12:Si vis pacem, para bellum.
「あらあら、この子があの子のお友達の……」
「具合の方はどうだね?まだ辛いようなら部屋の方へ運ばせようか?」
「い、いえ……お陰様で」
部屋までグライドに連れられ、階段を下った先……少し窶れた雰囲気の老夫婦が現れた。この二人がグライドを拾ったという商人なのだろう。
一瞬二人が商人であることを忘れてしまいそうになる。そのくらい人の良さそうな笑顔で彼らは迎えてくれた。
「この子ったらねぇ……ここに来た頃からずっとお友達のことを心配してたのよ」
「そうそう。そんなだっていうのにこいつは働き者でな、うちの仕事も手伝ってくれての……本当にグライドはよう出来た息子じゃ。のう母さん」
「ええ、貴方」
「や、止めてくださいよ父さん、母さん。恥ずかしいな……もう。フォース、君も聞かなくて良いから!」
白髪交じりの髪は茶色。夫婦の瞳は赤い色。そこにグライドがいても違和感はない。
二人の長男とは見えないけれど、何人か兄弟の末がグライド、そして二人はその両親……そのくらいの設定だったら三人が家族に見えないこともない。
二人の自慢を本気で嫌がっているというよりは、照れているだけなのだろう。グライドが顔を赤らめる所なんか初めて目にした。それに気付いてフォースは、嬉しくもあり何とも言えない気持ちになった。
(本当に、子供みたいだ)
いつも自分よりしっかりしていて大人びていた彼も、……こんな子供みたいな顔をするのか。いや、彼だってそうしたかっただろうにそこに自分たちが居たから……それが許されなかったのではないか?そう思うと……グライドにとってこの場所はとても大事なモノなんだとわかった。
(ここがあいつにとって………俺にとってのアルタニアみたいなものなんだな)
点と点を結びつける。彼と自分の点と点。それをイコールで繋いでいく作業。
この家がアルタニア。あのヴァレスタって奴隷商が俺にとってのリフルさん。
(……俺、今凄く……嫌なこと、考えてる)
それは等号で結びつけられない。無理だと思ってしまった。これまでそんな風に考えたことなんかなかったのに。
比較している。彼の全てと自分の全てを。
少なくとも村にいた頃、グライドは両親にも恵まれていた方だし、今だってそう。
俺には親父も居なかったし母さんも壊れてしまった。俺の親父代わりの人達は……アルタニアのあの城にもういない。死んでしまったのだ。殺されてしまったのだ。
(そりゃあ俺には……リフルさんもいるし、トーラもいるし……恵まれているとは思う。でも……)
はじめて混血と純血の違いを意識した。
たかだか目の色、髪の色が違うだけ。それだけでこんなにも違う。
グライドとこの夫婦は親子に見える。それでも俺はそうじゃない。
(いくらリフルさんやトーラが子供みたいに可愛がってくれたって……)
二人は混血。心に深く残った傷のせい……成長が止まっている。
年上の二人を追い越してしまったこの背丈。一緒に歩いていても親子なんかに見えはしない。
(俺は……)
グライドが羨ましい。それだけじゃない。今の自分は彼を初めて妬ましい……憎らしいと思う心を自覚している。
それがわかるから、この気分が凄く嫌だ。どうして彼にそんなことを思うのか。そんな自分が嫌で嫌で仕方がないのだ。
居たたまれない気持ちでその親子の語らいを聞いていた。俯いていたからだろうか。聞きたくなくて心のどこかで拒絶していたからなのか。呼びかけられていることにも気付かなかった。
「フォース君?」
「は、はいっ!」
「やっぱり疲れているのかね?今日はうちでゆっくり休んでいってくれたまえ」
「グライドのお友達ですもの。大切なお客様なのだから、どうぞ寛いでいってくださいね。貴方さえいいなら何日だっていてくれて構わないのよ?」
「え……?」
「こらお前、気が早いだろう?すまないねフォース君」
うふふ、はっはっは。フィルツァー夫妻はそんな朗らかな笑いを残して部屋から出て行った。それを見送ったグライドが肩をすくめて苦笑する。そして小さく息を吐いた後、意を決したように顔を上げた。
「グライド……?」
「流石にうちで僕の他にまた養子ってだけの余裕はないけど……君が望んでくれるなら働き口くらいうちで賄える。僕が頼んだら父さん達も良いって言ってくれた」
夫妻の含みありげな言葉。その意味を彼に告げられる。
「立場上は君を僕の部下とか使用人とかそういうものにしなければならなくなるとは思うんだ。だけど僕はこれまでもこれからも君をそんな風には思わない。フォース、君もここで僕と一緒に暮らさないか?」
「………え?」
「将来的には僕はこの店を継いで、父さん達のためにも頑張って全盛期の頃……いやそれよりもっともっと繁盛させる。そのために君の力を貸してくれないか?」
力を貸してくれ。それは自分が彼に言いに来た言葉。それでもその意味はまるで異なる。
ここで暮らして働けと、彼が言う。自分の傍に来い。西側なんか捨ててしまえと。そうすればあんな風に戦う必要もなくなると。
「レフトバウアーで出会った時、僕は君を殺すつもりだった。君にその気がないのも計算の内で、僕は君の優しさに付け込んだ」
はっきりとした口調で語られる半年前の真実。そこに明確な意思を彼は持っていた。
「それが僕の仕事だし、僕がしたことを悪いとは思っていない。だから君に謝ったりはしない。……それでも、君のために何かをしたいとは思うんだ」
償いなんて彼は絶対に言わないだろうけれど、彼は俺に対して償いたい。そう思っているのが分かってしまう程度には、まだ彼のことを知っているのだろうか。
不意に差し出された白い手。ああ、手袋をしているんだな。触ったら滑らかそう……上物の絹だろうか。
それでもいつかの彼とは違う、ひとつの違和感としてそこにそれはある。これは仮面……?いや彼の纏う嘘の象徴。真っ白すぎるから逆に怪しげで、気後れしてしまう。そんな彼の白すぎる掌。
村を出るとき、こうして差し出された手は彼の肌を晒していたし、ここに加わる手は……あと二人分あったはず。
違和感、違和感。だからフォースは手を伸ばせない。
それに僅かの苛立ちと、懸命さを感じさせる声。それが過去を求めるように尚も手を此方へ向ける。
「何があっても、何処へ行っても……僕ら幼なじみ四人は兄弟だ。あの日、そう約束しただろ?フォース…………一度君を殺したこの僕を、もう一度、君の兄と認めてくれないか?」
そうだ。そんな夢を語った日があった。
何処に売り飛ばされても。別々になっても。みんなでそこを逃げ出して、一緒にどこかで暮らそうと。裏町って所で請負組織なんてのをやってもいい。請負組織っていうのは商人と敵対している組織も多い。それで自分たちを売り飛ばした商人達に目に物を見せてやる。
そうだ。それで金を稼げば。金さえあれば。農民だった自分たちもきっと幸せになれる。タロックでよりずっと豊かに楽しく生きていける。
ああそうだ。そんな夢を語った日もあった。辛く苦しい現実から、心を乖離するために。浮上させるために。
それでも非現実的な夢を語るのは子供だけ。2年前よりは自分は子供ではなくなってしまったのだ。だから絶対の保証がないものを、空想できる力はない。それが叶わないのなら虚しいだけだと知ってしまった。この世に言霊なんてものはないのだ。
「……ごめん、気持ちは嬉しいけど」
フォースが力なく首を横に振る。それを見たグライドがフォースに詰め寄りその手を掴む。
「どうして!?僕は君を……」
殺そうとはしたけれど、まだ弟だと思っている。まだ親友だと思っている。それなのに君は違うのか?そんな風にまくし立てる彼の言葉は怒りに囚われていた。
同じだと思っていたことが違かった。それは半年前、彼の策に倒れたフォースが思ったこと。今彼を拒むと言うことは……彼の心をここで切り捨てたことに等しい。……殺してしまったのだ。彼の心を。彼の気持ちを。これでお相子……そんな風に思える余裕はフォースにはなかった。
「無理だよ、無理だろ……だって」
冷静な彼が珍しくも取り乱すのを見ていると、此方の頭が冷えていく。だから自分の心を深く理解してしまう。
こんな所にいたら、俺は毎日自分とグライドを比較してしまう。劣等感を感じずには居られない。彼が悪いことをしているわけではないのに、彼を憎く思うような自分の心が許せない。だから、そんなことは無理なのだ。彼を嫌いになりたいわけではないから。
でも、そんな言葉は言えなくて……代わりに出てくるのはこんな言葉。
「俺はグライドを探してた。お前に会いに来た。でもそれは……それが俺の仕事だからだ」
半年前彼が彼の主を選んだように、今彼を殺した自分が言うべきは……自分の仕える人との約束。もっともらしい……言い訳だった。
あんな奴……、そう言ったならそれは自分に跳ね返る。時は金なり。時間の無駄だ。賢明なグライドは押し黙る。
「西は今……セネトレア城の刹那姫をなんとかしたいと思っている。彼女の暴走がこの国にとって良いことだとは思えない。そして東側……グライド、お前の組織も彼女を快くは思っていない。そう俺たちは考えた」
続く沈黙は肯定。彼女を疎ましく思う気持ちは商人達にもあるのだろう。これまで自分たちの利益を守るためにあった法。それさえ超越する横暴女王の誕生には、金稼ぎが生き甲斐の人間達にとっても痛い。彼女の目的は金を稼ぐことにないのだから。国益、ひいては自分たちの利益を損なうことにもなりかねない。そしてそれを進言し、怒りを買えばすぐさま処刑。表の商人達は女王が怖くて何も出来ない。彼女の美貌と恐怖に屈してしまった。
そうなればその排除を命じられるのが裏の人間。つまりは請負組織gimmick。今はグライドが治める商人組合汚れ役の裏方組織。
「だから俺は手を組まないか、そう言いに来た。敵が同じ相手なら、敵の敵は味方。一時的でも手を組んだ方が効率的だと思わないか?」
「フォース、それは君が考えたのかい?」
「……ああ」
「そうか、なるほどね。でもその機会を与えるとは……西の人間はよほどの馬鹿かお人好しなんだな。或いは君が西でそれなりの地位と信頼を得ているということなのかもしれないけれど」
「……そんなんじゃ、ない」
「そう?だけどフォース、君は何も解っていない。確かに僕ら商人は損得勘定で動く生き物さ。それでもその前提を覆すものがある。わかるだろ?」
「……純血、至上主義…………か?」
「ああ。僕らは混血治める西側なんかと絶対に手は組まない。大半の意見はそうなるよ。それを言いくるめてその申し出を受け入れたところで内部の足取りは揃わず、女王に挑む前に僕らも君たちも自滅するのが目に見えている」
容易い計算。手を組む選択肢などあり得ない。グライドはフォースの提案をばさと切り捨てた。
甘い君の考えそうなことだ。そんな甘さで国が組織が人がついてくるとでも思っているのか?それで世界が動くとでも?そんな嘲笑を彼の言葉は宿していた。
「僕らは王宮攻めのための手筈は順調に整えている。西と手を組むまでもない。革命はもうすぐさ。いずれ天地が逆さになるよ」
「そっか………それなら、邪魔した。俺は帰る。悪かった」
飯美味かったよ。そう言って彼に手を振り、窓へ向かったフォースの背中。その後ろ髪を引くよう、グライドは声を投げかける。
「彼は……Suitは、もういないんだろう?」
リフルが生きていることを知らないから、グライドはそんな見当違いなことを言う。
「それなら君が、西側にいる意味はない!あんな混血の溜まり場に、君が居ても君が汚れるだけだ!」
「……それならグライドは、お前の主が死んだからって俺が誘えばこっちに来るのか?来ないだろ?」
「…………っ、……フォース、君も言葉が上手くなったね。昔の君は……」
「俺が西にいるのはお前が東にいるのと同じ理由だ。あそこが俺の帰る家なんだ。三度目の……三番目の、俺の故郷だ。二度あることは三度あるなんて言葉、俺は絶対に認めない。俺は俺の家を守る。それだけだ」
「…………本当にそれでいいのかい?」
「…………グライドこそ。こっちに来れば?そうすれば二度も俺を殺さずに済むぜ?」
「言うようになったな……本当に」
「俺の周りには言葉遊びに特化した連中が多いから移るんだよ、そういうの」
また、とかそれじゃあとか、そんな言葉を最後に残せなかった。会いたくないのだ、また今度。今度こそは。
彼は嘆息、それを背中で聞きながら俺は苦笑。背中から斬りかからないのは彼の情けだろう。最後の優しさかもしれない。
庭を駆け抜け路地に出る。そこから適当に曲がって曲がって、身体が消える。
「お疲れ様、フォース君」
「トーラ……」
飛ばされた場所は物置小屋のようなどこかの一室。閉められたカーテンの隙間から覗けば近くにあの店が見える。トーラはその傍の空き家に身を潜めていたらしい。
そこには洛叉とディジットもいる。精神的には疲労しているが、そうも言ってはいられない。これからアルムとエリザベスを取り返しに乗り込むのだから。
予めトーラと決めていた。外へ出たら適当に追っ手を撒いて……それを見計らって空間転移で転送すると。
「説得は?」
「駄目だった」
「だろうね」
「だけど、情報は入った」
情報。その言葉に情報屋のトーラは耳をぴくと動かした。
「流石フォース君!成長したねぇ、実に強かでいいよ。とっても!それで……?」
「東側には、城に攻め込むための策がある。そして恐らくそれが“混血狩り”。純血至上主義者たちをまとめられないから内部抗争が起こる……それが断られた最たる理由だから、たぶんこれで間違っていないと思う」
「なるほど……確かにそうかも。東や商人達の半数以上は金儲け至上主義。だから金さえ手に入るなら混血だって扱うし、混血にだって商品を売る。こういう商人が裏組織に潰されていないってのはそれなりに権力と地位がある議会メンバーにもそういう奴らがいて……その意を借りてるって感じかな。後ろ盾があるから純血至上主義者もそこまでは手を出せない」
フォースからもたらされた情報と自分が保持する情報。そこからトーラは推測を進める。
「僕が調べた感じだと、混血狩りのメンバーには貴族とかより一般人とかが多いみたい。没落貴族もいるけどね。まぁ大半が混血の誕生で職を失った奴らの逆恨みかな。そういうのを戦力として確保すれば、凄い数にはなる。彼らは金のためじゃなくて混血憎しで動いてる。一致団結されると、本当に厄介。何万なんて人間が西を攻め込んできたら僕ら数術使いが居ても援護しきれない。持久戦になったら僕らに勝ち目はない」
その結果、彼女が脳内計算で打ち出した勝率は0。万が一にも西が勝つことはあり得ない。0は絶望的な数字。それが1ならどんなに可能性が低くとも、100へと至れる可能性。
しかし0にはそれがない。それ以外の数字に変わることなど出来ない数だ。
「鶸ちゃん達みたいに戦闘が得意な後天性混血もいるにはいるけど、数は少ない。一騎当千の働きをしてくれたって、絶対数の違いには勝てないよ。数術使える先天性の子達だって、持久戦の総力戦になったらみんな脳死してしまう」
守るための相手に戦わせ、その命を消費させるのは本末転倒。戦わなければならない時があるのは確かだが、勝てない戦に挑む意味などない。
滅びの美学なんてもの、必死に生きてる人間は絶対に受け入れられない。今生きているのに、何故殺されなければならないのか。そんなものを語れるのは必至に生きていない人間だけだ。或いは生きながらに死んでいる人間だけ。滅ぶべきはそいつだろう。
多くを抱えるトーラは、そんな見えない敵に向かって怒りを飛ばす。
自分が取り乱したことを知り、深く息を吸って……彼女は再び口を開いた。そこには僅かにだが冷静さが戻ってきている。
「……僕らにとって、先に戦うべき相手は刹那姫と城じゃない。東と混血狩りだ。向こうが城に攻め込むところを僕らが叩ければいいんだけど。そう上手くいくかな……」
敵は決まった。殺すべき相手が。それでもその手筈は、まだない。
「それなら急いだ方がいいんじゃないか?相手が増えれば増えるほど、俺たちが不利になる。先手必勝。その奇襲の他に方法があるとは俺は思えない」
フォースの言葉にも、トーラは渋い顔のまま。
「それはそうなんだけどね……いつものと相手が違う。何人殺せば終わるのかが僕にも見えない」
「それを率いる頭を……まとめ役を殺せばいいんじゃないか?」
「唯の烏合の衆じゃないのが厄介過ぎるよ。共通の目的を明確な意思を持っている。だから頭を潰しても暴動は止まらない。リーちゃんは暗殺は得意だけど、何万っていう人間を殺すことなんか……」
「いや、彼にはそれが出来る」
ここで初めて割って入ったのは洛叉。硝子の奥の黒い瞳はじっと深い闇を見つめるように物語る。
「それってまさか……」
フォースはその目に思い出す。殺人鬼Suitの暗殺は、何も毒だけではなかったじゃないか。
「リフル様には邪眼がある」
「そんな、無茶だよ!リーちゃんは一時期よりはマシとはいえ、まだ完全に邪眼をコントロール出来てはいないんだ!」
それならば殺し合わせることは出来ると言う闇医者に、トーラはすぐさま噛み付いた。この二年間一番彼の傍にいて、彼を支えた彼女だからこそ……その言葉には説得力がある。
「それに数百程度ならまだしも、何万……下手したら何十万って人間が相手だよ!?それを一気に魅了し殺し合わせる力なんか……それを引き出すには、リーちゃんがどれだけ精神的苦痛を味わわなきゃならないの?僕はそんなの御免だよ!」
邪眼はリフルの感情に呼応され、力を増す。魅了範囲を拡大する。それでもそれが行き過ぎれば暴走。味方さえ巻き込む地獄絵図になる。
「……それって洛叉。リフルさんを1人で敵陣に乗り込ませるってことだよな?」
フォースがそう尋ねても闇医者は頷きはしない。それでも目を伏せ眼鏡を直す。その沈黙が答えのように聞こえていた。
「あの方が我々を巻き込むことをよしとしない以上、他に策もあるまい」
そして回りくどく彼は同意。
主人の考えそうなことを考え、言い出しそうなことを言う。それは最大に彼の意思を尊重する言葉。それでも何かがおかしい。フォースはそう思う。
「……あんたはそれでいいのか?俺は嫌だよ」
そうだ、約束。昨日も交わした。互いに互いを邪魔してでも助けると。
だからこの闇医者の言葉を受け入れられない。
「本当にあの人が大事なら、意思を拒んででも邪魔してでも守るってことなんじゃないのかよ?あの人に従うだけじゃ、……それじゃ本当に邪眼に屈してるみたいじゃないか!」
「洛叉さん、悪いけど……僕もフォース君に賛成」
フォースの言葉をそっと横から支えるようにトーラがきりりと眉をつり上げ、言葉を紡ぐ。
「第一そんなことしたら……リーちゃんが本当に、立ち直れなくなってしまう。混血狩りの人間だって、人間だ。リーちゃんは必要最小限の殺し以外肯定しないような人だよ?僕ら混血と奴隷達のために、それを上回る人間を虐殺することを彼が受け入れるとは思えない」
「男でも女手も子供でも赤子でも敵は敵。違うか?脅威ならば排除すべき。甘さは後々禍根を残す。やるなら徹底的に。それが西のためでもあろう」
「少なくとも彼はそう思っていないよ」
洛叉の過激な言葉にトーラは首を振る。
「教育ってのは洗脳で、本当恐ろしいものだよ。純血至上主義者がみんないい年した大人ってわけじゃない。日々、量産されているんだ。生まれた子供、そういう善悪の区別もつかない内から僕らを悪だと刻み込まれてしまうんだ」
自分が何かをされたわけでもないのに。それを本当のことのように思い込んでいる。混血が奴隷が、その子に何かをしたわけでもないのに。
正しくもない歴史観。世界観。そんなもので現実を捉えている。それこそが世界の真実だと根拠もないのに主張して。
「そういう子達を教育し直すのは本当に大変で面倒な作業。幾ら時間を掛けても上手くいく保証がない。三つ子の魂百までって言うしね。殺した方が手っ取り早く一掃できるってのは僕も同意。僕の数術で街毎吹っ飛ばしてやりたいくらい」
ある意味金の亡者の方がやりやすいとトーラは言う。
彼らは何時でも何処でも金のため。それ以外の理由を持たない。どんな無理難題もその一言で片がつく。
しかし混血狩りの人間達は違う。だからこそ、厄介。
セネトレアにありながら、金で動かない人間達。買収して裏切らせることも期待できない。金で操れない人間ほど厄介な奴は居ない。
トーラの溜息は続く。
「だけどさ……リーちゃんは、そういうの嫌いでしょ?すっかりあの聖十字君に絆されちゃって……いや元々リーちゃんもそういう人だからああいう子を信じたいのかもしれないけどさ」
自分を罪人だと言って憚らない彼。その本質はあのクソ真面目な正義漢と同種。
人を世界を悪だと言いながら、心のどこかで善だと信じたいし信じてる。何度裏切られてもだ。あの人はそう言う人だ。
その言葉に四人共が何も言えない。実際自分たちも一度は彼を裏切ったような人間だから。
トーラはリフルを利用していたし、洛叉は彼を裏切って東に付いた。ディジットは彼を騙し………そしてフォースは彼の期待を裏切った。
亡命して幸せに暮らしているだろう。そう信じていたリフルを裏切り自分は人殺しの処刑人まで堕ちていた。
「リーちゃんは、人殺しをその子が犯すまでそれを悪とは呼ばない。罪を憎むとしたら彼らを教育した親の方。その子が僕らを殺して初めてリーちゃんは暗殺対象として捉えるだろう」
裏切った自覚があるからこそ、トーラの言葉が胸に響いた。
「それって、加害者をギリギリまで信じたいって気持ちでリーちゃんの甘さで優しさなんだけど……」
疑わしきは白。無罪の罪で処刑された彼だからこそ、自分と同じ苦しみを誰かに与えたくないのだろう。けれどこの世界はそんな彼の優しさをも嘲笑う。
「……それってつまり、被害者を見捨ててる。助けられないってことになるんだよね。勿論彼にそんなつもりはないだろうけど……みんなをみんな救える人間なんかいないんだってこと、彼はそろそろ気付かなきゃ」
「さ、それじゃそろそろ僕らも始めようか。時間もいい頃合いだ。あんまり早すぎると数術使いが荷担してるってバレちゃうからね。急ぎたい時ほどゆっくりと茶を啜れってことで」
「それじゃ、ディジットさん!フォース君!準備はいい?」
「ええ」
「……ああ」
「僕は君たちの追跡をする。たぶんあの店からすぐに移動させられるだろう。上手くいけば混血狩りの奴らの隠れ家を曝くことも出来る。油断しないで、頑張って。でも気をつけて?僕は本当にギリギリの所まで助けにはいけない。相手が相手だからね」
「ああ、解ってる」
相手の油断を誘うために乗り込むのはこの二人。トーラは後方支援。洛叉は増援、奇襲要員。真純血の外見を持つ洛叉なら、純血至上主義の人間達を一時的に騙すことなら容易だろう。これはそういう策だった。
「あ、そうだトーラ。一つ忘れてた」
「何?行ってきますのハグでもして欲しいの?よーしよし良い子良い子ー」
「いや、そうじゃなくて……」
フォースはそれを思い出したことに安堵の息。これを忘れていたら、とんでもないことになっていたかもしれない。
そう。洛叉とあの男は顔見知り。
「…………グライドの顔を、反応を見て解ったんだ」
「え、何々?」
「ヴァレスタ……あの男は、まだ生きてるよ」