22:Canis timidus vehementius latrat quam mordet.
階段を下る。開けてはならない扉を開ける。俺はそこで一匹の悪魔に出会う。
けれどそれは間違い。それは一人の人間だった。
だけどそれも間違い。それは死神だった。アルタニアの城に命の収穫に来た男。
俺はその記憶をぼーっと眺めている。これが夢だと解っているんだ。それでも夢でもないと知っているんだ。
その日の俺を支えていたのは、これが仕事で命令を受けているという思い。それがなければ俺はすぐにここから逃げ出していた。
「…………お前が、今日の勝者だな」
俺はその時初めてそれと真正面から向き合った。部屋は暗かったからわからなかったし怖くて見られなかったのだ。そこら中にバラバラの死体が転がっている様を見たくなかった。それでも次第に自然とこの暗闇に目は慣れてくる。暗い影が形と輪郭を持ち、その姿を徐々に現していく。
男は長い金髪の髪。返り血で全身真っ赤。特に両手の指先が酷い。その二つの手でいろいろな物を取りだしたのだろう。俺の足下。ブーツを濡らすのは牢の向こうからあふれ出る大量の血液。その臭いが今でも鼻の奥まで香るよう……
男はぐるりと振り返る。俺がそこにいることに、やって来たことに気がついたのだ。
そして俺たちは目が合うはずだった。けれど男には両目がなかった。窪んだ眼窩がそこにあるだけ。そこに骸骨が立っているのかとさえ思った。そしてその骸骨は口元をつり上げ笑ったのだ。
それは俺がそいつに恐れていることを見透かして、脅える俺を馬鹿にするように。
連れて行かなければならない。これをアーヌルス様の所まで。それでもこれを本当に連れて行って良い物か?これはあまりに恐ろしい。それでもそれが命令だ。 あの日の俺はアルタニア公の番犬。飼い犬だった。命令には従わなければならない。彼がそう言うならば、例え世界が滅ぶのだとしてもそれに同意しなければならない。そういうものだ。
「……来い。公爵様がお前をお呼びだ」
そして俺は牢を開いた。その瞬間に自分も殺されるんじゃないか。そんな妄想を様々なパターンで脳内で20回は繰り返した。だってこの男は嫌がらせのようにゆったりとした足取りで歩いてくる。奴が歩く一歩。その一歩の度に俺が死刑台の階段を上っているような気分にさえなっていた。
「すみません、生憎目が不自由なもので」
にたりと笑うその口は半月だったり三日月だったり。けれどそれは俺を嘲笑うという意味合いにおいて大差なかった。
こんな不気味な奴の前なんか歩きたくない。後ろから首を絞められたり腕や足、首をもがれたりするんだろうか?いっそのこと殺してくれ。俺の恐怖は死んでくれない。
それでも連れて行くのが命令だ。前を歩かせるわけにはいかない。そうだ。こいつは目が不自由だ。だから生き残ったのかもしれない。他の奴らが相打ちになってそれで……
そんな気休めの想像で未知を補い、俺は仕事に専念。ああ、そんな風に思えば気も楽だ。ああ、きっとそう。そう思えば恐怖も薄れた。
「階段は急だから、気をつけて歩けよ」
歩けるか?そう尋ねれば、男は不思議そうな笑みを浮かべる。
「どうしてそんなことを?」
「下りるのと上るのじゃ全然違うだろ。寒さで氷も張ってる。足を統べられたら俺が困る。お前を連れてこいというのが俺に下った命令だ」
唯の人間。唯幸福で生き延びてしまっただけ。その身を襲った不幸がこの男を助けたのだ。あの日の俺はそう信じた。
だから牢から出るまでもフラフラと真っ直ぐ歩けなかった男に、何度か声を掛けられた。その声の方向へと男は歩いてきていた。そんな相手に階段を1人で上らせるのは酷な話。
彼への恐怖を失えば、芽生えてくるのは同情と哀れみ。
掴まれよと差し出した手に、男はかなり驚いていた。
「奴隷相手に変なことを言う人だなぁ……君は変わった人だね。いや、優しいとでも言えばいいのかな」
そう言いながら、男は笑ってそれを掴んだ。思いの外強い力だ。ベタベタする。血だ。血の匂いだ。おそらくあの部屋の中で死体に躓いて転んだのだろう。そのせいだ。
「俺は唯公爵様のご命令に従っているだけだ。お前には褒美が出るから何がいいか考えておくといい」
階段を上がれば、そこにコルニクスとーアーヌルス様。俺が遅いから様子を見に来てくれたのだろう。
「ニクス、それが今日の勝者か?」
「はい、アーヌルス様」
「そうか。カーネフェリーの男の奴隷とは珍しい……いや、確かにそれでは使い物になるまい。奴隷船に乗せられるのも仕方ないな」
そう言い残し、アーヌルス様は階段を下る。今日のゲームの結果を目で見て楽しむために。コルニクスはいささか俺の様子が違っていることに気付いて声を掛けてきた。
「しかし遅かったな。階段で足でも滑らせて気絶でもしてたのか?隠すな隠すな」
「そんなわけあるか!!大体、そんなのおっさんには関係ないだろ!報告の義務はない!!」
「師匠相手に冷たいねぇ……そんな態度じゃモテねぇぞニクスー」
「脳味噌死傷の間違い?」
「うわー冷てぇ、流石ニクス。流石雪」
「仲がよろしいんですね。お二人はご家族か何かなんですか?」
くすくすと笑いながら会話に加わってくる金髪男。その笑みは先程までの恐怖を呼び起こす物ではない。あれは薄暗い地下室が俺にそういう錯覚を引き起こしたのだろう。男の物腰は穏やかで、底まで悪い印象はなく思う。
「誰がこんな変態親父と家族なもんか!こいつは唯の師匠!赤の他人だ!!」
「冷てぇ、冷てぇよニクス!俺とお前の仲だろう!?」
「どんな仲だよっ!?ったく……このおっさんうぜぇ」
「あはははは」
俺と師匠のやり取りを、男はくすくす笑って見えないけど見ている。その声に俺は彼を振り返り、彼の薄汚れた身体にこれは問題だと気付く。
「ああ、そうだ。あんな形で公爵様に会わせてしまったけど失礼だったよな……。おーい誰かいないか?」
「はいはいはーい!」
廊下へ声を掛ければ走ってくる者がいた。エリザだ。
「こいつが今日の勝者なんだけど、風呂に入れてあと着替えと手当を頼めるか?アーヌルス様への謁見はその後に仕切り直しした方がいいな」
「時間外労働の対価をプリーズ」
「……だから張ってたんだなおまえ」
「勿論」
「今度給料入ったら何か奢るか買ってやるからそれで手を打ってくれ」
「了ー解!ふふ、やっぱあんたいい金づるだわニクス」
「本人を前にして言うかそれ?」
何度も呼ばれたニクスという名。それに男は僅かに興味を覚えた風で、俺に何やら聞いてきた。
「……君、ニクスって言うのかい?」
「そ、そうだけど……」
それがどうかしたのかと尋ねれば、男はふっと優しげに笑った。
「いい名前だね。雪ってことはいつも白い服でも着ているの?それとも若くして白髪だとか?」
「いや、違うけど……」
「あのですね、ニクスはタロック本国出身なんで確かに肌は比較的セネトレアの人間より白いですけどそういう理由じゃなくて、お子様なんである意味雪のように真っ白。汚れ知らずのと言うか何というか」
「エリザっ!!お前初対面の人相手に変なことを言うなよ!!」
「きゃ、怖い怖い。それじゃあ行きましょ?私が案内します」
エリザは俺をからかうだけからかって、そそくさと鼻歌を歌いながら男を連れて出て行った。その足音が遠離っていくのに俺の口から勝手に安堵の息が出る。
コルニクスも俺が送れた理由には気付いていたのだろう。何も言わなかったが、何度か軽く俺の頭に手を置いた。
「な、何するんだよ!!」
「いや~、しけた面してると女運が悪くなるからな。これはそのお祓いだ」
「聞いたこと無い。胡散臭い」
「お前な……少しは人の優しさという物をだな……」
俺とコルニクスが諍いを始めかけたその時に、足下地下室から響く声。
「す、……………素晴らしいっ!!」
それはそこから反響。階段を上り俺たちのいる部屋まで届いた。らしい、しい、しいとその鳴り響く声。何事か。目を見合わせて俺と師匠が下る階段。その先でアーヌルス様は眼をキラキラとさせながらお喜びの様子。
「…………これは」
地下室に灯りが灯り、その惨状の全貌が曝かれていた。それを見、俺は再び恐怖を取り戻す。俺は、なんて物と手を繋いでいたのだろう。いくつかは目に入ったが、まさかその全てだとは思わなかった。
手足や首がもげている者。心臓が指し抜かれている者。いろいろいるが、全ての死体に一つの共通点がある。
死体の全てはあの男と同じ。眼球がない。刳り抜かれたそれらは床の至る所に転がる赤と黒。物言わぬ屍は赤い涙をそこから流して息絶えている。
これは異常だ。どんな相打ちをしたらこうなるのかがわからない。
生き残ったあの男がこの部屋を作り上げた。それ以外の答えが見つからない。俺は、何と手を繋いでいたんだ?人の目玉を刳り抜いた。その手で奴は俺の手に触れていたのか?
背筋を這い上がるおぞましさ。震えが甦る。これ以上ここの空気を吸えばどうにかなってしまいそう。俺は急いで階段を駆け上がる。気持ち悪さの余り吐きそうになる俺は必死に息を止めて走った。その後をゆっくりコルニクスが付いてきた。
「やっぱあいつが生き残ったか……」
半泣きになっている俺の後ろでコルニクスが呟いた。
「あいつだけ、雰囲気がなんか空気っていうのか?あれが違かったんだよ。賭けは俺の1人勝ちだな」
賭けの話題を持ち出したのは、俺の気を紛らわすためだったのだろう。それでもその程度で今見たことを消すのは無理だ。
「…………ニクス、疲れたろ?あの方には俺が上手く言って置く。お前も着替えて今日は寝ろ。ガキにはもう遅い時間だ」
俺はコルニクスに言われるがまま、自分の部屋に逃げ込んだ。後は布団を被って震えていた。冬の寒さともう一つの寒さから必死に逃げようとして。
そうして何時間かして……いつの間にか眠ってしまって、朝日が昇っていることに気付いて飛び起きた。今日は仕事を命じられていないとはいえ、とんだ失態。
「アーヌルス様……」
身だしなみを整えて、主への挨拶へと走る。部屋には居ない。通りかかった応接間。そこで俺は満面の笑みで昨日の男と談笑している彼を見た。
「いや、昨日のあれも実に素晴らしかったが、お前の考案するこの処刑も素晴らしい!!何か学んでいたのかね?」
「眼病を患う以前は、医学を少々……しかしこの眼ではどうすることも出来ません。私の知識が公爵様のお役に立てたのならば喜ばしい限りです」
「公爵などと他人行儀で呼ぶでない。今日からお前は私の息子なのだから!カルノッフェル!いずれ後継者の名はお前に譲ろう!」
目の前で起きていることがわからない。唯、アーヌルス様はすこぶる機嫌が良い。それは俺も嬉しい。それでも俺が尋ねたことも気付かない位に男との会話を楽しんでいる。
これはどういうことだろう。俺は夢でも見ているんだろうか?
よくわからなかった。わからなかったけど、ここにはいたくなかった。俺がやって来たことも消えたこともアーヌルス様は気付かなかった。
俺は泣いていたんだと思う。泣きながら廊下を歩いていた。捨てられた子犬みたいに、何処へ行けばいいのかもわからないまま歩いていた。
わけがわからない。あんな不気味な男に、主を取られた。俺の父親代わりだった人が、俺を子供のように可愛がってくれた人が、突然俺を捨てたのだ。どうでもよくなった。
俺が気に入られていたのは、俺の想像力。恐怖への力。それを上回る残酷な処刑方法を編み出したあの男が気に入られるのは確かに道理だ。
壁にぶつかった。壁にしては妙に暗い色。城の壁は皆白い色だったのにどうして?
顔を上げれば一番会いたくない相手。漆黒を纏う処刑人頭。俺の師匠のコルニクス。
「風邪でも引いたか?鼻水啜って」
答えられなかった。師匠は俺の全てを察して言い訳を与えてくれたんだ。俺は唯泣いた。泣くことしかできなかった。どうしようもなく悲しくて、悔しくて。
泣き出した俺は、コルニクスに肩を抱かれて自室に戻され……そこで今朝までの経緯を聞かせられた。
カルノッフェルというあの奴隷。その奴隷の殺しの知識と技に魅せられたアーヌルス様は、彼をいたく気に入り使用人へと召し上げた。それどころでは済まず、話せば話すほど彼に傾倒。ついには養子にしてしまったのだという。それがたかだか半日未満の内の話なのだというのだから、もう……泣くしかないだろう。
今まで一年以上仕えた時間も、彼にとっては意味のないことだった。信頼されていたと思ったが、それは大したことはなかったのだ。
身分のない俺に苗字をくれたのは、唯の戯れだったのだ。お前のような下賤に後継者の名はやれん。代わりにこの地の名をやろう。生涯この地に縛り付けられ、私に酷使され続けよ。つまりはそういうことだったのだ。俺はあくまで飼い犬で、彼の子供ではなかったのだ。幾ら俺が彼を父のように思っていても。
彼は俺がもっと残虐な殺し方を生み出さなければもう俺を見てくれない。それでも、そんなのもう無理だ。昨日の今日で、そんなこと考えられるか?床一杯に転がった目玉が俺を見て居るんだ。見て居るんだ。
でも俺は彼の武器だから。命令に従うことが存在意義だから。今の仕事は続けなければ。人の死に携わる仕事を続けなければ。もう、あんなものは見たくなくても、俺が死ぬまで続けなければ。続けなければ。
捧げただけの気持ちが、報われないと知って尚、その人を思い続けることが出来るだろうか?少なくとも俺は出来ない。こんなに簡単に掌を返されたのだ。もう何も信じられない。
俺はまた親に捨てられたのだ。
誰かを大切に思うことって見返りを求める卑しい気持ちだ。唯好きなだけではいられない。そこに父や母の面影を見出したなら……
従順に、真心込めて尽くしても、それでも愛して貰えないのだと知って、今まで通り何もなかったかのように、俺はここで生活できるのだろうか?それでもそうしなければ俺が暮らすのはあの世と呼ばれる場所になる。
死にたくない。殺したくない。それでももう、生きてはいけない。俺にはもう何もないのだ。いっそのこと殺してくれ。死んでしまいたい。
泣きじゃくる俺の心を聞いたわけでもないだろう。それを読めるはずもない、唯の人間。俺の師匠がぼそっと呟く。
「なぁ、ニクス。俺じゃお前の親父代わりにゃなれねぇか?」
「……?」
鼻を啜りながら俺は顔を上げる。コルニクスは人の寝台に勝手に腰掛け渋い表情で、窓の外の雪を見つめていた。その横顔は僅かに哀愁を漂わせている。
「そりゃあ俺は汚い人間だ。数え切れない程人間殺して来たろくでなしだ。そんなろくでもない俺は、あの方の命令に従っていればそれでいいんだと信じていたよ。昨日までのお前みたいに」
コルニクスは目を伏せ、自嘲気味に低く笑った。過去の自分の失態を嘲笑うかのように。
そしてそんな風に生きていたフォースのことを哀れむように。
「それでもある時俺はそれが間違いだったと教えられた。時には命令よりも大事なもんがあるんだって俺は気付けなかった。同じ痛みを背負ってこその家臣だと思っていたよ……その頃は」
「………………」
「なぁ、ニクス……?」
「…………何、……だよ」
鼻を啜りながら俺は応える。それを見てコルニクスは窓から視線を俺へと移した。
「あの方は何年も前に一人息子を亡くしているんだ。時を同じくしてその数日後に俺の倅も死んだ……いや、違うな。俺が殺した。……ニクスってのはそいつの名前」
「俺がお前を殺せなかったのは…………お前の年や背格好。それが俺があいつを殺した時と重なって見えたからだ」
お前を拾ったのはその償いの気持ちからだと告げられた。
「お前がもうここに居たくないって言うなら、それもいい。今度の仕事の時にどこかへ逃げてもいい。今のお前じゃ前みたいに仕えられないだろう?なぁに、俺は有能だからな。また新しい職は見つかるさ。お前だって筋は良い。やろうと思えば何だって出来る。こんな仕事以外でも」
「どう……して……」
「お前が俺をどう思ってるかは知らんが、俺はお前を勝手に倅だって思ってる。その生まれ変わりみたいなもんだってな。計算が合わないってのは気にするな。耄碌爺の戯れ言だ」
コルニクスが立ち上がり、俺の頭をまた叩く。昨日のように。
「俺は二度も息子が死ぬのは見たくねぇ。それもいきなりやってきたご養子様が考えたような惨いやり方で殺させるのは忍びねぇ。次の任務は三日後だな…………それまで考えておいてくれ」
「お前は風邪で三日寝込む。仕事はやらなくていい。そう話しておく」と言い残し、コルニクスは部屋から出て行った。
コルニクスの言葉は驚いた。唯、驚いていた。しばらくそのままぼーっと驚いていた。そしてそれが収まった後、俺はまた泣いた。悲しかったことを思いだしたし、今さっきの嬉しいことを思いだした。
そして俺はその日の夜、部屋を抜け出した。コルニクスを探しに行こうと思った。言いたいことがあった。それを伝えようと思った。
だけど廊下は昨日の悪夢を思い出させるようにこびりついた血の臭い。赤い絨毯がいつもより赤く見えるのは気のせいだろうか。階段まで来て下の階を見れば、沢山のメイド達が倒れている。その光景にぞっとした。
俺は反射的に階段を駆け上る。何かあった。アーヌルス様にも何かが迫っているかもしれない。たかが一年半。それでも植え付けられた条件反射には逆らえない。俺にはまだ彼を心配する心があるのだ。
「アーヌルス様っ!?アーヌルス様っ!!ご無事ですか!?」
ノックも無しに扉を開く。無礼だけれどそんな余裕はなかったのだ。
そしてその先、俺が見たのは…………アーヌルス様の首と胴体。もがれた首を手にした男が指を突き立てるその瞬間。ぐちゅと醜い音がした。それを聞いた耳が腐り落ちそうな、血水の音。
聞いているだけで自分がそうされているような錯覚。目をぐりぐり抉られている。突き立てられている。引き抜かれている。ああ、視神経がぶち切れた。
俺の目から出ているもの。拭う。透明。赤くない。それでも目が痛い。目を開けているのが辛い。目の前が真っ暗だ。
(真っ暗……?)
どうして?俺には目があるのに。
そう思った瞬間だ。またあの醜い音がした。そして俺の視界の暗さが消える。何かが呻くような音が合図となって。
「こ、コルニクスっ!!」
視界の黒は、師匠の黒衣。俺を庇うように立った男の背中の色。
倒れ込んだ男を抱き起こそうとする前に、金髪の男がその首を掴んで片手で軽々持ち上げた。
「……っ!!」
目を背ける暇もなく、俺はそれを見た。コルニクスの表情の一部始終。片手で締められた首に苦しげになり、ゴキッと骨を砕かれ悲鳴を上げることも出来ない苦痛のなかに絶命。男の手をすり抜けるように、シャンパンを開ける時のよう……コルクが首が飛んでいく。首と胴体の間から吹き出した赤色、血のワイン。それを惜しげもなく浴びながら、カルノッフェルが笑っている。
昨日と同じ、嘲笑うだけの顔の中に浮かぶ月。それがケタケタケタケタ嗤っている。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぁあああああああああああああああああああああああああ」
それが許せなくて俺は反射的に飛び出した。アーヌルス様から貰った愛剣冬椿を手に男の首を落とそうと斬りかかる。
この早さなら行ける。そう思った。だって男はまだコルニクスの胴体を持っている。完全に不意打ち。奴の武器が両腕でも、剣を止めるには触れなければならない。それでも腕くらいは斬り落とせる。いや、それも間に合わない。奴は防げない。
一の字をなぞれ!コルニクスの足りない部分をなぞれば飛ぶのはあいつの首だ。
そのはずだった。
「……がっ」
不意に首に感じる痛み。もう片方の手が男から伸びて来て……それに掴まれたと思った瞬間壁際まで押しつけられた。背と頭を強く打つ。頭がくらくらして、視界が揺れる。
男は無力な俺を嘲笑う。最後の言葉を尋ねるように、その手の力を僅かに緩め……俺は叫んだ。
「殺してやるっ!!必ずぶっ殺してやるっカルノッフェルっ!!」
*
「はぁっ………はぁ………夢、か……」
咽が痛い目の置くが熱い。見慣れぬ天井。
頬に触れてみる。濡れている。フォースはそれを袖で拭って……袖が赤くならないことに安堵した。
最初は夢だと解っていたのに、段々それに取り憑かれていった。早く覚めろと言い聞かせることも忘れて、見たくもない光景を眺め続けた。
「あれ……?」
袖を動かそうとした時に感じた違和感。腕が重い。片方が上がらない。だから上がる方で目を拭いた。
「何だ、金縛りか……?いや、声は出るな……」
重さを感じる腕の方を見るべく寝返り。そちらを向けば一人の少女の姿があった。勝手に人の腕を枕にしている図々しさ。なんだろうこれは。
「え、ええええエリザ!?な、ななななななんんでお前が俺のベッドで寝てるんだよ!!」
「えー、仕方ないじゃない。ここ人数分ベッドがあるわけないんだし、彼女たちで一つ。あと一つしかないってなったらこうなるでしょうよ」
(四人……?ああ、そっか)
洛叉はディジットと荷物を置いて数言会話をした後凄い早さで走り去っていった。確かに四人だ。
隣の寝台を見れば……アルムの姿。しかしまだディジットはいない。
「……まだ明日の仕込みやってるのか」
「でもあんたからの言葉でヒント貰ったって言ってたわよ。でも食い過ぎで倒れちゃうなんてニクスってばなさけないわー」
「あれ?あ……そうなの?」
言われてみれば夕飯後、試食試食試食試食。記憶はそのどこかで途切れている。
「それじゃあエリザが運んでくれたのか?ごめん……」
「女の子に担がれるとか……ぷっ」
笑われた。
「わ、笑うなよ」
「冗談だってば、結構重かったわよー。私は鍛えてるからあれだっただけだし」
むくれればエリザベスはくすくす笑う。
その様子がいつもと変わって見えるのは何でだろう。フォースはじっと彼女を見つめる。
「…………何?」
「髪下ろしてるところ、初めて見た気がする」
「何?惚れ直した?」
「な……なんで、そうなるんだよ」
「ねぇニクス、感動の再会もしたことだし……ここらで一発どう?お姉さんが可愛がってあげるから、ほれほれ、脱いだ脱いだ」
「止めろよ、こら!脱がすなっ!」
迫り来る手から逃げるため、ベッドから転げ落ちる。
「っち、これだからチェリーは。男がガードが堅くても誰も喜ばないわよ!私がサービスで脱がしてあげるっていってるのに断るなんて男が廃るわよ!」
「だから何でそんな話に……大体アルムもいるっていうのに」
「えー、見られてた方が燃えない?」
「比較しようがないから聞くなよ俺に!」
「いやでも起こさないように声を押し殺すニクスが見てみたかった。それを私のテクで陥落させて良い声で鳴かせようかと」
「あ、あのなぁ……俺で遊ぶなよ」
「だってあんた、早い者勝ちみたいなもんじゃない」
「は?」
「私の推測によるとニクスは最初にやった子に責任感じて結婚まで行くタイプだと見た!」
「俺なんかと結婚して楽しいか?」
犯罪者だし。稼ぎだって怪しいし。また冗談でからかわれているのだろう。そう思うと口から勝手に溜息が出る。
「楽しいわよきっと」
からかうのが楽しい、とはエリザベスは答えなかった。急に真面目な顔になって、彼女は小さく秘密を打ち明ける。
「あのさ……あんたの寝言、聞いちゃった」
「え……」
あの夢は、昨日見せられた夢。それを引き摺ってまた見てしまった夢。その何処の部分の言葉が口から漏れてしまったのだろう。
恥ずかしさよりまず先に恐れが出た。彼女に軽蔑されるような気がしたのだ。彼女は別に軽蔑はしていないが、唯、それを否定するような目でフォースを見ている。
「あんたは彼をこんなにも憎んでいる……可哀想」
「俺が、可哀想……?」
「そうよ。復讐ってのは不幸になるためのスパイス。復讐までの道程も、それを終えた後の空虚さも……人間を不幸にするだけなのよ」
その口ぶりは、まるで自分が復讐という言葉をよく知っているようだ。それを指摘するまでもなく、彼女は静かに頷いた。私にも殺してやりたい奴が居たんだと。その空虚な微笑みに、それが誰か……気付いてしまった。だから彼女はあそこにいたのだ。
「かく言う私も復讐を終えてから、何をやればいいのか解らない日が続いたわ。それさえ終われば何もかもが変わって、自分は幸せになれるんだって頭のどこかで思い込んでいた。でもそれは間違いだった」
幸せになんかなれない。それでも今まで苦しめられた分幸せになりたい。なりたいと駄々をこねる心が暴れ出す。そうならなくては割に合わない。今までの人生。無駄に過ごした時間。奪われた可能性。その全てが今更と自身を嘲笑う。
復讐なんかにかまけている暇があったなら、自分が救われる、本当に幸せになれる方法を模索すべきだったのだ。そう時の流れが嘲笑う。取り戻せない過去の領域から。そんな笑い声が響くのだという。
復讐自体には悔いていない。相手の死を悼みはしない。それでも後悔はしている。そこに捧げた自分の人生。
目の色も髪の色も性別も。何もかもが違うのに、向かい合う彼女が自分の鏡のように見えてる。彼女は俺だ。俺の未来を映した鏡……
「確かにニクスが両親の影を引き摺る気持ちは解る。だからニクスがアルタニアへの未練を抱える気持ちも理解は出来る。だけどニクスは間違ってない?」
過去への自分を説得するよう……彼女は俺を戒める。今ならまだ間に合うと。
「俺が、間違っている?」
「そうよ」
エリザベスが頷き、肯定。
「父親みたいな人、母親みたいな人。そういう存在を追ってばかりじゃあんたはいつまで経っても子供。子供ってのはいつも無力よ。何も守れはしないのよ。誰かが居なきゃ、生きていけない弱い人間」
その言葉は適確にフォースを言い表していた。お前が無力なのはお前が子供だからなのだと彼女は言っている。
「…………わからない、俺には」
それなら大人って何だ?強い奴はみんな大人なのか?年だけとればみんな大人なのか?それともやることやったら大人にされるのか?
曖昧な線引き。抽象的な言葉。どうすれば強くなれるのか?大人になれば強くなる?それでもどうすればそうなれるのかが解らない。言葉が置き換えられただけで答えはそこから抜けている。
「ニクスには守りたい人がいる?」
「……ああ」
「そう。それならそれが大人への第一歩じゃない?」
「どういうことだよ……?」
「あんたはあんたが理想とする親を捜すのを止めなさい。そうしてるのがガキって証拠。あんたは唯その理想の親になるよう努力すればいいの。そしてあんたが親になればいい。それが大人になるってことじゃない?」
欲しい欲しいと求める子供。それを止めて与えられるような人間になれ。そうすればきっと今より強くなれるはず。エリザベスはそう教えてくれる。
「ってことでまず手始めに私に与えてみない?最初の女ってのを」
「……一瞬でも見直して損した」
尊敬から急降下で軽蔑の眼差しまで落ちたの視線を彼女に注げば、これだから童貞はと肩をすくめられた。どうして今の下りで俺が責められなければならないのか。世の中は理不尽だ。あれ普通にセクハラなのに。
ふて腐れるフォースにエリザはなにも関係ない話じゃないんだってばとぶーぶー不満を言い出した。
「家族を増やす方法ってあんたがやってるようなことだけじゃないと思わない?身代わりの人間探さなくても、あんたが誰かの親になる。そうすることであんたは居場所を、家族を手に入れる。それってとっても幸せな事じゃない?」
「…………俺にはまだ、よくわからないよ」
「どうして?」
「エリザはさ、毎日生きててその毎日を……生まれてきて良かったと思えるか?」
不意に口を吐いて出た言葉。それに彼女が口を閉ざした。簡単に答えられる問題ではない。誰にとっても。これを心の底から即答できる…………そんな人間、世界に何人いるだろう。
「俺はそう思えない日も多い。どうせ好きになってくれないんなら、最初から親父もお袋も俺なんか作らなきゃ良かったんだよ」
ああ、本当にそうだ。捨てるくらいなら最初から……その命を拾うような行為をしてはならない。そうだろう?
「遊びで女に手を出すなんて、最低だ……親父はそうやってお袋を傷付けた。壊してしまった……その責任も取らずに今もどこかでのうのうと生きていて…………同じ事を繰り返しているんだとしたら、俺は俺の中を流れるその血が憎くて堪らない」
恋は恋のまま愛には至れず、優しい娘は娘のまま……壊れた。母は娘であって母ではなかった。だから娘じゃ子供を愛せない。だから彼女は俺を捨てたんだ。
子供を愛していたんじゃない。恋人を繋ぎ止めるための道具として愛していたんだ。その役目が果たせないのなら、そんな道具はお払い箱。
「親になる資格がない人間がさ、やることやって子供が生まれても……辛い思いをするのは子供の方なんだ。だからそういう資格が出来るまで、本当はそういうことってしてはいけないことなんじゃないか?」
彼女を否定したいわけでも傷付けたいわけでもないけれど、この言葉が彼女にとっては酷い言葉だとは……言ってしまってから気がついた。
恐る恐る顔を上げる。エリザベスはじっとこちらを見ながらそれを聞いている。先を促すようにフォースの言葉を待っている。
ああ、彼女は確かに大人だ。受け入れようとしている。こんなに酷い、俺の言葉を。
「…………俺はもし親になるんなら、その時は全身全霊かけてその子を可愛がって大切にして守ってやりたい。でも俺は弱いから、弱い内からそんな覚悟は持てないよ。エリザの言うよう、子供が傍にいてくれて……そこから一緒に成長するって奴もいるのかもしれないけどさ」
悲しいけれど、俺はまだ子供だ。精神的にもまだまだ未熟な15年しか生きただけのガキ。
自分が弱いと知っている。自分の強さを誇れるような、そんな力を手に入れるまで……俺はそんな風には生きられないんだと思う。
「……そうね。それももっともだわ」
エリザベスが小さく微笑。それでも優しい目で俺を見ていた。
「それなら未熟者なお坊ちゃん、まずは可愛いお嫁さんじゃなくて可愛い恋人は如何?」
「…………え?」
「私はあんたがそんな男になれるまで待ってあげるし、仕方ないから手を出さないでお預け食らっていてあげる」
「だ、だから何でそういう話に……」
「この鈍感っ!遅漏野郎っ!!」
「……なっ……もがっ!」
言い返そうとしたら枕を顔面に投げつけられた。その衝撃で床に沈む。起き上がろう……そう思った時には彼女がすぐ傍にいた。
「わからない?私はあんたが好きだって言ってるの!!」
何かを答えるその前に、彼女に口を塞がれた。アルタニアで一回やられた。あれとも違う。伝わらない想いを流し込むように、彼女に口付けられている。それは突然のことだったから、目を閉じることも出来ずにその一部始終を見つめることになった。
鼻先を掠める香水とシャンプーの匂い。よく分からないけれど軽い目眩がする。カーネフェルの金髪は夜の闇でもキラキラ輝いて、とても綺麗で羨ましい。彼女の睫もそうだ。それはこんなに長かったのか。間近で見るといつもと違う発見に気付く。
されるがままにされてしばらく、彼女がやっと放してくれた。ぷはぁっと息を吸い込んで、どんなもんよと言わんばかりの不敵な笑みだ。
「あんたが私のこと好きななのは証拠上がってんのよ?ほら、照れてる」
「誰だって!そんなこと言われたらそうなるだろ!?」
「ほら、目逸らした」
「あ、あのなぁ……いちいち俺の動作取ってあげてはそういうことにするのは止めろよ」
「だって……ねぇ?人生経験豊富なお姉さんにはわかっちゃうもんなんだってば。あんたの行動、言動……その一つ一つがみんな私を好きだって言っているのに、あんたはそれがわからないの?わからないわよねぇ」
「………………い、いいいいいいいいいきなりそんな……こと、言われても……」
「………ふふ、少しは気が晴れた?」
挙動不審に陥ったフォースを見、満足そうにエリザベスがにたりと笑う。
「え……」
「あんたの夢見が悪そうだから、慰めてあげたの。感謝しなさい」
笑った後に今度彼女は小さく溜息。肩をすくめる。
「まぁ、あんたはバリバリ男社会で生きてきたわけで、そういう方面しっくり来ないのは私も承知済みよ。タロック人は義理を重んじるから仕方ないわ」
「義理じゃなくて、義だと思う……」
「兎に角っ!私が言いたいのは、要は割合ってことね」
「割合?」
そうよと彼女は大きく頷いた。
「人生全部恋愛事にぶっこんで、幸せになれはしない。必ず誰かを不幸にするわ、例えばそこに生まれる子供とか或いは第三者。だからニクスが他のことも大事にするのはとても良いことだと思う」
それしか考えてない奴は何のために生きてるのかしら。人生の八割方損していると彼女は嘲笑う。それでも少なくとも二割は否定しない。していない。
「だけどそういう方面を完全無視で存在さえしないと否定するってのもどうかと思う。だってそれは実際現実問題としてそこに存在するわけで、そこから得られるものも多少なりとはあるはずだから」
あんたの十割。全てになれないだろうとは思う。それでも二割くらいになりたいのだと彼女は言う。せめて二割は脳内で私のことを考えていて欲しい。
そんな風に少し寂しげにエリザベスが笑っている。
「あんたはまだまだ子供だけど、あんたが私に与えてくれたものがある。だから私もニクスにあげられるものがあるなら与えたい。そんな風に人間って言う生き物は、与え与えられて……変わっていけるんだって、私はニクスに教えられたような気がするの」
奪わなければ奪われる。だから奪う。奪い続ける。それが幸せ。そうやって生きてきた。えもそれは間違いだったのだと彼女は知った。それを彼女に教えたのがフォースなのだとそう言った。
「あんたの復讐は止めない。あんたが彼を追うことにも意味はあるんだわ。ニクスにも……カルノッフェルにもね」
エリザベスは復讐の否定はしない。その全てが無駄とは思わない。
復讐者の気持ちがどうなったかは別として、少なくとも残虐公が死んだことでアルタニアの民や奴隷達が虐殺されることはなくなった。カルノッフェルが死ねば名前狩りという事件もなくなるのかもしれない。それは無意味ではないはず。復讐を終えた彼女が言うなら、説得力もある。
フォースの目をじっと見つめるエリザベス。そこからは強い信頼が伝わってくる。
(何だろう……………変な、感じだ)
リフルの邪眼とも違う。彼女に触れたいとかそんな風には思わないけれど、邪眼以上に様子がおかしい。顔が熱い。ドキドキする。心臓が。フォースの様子に気付いた様子もなく、エリザベスは言葉を続ける。敢えて流しているのかもしれない。お預けを食らっていることへの意趣返しとして。
「ねぇ、ニクス……あんたは復讐を復讐で終わらせない。そこから常に何かを受け取れる人。そこから考え、変わっていける人。人を数字じゃなくて人として見られるあんただから……そんなあんたに触れることで、彼も変わっていくんだと思う。私が変われたように」
人はお金じゃない。人は数でもない。人は奴隷でもない。人は人だ。敵も人……。
人だと解っているからそれを死に結びつけるのは辛いこと。誰かと戦うのは苦しいこと。その気持ちを忘れてはならない。たった今、彼女からそう教えられたような気がする。
(エリザはそんな風に言ってくれるけど……俺はあいつを人として見ていられたか?)
憎しみに囚われて、化け物扱いしてはいなかったか?自分の闇を悔い改める。
(あいつが人間……あいつも、人間…………)
憎むべき男。彼を人間としてみる。そして彼を考える。何を思い何を悩みどんな苦しみの中を生きているかを。
勿論彼が請負組織SUITにとって、つまりは多くの人々にとって悪でありあってはならない存在ならば、SUITは彼を暗殺するだろう。それが自分たちの仕事だ。
それでも見極める。復讐は必要なのか、どうなのか。
(リフルさんが言っていたのは……そう言うことだったのかな)
仕事はしても良い。だけど憎しみに囚われるな。復讐のために人を殺せばそれが続いていくだけ。だから自分のために人を殺すな。殺すならば多くの人々のために。そしてその罪から逃げるな。それがSUITという暗殺組織。
「変わった……或いは変わることを拒んだ彼を前に、あんたがどんな選択をするのか。それを選ぶのはあんた。だからさ、悔いがないようにそれを選んで。あんたは私みたいにならないでよね」
「エリザ……」
ありがとう。それを告げようとした。照れたのか、それを拒むようにエリザベスは言葉を紡ぐ。どちらかと言えばその言葉の方がフォースからすれば恥ずかしい。
「乙女の唇の対価は高いわよ?返り討ちにあって死んだりしたら怒るから。屍姦されたくなかったら生きて帰ってくるように!」
「え、は?ええ!?そ、そんな……キスくらい!!エリザならよくやってるんだろ?!」
「下の口は開いても、上の口は開かない。これぞビッチの神髄。私に上の口開かせた責任取ってもらわないと」
「しー……!アルム寝てるんだから静かに………」
二人でアルムのベッドを振り返り……毛布を被り丸まっているアルムらしきものを見つけ、安堵の息を吐き合った。
「そろそろ寝るか」
「そうね」
床に座っていた身体を起こし、もう一度ベッドへと身を沈めた。時間も時間だ。そう思うと眠気もやって来る。
「ねぇ、ニクス」
うとうとしているフォースに背中の向こうから語りかける声。
「何……?」
聞き返せばエリザベスは脇の話題とは別のことを聞いてきた。
「あのさ、前一緒にいたあの女の子みたいな男の子。あれがSuitなんでしょ?」
「……ああ、あれがリフルさん」
「尊敬してるんだっけ?」
「それもあるけど……俺にとってはお袋とヒーローみたいな人だな」
「変なの、ふふふ。それって両立しないジャンルじゃない?」
「だっていっつももう駄目だって時に現れて……俺を助けてくれるんだ」
「なるほどねぇ……よくわかった。しかしアルタニアでは参ったわ。私がやられた邪眼に領主が食らった毒に、あの後城は大忙しで。でもそっか……」
何かを理解したと言うようなその言葉が気になり、フォースはエリザベスに聞いてみた。
「どうかした?」
「Suit……ううん、リフルさん……だっけ?あんたが今仕えているあのお姉ちゃんみたいなお兄ちゃんはさ、普通じゃない」
「そんな言い方しなくても……」
「あ、そうじゃなくてね……ううん、普通……普通の身体じゃない。毒人間でしょ?だからあのお兄ちゃんはさ、普通に普通の人間として幸せになれない人なんだなって」
「普通に……?」
「邪眼ってのはいろんな人から好きになってもらう力でしょ?でも毒があるから好かれても困るだけ。恋人も作れないし結婚も出来ない……つまりは本当の親になることも出来ない」
だからさっきエリザベスが言ったような方法は取れない。親の愛を知らないまま。恋人や子供という家族も持てない。寂しさをずっと抱えていなければならない。1人でずっと。
フォースはそれを言われてはっとする。
「だからあんたとか周りの奴らもなんとか普通に幸せになれないあの人を幸せにしてあげたくていろいろ無茶してる。そんな風に私には見えたな。可哀想な人よね……ちょっと、そう思っただけ」
私だったらそんな生活耐えられないわと彼女は零した。
普通とか当たり前とか。当然のように思っていること。
今はよく分からなくても生きていればいつかは誰かを好きになって夫婦になって親になったりするんだろうなとか。漠然と人間はそういうものだと思っていた。その常識が通用しない人生。
知ってる顔が1人……また1人と消えていき、誰かと家庭を作ったりして囲いが出来る。あの人はそれをおめでとうとか本当に自分のことのように喜んでくれるんだろうけど、段々遠離って消えてしまうんだろう。
それはどういう気持ちなんだろう?そんな人の幸せを見守るのって。周りに家族が増えていくのを、たった1人で優しく見守るだけ。誰の家族にもなれないで……それを外から眺めるだけなんて。
そんなこと、人間に耐えられるんだろうか?自分は絶対に幸せになんかなれないのに、人の幸せを祈り見守っていく。人間なのに神様のような役目を押しつけられているような理不尽。妬んではいけない。怨んでもいけない。憎んでもいけない。祝福し続けろだなんて、残酷だ。
「ちょっと、何急に泣いてるの!?」
鼻を啜ったらエリザベスにバレてしまった。
「俺、結婚とかなんて上手く想像できないけど……」
「けど?」
「もしいつか俺が誰かの親になるんなら、リフルさんに名付け親頼んでみたい」
俺は囲いなんか作らない。家の鍵だって付けない。何時でも遊びに来てくれていいように。あの人を拒んだりはしない。家を建てるならあの人の部屋を作ったって良い。姑みたいに家に入り浸ってもいいんだ。
あの人だって、人間なんだ。俺にはちゃんと人として見える。
「ねぇニクス、あの人混血でしょ?」
「そうだけど……」
「それなら子供は混血の方があんたの家に入り浸りやすいんじゃない?」
「そうかもな…………でも人口比率考えて、普通にタロークの女と結婚なんかどっかの貴族くらいしか無理じゃな……」
「だーからーっ、奥様はカーネフェル人とかどうって聞いてるの!ほんと鈍いったらないわ!」
「男と女の双子か……そうだな。それなら俺達も1人は付けられるしな。考えておくよ」
俺達の達について彼女は言及してきたが、もう駄目眠い。また今度。