彼女でも、まだ拭えないトラウマがある。それが自分自身なのだと自覚する。


(人殺しか……)


 そう告げられた言葉が胸の中で甦り、荊の棘のように痛みを生んだ。


(返す言葉がない……その通りじゃないか)


 自嘲気味に笑って、リフルが歩みを進める。それを追うように階段を駆け下りてくる足音。その足音は船室まで付いてきた。


 「私は神子様からあんたへの協力と、あんたの監視を頼まれてるの。手を組むにしろ、いろいろ隠されてたんじゃ堪らないもの。当然の権利よね」


 無理はするなと言ってやりたかったが、余計なお世話だと返されそうで、ああそうかと頷くしかなかった。甲板での言い争いと波の音が、何処か遠くのことのようにリフルの耳に届いていた。

 寝台に腰掛けて、窓の外の海を眺めていると……ロセッタがぼそぼそと遠回しに声を掛けてくる。


 「…………城の方だけど、ライル坊やが上手いことやってくれたみたいね。連絡がさっき来たわ」

 「ラハイアが!?」


 思わず顔を上げ彼女の方を振り返る。分かり易いほどの釣り糸だ。私はどれだけ彼のことに弱いんだ。恥ずかしくなって視線を逸らすと、彼女が笑う気配がした。


 「……まぁね。2ヶ月間は城が西裏町に攻めてくることはない。あの坊やが2ヶ月以内に両事件の真犯人を曝くって女王様に啖呵切って。その威勢を気に入ったとかで通ったらしいのよ」

 「そうか……流石はラハイアだ。異母姉様を言い負かすとは……」

 「あいつのこと、そんなに気に入ってるんだ」

 「まぁ……その、ああ」

 「……その目が効かないから?」

 「え……」


 突然彼女の顔から笑みが消えた。疑うような視線ではないが、何かをそこから見出そうと此方を観察する瞳だ。


 「神子様から聞いたわ。そう簡単に信じられる話じゃないけど……2年前のとあんたの周りの奴ら見てればそう嘘でもないことも解ったし。それで少しは制御できるようになったわけ?」

 「完全にではないが……一応は。服装や髪型で効果を減らすことには成功している」

 「ああ、だから髪切ったのね」

 「ん……ああ」


 そこで一旦会話が途絶えて、何かを話さなければいけないような気持ちになった。


 「…………その、すまなかった。せっかくフォースと再会出来たというのに、あっという間に」

 「それは別にあんたの所為じゃないでしょ。私もそこまで理不尽じゃないわよ」


 また無言。無音の部屋の空気が重い。その空気に耐えきれず、リフルはアスカを迎えへ行くことにした。部屋を出るまで彼女はずっと無言のままだった。それが不機嫌そうな彼女よりも、何倍も恐ろしく見えた。甲板に出るとまだアスカと精霊は口論を続けている。


 「アスカ……」

 「お、リフル!お前からもこいつに言ってやってくれよ」

 「……アスカ」

 「…………何かあったか?」


 リフルの顔色が優れないことに気付いて、アスカが真面目な顔になる。彼は精霊に船を押す作業を命じて傍から離し、残されて……小さな船の甲板に二人きり。アスカなりの配慮だったのだろう。話し難い話であることを見抜いての……


 「……そっか。2年前にお前らは会ってたんだったな」

 「……ああ」


 船旅と言うことでそんなことを思い出してしまっていた。


 「彼女が何故シャトランジアに辿り着いたのか。どうして教会の裏方仕事なんかやっているのか……」

 「気になるけど聞けねぇよなそんなの……」

 「アスカはシャトランジアにも少しは詳しいんだろう?運命の輪とやらのことは知っているか?」

 「ん、まぁな」

 「それはどういったものなんだ?」

 「まぁ、基本的に神子の護衛とか親衛隊みたいなもんだ。表向きは違う名称で。その裏で教会の厄介事任されてる連中だ。潜入捜査に情報収集……それから死刑執行。十字法は死刑制度がないからな。表で裁けない連中を闇に葬るための機関だ」

 「闇に葬る……」


 聖教会の中にありながら、それは自分たちに近い立ち位置。矛盾した正義の象徴。


 「法に触れる機関だから存在しないことにはなっている。だから普通の人間はまず知らないな。唯、凶悪犯が死体で見つかることが続けば、そういうものがあるんじゃねぇかって噂がある程度だ」


 証拠はない。確証もない、だから誰も名前など知れない。それでもまことしやかに囁かれている正義の鉄槌。誰も見ていないところに月はない。だからそんな機関は存在しない。法になど触れるはずもない。要するに、そう言う組織なのだ運命の輪とはきっと……


 「で?それで何沈んでるんだよお前は」

 「あの時私が……私が暴走しなければ、彼女をちゃんと保護できていたのかもしれない。そう思うと……」

 「ちゃんと保護しててもフォースみてぇになってた可能性もあるだろ?」

 「でもっ!そうじゃなかった可能性だって……」


 助けられなかった。それが彼女を人殺しの道へと突き落としてしまったのではないか。そう思わずにはいられない。


 「再会したばかりの彼女は、本当に私を憎んでいるような目をしていたよ。今だってきっと……許してなどくれていないだろう」


 仕事だからと割り切っているだけだ、おそらく。


 「怖いんだ……私は彼女に何をしてしまったのかと」


 知るのも、知らないままでいるのも。怖くて堪らない。そのまま彼女の傍にいるのが恐ろしい。泣きそうな顔で彼を見れば、彼の口元が歪むのが見える。


 「…………そっか」

 「……アスカ?」


 何を笑って居るんだろうこの男は。唯私が相談をしているだけなのに。どこに笑う要素があったのだろう?


 「いや、まだまだお前には俺が必要かと思ってな。ちょっと嬉しかっただけだ」

 「何を言っているんだ?」


 私が何時お前が要らないと言っただろう?そんな日、来るはずがないのに。そう思って彼を見上げれば頭をぽんと叩かれる。痛くはない。むしろ優しい。温かい。どうしてこの人は、こんなに優しい目で私を見るのだろう。その真意はわからない。それでも、彼の手は温かかった。生きている人の温度だ。


 「大丈夫だからさ。あの嬢ちゃんがいくらおっかないっても俺もいるんだ」

 「…………そうだな」


 釣られて私も笑う。それで何が変わるわけではないけれど、少しだけ気持ちが楽になった。

 彼はまだ私を見ている。それで全部かと。いいや違う。まだある。幾らでも苦しいことは……それを洗いざらいぶちまけろ。聞いていてやるからと、彼の目が言う。

 あまり頼りすぎたら、それに慣れてしまったら。いつか困るんじゃないか。それが普通になってしまったら、私はもっと弱くなってしまう気がする。

 半年前から脅えていたんだ。また彼に守られて、彼が傷ついた時に……もし失ってしまったら、今の当たり前が消えてしまったら。それが怖い。だけど言えない。こればかりは彼も私の望む答えをくれないだろう。そんな風に死ぬことが、彼は幸せなんだと勘違いしているのだから。


 「……なぁ、アスカ」

 「何だ?」

 「どんな気持ちなんだろうな。夢を果たせず、死んでいく人間は」

 「…………リアのことか?」

 「…………………そうだな。そうかもしれない」


 彼女の仕上げられなかった絵……彼女の夢は何処に消えたんだろう。彼女は何も悪くないのに、彼女は殺されてしまった。もう夢さえ見られない。夢を叶えることももう出来ないのだ。


 「私なら悔しいというか……きっと悲しいな。何も出来ないまま、変えられないまま終わってしまうのは」

 「…………そうか。で、お前はあの子の何処が気に入ったんだ?お前のお嬢様とは全然タイプが違うだろ?」

 「……リアか?……そうだな、普通で普通じゃないところ」

 「なんだそれ?何となくは解るけどな」


 人殺しなんかとは無縁の、普通の世界を生きている。そんな明るい場所で笑っている彼女はとても魅力的に見えた。自分はそんな風には生きられないと知っているからこそ、その日溜まりに魅せられる。


 「たぶん私はあまり一生懸命生きていないから、一生懸命生きている人に弱いんだよ」


 お嬢様は一生懸命私を愛してくれた。狂気に染まっても、その想いだけは剣のように真っ直ぐで輝いて見えた。

 リアは最後まで自分の戦いを続けた。逃げなければ死ぬと知っても、自分の夢へと挑んだのだ。目の前の絵を完成させること。それが絵描きの仕事。一度手に取った筆は、完成するまで下ろせない。目指す高みに辿り着くためには、唯の一度もそこから逃げてはいけないのだと、彼女の背中は語っていた。

 多くを与えてくれた、彼女が最後にくれた物。私は、人殺しから……その責任と償いから逃げてはならない。彼女を救えなかった私は……逃げてはいけないのだ。


 「カルノッフェルは今……どこに居るんだろうな。何故彼は、……あそこまで執拗に名前狩りをしたのだろう?それで亡くした人が帰ってくるわけでもないのに」

 「さぁな……狂人の考えることなんかわかるはずないだろ…………ん?」

 「どうかしたか?」

 「いや、そのフレーズどっかで聞いたことあるような気がしてな」


 アスカはそう言って、暫く黙り込んだ。その沈黙を見守りながら、リフルもリフルで考えてみる。

 死んだ人が生き返る?そんなことはあり得ない。数術だって、あり得ない。

 そこでアスカを見上げれば、視線が彼を合わさった。邪眼を恐れてさっと逸らしたが、彼も同じ事に思い当たったらしい。


 「あいつ……もしかしてカードだったりしねぇか?」

 「いやしかしそれなら……犯行日が、星の降った日からでなくてはおかしい」

 「元々名前狩りはしてたんだろ?そこに後から理由が増えたんだ。憂さ晴らしの復讐に、意味が生まれたんだ。本当に生き返るかもしれないっていう」

 「……っ!?それじゃあっ……」


 元々はSuitをおびき出すための作戦。それが今になって意味が変わった。


 「名前狩りは激化する可能性がある。カードを誘き寄せて殺すために……少なくともやりすぎれば聖十字は釣れるだろ?それにあの嬢ちゃんからの追跡をかわすってのはよっぽどの幸運だよな」

 「っ……、ロセッタっ!!」


 蒼白の面持ちで船室に駆け込んできたリフルを見て、船室でゴロゴロしていたロセッタは目を大きく見開いて……その尋常ではない様子に素早く飛び起き得物を構える。


 「何事!?」

 「大変なんだ!!」

 「だから何が!?」

 「カルノッフェルがカードかも知れなくてっ……それでまた事件起こすかもしれなくてっ……そうしたらラハイアが……ラハイアがっ!!」

 「落ち着きなさいよ」


 銃で軽く頬を打たれた。冷たい。その温度に、はっと我に返る。


 「勿論そのつもりで捜査は進めさせてるわ。あの弾食らっといてそれでもまだ人格矯正から立ち直るなんて、普通の人間じゃあり得ないもの」

 「そ、それじゃあ……」

 「それにあの坊やはキングだし。大抵はなんとかなるでしょ。ついでに何枚か傍にカード配置してるわよ。神子様だってラハイアは大切なカードだって言っていたし」


 呆れたのだろうか。ロセッタは溜息を吐いて部屋から出て行く。追おうかどうしようか悩んだが、アスカに引き留められた。


 「っていうか、もうちょいしたら着くだろ?そろそろ着替えといた方がいいんじゃねぇか?勿論モニカかあの嬢ちゃんに視覚数術はやってもらうとして、万が一ってこともある」

 「…………それもそうだな」


 第2島グメーノリアは純血至上主義者たちの集結地。決して楽な仕事ではない。

 変装はタロック人の女にでも化けよう。女の物服に着替えて荷物から黒髪のウィッグを取り出し鏡台の椅子へと腰掛ける。


 「しかしそれなら混血狩りの連中……ヴァレスタと関わりがないというのも妙な話だな」

 「…………だな」


 目的は同じはずなのに、手を組めない理由でもあったのだろうか?分からないと言えば……


 「ヴァレスタはどうして……エルムや埃沙を傍に置いているのだろう?」

 「数術が便利だからじゃねぇか?あの人は目的のためには手段選ばないような感じだったからな」


 アスカの言うことはもっともだ。あの二人は数術使い……

 ロイルやリィナがあれ以来どうしているのかはわからない。彼らの心配も勿論あるが、身内で純血である以上、そこまで酷い扱いは受けてはいないと思いたい。第一あの二人なら逃げ出すくらいはわけないはずだ。そうしない以上何か理由があるのだろう。

 しかし、他の二人は別だ。エルムと埃沙は混血だ。トーラの話を聞く限り、逃げられるチャンスは二人とも十二分にあったはず。子供とはいえ二人とも数術使いなのだから……


 「……それはまだわかるが、それならどうしてエルムや埃沙が彼に協力しているのかがわからない」


 逃げられないのではなく、逃げない。それは何故か?考えても答えは見えない。しかしアスカは何か思い当たる節でもあるような口ぶりで言う。


 「……気になるか?」

 「気になるよ」

 「教えてやろうか?」

 「え……?」


 手招きされ、とりあえず近づく。すると櫛を奪われた。鼻歌でも歌うように彼は髪を梳かし出す。


 「……俺はエルムがどうしてああなったかなんてわかんねぇけど、そっちの方ならまだ解る」


 そう前置きをして、アスカは言った。


 「いいか?人が人に仕える理由ってのは二つある。仕方なくか、喜んで」


 その言葉にはなるほどなと思わせられた。仕方なく仕えた相手も、喜んで仕えた相手もこれまで自分も出会ってきたから。

 妙な納得をしていると、彼の視線を感じる。顔を上げれば、鏡の中の彼は……俺は如何にも後者ですみたいな顔をしていたので、恥ずかしさついでに何故か腹が立って視線を逸らした。


 「俺は目的のためならお前以外にも仕えられる」


 言葉の重み。実際彼はそうした。私を捜すために、東に行ったんだ。そのために手を汚して……商人の下に仕えた。それまで自分に強いていた禁忌に手を染めた。


 「エルムの方は何なんだかわからんが、見た感じだと洛叉の妹ってのはこっちだろう。あいつがヴァレスタに仕えてるのは十中八九あの闇医者に対する当てつけか嫌がらせだ」

 「…………お前はどうしてそこまでして、私に仕えてくれるんだ?」


 アスカの言いたいことは解った。目的のために仕えるか、仕えたいから仕えるか。その言葉は理解した。それでもわからないことがある。


 「お前にも何か……本当は目的があるんじゃないのか?」

 「ちょっ……そこで俺を疑うか?」


 鏡の中でアスカが苦笑している。違う意味に取られたらしい。


 「いや、目的というのは変な言い方だが……そうだな、願いとか……」

 「ああ、願いね。それならあるぜ」

 「……それは?」

 「さぁな……。よし、こんなもんか」

 「あ、ありがとう」


 髪のセットが終わったらしい。髪飾りで地毛とウィッグを固定されている。余程のことがない限り取れることはないだろう。

 目に色硝子を入れたいところだが、いざという時邪眼の効力が落ちても困る。目は視覚数術でなんとかしてもらおう。


 《で?言わないつもりなの?嫌ねぇ出し惜しみする男は》


 そう思ったところで現れる第三者の声。振り向けば風の精霊フィザル=モニカがにやにやしている。


 《アスカニオス坊ちゃん、遅漏は嫌われるのよ。早漏過ぎるのもあれだけど》

 「げ……聞いてやがったのかおまえ。船押し作業はどうした?」

 《もうすぐ陸だしお終いよ。それに言ったじゃない。私は千里先まで盗み聞きできるって。まぁ千里は言い過ぎだけど、1キロメートルくらいは余裕よ?》

 「サバ読み過ぎだろてめぇは……」


 要するに船でのやり取りは余裕で丸聞こえだったということらしい。


 「…………言うほどのもんでもねぇよ。もう叶ってるようなもんだしな」


 目を逸らしながらそんなことを言うアスカに、その真意を悟る。何とも分かり易い言葉だ。


 《うわっ……臭っ!アトファスなら許すけど貴方じゃ65点ってとこよアスカニオス!》


 これには流石に精霊からもクレームが飛ぶ。それはそうだ。傍にいられること。それ自体が願いだなんて。今までの言動を見ていれば解ることだけど。いざ言葉にされると……此方が戸惑う。そんな恥ずかしいことを平然と言ってのけるなんて。アスカなのに。アスカの癖に……


 「そ……そうだな。流石に臭すぎるぞアスカ」

 「お、お前までそういうこと言うかリフル!?…………」

 《…………意外と臭い台詞に弱かったのねリフルちゃんは》

 「ち、違うっ!!唯……意外だっただけだ」


 否定するが精霊はにやついた笑みを浮かべている。アスカの方とは目が合わない。


 「アスカはいつも……適当なことを言うのが多いじゃないか。だからそのギャップの所為だ」

 「ああ、ギャップな。驚いたか?」


 互いに目を逸らしたままぎこちなく笑い合えば、精霊からツッコミが入る。


 《ご主人様相手には割と恥ずかしい台詞連発したり割と真剣気味なこと多くなかった?》


 見えていなかっただけで今までの2年間のやり取りを全て観察されていたのだと思うと、軽く死にたくなった。それは彼も同じ気持ちらしく、ようやく目が合った。もう笑うしかなかった。


 「もういっそのこと、殺してくれ」

 「無茶言うなよ」


 *


 《どうかしましたかロセッタ?》

(…………何か、予想と違います神子様)


 定期連絡。通信回線。脳波でのやり取り。その一言目は私の弱音。


(……あいつ、何なんですか?)


 私が想像していた殺人鬼。それはもっと……もっと残酷で残虐で、鬼畜で外道。私が今まで殺してきた人間よりももっと最低。そういう者だと信じていた。……それが何よ。何よあれ。弱くて。すぐ泣いて…………リアっていう少女のために、あそこまで脆くなったり。ラハイアのためにあんなに血相を変えたり。あれじゃあまるで……普通の人間じゃない。

 黙り込んだ私に神子様は……少しの時間を与えた後、言葉を与えてくれる。


 《ロセッタ。何故僕が貴女をそこへ送ったかわかりますか?》

(はい……)


 リフルとアスカ。あの二人を守るのが私の仕事。神子様がシャトランジア王……国王派の連中を負かすためにもあの二人は必要だ。彼に引き合わせるまで少なくともあの二人は死なせてはならない。

 殺人鬼を守るなんて。そうは思った。それでももう一度見て……あの日見た背中はこんなに小さく細かったのかと驚いた。この二年、私もそんなに背は伸びていないけれど……彼は全く変わっていない。少しは背が伸びた私は、昔ほどあいつが怖くない。あの日あんなに恐ろしかった者はこんなにちっぽけな存在だったのか。何処か呆気に取られている私が居る。それでも……ふとした時に思い出す。二人きりになると、どうしても。

 転がる死体。殺し合う人々。踊る狂気。一面の赤。狂乱の宴。私の目を鮮やかに染めていく。


 《彼が何者なのか。僕にも不明瞭な点は多い。だからこそ僕は真実を知りたい。彼がどういう人間なのかをもっと知りたいんです。彼はその価値がある人間なのか見極めるためにも》

(はい……)

 《それで、那由多王子はどんな様子ですか?》

(本人はそこまでおかしくはないです。唯、周りが変です。例の目の所為かと……)


 はっきり言ってあの空間は異様です。そう告げれば神子様が笑う。


 《まぁ……何処までが邪眼の力なのかは僕にとっても未知数だから何とも言えないけれど、くれぐれも慎重に》

(わかりました)


 そうだ。油断してはいけない。あんな顔でもあいつは大量殺戮犯。甘く見てはいけない。そう思う。そう思うのに……思い出すのはさっきのあいつの顔。彼の安全を保証してやれば、自分のことのようにほっとしたようなあの表情。あんな優しさに、思いに満ちた表情を浮かべる殺人鬼なんて……私は知らない。私が殺してきた、人間の屑達は、あんな顔はしなかった。


 《……それで今は?》

(はい、セネトレア第2島にまもなく到着します)

 《そう。それじゃあ変装は抜かりなく。あの島は僕らにとってとても危険なところだからね》

(了解しました)


 報告はそれで終わり。頭に響く声はもうしなくなる。神子様も忙しいのだろう。今カーネフェルに着いたばかりとのことだったから。


 「……ったく、聞いたこと無いわよそんなの」


 あんなに情けなくて、弱い殺人鬼なんて。調子が狂う。

 狼狽え出すその様が……2年前の彼と、ピタリと重なるようで。どうしてと戸惑う瞳が私を見ていた。私を見ていた……そんなの、私が聞きたいくらいだったのに。


 *


(…………まぁ、目立つよなぁ)


 視線を感じて、アスカは溜息ながらに辺りを観察。

 唯でさえタロックの女は少ない。おまけに俺の主はかの絶世の美女の弟だ。そんな美少年が女装したらそりゃあ誰もが振り返る。何処の純血の姫が来たのかと思っても仕方がない。いやこれは俺の贔屓目無しに見ても、確かに可愛い。黒髪変装も似合っている。

 その隣でふて腐れているロセッタ、何で女の私が男装なのに、男のこいつが女装してるのよと言いたげなその表情。こればかりは仕方ない。ロセッタが純血女の振りをする方が、女装のような感じがする。外見というかそれ以前に教会の裏仕事ばかりをこなしてきた彼女の気迫がそれにそぐわないのだ。

 というか元々そんなに胸もないから男装がよく似合っている。フォースなんかより余程格好いいと言ったら二人に失礼か。そう苦笑していると、ロセッタから鋭い視線を感じる。


 「………どうかしたか?」

 「あんた目立ってるわよ」


 これにはリフルも頷いている。


 「この島にカーネフェリーはあまりいないようだからな」

 「マジかよ……」


 目立っているのはどうやら俺の金髪の方だったらしい。いや、でもそれは一因であって原因ではない。タロークの少女に変装しているこいつを、連れ歩いている俺がカーネフェル人なのが気に入らない、つまりはそういう視線なのだ。


 「先程通りかかった市も妙だった。いや……本来それがあるべき姿であるとは言えるのだが」


 リフルが考え込む。それに釣られてアスカも思い出してみる。船を下りた先はグメーノリア南の港町。迷い鳥から直進で東の港に行っても良かったが、島の東には殆ど街がない。その大部分が森と山。そんな場所からやって来れば住民から怪しいと目を付けられるかもしれない。

 この第2島は西方守護を任されている。故に拓けているのはもっぱら西側。南は他島との交易の関係上開かれているような雰囲気。

 しかしその位置はアルタニアや王都との交易を行うには微妙な場所だ。第5島からすれば使い勝手良い港かも知れないが。

 そのヒントはリフルの言った言葉にあるのかも知れない。そう……市には奴隷がいない。セネトレアの代名詞とも言える奴隷貿易。その気配も感じられないのは妙だ。その妙な空気は、港で捕まえた馬車に運んで貰ったシルワブルグの城下町まで続いていた。


 「いくら混血狩りの発祥地って言ってもなぁ……」


 ここまで異様な空気。まるで別世界。第1島自体が異様な空間なのだとも言えるが、そこに慣れてしまった自分たちにはこの島の正常さがむしろ妙。そう。ひしひしと感じる違和感。それがすぐ傍で息づいている。

 もっとも街自体はそこまでおかしくはない。普通すぎるくらいだ。そこそこ活気はあって、人通りもある。それでも妙なのはどいつもこいつも俺たちをよそ者だと見ていること。港町に他島の者が訪れることはあっても、城下町までやって来る変わり者はそうはいないということなのか。どうにもこの視線は居心地が悪い。


 「おい、馬鹿っ!」

 「え?」


 一瞬誰の声か解らなかった。それはリフルも同じだ。声の方を振り返ればロセッタが怒り狂った表情でリフルに詰め寄る。


 「何ぼーっとしてんだ!」


 変装時はちゃんと言葉遣いも男らしい。ってリフルもリフルでどうしてそこで顔を背ける。顔をすぐ間近で覗き込まれたのは解るが、何故そこで照れる。せめて百歩譲って照れるにしても通常時に照れてやれ。何間近で見たらなかなか格好いいみたいな顔してるんだよお前は。

 しかし相手はあのロセッタだ。何の意味もなくそんなことはしないだろう。


 「あんたの財布っ!今すられたぞ!!」

 「え?」

 「え?じゃないっ!さっさと追いかけろ!!」


 犯人と思わしき人間が走り去る。その背中を指さす彼女にリフルは面倒臭そうに首を振る。元々そんなに体力がなこいつは走るのが得意でもない。追いかけたところで見失うのを理解しているのだ。


 「いや、どうせ端金だ」

 「はぁ!?馬っ鹿じゃねぇの!?」

 「いや……セネトレアではよくあることだしな。金銭は一箇所にまとめていないし元々私はそんなに金を持ち出さない」


 確かにそうだ。金の管理は基本俺やトーラがやっている。こいつは基本運が悪いから、こんなことはよくある。だから今回もガキの小遣い程度の金しか渡していなかった。


 「いざ困ったとなればその辺の男でも誘惑して金を巻き上げてくるから心配するな」


 その辺の男とはその言葉通りなのかもしれないが、ついでに俺もカウントされていそうな気がしたのは何故だろう。しかもさほどサービスもなく巻き上げられそうな予感がひしひしとする。い、いや主がお困りなら金くらい何億だって無償で寄付しますけどね俺は。


 「はぁ!?……な、何それ!金よ金っ!金が盗まれたってのにどうしてそんなに平然としてんの!?それでも人間!?」


 ロセッタはそんなに金に困る生活を送ってきたのだろうか?目の色を変え怒り出す。そして、その俊足を持って犯人を追いかけ始めた。


 「おいこらっ!」


 そんな勝手に別行動取られて、ちゃんと合流できるのか。視線を意識を一瞬其方に取られた。


 《アスカニオスっ!!》


 その刹那、フィザル=モニカの声がする。振り向けばリフルがいない。

 《あっち!!》


 モニカの指さす方向には何人かの客引きに引っ張られていくリフルの姿。取り巻きの男、つまりは俺とロセッタのガードが緩んだ一瞬。それを見計らって人が寄ってきたのだ。決して素早くはない。戦闘能力なんてないはずだ。ないはずなのになんだあの機敏で無駄のない動きは。商売人は人間じゃねぇ。いろんな意味で。


 「ちょっと……止めて下さい」

 「お嬢さん、見かけん顔だねぇ。何処から来たんだい?」

 「ここには旅行に?黒髪の兄さんと金髪の兄さんどっちが本命なんだい?」

 「わ、私はそう言うわけでは……」

 「ああ、なるほど。新婚旅行に弟さんまで着いてきたんだね。二人揃って同じ綺麗な赤目だしね、姉弟だったか。これは一本取られた」

 「そっちのお兄さん、せっかくだ。義弟さんがいなくなった隙に思う存分仲良くしていったらどうだ?」

 「うちにもいい商品揃ってるよ!可愛い彼女に宝石でもプレゼントしてやりなよ」

 「ちょ、……おい!」


 気がつけば俺の方にまで客引きがやって来る。物凄く邪魔だ。だからといって斬り殺すわけにもいかず、あいつと共に一軒の店の中まで引き摺り込まれた。


 「いや、最近じゃ新婚旅行って言えば第4島に行く奴らばかりでね。儂らも嬉しいんだよ」

 「一生の記念じゃて。せっかくだから何か買っていきんしゃい!」

 「そう言えばお客さんら、もう泊まる宿は見つかったのかい?これも何かの縁だ。何か買ってくれたら部屋代安くしとくよ」


(どうするアスカ?何か変な勘違いをされているようだが)

(……まぁ、宿が見つかってないのは事実だしな)


 観光客が減った。それはつまり宿の数も減っていると言うこと。ここで断れば最悪野宿にもなりかねない。見知らぬ土地でそれは流石に危険。


 「…………仕方ねぇな。なんか欲しいもんあるか?」

 「え……?」

 「部屋代安くして貰えるんだ。せっかくだし何か買ってやるよ」


 突然なんでそんな話になるのかと、疑問符を浮かべるリフル。


 「別に私は……アスカが好きな物でも買っていけばいいのではないか?ディジットに土産でも買っていけばきっと彼女も喜……」

 「いいから!何か選べよ!」

 「……あ、ああ」


 俺の迫力に負けたのか、店内を散策し始めるリフル。その後ろ姿に息を吐く。


 「はいっ!お買い上げ発言いただきましたっ!!お前ら店の商品の値札の0増やして来い!」

 「ぼったくりじゃねぇかおいっ!!」

 「い、嫌ですねぇ。グメノリアジョークですよお客さん」


 店主である親父を睨み付ければ、もみ手で愛想笑いを送られた。


 「何かあったか?」

 「いや……」


 そういう俺の主の手には、昨夜聖十字から送られた十字架の耳飾り。


 「これが片方だけだと変装の度に付け直すのが面倒でな。かと言ってずっと同じ方に付けていると、普段か変装時に私のアブノーマルレベルが格段にアップしそうで困っている」

 「ああ、なるほどな」


 せっかく貰ったものだ。身につけたいとは思うが、その度に付け直すのもどうなのだろう考える。


 「あいつは気が利かない男だからな。そんな俗な噂など知らないのだろう」


 リフルはここにはいない男を思い出すように苦笑する。

 それならこれに合いそうな耳飾りを探して両耳に付ければいいと考えたのか。それだともう片方余るとは思わないのかこいつは。


 「しかし標的の好みによってアプローチ方法を変えるという意味ではこういうものも有りなのかもしれないな」


 などと呆れていれば、またろくでもないことを考え出している俺の主。仕事だからと割り切りすぎだろう。


 「んじゃイヤリングとかピアスでも見るか?」

 「いや、切り換え策として用いた方が美味しいかもしれん。耳飾りはこれ一つで良いな」

 「んじゃどうする……?何か変装用に使えそうなアクセ類とかでも見るか?」

 「そうだな……しかし何故いきなりそんなつもりになったんだ?」

 「そりゃ、何も買わなかったらどんなぼったくり料金で宿代取られるかって……」


 そこまで言って、俺も俺で何か違うなと思った。


 「……笑うなよ」


 頭を掻きながら呟くと、俺の主が小さく頷く。


 「今は俺がお前のものとはいえ、最初はお前が俺の瑠璃椿だっただろ?」

 「ああ、そうだな」


 いろいろあって主従関係が逆転して、だからこれからは友人としてやっていこうと言われた。それで俺は満足だったはずなのに、打ち明けられない真実のせいで……俺の執着は増していく。俺は違う。他人じゃない。お前の肉親だと。何の理由も要らない。そんなものなくてもずっと傍にいていいはずの人間だ。それでもそれが言えないから、俺はいつまでこいつの傍に当たり前の顔をしていられるのだろう?俺の立場もポジションもいつか誰かに奪われて、お前なんか要らないと言われるような気がして怖いのだ。こいつは本当にいろんな人を好きになるから。その内俺なんかどうでもいいと思うようになるのではないか。煩わしいと厭い始める。そんな日が来るような気がして……


 「だからだ、きっと。気に入らなかったんだよ、あいつ」

 「あいつ……?」

 「いつも傍にいられねぇ癖に、そんなもんまで残しやがって」


 俺の奴隷を我が物顔で所有するような刻印、置き土産。その十字架を睨み付ければ、俺の対抗心を見抜いたリフルが笑った。俺の嫉妬が誰への物か、それに気付いてくれたのだろう。


 「なるほど。可愛いなアスカは」

 「なっ……!?」


 新しい同居人にご主人様が取られたようで気に入らないと吠える犬。それを宥めるような優しく……あしらうような微笑みだった。それは好きの意味が違うよと、諭されているようだったけれど、何がどう違うのか俺にはよくわからなかった。


 「お前がそこまで言うなら、なんなら店員お勧めとやらのルビーの指輪でも強請ってやろうか?サイズはお前が選んでくれても構わんぞ?」


 そこしか嵌められる指がなかったなら付けてやろうと意地の悪い笑みを浮かべる主。その笑みはさながら悪女の微笑だ。


 「ばっ……馬鹿言うな。冗談が過ぎるぞ」


 俺の言葉にリフルがくすくす笑う。からかわれていたのだろう俺は。


 「まぁ冗談はその位にして……それじゃああれがいいな」

 「あれ?」


 指さされた方向に飾られているのはチョーカーの類だ。若干けばけばしいごつい豪華な物からシンプルな物、中にはなかなか可愛らしい物もある。


 「お前もああいうの好きだったっけ?」

 「まぁな。どれでもいいからお前が選んでくれ」


 からかいはまだ続いているのか。それとも本気で言っているのか。


 「人が人に仕える理由は二つあるとお前は言っていたな。私はもう瑠璃椿ではないが、気持ち的にはまだまだお前の奴隷だよ」


 目的はもうないけれど、それでも変わらずに大切だよと言われている。

 それでも信じられないなら。そう思えないなら、視覚化してやろうというありがたいお言葉。ああ確かに。指輪なんかよりも、ずっと……らしい。

 今日の服には似合わないかもしれないが、黒いリボンのチョーカーを選んでやる。確かこいつは黒が好きだった。無難なチョイスだったのか、なかなか気に入ってくれたような反応が少し嬉しい。

 しかしやはり今日の変装には似合わなかった。それを見かねた店の婆が服売り場に俺たちを引っ張る。


 「これとこれとこれとこれのコーディネートがお勧めじゃのぅ。この島産のシルクはなかなかの人気商品でな」

 「くそっ……婆の癖になんて見事なコーディネートだ」


 ドレスの丈は長く上品だがなかなか際どいチラリズム。決して質素さ、やり過ぎさを感じさせない……優美さと愛らしさを兼ね揃えたリボンとレースとフリルの黄金比率。そしてそのドレスにまた似合いそうな黒いリボンの髪飾り。別にそのヒールに踏まれたくはないがこいつの白い足には実に似合いそう、大人っぽいデザインのハイヒール。そこを生足で行くかガーターで攻めるかはものの数分では選べない。どっちも美味しい。薬指の指輪って人妻属性っぽくて良いよね奥さんとか思っていたが首輪もなかなか悪くない。ドS心を非常に擽る。


 「おーい、アスカ……」


 ご主人様に何か言われたような気がするが今の俺には何も聞こえない。婆の見事な商品選びとセールストークに飲まれていた。それはこいつに似合うのは勿論のこと、俺が着せたいと思うツボを見事に突いてきている。恐ろしい婆だ。


 「コーディネートはこうでねぇと」

 「くそぉっ!買ったぁっ!」


 それが決め手の一言になるとは認めたくなかったが、反論の言葉がなかった。いや、いいんじゃないかなこういうのも。どうせ金なんか貯め込んでもさ、その内俺も死ぬんだろ?それなら生きてる内にぱぁーっと使ったって良いよな?何て言っても目の保養だ。俺にとっての目の保養はつまり、誰にとっても目の保養だ。つまりはこれは第2公を攻略するために必要なイベントアイテムなんだようん。つまりは必要経緯だ。


 「毎度ありー」


 店の婆と親父がひっひっひっと悪魔のような笑みでもみ手。ぶちまけてやった金貨の音が耳に心地良かった。こんな風に散財するのは何時ぶりだろう?不思議な高揚感が体中を駆けめぐる。


 「っていうかこれだけ買ってやったんだ。あの弟見つけたら部屋まで連れてきてくれよ」

 「へい、畏まりました」


 消えたロセッタのことを話すと、店主親父は快く頷いた。これだけ買ってやったんだ。当然だろう。

 「畏まりましたついでにこの別嬪さんに早速着せてみるかい?ああ何、サービスじゃ。気付けまで儂らがやって……」


 とか思っていたらひょいと現れた婆姉妹が今買った服とリフルを着替えスペースまで連れて行こうとする。俺は急いでそれを止めた。


 「いや、遠慮しとくぜ」


 また目を離した隙に面倒事が増えないとも限らない。俺の言わんとすることを察してくれたらしいリフルも頷いてくれた。


 「すみません。私の彼は脱がせるより着せる方に興奮する質なので、彼のささやかな楽しみを奪わないでいただけるとありがたいです」


 語弊を招きそうなフォローだったが、ここまで言われたら相手も引き下がるしかない。一期一会。この際語弊は気にするものか。店員達がひそひそとなにやら囁き合っていたが気にしない。

0章で言うとアルドール達がカーネフェルに上陸した辺りの日。裏本編の奴らは過去のしがらみとかに囚われてる奴ら何で、本編軸からはじめると過去回想祭りになってしまうので、前2章を入れました。しかしメインヒロインの登場が遅すぎるというジレンマ。物語の進行上必要なんで少しずつフラグを立てようとはしてますが、どうにもこうにも野郎連中とのフラグが根強い(笑)し、……仕様なら仕方ない。

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