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27:Libenter homines id quod volunt credunt.

 「へぇ聖十字か!んじゃ隊長さんもシャトランジアから来たのか」

 「いや、俺は……私の出身はカーネフェルで」

 「ああ、そっかそっか。俺も俺も。そっからシャトランジアにしばらく世話になって、職を探してセネトレアってとこでさ。幸い剣はそれなりに使えっから城で雇って貰ってるんだわ」


 セネトレア城の門を叩いたラハイアは、同僚の言うように最大限の後ろ盾を利用することにした。部下への指示は出しておいたし、代わりのことはエティエンヌに任せている。

 自分は彼に用意してもらった、神子からの書状を手に……セネトレア女王への謁見を希望した。


(どんな奴が出てくるのかと思えば)


 緊張していなかったと言えば嘘になる。それでも城に通された自分の案内にやって来た騎士は、想像していた屈強な猛者ではなく朗らかな笑みを浮かべる金髪の青年だった。


 「いや、悪いな。なんか最近ここもいろいろあって立て込んでてさ。うちのお姫様は今寝起きでなー……いろいろあるから一時間ばかし待ってくれって。その間の暇つぶしに宛がわれたのが俺なわけ。可愛い女の子じゃ無くて悪かったな、いやほんと。ついでに俺もがっかりだわ、いやパーセンテージ的にはレアなんだけどな俺ら、カーネフェリーの男だし。まぁそんなレア度で目を瞑ってやってくれよ。俺も目ぇ瞑るから」


 放って置いたらこの男いつまでも1人で喋って居るんじゃないだろうか。そんな一抹の不安を覚える程のマシンガントーク。


 「お姫様が言うには、城案内してろってことなんだけどどっか見たい所とかあっか?」

 「…………それなら、処刑場と墓地を」

 「うわっ、お宅そんなとこ見たがる?悪趣味だなーまぁ仕事だから案内すっけど。どうせなら普通女兵士の着替え部屋とか女中達の寝室とか、風呂場とかそういうとこに興味ねぇ?ていうかそっち寄ってかね?」

 「…………十字法というものをご存知で?」

 「へーいさーせん。あんたすげー堅物だな」


 十字法は教会の所有地のみで発動する法律だが、例外的に聖十字、聖教会の人間が居る場所でも行使が可能。現行犯逮捕を行えれば、それは国法さえ時に凌駕する。

 勿論、一国の長をそれでどうこうできるとは思わない。もし姫の横暴を目撃したとしても、ここは敵陣。取り押さえられれば此方が殺され、無かったことにされてしまう。刹那姫のことはやはり神子の行ったとおり、時が来るまで対処できない問題だろう。

 それならせめてこの場所で何が起きているのか、今後のためにもその視察くらいはしておきたかった。


 「あの……おい、こんな所に本当に墓があるのか?」


 先程までずっと喋り続けていた案内役が、階段を上り始めてからぴたと物を言うのを止めた。声を掛けても返さない。それを不思議に思いながら着いていくとそこは絶景。

 そこにあるのは空の蒼と海の青が溶け込むような水平線。それを一望できる、この城の一番高い塔だった。


 「これは、凄い……しかし私が頼んだのは」

 「墓地は離宮の方にあってさ、一時間じゃ往復出来ねぇんだ」


 案内役が苦笑する。


 「代わりと言っちゃなんだが、あれ見てくれ。見えるか?」

 「あれは……」


 案内人が指さした方向に目を凝らしてみれば……何かぽつぽつと、おびただしい数の何かがある。何かの植木?それにしては小さい。畑だろうか?花壇だろうか?何か沢山の草木が植えられている。


 「まさか……あれ、全部」

 「ああ、あれが墓な。少なくともああやって墓作られた奴はまだいい方だな。最近じゃあんなスペースもなくってな。大きな穴掘ってそこに落として来てるんだ。それがある程度まで来たら土を被せて埋めるようにして。でもよ、そしたら腐敗臭がすごいのなんのって。だからその臭い隠しに花を植えたんだよな。そしたら一面あんな状態。秋頃は一斉に花が咲くんじゃねぇか?」


 「…………彼らは、一体何を?」

 「理由ねぇ……まぁいろいろってとこだな。反逆罪とか不敬罪ならまだいいとして、後は理由なんてあってないようなもんだ。あの姫様の後宮入りを望む野郎がわんさかいろんな所からやっては来るが、今のところ9割方処刑三昧。お姫様の機嫌損ねたとか単に顔が気に入らなかったとか声が気に入らなかったとか脱がせてみたらあんまりにもお粗末だったとか、まぁそんなところか。セネトレア王族も、もう数えるほどしかいねぇしなー。この半年で粗方処刑されちまったよ。今居るのはアニエス姫とユリウス殿下くらいか」


 セネトレア王族と言えば、かなりの人数が居たはずだ。一月前に死んだセネトレア王、彼は後宮を抱えていたから多くの妻が居て、子供も何十人といたはずだ。それをたった二人を残して全てが処刑されてしまったと言うのか?


 「…………」


 そのあまりの言葉に、ラハイアは目眩すら感じた。


 「んで、聖十字の隊長さんはあのお姫様に何の用なんだ?まさか求婚やら後宮入り希望ってわけじゃないんだろ?」


 探りを入れるようなその言葉。この案内役をどこまで信頼するべきか。


(いや、俺は……)


 聞かれたことは、正面から胸を張って答える。必要のない嘘は吐かない。信頼出来るか出来ないかではなく、するかしないか。


 「…………私は今私が追っている事件のことで女王様に取引を」

 「おいおい、よりにもよってあのおっかねぇ女相手に取引だって!?まともな交渉が成り立つとでも思うのか?」

 「成り立たせる。そのために俺はここへ来たんだ」


 そう言い切ったラハイアをまじまじと見つめた後、男は腹を抱えて笑い出す。


 「いや、面白い客が来たもんだ。これならあのお姫さんもどう出るかわかんねぇ」


 笑い泣きをするほど爆笑していた案内役が、けたけた言いながら涙を拭う。


 「んじゃ、面白いあんたに一つ助言しといてやるか」

 「助言?」

 「ああ。あの女には、適度に噛み付け。要はあんたはあんたの思うがまま、嘘無く信念突き通せ。あのお姫様は何より嘘が大嫌いだからな。そういう意味ではあんたはきっと気に入られるぜ?」


 頑張れよと、案内役にぽんと肩を叩かれた。女王の騎士かと思いきや、彼女の完全な味方というわけでもない。なんともつかみ所のない男だ。


 「…………貴方も随分と変わっているな」

 「へへっ、そうか?」


 「まぁ、俺は女王様の契約騎士ですからねぇってことで。契約範囲では守るし働くけど、金にならねぇ仕事はしねぇ。金になってもやりたくねぇ仕事はしねぇ。俺は奴隷じゃなくてあくまで契約騎士だからな」


 そこまで忠誠心があるわけではない。自由と意思は自分の中にしっかりあるのだと騎士は言う。

 女王と騎士を結びつけるのは金の繋がり。かといって金にそこまでの執着もない。命と金を天秤に掛けるなら命の方を余裕で選ぶとそいつは言った。

 金の亡者ばかりのこの国で、不思議な男もいるものだ。この男の言っていることは、そんなに綺麗なことでもないけれど、不思議とそこまで嫌悪感は覚えない。


 「おっと、そろそろ戻んねぇと。時間に遅れるのもあの女は大嫌いでな。自分は平気で遅れる癖に、こっちが遅れると切腹もんだ」


 此方が感心している内に、にぎやかな案内役が階段へを走り去る。追いかけなければ。確かに時間も約束だ。約束は果たさなければ。

 謁見の間の扉を案内役が勢いよく開ける。玉座は空だ。まだ誰もいない。そのことにほっと胸をなで下ろす。案内役の騎士も、ラハイアの横で乾いた笑いを漏らして座り込む。


 「なんとか間に合ったな……ていうかあんたよくそんな鎧着て走れんなー、感心するぜ」


 あんたはまだまだ余裕って感じに見えるぜと、息を切らした案内役。

 言われてみればそうかもしれない。長い螺旋階段を勢いよく駆け下りるのは確かに楽な仕事ではなかったが……


(あいつのおかげかもしれないな……)


 いつもあの殺人鬼には走らせられていた。ふわりと気まぐれに、風のように現れるあいつを追って、先の見えない夜の闇を何度も何度も走らせられた。


 「職業上、よく走らせられてはいるからな。犯罪者は足を止めて待ってはいない。……もっとも聖十字の鎧は外に流通しているものより遙かに軽くて頑丈だから、そんなに疲れはしないな」

 「マジで!?すげー羨ましい。うちの鎧の重いのなんのって。あんなの着てたら肩凝ってやってらんねーから、俺は軽装って感じ。うちのお姫も鎧より制服のが好きらしくてな。何でも脱がせ易い云々って話だったが」

 「……!確かに謁見にこの装備は無礼だったか?急いで変更をっ……」

 「いや、まぁあんたは性格的にそれでいいんじゃないか?俺みたいなちゃらんぽらんががっしり着込んでてもあれだけど、あのお姫様的には堅物が着込んでるのはそそるとか言いそうだ」

 「ふむ、確かになかなか悪くない」

 「……え?」


 いつの間にか会話の中に第三者が割り込んできていた。その声の違いに気がついた時にはもうその女は現れていた。

 玉座に腰を下ろした、1人の女の姿。そのすぐ横に控えているのはまだ幼さの残る顔立ちの少年だ。彼も案内役と似た服に身を包んでいる。おそらく彼も契約騎士なのだろう。


(…………ここは、不思議なところだ)


 純血の姫に仕える者が、タロック人とカーネフェル人。血を重んじるような王族が、傍に人種構わず置くというのが意外に感じられた。本来そういった者が一番人を差別しそうなものなのに。

 カーネフェル人のラハイアの謁見が叶えられたのは、この女王が王族として風変わりな部類だったからなのかもしれない。

 涼しげな顔をしている長い黒髪の女。おそらくこれが現セネトレア女王刹那姫。半年前にセネトレア王に無理なんだいと共に嫁いできたタロック王女。王亡き後は、その王位を譲り受け……今ではこの国を統べる長にして傲慢の化身。

 確かに絶世の美女と謳われるだけのことはある。それでも何というか目の毒だ。どこに視線を向ければいいのか思い悩むような悩ましいその肉体。それを隠さずに最大限主張するようなはしたないドレス。しかし彼女の動作は洗練された美しさがあり、それを下品だと感じさせることはない。

 それでも、目の毒だ。そこから目を逸らそうと……顔を上げた先で待っているのは、その女の深紅の瞳だ。これほど深い赤の目を見たことがあっただろうか?その深すぎる色は、血の色を思わせるような禍々しく不気味な美しさ。

 美しさは似て非なるもの。顔はまったく似ていない。それでもあの殺人鬼と最後に対峙した……その瞬間を思い起こさせる。

 その迫力に圧倒されて、言葉を失い息を呑む。そんな此方の様を見て、美しい女王はにぃと笑む。


 「そう硬くならずとも良い、シャトランジア猊下の使者様を出会い頭に取って食うような真似は流石の妾もやらぬぞ、なぁ猫?其方もそう思うじゃろう?」

 「姫様なら余裕でやるんじゃないですか?」

 「む、……無論それはその時々にもよるが」


 傍に使える少年騎士の、冷たい言葉に女王はふて腐れたような顔になる。その子供のような態度と表情に……少しだけ場の空気が和らいだ。


 「ところでお姫様、俺席外します?」


 案内騎士がへらへらと手を挙げる。それに女王は視線をラハイアへと戻す。


 「聖十字よ、其方に不都合は?」

 「ございません」

 「そうか。ならば好きにせよ」

 「へい、そんなら失礼します」


 許可が下りた途端、一礼して謁見の間から消えていく騎士。


 「あれは何とも雲のような男じゃの」


 それを見送りながら女王はくくくと咽を鳴らして笑う。彼女は少年騎士を猫と呼んだが、よほど彼女の方がそれっぽい。


 「して、其方は何用で参った?」


 顔に笑みを残したまま、柔らかに女王が言葉を紡ぐ。笑みの中にも凄みを感じさせるのだから、この女は確かに美しいのだろう。けれど恐れ戦き人が言葉を無くすようなその笑みに、屈するわけにもいかなかった。ラハイアは深く息を吸い、女王の赤に真っ正面から視線をぶつける。


 「女王陛下はSuitをご存知ですか?」

 「ふむ。それなりにはのぅ」

 「私は陛下がSuit探しのために奴を再び指名手配するとの話を耳にしました。私が陛下へのお目通りを願ったのはそのためにございます」

 「教会はなかなか耳聡いのぅ。流石は数術とやらの最高峰と言ったところか」


 含みを持った女王の言葉。そこに僅かの棘を感じたが、その理由は見えない。


 「ああ、その件ならもう手配書は印刷させた。今日よりそれを国中にばらまくつもりじゃ。其方が今日尋ねてきたと言うことは、その阻止と言うことか?」

 「はい」

 「何故其方は妾の意思を阻む?」


 自身の意思を遮られたことに僅かの怒りを滲ませるその声。この暴君の怒りに触れれば、死は免れない。ここはそれだけ理不尽な場所だ。

 謁見のことを同僚に話したところ、まず真っ先に止められた。そりゃやりたいことやれとは言ったがお前は正気かと詰め寄られた。部下に話せば恐らく同じ反応をされただろう。止めた後に同僚は、それじゃあ自分もついていくと言った。それでもラハイアは城を1人で訪れた。

 女王を裁くのなら確かに仲間は必要だ。それでも今日は女王を捕らえに来たのではない。今女王が失脚すれば、権力争いでこの国は荒れる。もっと多くの人が傷つくことになる。確かに女王は暴君だ。それでもだからこそセネトレアがある種の和を保っているのだとも言える。少なくともこの半年の間、王都は平和ではあった。商人達も大人しく、大きな事件も起こらなかった。だからこそ今起きているあの連続殺人事件がこんなに目立つ。

 無論、平和だったというのは嘘だ。水面下では恐らく何かが推し進められていたのだろう。そしてそれが今、表に現れようとしてきている。この事件はセネトレアを更なる混乱の渦に呑み込ませようとしている様な気がしてならない。


(そんなこと、断じて認めてなるものか!)


 だからこそ、今はこの女を見過ごす。そうせざるを得ない。

 それでも決して見逃しはしない。いずれ必ず時がお前を裁く。あれだけの人を葬った人間だ。如何に王族とはいえ女王とはいえそんな立場を盾に罪と罰から逃れさせるわけにはいかない。何人たりとも罪を犯した以上、その償いに生きなければならない。女王が何だ。美女だから何だ。そんな理由で許される悪があると思うな。


 「ほぅ…………いい目をしておるな、聖十字」


 怒りに染まるラハイアの目に、女王は愉快そうに艶やかに笑む。怒りより愉悦が勝ったと言わんばかりに。

 聖十字。その言い方は、その呼び方は……いつかのあいつを思い出す。声も全く似ていない。それでもあの日のあの男は、こんな風に……こんな目で自分を見ていたのだろうか?

 そんな呼び方は、止めてくれ。怒りを向けるべき対象が、別の相手に重なってしまうから。


(…………Suit)


 俺はお前を知らない。お前を本当によく知らない。

 お前が何を思い何を考えているか。それは察することが出来る。そのくらい近くに感じられる。それでも俺はお前を知らない。何も知らない。

 お前はどういう人間なんだ?お前の本当の名前も俺は知らない。何故お前がそんな風な生き方を選んでしまったのかも知らない。あの日泣いていたお前を、どうすれば泣きやませることが出来たのか。それすらわからない。

 俺はどうすれば良かった?どうすればお前を救うことが出来たんだ?

 俺は悔いている。後悔している。俺は本当は、もっとお前を知りたかった。お前は間違っている。お前が正しいはずがない。それでもお前は悪ではない。だからもっと知りたかった。知って、お前を正すための道筋を探って、もっと良いやり方を見つけていきたかった。

 だから俺は足掻いている。死ぬまで足掻き続ける。本当の正義とは何か。例えお前を無くしても、お前との問答はまだ終わらない。勝ち逃げなんかさせない。俺は俺の答えを探し続ける。


 「………陛下、私が貴女の意思を阻むのは、私は彼が奴ではないと知っているからです」


 迫り来る幻想を振り払い、ラハイアは静かに言葉を紡ぐ。


 「今事件を起こしているのが別人だと宣うか?」

 「はい。私は、Suitを知っています」

 「何!?それは真か!?」


 その言葉に、女王が勢いよく食い付いた。少年騎士も初めて顔を上げ、ラハイアを凝視している。


 「……詳しく話すが良い聖十字。話によっては其方の話を飲んでやることも大いにあり得る」

 「私は2年前から半年前まで、ずっとあいつを追っていました」


 しんと静まりかえった謁見の間に、ラハイアの声だけが響く。その言葉を一文字一句聞き逃してなるかと、女王はのめり込むよう耳を傾けている。唯の男好きの色狂いの姫ならば、こんな風には聞かないだろう。この女王がSuitを求めるのは、唯それだけではないのかもしれない。


 「奴は奴隷、とりわけ混血の保護を重視し……その迫害、虐待に勤しむ商人貴族を殺していました。そのことから我々は、奴が混血ではないかという推測を立てました。もっとも奴は変装の名人で、その時々で人種や性別まで偽るので、その真偽の程は長らく不明でした」

 「確か風の噂では銀髪の混血だという話だったが……それは確かなのか?」

 「女王陛下、一つ約束していただきたい」


 早く話せと急かす女王に、一つ前置きを語るラハイア。それに苛立った様子の女王にも、恐れを成さずに言葉を発するその態度に、女王も仕方がないと黙り込む。


 「私はこれより包み隠さず貴女にSuitの情報を捧げます。教会にすら教えなかった情報です。それを私は貴女に託します。ですからどうか!奴への指名手配を取り止めてください!今回の事件の犯人があいつであるはずがありません!Suitはこんな殺しはやりません!俺はこれ以上あいつの名が汚されるのは耐えられないんですっ!!」

 「…………其方は面白い男よ。教会の犬でありながら、教会を謀るか!」


 この真面目そうな男がそんな危険を犯したのかと女王が笑う、愉快げに。扇子で口元を隠して赤い眼がにたにたと細められる。


 「しかし聖十字よ、其方は何故そんなにもその殺人鬼に入れ込むのだ?見るに、手柄が欲しいわけでもないだろう?」

 「…………奴は俺に言いました。世界は悪だ、自分は悪だ。だから殺されるまで止まらないのだと」


 万物は悪だと語るあの男が悪ではないと俺は思う。それを証明するためには、世界は悪ではないのだとあいつに教えてやらなければならない。仮に世界が善ならば、そこに生まれたあいつもまた、善であるはず。俺はそれをあいつに教えてやりたかった。あいつはやり方を間違えているだけだ。その本質は誰よりも善。だからこそ、正しいやり方でその本質を使って欲しい。それをあいつに伝えたかった。それを分かって欲しかった。

 それが今はもう叶わないのだとしても、あいつの残した隠された善を、他の者の悪意で塗り潰されるのは見るに堪えない。あいつは確かに犯罪者。それは認める。それでもあいつには誇りがあった。それを何の誇りもない奴に、汚されるのは許せない。

 あいつが何の信念もない罪人だったなら、俺だってこんなに思い入れることなどなかったはずだ。


 「それでも俺はあいつに約束したんです。殺さずにお前を止めると!お前を正し、真の世界の在り方を示してやると!」


 誇り高いあいつに挑むには、信念のあるあいつに打ち勝つには。俺も誇りと信念を持って挑まなければならない。だからここで退けはしない。一歩だって下がれはしない。それが、あいつに屈することだ。あいつの勝利を認めることだ。


(認めるものか)


 俺は知っている。あいつは何時だって、俺に負けたがっていたんだ。俺に負かされる日を待っていた。

 あいつは俺の言葉を信じたいと思ってくれていた。俺の綺麗事の言葉が真実になればいいと思ってくれていた。だからこそ俺を教え導いてくれていたんだ。俺はそれにちゃんと応えられていただろうか?いや、それが間に合わなかった。だから俺の手は届かなかった。あの日俺の言葉も手も、あいつには届かなかった。

 俺は俺に勝ちたくないと思っているあいつを勝たせてしまった。その責任を取らなければならない。俺はあいつを負かしてやらなければならなかったのだから。

 惨めでも食い下がってでも、俺は俺の負けを認めない。今からでも覆す。あいつをちゃんと負かせてやらなければ……


 「……………あんた、何でそんな事が言えるんだ?」


 少年騎士が初めてラハイアに向けて言葉を発した。燃える炎のような双眸は驚愕に見開かれ、あり得ない者を見るように此方を見据える。


 「人殺しだろ?犯罪者だろ!?あんたがそんなにそいつを追ったのは、そいつに怨みがあったから、そいつが憎かったからじゃないのか!?」

 「……確かにあいつは許せない。許してはならない罪を犯した」

 「ほら、やっぱり……」

 「しかしそれは別に俺の身内ではない」

 「……っ!?あんた、赤の他人のためにそこまで必死になっているのか!?そのためにこの凶悪女に頭下げに来たりして!?最悪あんたが殺されてたかもしれないのに!!」


 理解できないと騒ぎ立てる少年騎士とラハイアのやりとりに、女王は咽を鳴らして笑い転げる。


 「なるほどのぅ。ほんに其方はおかしな男よ。妾の噂くらいは聞いただろうに、得物の一つも携えず妾に挑むとは狂気の沙汰じゃ。くくく……善も正義も突き詰めれば、狂人なのやもしれぬのぅ。猫よ、今の其方では理解できぬだろう?其方はまだまだ普通の人間よ」

 「ぶ、武器もない!?あ……本当だ!!あんた丸腰じゃないか!!何考えてるんだ!?」

 「俺は……いえ、私は戦いに来たわけではありません。貴女にお願いがあって参ったのです」


 ラハイアの言葉に、信じられないと言葉を無くした抜け殻のような少年騎士の頬をつついて遊びながら、女王はにたりと微笑んだ。


 「よかろう、其方の礼儀と勇気と男気に免じて奴への手配は下げようぞ」

 「あ、ありがとうございます!」

 「よいよい、妾も久々に面白いものを見た。うむ、実に愉快じゃ。早起きは三文の得とはこういう事かの」

 「嘘吐け、あんた九時まで寝てただろ」

 「む、減らず口は早くも復活しおったか。まぁ、猫のことなど今は良い。それでは聞かせてもらおうぞ?まずは其方の知る殺人鬼の風貌から語れ」


 「Suitは、銀髪に深い紫の瞳の混血です。変装時以外は仮面で顔を隠していますが、その素顔は十代半ば程度の子供のような幼い風貌。これは混血にはよく見られる事象であり、極度の精神的苦痛による心的外傷での成長停滞によるものではないかと考えられます。故に奴の正しい年齢を知ることは困難です」

 「ふむ……」

 「外見は小柄で顔立ちからも少女のようにも見える程。しかし口調から推察するに、便宜上我々は奴が男であると定義しました」

 「ほう……そう来たか」

 「奴の得物は短剣が二本。身体が小柄と言うこともあり戦闘はあまり得意という風ではありませんでしたが、戦闘レベルでは圧倒的に自身を凌駕する腕前の剣士相手に、最終的に1人で相打ちまで持ち込んだ辺り、切れ者ではあるようです。おそらくその際用いたのは毒でしょう。奴は基本的にこれまで標的を毒殺で殺して来ました。しかし毒を食らわせたのは本当に一瞬早業です。私はその瞬間を見ていたのに、どうやってあいつがあの男を殺したのか未だに解らない」

 「くくく、そうかそうか」

 「殺人鬼Suitは、半年前レフトバウアーで死亡したというのが定説です。私も奴が大怪我を負い請負組織gimmickの頭と共に海へと落ちる所を目撃しました。」

 「ふむ。しかしどちらも死体は上がっていないとか」

 「はい、それは確かです。故にまだ西裏町の人々の間ではSuitへの信仰があるようです」

 「信仰、か」

 「Suitは法で裁けない悪を裁く、報酬も求めない。金や身分のない社会的弱者にとっては救世主のような者なのだと思われているところもありました」

 「それを今回の件で、打ち壊された。それが其方の言う名を汚すに繋がると?くくく、流石は妾の弟よ!敵にも男にもここまで恋い焦がれられるとは」


 それまで何度か相づちを打っていた女王が、そこまで聞き終わると腹を抱えて哄笑し出す。

 否定したい箇所は他にもあったが、それより何より気になった単語が一つ。


 「お、……弟!?」

 「うむ。妾も直接会ったことは無かったのだがな。我が国の第二王子の話は知っておるか?」

 「確か……男子虐殺令のために処刑されたと」


 思い出せ、思い出せ。確か俺は何かを聞いたはず。いろいろショッキングなことがありすぎてあの辺りの言葉の記憶は朧気だ。Suitの語る言葉は今もはっきり覚えているけれど、あの男が対峙していた相手が語った言葉はこの半年で大分薄れている。


(でも、確か……)


 Suitのことをあの黒髪の男は、王子と呼んでは居なかったか?

 そしてSuitの方は姉様と口にした。

 “姉様の毒は見ただろう?私もこの身体に多くの毒を隠している。私を追い詰めた気でいるお前のなんと愚かなことか!追い詰めたのは私の方だ。私の毒がすぐにお前を絡み取る”……確かにあいつはそう言った。

 それならこの女王の言うことは、確かなのか?


 「…………猫よ、どうした?」


 愕然としているラハイアから少年騎士に視線を移した女王が、怪訝そうに彼に尋ねる。ラハイアも釣られるよう彼に視線を移す。すると少年騎士の顔は蒼白、はガクガクとその身体を震わせている。


 「どうした、“那由多”?」

 「那由多……!?」


 その単語で思い出した。あの黒髪の男は確か、Suitをそう呼んでいた。那由多、那由多王子と呼んでいた。


 「聖十字?其方も一体どうしたというのだ?」

 「…………Suitは、呼ばれていました。那由多王子と、黒髪の男……っ、gimmickの頭に確かにそう呼ばれていました」

 「なるほど。やはり半年前のあれは那由多であったか!!嗚呼……なんとも妾好みの美男に成長して!」


 女王はうっすらと涙ぐみながら、歓喜に頬を染めている。


 「出会え出会えっ!者ども今すぐ手配を行え!銀髪紫眼の混血を国中挙げて捜索するのじゃ!」

 「女王陛下っ!!それでは話が違いますっ!!」

 「ええい黙れ黙れ黙れっ!妾は確かにSuitは探すことは止めると申したが、那由多探しを止めるとは一言も言っておらぬわ!」

 「馬鹿姫……」

 「ええい邪魔をするでない!猫はそこらで昼寝でもしてくるが良い!妾の邪魔をするなっ!」


 女王の声に集められた兵士達の手によって、ラハイアと少年騎士はそこから追い出され……通路まで追いやられた。

 傍らの少年は酷く沈んだ表情だ。まだ詳しい事情の飲み込めていないラハイアにも、この少年が悲しんでいるのは解る。


 「…………君は教会を知っているか?」

 「教会?」

 「ああ。タロックにはないだろうから。あ……セネトレア出身だったら知っているか、失礼した」

 「いや、俺はタロック生まれだよ。……へぇ、あんた凄いな。さっきは気付かなかったけどあんたカーネフェル人なのにタロック語まで喋れるんだ?」


 空元気のように無理をして笑ってみせる彼に、自分の至らなさを思い知る。どうすれば思い悩む彼の心を、癒すことが出来るだろう?言葉が足りないのなら、もっと言葉を紡ぐしかないのか。彼を尋ねるその前に、自らを語れとはよく言ったもの。


 「俺は聖十字の人間だから、戦闘訓練の前にまず語学を叩き込ませられたんだ」


 シャトランジアで過ごした日々を思い出す。覚えることばかりで毎日が苦しかった。それでもとても充実していた。

 学ぶことで力が手に入る。もうあの頃の自分とは違うんだ。同じような事が起こっても、それを変えられる。今度はちゃんと守れるようになる。そのための過程だと思えば苦しく何て無かった。同僚達が最も配属を嫌うセネトレアに、自ら志願したのは過去の自分と決別するためだった。


 「罪人を止めるためには、そいつと話し合わなければならない。同じ言葉を話して、歩み寄らなければ誰も心は開いてくれない。俺に言葉を教えた人はそう言っていた。剣を向ける前に言葉を向けろと」

 「剣の前に……言葉を?」


 少年騎士は、その言葉に顔を上げてやはり不思議な者を見るようにこちらを見る。


 「ああ、俺の話はどうでも良かったな。俺は軍人で聖職者ではない。それでも教会は、人の悩みを共有する場所だ。勿論その悩みを外へは漏らさない。君が誰かに話して楽になることがあるのなら、俺はどんな事でも耳を傾ける」

 「それが、教会?」

 「ああ。それが本来の教会だ。この国ではそれも上手く機能しなくなってしまったが」


 本当なら、武器を使わずに人を救えるのならそれに越したことはない。そうなれば、どんなにいいか。今すぐにそれは不可能でも、少しずつ努力はしていきたい。そんな思いで彼に言葉を投げかける。


 「…………着いてきて」


 座り込んでいた少年はゆっくり立ち上がり、先を歩いて振り返る。その背に着いて行った先は鼻先乱れる庭園だ。


 「ここは……」

 「あんな場所で話って気分でもなかったからさ。悪いね」


 少年が苦笑する。


 「俺はティルト。あんたは?」

 「俺はラハイア。ラハイア=リッター」

 「苗字あるんだ……あんた貴族?」

 「いや。唯のカーネフェル人だ。シャトランジアでは平民にも苗字が付くんだ」

 「へぇ、余所の国にはいろいろあるんだな」


 そこまで言って、ティルトは黙り込む。何となく、何を考えているかは理解した。


 「俺の目が奇妙だと思うか?」

 「え、いや……まぁ。失礼だったらごめん」

 「いや、気にはしていない。これは俺の誇りだ」

 「誇り?」

 「ああ。俺の生まれた村には、不思議なシスターが居た。彼女は黒髪で、そして黒い瞳のシスターだった」


 シスターの意味が分からないという少年に、修道女……タロック風に言うなら尼だと教えてやれば、ああと彼は頷いた。


 「それってタロック人ってこと?」

 「ああ、そうだ。彼女はセネトレアの生まれだったそうだが、タロック人の女は珍しいだろう?だから彼女は追われていたんだ商人に。それで商人から逃げるためにはるばる海を渡ってカーネフェルまで逃げて来た」

 「…………商人って本当に最低だな」


 その話を他人事とは思えないという風に吐き捨てる少年に、彼が商人達に怨みを持っていることが窺い知れた。


 「それでもよそ者を嫌う地域も多い。カーネフェルはタロックに何度も侵略されてきたからな」

 「それってつまり……」

 「悲しいが、カーネフェルの人間も人間だった。その侵略で家族を失った者も多い。別にそれは彼女が何かをしたわけではない。それでも憎しみというものは時に無実の個人にまで及ぶ」


 彼女は逃げてきた土地で、家族を失った。格式高いシャトランジアではタロック人への差別があるという噂がセネトレアまで届いていた。だから人が温厚だというカーネフェルへと逃げたのに、そこで待っていたのも迫害だった。


 「そんな彼女逃げて、逃げて……俺の村の教会にまで来てそこに拾われた。そして十字法が彼女を守った。彼女がシスターになることで、彼女は常に法に守られた存在になる。もう誰も彼女を傷付けられない」


 十字法は教会の所有する土地と人に及ぶ。教会に属する者は歩く法となる。その法は人を保護し、自身を庇護する力。彼女がシスターになることで、迫害の手は遠ざかった。そして彼女はその地に腰を据えることになった。


 「幼い俺には、彼女がとても不思議な者に見えていた。村の子供達が悪さや悪戯をしても、それをきっちり叱りはしても、俺たち子供のことは嫌いにならない。次の日にはまた優しい笑顔で迎えてくれる。それがとても不思議だった」


 カーネフェルの男は少ない。村の子供の中で男は俺1人だった。あの頃の俺は、ちやほやされて甘やかされて育ったから今思えば恥ずかしい位我が儘な子供だった。

 だから俺を本気で叱ってくれたのは、あの人が初めてだったんだ。


 「それに気付いた時からだ。俺はあの人が大好きになった。……それから俺は俺が恥ずかしくなった。それまで彼女を何度も悪く言ったことがある。彼女の目の色、髪の色……それを馬鹿にしたこともある。そんな俺を俺はとても恥ずかしいと思う。もし過去に戻れるのなら、俺はあの日の自分を殴り飛ばしたい」

 「ははは、あはははは!」


 そこまで語った時だった。話を聞いていた少年が笑い出したのは。

 今の話の何処に笑い所があったのかわからず目を白黒させているラハイアに、ティルトは謝罪の言葉を口にした。


 「あ、いやごめん。何か意外だったんだ」

 「い、以外?」

 「うん。あんたって、何か凄い奴だなって思ってたから。意外だった。てっきり昔から凄い奴なんだって思い込んでたら、そうじゃなかったんだ」

 「それは当然だ。誰もが間違いを犯す。それがあるからこそ、同じ過ちを犯さぬように正しい道を選ぼうとするものだろう?」


 過去の自分は本当に恥知らずで恥ずかしいし殴ってやりたいけれど、それがあったから今の自分がある。勿論今だって殴り飛ばしてやりたいと思うことは幾らでもある。だからこそ明日の自分が今日の自分を殴り飛ばしたいと思えるように、日々精進して行かなければならない。今日の内から明日の自分を殴ってやりたいとは思わない。殴るのは何時でも過去であるべきだ。


 「まぁ……その日の俺は確かに恥知らずだった。彼女を何度も傷付けたのに、いつの間にか彼女を自分の姉さんのように思っていた。彼女は本当に、俺たちの村では姉さん(シスター)になっていた。みんな彼女が大好きだった」


 彼女を慕ったのは別に子供達だけではない。大人も老人も皆彼女には助けられていた。


 「彼女は本当に優しくて、そして数術の才能もあった。医者が遠くにしかいないその村にとって彼女は本当に必要な人だった」

 「数術って……医者の代わりになるの?」

 「ああ。傷の消毒に解毒、それから鎮痛作用に回復促進……いろんな数式がある。ただし才能がなければ扱えないが」

 「どうしてその人は、復讐に走らなかったんだろう……」


 彼女の話に、少年はそう呟いた。それは俺も疑問に思ったことはある。


 「彼女は痛みを知っているからじゃないだろうか?」

 「痛みを?」

 「ああ。だから人を傷付けることを躊躇う。だから違う道を模索することが出来たんだろう。いや……違うな。彼女は後悔していたんだ」

 「後悔?」

 「自分が居たから両親が死んでしまったのだと自分を責めていた。彼女がどんなにそれを悔いても二人は帰ってこない。だからその償いを……他の人間に向ける優しさで贖おうとしたのかもしれないな」


 何もないところから慈悲も慈愛も生まれない。後悔と自責の念。それは自分の胸の中にも今尚ひっそり息づいている。

 他人に向ける心は、誰かに渡せなかった思いだ。償いたい人がもういないなら、その償いは他の誰かに向けるしかない。何も知らない人間はそれを無償の愛だの偽善だの口にするかも知れないが、それは誤り。それは限りなく有償の内から生まれた思いだ。それを無償に昇華するため、必死に尽くして生きる。多分彼女は、そんな風に生きていたんだと今なら解る。

 そんな彼女の優しさの理由もわからないままに、それでも村人達は次第に彼女に心を開き始めた。目の色髪の色が違ってもそんな風に親しくすることは出来るんだって、村の誰もが認め始めていた。今まで何て下らないことに気を取られていたんだろうって。


 「だけど彼女は死んだよ。殺された。……商人はカーネフェルまでやって来た」


 黒髪のシスターの噂かそれとも俺の噂かわからない。それでもそこに金のなる木があると聞けば、奴らは地の果てにだってやって来る。


 「奴隷として値段の付くのは俺と彼女だけだった。だから……後はみんな殺された。カーネフェルの女達の命は、船賃にも満たないんだってあいつらは笑っていた」

 「ラハイア……」

 「俺は本当に馬鹿だった。じっとしていれば二人とも助かったんだ。少なくとも命は。だけど……俺は彼女を守りたくて、馬鹿なことをしたんだ」


 俺は金になる人間。稀少なカーネフェルの男だ。

 俺が暴れたって、奴らは俺を殺さない。だから俺は暴れたんだ。隙を作って、その隙に彼女を逃がそうとした。


 「よく考えれば、すぐにわかったはずだった。優しい彼女が俺を置いて逃げてくれるはずがなかったんだ」


 どうして逃げてくれないのか。必死になっている俺には解らなかった。だから力の限り暴れた。調子に乗っていた。相手は俺を殺せない。商品としての価値が下がってはいけないと、暴力も振るえない。

 それでも相手は人間だ。衝動というものを持っている。俺の行動にとうとう我慢の限界に来た商人が暴力に訴えた。

 相手は大人。俺はまだ小さな子供だった。殴り飛ばされ、身体はすぐに宙に浮いた。その落下の時に俺は商品価値を大幅に下げてしまった。


 「俺の片目はもう使い物にならなくなっていた。欠陥品じゃ、値も知れる。そうなればもう俺を煽てる意味もない」


 幸いまだ金のなる木は1人いる。これまで好き勝手やってくれた分だと商人達は俺を袋叩きにした。もう殺してしまって構わないと、容赦のない暴力に打ち据えられた。

 痛みで意識が朦朧として……やがて痛みも感じなくなった。それは俺が死ぬからなんだと思っていた。


 「だが、そうではなかった」


 目を開けたとき、俺は見知らぬ教会にいた。教会の者に助けられたのだと知った。

 それでも傍に彼女はいない。教会中探し回っても彼女はいない。

 泣きながら彼女を捜した。その顔を洗いに行って、ようやく俺は気付いた。両目がちゃんと見えているのは誰のお陰だったかを。


 「彼女は俺を庇って、あの村で死んでいたんだ」


 彼女は力尽きる前に、俺の目を治した。自分の傷を塞ぐことよりも、俺のことを優先して……俺を守ってくれたんだ。


 「それじゃあ……」

 「ああ、だからこれは彼女の目だ」


 俺の抱える最大の後悔であり俺の誇り。


 「彼女が俺に託してくれたこの目に、彼女が悲しむようなものは見せたくない。だから俺の言っていることはやはり俺のエゴでしかないのかもしれない」

 彼女は何時だって世界を人を、素晴らしいものだと信じていた。信じていたかは怪しいが、それを口に繰り返していた。だから彼女の信じたモノを、俺は否定は出来ない。それを肯定するために……俺はこれまで歩いてきた。だけどそれは俺の押しつけだと、あの男はそう言った。彼女の言葉を否定されるのは許せなかった。

 けれどそれは真実だった。それは彼女の言葉でしかなく、それは俺の言葉ではない。俺は何を思い何を感じて、どうしたいのかそれを考えろと……あの男はそう言ったのだ。


 「彼女に言われたからじゃない。この眼で見て、俺はどう思ったのか。それを考えろとあいつは俺に言っているようだった」


 だからあいつはいくつもの不条理を俺に見せてきた。あいつを追った先で、保護した奴隷達の境遇はどれも悲惨なものだった。あと一足遅ければ、その者達だって殺されていたかもしれない。嗚呼、もう一足早ければ……もっと犠牲を減らせたかもしれない。

 追えば追いかけるほどに、俺の後悔は増していく。それでも足を止めたなら、それは見捨てることに繋がる。

 後悔の渦の中で、俺はあいつを追いかけた。何を信じればいいのかわからなくなりながらも、唯々馬鹿みたいにあいつを追いかけた。


 「俺はいつも遅れてしまう。後悔ばかりが増えるんだ」


 やっと見つけた。俺は何をしたいのか。どうして俺はこの道を歩いているのか。その訳を知ることが出来た。その時にはもう……あいつは何処にもいなくなる。


 「それって……SUITって人達?」

 「いや、Suitだ」


 少年がじっと此方を見据えている。しかし何故複数形で尋ねられたのかが解らなかった。


 「でもそこのお頭って銀髪で紫の目の混血なんだったよな?その色って混血ではよくある色なの?」

 「いや、滅多にいない。確か片割れ殺しという混血で、かなり低い確率でしか生まれないと聞いた」

 「………………それなら、その人生きてるよ」


 ティルトはそう、強い口調で言い切った。


 「一ヶ月前だけど、俺をタロックで助けてセネトレアまで連れてきてくれた人達が、SUITって言うんだ。暗殺請負組織……SUITって」

 「あ、暗殺……請負組織!?」


 何だそれは。あいつはいつも単独犯で、せいぜい名乗るとしても殺し屋SUITくらいが関の山じゃないのか?


 「その集団のお頭が、あんたの言ってるSuitって人にそっくりだった。凄ぇ女顔で、俺も最初は女かと思った」

 「…………それが本当なら確かめてみる必要があるが、何故それを俺に?」


 恩人の話をその恩人が敵対している人間に話すというのはどうなのか?


 「だってあんたはあの人を殺しそうにはとても見えないよ。それにあんたは武器じゃなくて言葉を向けるんだって言っていた」


 だから話したんだとティルトが笑う。


 「ありがとう、ラハイア。あんたのお陰で少し、俺も吹っ切れた。頑張ってみるよ……俺も俺なりに」

 「いや、礼を言うのは此方の方だ。捜査協力、心より感謝する」

 「そうじゃないんだって。他の聖十字の人なら話さなかったよ。あんただから話したんだ」


 聖十字兵ではなくラハイアという人間相手に話したのだと彼は言う。だからその情報の先、Suitに合うことが出来たなら……聖十字兵としてではなくラハイアとして言葉を交わせとティルトは笑う。


 「取り返しの付かない事って嫌になるほど沢山あるけどさ、まだ何とかなることも……たぶん世の中にはいっぱいあるんだろうな。あんたにそれを教えられたような気がするよ」


 吹っ切れたように笑うティルト。ラハイアは初めて素の彼が笑った所を目にした。


 「俺はあの女王を殺すためにここに来たんだ。復讐だけが俺の生きる道なんだってずっとそう思っていた。だけど違うやり方とか、違う生き方ってのもあるのかもしれないな」

 「ティルト……」

 「俺は俺が何を思って、本当にやりたいことは何なのか。あんたを習って探してみることにする。俺だってこれ以上後悔はしたくない。……きっと誰だってそうなんだよな」


 そう言って彼は空に手を翳して、太陽の光に眼を細める。その横顔が何故だろう……少し寂しげに見えた。


 「じゃ、俺はアニエスの掃除手伝いに行ってくるからこれで」

 「ティルト……!」


 思わず呼び止めた。すると彼は振り返り、小さく笑った。


 「今度教会って所遊びに行ってもいい?また凹んだ時にあんたの話聞きたくなるかも」

 「ああ。何時でも……と言いたいところだが、忙しい仕事故出迎えられるかは怪しいな」

 「ははは、それじゃあうちの馬鹿姫引っぱ叩いてでもこの国落ち着かせて貰わないと」

 「それは俺がこの事件を解決するより難しい話だな」

 「ふん、あんな女俺がどうにかしてやるさ」


 互いに無茶を言っている自覚はあるのだろう。彼と共に苦笑し合う。


 「それじゃあ仕事頑張って」


 立ち去るティルトと共に鳴る、軽やかな鈴の音。首に付けていた鈴の音だろうか?確かにそれは猫を思わせる。


(さて、俺も戻るか)


 女王の作る手配書がどうなるかは不明だが、弟に殺人犯の肩書きを添えるようなことはしないだろう。外見特徴を記した、名無しの手配書にでもするのではないだろうか。

 少なくともこれ以上、Suitの名が悪用される自体は免れた。今はそれでよしとしよう。


 「しかし……」


 あの男が生きているだと?にわかには信じられないことだが、失っていた何かを取り戻したような気がする。仕事への情熱は無論この半年は持っていた。それでも信念の一角を失っていたのだ。

 しかし気負って女王に先を越される前にと急ぐ必要はない。あの男が生きているならこの事件を無視できるはずがない。この事件を追っていけばいずれあの男にぶち当たる。


(剣よりも先に、言葉を……)


 それを伝える。この国で見て、この国で生き……そして感じた、掴み取った心の言葉。それを手にしてようやくあの男と対等に語り合えるようになる。屈することなく呑み込まれることなく向かい合う。そして今度こそ、あいつを望み通り……負かしてやるのだ。

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