15:Pallida Mors aequo pulsat pede pauperum tabernas regumque turris.
「マリーっ……何処だっ!マリーっ!!」
こうやって自分が騒ぎ立てれば振り返る女達。そのどれもがあいつではない。
騒ぎを起こすのは得策ではない。その名を呼ばれた者が名前狩りの人間に捕まってしまう可能性だってある。
それでもそうせずにはいられない。本当は、本当はもっと違う名で呼びたい。けれどそれでは意味がない。あいつは今、マリーなのだから。
「痛っ……何処に目ぇつけて歩いて……」
路地を曲がった時に走った衝撃。互いに尻餅をつく。
苛立っていたこともありチンピラみたいな台詞が口から出たが、顔を上げたアスカは目を見開いた。それは知っている顔だ。
「いや、すまない。俺の前方不注意も悪かった」
その少年は聖十字。顔見知りだ。彼がこっちを覚えているかは知らないが。しかし今は鎧にスカートという変わった格好。それでもその左右の異なる目の色は、一度見たら忘れない。カーネフェルの金髪でありながら、片目はタロックの色を宿したこの少年は……リフルのお気に入り。確かラハイアといか言う名前だ。
「先を急ぐので失礼……」
ずるずると気絶した男二人を引き摺っていくラハイアが、数歩離れて思い出したように振り返る。
「……今マリーと言っていたか?」
「え、ああ。知ってるのか?」
「失礼だがベラドンナとはどういう関係で?」
(むしろ心情的にはそれをお前に俺が聞きたい)
やいてめぇ、うちの主とはどういう関係なんだと小一時間。建前としては犯罪者と追跡者という関係なのだが、そのはずなのだが、本当に内の主はこの少年に入れ込んでいるというか惚れ込んでいる。
彼の語ったその名はリフルの偽名の一つ。いつだかの仕事の時に潜入捜査でそう名乗ったのが始まりだった。それからこの少年に女装時に遭遇したらそう名乗ることにしているらしい。まさかそれが自分の追っている殺人鬼Suitだとは思いもよらないよう……
「まぁ、血は繋がってないが俺が兄貴みたいなもんだ」
本当は繋がっているが。そんな事を言っても始まらない。大抵こういえばどいつも納得してくれる。
「それでは彼女が貰われた家というのは貴様の……いや、貴方の家か。彼女ならこの先の……二階の窓が開いたままだから目印にはなると思う」
少年はリフル兼マリー兼ベラドンナがいるというおおよその場所を教えてくれた。
親切というか人がよいというか……
(俺が騙してるとか嘘吐いてるとか疑わないのか?……確かにこれは俺の親父系列だわ)
そりゃあ、母親そっくりなリフルがこの男を気に入るのも仕方がない。自分じゃ逆さになってもこんな風にはなれない。諦めのような息がアスカの口から漏れた。
「俺の仲間が付いてはいるが、彼女の保護と任務は同時には出来ない。俺が戻るより貴方が向かった方が早いはず。彼女を引き取りに行ってくれないか?」
罪人の連行と人質の保護、それから任務の続行は両立できない。
この少年があいつをここに連れ歩いていても、この荷物は重すぎる。荷物が目覚め暴れられたその隙に、あいつがまたどこかに連れされられる可能性。それなら確かに仲間に敬語を頼んでおいてきた方がまだ安全。今は居場所と無事を知れただけでも十分感謝に値する。
「助かった本当にっ!礼を言わせて貰うぜ!」
*
「……何を考えているんだい?」
命乞いの言葉なら聞いてあげるよ。聞かないけれど。そんな風に男は嗤った。
「…………貴方のこと。それから他の人のこと」
リアはこの男の絵を描いていた。それでもこの男は別に自分自身の自画像が欲しい訳じゃない。
中身が空虚。悩みなんてない。彼はとても荒廃している。だから描いても意味がない。
だから何も描けない。リアは男を見つめながら、他の者を描いていた。
彼は名前狩りの首謀者。彼が求めるその名前。
彼の中には聖女が住んでいる。だからその聖女を守るために、汚されないために彼は必死になっている。
それは解る。それでも見えないことばかり。情報が少なすぎる。
「これは私の最後の一枚だから、悔いの無いよう描きたい。だから私は貴方を知りたい。そのために協力してくれないかな?貴方の話が聞きたいの」
「…………貴女はメアリに似ているな」
「メアリ……?」
「いや、独り言だ。気にしないでくれ」
「えー……お願いっ!教えてよ!じゃなきゃ私満足に絵が描けなくて死んでも死にきれないっ!」
手を合わせ祈るように目を閉じる。恐る恐る片目を開ければ彼は考え込むような素振り。
それが了承なのだと知ってリアは微笑む。
「もう知っているかもしれないが、僕には姉さんがいた。メアリというのは……アルタニアで僕が標的にした女の1人…………」
青目の男は、そう言い……静かに目を伏せる。
*
彼女と出会ったのは春先。それでもアルタニアはまだ雪に包まれていた。
処刑リストに載った名前の家を巡り、執行猶予を与え、その間までに改名しなければ断罪するとそう告げ歩いた。
彼女は病気を持っていて、もう長くないとの話だった。だから僕は彼女を殺すのは一番最後にしてやろうと思った。
「それはどうして?」
「姉さんに似ていたからさ。顔じゃない、声がね。当時の僕はまだ盲目だったから」
「性格は全然似ていなかったな。彼女は僕に命乞いはしなかった。それでも改名もしなかった」
「それはどうして?」
「両親が自分にくれた、大切なものだから。自分が死んでも残るものだから。墓石にはメアリのままで刻まれたいと彼女は言ったよ。墓参りに来る両親が、慣れない名前で呼ぶのは可哀想だって、彼らのことを想ってね」
「それでもあの子は、僕に嘆願した。今の貴女と同じさ」
“ねぇ公爵様。私ってほっといてもその内死んじゃうでしょ?それなら……”
メアリはそう言った。この少女とは違う嘆願。それでもそれはよく似た響きを持っていた。あの宿で嘆願したこの絵描きの表情。もしかしたらあの日メアリもこんな風な顔をしていたのかも知れない。だからこの少女の顔を、表情を……もうしばらく見ていてもいいような気になったのだ。そこにメアリがいるかもしれない。
「…………?私の顔に何か?」
「いや、失礼。黙り込んでしまっていたみたいだね」
僕は彼女の墓穴を曝きはしなかった。その顔を見ようとはしなかった。
そこを曝いても白い骨が見つかるだけ。いや、食い散らかされた彼女だった身体の一部のあるかもしれない。それでも彼女はそんな風になった自分を見せたくないはずだ。自分にそう言い聞かせて僕は彼女を見なかった。
今になって不意に思うことがある。やはり彼女の死に顔を、見に行けば良かった。彼女が姉さんとは別人だと知っておきたかった。
それでも行けなかった。もしその顔まで姉さんと同じだったなら……僕は二度、姉さんを失ったことになる。
「僕が貴女の言葉を受け入れたのは、彼女を思い出したからなのかもしれないな」
あんな相手は初めてだった。あんな反応は。
多くの娘に会いに行った。処刑を告げられた娘は皆嫌がり泣き喚き……改名という逃げ道を作れば其方に逃げた。それを拒んだのはメアリが最初だった。
僕が興味を持ったのはその声と、その解答。何の興味もない世界。そこにいい暇つぶしが出来たと思った。
姉さんの紛い物。それがいつの間にか僕の中で、メアリという人間として確かに息づいていた。その頃は……まだこんなことになるなんて知らなかったから、僕は彼女が治せる病なら、治させていたかもしれない。
僕は彼女が姉さんではないことを知りながら、彼女に惹かれていたんだと思う。
見えないから顔なんか知らないし、性格なんか大違い。
「復讐を遂げた後の人生なんてモノは幸せだろうか?」
「復讐?」
「僕は思っていた。あの男さえ殺せば気が晴れる。何もかもやり直せる。そこに姉さんさえ居てくれたなら……」
「…………」
「それでも僕が知ったのは……彼女の死と、それからこの胸を渦巻く尽きることのない憎しみさ」
それは復讐を遂げるまでの苦しみを遙かに凌駕する。これまでは明確な目標があった。誰を殺せば救われるかがわかっていた。だから僕は立っていられた。それが今はどうだ?
殺しても殺しても終わらない。憎しみは消えない。まだまだ、殺したりない。誰を?何を?あと何人?どれ程の人を殺せば僕の心は救われる?平穏を知ることが出来る?
世界の全てが憎たらしい。
僕が愛した人はもういないのに。世界では当たり前のように寄り添う二人が居る。
僕の元へ戸籍を持ってくる。婚姻届だ。やれ名前が変わった。やれ住所が変わった。やれ子供が増えた。
残虐公が去り、平和になったアルタニア。そこでそれが僕の仕事の大半。そんな書類に判子を押すだけの容易い仕事が領主というものか。全くつまらない。それでも僕は父とは違う。立派な領主になってやる。それが僕の復讐の完成。彼は良い引き立て役だ。残虐公の後ならば、僕が如何に名君かが解るだろう。民のために生きるのも悪くない。初めはそんな風にも思っていた。
姉さんを失った世界。空虚で、それでいて平穏な日々。そんな日常の中に僕を狂気へと駆り立てる誘いがあった。部下が読み上げるその文章こそ、罪の化身。僕が狂っているというのなら、そうさせたのはその書類。あれは悪魔だ。悪魔が僕にそうさせたのだ。
マリア、マーリア、マライヤ、マリー、メアリー、メアリ、マリエ、マリヤ、マリーヤ、モイラ。マリア、マリア、マリア……もう気がおかしくなりそうだ。
嫌味か?嫌がらせか?生まれた子供の名前がマリア。僕への皮肉か?嫁の名前がマリア。
僕は姉さんと結婚なんて出来ないし、姉さんは死んでしまったから子供なんてもっと無理!思いを通わせた男女が必ず結ばれると思ったら大間違いさ!
混血狩りの連中と人間の本質なんて同じなんだよ。みんな少数派を弾圧、迫害する悦びから必ず誰かを見下し蹴落とす、傲った魂。
誰が誰を好きでも愛していても、所詮は他人。どうでもいいことだろう?
それが他人の幸せにまで介入し、それを常識や法律、戒律そんな言葉で曝いて晒してぶっ壊す。まさに悪魔の所行だよ。
そんなことを人って生き物は平然とやってのける。自分の不幸に結びつかない事柄を、唯気に入らないからと言う理由で弾圧する。僕が姉さんを好きで、姉さんが僕を好きでもこの世界がそれを引き裂いたように。
僕は名前狩りを終えたら、今度はそういう普通の人間を殺したくなるんだろうな。アブノーマルと呼ばれる少数派だけを守ってあげる。あとはみんな処刑かな。さも平然と常識なんて傲慢を振りかざしてきた奴ら。迫害されたことがないんだろう?されるまでわからないものだよね。だからそれを教えてあげるんだ。そうされなければ馬鹿な人間は、迫害される側の気持ちなんかわからないだろう?
「……失礼、ちょっと脱線してしまったかな」
「ううん、とても興味深い……かな」
「そう?変わっているね……」
「それで、それからどうなったの?」
「それじゃあ話を戻そうか」
そんな作業の中、僕は一枚の紙を見つけた。それにもマリアと記されている。
ああ、これだ!そう思ったね。
それは死亡届。マリアが1人、死んだのだ。
そうだ。殺せば良いんじゃないか。なんだ簡単なこと。その名を名付けることを禁止させればいい。僕にはその権力がある。
まずはアルタニアから。乗り気じゃなかったけれど、彼の計画に乗ってもいいと思い始めた。彼がセネトレアを、後に世界を支配したなら……世界からマリアという名は失われる。協力の報酬がそれだ。それなら僕は彼を僕の王にしてもいい。だから僕は彼に協力するつもりだった。
「つもり……?」
「状況が変わったら、気も変わった。まぁしばらくは彼に協力するけれどね」
「?」
「まぁ、貴女には解らないことだろうけれども、気にしないで」
「わかった」
「……そうだね。それまで僕は……僕のこの憎しみを癒してくれるのは、同じ憎しみを持つ相手だけだと思っていた。だから僕は僕を追ってくるだろう少年の訪れをとても楽しみにしていた。それからもう一人の殺人鬼もね……」
自分を殺しに来る相手。それとの邂逅はいささか僕の心を躍らせる。
憎しみの宿った声。彼の瞳なら見てみたいとは思ったな。あの頃から。
あの殺人鬼の方は見てみたら顔は姉さんには全然似て無かったけれど、雰囲気は似てる。お淑やかそうに見えて気が強いというか芯があるところとか。周りを気遣う優しさも似ているな。
あの二人なら、ここまで来てくれるような気がする。復讐の向こう側まで来てくれる。
復讐の後のこの苦しみを分かち合えるような気がする。それは僕にとっての僅かな救いとなるはずだ。そのためにも僕をもっともっと憎んで貰わなければならない。
今一歩決め手に欠けるあの二人が憎悪丸出しの心で僕に向かってきて貰わなければ楽しくないだろう?
「僕はね、殺されるならそれはそれでもかまわないと思っているんだ。彼らもそうすることでこの名前狩りを止められる。悪い話じゃないはずだ」
「どうして?……貴方だって生きているのに、どうしてそんなことが言えるの?」
「お嬢さん。僕はもう死んでいる。姉さんが死んだときに僕はもう死んだのさ。僅かに残ったそれもメアリが連れて行ったんだろう」
「そんなのって……おかしいよ」
「おかしくはないさ。そういうものだよ、僕という人間は。貴方は僕じゃないからそれがわからないだけさ」
「生きて願いが叶うなら、それはそれで素晴らしい。けれど死んだら死んだで僕は向こうで姉さんに会えるしね。メアリとの約束も果たせる」
そう。だから別にどっちでもいい。生の中でも死の中でも再会できることに代わりはないならどちらかにしがみつく理由はないのだ。
この眼を貰い受けてしまったがために、僕は自ら死を望むことが出来ないだけだ。もっと多くを見たかっただろう、彼女の最期の言葉のために。
「それでも考えてご覧。面白いだろう?僕の復讐は死して尚終わらない。僕が殺されることで僕を殺した者は僕になるんだ。僕の憎しみと、虚ろを彼は引き継ぐ。何かを……この世界を憎んで、壊したくて仕方が無くなる。そして彼が死んだってそれは同じ。何時までも続いていくのさ」
あの殺人鬼の彼には姉さんの名前を騙った罪もある。彼は彼女でもないし“マリア”という名前でもないし殺意は湧かない。それでも彼の罪には罰がいる。あの男もいい復讐を用意してくれた。僕が彼の名前を騙る。そして罪を重ねる。それは僕から彼への復讐にもなる。彼の計画も進む。良いこと尽くめだ。
「兎も角だ。僕はそんな風に復讐の後の余生を生きていた。僕を殺しに来る相手を返り討ちにするか討たれるか。それだけが楽しみだった」
「うん……」
「……メアリ。彼女はほんの一時でもそれを僕から忘れさせてくれたんだ」
「大事な人なんだ。彼女も」
「そりゃあ……忘れられはしないよ。愛してはいないけれども、好感は抱いていたよ。お嬢さん。貴女は信じられるかい?」
「自分を殺しに来た相手に向かって、……彼女は最初に、ありがとうと言ったんだよ」
「ありがとう……?」
「理由は貴女が考えてみるといい。答え合わせと続きはまた後でにしよう。来客だ」
*
「ここね」
そこが目的地だと言わんばかりの表情で、少女はその扉の前で立ち止まる。そしてノックの代わりに鉄の扉を蹴り破る。
「ちょっと、君……っ!」
中に人がいたら危ない。そう注意したリフルに少女は思いきり舌打ち。
「うっさいわね!お姫王子はちょっと黙ってて!」
「なっ……何故それを」
「後にしてよ、邪魔!退いてっ!」
室内には長身の男カルノッフェル。少女は彼に向かって銃口を差し向ける。そして……男の後ろにはリアの姿がある。
「止めてくれ!」
リフルは今にも引き金に手を掛けそうな少女の前に立ちはだかって、それを阻止。それに少女は鋭い眼光でもって応える。
「あんた馬鹿?正気?殺人鬼が何言ってんの?何様?」
それは確かにその通り。どんな理由があっても人殺しは人殺し。それでもここは譲れない。
「……っ、彼女は何も悪くないっ!」
「平和のために多少の犠牲は付きものよ。捕まるような阿呆が悪い。第一私はそんな命令はされてないもの」
そう吐き捨て少女の姿が消える。右?左?視線を動かしても彼女は居ない。
(違う、上だ!)
目の端を彼女の長い金髪が舞う。違う。これは落ちてきている。背後で聞こえた軽い音。タンと降り立つ音がした。それに気付いて振り返る。
目に映ったのは鮮やかな赤い色。
それは血の色?違うそれは長い赤髪。誰の?彼女のだ。
(混血!?………彼女が!?)
呆気にとられて反応が遅れた。それだけではない。彼女が速すぎる!
少女の引き金が引かれたのが何時なのか。それが見えなかった。
リフルがそれを知ったのは、発砲音が鳴ってから。発射される弾。
この至近距離。見てから避けられるはずがない。それを身を捩る動作で軽々かわすカルノッフェル。後天性混血児の身体能力とはこれほどか。
「リアっ!!」
思わず叫ぶ。避けた弾が彼女に向かう。彼女を貫き……彼女を通過っ!
(……通過!?)
それはリアの身体を通り抜けた。しかし打ち砕いたのは壁の方。リアの身体には傷がない。
それにはリア自身驚いていて「あれ?」と、目をパチパチさせながら、撃たれた場所を触っている。
そんなリアを見、首に引っ提げたゴーグルを装着した赤髪少女は苛立ちながら溜息を吐く。
「……っち。やっぱいやがるのね。数術使いが」
「数術使い?」
何故カルノッフェルの姿に気付かなかったのか、ようやく分かった。街であった時と顔が違う。視覚数術に踊らされていたんだ。元の姿に戻ったカルノッフェルが私達に向かってにたりと笑う。
「いきなりのご挨拶だね、初めまして見知らぬお嬢さん」
「でもそっちのあんたは実体みたいねお兄さん!次は当てるわ!」
今のは左手だけだった。それが今構えられたのは右手と左手。二つの銃口がカルノッフェルに向けられる。
「なるほど、教会兵器か」
「心当たりくらいあるんじゃないの?このマザーfuck変態野郎!!」
「いや、そこはシスターに置き換えて貰えると非常に嬉しい。ここは断然 sisterで。 sisterfuckerなら僕にとってはむしろ褒め言葉だね。是非そう呼んでくれたまえ」
「誰が呼ぶか。変態野郎」
「否定はしないよ。人類須く皆何かしらの変態だと思うけれどね。唯僕がちょっと少数派ってだけなだけだよ」
「ねぇクソ領主、知ってる?変態ほど言い訳に特化してるのよ?」
「だって結局人間なんてその変態行為もとい教会のお嬢さん、貴女の言うfuckから誕生するようなものじゃないか。それとも平和呆けのシャトランジアは全ての女が聖女で受胎告知でも受けるとでも馬鹿げた妄言を言ってのけるのかい?」
「お嬢さん、貴女は余程この手の話が嫌いなんだね?それはどうしてかな?……何か後ろめたいことでもあるのかい?」
「黙れっ!!」
「落ち着け、ソフィア!」
挑発に乗ってはいけない。それこそが相手の思うツボ。そう告げようとしたが……
(……あ)
振り返る彼女は涙目だ。赤い瞳。赤い瞳。 タロック王族やあの男よりは薄い色。夕焼けのように燃える炎の色。その色を、どこかで見たような気がする。それでも誰かは解らない。それは憎しみの炎。その色ばかりが強すぎて。彼女は瞳も変装していたのだろう。戦うのに視界が邪魔だと色ガラスを外したのだ。色の付いたゴーグルと色ガラスは確かに視界が染まって戦い辛い。
「うっさい!あんたに何がわかんのよっ!」
「っ……」
走った痛み。吹っ飛ばされる。壁に背中を打ち付ける。それに遅れて自覚するもう一つの痛み。吹っ飛ばされた、原因の方。
赤髪少女に、銃を持ったままの手で頬を思いきり叩かれた。痛い。物凄く痛い。痛くて言葉を発することも出来ないくらい。
(顎、外れたか?いや、外れていないとしても骨にヒビくらいは入っているなこれは……)
触ってみたところ外れた形跡はない。それでも触ったときに物凄く痛い。動かすと辛い。起き上がろうとしたらその体勢変化でもう痛い。胸式呼吸も辛い。腹式呼吸に切り替えるため鼻に頑張って貰うことにする。
見事生きるお荷物になったリフルを放置し、二人の混血は戦い始める。
「リフル……、大丈夫?」
その隙にリアが駆け寄ってくる。ここには居ない彼女が。
「……同じ場所にいると思ったんだけど、これそっくりな別の部屋だったんだね」
スカスカと、縦横名斜めに手を振って、此方の身体をすり抜け遊ぶ彼女。
「私からはリフル達が見えるし、そっちからも私が見える。だけどお互い触れないってことは互いに映像を映してるだけなんだろうな。それが数術ってのなのかな?私にはよくわからないけどリフルの他の友達ならわかるんじゃない?後から聞いてみて」
「………っ……ぁ」
「無理して喋らないの!怪我人は大人しくしてるものだって」
全く痛くないが額を指で弾かれる。それでも思わず目を瞑ると、目の前でリアの笑う気配。
「私さ、あの人のこと……ちょっとだけ解ってきたような気がする。最初は怖かったけどそれだけじゃない。あの人、ちょっとだけリフルに似てる。そう思ったらさ、少し気が楽になったよ」
「…………?」
「あの人はね、間違っちゃったリフルなの」
カルノッフェルと自分が?
まさかそんなことを聞くなんて思いもよらず、リフルが今度は瞳を閉じたり開けたり。そんな様子にリアはまた笑う。
「君を描いてていつも感じてた。君の中には誰かへの深い憎しみがある。それと同じ物が彼の中にもあるんだよ」
父親への憎しみ。復讐。そういう共通点なら確かにある。
彼は復讐を遂げた。自分はそれをしていない。両者の違いはそこにあるとリアは言う。
「君はそれを一生懸命押さえ込んでいて、それでも無理して笑うから。だからつい、手を貸したくなる何かがある。私が最初に君を匿ったのもそんな風に見えたからなのかもしれない」
殺人鬼らしくない。だからそこが気になった。興味を持った。どうしてそんな目をしているのか知りたくて、それが始まりだったと彼女が言った。
「君は強いよ」
女の子に吹っ飛ばされて身動き取れなくなっている自分に、これはなんという慰めの言葉か。それでもリアは嘘もお世辞も言わない。
「誰にも勝てなくても、自分に絶対負けてない。いろんな人は誰かに勝てても自分に負けてしまうのに。……そんな君を見ていたら、私も自分には負けたくないって思えたの」
強いのは彼女の方だ。何時殺されるのかわからないのに、助けに来たはずの自分がこんなに無様なのに、彼女はいつものように明るく笑う。此方を勇気づけてくれるような笑顔をくれる。
「だから私頑張ってみる。私は絵描きだから絵を描くことしか出来ないけれど、出来ることをやってみる。彼から逃げない。……私も人間。彼も人間。だから、不可能じゃないと思う。私は絵を描きながら彼と向き合ってみる。それで、何かが変わるかもしれない。そう思うから」
「……ぃ、……あ」
「私はここで逃げたら絶対に、後悔する。諦めたことになる。私の夢を」
今そこにカルノッフェルがいないなら。身体を拘束されているわけでもないのなら。逃げ出せるかもしれない。見張りくらいは控えているかもしれないが、窓から逃げることは出来るはず。それでも彼女は、そうしない。
(違う……違う!リア……それは違うっ!違うんだ!!)
強いのは彼女。戦えなくても彼女は強い。それじゃあ、駄目だ。
弱くていい。私が……俺が守る。死に物狂いで守るから。だからそんな、強さは捨ててくれ!
「……ぃきてっ、こその……夢だ、ろぅ!?」
早く行かなきゃ。彼女を助けなきゃ。死んでしまう。リアが、リアが……
両目から溢れる毒の涙。苦笑しながら伸ばされた彼女の手。それをすり抜け、床へと落ちる。
目が合った。このまま魅了しても構わない。それで彼女の未練になれるなら。
必死に邪眼を彼女に向ける。それでも……彼女にそれは届かない。リアの未練にはなれな
い。悲しいほどに……私は彼女の友人だった。
互いにそう思う。だから、邪眼は効かない。掛からない。幾ら彼女が大事でも……悲しみでは邪眼と彼女は動かない。彼女の決意に怒りを覚えられもしない。
「私は10人が10人、魅了する絵を描きたい。彼から逃げたら、私はその1人を失うことになる。つまり私は幾ら頑張っても最後の最後で届かなくなる。それは嫌でしょ?」
大切な相手の夢。それを見守りたい。それでも、それでも受け入れられない。
必死に首を振る。
「ごめんねリフル、人である以前に私は画家って生き物なの。だからさ、他の生き方を知らないの」
何時死が訪れようともその瞬間まで筆を握って絵を描く。それが絵描きというものだ。そういう生き物なのだとリアが言う。
逃げる暇があるなら高みに届くようにその瞬間も絵を描く。そう微笑んで彼女は席へと戻る。ソフィアと戦うカルノッフェルを見て、それを観察しながら筆を踊らせる。
起き上がれないから、遠離った彼女の元まで行けない。代わりに視界に入ってくるのは他の二人。
「でかい的の癖に、随分避けるのが得意ね!うざったいったらありゃしない!」
「お嬢さんこそ。レディはもっとお淑やかであるべきじゃないかな?」
後天性混血のカルノッフェルと渡り合っている。このソフィアという少女はただ者ではない。おそらく彼女も……後天性混血児。赤い瞳はタロックの色。元は、彼女はタロック人。
(……ソフィア、君は……まさか)
殴られた時のあの表情。憎んでいる、怨んでいる。この私を。リフルという人間を。
「男だ女だ喧しいわね。そんなの関係ないわ!私は私!それだけ!!そして私はあの方の命令を遂行する!そのためにここに居る!」
「そんなにお怒りかい?腐敗したセネトレアの教会なんかどうでもいいじゃないか。焼き払っても殺してもいいだろう?あそこは僕の領地なんだから」
「馬っ鹿じゃないの!?」
「“全ての人は神から貸し与えられた仮初めの命。それを神以外の手が刈り取ることがあってはならない”」
「偽善の聖教会の戯れ言だね。何の福音何章何節だったかな」
「私はとりあえず建前の福音って呼んでるわ」
「なるほど」
「そして、本音はこっち!“罪には罰を。悪人は私達が必ず裁く。それでも教会は十字法並びに裏十字改め逆十字法適法圏内!処刑命令を下す権利があるのは世界で唯1人、神子様だけ”よ!」
人は如何なる理由があろうとも、人を殺してはならない。故に人殺しを死刑にすることも罷りならん。それが聖教会の教え、十字法の精神。
それでも聖教会の闇。その化身である少女が語る。
“罪には罰を”!
法では裁けない人間は、実力行使で排除する。悔い改めないのならば、無理矢理にでも贖わせる。死には死を!それこそが真の平等!殺したならば殺されろ!言い訳など聞かない。理由も聞かない。罪がそこにあるのなら、唯お前達は罪を償え。少女は告げる。
ラハイアとは真逆の言葉。それが胸に突き立てられたよう、深く深くに入り込む。その言葉を、自分は心のどこかで待ち望んでいたのだ。そんな風に罵られるのを。
ラハイアの言葉は救い。ソフィアの言葉は断罪。
救われたいと願うほど、救われてはならないと思い、断罪を求める。欲しがる。希う。
「“私はシャトランジア聖教会が神子イグニスの命により、アルタニア公カルノッフェル!貴方の処刑を許可されました”っ!!」
形式上のような口述は大声、早口で。その大声は何のためか?
「ってことで潔く死んでくれるっ!?世界平和の礎にっ!」
続く言葉は勝利の宣言。処刑執行を終えた合図。大声は銃声を掻き消すため。
カルノッフェルの反応が僅かに遅れる。それでもそれを避けた彼は流石と言うべきか。
「馬ぁ鹿!」
それでもソフィアは嗤う。カルノッフェルを嘲笑う。
「一般兵でもないってのに、私の教会兵器が唯の鉛玉と思ったの?」
「何……」
「あんた、視覚情報への依存が薄いから無駄撃ちしちゃったけどね。だけどいい加減効いたでしょう?私には抵抗数式があるし、Suitは動けない」
避けても無意味と嘲笑う。
「見えるようになった幸運を呪いなさい」
(……まさか!?)
必死に目を凝らす。見えない。見えない……見えた!
注意しなければ見逃してしまうような薄い光。描かれているの数式だ。
(これは……視覚数式?)
トーラとの仕事でよく使った技だ。式を見てそれに似ていることにリフルは気付く。
「あ、あ……あああああああああああああああああああああああああああああ」
その数式がどのようなものかはわからない。それでもカルノッフェルは奇声を発し、床に崩れる。
「あんたはもう、マリアを殺せない。勝負あったわね」
「ね、姉さん……姉さんっ!」
触れないリアへと這いずりながら駆け寄る男。その背中に銃を向けるソフィア。
(今のカルノッフェルにはリアが姉に映っているのか?!)
「ま……てっ……」
今彼を殺したら、リアの居場所を割り出せない。向こうにも数術使いが居るなら尚更。その者がカルノッフェル亡き後、何も言わずにリアを解放するとは思えない。リアを助けるまでカルノッフェルには生きていて貰わなければ、困るのだ。
トーラの援護は期待できない。此方に連絡をして来るだけの余裕がないのだ。彼女を宛には出来ない。
無理矢理身を起こし、ソフィアの上着の裾を掴む。それに苛立った表情の彼女がリフルを振り返る。
「今度は反対側も叩いてあげる?教会リバースの精神で。解ったら邪魔しないで」
「マリーっ!!」
ソフィアの声を遮るように、通路から駆け込んできた男。
(……アスカ!?)
リフルの姿を確認し、安堵したような顔から一変。室内の状況を見て、鬼のような形相に変わる。
「俺の主に怪我負わすとは、良い度胸じゃねぇかそこの姉ちゃん」
「ったく、間の悪い奴ばっか……」
アスカはダールシュルティングを抜刀。形状は素早さ重視の即死刀。
確かに怪我を負わせたのは彼女だが、今はそれどころではない。それを伝えるために必死に首を横に振るのだが、アスカは頭に血が上っている。
「大体なんで私のせいになんのよ。あっちの変態の可能性だって………あああああああ!」
呆れながら視線をずらし……ソフィアもアスカと同じく激昂。
「くそっ!あんたら何人の仕事の邪魔してんのよ!!」
カルノッフェルの姿がない。アスカの反応からして、彼がここに飛び込んできたときにはもう居なかったのだろう。消えていた。おそらくリフルがソフィアに縋った辺りで。
後天性混血児の身体能力なら、追いつけない。そして今の彼の精神状態は非常に危険。
(リア……)
彼女が姉に見えているというのは、不幸中の幸い?それとも……
もうリアの数術も消えている。彼女が見えない。彼女が心配だ。だと言うのにアスカとソフィアは今にも戦い出しそうな空気。
「いい…加減にっ、……してくれっ!!」
大きく息を吸い込んで、出来るだけの大声でそう言った。すぐさま痛みが走る。痛すぎて涙目になる。それが効を成したのか、ぴたとアスカの動きが止まる。
ソフィアも毒気が抜けたのか肩をすくめる。少し冷静さを取り戻してくれたのか。
「……さっさとその怪我治してやったら?あんた祝福数術くらいは使えるんでしょ?」
「お前……何者だ?」
「私は運命の輪。それ以上は後から話す」
その単語に驚いたようなアスカも、舌打ち一つでソフィアの言葉を受け入れる。
「悪ぃ、すぐ楽にしてやっから」
俺が目を離したばっかりに。そんな言葉を口にするアスカにそれは違うと首を振る。
今は汗毒も血毒も出ていないとはいえ、毒人間。それに恐れず手を伸ばす。
患部に触れて、彼は静かに目を閉じて……
「…………頼む」
祈るようにそう呟いた。
アスカは凡人。数術使いではない。それでも祝福されている。その恩恵で彼を加護している精霊を好意で使役させてもらっているのだそうだ。
本人は普通の手当をしながらなんとなく治りが早い気がすると、祈りを使っていたようだが、トーラにその絡繰りを教えられその仕組みを理解。感謝されることに精霊も気をよくしたのか最近ではアスカの腕も上がった(というか精霊のやる気が増した)。
だからだろうか。速度も速い。数秒で腫れと痛みが引いていく。
「……どうだ?」
「もう、平気だ。ちゃんと喋れる……ありがとう」
アスカとそれに協力してくれた精霊に礼を言う。姿までは見えないが、発動時の数式は見えたから、傍にいるのだろう。
「で?どうすんの?私は仕事があるから遠慮したいんだけど、そっちがやる気なら受けて立つけど?」
「……リフル」
どうする?こいつしめるか?そんな視線を向けてくるアスカに首を振る。
「とりあえず言いたいことも聞きたいこともあるだろうが、場所を移そう。ここが手薄で奴もいないとはいえ、何も敵陣の中で話をすることもないだろうから」
トーラも居ないのだから盗聴される可能性は十分にある。向こうに数術使いがいるならば。
迂闊なことは話せない。
「それは私も賛成」
ソフィアも溜息ながらに頷いた。
「盗聴防げそうな場所には心当たりあるわ。聞きたいことがあるなら勝手に付いてくるのね」
「おいリフル……あの女、信用できるのか?」
「…………それはわからない」
「おい。あのな……」
「しかし、もし彼女が彼女なら……私は彼女に償わなければならないよ。それは確かだ。それを確かめるためにも聞きたいことがある。行こう」
そう言ったなら、アスカも舌打ちながらにしぶしぶ了承してくれた。