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30:Ut ameris, ama!

 フォースは、悩んでいた。

 飢えを凌げてその上美味い物を口に出来るのだから、何も困ることなんて本来何処にもないはずなのに、それでもフォースは悩んでいた。


(くそっ……認めたくないけど、やっぱ美味ぇ……このおっさんの料理!!)


 カーネフェル料理はそこまで食べ慣れていない。ここ二年やそこら口にしただけ。

 ディジットのタロック料理も勿論美味い。ふるさとに帰ったようにほっとする。それでもそれは少しフォースの故郷よりも上品すぎるというか何というか、お里違いと感じてしまう。

 それはカーネフェル料理だって同じのはず。それでもそれを覆すような圧倒的な美味。富民も貧民も、皆平伏すような支配の料理。

 ディジットはタロック料理を専門的に研究し、その神髄まで究めたとかそんなものじゃない。それに対して彼女の父親は、カーネフェル料理をその頂き付近まで極めている。格の違い、生きてきた年月の違い。それは歴然の差。一日二日で埋めようのない、大きすぎる差だった。

 これがタロック料理だからこそ、この程度の違和感で済んでいる。同じ土俵で勝負をしたならば、こんな物では済まなかった。

 しかし審査員達はタロック料理に明るくない。よく分からないままそれでも悪くはないとは思っているはずだ。

 済ました顔をしているが、あのヴァレスタという男も文句を言わずに手を付けている。少なくとも食べる価値はあると判断しているのか。もしそれが口に合わないなら、全てを毒味役の埃沙という子に食わせているはずだから。

 その埃沙という混血の少女は、余程腹が減っているのか皿まで舐める勢いで、二人の料理人達の料理を平らげている。どちらも味わって食べているようには見えない。あんな丸呑みみたいな食べ方は、あまりに勿体なさ過ぎる。そんな風に食べるのなら俺に、分けて欲しい位だった。


(いや……もしかして、味覚に何か異常でもあるのか?)


 彼女をヴァレスタは毒味係と言っていた。その点がフォースの中で引っかかった。

 そしてもう一人の黒髪の少女。じっと向かいのテーブルのその子を見つめれば、その視線に気付いたのか、さっと目を逸らされた。

 黒髪に赤い眼。その赤は幼なじみの少女よりも深い色。その黒は幼なじみの少年よりも深い色。きっと高貴な生まれの者なのだろう。それでもつい目で追ってしまうのは何故だろう?その配色が懐かしいからか?

 自身への疑問を解き明かそうとしていると、突然エリザベスに足を抓られた。隣の彼女を横目で睨むが、全く取り合ってくれない。


(何するんだよ!!)

(ニクスの浮気者!やっぱりあんたも黒髪赤目がいいのね!)

(別にそんなこと言ってないだろ!?)


 小声で文句を言いながら、視線を横にやれば目があった。それは赤。

 エリザベスの青ではない。此方を見ていたのはアルム。その目が自分を見ているのだと思ったが、よく見ればそうじゃない。それはフォースを通り過ぎ、あの赤目の少女を見つめていた。


(………アルムが誰かに興味を持つなんて、珍しいな)


 過去にいろいろあった、ヴァレスタから目を逸らして逃げているのかと思ったが、その瞳にそういう焦燥感はない。恐怖のそれとは違っている。

 やっぱりあの少女には、人を惹き付ける何かがあるのだろうか?再びフォースも彼女に視線を送れば、今度はエリザベスに思いきり足を踏まれることになった。


 「い、痛ぇえええええええええええええええええええ!!」


 その声はマナー違反。店内の視線がフォースに集中。敵陣の人間達は、此方を馬鹿にしたような視線でいる。奴隷商なんか「これだから混血とつるむような人間は程度が知れる」と此方に聞こえるような大きな溜息まで吐いている。とてもむかついた。その中で、あの赤目の少女だけが変わらず何とも言えない色を湛えていた。それは少し申し訳なさそうな表情にも見えた。それは主の言葉を、彼女も実はそう快くは思っていないように映った。


 「どうしたの、フォース?」


 突然の悲鳴に駆け寄ってくるディジット。なんとか取り繕うため、フォースは言葉を繰り返す。

 視線を料理の皿へ移せば、丁度今は前菜とスープが終わって魚料理のターン。


(ごめんおっさん)


 でも元々アルムとエリザにしてくれたことを思えばこれくらい安いモノだ。うんそうだ。きっとそうに違いない。


 「骨……咽にっ!!」


 ディジットのは骨など無い。旬の魚の刺身とワサビの載った色とりどりで宝石のように美しい寿司だ。アルムが刺身と厚焼き卵を交換して貰いたそうな顔をして俺を見ていたのを無視したのも今は唯々懐かしい。でも食わず嫌いだっただけなのか、その次は帆立の刺身をショウガと交換して貰いたそうにこちらを見ていたのも今はそうだな懐かしい。

 それはさておき、この店のマスターである男の魚料理。それは白身魚のムニエルだ。審査員に子供が居るのを計算しているためか、全体的に子供の好きそうな味付けになっているのは流石。俺とアルムの気持ちがぐらついているのはそのためだ。


 「骨だと?そんな馬鹿なっ……」


 男は狼狽える。俺みたいな馬鹿みたいなガキが、そんな騙し討ちをするとは思わなかったのだろう。実際俺だって今の今まで思わなかったが、前後の文脈を思ったら口から転がり出てしまったのだ。マナー違反とか言いがかりを付けられて審査員席から退場させられても困る。


 「ええと……フォース、ほらライス持ってきたから!これをごっくんしなさい!」


 ディジットが本気で俺の言葉を信じ、白い炊きたての米を運んでくる。やっぱタロック料理と言えばこれだよな、うん美味い。


 「大丈夫?」

 「あ、ああ……ありがとう」

 「本当は最後に出す予定だったのに。ちょっと早いけど、またこんなことがあっても困るし、必要な方にはご飯装いますけど?」


 タロック料理でご飯類が出てくるのはデザートに当たる水菓子の前だ。ディジットがマナーより、客である審査員達の安全を重んじたのは、彼女らしさとも言える。その型破りさが彼女の力で魅力なんだろう。

 手を挙げればほかほかの白米と……それと一緒に運ばれてきたのは漬け物だ。


(あ!これって……)


 確かディジットがトーラ達に頼んで店から取ってきてもらったという噂の一品。


 「う、美味ぇっ!!」


 敵を持ち上げること。それが許せなくて……味方に言ったって虚しいような気がして。それまで無言で進められてきた会食の席で、とうとう我慢できずにその言葉を言ってしまった。


 「こればっかりは一日で作れないのよね。メニューには載っていないうちの店の隠しメニューよ?」

 「そうだ!これだよ!!やっぱこれがねぇとタロック料理は!!」


 米と漬け物。それがなければおかずがいくらあっても意味がない。

 あのマスターの料理も確かに美味いが、パンで食べるのがどうもフォースは好かない。美味い料理ならやっぱり美味い米と漬け物で食べたい。ムニエルだろうとスープだろうとやっぱりそれは必要だ。そう思ってしまうのは、自分が根っからのタロック人だからなのだろう。

 フォースが絶賛していると、敵や味方からちらほら声やら手が上がる。


 「そこまで言うのなら、仕方ない。持ってくるがいい」


 奴隷商の上から目線は変わらないが、ごくりと唾を飲んだのを俺は見逃さなかった。前に対峙したときは本当に恐ろしい相手だと思ったが、こうやってみると唯の人間だ。

 金の亡者だって、美味いタダメシには抗えない。金を払う価値がある料理が、無料なのだから拒む理由もない。その強欲さに目を付けた、ディジットとトーラはやっぱり凄い。

 この型破りな起死回生の一手は次の肉料理に進んで、更に真価を発揮した。

 相手の料理が美味ければ、更に米が欲しくなる。それでも米を食べている内に、ディジットの料理と米のその調和性に驚かされる。


(もしかして……この勝負、本当に……行けるんじゃないのか?)


 フォースは続く料理と、勝敗に胸が高鳴った。


 *


(おかしい……トーラから全然連絡が入らない)


 配膳を行いながら、ディジットの胸に過ぎる不安はそのことだった。その不安を拭えないまま、料理勝負は進んでいく。

 どちらの陣営の審査員達も、皆無言なのが少しだけ怖いが、平気な振りをしてはいた。それもフォースのおかげで随分と和らいだ。タロック料理の配膳順とカーネフェル料理の配膳順が異なる以上、何処かで妥協しなければならなかったのは事実。今はこれで良かったと思っている。

 洛叉とフォースに選ばせた、米は本物だったらしい。それにこの漬け物だけは最初から自信があった。うちの宿には何だかんだで味には五月蠅い男が二人もいたのだ。先生はストーレートに、アスカは回りくどくくどくどと、不満を私に漏らしてきた。それを何年も堪え忍んできてこそのこの自信。私は二人には感謝では言い表せない感謝を覚えているのだ。殊にこの件に関してはより強く。

 そうして完成されたこの一品。キュウリと白菜と、それから茄子と沢庵。あの気難しい奴隷商は特に茄子漬けをお気に召したのか、連れの少女達の皿からひょいひょい小茄子を奪い出す。マナー云々以前にお前は何処の姑だとツッコミを入れたくなったが堪えた。


 「女、酒が足りんぞ」

 「あんたどんだけ1人で飲む気なのよ!」

 「連れが未成年なのでな。健康を害してやるわけにもいかん。故に俺が試飲するしかあるまい」


 もっともらしいことを言ってはいるがここは無法王国セネトレア。未成年の飲酒を禁じる法など無い。教会内で飲んだら流石に捕まるかもしれないが。

 しかし騙されてはならない。そもそもこの男は奴隷商。存在自体が人権侵害のような男が何を言っているのか。


 「私が思うに貴方の存在自体が精神衛生上その子達の害だと思うんだけど?」

 「自覚をしている分、俺はまだ可愛い方ではないか?なぁ?」


 男は意味深な視線を、黒髪の少女へと向ける。その視線に晒された少女はぷいと顔を背けた。それが何を意味するのかディジットには甚だ不明だった。それを嘲笑うように、男は空の杯を傾ける。それに清酒を注いでやれば、じっと此方を赤い瞳の少女が見ていた。


 「君も飲みたいの?」


 ディジットが微笑みかければ、躊躇い勝ちに少女は小さく頷いた。

 それには応えてやりたいけれど、相手はまだ幼い少女。この酒は少し強すぎる。


 「そうね、卵酒か薄めのカクテルくらいならすぐに作れるけど?」

 「そうやって、子供扱い……しないでください」


 小さなお嬢さんの機嫌を損ねてしまったのだろうか?確かにこの位の年だと、子供扱いなんて嫌かもしれない。


(あの子だって、そうだったものね……)


 「ああそうだったな。薄汚い卑しい身分のお前だ。お前が子供であるはずがなかったな」

 「っ……!」


 少女の揚げ足を取るように、彼女を嘲笑う男。それに少女は悔しげに、奴隷商の方を睨む。

 その視線で満足したと言わんばかりに男は薄く笑み、指図を行う。


 「酒はもう良い。次は菓子だろう?さっさと持って来い女」


 *


 東裏町へ向かう道すがら、その一行を眺めてみて自然と気が重くなる。俺の口から呟きが漏れたのはそのせいだ。


 「……にしてもどうにかなんねぇもんかねぇ」


 アスカの漏らした溜息に、聖十字の少年がギロリと睨む。


 「何か俺に文句でも?」


 ラハイアの格好は聖十字の隊服だ。それ一つで彼の素性が知れてしまう。アスカが頭を抱えているのはそのことだ。


 「あのなぁ、少しは周りを見てみろよ。今回の目的解ってるのか?その聖十字の白すぎる服を何とかしてくれよ」

 「俺は黒が嫌いだ。大体そんな黒服の人間が何人も連れ立って歩いている光景の方が何倍も怪しい」

 「やっぱり私は女装してきた方が良かったのではないか?」


 かと思えば主様が、何か見当違いのことで悩み出している。

 可愛いし似合ってるしぶっちゃけ目の保養だから別に良いかと思っていたのが問題だったのかもしれないと、アスカは自分の浅はかさに閉口した。


 「……なぁリフル?何かもう、女装が癖とか仕事とかを余裕で通り越してないか?」

 「そうか?確かに落ち着かないのは確かだが」

 「女装は止めろ!不健全だし不健康だ!悪影響だ!!」


 その言葉に続いて括弧で俺にとってと入っていそうなラハイアの怒鳴り声。それにリフルは愉快そうに笑って彼の顔を覗き込む。


 「そう言って本当は見たいんだろう?そうかお前は黒より白が好きか。あまり私の趣味ではないが今度着てやろう」

 「止めろっ!!」


 その性格に所以するのか?この少年には邪眼が効かない。それが嬉しいのか楽しいのか、リフルは彼をからかうのが本当に好きらしい。それは前々から思ってはいたが、正体がバレたことで、開き直ったのか吹っ切れたのか。以前に増してそれを楽しんでいるように見える。


 「ていうか視覚数術弾であんたら今モブキャラ程度に視覚情報誤魔化してるからそのどうでもいい議論止めてくれない?」


 ロセッタがひらひらと片手の銃を振りながら無駄話は慎めと口を尖らせる。


 「数術弾か……ラハイアはそういうのはもっていなかったな」

 「ああ。俺も初めて知ったことだ。教会兵器にそのような物があるとは……」

 「普通に兵士やってる分には行き渡らない物だから仕方ないわ。一般兵に危ない物持たせたら、何処に流されるかわかったもんじゃないもの」


 「数術弾っていうのは数式の込められた弾ね。これがあれば私みたいな数術と縁のない後天性混血でも数術を扱える便利な兵器よ」


 だからこそ取り扱いには注意が要るし、信頼できない人間には渡すことが出来ないのだとロセッタは言う。


 「なるほど。つまりロセッタは神子に深く信頼されているんだな」


 感心したようなリフルの声と眼差しに、ロセッタは視線を逸らしながらもほんの少しばかり照れているように見えた。


 「ま、……まぁね」


 そんな二人を見ているアスカは、何とも言えない気分になった。


(居心地悪ぃ……)


 聖十字の人間が二人も。自分と自分のご主人様は人殺しで犯罪者だ。思想も目的も異なる、本来敵対すべき立場の人間達と行動を共にしている。そこから生じる違和感。……いや、それだけでもない。


(リフルはラハイアみてぇな正義馬鹿に目がねぇし、この嬢ちゃんもさっきから妙にそわそわしてやがる)


 まったく歩くフラグ立て機かお前はとツッコミを入れてやりたい。まぁ邪眼というのはそういうものなのから仕方ないと言えば仕方ないのだが、効き目の弱い混血まで魅了したり、それが効いていないラハイアとまで楽しそうに会話しているのがどうにもこうにも気に入らないのだ。

 それがアスカ自身邪眼に魅了されているせいではあるのだが、それも素直に認めたくはない。


 「兎に角だ。もうすぐ表通りも抜ける。ここから先は東だ。浮つくのもいいけどそれは帰ってからにしようぜ」

 「ああ、そうしよう」


 気を引き締めろと注意を促せば、主が俺に向かってふわと微笑んで来る。その笑顔に今引き締めたばかりの気が早速緩んでしまいそうになった。

 そこで少し足が止まった俺を待つように、リフルが歩く速度を落とす。普段は俺がそうしているのに気付いてくれていたのかもしれない。それに比べて他の二人はさっさと進む辺り薄情だ。短い付き合いの部外者だしそういうものだとは思うが。それにしても俺の主は優しいな。

 アスカが主の心遣いにひっそり歓喜。しかしそれだけではないようで、リフルにこっそり手招きされる。


 「アスカ……トーラが心配なのは私も同じだ。だがお前にまで苛立たれては私も調子が狂う。私の我が儘なのだが、なるべくお前には何時も通り冷静な行動を心がけて貰いたい」


 すいません。いや別に俺あの虎娘のために怒ってたわけじゃないんですが。俺の主様は何を勘違いなさったのか、俺の苛立ちをトーラの身を案じてのことと思いなさったそうで。

 お前の目には俺が一体どんな風に見えているんだと問い正したい。そりゃあそこそこは仲間思いかもしれないが、そこまででもなくね?俺。

 刷り込みというか、2年前の出会いのせいか……こいつは俺を基本的に美化しすぎている。見ず知らずの自分のために躍起になってくれたと捉えて、俺がお人好しで誰にでも優しい親切な人間だとでも思っているのだろう。美化しすぎだから。そうじゃないんだよ。


(俺はお前だったから放っておけなかっただけで……)


 元々俺は、根性悪で捻くれていて自分勝手な人間だ。だからお前を助けた。力になった。邪眼のせいで俺が変になっているんじゃない。俺の我が儘な部分は元々ある。邪眼はそれを暴き出し、白日の下に晒す力だ。

 そういう部分が最初から無い。つまりはラハイアのように本当にお綺麗な人間は、邪眼が効かない。俺みたいに多くの嘘を抱えている人間は、幾らでも悪い面が発掘される。そういう悪い物こそが俺の正体だ。お前はそれを認めてはくれないのだな。

 お前が見ているのは、俺ではない俺だ。美化されることは、ありのままの自分を否定されること。


(難しいな……)


 それを伝えても信じてはくれないだろう。こいつは人の所為には絶対にしない。自分の所為だと抱え込む。それに俺も怖いのだ。こいつの思う俺とは違う、俺を知られて。それが俺の正体なのだと知られた時、こいつはどんな風に思うのだろう。俺を怖がるだろうか?嫌うだろうか?憎むだろうか?きっとそうだ。こいつが好きなのは、聖十字のラハイアのように……真っ直ぐな人間だから。


 「私は兎も角として、あの二人はお前や私よりも年下なんだ。フォースと1つ程度しか変わらないはずだ。しっかりしているように見えるかも知れないが彼らはまだ子供だ。協力関係にある以上、今は私達が出来る限りのフォローはしてやろう?」

 

 こいつの言葉もしっかり頭まで入ってこない。耳から通り過ぎるだけ。今更のように、死神の言葉が甦る。


 “ちょっといいかもって今思ったでしょ?それとも剥製派?それとも達磨派?”


 否定しきれない思いがある。それを邪眼が増幅、屈折させているのだとしても、元々俺にはこの異父弟への執着がある。


 「アスカ?」


 主が俺を見上げている。その色に魅入られる。綺麗な色だ。もう泣き出して全てを投げ出したくなるような、無力を感じさせる程……綺麗な紫。


 “もう何処にも逃げられないし、抵抗できずになすがままされるがまま!もう貴方無しに生きていけないって可愛くお強請りとかされたらもうノックアウトされちゃんじゃない?”

 邪眼を恐れて逃げたりしない、その保証。俺がいなければ生きていけないなんて言われたら……そりゃあどうにかなってしまいそうだ。

 それでも駄目だ。それじゃあ違う。そんな風に繋ぎ止めて何になる?

 動かない、死んでいた頃の方が良かったなんて俺は思わない。思いたくない。

 あの頃のあいつは俺を否定しない。それでも受け入れてもくれない。その目を開けて俺を映してくれない。その目を見せてくれない。笑ったり泣いたりしない。俺の名前を呼んだりしない。こいつが動くようになって、俺が失った物は確かにある。それでも手に入れたものもまた多い。

 トーラを見ろ。フォースを見ろ。もう動けないリアを見ろ。

 俺は十分報われていて、幸せで、満足しているはずなのだ。するべきはずなのだ。それなのにどうして俺は、まだ物足りないと心が飢えを訴えるのか。まだ足りないと何故思う?これ以上何を欲しがる?それもよくわからないまま、生じる飢餓と咽の渇き。


 「アスカ、聞いているのか?」

 「あ、……ああ。悪い」


 ぼんやりとお前を見る俺を、叱咤する声。その声さえ、俺が手に入れた物。昔の死んでいたこいつは、こんな風に怒ることもなかったのだから。


 「なぁ……」

 「何だ?」

 「お前はトーラをどう思ってる?」


 今聞いたら変な勘違いをされるだろうが、聞かずにはいられなかった。


 「大切な、私の仲間で相棒だ。彼女が居なければ今の私はない」

 「女としてはどう思ってんだよ?」


 そこを示せば、途端に口ごもる。そういう思考をなるべく避けようとして来たのだろう。


 「……それは」

 「好きなのか?嫌いなのか?」

 「嫌いなはずがないだろう!?」

 「でも別にそういう好きでも無いんだろ?」

 「………っ」

 「そういうどっちつかずの態度があいつを一番困らせてるんじゃねぇの?」


 傷付けてると言わなかったのは、俺が臆病だったから。嫌われるのが怖いのは、俺の方なのだから。


 「……私は毒人間だ。本来人と関わるべきじゃない。どうせ良い結果にはならない」

 「あいつがそれを何時望んだよ!?」


 あの茶目っ気溢れるお姫様が、恋した相手が普通の人間じゃない。恋愛も結婚もままならないこの面倒臭い王子様だ。

 あの虎娘は冗談でこそ、そういうことに触れている。それでも本心で、それをこいつに迫ったことは無いはずだ。目に見える形で手に入る物は何もない。だからこそ欲しい。せめてその心に、自分の方を向いて欲しいと。


 「本当にお前の心が手に入れば、別にそれだけでいいんじゃねぇのか?十分だろう?あいつは!満足するさっ!!」


 どうしてここまで彼女のために、必死になっているのか。自分でもよく分からない。それでもこいつのそういう態度がむかついた。報われない人間を目の前で見ていて、幸せな気分になれる人間がいたらそいつは最低だ。少なくとも俺は今はまだそこまで最低じゃねぇ。そう言うことなんだと思った。


 「……そうだろうか?」


 リフルは悲しそうに、俺と言葉を否定する。


 「そんなことはない。あり得ない。アスカ、お前は人の醜さを知らない」


 過去を思い出すように、主はその目に悲しみの色を宿す。その目はもう俺も景色も見ていない。


 「お嬢様は本当に……普通の女の子だったんだ。それが突然転がり落ちていく……足りないんだよ、それだけじゃ!!」


 俺の主の最初の恋の相手は、最後まで理解には至らなかった。互いに想い合ったはずのその人と、最期まで心はすれ違ったままそれは終わった。心を手に入れたなら、口付けて欲しいと少女は言った。口付けたなら、それより先をと強請るだろう。

 既に奪われた人間を、手にするにはどうすればいい?どうすれば人が丸ごと手に入る?何も疑わずに信じられる?そんな日は来ない。恋とは愛とはそういうものだ。そういう風に人を愛するというのは、不信を心に宿すこと。不信と共に狂気と共に生きること。恋をする人間はある意味みんな精神がいかれていると俺の主は呟いた。それまで当たり前のように出来ていた損得計算。そんな正しい判断を下せなくなるのだから。


 「私はトーラが大切だ。だから彼女を信じている。彼女を信じられないような私はもう私ではないんだよ……だから私は彼女をそういう風には愛せない」


 疑いたくない、じゃない。どうあっても疑えない。そんなことはあり得ない。

 信じている。仮に裏切られても、彼女を怨んだり憎んだり出来ない。そこまで彼女を信じている。ある意味では愛している。でもそれは彼女の望む物とは違う。


 「その理屈だと、あいつはお前を信じられないんだろうな」


 もう愛してしまっているのだからと暗に告げれば、無言で主はそれを認める。

 人を恋の病の淵へ突き落とす魔性の目。既に存分に汚されたその器で、恋は低俗だとそれを拒絶する高貴な魂。それはあまりに矛盾している。器と心が合っていない。


 「お前馬鹿か?信じて貰えやしねぇのに、それで信じて何になる?」

 「何にもならないな」


 何にもならない。それが一番。それでいい。その言葉からはそんな響きが発せられている。


 「大体だな、お前に人のことが言えるのか?」

 「……は?」


 切り返しの言葉は、俺に深く響き渡る。頭の真ん中で鐘を鳴らされたような衝撃だ。

 その衝撃に俺が声を無くしていると、ロセッタが元来た道を引き返してくる。


 「あんたら何ちんたら歩いてんのよ!!」


 ロセッタはずかずかとリフルに近づき、その首根っこを引っつかんでずるずると引きずり出す。流石は後天性混血児。そう背丈の変わらない人間を軽々と引っ張っていく。


 「……っ、放してくれ!私は毒を持っていて、本当に危ないんだ!」

 「運命の輪舐めるんじゃないわよ。あんたみたいな女々しい奴にこの私が殺されるもんですか!」


 このまま見送っている訳にもいかず、アスカも二人を小走りになり追いかける。


(何言ってやがんだ俺は……)


 目を覗かれた時、すぐに目を逸らした。だからそこまでは効かずに済んだ。先日のように身動きが取れなくなるようなことはなかった。それでも邪眼に言葉を引き出されてしまった。


(トーラが、だって?)


 そうじゃない。今の言葉は……そこに違う名前が置き換わる。だから怒った。彼女とそいつは立ち位置が、とてもよく似ているのだ。

 傍にいても心は得られない。欲しい物は手に入らないのだ。


 「俺は……」


 自分の中に息づく物。そのとても得体の知れない物。それが胎動を打っている。時を刻むように心臓が鳴る。邪眼の所為だ。手を伸ばしたいと思うのは。ずっとそう思っていた。

 だけどここで初めて違和感を知る。俺は何かとんでもない思い違いをしてはいないだろうか?

 先程あいつを糾弾した時、あいつは信じられないモノを見るように、俺を見ていた。そりゃそうだ。昨日の今日で鶸紅葉に同じ事を言われて、その時庇った俺がまたリフルを責め立てた。

 どうして俺はそんなことをしてしまった?自分で自分が解らない。邪眼は俺の何を曝いた?俺の中にある物は何だ?

 俺は俺の中に巣くう影を知る。そしてそれに怯え出す。それを照らし出すのが恐ろしい。だから再び蓋をする。見なかった振りをする。

 何かとんでもない化け物と、俺は共存している。強いて名付けるなら、それは多分……狂気と呼ばれる類の物だ。邪眼で俺が狂うのではない。俺は、狂うべきして狂うのだ。狂気が俺の中で息をする。

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