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28:Te capiam, cunicule sceleste!

 「こ、これはどういう事なんだロセッタ!」


 影の遊技者の店先に現れたその人物を認識し、三階からそれを眺める私達は取り乱す。


 「そんなの私が聞きたいわよ馬鹿っ!ラディウスの奴!またいらんことしたわね!?」

 「ロセッタ、お前同じ組織の人間だろ!行ってフォローしてこい!」

 「馬鹿言わないでよ!あの真面目の堅物にどんな顔して軽食屋で寛いでたって言うの!?この大変なときにって何言われるか解ったもんじゃないわ!あんた行って来なさいよ!」

 「無理だって!俺昨日会ったばっかだって!二日連続で俺なんかと出会ってみろよ!怪しいにも程があるだろ!?」

 「わ、私は半年前に素顔を見られて居るぞ!?」

 「おい、どうすんだよあれ。俺たち全員あの坊ちゃんに顔割れてんぜ!?」

 「あんたら馬っ鹿じゃないの!?あんたら一応変装の名人なんでしょ!変装しなさいよ!」

 「た、確かに。その手があったか!」

 「駄目だアスカ普段着は駄目だ!お前の通常服は半年前に目撃されてるぞ!昨日のとそれは却下!」

 「ちょっと待てよ!俺はお前ほど変装のレパートリーねぇんだぜ!?後は精々貴族服装備くらいしかないんだが、庶民的アットホームなこの店から貴族が出てきたらやっぱ胡散臭いにも程があるだろ!?」

 「ああもう面倒臭い!七面倒臭い!八面倒臭い!クソ面倒臭いっ!!あんたら昨日の衣装で行きなさいよ!あんたらの舌先三寸ならあとはどうにでもなるでしょ!ほらさっさと行けっ!」


 ロセッタに蹴飛ばされ、階段に突き飛ばされる。二階まで落下したが、痛みはない。アスカが庇ってくれたようだ。


 「すまない……」

 「いや、とにかく行くぞ」

 「あ、ああ」


 身支度を素早く調えて、彼と共に階下へ降りる。そこで待っていたのはやはり上から見たのと同じ人。会いたいが会いたくない、会いたくないが会いたいランキングのこの半年間ダントツ一位キープの御仁だ。


(ラハイアめ……相変わらず間の悪い男だ)


 此方に余裕があるときならば、からかいに行くのも悪くないが、よりにもよってこの大変なときにどうして狙ったかのようにこんな場所に現れる。大体この店のことをこの男は知らなかったはずなのに。


 「ん……?この店の人か。てっきり今日は休みなんだと…………っ!?き、君はベラドンナ!?」

 「こ、こんにちは」


 まさかの対面に彼も驚いているようだが、此方としては何者かの悪意を感じずにはいられない。


 「よう。昨日の兄ちゃんじゃねぇか」

 「そうか。君が身を寄せている場所とはここだったのか」

 「俺は無視かよ……」

 「ご注文は?昨日のお礼もあります。是非私に奢らせてください」

 「え、ええと……」


 ここがどういう店なのかもよくわからないのだろう。それはそうだ。ディジットの店は初見では意味が分からないだろう。何と言っても宿兼酒場兼軽食屋兼地下には診療所というわけのわからない店なのだ。メニューを渡して席に案内。それでようやくこの場所が軽食屋なのだと彼は理解したよう。


 「それではこのアイスティ……」

 「ああ、うちの看板娘は売らねぇからな」

 「ば、馬鹿!お前は何を言っているんだ!!す、すみませんうちの店長が……」


 そそくさとアスカの腕を掴んで厨房へと連れて行き、先程の発言を窘める。


 「アスカ!お前はこんな時に遊んでる場合じゃないだろうが!!」

 「悪ぃ、何かテンパっちまって……」

 「お前は取り乱すとあんな事を言うのか?」

 「面目ない」


 睨み付ければさっと視線を逸らされた。


 「まぁ、何とか凌ぎきるぞ。私はマリー、お前はどうする?アスカ呼びは不味いと思うが。ついうっかり半年前に私が口にしてしまったような気がする」

 「おいおいマジかよ、んじゃどうすっかな……」

 「面倒だな。とりあえず店長とかマスターで通す。それでいいな!」

 「……へい」


 何やら残念そうな顔になるアスカの背を叩いて、しっかりしろと激を飛ばした。


 「お待たせしました」


 リフルは何食わぬ顔で、ラハイアの元へ商品を届ける。


 「それで今日はどうしてうちの店に?」

 「それは……俺の同僚にこの店を進められて」

 「そうだったんですか」


 当たり障りのない話題をする振りで、ラハイアに探りを入れる。これ以上面倒なことになる前にさっさと店から追い出すか、閉店するか、今すぐ自分たちが逃げ出すか。どう動くかを見極める必要がある。

 本当にこの男は何をしに来たのだろう?じっとその顔を見つめても、本人自身わかっていないようだった。それが一番厄介なのだがこの男がそれを知るよしもない。


(私はまだこいつに捕まるわけにはいかないのだが)


 カルノッフェルを野放しには出来ない。丸一日連絡のないトーラのことも心配だ。鶸紅葉が何をしに何処へ消えたのかもわからない。この問題だらけの所に、ラハイアまでやって来るとは私の運の悪さに拍車が掛かっているようだ。

 ………とりあえずだ。何故こんな事になったのだろうか。問題はそこだ。


(同僚ってあの女か?)

(いや、ロセッタではないだろう。彼女も驚いていた)

(だろうけどよ、本当に面倒なことを……)

(それは私も同感だ)


 ちらと視線をアスカに向ければ、彼も同じような事を思っている顔だ。トーラの数術がなくてもここまで解り合えるとはまるで奇跡だ。いや、こんな状況下でそんな奇跡は要らなかった。どうしてもっと必要なときにそういう風にはならないのか。

 とりあえずだ。そもそも何故こんな状況になったのか。それを考え直してみよう。現状を打開するための答えはきっとその過程に落ちている。


 *


 思えば今日は出出しからドタバタしていた。


 「…………一つ聞いても良いだろうか?」

 「どうぞ?」

 「何故もう時計は正午を越えているのだろう?」

 「そんなの簡単よ。私が教会兵器であんたら昏倒させて強制睡眠取らせたんだわ」

 「私は毒人間なのだが」

 「教会兵器舐めるんじゃないわよ。毒人間だって眠らせる方法は幾らでもあるわ」


 ロセッタは涼しげな顔でそう言い放つ。店先から勝手に茶を淹れて飲んでいる辺りも抜け目ない。

 今朝はあの後、一度西裏町に戻ろうと言うことで影の遊技者に戻ってきた。リアの描きかけの絵が残されていて悲しい気持ちが込み上げていて、私はそれを直視することが出来なかった。そこに描かれていたのは、カルノッフェル……彼女が最後まで描き続けたそれとは別の絵らしく、そこまで似てはいなかった。


 「…………」


 睡眠を取って少しは精神的にも落ち着いた。だから今ならちゃんと見ることも出来た。


 「リア……」


 それでもまた泣きそうになる。


 「ああもう!めそめそめそめそほんとあんたって女々しいったらありゃしない!うざったいっ!」

 「おい、そんな言い方ねぇだろ。あの子はこいつの大事な……親友だったんだ」


 リフルの態度を不快そうに苛々と吐き捨てるロセッタ。そんな彼女にアスカが反論。

 店の中は荒れていて、自分たちも荒れている。いつもディジットが守っているこの店の空気が今は何処にもない。お帰りと出迎えてくれていたリアももういない。

 アスカとロセッタの口論はまだ終わらない。口を挟む気にもなれなかった。そうしたところでそれは解決しないし悪化するのが目に見えていた。

 リフルは床に散らばった画材を片付け、画用紙を片付け……スケッチブックを拾い上げる。何の気無しに捲ったその紙の束に、自分の姿を見つけて……彼女と過ごした日々を思い出す。

 彼女には支えられていた。多くを与えられていた。それでも自分は彼女をどの程度支えることが出来ていたのだろう?与えられた以上に彼女に返してやりたかった。だけどそれにはまるで足りない。彼女が私にしてくれたことに比べたら、私は彼女に何もしてこなかったに等しい。

 いつか絵を描かせてと彼女は言った。生涯で最高の一枚。そのモデルになってくれと。それが彼女への恩返しになるのならと私はそれを受け入れた。それでもその絵はとうとう完成しなかった。


 「………っ」


 涙を流すところをこれ以上二人には見られたくなかった。情けないと思われることくらいなら耐えられる。それでも二人の口論に火を注ぐようなことは嫌だった。画材を彼女の部屋に片付けに行く風を装って、小走りに階段を駆け上がれば……もう泣いて良い。

 彼女の借りていた部屋には、彼女の使う絵の具の香り。その匂いが強すぎて、まだ彼女が何処かにいるんじゃないか。そんな浅はかな考えに支配されそうになる。


 「…………これは」


 床に落ちている一枚の紙。くしゃくしゃに丸められて床に放り投げられている紙は沢山。しかしその紙だけが一本の皺もない。それが気になって何の気無しに裏返せば、そこに描かれていたのはトーラと自分の姿。


 「そう言えば……」


 トーラはリアと出会ったその日にリフルの絵を描けと頼んでいた。そのことを思い出す。

 それはまだ鉛筆書きのデッサンだったけれど、リアの目に自分たちがどう映っていたのかは表れている。

 画用紙の中の自分とトーラは視線を逸らしている。正確にはトーラはこちらを見ている。それでもリフルの方は物憂げに何処かを見つめている。絵の中のトーラはいつものように明るい笑みを湛えているけれど、自分のそんな表情が……彼女の姿を物悲しく映し出す。


 「…………トーラ」


 彼女の直向きな視線は等身大の好意をそこに託し、何処までも温かい。けれど絵の中の自分は決して彼女と目を合わせない。

 リアはこの絵をトーラには渡せなかったのだろう。だから没になっている。もしかして……そう思って丸められた紙を開いてみれば、やはり冷たい薄情な自分と温かなトーラがいた。

 こんな身体の私でもせめて絵の中だけでも、幸せにしてやりたいと……リアは思ってくれたのだろうか?それともトーラを見ていられなかったのだろうか?

 トーラのリクエストは、私の絵だったはず。それでもリアはその絵の中にトーラも描いた。

 それは鶸紅葉の言葉を、今一度突きつけられたような気分。

 お前は1人で生きているつもりでも、すぐ傍で支えている人がいる。どうしてそれに気付かない。どうしてそれに応えてやらないのだと……この絵は再び問いかける。お前が不幸でいようとするそのことで傷つく人間が、お前の傍にはいるんだと、この絵は訴えかけてくる。

 トーラと出会ってもう二年が過ぎた。彼女はその間ずっと、一番近くにいてくれた。どんな時も支えていてくれた。それを省みることを忘れるほど、何時だって。

 いつも彼女の力に頼っていた。それは昨日今日で痛いほど身に染みている。彼女の支援がないだけで、私はこんなに何も出来ない。

 鶸紅葉は本当に、トーラを大切に思っている。それは蒼薔薇も同じだ。邪眼で二人からトーラを奪っておきながら、釣り上げた魚には何も与えないのが私だった。二人に彼女を返すことが出来ないのなら、せめて彼女に応えることが私の責任だろう。それでもこんな身体だ。どうすれば彼女に報いられるかわからない。

 私は毒人間だ。人でなければ男でもないような者。誰かを愛することも愛されることも許される身分にはいないのだ。形式的には言葉だけなら彼女に報いることは出来るだろう。それでも心を向けたなら、それは余計彼女を苦しめる。だからいつも逃げていた。彼女の与えてくれる好意から。

 私は必ず最後は死ぬ。償いのために生きて死ぬべき人間だ。中途半端に彼女の好意に応えれば、ろくな結果にはならない。それならそれは0であるべきだ。彼女をそういう対象とは認めない。彼女は大切な仲間だと、そう割り切って接してきた。けれどそれも十分彼女を裏切り、彼女を苦しめ虐げてきた。それを糾弾されている。


 「アスカっ!ロセッタっ……!頼みがある……っ」


 弾き出されたように転がり落ちた。まだ口論を続ける二人に割り込んで。

 驚いたようにこちらを見る二人は、私の情けない顔を見て、言葉を失っている。


 「トーラを探す手伝いをしてくれ!」

 「リフル……?何があったんだ?」


 「違う。そうじゃない……」


 何かがあったんじゃない。今まで何もない振りをしていたんだ。


 「何でもないなんてこと、ないんだ!彼女は強い数術使いだからって、私はいつも……彼女を蔑ろにしていた」


 彼女は強い数術使いの女の子。これまでその前ばかりを見てきていて、その後ろを見てこなかった。鶸紅葉が取り乱すような自体がトーラには起きている。


 「でもよ……カルノッフェルの方は」


 アスカの言うことも解る。

 犠牲者をこれ以上出させない。確かにそれも大切だ。……これ以上の犠牲を出したなら、私はリアに何て詫びればいいのかわからない。


 「それでも私は……トーラに何かがあっては困る」

 「リフル……」

 「私の名が汚れることは構わない。あの男を止められなかった私の落ち度だ!それでも私は……これ以上、死なせたくないんだ私の大切な人を!」


 見知らぬ人を見捨てるのかと、言われたら答えられない。それでも見知らぬ人を助けて、大切な彼女を見捨てるのか?そう聞かれたなら頷けない。私はその問いに首を振る。

 アスカは何か言いたそうな顔をしていたが、ロセッタはリフルの言葉に耳を傾け、小さく頷く。


 「あの男の方はまったく情報が入ってこない。確かに情報の入る方から進めた方が効率的かもしれないわ」

 「おい待てよ。それじゃあ情報入ってたのか!?」

 「ちょっとはね。でも休息も無しにあんたらに聞かせられるような話じゃなかったのよ」


 飛びかかるアスカに、ロセッタは嘆息ながら肩をすくめる。

 その様子から悪い話をもたらせられるのだろうとは予見できた。それでも聞かないわけにはいかない。


 「……頼む、ロセッタ」


 彼女に視線を向ければ、ふぅと息を吐いて彼女は語る。最悪はもう仲間内で死人が出ていることだった。だからそれに比べれば、その情報はまだマシだった。


 「城に潜り込んでいる私の同僚からの連絡よ。昨日城には情報請負組織TORAを名乗る男が現れたそう」

 「うちの数術使い様は野郎じゃねぇぞ。ガセネタもいいとこだぜ」

 「あんたの所の数術使いも視覚数術は使えるんでしょ?まぁこの際それが本人でも偽者でも構わないけど、やばいのは……あんたらのお仲間の組織が、城に喧嘩売ったってことにされてしまったってことなのよ」

 「喧嘩を売った……?」


 ロセッタは遠慮をしているのか、いつになく回りくどい言い方だ。


 「トーラを名乗る人間は罪を犯したわ。セネトレア女王刹那姫の摂政を任されていた男をそいつは昨日殺したのよ。それが発覚したのが今朝になってから」

 「そんなはずはない!彼女はそんな……」

 「だよな。あいつがリフルから任された仕事ほっぽって暴走するとは考えられねぇ」

 「だから、別人でもどうでも良いって言ってるでしょ!」


 あんたら頭良い癖に身内事になると途端に馬鹿になるわねとロセッタが舌打ちをする。裏町特有の連帯感がうざったいと言わんばかりに。


 「……で、その男の名前はユリウス。元セネトレア王子の1人で、刹那姫が来る前までの正妻の第一子。つまり一番良い場所にいて一番踏ん反り返って胸張って、他の兄弟達から一番妬まれてた男ってわけ。神子様から聞いたけど、そのトーラって子元はセネトレアのお姫様なんでしょ?」

 「それが何か……?」

 「つまり彼女が城に怨みを持っていてもおかしくない。そう考える人間は五万といるわ。彼女の正体を知る人間なら、間違いなく今回の犯人は彼女だと言うでしょうね」


 最悪その犯人がそれを公表する事態も起こり得るとロセッタは言う。


 「勿論そいつが殺したって確証はないし、それがあんたらのお仲間だって証拠もない。それでも城はその犯人をTORAと決めてしまったわ。それがどんなに悪い事態かって解る?」

 「…………ああ」


 フォースが提案したそれと、逆の状況に追い込まれた。西と東が手を組んで城を討つ……それはもはや不可能となった。城と東が手を組んで西を滅ぼしに来る手筈が整えられてしまったと、そう見るのが確実だ。


 「城と東を同時に相手しろって!?……そ、そいつはいくらなんでも」


 トーラを見つけ出す必要性が、更に増加した事を受けて、アスカももう其方を優先することに異は唱えない。

 事態は最悪だ。何も解決していないのに、また大きな問題が生じてしまった。


 「とりあえず私はうちの連中にこっちが不利にならないように情報捜査と情報攪乱させるように伝えたし、情報収集も本気出してやれとは言っておいたわ。今打てる手はこれが限度ね。後はどうする?」

 「アスカ、TORAの本部に行こう!何か向こうは手がかりを掴んでいるかもしれない!」

 「ああ!」


 *


 そうだこうして、TORAに向かい……そこでもトーラとの繋がりが遮断されていることを教えられた。数術使いの妨害に遭っていることはまず間違いない。

 それでこれからどうするかと話し合い……東に向かおうと言うことになった所だったはず。


(……本当にこの男は!)


 そんな所に現れるとは、空気が読めないにも程がある。これまで私はこの男を褒めて褒めて褒めちぎって来ていたが、初めてこの男を嫌いになりそうだと思った。

 内心苛立ちながら俯いていると、視線を感じて顔を上げた。


 「わ、私の顔に何か?」


 ラハイアはじっとリフルの顔を見ている。

 トーラの視覚数術はない。今は本当に本当の変装だけだ。ウィッグと色硝子で純血を演じているけれど、最初にベラドンナとして出会った時には髪と目の色は見られている。

 それでもよくもまぁ、気付かなかったなこの鈍感男は。頭から私が死んだものだと思っていたからなのか、素顔と一緒に女装姿を見せたことが無かったからなのか。


 「…………先に謝らせてくれ」

 「はい?」

 「もし俺が間違っていたら気が済むまで殴り飛ばしてくれ!」


 いきなり席を立ち上がった、聖十字は何をするかと思いきや……


 「!?」


 この展開は予測していなかった。カウンターで事の成り行きを見張っていたアスカも、思いきり目を見開いている。

 まずい。この状況は非常にまずい。今の私はラハイアに思いきり抱き竦められている。一体何の目的で……唯の魅了邪眼の餌食なら、まだいい。それならまだ対処のしようもある。

 天敵と零距離というのは本当に緊急事態。この男のことだ手荒な真似はしないだろうけれど、私もどうしていいのかわからない。

 この男は年下の癖に生意気にも私より背を伸ばし、理不尽にも私より力が強いのだから、この拘束を自力で脱することはまず不可能。このまま持久戦に持ち込んで、毒で昏倒させるくらいしか方法はない。

 驚愕の内、脳がフル回転し出しそこまで一気に考えるが、多分1、2秒の間のことだろう。


 「俺は混血を調べた。同僚にも協力させた……そこで俺は片割れ殺しという記述を見つけた。片割れ殺しはそう何人も生まれる者じゃない」


 それは確信に至る言葉。思わず身体が強張った。それは彼がこれから言う、言葉を認めてしまったようなもの。その反応に、背中に回された彼の腕も震える。認めたくないとその腕が語りかけてくるようだった。


 「それに……俺の同僚が言っていた。何度も口酸っぱく俺に言ってくれていた。まさかそれが助言だったとは……認めたくはなかった。しかし……」


 強く抱き締められていると言うことは、身体を物凄く密着させているというわけで……彼はそれである事実に気付いてしまったようだ。此方が彼の鎧を冷たいと感じるように……


 「胸のない女は女にあらず!ベラドンナ……っ!君は……いやお前は殺人鬼Suitだ!」


 そう叫ぶ彼の言葉は、震えていた。今にも泣き出しそうな勢いだった。

 それでも泣きたいのは此方の方だ。変装の名人とか密かに謳われていたこの私が、まさかこんな間抜けなやり方で正体を見破られてしまうなんて。今日は急いでいて胸まで装う暇はなかった。

 どうせこの生真面目な男のことだ。そんなにまじまじと胸や尻など見ないだろう。顔しか見ていないだろうと侮っていた。まさかそれが仇になろうとは。


 「参ったな……」

 「おい、リフル……!」

 「いいんだアスカ。ここまで見事に見抜かれてしまっては、もう嘘も吐けない」

 「それでは……やはり……」

 「よくここまで来たな、ラハイア。今回ばかりは私の負けだ」


 降参を認めてやれば、拘束は容易く崩れ落ちた。ガクリと床に膝を着いた少年を真似てリフルもしゃがみ込む。


 「それにしても何だその残念そうな顔は!もっと喜べ。この私を出し抜いたのだぞ?笑えラハイア、勝者はそうあるべきなのだから」

 「うわぁあああああああああああああああああああ!!!!返せ!一瞬でもお前にときめいた俺の純情を返せっ!詐欺だろう!?この顔で!こんなに女装が似合う男が居て堪るか!!」

 「いや、あまりに見事に騙されてくれるものだからな。なかなか私は愉快だったぞ?しかしこの遊びももうお終いかと思うと何やら寂しいものもあるな」


 悔しそうに此方を見上げる少年を嘲笑う笑みを浮かべれば、彼は口ごもり目を背けた。

 その視線の先で、彼の動きが止まった。その先を見てみれば、上の階から降りてきていた赤髪の少女が1人。


 「ライル坊や、あんたは今言っちゃいけないことを口にしたわね……」

 「そ、ソフィア!?何故ここに……」


 Suitの正体は見抜いても、どうしてその殺人鬼と共に仲間がいるのかがわからないラハイア。確かに二人は同じ聖十字の人間だが、今この瞬間は別だった。リフルはそれを察知した。


 「アスカ!ロセッタを押さえろ!」

 「また俺の主は無茶言うなっ……、くそっ!」

 「何よ何よ何よ!胸がないのが男なら、あれが無いのが女なのよねぇ!?あはははは!お前らの息子全員打ち抜いて、お前ら全員女にしてやろうかぁああああああああああああああああ!!!」

 「リフル!あれは無理だ!素早すぎて俺のナイフ投げじゃ間に合わねぇっ!」


 ナイフで応戦しているアスカだが、後天性混血のロセッタの身体能力の前には敵わない。

 かといって剣と銃では間合いに差がありすぎる。武器では彼女には敵わない。

 唯一対抗しうる武器を持っているのが聖十字兵のラハイア。しかしこの男は滅多なことでは教会兵器を発砲しない。第一何故ロセッタがここにいるのかで頭がいっぱいで、そんなことを考えるだけの余裕がない。

 武器も駄目、素手も駄目……そうなれば、残るのは……


 「私は………」


 いや、駄目だ。こんな言葉では怒り狂っている彼女の耳には届かない。


 「俺はっ、どちらかというとない方が好きだ!」


 力の限り、そう叫ぶと……ピタとロセッタが動きを止めた。

 しめた!これは一気にたたみかけるチャンス。


 「ぶっちゃけ巨乳好きとかどうかと思うな。そんなの乳離れ出来ていないマザコンですって主張してるだけだ」


 アスカが何か呻いて倒れたが今は構ってはいられない。今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。


 「大体そんなに巨乳が好きなら、関取で一発自家発電でもしてしまえばいいんだ。胸で女の価値を計るような男は唯の脳味噌下半身の最低野郎だな。そんな奴に好かれるなんて、人生の汚点じゃないか、全く」


 大げさにそう言い放てば、うっすらと涙を浮かべたロセッタが握手を申し出てきた。

 昨日私の手を振り払った女のやることとは思えないが、断る理由もないので手袋越しにそれに応えた。


 「あ、あんた………………ちょっとだけ見直したわ。ちょっとって言っても本当にちょっとだけだからね!」

 「ああ、それはそうと……そろそろアスカから退いてやってくれないか?」


 ロセッタは適確に床に転がっていたアスカを踏みつけていた。


 「ほら見ろライル、やっぱり人の本質は悪だろう?」

 「い、今のはきっと、偶然だ!」


 ようやく我に返ったラハイアがさっそく吠え掛かる。


 「そ、そもそもどうしてソフィアがSuitと一緒にいる!?」

 「…………ふんっ」


 ラハイアは今急激にロセッタの機嫌を損ねた。だから答えてやる気がないらしい彼女に代わってリフルが答える。


 「彼女は神子からの使者だ。神子と私は取引を行った。そのためしばらく彼女は私に協力してくれるのだそうだ」

 「神子め……」

 「ちょっとライル坊や!イグニス様を馬鹿にする気!?」

 「馬鹿にするも何も!俺は神子に嵌められたのだ!今日ここに来いと俺に告げたのはその神子様だ!」


 ラハイアの返答に、ロセッタは「神子様は何をお考えなのかしら」と首を傾げる。

 教会の件はまぁこれで片付いただろう。それでは本題に移ろうと、リフルはラハイアに問いかける。


 「それでラハイア、お前は私をどうするつもりなんだ?神子としてはしばらく私を捕らえるつもりはないらしいが?」

 「それでもお前を捕らえると言ったら?」


 ずいと迫れば、負けるものかと食ってかかってくるのは相変わらずだ。

 その反応が嗚呼、懐かしくて……ついつい顔が綻んでしまう。仮面がなければそれが隠せず、素顔を晒していると思うと恥ずかしい。

 この男にはいつも多くの嘘で接してきた。だからこうしてSuitとして面と向かって話すというのはまだ慣れない。それは向こうも同じだろう。何とも言えない表情が僅かに赤らんでいる。


 「正直今回は私の負けだしな、捕まってやってもいいとは思うのだが……今は状況が状況だ。この騒ぎを静めるまでは大人しく捕まってやるわけにはいかない」

 「……例の事件か?」

 「それだけならまだ良かったのだが。最悪この西裏町が滅ぼされかねない状況なんだよ今は。そうなれば多くの混血が危険に晒されることになる。彼らはまだ年端もいかない子供も多い。それは何としても避けなければ……」

 「Suit……お前は……」

 「仮に私が大人しくお縄に着こうとしても、この男がそれを認めてくれないだろうしな」


 此方をじっと見つめる聖十字の視線が気恥ずかしく、目を逸らしつつ話題をアスカの方へと投げた。フォローと言い訳と卑怯においてうちの組織でアスカの右に出る者は居ない。さっきまでロセッタに踏まれていたという事実を霧散させるほどの凛々しさで、それっぽい言葉を口にしてくれる。


 「やり合うってんならお相手するぜ、聖十字のお坊ちゃん?」

 「私も神子様の命令があるし、今はあんたの味方には付けないどころか邪魔するわよ?」


 先程の妙な和解で、少し距離を縮められたのだろうか?ロセッタまで援護射撃をしてくれるとは思わなかった。形勢逆転、今度追い詰められたのはラハイアだ。それでもひるまない所は流石、私が見込んだ男だ。


 「……今回は、そのつもりはない。第一俺の力でここを見つけたわけではないからな」


 お前を捕まえるときは、自分の力で成し遂げてやる。そう言い切ったラハイアに、リフルは期待しているよと笑みを返した。


 「それならどうしてわざわざこいつの正体曝きに来たんだ?」


 アスカの言葉にリフルも共感。捕らえる気がないのならそもそも曝く必要もない。この男はすぐに引き返すという選択も選べたはずだ。


 「俺はお前が死んだものだと思っていた。だからこそ、この事件を許せなかった」

 「ラハイア……」

 「俺が追ってきたお前は、あんな殺しを犯さない。Suit、お前は間違っている。それでもお前は悪じゃない。お前が悪であるはずがない!今だってお前はこの街の人々を、混血の身を案じていただろう!?」

 「天敵であるお前にそこまで言われると、こそばゆいな……何だかとても」


 真っ直ぐすぎる言葉は、時にどんな美辞麗句よりも胸を打つ……そして同時に恥ずかしい。

 顔を背けようとするリフルにラハイアは、尚も言葉で責め続ける。


 「違う。お前は俺の敵ではない。お前はこの国を世界をよりよい物に変えようとしているのだろう!?確かにお前のやり方は褒められるものではない。……それでもお前はその信念だけなら、少なくとも……俺の同士だ」

 「だからこそ神子様もあんたらを手伝えって言ってるんでしょうね」

 「ラハイア……、ロセッタ……」

 「あんたが唯の人殺しじゃないのは私も少しは認めてあげる。それでもあんたの犯した罪は、決して許される事じゃない。それだけは忘れないことね」


 ラハイアに乗っかり、持ち上げて……それでも釘を刺すことは忘れない。そんなロセッタも少しは認めてくれている。


 「で?つまり聖十字のお兄さんはあれか?一時休戦って事でこいつの手伝いに来てくれたってことか?」


 確かに何故この男がここに来たのか、その目的はまだ聞いていない。アスカの言葉通りだったなら、それは有り難いが……この男のことだ。そんな考えはないだろう。早速両目を見開いているから。


 「はぁ!?ち、違う!俺は唯こいつに言いたいことが……」

 「そうかそうか。ちょっと店裏まで面貸しな、俺を倒さずにこいつを口説きに来るとは良い度胸だ」

 「馬鹿か貴様は!何故俺がこんな殺人鬼を口説かねばならんのだ!」

 「ゴラァッ!うちの自慢の王子を前に、こんなとは何だこんなとは!うちの子は器量よしだし物腰穏やかでそれから兎に角可愛くて最高だろうがぁああああああああああ!!!つかさっき顔赤らめてただろ?ほんとは可愛いとか思ってたんだろぉ!?自分に素直になれよぉ兄ちゃんよぉ!」

 「アスカ、恥ずかしいからそんな因縁を付けるのは止めろ」

 「う、で……でもよ」

 「でももだがもしかしもない。最近のお前は何なんだ?お前は私の父親か?そんなうちの娘は嫁にやらん的な反応をされても私は男だぞ?反応に困るだろうが」

 「で、ですよねー……」


 最近アスカの暴走は本当に困ったものだ。邪眼の魅了が洛叉とはまた違う方向へ暴走し出している。リフルがアスカを宥めている間、聖十字の二人が話を始める。


 「それならライル坊やは……」

 「ああ、俺はこのままこの事件を追う」

 「でも私の所にも情報全然入って来てないわよ?情報入ったらこの件の犯人はさっさと処刑に行ってくるけど」

 「……ソフィアの手は借りん。犯人は俺が生かして捕らえる。そして法の下罪を裁く」

 「へぇ、言うじゃない。でも城と東が動いたら、もっと大きな事件になるわよ?情報も手がかりもまだ上がってないヤマに挑む間にも、救える命が殺されるかもね」

 「それは俺に、こいつと手を組めと言っているのか?」

 「合理的でしょって言ってるだけよ。いずれ捕まえる相手の情報、間近で入手するチャンスじゃない」

 「しかし……」

 「あんたの部下には私からあの軟弱男に連絡しとくから。しばらくあの男に教会の方は任せなさい。他にも運命の輪何人か潜ませといたし問題ないどころか情報収集にあんたみたいな凡人が居るとむしろ迷惑よ」

 「め、迷惑……」

 「適材適所って言うでしょ。地味な仕事は向いてないって言ってあげてんの。それに私が思うに、今回の犯人……たぶん釣り上げるとしたらあの男よ。あの男張っとけば必ず現れる」

 「それも、神子が……?」

 「さぁ、どうかしら?」


 ロセッタは敢えてそこをぼやかして不敵に笑う。


 「話終わったよ。しばらくこの坊やも手伝いすることに決まったから」

 「決まったのか!?今の話で!?」


 ロセッタは俺は了承していないと叫くラハイアを完全無視で言葉を続ける。


 「ああ、連絡しとくからじゃなくてしといたの間違いだったわ」

 「過去形か!?」

 「今更教会に戻ってもあんた邪魔者扱いよ?ここは一発手柄を立てて帰りなさいよね。運命の輪と神子様の間ではあんた出世させて第三聖教会立て直す計画が密かに発動してたりしてなかったりなんだから」

 「結局しているのかしていないのかはっきりしてくれっ!」

 「私の繊細な心を抉った罪はでかいわよ。キリキリ働かせてやるから覚悟なさい!」


 後輩いびりを始めたロセッタを、そろそろ止めるべきだろうか。リフルがそれを考え始めた頃、聞き慣れた声が店の中へと飛び込んで来た。


 「リーちゃぁああん!!」


 背後から腰に抱き付かれ、リフルが視線を下げると長い金髪の少女がそこに。


 「虎娘!お前無事だったのか!?」

 「あ、アスカ君!兎に角大変なんだよ、案内するから早く来て!」

 「なんだその俺はおまけみたいな言い方は……」


 アスカが口を尖らせる。その会話は何時も通りのトーラとアスカのそれに近かった。

 「ロセッタ!」


 リフルの声に、ロセッタは弾かれたように銃口をトーラへ向ける。


 「何?リーちゃん?」

 「礼を言う、ロセッタ」

 「まぁ、私も伊達に裏方やってないわよ」


 頭に付けているゴーグルをぐいと目へと下ろすロセッタ。それで完全に戦闘態勢突入ということらしい。狼狽えながらリフルとロセッタを交互に仰ぎ見るトーラに、遅れてアスカも抜刀。


 「まぁ、並の数術使いなら余裕でロセッタが男か女かなんて見分けられるよな」

 「あんたも脳天ぶち抜かれたいわけ?」


 ロセッタの眼光がアスカに一瞬向けられた。


 「何言ってるのアスカ君?」


 人は数値の複合体。女と男ではその数値の異なる箇所がある。トーラほどの数術使いがそれを見えないなどとは言わせない。アスカの言葉の意味を理解しないトーラがまず数術使いとしてあり得ない。アスカはそれを鼻で笑う。


 「お前が馬鹿か?うちの数術使い様々はな、うちのお頭に女がくっついてたらどんな緊急事態だろうが、まず第一に!“リーちゃん!僕というものがありながら!”って言うから覚えとけ!」

 「…………へぇ、それなりにはやるんだね」


 トーラを騙る者は、にぃと口に笑みを浮かべて愉快そうに咽を鳴らした。


 「それでちなみに貴方はどこで僕が彼女じゃないと見抜いたのかな?」

 「……目を見れば解る」

 「へぇ、その顔でそれって凄い口説き文句だねぇ。あの子がメロメロになったのも仕方ないか」

 「…………それにお前の呼び方は、トーラとはイントネーションが若干異なる」

 「はいはい、お熱いですねー。でもまぁ流石は暗殺組織のお頭様だ。殺気だけは一人前だね」


 リフルが睨み付けると、怖い怖いとそれはまったく悪びれもせず身体を離した。


 「まぁ、SUITの皆さん……自己紹介くらいはさせてよ」


 そう言ってそれは片手を振るう。それだけで彼の衣服は女物から男物へと変わっていく。それまでトーラを演じていたそれは彼女と同じ目の色髪色背丈に同じ顔をした小柄な少年に変化した。


 「僕はオルクス、オルクス=べーリー。オルクス商会改め死神商会!人身売買専門請負組織Orcus(オルクス)のお頭さ」

 「人身売買専門請負組織だと……!?」


 その衝撃的な名乗り上げに、ラハイアが目を見開いた。反射的に彼も武器を構えたが、その手はまだ迷いに揺れている。遅れてリフルも短剣を手に、アスカに視線を送って促す。


 「…………アスカ、三ヶ月前を覚えているか?」

 「ああ、あの屍姦マニアの変態侯爵のことか?」

 「ああ。あの屋敷の剥製達には眼球がなかった。トーラはそう言っていた」


 リフルとアスカの言葉に、オルクスと名乗った少年はくすくすと笑みを零した。


 「あはは、あのラモール卿を退治してくれちゃったのって君たちだったんだ?うちの常連で、剥製加工によく依頼してくれるいい金づるのカモだったのに残念だよ」


 突然だった。その轟音に、その場の人間全てが目を見開いた。いや、唯1人を除いてだ。それはロセッタではなかった。あのロセッタですらそれには驚きを顕わにしていた。


 「………ら、ラハイア!?」


 あの聖十字が撃っただと?

 この二年そんなところを見たのは、これで二度目。ラハイアが武器に頼ることなんて、本当にこれまであり得なかった。

 一度目の時はリフルがその逆鱗に触れた所為だ。しかしその一度が戒めとなり、彼はこれまでその引き金を封じてきていた。その、ラハイアが……撃っただと?リフルは驚きを隠せない。


 「オルクスと言ったな……貴様はいつ、その組織を立ち上げた!?答えろっ!!」


 ラハイアは怒りをその双眸に宿し、オルクスをその怒りで焼き焦がさんと言わんばかりの勢いで彼を睨み付けている。


 「……その目。もしかして君、うちのお客さんだったりした?いや違うか。そんなちぐはぐなオーダーなら僕が忘れるはずがない」

 「ちぐはぐだと!?」

 「オッドアイのオーダーなら同人種間が人気だからね、君みたいなのは邪道だよ。普通は青と緑……黒と赤。それから片目だけ混血の目を植え付けコースも大人気!最近じゃファッション感覚で毎月入れ替えに来る固定客も居るくらい」


 タロックとカーネフェルの両方の瞳を持つラハイアを、嘲笑う死神の声。それに不快を味わったのは、何も彼だけではない。


 「オルクス……今の言葉を訂正してもらおうか?」

 「Suit……何故俺を庇う!?お前は俺のことなど何も知らないはずだろう!?」


 押し殺した声で眼を細めたリフルに、ラハイアが僅かにたじろいだ。


 「ああ、知らないな。だが私はお前を見てきた。お前の人となり、お前の言葉……それに触れれば誰でも今の言葉は虫唾が走る」


 その眼の理由。知ろうと思えばいくらでも知ることは出来た。うちには優秀な数術使い様がいた。それでもそうして来なかった。

 敵対者だ。背景なんて知らずに知られずにいるのが一番いい。それが当たり前。

 だから何も知らない。知られていない。それなのにこの男の言葉は深く響いた。不思議な感覚だった。それでもそれが嫌ではなかった。

 それでもこの男が大事にしていること、それを目の前で馬鹿にされること。それを黙って見ていることがどうしても出来なかったのだ。

 私はお前の背負っているものは知らない。それでもお前が背負っているものの重さを感じ取ることは出来る。でなければお前の言葉はそこまで私に響かない。


 「私はお前の目が好きだ。平和はお前の中にある。お前が唯のカーネフェリーなら私は……ここまでお前を信じなかった!」


 純血でありながら、両国の色を宿す瞳。異国の色を受け入れた、そんなお前だから。混血への理解も得られると、奴隷の救出も飲むだろうと……そう見込んだのだ。そしてそれは見込み以上のものだった。


 「なるほど……確かに綺麗な人だね貴方は」


 リフルのラハイアへの言葉を受け、オルクスは含みを持って深く頷き、視線をアスカへと移した。


 「だけどこんなに褒め殺しのご主人様だと気疲れしない?そっちのお兄さん?」

 「俺は不法侵入者と立ち話する気分じゃないんだけどな」

 「嫌だなぁ。入り口から入ってきただろう?僕は一応お客様だよ。つまりは僕は神様さ」

 「招かれざる客って言葉知っているか?」

 「誰でも大好きで誰にでも褒め殺し。だからみんなは彼を大好きで、貴方はやきもきしているんじゃない?いっそのこと彼の目を刳り抜いて君の片目と入れ替えてあげようか?素敵だと思わない?大好きなご主人様と文字通り一心同体ってわけだね」

 「そいつはまた……随分と笑えねぇ冗談だな」

 「またまたぁ、ちょっといいかもって今思ったでしょ?それとも剥製派?それとも達磨派?もう何処にも逃げられないし、抵抗できずになすがままされるがまま!もう貴方無しに生きていけないって可愛くお強請りとかされたらもうノックアウトされちゃんじゃない?」

 「生憎俺はこれでもSなんでな。抵抗されればされた分だけ燃える質だ。それにうちの自慢のご主人様は、一つとして欠点なんかないんでな。一パーツだって欠けさせるわけにゃいかねぇんだよ………っておいロセッタ。なんで銃口の一つが俺に向いてんだ?」


 オルクスと軽口の押収をしていたアスカを見る、聖十字二人の目はとても冷たい。何か汚らわしい者を見るような、それでいて哀れむような目だ。


 「清く正しい世界のために、殺しておこうかなって。なんかあんたが害な気がしてきたわ」

 「…………Suit、お前も大変だったんだな」

 「売り言葉に買い言葉って知ってるかお前ら!?これはセネトレアジョークの一派だからな!リフルも否定してくれっ!」

 「流石に今のは私も恥ずかしかったが、部下の希望を受け入れるのも主の務めか。解った、今度お前に何か言われたら無意味に抵抗してみることにしよう」

 「うう、違うんだって。俺はほんとあれだから。マジでほんとにノーマルだから!」


 アスカを逆上させるか動揺させるつもりだったらしいオルクスは、此方の反応を予想していなかったらしく口をぽかんと開けていたが、我に返ったのかようやくそれを閉じた。


 「なるほど、君たち二人が揃っている内は精神攻撃が無意味だってのはよく分かったよ。僕の言葉も天然口説き文句と自虐ネタでオチをつけられちゃ堪らない、今日の所はこれで退場させて貰うよ」

 「へぇ、唯で帰れると思ってるわけ?」

 「せっかくだから人生も退場してかねぇか?俺の社会的信用を暴落させた責任取って」

 「どうしてお前達はそうやってすぐに殺そうとするんだ!こいつは俺が生かして捕らえる!そして流通経路を叩いて、悪人共を全て法で裁いてやる!」

 「どうにも足並みが揃わないな。唯で帰すわけにはいかないのは確かだが……」


 相手は数術使い。此方は先天性混血が一人、後天性混血が一人、あとは純血が二人。

 アスカは数術の才があるとはいえ回復数術しか使えない。私は邪眼しか使えない。ロセッタは身体能力は高いし教会兵器を持っているが、数術使いではない。ラハイアは教会兵器はあるが普通の人間。

 オルクスの数式が完成する前に仕留められれば此方の勝ちだが、何の策も無しに敵陣に乗り込んでくるはずもない。まだ何か手があると思ってまず間違いない。


 「僕は今日は挨拶に来たんだよ。まぁ小手調べも兼ねてだけどね」


 そう言ってオルクスは床に小さな箱を置いた。


 「はい、これはお土産だよ」

 「何のつもりだ?」

 「僕も妹を真似て情報屋ごっこをしてみようかと思ってね。この中には情報を一つ入れてある。だけどこの箱は僕がここから消えなければ開かない仕掛け」

 「とかいいつつどうせ爆発物とか刃物とか入ってるってパターンだろ?」

 「信じるも信じないも君たちの勝手だけどね。それで僕は困らないし?それに……」


 パチンと指を鳴らすオルクス。その音に気を取られた一瞬、空気の溶け込むようにその姿は消えた。「式はもう完成してたんだよね」……そう置き残された言葉が空気を揺らして消える。


 「おい、どうすんだこれ……?」

 「…………危ないものは入って無さそうね。数値を視るからに、紙切れみたい」


 リフルを背に庇いつつ箱から後退するアスカを余所に、ゴーグル越しにまじまじとその箱を見つめるロセッタ。ラハイアはロセッタの様子を傍で見守っている。


 「紙切れか……どうするリフル?」

 「そうだな……まずは」

 「もう開けたわよ」

 「お前人の話聞けよ……」

 「……そればかりは諦めろ」


 何かを悟ったようなラハイアの言葉に、アスカはなんだそれと嘆息。


 「…………東裏町の、住所みたいね。……どうするの?」


 罠かもしれないと、ロセッタは言っている。その上でリフルに今聞いてきた。


 「…………」


 どうするべきか。答えは決まっている。それでも迷いは当然ある。西は窮地に立たされている。離れることに不安はあった。


 「んじゃ、俺着替えてくっか」

 「あ、アスカ!?」


 リフルが答えを告げる前に階段を上り始めるアスカ。その後を追いかけかけた背中に、ラハイアが小さく呟いた。


 「貴様のことだ、どうせ行くのだろう?」

 「あんたまさかその女装で出かける気なの?」


 聖十字達の言葉に、リフルは苦笑せざるを得ない。

 全くどいつもこいつも私の答えを聞く気が無さすぎる。


 「私はそんなに分かり易いか?」

 「二日も見てれば解るわよ」

 「二年も見てれば余裕だな」

 「甘いな新参者共!こいつを見ていた月日なら余裕で俺がトップだぜ!」

 「流石はアスカだな。伊達に一年半私のストーキングをしていない」

 「その前に九年間捜索活動ってのも忘れるなよ」

 「犯罪者への犯罪行為というのは十字法上どうなってたかしら?」

 「この件が片付いたなら二人まとめて逮捕すべきか」

 「当事者である本人が全く嫌がってないのが問題よね」

 「この場合法律とはどうなるのだ?落ち着いたら調べ直してみなければ」

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