18:De gustibus non est disputandum.
なんでこんなことになったんだろう。
その問いは、フォースのまだまだ短い15年という人生の中でこれまで何度も繰り返されてきた。
「でも本当に、なんでこんなことに」
「文句言わないの!」
監禁と言うよりは軟禁状態になったエリザベスに小突かれた。
今ではアルムもエリザベスも縄は解かれている。それを行った男……ディジットの父親は一体何を考えているのだろう。ディジットが彼に料理勝負を挑み、彼はそれを受け入れた。
そしてその解放だ。
「勝負はディナーのフルコース。審査員は公平に、そこの混血にベス、それからそこの少年……そして明日ここに来る俺の客人三人でどうだ?」
いくら審査員だからって今解放する意味はまるでない。フォースにはそれが理解できない。
窓の外はもう夕暮れ。今から仕度をしても今日の夕食には間に合わない。それで男は一日の猶予を此方に与えてきた。
「3対3ね……同点場合は?」
ディジットがルールの確認をする。そうだ。もしそれで負けなんて言われたら困る。聞けるものは予め聞いていて損はない。
「その場合は俺の負けで構わん」
これまた潔い男。敵ながら、混血狩りながら、変なところで渋い親父だ。しかしディジットもその血を引いているからか、これまた彼女も潔い女だった。それでもその言葉はフォースを驚かせるには十分すぎる。
「……いや、私の負けでいいわ」
「ディジット!?」
何自分が不利になるようなことを言っているんだとフォースは叫ぶ。軽食だけだが、あれ一つでもディジットを越えていると確信したこの男の腕前。それに並べるかも不安だが、此方が裏切らなければ問題はない。
しかし3と4は別。残りの1人がくせ者だ。相手サイドの人間のその舌を魅了しなければならない。相手の思惑を麻痺させるくらいの勢いで。それが彼女に出来るのか?
「私はあんたを負かしに来たの。同点じゃ負けも同然よ」
「……言ったな、馬鹿娘」
フォースの心配を余所に父娘は不敵に笑い合う。
「明日の夕食。それまでに食材集めと仕込みを行え。この店を好きに使え。貸してやる」
「あんたはどうすんの?」
「俺には他にも調理場くらいある。東じゃ顔もそれなりに広いからな」
男は背を向け外へと消えていく。戸締まりもしないでさっさと消えた男の姿に、フォースを含めた店内一同が唖然としている。
「……行ったな」
「……行ったわね」
「どうすんのこれ」
「どうするんだか」
ああ、1人だけいた。ディジットはそれを気にせず調理器具の確認に入っていた。しかしそうじゃないだろうと、フォースは彼女のもとへ行く。
「なぁディジット。これ普通にばっくれられそうだけど?」
「いや、私も監視も付けないとは思わなかったわ」
逃げないの?っていうか逃げようよ。そんなつもりで話しかけたのだが感想を聞かされただけ。ディジットはあくまで勝負に挑む覚悟のようだ。その姿にエリザベスは肩をすくめる。
「……あの爺、何だかんだで甘いから。我が子のよしみで一回くらい見逃そうとしたんじゃない?案外この子が貴女の連れだって気付いてそれでも人質としてたのは、貴女のこと一目でも見たかったとか?そんなわけないか」
アルムに視線を移して嘆息するエリザベス。彼女の言葉に僅かに驚いたようなディジットも……軽く頭を振ってそれを否定した。
「まさか、あの男に限ってそんなことは……」
今更そんな父親みたいな事するわけがないじゃないと。それでもディジットもここで本来の目的を思い出したのか、女二人に視線を向ける。
「アルムとエリザベスちゃんは逃げてくれてもいいわよ?フォースも二人を連れてくれても……」
「ディジット……審査員が居なきゃ負けちゃうよ」
「アルム……」
てててと駆け寄りディジットに抱き付くアルム。ディジットが残るなら自分も逃げないというアルムの決意に胸を打たれたらしいディジット。厨房が二人の世界だ。
「いや、そもそも負けたら危ないのはアルムじゃ……っていうかアルムが逃げればディジット負けても何も失うものないんだし、アルムは逃げろよ」
フォースがツッコミを入れてもまるで聞こえている様子がない。言葉の無力さに落とした肩を、エリザベスがぽんと叩く。
「ニクス、料理人には避けて通れない戦いがあるのよ。彼女にとってのそれが今なのよ」
「あの、意味わかんないんだけど」
かく言う彼女も料理人の端くれだ。何か通じるものがあるのかもしれない。いや、無いけど言っているだけなのかもしれない。
「とりあえず私に言えることは、ここで引いたら彼女は失うのよ。自分の信念って奴をね」
「信念……?」
「そんくらいなら、あんたにもあるでしょ?」
「…………まぁ、一応は」
「それならわかるはずよ。卑怯とか策略って言って逃げるのもそりゃあ自由よ。確かにそっちの方がある意味勝ちよ。でも負けよ。今後一生、彼女はここで逃げたことから逃げられなくなる」
それを割り切れる図太さがあるかないか。ディジットにはそれがない。エリザベスはそう言った。アルムもそれが解っている。それを感じているから残ろうと言っているのだろう。そう言われて、何も彼女も考え無しではないのだと第三者から教わった。子供に見えるけどそこまでアルムは子供ではないのだと。
(アルムは自分の命を賭けにして……ディジットを守ろうとしているのか?)
アルムはいつもエルムのことばかり考えている、思っていると思っていた。しかし彼女だってそれだけではなく、ディジットのことを思っているのだ。血の繋がりなど無くても絆としての繋がりは生まれるのだと、アルムは証明したいのかもしれない。
実の弟を恋する相手として愛するように、赤の他人を家族として愛することも出来る。
前者だけなら異常と呼ばれるかもしれない。それでも後者が成り立つならば、前者だって成立すること。それなら後者は異常か?そんなことはない。それなら前者もそうなのだろう。
彼女は自分の好きになった相手を本当に心配しているし、彼や彼女の力になりたい。そう思っている。それは間違いない。
(そんな風に言われたら……俺だって逃げられない)
自分にとっての家族。アルタニアは失われた今、それはこの請負組織の人間達だ。家族の力になりたいと思うのは当然。ディジットも、アルムも自分にとっては家族のようなものなのだ。
照れ隠しに諦めの息を吐くフォースをエリザベスが小さく笑い、そっと囁く。
「生きている内に親子が和解できる機会ってそんなに無いわ。このご時世だし何時誰が死ぬかなんてわからないでしょ?どっちがか死んだらそれも出来なくなるんだから……勝負したいって彼女の気持ちもわからなくないわ。その機会を失うってことは彼女にとって大きな損失だとは思わない?」
「…………そうだな」
生きている内に和解出来る親子。それがこの身内の中に何人いるだろうか?
アスカの両親はもう死んでいるし、トーラの両親もそう。リフルに至っては父親を討ちにいかなければならない。フォース自身は父が誰なのかも知らなければ、今母がどんな風に暮らしているのかもわからない。
自分は父と母と生きて和解できる日が来るのだろうか?そもそももう一度母に会えるという保証もない。
それならディジットのそのチャンスを、身内の人間として応援支援、協力、祝福してやる義務がある。それが仲間だ。
「ディジット、メニュー決まったら言ってくれ。必要そうな食材買ってくる」
フォースが厨房へ向かえば、アルムもはしゃいで飛び跳ねる。
「私もディジット手伝う!食材買ってくる!!」
「お前はどうなんだよアルム。人質が普通に出歩いていいのか、これって……?」
疑問を浮かべるフォースを見、ディジットはそうねと考え込んだ。
「アルム、貴女は私の手伝いをお願いするわ」
それはそれで大丈夫なのかと聞きたいが、ディジットの信頼に応えようとアルムも頑張っている。あまり水を差すのはよろしくないか。
「食材はそうね……私も選びに行きたいけれど、フォースに頼もうかしら。今回のメニューは貴方が鍵なんだもの」
手伝い参加を認められたことは嬉しいが、鍵とは流石に言いすぎだろう。
「どういうことなんだ?俺が鍵?」
「私は今回タロック料理で挑もうと思うの」
「よりによって、タロック料理!?」
ディジットはタロック料理も確かに作れるしそれなりに美味い。それでも最強装備で挑まないでどうするのだろう。タロック料理が彼女のそれとは思えない。なぜならディジットはカーネフェル人だ。
「あの男が連れてくる審査員はあの男の同士と考えるのが妥当。となれば純血のタロック人である可能性が高い。しかもシャトランジアやカーネフェル被れの料理をよく味も分からないのに美味い美味いと食っているような連中に違いない。だから私はセネトレアの人間が忘れた味ってのを思い出させてやるの」
「でも、それで……親父さんに届くのか?親父さんはカーネフェル人だろ?」
万が一勝負に勝てても、その料理をあの男に認められなければ意味がない。カーネフェル人のあの男がタロック料理への理解が深いとは思えない。それを美味いと思える舌があるのかどうか。
しかしディジットはそれを鼻で軽く笑って胸を張る。
「あのね、フォース。本当に美味い物には国境なんてないようなものなのよ。国や人種でそれを隔てて理解できないって言っちゃうのは自分の力不足を認めてしまうことなの!本当に美味いカーネフェル料理ならタロック人だって落とせるし、その逆もまた然り!味が分からないっていうのは中途半端な物を食べて、それがよくわからないまま空気によって美味しいと思い込んでいる奴らのことを言うのよ!」
どう?まだ異論がある?そんな風に聞かれても、もう言い返す言葉がない。力なくフォースが首を振るとディジットは優しく微笑んだ。勝算はあるわと。
「あの男は最後に珈琲を出すだろうから、珈琲で挑んでも勝ち目はない。でも、珈琲と決まってるということは逆から辿って相手の出しそうな料理の品目も自ずと決まってくるわけよ」
同じ料理で挑むのは、芸がない。長年アスカと幼なじみやってただけのことはあり、ディジットもまた邪道だった。さっきまで正々堂々みたいなことを言ってはいたが、戦略としては正攻法で打って出ない程度には卑怯らしさを持ち合わせている。
他の料理では恐らく渡り合える。けれど珈琲だけは勝てない。それを彼女も認めている。父親という存在に一目置いてはいるのだ、料理人として。
「私はね、店をやってていろんな奴らと会った。混血もいるしカーネフェル人もタロック人も……私が得た物ってのはそれなのよ」
人との出会いは宝物だと、そんな風にディジットは思っているのだろうか。いろんな人間の顔を思い出すよう、幸せそうに彼女は微笑む。
「だけどあの男は純血至上主義に走った。カーネフェル料理だけを振る舞う道を選んだ。それでカーネフェルの客とカーネフェルかぶれのタロック人は魅了したかもしれない。だけど私はそんなものを本当の料理とは認めたくない」
父の料理は父の固定概念の象徴。混血差別と純血至上主義の結晶なのだとディジットが吠える。除け者を作るような料理は料理ではない。
その食卓に花を添えるのが料理。仲の悪い人間達の会話を円滑に運んでくれる小さな魔法。
料理とはそういうものだ。
生きるために食べるのではない。食べるために生きるのではない。よりよく生きるために食べるのだ。人を幸福にするのが料理。誰かを不幸にするものが、料理であるはずがない。
ディジットの言葉は熱い。だからこそ、彼女がどれだけそこに情熱を持っているかが解り、胸を打たれる。
「混血にも、純血にも……平等に同じ料理を出す。誰が食べても美味しいって思って貰えるような物を作れるように、私はあいつがいなくなってから必死に頑張った!だからアスカや先生にタロック料理を教えて貰ったし、自分でも勉強したわ。……それを二人や、初めて討ちを訪れた貴方に美味しいって言って貰えたときは、本当に嬉しかったのよ」
「ディジット……」
村ではいつも腹ぺこで、奴隷商の所でも満足に食わせてもらえなくて。それも残飯みたいな飯だった。そこからリフルに救われて、アスカに招かれた影の遊技者。ディジットの店。
この世の楽園かと思った。泣くほど美味かった。泣きながら食った。
あの日救われたのは自分の方だと思った。けれどその食いっぷりに、ディジットも救われていたのだと知る。
固定概念の定まった土俵に他の所から来た人間が、受け入れて貰うことは難しい。ディジットが客を選ばず受け入れたとしても、客が彼女の料理を受け入れない場合もあるのだ。
カーネフェル人の彼女が作ったタロック料理。それを認めないタロック人だっているはず。
受け入れて貰えないのは実力不足。彼女は自分にそう言い聞かせ、タロック人も認める料理を作った。
誰も拒まない。誰が食べても幸せな気分になれる、そんな料理を目指して腕を振るってきたのだろう。
だからあの店は空気が優しい。ディジットはアルムやエルムを金目的としてちょっかいを出すような客には帰れと言って酒瓶投げて追い出すが、それ以外の客……例えば唯の飲んだくれなどに帰れとは言わない。酔いつぶれた客には宿の部屋を一晩無償で貸すし、一品頼んだだけでずっと居座るような客も追い出さないどころか、あり合わせの料理をサービスしたりする。客からの愚痴もちゃんと聞くし、甘やかさないし厳しくもあるが優しい言葉をかけてやる。
そんな彼女に魅せられた常連客も多い。よく口説かれてはアスカの逆鱗に触れたりしている客もいる。
彼女が作り出す店の空気。彼女も彼女の料理も誰も否定しないから、全てを受け入れるから、あの店に来た客は差別という言葉を忘れてしまう。
心に余裕があって幸せな気分の時に他人を見下すことが出来る人間なんて、まず居ない。普段なら気に障るようなことも笑って許せてしまう。だから客達はアルム達混血とも普通に接することが自然と出来るようになる。
そんな店の空気を思い出し、フォースもディジットの料理を信じようと思う。料理人としての腕はあの男の方が上でも、ディジットが大切にしてきたものは、あの男が今まで意固地になって守ってきたものより価値ある物だ。
だからこその、タロック料理。それは邪道の選択だったわけではなかった。カーネフェル人のディジットが作るタロック料理。料理人の彼女が母で、食材が父とするならば……完成する料理は混血の料理。つまり、それこそが彼女のこれまでの人生の集大成。
「俺、ディジットを信じる。ディジットの料理なら、絶対負けない!」
「ありがとう、フォース」
ディジットはにこりと微笑み、そして表情を一変。1秒だってこれ以上無駄な消費は出来るものかと燃えるような青い瞳でフォースに告げる。
「それじゃあフォースは今すぐ買い出しっ!お金はこれね!帰宅後は試食係!徹底的に駄目出しをしてもらいたいの。私は最高のタロック料理のフルコースを作ってみせる!」
「わ、わかった」
その迫力に負け、厨房から出たフォースの背中を呼び止める声。
「あ、そうだわフォース。先生と一緒に買い出しに行ってきてくれる?通りは食材通りのあの店のあの看板がある……あの辺、わかる?横13北通り辺りなんだけど」
「え、洛叉?」
「ええ。タロック料理の食材選びと荷物持ちにはなってくれるわよ」
「ディジット……変わったな」
以前の彼女なら、好意を寄せている洛叉に荷物持ちなんかさせなかっただろうに。
(いや、前よりは良いのかもしれないな……)
いくら好きな相手だからって何もかも鵜呑みにしてはいけない。思い通りでいてはいけない。しっかりとした自分が居なければ、誰にも好きになどなってもらえないのだ。……そう、いつかアルムが言っていた。急に仕事を頑張りだした彼女を不思議に思って聞いたときに、そんなことを言っていた。
(みんな頑張ってる……俺も頑張らなきゃ!)
そんな決意を胸に秘め、フォースは勝手口から外へと駆けた。
*
(あー……なるほどね。そう来たか。うん、わかったよディジットさん。そっちは僕が何とかするから心配しないで)
料理勝負を申し出ろとはトーラの策だ。それがもっともディジットらしさを表現できる戦い方だと思ったから。
リフルの邪眼とは違いディジットの料理の魅了なら、魅了後相手が危険因子になることはまずない。敵側を料理で魅了し後の一手への布石を置く。
東はいろんな思惑の人間が居る。彼女の料理が知られれば、内側から瓦解させるための、一つの要因くらいにはなるだろう。
そして本当に彼女の願い通りに、料理を通じて人の心が解けて混血差別への意識の変化が起こるなら……それはそれで素晴らしいこと。まぁ、このくそったれた世界に何処まで通用するのかは解らないけど。
今は混血狩りに対する多くの情報が欲しい。明日来るという三人はその情報源だ。人質の救出と情報確保。それが目的。もしその際危険になったらすぐに自分が駆けつけるとディジットには言ってある。その上での料理勝負の提案だ。まさか彼女の父親が人質まで自由の身にするとは思わなかったが。
小さく溜息を吐き、トーラは部屋の隅で本を読んでいる黒髪の男へと声を掛ける。
「洛叉さん」
「何か?」
「買い出し当番だって。フォース君と行ってきて。外のこの通りで待ち合わせってことになってるから」
「何故俺がそのような面倒なことを」
「えーいいじゃない。ほらピチピチの若い男の子と一緒にデート気分だよ」
「生憎俺の許容範囲は14までなのでな。もう彼には毛ほどの興味もない」
(うわ、この人本当に真性の変態だなぁ)
《トーラ?》
(あ、いやこっちの話ー、今洛叉さん追い出すから、また後でね)
ディジットと通信中だったのを忘れていた。通信を切断した後トーラはどう説得したものかと数秒悩む。
外見は14以下のトーラが相手でも、実年齢が19というトーラにはそこまで食指が動かないらしく愛想はない。自分が猫を被って可愛らしくお強請りしてもおそらく効果はないだろう。となれば……
「リーちゃんの寝顔に着替えに女装の生写真三点セット……今なら仕事中に拘束されたときの危ない構図の縛りエロい写真も付いてくる。勿論女装」
「もう一声っ!!」
くるりと凄い早さで此方を振り向く闇医者。
物は試しで言ってみたら食い付いた。何でそこで食い付くの?しかもまだ寄越せと?
「仕方ない解った。これは僕秘蔵の一品だよ。これは映像として保存してあってね。リーちゃんと仕事だった時に彼との同室で偶然捉えた夜間ソロリサイタル中で前後からあれやってすんごいエロい表情ではぁはぁあんあん言ってる……」
「仕方ない。私ほどタロック料理に適任な人材もあるまい」
闇医者はトーラの言葉を完全に聞かないうちに長い足ですたすたと消えていった。その黒衣の影を見送りながら、トーラは自分の思い人に張り付くもう一人の危険因子の存在を強く感じていた。
(うわ、颯爽とマント翻して出て行ったよあの人……)
そもそも外見がストライクでも中身がそれ以上なら許せんというスタンスなら、リフルだって18だ。彼のストライクからは外れているはず。それでもこの反応ですよ。
彼に至っては邪眼恐るべしと言うより変態恐るべしの一言で事足りるから困る。魅了される以前から彼は十分変態だった。
魅了されてからはリフルへの依存と執着が増した程度だろう。あれは元々変態だ。
「リーちゃんもねぇ、どうしてああいうのにばっかり好かれるかなぁ。まだアスカ君が可愛く見えてくるよ……やれやれ」
恋に障害は付きものとはいえむやみやたらと障害は多い。それもやたら身内連中に。あまりのことにトーラは深く嘆息。しかしすぐにその口はにやとつり上がる。
「まぁ、最後の一品に至ってはリーちゃんとは言っていないんだけどね。甘いね洛叉さん。そんなのあっても僕があげるわけないじゃない」
正確にはその後に、“窓の外を歩きながら通り過ぎた中年のおっさん”と続く。いや、歩きながらやるって凄いね。しかも凄い早さ。手も足も。思わず保存しちゃったよ。そのまま曲がり角で聖十字の人にぶつかって転んだ拍子にチャック全開だったズボンが下がって丸出しで職質されてお縄になったという話の笑いのネタとして実に最高の秘蔵の一品だったわけなんだけども、……
「まぁ、ここセネトレアだし。騙される方が悪いんだよね」
トーラはしてやったりと、けけけと笑う。
「さて、僕も仕事仕事っと!」
仕事。その二文字に思い出す。仕事と言えばリフルとアスカの方はどうなっているのだろう。
「おかしいな。今日はずっとリーちゃんとの回線繋がらないなぁ……キャッチも入ってないし、どうかしたのかな?」
此方に連絡できない理由でもあるのだろうか?それくらい緊迫した状況とか?どちらにしても心配だ。しかしここで大規模な探知数式を使ったなら敵側に気取られる心配もある。
「相手があの人なら、油断できないし……迂闊なことは出来ないな」
連絡のやり取りですら、何重にも対策数式を組み込んでいる。正直、いつも以上に疲労している。
「昨日の今日だもんなぁ……眠れなかったのは痛いよ」
しかしそうも言っていられない。やらなければならないことは山ほどあるのだ。
「でも僕一人じゃちょっとキツイな。ディジットさんからの頼まれ事もあるし、僕の組織の方に頼んでみるかな……」
*
「君はフルコースを知っているか?」
通りで合流した闇医者は、突然そんなことを聞いてきた。
「ええと……」
アルタニアで公爵が口にしていたからなんとなくは覚えている。
「前菜、スープ、魚料理に肉料理、冷菓に二番目の肉料理、野菜に菓子に果物……そっから最後に珈琲とか紅茶……?アーヌルス様はワイン好きだったから毎日結構飲んでたなぁ……」
笑い上戸の時は側に控えていても問題はない。此方も楽しい。泣き上戸だと話をひたすら聞かせられる。それはまぁいいけれども、逆鱗に触れたら困るのでこれはこれで綱渡りだった。そういうのを逃げずにちゃんと聞いていたのが彼の信頼の第一歩だったのかも知れないなと今更ながらにそう思う。もっとも……最初は怖くて動けなかっただけだったのだが。
嗜好品通り意外にも酒屋はある。安物のワインを見かけ、ふと哀愁に駆られるがこんなもので彼は満足しないだろうとフォースは苦笑。
(全部終わったら……あの人達の墓参りに行きたいな。奮発して高い酒持って行って……きっと喜んでくれる)
全部、終わったら。それは何時なんだろう。名前狩りが終わったら?そんな時間あるのだろうか?東との関係も危ういというのに。
「君は……」
「え?」
背後から掛かる声。洛叉が此方を見ている。フォースが手にしたワインの瓶から彼は多くを察したようだ。
「俺も殺そうと思うか?」
「……は?」
「忘れたか?俺もあの時アルタニアにいた」
洛叉は何時からアルタニアにいたのか。あの男の使いで訪れたのは何時だったのか。それは彼や彼が殺されるより、前だったのだろうか?
洛叉や、グライドがそこに来たのは何時だったのか……
洛叉は言っている。そこから察するに、二人がアルタニアに来た時点ではまだ、前アルタニア公は健在だった。
間接的にその死に関わった。カルノッフェルを送り込み、その計画が順調に進んでいるか監視する立場の人間が居てもおかしくはない。
(見ていたのか。知っていたのか……?)
カルノッフェルという名の異常な奴隷が現れてから、あの悪夢のような俺の日々をこの男は見ていたのか?
そうだ。あいつの知識はおかしかった。奴隷がそこまで医学に精通したような話が出来るはずがない。
処刑、拷問的観念において、医学は重要な役割を占める。そのいたぶり方にもよるが、どうした方がより痛いか。より長く苦しめられるか。それを知るには人の生と死について知らなければならない。フォースにあったのは発想だけ。学のない自分では、その立場から公爵を支えることは出来ない。カルノッフェルがアーヌルスに気に入られたのはその残虐性と、その知識。その知識が誰かに吹き込まれたものだったなら……?それを吹き込んだのは……一体、誰?
そうだ。それはグライドではない。彼には医学の知識はないし、彼は戦うまでそれが俺だと気付かなかった。つまり監視していたなら気付いたはずだ。アルタニア公に仕える子犬が誰か。
それにグライドには養親がいる。あの二人を残して長期滞在任務なんて嫌がるだろう。いくらそれがあの男の命令であっても。グライドはあの二人を本当に大切に思っているようだったから。
つまり、洛叉の言っていることは正しい。洛叉もフォースにとっての復讐相手。
「あの鳥頭の反応が自然だ。あの方も君も……彼女たちもおかしい。何故俺に恨み言の一つも言わないのかと疑問に思う」
(それでも……)
俺はエリザにああ言った。それなら洛叉にも同じ事を言わなければならない。でなければ彼女に言った言葉が嘘になる。
それでもそれをフォースが言うことが出来ないのは、洛叉に対する怨みがそれだけではないからだ。
「言って欲しいわけ?」
だから冷たい視線を彼へと向ける。医者の癖に人の傷口穿り返してきた罰だ。
「まぁ、すっきりしない気分ではある」
「それなら俺は何も言わない。そう簡単にすっきりなんかさせて堪るか」
冷たい視線にもなんら反応を示さないこの男にとって、それが一番の苦痛で薬であるはずだ。
「俺があんたをさん付けしなくなったのは、アスカとかトーラとかディジットみたいな親しみからじゃない。あんたが尊敬するに値しない大人だと思ったからそうしたんだ」
心底軽蔑はしていると、遠回しに伝えてやった。彼や彼女たちとは違う。勘違いはするなと。
「俺はあんたがアーヌルス様達の死亡に関わったのだとしても別にそれは責めない。それはあんたの責任じゃないから」
心が洛叉を責め立てようと騒ぎ出すのを必死に抑え、フォースはなんとかそれを言い切った。
俺はリフルさんのようになりたいと、怨みで人を怨まない。怨みで人を殺さない。そんな人間になると心に誓ったはずだ。自分にそう、必死に言い聞かせて。
そうだ。許せないとしたら、別のこと。
「でも俺は、あんたがアルムやエルム……それにディジットにしたことは許さない。リフルさんを利用しようとしたこともだ」
エルムとアルムが離れ離れになったのも、アルムがああやってエルムを心配して探しに行こうとするのも、ディジットが時々寂しそうな顔を浮かべるのも。そんな二人を見ているリフルがとても辛そうにしているのも。それを見ていることしかできない自分に腹が立つのも。全てはこの闇医者がしでかしたこと。
許さないという言葉に、闇医者が微笑する。その言葉が欲しかったのだと言わんばかりに。だからこそ、フォースはここで終わらせなかった。
「だけどアルムとディジット……それにリフルさんがあんたを許したんなら俺から言うべき事は何もない。俺はそう思う」
そこまで言って深呼吸。大丈夫。俺は大丈夫。
息を整え振り返る。そうだなんということもない。
「さっさと買い物しようぜ、洛叉」
そういつものように笑いかければ、闇医者が小さくくくくと笑った。
「君も大概ドSだな」
「は?」
「その若さでその言葉攻め……いや、ドS界では将来有望だな」
なにそれ。ドS界って何処の世界?何処の国?何処の業界?聞かない方が身のためだとなんとなく思った。
「意味わかんねぇし」
「いや、少しストライクゾーンを広げてみようかと言ったまで。気にするな」
「ますます意味がわからないんだけど……」
っていうかあんま、わかりたくない。
「要約するなら、君との買い物が少し楽しくなった。そう言ったまで」
「あんた、やっぱ変態なんだな……」
あれだけ冷たくしたのに、好感度が上がるってどういうことなんだろう。
「君は2年前と同じ目をしている。あの方は君のそういう所が気に入っているのだろうな」
「……?何か言った?」
こっちが店員と買い物交渉している内も闇医者は横で何やら言っていた。スルーしていたが一応気になったので聞き返す。
「君の子供らしさが羨ましいと言ったんだ。俺では安心して側にも置けないだろうから」
そりゃあんたが変態だからだろう。ロリショタ専で混血マニアな変態だからだろう。
ツッコミを入れる気力もなくし、フォースは酒瓶を洛叉へ突き出す。
「そんなことより、早く次の店!酒はこれでいいんだよな?はい、荷物持ちは洛叉の仕事だろ。よろしく」