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33:Nil desperandum!

 「はぁ!?マジかよ!?」


 それは俺が聞いても、凄まじい衝撃を持った言葉だった。

 驚きのあまり顎の骨が外れるかと思った。そのくらい大口を開けて大声を出した後、しばらく何も言えなくなった。


 「うん、残念ながら本当だよ。アルムちゃんは今エルム君との子供を身籠もっているんだ」


 隣に視線を送れば、リフルは物憂げな表情で言葉少なにそうかと頷きそれ以上を発さない。

 洛叉はまだディジットとアルムの手当に追われているのでここには不在。


(ディジット……)


 信じられねぇ。あのエルムがディジットを刺すなんて。多少大人しく影が薄いところはあったがそんなことをするような奴じゃなかった。


(この半年で……一体何があったんだ?)


 聞けばリフルを半殺しにし腐った、あの奴隷商が生きていたらしい。トーラが言うには奴もカードだと言う。だから、死を免れたのだ。カードは上から下から選ばれる。奴も予め決められていたカードだったのだ。


(つーことは、相手もキング……)


 感じる焦り。それは危機感。リフルもキングとはいえ、あいつは剣でヴァレスタには敵わない。卑怯に騙し討ちと毒を用いてもドローに持ち込むことが精一杯だった。せめて相手がもっと弱いカードなら。しかしよりにもよって、キングだ。相手がキングじゃ数札の俺たちじゃ相手にならない。


(俺じゃ、守れないのか?)


 不安に押し潰されそうだ。でも、それは俺以外だってそう。リフルの顔の前で祈るように合わされた白い指。固く握りしめられたその指が……僅かにその手が震えている。

 その肩を心配するなと叩いてやりたい。その手を掴んで、大丈夫だと言ってやりたい。だけど……見れば俺の手だって似たようなもので、こんな手で触れれば……互いに震えが知れてしまう。それは不安を煽るだけ。それならこうして見ない振り、気付かない振りが一番だ。

 トーラは大きな目の下に色濃い隈。数術の使い過ぎで、代償が迫ってきているのだ。もう眠くて仕方ないはずだ。その隣のハルシオンは、心配そうに彼女を見ている。命令されればその場で膝枕でも何でもしそうな勢いで。

 身内連中ですらこの有様だ。突然こんな会議に参加させられている聖十字の二人はもっとわけがわからないだろう。そう思いアスカが視線を向けてみれば、ラハイアは想像通りに絶句。ロセッタは眉をひそめて、話を聞き入っている。同じ団体に所属する者同士、それでも表と裏の人間でここまで違いがあるのかと、半ば他人事のようにそれを眺める。そして沈黙を破ったのもロセッタだった。このお嬢ちゃんはなかなか度胸がある。


 「でもそれって半年前の話でしょ?普通に考えたらあり得ないわよ。想像妊娠とかじゃないわけ?」

 「僕もそう思ったんだけどさ、存在数の変化があったよ。数が増えている。ロセッタさんも知っているでしょ?神子様とか聖職者はそういうお告げの仕事も頼まれたりしてるんだから」

 「まぁね。それを言われちゃ私は何も言えないわ」


 数術使いは人に見えないものを見る。才能のある数術使いからすれば人間なんて個人情報が服を着て歩いているようなものなのだろう。


 「しかし、今の今まで誰も気がつかなかったというのは妙だ。そういう知識のある人間が少なかったと言う以上仕方のないことかも知れないが」


 ロセッタに続いて言葉を発したのはリフル。確かに一理ある。俺たちは少子化の時代に生まれたわけだからお産や妊婦なんかに接する機会がほとんどない。今この場に6人の人間が居てその半数が止ん事無いお家々の出なわけで。残りの三人は後天性混血が二人いるとしても元々は稀少な価値あるカーネフェルの男とタロックの女だ。そりゃあ大事に大事に育てられただろうから、進んでそう言うことに関わらせられたとも考えにくい。そんな暇があったら習い事でもさせられていただろう。

 まぁ、つまりは西裏町ひいてはこの迷い鳥は混血達の隠れ里みたいなものだ。混血は最長でも今年で20歳。つまりその大半が子供というわけで、その頭であるトーラだって多少サバイバル経験があるとはいえ元は世間知らずのお姫様。子供が子供のままガキ大将になったようなものだろう。

 混血はその物珍しさと美しさからよく虐待に遭う。それには性的なもの多々。そういう被害にあった子供が、この場所には大勢保護されている。かく言う俺の主もその口だ。だからこそだろう。そう言うことからなるべく目を逸らしたい。突きつけられたくないトラウマなのだ。しかしそのトラウマに踏み込む話題をしなければならない。リフルの心中は俺なんかには到底理解至らぬ物だろう。


 「それがねぇ……僕らはアルムちゃんの音声数術を甘く見過ぎていたようなんだ。この僕さえも彼女は騙していたんだよ」

 「騙していた?」


 リフルの復唱に、トーラは深く頷いた。


 「勿論違和感を感じれば、僕は彼女の数値を徹底的に視ただろう。だけど、わかる?彼女の数術はそれ以前の問題なんだ。僕に……人に違和感を感じさせない。洛叉さんが昨日僕にその違和感を教えてくれたんだけど、彼が気付いたのも星が降った後だって言うんだから恐ろしいと思わない?」

 「カードになった、後だって……?」


 俺もやっとここで、咽から声を出すことに成功。星が降ったのは一昨日の夜。昨日の朝にはもうアルムとフォースは姿を消していたし、洛叉はそれから今日までアルムには会っていないはず。それを尋ねれば、トーラはとそうじゃないと否定する。


 「診察したのは星が降る前だよ。その時は風邪なんだろうと思ったんだって。だけど星が降った後、突然彼は思い至ったんだ。もう一つの結論に」


 ああ、確かに恐ろしい。医術の専門知識とその性癖のやばさとストライクゾーンの狭さと性格の酷さで、俺たちの中であの変態に敵う奴はいない。トーラが知っているのはあくまで情報。情報と知識は別物だ。知っていても理解していないことはトーラにもある。その洛叉にさえ違和感を持たせずに、あんな子供が上手くやり過ごしてきたのだ。恐ろしいと言えば恐ろしい。


 「彼がカードになって数術の力を得たからわかったことなんだろうね。それまで気付くべき違和感にさえ気付かなかったことに彼も驚いていた。そしてそれに気付けば、もっとわけがわからなくなったんだ。真に驚くべきは、今更ってことなんだよ」

 「今更って?悪阻って言えば妊娠の代名詞みたいなもんだろ?」


 俺の疑問に、場は静まりかえる。俺を馬鹿にするような三者の目。聖十字の二人とハルシオンだ。なるほど、聖十字は元々戦場での医療活動も担当していたからその辺りの知識は勉強させられているのかもしれない。


 「あんた馬鹿?そういうのって三、四ヶ月くらいで終わるわよ?私の村じゃ常識ね」

 「カーネフェルの俺の家の隣の家の奥さんも、割と早めの時期に終わっていたな。半年も過ぎてそんな話は聞かないが?」

 「これだから馬鹿は困るな」

 「どさくさに紛れて俺を罵倒すんじゃねぇぞ!お前も実は知らなかったんだろハルシオンっ!?お前は二代目洛叉か何かなのか!?」

 「あんな変態と僕を一緒にするな!!何なんだあの危険人物は!油断したら危ない目に遭った!!」


 一体何があったのか。身震いをするハルシオン。そんな友人を眺めるリフルは、淡々と言葉を紡ぐ。


 「ふむ、……お前は混血だし綺麗だし小柄だし成長止まってるし確かに先生のストライクには余裕かもしれないな。あの人基本SかつMだから、性格はオールジャンルでツボらしい」

 「いや、前にヤンデレだけは認めんって言ってたぜ。妹がそんな感じだからかもな」

 「ハルシオン、先生の魔の手を逃れるためにはそうなるしかないらしいぞ?頑張れ」

 「リフルっ!!それを他人事みたいに言うな!!」

 「別に私は別段逃げる必要もないのでな。毒もあるし向こうから逃げてくれる」

 「第一奴相手にデレるなんて精神的苦痛が半端じゃないっ!!デレる相手くらい自分で選ばせて欲しいですマスター!!」


 途中でハルシオンはトーラに助けを求めるが、眠たそうなトーラから生暖かい笑みを返されただけで少し彼は沈んだ顔になる。そのフォローにでもと、俺は話題を変える。


 「いや、なんかもう今日のあいつのぶっ飛び具合からして、あいつもう毒とか邪眼とか恐れてなくね?お前とどうにかなれんなら、我が人生に悔い無しって感じの顔で昇天しそうだぞ二重の意味で」


 何だかんだで友人思いのリフルもそれに乗っかて来てくれる。


 「まぁ、もうこれは絶対に助からないだろうという瀕死の場面に出会ったらいっそのこと私が引導渡してくれるのも良いかもな。苦しませるのもあれだし、その時は極楽でも見せてやる。二重の意味で」

 「あんたら猥談したいなら廊下でも別室でも勝手に言ってきなさいよ。うざい」


 しかしすぐにロセッタに切り捨てられる。脱線を引き起こした張本人が何を言っているのだろう。まぁ彼女言うことはもっともだ。トーラももう限界そうだし、早く休ませてやりたい。彼女の力は俺たちがこれから何をするにも必要で、どうしても彼女を頼ってしまうことになる。それは鶸紅葉が言っていた言葉に他ならないのだが……


(そういや……鶸紅葉の奴、あれから見てねぇな)


 後からハルシオンにでも聞いてみよう。そうなんとなく思った頃にトーラが再び話し始める。


 「普通悪阻っていうのは妊娠4~7週頃に始まって12~16週頃に終わるって言われてるんだけどさ、以前のあれが原因なら……あれが十二月終わりで今は七月の頭だからもう半年は経ってるんだよ。だから今頃彼女が発熱の症状を出すっていうのも妙だ」


 それはどっちも初期症状だからねとトーラは言う。もう六ヶ月ともなれば、外見からの変化も出てくるはず。それなのにアルムはどうにもそうは見えない。だからこそこれまで上手くやり過ごしてきたのだ。


 「神懸かり的というかねぇ、僕はどうにもこうにも“神様”って奴の介入を感じるよ。本来こういう事はあり得ないはずのことだからね」

 「…………トーラ、それは」

 「うん、僕も思った。これはリーちゃんの時のそれとそっくりだ。普通に考えればリーちゃんの仮死状態が一年も続いて、そこから回復っていうのはあり得ない。だってその間リーちゃんは飲まず食わずだったわけでしょ?生命維持なんてされてこなかったわけなのに」


 言われてみればその通りだ。あの頃は俺もガキだったから特に疑問に思わなかったが。一年間爪も髪も伸びないのだから、眠っているではなく死んでいると形容してもおかしくはない。全ての身体機能が停止しているなら、そこから腐らず……仮にそれがなったとしても、そこから再び生命機能を復活させるなど到底起こり得ないこと。それを死と定義するなら、リフルは一度死んでいるのだ。

 けれどトーラはそうは言わない。死んでいるのでも眠っているのでもなく、止まっているのだと彼女は言った。


 「これは僕の仮説なんだけど、……これは時間数術っていうものなんだと僕は思うよ」

 「時間数術?」


 俺が考え込むと、トーラはロセッタへと話を投げる。


 「ラハイア君はともかくロセッタさんなら知ってるんじゃないかな?」

 「ソフィア、知っているか?」

 「ええ。教会の禁術の一つよ」


 机で頬杖をついていたロセッタが、トーラの言葉にふっと笑う。


 「表に口外していないそれをよく知っているわね。あんたん所の数術使い様とやらもそこそこやるじゃない」

 「え?嫌だリーちゃん、ロセッタさんの前で僕のことべた褒めしてくれてたんだ?」

 「ああ。主にアスカが」

 「え?アスカ君は別に良いよ。でね、人間に扱えるのは、そんなに豊富な種類の数式はないけどね。精々、自分の身体を一時的に若返らせたり成長させたりっていうのが限度だ。ずっとそのままなんて無理。だからこそ昔から人が求める願いってのが不老不死ってものなんだろうね」


 トーラはすぐに話題を切って、本題へと軌道修正。そのあっさりとした言葉に俺は傷つくべきなのか別に限りなくどうでも良いのか。はたまたそう考える時間自体が無駄だったのか。あ、たぶん最後の奴。


 「勿論視覚数術で誤魔化すことは可能だ。だけど肉体自体をどうこう変えるっていうのは支払う代償が重すぎてね。おまけに計算式も難しい。そんじょそこらの数術使いには数式唱えることも出来ないよ。それが出来るとすれば、僕とか神子レベルの術者か……或いは神って奴なんだろう」

 「結局どういうことなんだよ」


 少しばかりふて腐れた俺がそれを尋ねればトーラは面倒臭そうに、それでも愛しの彼に関わる話だからと眠い目を擦りながら言葉を紡ぐ。


 「だから一年間リーちゃんは眠ってたんじゃなくて、時間を止められていたのさ。6歳の時に毒殺されて1年後の未来にそのまま送り込まれたようなものだね。もしリーちゃんの成長が止まってなかったとしても1年分遅れて成長していたんだと思うよ」

 「つまりアルムも時間を止められていたってことか?んな話あるかよ。あいつはこの半年で背も伸びてるし仮死にもなってねぇ」

 「馬っ鹿じゃないの?それとこれとは違うわよ。あんたどこまでこいつを軸にしか物を考えられないわけ?」


 当然と言えば当然の俺の疑問に、まさかの部外者であるロセッタからのバッシング。それを流すためにか、リフルは話の流れを引き戻す。


 「……なるほど、子供の方か」

 「うん。僕が考えるに彼女のお腹の子は、この数ヶ月時間を止められていたんだ」


 でもこれはあくまで僕の仮説に過ぎないと、トーラは溜息を吐く。


 「もっとも混血の妊娠なんて前代未聞なことだからなんとも言い難いけどね。混血が必ず双子で生まれるように何かあり得ないことが設けられているのかも。今回が例外なのか、それともいつもこうなのか。混血が身籠もる子供は唯単に成長が物凄く遅いのか、妊娠期間が純血のそれより長いのか。この一件しか情報がない以上、まだまだわからないことだけど」

 「そもそも妊娠の条件自体わかっていないんだろう?」

 「うん、そうだよ。それは教会の方も同じだと思うけど、どうかな?」

 「ええ、そうね。聖教会で私が知り得る限りの情報の中でも、混血が身籠もったなんてデータは一件もないわ」

 「そっちの表の坊ちゃんはともかく、裏組織の嬢ちゃんでも知らねぇってなるとマジっぽいな」

 「今まで僕が知ってる情報だと、混血が純血に手を出されることはよくあることとして、その組み合わせでこういう事が起こったことは一度もない。それなら混血と純血は別の種でありその間に子をなすことは出来ないって論文を出した学者もいるとかなんとか」

 「だから混血が人類じゃないとかほざきやがってる阿呆もいるみたいだけどね。まったく、それなら私らみたいな後天性混血をどう説明するんだか」


 ロセッタは自分とハルシオンを交互に指さし、顔も知らないその阿呆とやらのことを鼻で笑った。


 「だけど混血同士が行為に及んだっていう情報も結構ある。だけどその間にも子供が生まれたっていう話はまったくない」


 敢えて名前を明かさなかったのは俺とリフルに対する配慮だろう。或いは聖十字という部外者がここにいるからなのかもしれない。

 かつてウィルとリリーという混血の子供がいた。二人はエルフェンバインという狂った数術学者の下で人体実験の材料として使われていた奴隷だ。その辛い境遇の中、二人は強く結びついたのだと言うが……結果的にウィルをエルフェンバインから救うため、彼をリフルが殺し……それを怨みリフルを殺しに来たリリーを俺がこの手に掛けた。


 「確かに、保護した混血の子らが必要以上にべったりしている姿は見たことがあるが……」


 ようやくラハイアも言葉を零すが、話の半分程度しか理解していないようだった。

 まぁ無理もない。突然何処かへ飛ばされて突然会議に参加させられ、突然わけのわからない問題の議論の咳に居る。頭から煙が出ているようにも見えた。こいつも散歩側に押しつけるべきだったかもしれない。


 「まぁ、同病相憐れむってことね。そういう依存は愛じゃないってことなんじゃないの?」

 「それを言ったら今回のだってなぁ……愛は愛って言ってもかなり一方的な奴だと思うぜ」


 あの双子の関係は、なんとも微妙な物だった。アルムはエルムが大好きだが、エルムは彼女を心底憎んでいる。今回は、彼女を手に掛けようとしたくらいなのだ。ディジットがそれを庇わなければ、今頃アルムは死んでいた。でもディジットがそうしてしまったことで、二人の軋轢はより一艘深まってしまった。


 「……まるで嫌がらせだな」


 リフルが重い溜息を吐く。しかしそこに続く言葉に、俺は面食らってしまった。


 「せっかく二人が再会出来たというのに、それではエルムもアルムを許せなくなっても仕方ない。もし俺が彼なら首でも吊っていただろう」

 「リフル……!?」


 こいつは何を言っているんだろう?確かにこいつは優しい奴だが、俺もこいつのそんなところを愛して止まないが、だからといって敵を哀れむ馬鹿が居るだろうか?エルムは事故とはいえ、ディジットにあんな大怪我を負わせたのに。俺は俺と主の間に、埋めようのない温度差を感じた。


 「しかし彼がそうしなかったのは、生きる意味を見出したからなのだと私は思う。そしてそれは彼女のことを知らなかったからでもあるはずだ。だからこそ、それを知った時の絶望は深い。衝動的になってしまうのも無理もない」

 「お前、どうしてそんなに冷静に言ってられんだ!?」


 何故だろう。我慢できなかった。


 「アスカ?」

 「ディジットが刺されたんだぞ!?」


 俺は今怒っている。それはリフルがディジットを軽んじるようなことを言ったから?勿論それもある。だけどもっと言うなら、俺のイメージのこいつと今のこいつがとても食い違っていた。そのズレが許せなかったのだ。

 こいつはいつも仲間のために必死になってきた。そんなに長い付き合いでもないディジットやあの双子のためにも懸命になってくれた。俺はこいつのそういう無茶なところを心配しつつ、そういうところが好きだった。こいつのそういう気持ちには凄く感謝しているし、仕える価値のある人だと思った。だけど、今の……こいつは何だ?

 どんな理由があったって、あいつはディジットをあんな目に遭わせた。俺はそれが許せない。それなのにどうしてお前はそんなに簡単に許してしまう?それは彼女の痛みを、お前が知らないからじゃないのか?その痛みを感じられないくらい、実は彼女がどうでもよかったのか?

 椅子から立ち上がった俺に誘われるよう、俺の主も席を立つ。そしてとても冷ややかな目を俺へと向けたのだ。


(違う……俺は、こんなの知らない)


 こいつがそんな冷たい目で、俺を見たのは初めてだった。起こったとしてもいつもは悲しそうな目でじっと俺を見上げていたのに。挑むように打ち負かすように、憎々しげに俺を彼は睨んだ。


 「それならお前は、無理矢理犯されたことでもあるか?お前は、そんなの無いだろう?」

 その言葉の重みと視線の迫力に、俺は一瞬何も考えられなくなった。


 「好きでもない女に襲われたことがあるか!?自分をどれだけ嫌っても足りない!!ああそうだ!相手が女である以上、こればかりは此方も被害者面が出来ないからな!!」


 そこまで言われて俺は気付いた。俺はリフルの逆鱗に触れてしまっていたのだ。


(俺は……何と言うことを)


 こいつはエルムと自分の境遇を重ね見てしまったのだ。だから憎むべきは彼ではない。

 こいつも俺と同じだ。今正に怒っていた。でもそれはエルムにではない。半年前、彼を救うことが出来なかった自分自身に怒り狂っている。それに俺は気付いてやれず、自分の気持ちで一杯一杯で……あんな言葉を言わせてしまった。


 「それを大切な人に知られてしまう恐怖が解るか!?軽蔑するくらいなら、嫌われるくらいなら、いっそ殺してくれ……そう叫びたくなるような、胸の痛みがっ!!」


 気持ちが解るのだこいつには。もし同じ事になっていたなら、きっと自分もそうしただろうと。後ろめたさで何も言えない。どうやって彼女が好きだと言えるだろう?言葉に重みがない。軽薄な愛を契った身では。

 邪眼の惹き付ける力より、その目の重圧に耐えかねて俺は負けて、視線を逸らす。あんな暗いあいつの目を、見たのは本当に久々だ。まるで瑠璃椿と出会った頃のような、いや……あの時よりもっと暗い目をしている。

 リフルは何も言えない俺に背を向ける。それを見てトーラも立ち上がった。


 「と、とりあえず一旦お開き!僕疲れちゃたし」


 パンと両手を叩いて、トーラは場の空気の流れを変える。


 「蒼ちゃん、ロセッタさんとラハイア君に部屋の用意とここの施設案内よろ。終わったら僕の部屋まで報告ね。それまで僕仮眠するから」

 「はい」


 そうやってトーラが命令を下している内に、リフルは部屋の外へと消えていく。ラハイアが何か言いたそうな顔でその背中を追っていたが、トーラの言葉通りハルシオンに連れられて、ロセッタ共々別方向へと連れられていく。結果会議室に残ったのは、俺とトーラの二人だけ。


 「アスカ君、駄目だよ……今の話は特にリーちゃんの地雷なんだから」


 二人きりになってすぐに、トーラは大きな溜息を吐く。


 「君が動揺するのもわかるけど、リーちゃんの最後の砦は君なんだからさ。君にまで暴走されたら、リーちゃんも冷静でなんかいられない」


 いつも彼が落ち着いている。そうすることが出来るのは君のお陰なんだよとトーラは言い、俺を目で責める。


 「そりゃあディジットさんが君にとって大事な人なんだってのは僕らも重々承知さ。だけど君がリーちゃんの傍にいるのは、君が君の優先順位を選んだ結果じゃないの?」

 「……ああ」


 逃げる機会なら、幾らでも与えられていた。考える時間も存分に。だけど俺はその度に、迷わず息をするように何時だってあいつを選んできた。それに後悔はない。


 「リーちゃんもそりゃあ辛いことは一杯あっただろうさ。だけど彼は男の子だからあの程度で済んだんだ。……でも辛いことに代わりはないよ。だからこそエルム君が可哀想だと思うんだよ、より一層」


 あいつはもう誰にも自分と同じような思いをさせたくない。その一心で殺人鬼を続けた。自分が救われることはないけれど、それで自分の過去が変わるわけではないけれど。それで他の誰かを助けられるなら、この手を汚す意味はあると。殺すことで救えるものも、あるのだとそう信じて罪を重ねた。

 それなのに、顔見知りの日常さえ守れなかったと悔いているのだ。見ず知らずの人の境遇にも哀れむあいつのことだ。それが知り合いならより辛い思いになっていたのだろうに。


(俺は……)


 被害者面も出来ないと、その言葉が胸に染みる。

 あいつは大切なお嬢様の母親とも寝たのだ。まだ毒人間でも無かった頃、薬を盛られて身動きを封じられて。相手が女なら、唯目を瞑っていればいい。そういう話でもなくなる。

 その場をやり過ごしても罪悪感は他より強い。男と女では、原因がどちらにあるとしても、打ち負かされるのは男の方だ。自分は悪くないと胸を張って、言えやしない。

 死にたいと口にした、エルムの気持ちが解るのだという。相手が別に病気持ちじゃなかったなら人妻とやれてラッキーだったじゃねぇか、これでお前にも箔が付くななんて、口が裂けても俺は言えない。あいつはそんな風に考えられる人間じゃない。だからこそもう、死んでしまった人間のことを未だに引き摺り続けている。一生お嬢様への思いに殉じるつもりなのだろうか?それで幸せになれるとは思えない。

 だから、また失ったのだ。リアに惹かれる自分を否定して、彼女を大切な友人と言い張った。そしてトーラを大切な仲間で相棒と、言い張って……そうしてまた失いでもすれば、また傷つくのはお前の方なのに。


(もう、許してやってくれよ……いい加減に)


 *


 「一つ尋ねたいのだが」

 「何?食堂の場所はさっき言ったけど?」


 ラハイアがそう尋ねれば、緑の髪の混血が振り返る。カワセミの名を名乗るだけあって綺麗な緑と青を纏う。


 「あいつは……Suitは何があったんだ?」

 「本人に聞けば?」

 「あいつが俺に素直に教えてくれるようには思えん」

 「そらならそういうことなんだよ。あいつはあんたには知られたくない。だから言わない。それじゃあ駄目なわけ?」

 「駄目というわけではないが……あいつを理解するためには、知っておきたいと思ったんだ」

 「どうして?あんた聖十字だろ?今は一時手を組んでるってことみたいだけど、あんたらにとってあいつは宿敵みたいなものだろう?僕だって今どの辺まで案内するべきか迷ってるんだ」


 少年の言葉に、自分たちがまだ信用されていないのだと知った。確かに……つい数時間前までソフィアとあのトーラとかいう少女は小さな事でいがみ合い、危うく殺し合いまで発展しそうになっていた。


 「……わかった」

 「何やってるのあんた……」

 「いや、確かにその通りだ。とりあえず信用して貰えるように何をすればいいかを考えた結果、土下座でもするべきかと」

 「あんた純血だろ?プライドないわけ?」

 「仕事のためなら正義のためならプライドなどあって無いに等しき物だ。とりあえず先のソフィアの無礼を彼女に代わって詫びさせて頂く」

 「何勝手に謝ってんのよ」


 頭を下げたところで、ソフィアに頭を踏みつけられた。思いきり鼻の頭を打った。そこそこ痛い。しかし彼女が本気でやったなら俺の顔面か床が陥没していただろうから、手加減はしてくれたのだろう。


 顔を上げれば、少年は困ったように視線を彷徨わせていた。


 「丸一日そこで土下座続けたら考えてやるとか言ったら、あんた本気でやりそうだからなぁ。あんたみたいな進んでやってくれるようなタイプ虐めても、あんまり達成感ないし後味悪いし苦手だな」


 嫌がる相手に無理矢理させるのがいいんだと、何か不穏なことを少年は呟いていた。とりあえず無意味だしみっともないしもう止めてと言われ、しぶしぶ身体を起こす。それを待って少年は、奴へのヒントをもたらした。


 「あいつは誰彼構わず頼って縋ってもたれかかるような奴じゃない。何でも柔軟そうに従うような振りしてて、何だかんだでプライド高いんだよ。元王族だし」


 頼りたい相手は選ぶ。我が儘な奴なんだと彼は言う。その言い方からすると、どうも彼もそんなに頼られたことは無いような感じが漂う。


 「だからそういう相手には何を言っても無駄だね。言うだけ無駄。酸素と時間の無駄。やるならさっさと勝手に行動するしかないんじゃない?それでもあいつ本当頑固だから、拒むときは本気で拒むから。それこそ殴ってでも止めなきゃ駄目かもね」

 「……なるほど」


 彼の忠告に耳を傾けながら歩いた。そのまま暫く進むと、彼は足を止め二つの扉を交互に指さす。


 「それじゃこことここの部屋好きに使ってくれていいから」

 「あ、ああ。ありがとう」


 ラハイアが礼を言っている内にも、少年の手から鍵をひったくり「私こっち」と部屋を決めて姿を消すソフィア。あまりの横暴ぶりには、ラハイアだけでなく少年の方も言葉を失うほど。

 案内役の少年も帰っていき、仕方ないのでそのまま部屋に入ってみたが別段やることもない。忙しいいつもの仕事癖もありじっとしていられなくなり、ふらふらと探索。自主的にこの迷い鳥という街の警備でもすることにした。


 「しかし何だ。ここは……」


 殺人鬼のアジトだというのだからもっとおどろおどろしい場所かと思ったが、意外と普通だ。もう薄暗くなってきたが、それでも生活感はある。畑作業から帰る者、家畜の世話をする者。釣りをしている者、飯炊きをする者、洗濯物を取り込む物……そこに広がるのは普通の生活風景だ。街は長閑で、砦の外……城壁に囲まれたその街は、元は廃墟だったのだという。それをここまで復興させたのがSuitとトーラ。そして彼らが助けた者達。

 ここは混血の子供だけではなく、多くの純血もいる。聞けばみんな元奴隷や生活に困っている者だという。請負組織TORAに拾われた者。殺人鬼Suitに救われた者。そうして噂を聞いてここまでやって来た者。


 「お兄さん、新顔ね。もう食事は済ませた?」

 「いや、まだだが……」

 「向こうで炊き出しやってるからご馳走になんなさい」


 食堂近くを通りかかれば、掃除をしていた女性に声を掛けられる。そのまま辺りの子供に引っ張られ、食堂まで運ばれた。相手が子供では、邪険にも出来なかったのだ。


 「ここに並ぶんだよ!」

 「なるほど。それで会計はどこですればいいんだ?」

 「えー兄ちゃんだっぜー!」

 「タダメシだよね!」

 「うん!おかわり自由」

 「好き嫌いしたり残すと怒られるけどな!」


 子供達はけらけらと明るく笑う。しかしその回答には驚いた。


(自給自足とはいえ、まるで金銭が存在しない生活など成り立つのか?)


 食事はまだなんとかなる。それでも他の生活必需品。それを外部から購うにはやはり金は必要だろう。

 西の大組織の頭がバックに付いているとはいえ、金は湧いて出てくるものではない。シャトランジアは国家として混血の保護をしているが、街の一部の支配勢力程度が、それと同じ事が出来るとは到底思えない。

 それでもそれを強いたのは、俺の不甲斐なさ。半年前にあいつは俺にもう教会を頼らないと口にした。


(あいつは……俺を頼っていてくれたんだな)


 そう、それまでは。ハルシオンという少年が言っていたように、あの殺人鬼は素直ではない。捻くれている。だからあんな方法でしか、俺を教会を頼れなかった。しかし俺と教会は、その信用を裏切ったのだ。敵相手に裏切るも信じるもおかしな話ではあるが、俺が寄せられていた信頼を手酷く裏切った。それは逃れようのない事実。

 移民船を奴隷船にした教会。その教会から人を守るためには、セネトレアという国にシャトランジアのような場所を作る必要があった。そしておそらくここがその場所……あいつはここの人間達を支えるために、一体何をしてきたのだろう。

 この件に関しては間違っているとは思えない。なんとか教会から支援をしてやれないかとは思うが、セネトレア教会にここのことを知らせるのは危険だ。奴隷商との繋がりがある。

 こんな場所を教えたら、格好の穴場だと狩りに来る。


(まったく、おかしな話だ)


 味方が敵で。敵のはずの人間達との方が、目指していることが近いなんて。


(とりあえずソフィアに頼んで、神子になんとかしてもらうしかないのか?いや……)


 神子も何処まで信じて良いものか。今のところ協力姿勢だが、俺は神子も気に入らん。神子は暗に死刑を認めている。そのために運命の輪を作った。

 それでも俺はわからない。どこからどこまでが、死刑執行の対象なのか。それをどういう基準で選んでいるのか。一度しっかり話をしてみたい相手ではある。

 例えば1人殺した相手は処刑はされないのだと仮定する。それが10人?或いは100人?どこまで数を増やせばそうなるのか。死刑と十字法の関係はこの際置いておくとしてもだ。平等を説く教会が、そんなことを言って良いのか?

 これはもはや捨て置けないと、神子の独断、その命令により運命の輪は回る。勿論数など関係ない。殺した数が何人だろうと人殺しは人殺しだ。免罪符などあってはならない。1人を裁くのならば、同じ罪を犯した相手を全部裁くのが道理だ。精神に問題があろうと無かろうと、罪を犯したのが事実ならば、同じ裁きを受けるべき。

 神子が人殺しの処刑を命じるなら、須く彼は命じるべきだ。それが出来ないのなら、彼は命じてはならない。死刑執行命令を。

 無論、すべての囚人を養うのは大変なこと。それが税収でまかわれるのだから、不満が生じるのも無理はない。ならばそもそも罪人が生まれないように、法と社会をもっと整える。罪人が生まれる前にその悪の芽を潰すのだ。思い詰める前に、復讐を願う前に、教会は救わなければならない義務がある。

 こんなこと、あいつに言えば理想論で絵に描いた餅で夢物語だと笑われるだろう。それでも夢も理想もなくして、人は生きていけるだろうか?そんな世界に意味はあるだろうか?諦めたその先には、今以上という言葉はない。どんどん深みにはまっていき、もっと暗い場所に落ちるだけだ。


(………そう言えば)


 暗いと言えば、会議室を去る時の……あの男の暗すぎる紫。あの目は多くを拒絶していた。もっとも身近にいたはずの、男を相手に拒絶をした。拒絶された相手は、確か……半年前にあいつを庇い、倒れた男だ。Suitはそれに怒り狂った。泣いていた。また手を汚した。

 普段ある種の崇高性を説くあの男が、エゴで罪を犯したのは数えるほどしかない。

 一度目は、2年前。フォースという少年を保護した時。二度目は同じく2年前。レフトバウアーでの大量虐殺事件において。そして三度目が半年前の12月。

 その三つの事件の関連性とは何だろう?そのヒントを俺が得たのは、三度目の事件から。

 あいつは仲間を傷付けられることで暴走する。人殺しを何とも思わなくなる。本物の殺人鬼に成り下がる。それに気付けば、繋がりはある。1度目の事件の陰にも、現在の仲間である少年が居た。おそらく彼を守るために、殺害に及んだのではないかというのが長らく俺の推測だった。


 「そう言えば君たちは、ここの偉い人を知っているか?」

 「もっちろん!すっげー美人なんだぜ!すげーだろ!!」

 「一回だけ。仮面してたしわからないな。あの人人殺しなんでしょ?ちょっと……怖い」

 「何回かなら。迷子になってたら助けてくれたの!親切ですっごい優しいんだよ?私、あんなお姉ちゃんが欲しい」

 「見たことあるけど、僕はあんまり好きじゃないな」


 先程のように、返答はバラバラ。そして今回はその内容に繋がりはない。

 その美貌を褒め称える者、その罪に脅える者……優しさに感謝する者、そしてその好意を妬む者。しかし、何かがおかしい。ここまで人の好意は二分化するものだろうか?

 彼のことを尋ねると、彼を知る者は本当に彼に感謝していて、その好意を隠すことはない。しかし彼をよく知らない者は、彼を恐ろしいと口にする。

 そんな話を聞きながらの食事。腹は膨れたが、考え事をしていたせいか味はあまり感じなかった。作ってくれた人と食材に申し訳ない気持ちになりながら完食をした。

 子供達と食堂の前で分かれ、部屋に戻ろうと別の階まで足を進めて行けば、見覚えのある少年に出会う。彼も此方に気がついたようで目が合った。


 「……あ」

 「……、君は」


 黒髪黒目のタロック人。確かフォースという名前の子。先程の会議には参加していなかった。内容が内容だ。Suitとトーラは子供には聞かせたくない話だと考えたのかも知れない。


 「こうして君と話をするのは、初めてかもしれないな」

 「……………」


 俺の言葉に対する返事はない。教会に裏切られ、奴隷に身を落とした彼の俺たちへ対する怨みは並々ならぬもの。それは教会の腐敗を見抜けず、そんな教会を信じていた俺の落ち度だ。こうして話をすれば殴られるか刺されるか。それくらいは覚悟していたし、それを受け入れる覚悟はあった。しかし、彼は何もしない。唯俺から視線を逸らしただけだ。

 そんな相手に、すまなかったと言うのは簡単だ。しかしそれは誠意と言えるのか?

 その言葉は、行動を持って。償いを果たした後にのみ、口にすることが許される言葉ではないのか?そう。中途半端な言葉など、彼には響かない。そしてそれは彼をより傷付けることに繋がるだろう。


 「……しかし君がソフィアの友人だったとは。世界は狭いな」

 「あんたは何か知ってるか?どうしてあいつが教会なんかにいるんだって」


 例の件で話すことは何もない。それでも友人の名が出れば、話は別だと少年は口を開いた。


 「彼女はセネトレア第三聖教会ではなく本国……シャトランジア第一聖教会からの使者だ」

 「じゃああいつはちゃんと亡命できたのか……」

 「……その過程は俺も知らないから何とも言えん。すまない」


 唯の亡命者が教会の裏の人間になる過程とはどんなものだろう。これも本人と神子以外は知らないことだ。


 「何にせよ……彼女には法を犯すだけの理由があったのだろうな」


 国の権力者にそれが許されている立場。それでも人を何の理由もなく殺める仕事に就けるはずがない。抵抗がないわけがないのだ。


 「……君に、頼みがある」

 「……何?」


 聞くだけなら聞いてやる。そんな調子で少年が言う。


 「Suitのことだ」

 「リフルさん?」

 「ああ、確かにそう呼ばれていたな」


 互いにその呼び名は呼び慣れない。彼の名を知った後でも、これまでずっとそう呼んできたのだ。どうもしっくり来ない。俺にとってはあいつはやはりSuitでSuitなのだから。


 「俺は部外者で、あいつの敵だ。だから常に協力をすると言うことは出来ない。どうしても対立してしまうことはあるだろう。反対にソフィアのことで、君が彼女と対立することがあるかもしれない」

 「…………そうだね。あいつじゃないけど、そういうことはあったよ」


 少年の声色が、少し翳り出す。逸らされた黒の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。


 「俺も目指すところが同じ限りは極力彼女の力になろうと思う。いや、支えられているのは俺の方なのだろうからこの言い方はおかしいか……?」

 「代わりに俺がリフルさんの力になれって?あんたの分まで?」


 変な事を聞かれたと少年は呆れたように息を吐く。


 「それは当たり前だけど、別にあんたに頼まれることじゃない。ロセッタのことはそうして貰えると俺も助かるけどさ」


 何でお前がそんなことを俺に頼むのか。少年に問い詰められて、ラハイアは会議室での一件を口にした。


 「アスカと言ったか?彼とSuitが仲違いというか口論になってな。あの様子ではしばらく続きそうだ」

 「あの二人が喧嘩?」


 ああ、またか。少年はそんな顔で苦笑する。呆れるように、それでもその者達への親しみを感じさせるような笑みだった。


 「よくあるのか?」

 「たまにあるけど。よっぽどのことでもない限り、基本的にすぐに放って置いても仲直りしてるよ。基本あの人達はどっちも頑固な上に相手が大好きすぎて諍いになるだけだから」

 「なら今回のことはそのよっぽどなのだろうな」

 「……え?」

 「あの青年は親しい女性の大怪我に平静を失っていたし、あいつはあいつで取り乱していた。その先での対立だ。長場になるぞあれは」

 「…………そっか、リフルさんが。一体何があったんだろう?」


 答えを見つけられない、俺たちに呆れるような声が響く。振り返れば赤い色。


 「今朝の被害者よ」

 「ソフィア?」

 「ロセッタ!?」

 「あんたらそんな道ばたで、情報交換とか止めなさいよ。何処に漏れるかわかったもんじゃない。こっち、付いて来なさい」


 スタスタと足早に進む彼女の強気な発言に負けて、俺と少年は彼女の後に続いた。


 「夜分に失礼する」

 「別に私の部屋じゃないし」


 相手が相手とは言え一応女性だ。夜間に女性の部屋に上がり込むのは風紀的にどうなのだろう?そんな思いが浮かんできたが、通されたのは彼女の部屋ではないらしい。どこも似たような作りなので騙されたが違う階らしい。


 「まったく、手間かけさせんじゃないわよ。ライル坊やにカードのことををきっちり説明してやろうと思ったのにあんたの部屋蛻の殻なんだもの」

 「本当に……ロセッタなんだ」


 姿形は変わっても、その物言いは間違いない。幼なじみとの再会に少年の顔が綻んだ。この場に俺がいなければ、泣き出していたかもしれない。彼の目にうっすら涙が浮かんでいる。


 「フォースもフォースで相変わらず情けない面してんのね」

 「だ、誰が情けねぇんだよ!!相変わらずお前も可愛くねぇ女だな!!」

 「何ですって!?」

 「お前なんかと比べたら、リフルさんの方がよっぽど女らしいな!」

 「へぇ、言ったわね。いいわよ、表出なさい。二度とそんな口聞けないように徹底的にボコってあげる」


 Suit自身が聞いていたらどんな顔をしていたんだろう。少年が褒めているつもりの言葉は、男に対しては侮辱のような気もする。

 喧嘩早くもう銃を取り出したソフィアに気付き止めようとするが、一歩遅かった。弾丸は少年の頬を掠めて壁に突き刺さる。幸い少年に怪我はない。威嚇射撃だったのだろう。ソフィアの射的の腕はなかなかだ。狙って外しているのだから。しかし……


 「ソフィア、暴力云々の前に夜間に騒ぐのはマナー違反だぞ」

 「本当にあんたも面倒臭い男ね」


 興が殺がれたと、ソフィアは文句を言って椅子へと腰を下ろして、俺たちにも視線で勧めて来た。


 「ま、私もこんな話をしにあんたら呼んだわけじゃないし?今の弾で盗聴防止云々の数式張らせてもらったから、あのお綺麗な顔のクソ野郎の陰口でもスリーサイズでも何でも話し放題よ」

 「ソフィア、お前そんなモノを知りたいのか?」

 「言葉の綾って言葉知らないの!?馬鹿っ!!んなもん興味ないわよ」

 「ええと確か前にトーラが言ってたのだと上から……」

 「知りたくないって言ってるわよ!!馬鹿フォースっ!!……って何よその目は」

 「……いや、何でもない。唯ぱっと見でもウエストとか余裕で負けてそうなって」

 「え、嘘。え?嘘?え、幾ら……?」


 聞きたくないと言っていた癖に、ソフィアは幼なじみの肩を掴んで部屋角まで連れて行く。そしてそこでひそひそ話。明かされたSuitのスリーサイズとやらに激昂。


 「あの野郎殺すっ!!野郎の癖に何で私よりウエスト細いのよ!!何でくびれあるのよ!!」

 「え、ええと……そ、そりゃあ細身だし、筋肉ないし、常時女装みたいな職業してる人だし」

 「くそっ!今に見てなさい!さり気なく甘い物を食べさせて私がこの任務終える頃にはそのほっそいウエストにたっぷり贅肉つけさせてやる」

 「落ち着けソフィア。奴も男だ。胸くらいは流石にお前が勝っているだろう」

 「そ、それもそうね」


 そこが勝っていれば他が負けても全て良し。終わりよければ何とやらということで彼女もやっと落ち着いてくれた。身体的特徴で怒り狂う癖などフォースという少年は知らなかったのか、幼なじみが新たに手にした地雷には驚かされているようだ。


 「ってせっかくの数式を阿呆なことに使わせるんじゃないわよ」


 ここで言い出したのはお前だろうなどと言ったものならまた面倒なことになる。ラハイアは視線をフォースへ向けて、暗黙の了解と無言で頷き合った。


 「それであんたら、自分たちが何に巻き込まれてるかさっぱりわかってないみたいだから教えてあげる」


 そう言って彼女は手袋を外す。


 「あんたらもこういうの、昨日……一昨日の夜から出来てない?」

 「ああ。てっきり同僚に落書きでもされたのかと思ったが、違うのか?」

 「あるよ、俺のはマーク違うけど」


 ソフィアを習い、利き手の装備を外せば……俺の手の甲には彼女と同じハートを模る赤い模様がある。フォースのそれは同じ赤でも、ダイヤの形のようだった。


 「やっぱ神子様の言った通りだったわね。あんたら馬鹿だから、どうせこれが何かわかってないでしょ?」

 「それではこれは一体何なんだ?」

 「カードよ」

 「カード?」


 昨日今日の会話で何度も登場した単語だ。


 「それは神の審判の参加者の証。最後の一枚になった人間の、どんな願いも叶えてやろうっていう神様の温情みたいな奴よ」

 「最後の一枚とは?」

 「カードが一枚になるまで審判は終わらない。誰の願いも届かない。だから殺し合えっていうお告げよ」

 「か、神がそのようなことを!?信じられん……」


 まだあの同僚辺りの冗談好きの人間達のささやかな嫌がらせだと考えた方が辻褄が合う。洗っても落ちないあたり、油性ペンなどではなく入れ墨かというくらいの嫌がらせではあるが。


 「あのね、一晩で世界各国に散らばる何十人もの人間の手にこんな紋章刻むなんてそんなみみっちい嫌がらせ、神様以外の誰に出来んのよ」

 「余程腕の良い彫り師が入れ墨を入れまくったのではないか?」

 「何その意味不明過ぎる人間は!!っていうか夢くらい見たでしょ!?覚えてないわけ?」

 「俺は仕事の疲れが貯まったのか、突然倒れたらしいが。全くその間の記憶がないな」


 「兎に角これは下手すりゃ本当に世界が滅ぶの。わかる?何処が審判かって普通は疑問に思わない?」

 「確かに」

 「奴らは人を、試しているのよ」

 「試す?」

 「最後の1人が人類代表。そいつの願い事があんまりにも私利私欲に満ちたものなら、奴らは世界を滅ぼす。その本人が死んだその瞬間に」


 自分さえ良ければいい。そんな願いでも叶えられはする。唯本当に自分だけ。

 それはあまりに理不尽だ。だからそんな者を生かしておけないのだと、ロセッタが視線を細める。


 「だからそう言う人間を勝たせるわけにはいかないの。私達運命の輪は、そのために世界を回っているわ」

 「……それって、ロセッタ」


 一枚だけ。生き残れるのは一枚だけ。その言葉にフォースが引っかかったようだ。


 「その手、お前もカードなんだろ?」

 「ええ、そうよ。それがどうかした?」

 「どうもするだろ!?お前も死ぬかも知れないんだ!?」

 心配そうに彼女を見つめる彼の、その懸念事ソフィアは鼻で笑った。


 「ええ、そうよ。私は死ぬわ。そのために私は生きているもの」

 「え……?」

 「私が何のお咎めもなく、神子様から処刑権利与えられてると思うの?んなわけないでしょ」


 ソフィアも暗い目で笑う。それは会議室で見たあの男のそれによく似た闇の深さ。


 「罪には罰を。例外はない。どんな理由があろうとも、人殺しは須く地獄に落ちるべきなんだわ」

 「そ、そんなの……そんなのって」


 友人の見知らぬ側面。それにフォースは狼狽える。昔のソフィアには、こういう所がなかったのだろう。詰め寄って、その眉間に銃を突きつけソフィアは笑う。


 「ねぇ、フォース。あんたも同罪よ。アルタニアで随分はっちゃけてたらしいじゃない?ねぇ?人殺しの癖に何女なんか作ってるわけ?幸せにでもなれると、許されると思ってるわけ?」

 「そ、そんなこと俺は……思ってない!!」

 「そりゃそうよね。あんたを殺したいと思っている人間だって、世の中には五万といるんだから」

 「いや、それはおかしい」


 ラハイアは、二人の会話に口を挟む。二人の対照的な赤と黒の目が此方を向いた。赤は炎のような憎しみと怒りを湛え睨み付けるよう、黒は深い悲しみと僅かの光をそこに宿して。


 「殺人犯だって人間だ。罪を償う責任は勿論あるが、殺されて当たり前とは俺には思えない」

 「人殺しは人殺しっていう生き物よ。人間じゃないわ。人の幸福と未来の権利と可能性、それを奪っておいて、人間面するなんて厚顔無恥もいいとこだわ」


 ソフィアの言葉は親しかったはずの幼なじみ。彼の胸を深く抉る。しかしその言葉は諸刃の剣。その言葉に彼女自身も傷ついている。血を流し続けている。それでもそれが痛いとは言わない。それが報いなのだと彼女は言う。そんな姿を見ているのは辛い。とても悲しいことだと思う。


 「……昔の話だが、1人の女が殺された。俺は泣いたし、彼女を殺した人間達を許せてはいない」

 「な、何よ突然……?」


 俺の語りにロセッタは、狼狽えるが……俺の目を見て、神子からでも聞いたのであろうことを思い出したのだろうか?俺の言わんとしている事を彼女は察する。

 ああそうだ。俺は憎んでいる。オルクスと言うあの男。奴は俺の村を襲った人間の仲間。或いは首謀者の可能性すらある。あの男は勿論許せない。許せないのは、罪を罪だとあの男が認識していないこと。息をするように当たり前のように、禁じられていることを何とも思わない。俺はそれが許せない。でも……


 「だが何より許せないのは、その連中の仲間が未だに改心もせず人を苦しめていることと、今日までそいつらを改心させられなかった俺の無力さだ。だから俺は奴を捕らえる。そして犯した罪の重さを知って貰う。そしてその上での償いを、共に考えさせて貰うつもりだ」

 「坊やらしい実に甘い考えね。世の中そんなに甘くないわよ」

 「だが、復讐を望むのは残された人間のエゴだ」

 「復讐が……エゴ?」


 それまで噛み付いてきたのはソフィアだけだった。しかし復讐と言う言葉にフォースは食い付いて来る。


 「大事な人を失って悲しいのも悔しいのも解る。しかしそこで俺が殺せば、やはり俺は他の誰かを悲しませる」


 これは例えばの話だ。Suitの望み通りに、俺があいつを殺したとして。


 「Suitは世間一般の多くの人から見れば悪人で犯罪者で凶悪な人殺しだ。しかし奴を俺が死で裁いたなら、少なくとも俺はまた君を傷付ける。トーラというあの少女もきっと泣くのだろう」


 それが世界のためであっても、それで多くの人間が喜ぶのだとしても、必ず誰かが泣くのだ。全ての人が笑えない、そんな選択が本当に正しいはずがない。

 だから俺はそれは選べない。それは俺の理想とする正義とは、異なるものだ。

 まず考えるべきは法と社会。法は正しく機能しているか?人を守るための法であるか?それは一部の人間の私欲に支配されていないか?まずは人に罪を犯させない、そんな社会を作り上げる。それが何より大事なことだ。


 「そんなの、唯の理想だわ」

 「それなら仮に殺された相手が、この人を怨むな。私は何も憎んでいない。全てを許すと言ったなら、その言葉を聞いた上で、復讐を望むのはエゴだろう?」

 「そんなことあり得ないわ」

 「ああ、俺もそう思う。だからこそ俺は……彼女の言葉を、その奇跡を信じている。それこそが人の本質なのだと」


 たった1人でもそういう人間を知っている。だから俺は絶望しない。人間に絶望しない。

 彼女に出来たことが他の者に出来ないなんて、俺に出来ないなんて信じない。


 「俺は何時誰にどんな下らない理由で、殺されたとしてもそいつを怨まない。嘘だと思うのなら、何時でも寝首を掻きに来てくれ」


 俺は証明してやる。彼女の言葉は嘘じゃない。彼女に出来て、俺にも出来た。それならきっと誰もがそうなれるはず。


 「…………あんた、凄いな。逆のことを言っているのに、何処かリフルさんに似ているよ」

 「…………馬っ鹿じゃないの?あんたもあいつも。どうして、カードって奴は……そういう夢見がちの馬鹿ばっかり気に入るのよ」


 フォースの小さな呟きが、室内の沈黙を破る。彼は俺に呆れたように、それでも初めて俺に微笑んだ。反対に、ロセッタは思い通りにならないことばかりだと、顔をしかめて舌打ちをした。


 「そういうことだ。俺はカードも神の審判も別段気にはしない。これまで通り俺は俺の信じる正義を信じるだけだ」


 願いなんて別に要らない。それは全て人が叶えられる。それを諦めて神なんかに縋る、そのために生け贄なんて捧げたりはしない。

 「それでは俺はこれで失礼する」


 積もる話もあるだろう。あの様子ならもう呆れて、言い争いをする気もないはずだ。

 ラハイアは二人を残して、空き部屋から退散した。

 すると何処からともなく心地良い夜風を感じて。誘われるように足を運んでいく。もう夏だ。じっとしていても額に汗が浮かんでくるような暑さ。それにあんなに熱く語った後だ。風に吹かれに、少し気持ちを静めに行くのも良いだろう。

 そんな気持ちで向かった先に、見覚えのある一つの影。


 「……Suit?」


 そこはバルコニー。佇む夜風に揺れる黒マント。その人を俺はこれまで何度追ってきたことだろう。


 「ラハイアか?」


 仮面をしていない、Suitをまだ見慣れない。だからどうしても違う少女の名を口にしてしまいそうになる。


 「しかし妙なことになったものだ。まさか家宅捜索以外でこの場所にお前がやって来るとは思わなかった」


 何がおかしいのか、殺人鬼は笑っている。会議室で見た、あんな目をもうこいつはしていなかった。でも目はまだ暗い。それを夜の暗さの所為だと思い込ませるように上手にこいつは笑うけど。


 「…………あの件はすまなかった」

 「あの件とはどの件だ?お前には一泡所か何泡も吹かせられているのだが」

 「ふ、……違いない。そうだな、とりあえずはベラドンナの件だ」


 ああ。あれか。それはお前が死んだと思いながら、賭に負けたのだと半ば抜け殻のようになりながら……それでも負けて堪るかと、仕事に打ち込んでいた頃に出会った少女の名前。

 最後の日に見た殺人鬼と同じ髪と目をした少女。

 何故彼女が気になるのだろう。俺が救えなかった、言い負かされた好敵手に似ていたからか?わからなかった。わからなかった。


 「何かと気に掛けてくれていただろう?結果、私なんかで済まなかったな。お詫びに着替えて来ようか?」

 「虚しいから止めてくれ」


 きっぱりと首を振る俺に、殺人鬼は残念そうに笑ってみせる。何が残念だというのか。そんなに俺を騙すのは楽しかったのか?


 「しかしあれには本当に驚いた。予告も無しに、それでもこの私の所までやって来るのだから。お前になら、いっそあそこで捕まってもいいかとも思った程だ」


 敵対者の俺に、惜しみなく賞賛の言葉を贈る殺人鬼。トーラの言うよう、俺がある意味気に入られているというのは間違いでもないようだ。


 「だが私にも都合というものがあるのでな。そう簡単に捕まってはやれない」

 「ここのことがあるからか?」

 「勿論それもあるが、ここは私が死んでもなんとかなって行くだろう。人は逞しい生き物だから。私がここを守るのは、粗方の脅威を排除するまでさ」


 俺を前にして、まだ殺意を仄めかす。まだ殺すべき人間は残っていると。そして殺人鬼は、俺に微笑んで……懐かしい呼び名を口にする。


 「もう一度、犯行予告をしてやろうか聖十字?」

 「……やってみろ」


 不思議なものだな。互いの名前を知っているのに、そう呼ばれる方がしっくり来る。こいつを俺が未だにSuitと呼ぶように。


 「私は東の奴隷商と城を潰す。私は姉様を……セネトレア女王刹那姫を殺す。そしてタロックの狂王須臾をこの手で殺す」


 一見復讐のため。そう見える殺害予告。だからこそ、全ての責任を彼は背負うことが出来る。私怨による殺しならば、罪を問われるのも自分だけだと。いざとなったら本当の名前を出すつもりなのだろう。王子として他の者に命令して付き合わせていただけだと、従う者の罪も、全て自分が背負うつもりなのだ。


 「……馬鹿かお前は?」

 「何のことだ?」

 「今回の事件も、お前が背負うつもりなのだろう!?」

 「被害者達を救えなかった時点で、あれは私の罪だ」


 フォースが言っていた。俺とこいつが似ていると。ああ、そうだな。変なところだけ、妙に似ている。同じ事を言っているのに、意見は違う。共に頑固だ。だから対立して、相手を言い負かすまで勝負は終わらない。


 「それならお前が救われなかったのは、一体誰の罪で責任なんだ?」

 「…………」


 軽口のためなら開く口が、貝のように堅く閉ざされる。こいつは俺に自分と言うものを極力話したがらない。

 ベラドンナは、そうじゃなかった。俺の目の前で泣いていた。最後の最後で絶望するまで泣かずに、そうして俺を拒絶した殺人鬼とは違う。彼女は、俺を頼ってくれた。本当は、あれがお前の心なんじゃないのか?俺の力を求めている。それでもお前はSuitだから……あんな風には頼れないだけで。


 「俺には、話せないか?聖十字の俺では……信用出来ないか?」

 「違う。話したくないんだ」

 「それは同じではないか」

 「いいや違うよ。私は、……これ以上自分を嫌いになりたくないだけなんだ」


 こいつは不器用な人間だ。だから不器用な笑みで笑う。笑いたくもないだろうに。

 そんな痛々しい姿を見たくなかった。こいつにはいつも俺の前を歩いて、不敵に笑って俺を嘲笑っていて欲しかった。

 それでも、そう望むのはそれも俺のエゴ。こいつは俺を導くためにSuitという道化を演じていたに過ぎない。今のこいつはその仮面を無くした……リフルという人間なのだ。


 「…………リフル」


 初めて口にした。違和感しか感じない名前。だけどその言葉が、こいつの目と心を僅かに開かせる。その言葉に釘付けられたように、リフルは俺を見上げている。


 「……この2年、俺はお前を追って来た。それでもまだ知らないことは多い。それでも知らないままで良いとは思えない。お前の償いの道を共に考えるには、俺はお前を知らなければならないのだ」

 「な……何を言っているんだ?そんなこと……お前には何の関係も……」

 「お前が過去に何があったのかはよくわからんが、それがとても辛いことだったのはお前を見ていれば解る。その境遇からお前を救えなかった教会と聖十字にも非はある。少なくともお前は何の理由もなく、自分のために人を殺めるような奴じゃない」


 本来起こり得ぬ罪。守れたなら未然に防げた罪。その罪を犯させてしまったのは、救えなかった教会にあるのだ。だから俺は聖十字として、お前を救わなければならない。セネトレアのどの聖十字も、お前に償わないというなら、俺はお前を見捨てない。お前の心を救ってやる。それがこいつを救えなかった俺に科せられた義務だ。その決意を告げるために、俺は手の甲冑を外し、手袋の下を見せる。

 リフルはその模様に先程よりも大きく、紫の目を見開いた。


 「ラハイア……その手は……!?お前まで!?」


 どうしてお前が。泣きそうな顔で俺に詰め寄ってくる。その反応からしてこいつはこれが何かを知っている。というかその前提で今日の話は進められているような気もした。


 「お前に死なれたら、この国はお終いだ……私は何のために、これまでお前を……」


 崩れ落ちるように、その場にリフルはへたり込む。


 「難しい事じゃない。誰も殺さず、誰も死なせない」

 「……そんなこと、出来る訳がない」


 立ち上がれと手を伸ばす、俺の手には応えず……だらんと両手を降ろして、泣きそうにリフルは笑う。


 「見てきたんだよ。刺された彼女の手にも……カードはあったんだ。ディジットだけじゃない……アルムもだ。他にも……みんな……私に関わったばかりに……っ」

 仲間を殺さない。こいつは殺さない。それでも狙われる、カードである以上。

 そこから全ての人間を守れるとは思えない。思えないのだとリフルは悲痛な叫びを漏らした。


 「私は弱い。こんな腕では剣も満足に扱えない。凄い数術が使えるわけでもない。……私はリアも守れなかった。そんな男に一体、何が誰が守れると言うんだ!」


 自暴自棄に笑うそいつの頬を打ち据えた。冷静になれ。頭を冷やせ。お前がしっかりしていないでどうする。お前も組織の頭なら、出来ないことでも出来る振りをしろ。少なくとも騙してやらなければ。安心させてやるのが務めだろう。それがお前一人では出来ないなら、俺が力を貸してやる。


 「目を覚ませ」


 手を伸ばさないそいつの手を掴み、無理矢理引き起こし立ち上がらせる。

 目を伏せていたから気付かなかったのだろう。俺の掌に刻まれた文字を知って、リフルは顔に似合わぬ間抜け面。


 「お前が……お前もキング?」

 「ソフィアに聞かせられたが、よく解らん上に気に入らん話だった」


 お前達の反応から見るに、これは強い部類のカードなのだろう。しかしそんなくだらん餌で俺は人を殺さない。神に願って世界平和でもなるなら、とうに世界は平和だろう。

 ならばそれは神にも叶えられない願い。人間が自分たちでどうにか解決していかなければならないことなのだ。だから、俺は神を頼らない。


 「俺は……お前を殺さない。お前も殺させない。死なせない。お前を償わせ、お前に償うまでは…………お前の代わりにお前の守りたい者も守ってやる」

 「…………っ、……ラハイア」

 「これは聖十字としての俺の義務だ。だからお前は……その日が来たら、安心して俺に捕まれ、そして罪を償え」


 俺の前でSuitが泣いている。数日前の彼女のように、みっともなくも俺に泣きついて。だけどそのみっともなさが、この場所から失われてはならないもののように思えて。こういうみっともなくて、情けなくて弱い人間にしか……出来ないことがあるのだろう。なんともなしに、俺はそう思った。きっと、こいつにしか救えない者もいるんだろうなと。

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