35:Amoris vulnus idem sanat, qui facit.
雰囲気微妙に注意回。いや、でも前半は友情ですよ?後半の奴のことは……うん。愛憎だから仕方ない。
「ロセッタ……」
「な、何よ」
「いや、実は俺はお前が前々から出来る女だと思っていたんだ」
「褒めたところで何も出ないわよ」
「頼む!!空間転移弾とか居場所割り出し弾とか実は隠し持ってるんだろ!?」
「んなもんあるなら私だって神子様だって苦労しないわよっ!!弾丸に刻める数式の量って決まってるんだから!あんまり膨大な数式だと媒体の純度も高めないといけないしコスト嵩むし大きさも馬鹿にならないんだから!そんなん作ったら手榴弾とか爆弾レベルのでかさになるわよ!何発も持ち運べないでしょ!!私は攻撃専門!大きな仕事はそういう数術専門のメンバーと組むからそんな兵器要らないのよ!」
ロセッタの教会兵器を頼りに、アスカが褒めちぎって躙り寄るが、とうとう逆切れを噛まされた。それを見て、リフルはあればいいなと思ったけどやっぱりないかと諦めて、アスカを止める事にした。
「アスカ、その辺にしておけ」
「ああ、そうだな。お前の方が適任かもしれねぇ」
「そうではなくてだな」
アスカのその言葉に思い出す。鶸紅葉に言われていたことで頭が痛い。
(本当に私達は、トーラに頼りすぎていたな)
彼女がいなくなっただけで何も出来ない。これまで普通に出来ていた便利なものが奪われたのだ。今こうして騒いでいることも、敵方に筒抜けになるところだった。それを防いでくれただけでもロセッタと数術兵器には十分感謝している。
洛叉の所には新たに後天性混血二人という怪我人が増え、彼が過労死しないか心配だ。後から顔を出しに行こう。
ハルシオンの目がラハイアのように、オルクスから監視されているかはわからないが、その可能性があるものだとして考える。
ロセッタがその目の件で仲間に連絡してくれたところによれば、視覚情報からその場の状況を理解しているだけとのことらしいので、とりあえず目隠しで問題ないということだった。オルクスは視覚情報から聴覚情報までを引き出すなど恐るべき芸当をやってのけたが、それも視覚を閉ざしてしまえば、途切れて伝わらなくなるらしい。ハルシオンの目を覆った上でそれを洛叉にも話しておいた。鶸紅葉の怪我は酷いが、命に別状はないとのこと。
術に巻き込まれて消えたフォースのことも心配だったが、彼ももう子供ではない。自分の身は自分で守れるはずだ。状況は最悪。それでもこれ以上の厄災を防ぐためにも……
(……今、私達に出来ることをしなければ)
会議室に集まったのはリフルとアスカとラハイア、ロセッタ。夜も更けてきたが明日からの道筋を立てるまでまだ眠れないのだ。リフルは自分の頬を両手で強く打ち、眠気を吹き飛ばす。その音に他の面々の視線が向いて、気恥ずかしくて目を逸らして咳払い。
「兎に角だ。オルクスの言葉が何処まで本当かわからない以上、鵜呑みには出来ない。しかし、止めなければならないことがあるのは事実だ。トーラの救出はそれと並行して考えるのが最善策だろう」
「まぁ、最善は放置だと思うけど。別にあいつ殺すわけではないみたいだったじゃない」
ロセッタのもっともな言葉。それに反論するのはラハイア。リフルは心情的にはラハイアのそれに近かったが、どちらの言うこともよくわかった。
「そういう問題ではないだろう!?」
「そういう問題よ。ちょっとの判断ミスでもっと多くの人間が心身共に傷つくのよ?」
問題はそこだった。トーラを取り戻せば効率が上がる。しかしオルクスは彼女にそういった危害を加えるつもりはなさそう。だから取り戻すことが困難ならば、最初の勝利条件をこなすことも大切。それで彼女が本当に帰ってくる保証はないが、それは自分たちのためにもなること。
(それでもそんなこと……)
鶸紅葉が泣いていた。どうして守ってくれないのかと。目覚めたら殴られるのだろう。どうして守れなかったのかと。
男の自分でも辛かったのだ。それがどうしてトーラに辛くないだろう。万が一アルムとエルムのようなことになれば、苦しみは自身の比ではない。
だから助け出す。街も人も大切だ。それでも……トーラが大切だ。これまで彼女は何度でも自分たちを助けてくれた。
(だから今度は、私が……トーラを守らなければ)
この二年ずっと私の傍にいてくれた。みんなの傍から離れてからも、ずっと力になってくれた。それがどんなに支えだったか。彼女はきっとまだ知らない。私が何も言わないから。
彼女は部外者ではない。身内のように近しい存在。傍にいるとほっとする。ささやかな幸せを感じる。
だけど意識的に意識しないように、そうやって時を過ごした。彼女から与えられる好意に甘えてばかりで。こんな私では彼女を幸せになんか出来ない。したいとは思うけど。だから彼女の幸せを願っている。だから守りたいと思うのだ。彼女が本当に幸せになれるように。そのためにはこれ以上、彼女を不幸にさせないこと。息を吸い、リフルは顔を上げる。
「まずはカルノッフェルのこと。これ以上犠牲者は出せない。何としても止めなければならない。そして城との対立。これをなんとかしなければ、東はその隙に西に攻め込んでくる」
今自分たちが居るのはセネトレアの中心、第1島ゴールダーケン……その最西端、元ライトバウアー。セネトレアは都のあるこの第1島の東西南北を、四つの島に囲まれた島国。
これまでの情報からして、第1島からみて北島の第3島アルタニアはヴァレスタに。南島、第5島ディスブルーはオルクスに奪われた状況。そしてこの両者が手を組んでいるならば……
「王都でドンパチが起きれば、俺たちは北の城と東裏町の商人達から攻められる。隊長さん、あんたの教会はどの程度あてに出来るんだ?」
「俺の所属する第三聖教会の援護は無理だろう。頼れるとすればシャトランジアの第一聖教会。しかしロセッタ……?」
アスカがラハイアに。ラハイアがロセッタに。視線のバトンリレー。ロセッタがリフルを向いて何か言いかけ……溜息の後、首を振った。
「神子様も国内の抵抗勢力押さえ込むのとカーネフェルの支援とでお忙しいのよ。だからカーネフェルシャトランジア連合軍がセネトレアに来るまで、都の方を私達でなんとか平定してくれってのが私に与えられた任務よ」
「神子は戦争を予言したのか……」
昨日の話に加わっていなかったラハイアだけが、その言葉に沈痛な面持ちになる。
「国の上層部があっちこっちでカードになってしまったんだもの、これまでの不満が爆発するわ。タロックはカーネフェルを今度こそ滅ぼすつもりで仕掛け始めたっていうのは前に話したわね?」
「ああ」
「だな」
「聞いてないぞ」
「今言ったわよあんたには」
ラハイアがロセッタを睨むが、睨み返されて目を逸らした。リフルはそれを小さく笑い、そして話を道と正す。
「開戦まで二ヶ月と言っていたな」
「ええ。カーネフェル王が即位して、タロックをカーネフェルから追い出すのがそのちょっと前。二ヶ月後にはセネトレアとカーネフェルシャトランジア連合軍の戦が始まる。その戦場はセネトレアになるとイグニス様は予言なさったわ」
「……っとなるとカーネフェルとシャトランジアの方向からして第四島と5島は俺たちで抑えていた方があんたらとしては助かるってことか」
「そうなんだけどね。第5島は今からでは難しそうね。死神商会はディスブルー島で随分と強い力を持っているわ」
「っとなると第四島プリティヴィーアか。立地条件的には悪くないな。東の商人達を挟み込める」
「第四島か……私は他の島にはあまり詳しくないのだが、誰か知っているか?」
ここ最近の仕事は遠出をしたとはいえ、第1島から遠く出たのは数える程だけ。半年前に一度アルタニア、一月前にタロックへ。後は第1島の付近の小さな島に出かけたのが殆ど。
セネトレアは5公によって治められている。
第1公がセネトレア王。第二から第5島を治める辺境伯がそれぞれ第二から第5公。セネトレアはその大きな5つの島にそれぞれ自治を与えた、その結果が今のセネトレア。王以外の公は基本的に世襲制度、しかしそれが途絶えた場合には他の公から推薦された者が就くことも出来る。カルノッフェルの場合は先代の子供だからだが、表向きは他公の推薦を受けたことになっている。そして王になるには他四公の承認が必要。
だから金さえあればと謳われるこのセネトレアでも、金を積んでも王と公爵の地位だけは買えない。金で買うことが出来る爵位は、男爵子爵伯爵侯爵までだ。別に土地を持っていなくても金さえあれば名誉は買える。金で広大な土地の所有書を手に入れて、本物の貴族気分になっている輩も勿論いるが、それ以上に名前だけの貴族も大勢いる。セネトレアにおける爵位とは自身の富のを大きさを表す一種のステータスのようなものであり、伯爵侯爵をずっと名乗り続けるには毎年金を払わなければならない。一度の金で買えるのは男爵と子爵までの地位だ。この辺りの家では没落する者も多い。セネトレアで胸を張って貴族を名乗っている連中は大抵伯爵か侯爵。莫大な富を持ち、その余り得る富を大抵良くないことに使うのも彼らだ。だから自然とその辺りが殺人鬼Suitの標的になることが多かった。
そういう者は大抵、都近くの島を買い、そこを領地にする者が多かった。おそらく公爵達の自治に縛られるよりも、第1島の水域内で無法の中自由にやるのを好んだのだろう。だからリフルは、あまり他の島のことをよく知らなかった。
しかし他の三人は、箱入りというわけでもあるまい。ある程度のことは知っていた。その中でもラハイアはカーネフェル人。カーネフェルに最も近い第四島の噂くらいは耳にしたことがあったのか。
「第四島は観光地として有名だな。火山島のためあちこちに温泉が湧いているとかで、休暇として旅行にいた奴が居たな。もっとも女に振られて一人で旅館に泊まったと言っていたが。料理もなかなか美味かったと言っていたな」
……と思ったら、同僚の体験談だったらしい。それを耳に挟んだ、ロセッタが怪訝そうに彼を見る。
「なんかそれ、私の知ってる同僚だったりしない?まぁどうでもいいけど」
「しかし……そんな観光資源の商売好きの公爵なら、ヴァレスタ達とも上手くやれたのではないのだろうか?何故彼らは手を組まなかったのだろうな」
「交渉には行ったみたいだったぜ?随分お怒りで帰ってきたと俺の潜入宅のご主人様が言っていたからな。何でも金儲けの理念が反対方向だったんだと」
「なるほど……一度様子を見に行くのもありだろうか?挟撃の件のためにも」
敵の敵は味方。そしてその金儲けの方向性。それを上手くつつけたなら、それも不可能ではないかもしれない。
「それでは他の島のことは何かないか?」
「そうね第3島アルタニアが武器の産地ってのはまぁ有名だけど。第二島グメーノリアは自然豊かな緑の島。触媒なんか野産地ね。数術使い的には美味しいわ。あんたらのところは数術使いもだいぶ押さえてるんだから、なんとかしたい島ね」
ラハイアとは違い、タロック生まれのロセッタはタロックに近い第二島にも詳しかった。
「なるほど。ところで触媒とは?」
「あ、……先天性は触媒なしで数術使えるんだったわね。まぁ、それでもないよりは絶対あるにこしたことはないものよ」
「なるほど。嬢ちゃんの胸みたいなもんだな」
「死にたい?」
「すみませんでした」
「アスカ、場を和ませたいのは解ったが、もう少し例えがあるだろうに」
「あんたも死にたいの?」
「ありがとう、よろしく頼む」
「こら、そこはありがとうじゃないだろリフル」
私達の脱線に、目隠しをされているため周りの状況がわからないらしいラハイアが、痺れを切らして疑問の声を上げた。
「それでソフィア。触媒とは?」
「アスカが連れてる精霊みたいなもんよ。簡単に言うと元素の塊。計算のための電卓、そろばんみたいなもので、ついでにブースターだと思ってくれればいいわ。精霊との違いは意思の有無くらいかしら」
《あと精霊は持ち主っていうか契約者を選ぶけど、触媒は持ち主を選べないっていうことがあるわね》
ロセッタの簡潔な答え。風の精霊フィザル=モニカがそれに続いた。
「そうね。だから良い触媒を面倒な人間に奪われると、ちょっと厄介なのよね。普通は純血はそんなにうまく数術を扱えない。才能のない人間が多い。だけど触媒を手にすることで脳内計算の量が減って、馬鹿でも凄い術を使えるようになることがあるの。それを解決するために触媒回収、破壊の任務とかにも行かされることがあったわね」
触媒の重要性を理解して貰えたとロセッタが目を伏せる。皆静かにそれに頷き、第二島の重要性も知る。しかしその上で、口を開く者があった。
「でも危険と言えば危険な場所だ。そもそも混血狩りは第二島で始まったのだと聞く」
ラハイアの言葉に、ロセッタも頷く。
「第二島の公爵は、タロック贔屓の純血至上主義者だって話ね。そこをなんとかして那由多王子がなんとかしなさいよ色仕掛けうっふんでも何でも良いから」
「それもまた、難しいな」
タロックは好き、それでも混血嫌い。タロック王家の出身の混血という自分は第二公にはどう映るのか。
「でもまぁ、第二島まで連中に取られたら、俺たちもいよいよ背水の陣だろ?」
アスカが卓上の地図を指す。
「まずはこのベストバウアーで城と東を上手くなんとか出来たとしてもだ。連中はアルタニアとディスブルーを取っている。俺たちは挟み撃ちに遭う」
もっと最悪の場合だ。そうアスカは言った。
「もし俺たちが城と東をなんとか出来なかったら。そこで南に逃げれば……第5島からの援軍に討たれる。となればやはりこの街。迷い鳥が最後の砦となるだろうな」
「ああ、そうならないことを祈るばかりだが、そうも言ってはいられない。私達にとっての退路は西……つまりは第二島グメーノリアしかあり得ない」
「まぁ、そうね。第二島まで敵対勢力の手に落ちたなら、ちょっと面倒なことになるわ」
仮に第四島を失っても、第二島は何があっても、敵の手に落とさせるわけにはいかない。それに一人の公爵を落とせたならまた状況も変わってくる。例えばアルタニアのこと。
「俺たちが今回の殺人事件の犯人とやらを捕まえれば、第3島を押さえられるかもしれんが……そのためにも次の公爵を推薦できる立場の人間の協力が欲しいところだ。そういうわけか」
「ああ、そうなるな……となると、カルノッフェルを追う者と第二公の説得に行く者。それから第四公の所へ行く者と、三手に分かれる必要がある」
「おい、リフル……」
トーラのことはどうするんだと責めてくるアスカの目。それを受け止め頷いて、リフルはロセッタに向き直る。
「トーラのことはロセッタ……教会の情報源を頼りにさせてもらって良いだろうか?勿論TORAの者達には、その捜索に当たって貰う。情報がなければ……彼女のことは動きようがない」
「…………わかった。引き受けるわ。それがあんたの言う最善なんだって言うんなら。お手並み拝見させて貰うわ。要請されたのなら、最大限力になれって言われてるし」
そこまで言って、ロセッタは一人のことを忘れてはいないかと聞いてくる。
「フォースのことはいいの?」
「情報が入ったなら教えてくれると助かるが、其方に人員を割く必要はない。彼なら……彼のやるべき事をしてくれるはずだ、きっと」
「そう、信じてるんだ。あいつのこと?」
「彼はとても凄い男だ。もう少し早く会えていたなら、彼は残虐公と呼ばれたアルタニア公をも救えていた男だよ」
フォースは私を人殺しから変えてくれる切っ掛けをくれた。リフルが深く頷くと、ロセッタは少し居心地の悪そうな顔をする。身内のような弟分が褒められているのがこそばゆいのだろうか。
「リフル……」
「ラハイア?」
「俺はこの第1島が管轄だ。やはりまた教会に戻り、この事件を追おうと思う。ソフィア、俺の周りにもお前の仲間はいるのだったな?」
「ええ」
「では情報が入り次第其方へ送たせてもらう。俺の目のことも数術に明るい者に診て貰おう」
ラハイアはフォースのこともトーラのことも、そして事件解決のことも全ての捜索に励むと約束してくれた。確かに他にそれが出来る人間はいなかった。教会に属する彼だから出来ることは確かにある。
「そうか……それが一番だとは私も思う」
「俺の代わりにソフィアがお前に付いて行ってくれるだろう。彼女は俺よりも強いからな、安心だろう?」
「ははは、そうだな」
リフルもそれ以上は何も言えず、今日一日を思い出していた。いや一日にも満たない。半日あまりの時間だ。結局共同戦線を組めたのは、僅かな時間。
(…………ラハイア)
そうだ。それがいい。犯罪者の自分と長く行動を共にしていては、彼の名誉にも響く。私は彼を出世させて教会内部を変えさせるつもりだったんだ。その妨げになる様なことは出来ない。この場合その足枷が、私なのだから。
頭では解っている。それでも……名残惜しくて。両目を塞がれている彼のためにと、一人では歩けない彼を送りに西裏町まで来た。もう少し進めば表通り。ここまで来れば一人でも大丈夫のはず。いよいよお別れた。
もう外していいと告げると、色の異なる二つの瞳が此方を見下ろしている。
「……何だか妙な気分だな」
思わずそんな言葉が口を出る。この二年間ずっと逃げて追われての生活だった。だからこそここうして共に同じものを追いかけていることが夢のように思えたが、夢とは覚めるものなのだろう。それが妙に恋しくて、だからこんな弱音が出てしまったのだ。
「しかし……お前までいなくなると思うとなんだか寂しいな」
この一日で随分と仲間が消えてしまった。傷ついて倒れて攫われて……いろいろあった。そんな時、自分を誰より支えてくれたのは彼だった。だからそう思うと……明日がとても寂しい。そう思ってしまうのは、自分が彼をどんなに頼りにしているか。それを思い知らされるようで、嫌なような、嬉しいような複雑な気持ちになる。それを見てラハイアは情報流出を避けるためか、目を閉じながら質問をする。
「…………そういえば、お前は何のスートなんだ?」
「私か?……私は、スペードだが?」
「そうか」
なんとなくそんな気はした。そんな響きで彼は言った。数字には興味がないのかそれ以上は聞かずに。
「俺は数術など使えんし、触媒がどういうものなのかは知らんが……教会の物だ。そう悪い物は使っていないだろう」
そう言って彼は片耳から飾りを外し、それを私に手渡した。
先程まで彼の耳に揺れていた十字架の耳飾り。銀で出来ているのか、夜の闇と天上の光に晒されて冷たい光を帯びて輝く。
「気持ちはありがたいが、私は普通の数術は使えないんだ」
「ならお守りにでも持っていろ。お前にも聖十字の加護があるかもしれん」
「私は犯罪者だぞ?私なんかよりもっと先に加護が必要な人間が居るんじゃないのか?」
そうは言ってみたものの、彼はそれを引き取ってくれそうにない。
「スペードは剣の象徴だという。それを逆さにしてみろ」
「こうか?」
言われるがまま十字架を上下逆さにしてみると、確かに小さな剣に見える。
「面白いな」
「だろ?」
ラハイアも笑った。
「十字架は許すものだ。剣は傷付けるものだ。しかしどちらも曲がらず、真っ直ぐな信念がある。俺はそれを正義と呼ぶのだと思う」
天地が逆さになっても、それでも変わらないもの。それは人によって違うから、世界には多くの正義があり、それがぶつかり戦いが生まれる。
「それでも剣も十字架も、同じ方向を向いているのだ。顔を上げて天を見ている」
美しいものを。手には届かないものを。それでも諦められないものを。諦めずに一途に天を仰ぐ。その姿が似ているという。
「つまり、いつか人は解り合えると?」
「少なくとも俺はそう信じている」
「まったく。お前は本当に理想論が好きだな」
感心する心を隠して、呆れて息を吐けば……彼もそんなを小さく笑う。
「俺は今日一日で確信したこともある。俺は未だにお前を多くは知らんが、お前も空を見ているんだな」
「私が空を?」
「正義の行き着く先が同じだと言っているんだ。お前が手にしている武器は、剣ではなく十字架だ。お前の中には正義と犠牲を知る心がある。そして人を思う心がある。出会ったばかりの頃は、血も涙もなければ正義も信念もない快楽殺人者だと思っていた。俺はお前を誤解していた。そのことだけは謝らせてくれ」
自分を犠牲に捧げることで、心に十字を抱く者がいる。しかし他人を救うため、他人の犠牲を肯定する。自分ではなく人を救うため、剣をその手に取る。その決断を選べる者は少ない。それが正義ではないと知っているから。その上でそれを選ぶことはある種の正義には違いないと、彼が長らく悪と呼んだ、私を逆さにする。
「お前は少し、俺の友人に似ている。だから少しばかり心配になった」
「お前の……友人に?」
「いつも無茶ばかりをする。人のことばかりを考えて。自分のことなど二の次だ」
「それはお前も同じじゃないか」
「俺のことは気にするな!」
「なら私のことも気にするな」
「ぜ、前言撤回だ!彼女はそんな風に揚げ足は取らない」
腹を立てたのか背を向けて、歩き出した彼を呼び止める。
「ラハイア、ありがとう」
その言葉に、驚いたのか動揺したのか。彼の足が止まる。小走りでも追いつけた。回り込んで小瓶を一つ、彼に手渡してやると、ようやく我に返ったようだ。
「すまないな私はつまらない物しかやれなくて」
「なんだこれは?薬瓶か?いや……良い香りだな。香水か?」
「いや、解毒剤にして至高の猛毒だ。常人に与えればまず間違いなく殺せるぞ?」
「き、貴様は何というものを!!」
「いや、どうせもう敵方には私のやり口は知られてしまっているだろうしな。気にするな」
オルクスに見られているかもしれないだろうと怒り出したラハイアに、気にするなと笑ってやった。
「何かの役に立つかもしれない。なんならいつか私を逮捕するときの物的証拠にでもしてくれ」
「こんな物俺が使うとでも思うのか?」
「私がいない間に私に責任を擦り付けて、闇に葬り去りたい人間がいた時にでも使ってくれ。ワインに混ぜると簡単に騙されるぞ?」
「絶対に使わんぞ俺は!!」
「ああ、それでも構わない。お前の信念の戒めくらいにはなるだろう」
殺人鬼に十字架なんか贈る男には似合いの選別だと思ったのだと言えば、真意を理解してくれたようだ。彼は怒った振りで誤魔化している。それが呆れているのか照れているのかはよく分からない。
「……回りくどい奴め。健闘を祈るくらい普通に言えば良いだろうが」
「ああ、そうだな。……どれ、“お仕事頑張ってくださいね、ライルさん”」
「何故女装変装時の口調で言った!?」
「いや、その方が嬉しいかと思ったのだが」
「全く……場所が場所なら、法も変わる。女装で死刑になる領地もあるらしいぞ、気をつけることだな」
それを意訳するならば、死ぬなよと言われているような気がした。確かに死ねないか。こんな別れの挨拶はあんまりだから。
「……で?」
振り向くと近くの建物の影から見慣れたシルエットの頭が二つ。さっと小さい方の頭が素早く引っ込んだが、それで二人とも体勢を崩したのか此方に倒れてくる。
「何故二人はそこにいるんだ。確か影の遊技者に忘れ物をしたとかTORAに情報収集のことを頼んでくるとか言っていなかったか?」
「嘘っ!こいつ絶対気付いてないと思ったのにっ!!」
ロセッタはとても悔しそうに歯ぎしりをしている。このようすから、話を聞くことではなく単に人を尾行するのが楽しかったようだ。確かに彼女も裏の世界の人間だからそういったことは得意なのかもしれないが、如何せん距離が近すぎる。多分5メートルもない。何処まで私は馬鹿にされていたのだろう。
「いや、仮にも私は暗殺者なんだが」
と言っては見たものの、気付いたのは今さっきだ。騒がしいあの聖十字がいなくなってから辺りが静まりかえって、呼吸の音が一つ以上、聞こえていたことを知る。そしてそんな思い付きのはったりをすかさず持ち上げる男が一人。
「俺のご主人様をあまり舐めないで貰おうか?」
「まずお前が私を舐めないでくれ」
「すみませんでした……」
口調を強めれば、アスカは条件反射のように謝罪する。それがちょっと可愛いかったので、そこで許すことにした。別に見られて減るようなものでもないし。よくよく考えれば恥ずかしいので、よくよく考えないことにした。
「で、でもな!!お前この所俺に冷たいだろ!?今日なんかずっとあの野郎にべったりで……」
「いや、昨日からしか見てない私が言うのもあれだけど、あんたらうざったいくらい十分べったりしてたわよ。あれでも足りないわけ?」
「邪眼中毒者舐めんなよ!!」
「あんたそんな薬中でもないんだから……」
あのロセッタにドン引きされるとは、アスカもなかなかだ。
「……まぁ、こんな夜中まで付き合わせて悪かった」
ロセッタは役職上私の監視があるだろうし、アスカは心配してくれたのだろう。
「しかしもうこんな時間か」
「どうする?」
「そうだな……意外とあっちまで距離もあるからな。でも影の遊技者は敵にも場所割れしてっし……」
「いくらなんでもまだ攻めては来ないわよ、昼間の店に戻りましょうよ。また山越えしてたら朝になるわよ?」
さっさと結論を出して、すたすたと先に店へと向かうロセッタ。
「鍵持ってるの俺なんだけどな」
それを見送った後にアスカがそんなことを零した。
「そうだなそれじゃあ待たせては悪い、よしアスカ……」
「ああ、ゆっくり行くか」
「お前……彼女と何かあったのか?」
「いや別に、何もねぇけど?」
「お前は時々意味が分からないな」
そのよくわからない物言いにリフルが小さく吹き出すと、アスカが小さく笑う。
「アスカ?」
「ほんとさ、いつの間にか当たり前になってるって怖いよな」
「ああ、そうだな。私はいつも彼女に頼りすぎていた……」
迷い鳥からの道程がこんなに疲れるものだなんて、すっかり忘れていた。
「無事でいてくれればいいのだが……」
気付けばリフル、先程渡された十字架を強く握りしめていた。
*
目を開けば、牢に転がっている。ああ、前にもこんな事あったような気がする。フォースはそう思い、牢の石床が記憶のそれほど冷たくないことを知る。蒸し暑い風が吹く、その中でひんやりとしたその床は横になっていて気持ちよい冷たさだった。
「君って意外と逞しいんだね」
状況を読み込めないまま、床の冷たさに至福の表情を浮かべている俺を見ている奴が居た。
金髪の髪。金色の虎目石の瞳の少年。
「あ、あんたトーラの兄ちゃん……だっけ?」
よく思い返してみれば、そのトーラの兄がどうして自分たちと敵対しているのか。フォースはよく知らなかった。
「まったく無茶をする子がいたものだね。計算式が別のものだったら、今頃君身体の一部だけ向こうに引き千切られて置き去りになっていたよ」
「……助けてくれたのか?」
「いや、助けるような相手が牢屋に入れたりはしないよね」
「まぁそれもそうか」
「……一言で言うなら君が、幸運だっただけさ」
だから君は生きて居るんだよと、トーラにそっくりの顔の少年が肩をすくめた。
「幸運ついでに、そこから出ておいで。別に鍵は掛けてないから」
「は?」
「うちのお姫様が、君に何かしたら舌噛んで死んでやるって五月蠅いんでね」
その少年の言葉を何処まで信じたものだろう?おそるおそる牢の前に立てば、キィと音を立てて牢は開いた。
「フォース君っ!」
所を走ってきた少女にタックルされて、また牢に押し戻された。
「痛ぇ……何するんだよトーラ」
「もうっ!フォース君ったら僕のこと心配して追いかけてきてくれたの?本当良い子なんだからよーしよーし。お母さんは嬉しいよ」
「そんな犬みたいに撫でるなってば……」
抱き付いてきたトーラに、髪から背中からわしゃわしゃと触られる。彼女はいつもの赤頭巾とドレスじゃなくて、普通に立派なドレスを着ていた。彼女は混血だし黙っていれば何処かのお姫様にも見えなくもない。
「この城には数術無効化の式を刻んである。僕以外は数術が使えない仕様だ。だから彼女のことはまぁ、頼りにしないでくれ。そして唯の子供が僕やこの城の警備に勝てるとは思わない方が良い。幾ら君が幸運だって出来ないことは幾らでもある」
俺と俺に抱き付くトーラに目を向けて、少年はそんなことを言った。
「さぁ、部屋にでも案内してやったらどうだいチェネレント?」
*
「あいつ……本当にトーラの兄ちゃんだったのか」
「いやー、僕もてっきり死んだものだとばかり思ってたんだけどさ」
トーラに連れられて、フォースは無駄に豪華な部屋に通された。トーラは十分快適そうだが、つまらなそうな顔をしている。生き別れの兄との再会も喜び以上に舌打ち物だったようで、彼女は大きな溜息を吐く。
「何が困ったって、せっかくいろいろ情報仕入れたっていうのにみんなに届けられないことだね。せめてフォース君が洛叉さん辺りにストーキングされつつ飛ばされてきたならまだ話は違かったんだけどさ」
「それは流石に無理だよ。でも何で洛叉?」
「ここの……ディスブルー公には待ち望んだ一人息子がいるんだよ。うん、春の枯れる一歩手前の爺さんが猫可愛がりしてる図は犯罪じみて見えるけど、そりゃようやく望んだ跡継ぎだもんね。可愛くて仕方ないだろうよ」
それと闇医者とは何の関係があるのだろう?
「ごめん、仮にあいつ連れて来ててもその可愛い跡継ぎって子に犯罪まがいのことする図しか想像出来ないんだけど」
「あー……また洛叉さんの立ち入り禁止地域が増えるというわけだね。いやでもそうじゃなくて、彼は変態だけどそれ以前に優秀なお医者様でしょ?」
「らしいけど」
「その跡取り君が不治の病って話なんだけど、僕にはどうもそうとは思えない。彼が診てくれたなら、なんとかなりそうな気がするよ」
「なんとかって?」
「この第5島を僕らの手中に収めるってことさ。南の拠点を持ってるのは地味に大きいよ。この島の造船技術はなかなかだし、シャトランジアとの交易もある。それにもう間もなくタロックとカーネフェルは開戦するって言うよ。セネトレアはそこで一儲けをしようとするはずだ」
その時にタロックに売る船の数を減らすことが出来たなら、戦況は大きく変わってくるとトーラは言う。
「まぁ、無い物ねだりはあれだから、現実的な話でもしよう。最悪フォース君があのエリザベータちゃんを口説き落としてくれたなら、僕は兄様からこの島を奪うことが出来るかもしれない」
「……まだ洛叉連れてくる方が現実的な気がしてきた。混血パラダイスとか美少年歩行者天国とか幼女祭りとか変な噂流せば勝手に湧いて出るんじゃないのか?あの人なら」
「否定できないのがちょっと可哀想だよね彼」
現実逃避をしてみたが、それで何が変わるわけでもなく、二人で顔を見合わせ深い溜息。
そこでフォースはトーラの顔に浮かぶ隈に気付いた。
「そういえばトーラ疲れてるんだろ?休めるときにはしっかり休んでおいた方が良いよ。あいつが変な真似しないように、俺見張ってるし」
「うーん……鶸ちゃんがいないのは痛いなぁ」
「そうだよな。俺は純血だし、弱いし……」
「いや、そういうことじゃなくて。頼みにくいっていうかねぇ……フォース君、こんなに若くてピチピチな僕の介護生活したい?下の世話まで」
労りの言葉を渋られフォースは地味に傷つく。しかしトーラから返ってきたのは予想だにしない言葉だった。
「………え?」
「無理でしょ?僕も無理、恥ずかしいし。そこなんだよ。うん。流石に代償支払うって言っても、ずっと飲まず食わずは無理だし、何か飲ませたらその分トイレとかも行きたくなっちゃうし。まぁこれがリーちゃんだったら責任取ってって無理矢理結婚までこぎ着けようとも思うんだけどさ」
トーラの数術代償は睡眠。使った分だけ眠らなければならない。先払いも後払いも出来る便利な代償ではあるが、融通は利かない代償だ。
「それじゃ、僕は代償を少しずつ支払っていくとして。フォース君は目覚まし時計になってよ。二日に一回で良いから。その位なら我慢できるし」
「うん、わかった」
ベッドに横になるトーラ、その傍に椅子を運んで腰掛けて。フォースは付き添うことにした。
しかしトーラが眠る気配はない。疲れていても酷使しすぎた脳はまだ働こうと目をぱっちり開けている。いきなり寝ろと言われても、そんなにすぐに眠れる人間はそういない。何しろここは敵の手の中だ。それでも彼女を安心させるために、俺はしばし会話をすることにした。
「……でも、数術代償って大変なんだな。俺は数術なんか使えないからわからないけど」
「まぁね、数術使いも楽じゃないってことだね」
「もし俺が数術使いで、トーラと同じ代償だったらって考えてちょっと想像したら俺も恥ずかしくなった」
「リーちゃんとかディジットさんとかは気にしないで真顔でやってくれそうだけどね」
「うん、それが逆に辛いっていうか恥ずかしい」
「だよねー、照れてくれた方がまだこっちもねぇ?」
「でも鶸紅葉も照れそうにないタイプだと思うんだけど」
「あはは。ぱっと見はね。だけど意外とベルちゃん……あ、鶸ちゃんは照れ屋さんなんだよ?あれで可愛いところがあるんだよ」
「へぇ……そうなんだ」
そこまで聞いて、フォースは聞き慣れない単語に気付いた。それは鶸紅葉の名前だろうか?本名をトーラは知っている。おまけに身の回りの世話までさせる相手だ。それだけ長い付き合いなのだろうか?
「トーラと鶸紅葉って、幼なじみみたいなものなんだっけ?」
「うーん、フォース君の言う幼なじみとはちょっと違うかもねぇ。一応身分とかはあったわけだから。でも姉妹みたいなものだよ。僕にとっては鶸ちゃんも蒼ちゃんも家族みたいなものさ」
ごろんと仰向けになった、トーラが柔らかく笑う。
「鶸ちゃんが僕のお姉さんで、蒼ちゃんが弟みたいなものだね。まぁ、鶸ちゃんの方が僕より年下なんだけどさ。昔は……昔で、そうだね楽しかったような気もするよ。兄様はあんなのじゃなかったし、鶸ちゃんを傷付けるような人じゃなかった」
物心ついたときには、もう城にはいなかった。気がつけばライトバウアーで隠れるように暮らしていたのだと彼女が言う。
「フォース君、僕はね昔……悪い予知しか出来ない中途半端な数術使いだったんだよ。だからさみんな僕を気味悪がって、一緒に遊んでくれなかったんだ」
「悪い予知……?」
「死神だよ。僕は死の予言しか出来ない厄介者だった」
自給自足の生活の中、そんな数術使いは使えない。役に立たない。知らなくても良い、知りたくもないことを、教える疫病神。人は自分の寿命を知らなければそれだけで幸せでいられる。確実な死という真実を知っている人間は、毎日が不幸せ。どんな幸せもあと何日で失われると結論づけられているのだから。だから、みんな僕を恐れたよと、トーラが寂しげに目を伏せる。それでも僅かに、唇が笑っていた。
「だけど鶸ちゃんだけは、僕をそんな風に思わずに……いつも優しくて、いつも僕と遊んでくれたんだ。だから僕は彼女が大好きだったよ。それが僕の家臣だからじゃないって言ってくれる彼女の優しさが」
「…………うーんと、それじゃあ……それってリフルさんのアスカみたいな?」
「ああそうそう。そんな感じがしっくり来るかも。鶸ちゃんはアスカ君ほどぶっ飛んではいないけどね。あと僕と鶸ちゃん、リーちゃんとアスカ君の違いがもう一つあるんだけど何だと思う?」
「女主従と、男主従?」
「いや、それはそうなんだけどさ。僕は双子で、リーちゃんは片割れ殺し。違いはここにあるんだ」
言われてフォースは気付く。トーラにはオルクスがいる。それでもリフルには誰もいない。あの人の片割れは死産だという話だった。
「ねぇ、もしもだよ。リーちゃんにリーちゃんのお姉さんか妹さんがいて、それでその子がリーちゃんと瓜二つだったら……アスカ君はどうなっていたんだろうね」
「アスカが……?」
主が男である今でさえ、あんなにべったりしているアスカ。唯でさえ依存しているというのに、相手が女だったなら……余裕で恋愛対象にカウントしていそうだ。
「いくらへたれのアスカでも、流石に手出してたんじゃないかな……?」
「僕もそれに一票」
トーラがはぁと重いため息。
「今のアスカ君がちょっとおかしいのは、リーちゃんを正しく認識していないからなんだよね」
「正しく?」
「頭では解ってるんだけど気持ちが付いてこないのと、気持ちを頭がわかってないから彼はあんななんだよ僕が思うに」
情報としては知っている、だけど理解はしていない。それと同じ事だとトーラは言う。
「アスカ君は彼に出会う前に仕える相手が王子様だと知っていた。だけどリーちゃんはあの外見だよ。頭の一部の何処かではお姫様か何かだと勘違いしているままなんだ」
フォース君だってそうでしょう?トーラが問いかけている。
確かにそうだ。俺はあの人が男だって知ってる。顔は女の子みたいでも、意外と男らしいところもある。それを知っているのに、それでも母さんと重ねている部分がある。完全には切り離せていないのだ。知識と理解とが。
「だからアスカ君はあんなに過保護で嫉妬深くて執着が半端ないわけ。そういう利己的な欲と、忠誠が混ざっているから今の彼はちぐはぐなんだよ。いっそのことリーちゃんが、本当にお姫様だったら話は簡単だったんだけど」
もし彼が双子だったなら、思いを切り分けられただろう。忠誠を捧げる相手と、想いを捧げる相手を。だけどリフルさんしかいないから、アスカは……そこまで思いフォースは、話の流れの妙な感じに気が付いた。
「もしかして……」
「気付いてないのはアスカ君本人だけだと思うね」
フォース君だってあの二人の妙な雰囲気くらいは感じてたでしょとトーラが嘆息。
「リーちゃんはそれが邪眼の所為だと思ってるけど、確実に彼はリーちゃんに惚れているよ」
でなきゃもうその辺の適当な女の子で妥協してるはずだからと彼女は言った。妥協できないのは、諦められない相手がすぐ傍にいるから。傍にいなくても探し回る執念深さと根気。
「だって信じられる?9年だよ9年。一回目が合っただけの人間のためにそこまで人生費やして。そこからまた1年半でしょ?もはや愛だね。唯の忠誠だけであそこまでは出来ないよ」
それを本人が正しく認識理解していないのが、面倒事が面倒事たる所以なんだとトーラは心底面倒そうに呟いた。
「正直なところ僕にとって最初で最後で最大の難関、ライバルは彼だと思ってる。アスカ君は理想が高すぎて、彼以外に当てはまる女の子がいないんだよ。でも彼は女の子じゃないし。更にいくつか問題もあるし。だからどうしようもないんだよ。彼は何だかんだで頭が固いからね」
さらっと本人達の居ない場所で、そんな話を聞くとは思わなかった。トーラも大分鬱憤がたまっていたと言うことなのだろうか。そういうものを吐き出さなければ夢見も悪くなる、だから誰かに聞いて欲しかった。そういうことなのかもしれないと、フォースも頭の中では理解する。気持ち的にはなんてことを聞かせてくれたんだという気分ではあるが。
「……なんか凄い聞きたくないような脱線まで聞いてしまったんだけど、ここからどうトーラ達の話と繋がるんだよ……」
「そう、彼らに比べたらまだ僕らの話は簡潔だって言いたかったんだ」
俺はそれだけのためにいろいろ暴露されたアスカをほんの少し哀れんだが、よくよく考えればその通りだよなぁと言い返す言葉がなく、言われてみれば確かにそうだと思わないでもない。別に何が変わるわけでもない。元々アスカはリフルさんにべったりだったし。行き過ぎてる感は感じてもいたし。それが本人も気付かない無意識だったとは。
「簡単に言うとね、今のリーちゃんとアスカ君の間に、死んだはずのリーちゃんの妹姫が現れて、それでその妹さんがアスカ君を口説いているようなものだね」
解るような解らないような例え話。トーラがそれを用いて現状の自分たちを語る。
「……これは今だから思うんだけど、兄様はそれが気に入らなかったのかもしれない。彼女は僕だけの侍女じゃなくて、僕らの侍女だったんだから」
「…………え?」
「アスカ君はリーちゃんの騎士。鶸ちゃんは僕の侍女。リーちゃんからアスカ君を奪う相手はいなくとも、僕から彼女を奪う相手はいるんだよ。現に僕がここに来るまで攫われていたのは彼女の方だったんだ」
その身代わりにここへ来たのだとトーラは言った。
「勿論兄様は、数術と混血の研究も関心を持っている。だからその関心と復讐と目的を全部策へ盛り込んだ」
「復讐と、目的……?」
「本人をいたぶっても脅してもその心が手に入らないなら、他の手段が必要だってことなんだろうね」
俺にはその時のトーラの言葉が分からなかった。そんな風に人の心を求めたことが俺にはなかったのだ。
心が欲しいと思ったことはある。それでも手に入らないのなら、それは俺がつまらない人間だから。だからそう諦めていて。そんな俺にも心をくれる奇特な人と出会って、そしてまた失って、奪われて……今がある。
「本当に我が儘な人って、好きな人の心が手にはいるならそれがどんな物でも構わないんだよ。それが無関心じゃないならさ、別にそれが好意でなくても良いんだ。深く、深く傷付けて……その人の心を丸ごと自分だけの思いで満たせるなら」
そんな気持ち理解できない。大切な人の幸せなら、それを願うものではないのか?自分が大切な人の幸せを壊して、それで自分とその人が幸せになれるはずもないのだから。そらなのにそこまでして、どうして心を欲しがるのか?全く理解できなかった。それでもトーラの言葉に、俺は二人のアルタニア公の姿を思い出してしまっていた。
「兄様が好きなのは僕じゃなくて鶸ちゃんなんだよ。だから彼女を怒らせることがしたいのさ。兄様が僕と遊んでくれるようになったのも、たぶん、そんな思いからだったんだろうな……」
幼少の記憶を、寂しそうに語るトーラ。その横顔がとても寂しげに見えた。
「要するに兄様は僕をとても憎んでいる。だから勿論僕が嫌がったりすることもしたがる。城での暗殺も、リーちゃんの目的の邪魔をしたのもそれが一番僕にとっての痛手だと気付いたからだろう。僕の築いた全てを、兄様は壊すつもりなんだ」