11:Nomina sunt odiosa.
(…………)
目を開ける。ぼんやりとした暗い視界。何故だか怠い。思わず再び目を閉じて二度寝をしよう。そんな気分になった。
「……っ!!」
そしてすぐに見開いた。ここは何処だ!?何故私はこんな所に転がっている?
身動きが取れない。身体が縛られているのだと知る。視界が暗いのは、目隠しをされているから。
これはまずい。邪眼が使えない。完全に使えなくなったわけではないが、効果が格段に下がる。縛られていても邪眼さえあれば毒で戦うことは出来るが、それも封じられてしまったら毒人間に意味などない。
「やぁ、お目覚めかな?」
けらけらと小気味よく笑う男の声。
「……その声はっ」
「そうだよ。君に道案内をしてもらった人間さ。お人好しの殺人鬼さん?」
その声に思い出す。
見えなくなったからこそ、二重に思い出す。
(私は……彼を、知っていたっ!!)
盲目の内に真実はあったのだ。
*
「あの、すみません」
「え?」
思わず振り向いた。振り向いてしまった。
それはアスカに頼まれた飲み物を、席まで運ぼうと彼を捜していたときのこと。
「ちょっとお伺いしたいのですが」
そう言って切り出してきたのは一人の青年。
長い綺麗な金髪に、透き通るような冷たい青の瞳。それでも優しく彼は微笑むから、そこまで冷たい印象は与えない。
頭にはシルクハット、片手にはステッキ。絵に描いたような紳士みたいな格好。それにしても上品な顔立ちの男だ。どこかの家の貴族だろうか?
貴族にしては珍しい。こんな物腰穏やかな人間がこのセネトレアにいるなんて。そんな思いでリフルはまじまじと彼を見上げる。
「あなた方、西裏町の方から出てきたでしょう?」
「さぁ、どうだったかしら……?私まだこの辺りの通りの名前をよく知らないんです。私の連れが詳しい分、いつも彼に頼りっきりで」
方向音痴なんですよと微笑むが、男はそれに騙されはしなかった。
「あはははは、嫌だなぁ。私はちょうどそれを見ていたんですよ。いえ、やましい気持ちはありませんけどお嬢さん、貴女があまりに愛らしいので記憶に残っていたんです。こうして同じ店で出会ったのも何かの運命だと私は思ったくらいです」
「ふふふ、そうですか。ありがとうございます」
軟派な男だなぁ。こういう男は苦手だ。鳥肌が立つ。本心っぽく聞こえないから余計に薄ら寒い。そう思いながらもとりあえず会釈のように笑み返してはおいた。社交辞令だ。
「ああ、失礼!私は貴女をお茶に誘うために声を掛けたのではなくて……貴女が西に明るい人ならば、これを知っているのではないかと思いまして……」
「……これは」
紳士が鞄から取り出した……それは人物画。一人の少女が描かれた何と言うこともない絵。
唯、その絵の隅に記された……“Lear”の文字さえなかったら。
「先日、いい絵を手に入れたと言う知人からこれを見せてもらってね……私も気に入りあたまをさげて譲り受けた絵なのですが、見事なものでしょう?この絵のモデルに貴女があまりにも似ていたので、つい声を掛けてしまったのです」
言われて気付く。ああこれは……リアがリフルをモデルに描いた絵だ。
なるほど。この絵を知る者なら、自分を見つけてしまっても不思議ではない。今の変装は彼女がこの絵に描いたのと全く同じ色なのだから。
「この絵を描いた画家は最近私達の中でも評判でしてね。私は是非とも彼に描いて貰いたい絵があるのですが、風の噂では最近西裏町にアトリエを移したらしく消息を掴めずにいまして……裏町のことに私共はそう明るくありませんからね」
「そんなに評判なんですか?」
友人が褒められるのは素直に嬉しい。彼女が夢に一歩近づいたようで、リフルの方も喜ばしい気持ちになった。
「ええ。お抱えの画家にしたいという者までいるくらい」
「そうなんですか……」
「人違いだったら申し訳ないですが、もし貴女がその画家のモデルなら……彼の居場所を教えてはくれませんか?」
リアという名前。そこからこの男は彼女を男だと思っている。
名前狩りの標的はみんな女だ。それなら、危険なことはないだろう。
この男は純粋に、彼女の絵に惹かれているのだ。早く画家に会いたい。そんな思いで一杯の輝いた目をしている。
(やったな……リア!)
君の努力が認められてきたんだ。10人が10人素晴らしいと思えるような絵。それを生涯に一枚でも良いから描いてみたいという君の夢。それが一歩先に進んだ。そこに協力できたことを嬉しく思う。
「良かった……」
思わず涙ぐんでしまった。嬉しくてこんなことになるなんて、本当に久々。彼女はいつも素敵な気持ちを与えてくれる。
感動からの泣き笑いに、男は不意を突かれたように目を見開いた後、苦笑していた。
「あの人なら今日はここにいると思います」
それでもここから何かが漏れるといけないから警戒はしておく。いつも同じ場所にいるとは限らない。そんなニュアンスを漂わせて住所のメモを彼に渡した。
「ありがとう!お嬢さんっ!」
そう言って、男がガバと抱き締めてくる。感極まったせいだろうか?
しかし力が、強い。抗議の声をあげようとしたリフルの口が発したのは、まったく違うものだった。
それは呑み込む息。声が出せない。それ以前に意識が……朦朧と…………
*
「半年ぶりだねぇ……“姉さん”?」
「……アルタニア公がこんな所に何の用だ?」
半年前と今。見えているのが彼。見えていないのが自分。
圧倒的不利。相手は身体能力に特化した後天性混血。自分は邪眼以外の数術を操れない能無しの先天性混血。正面から渡り合っても……万が一にも勝てる相手でもないのに、今は盲目、おまけに拘束状態。戦況は絶望的だ。彼が目を得たこと、その写真ならば見た。なのに服装一つで結びつかなかった。気付くべきだったのに。
「つれない言葉だね。半年前はもっと優しかったのに」
「…………正体がバレてそこでまだお前の機嫌を取る意味が理解できないな」
「僕はすぐに気付いたよ。“姉さん”は変わった血の匂いがするからね」
長らく見えなかった分、他の人間より多くを見ることが出来るとアルタニア公カルノッフェルがけたけた笑う。
(……あの売買ルートが確立されているということは、そこで気付くべきだったんだな)
先日遂行した仕事。剥製作り趣味の変態貴族の暗殺の件。
目を閉じてばかりいる剥製。そこには目玉がない。トーラはその眼球売買の市場が成立していると示唆していた。現に、東側ではパーツ分けでの人身売買も行われているらしい。
カルノッフェルは盲目。その先入観に囚われていた。それが判断を見誤った要因。
(くそっ……これではまるで、見えていた私の方が、何も見えていなかったみたいじゃないか!)
「毒人間に毒は使えないって話だからねぇ……力技で締めさせてもらったよ。痛かったかい?」
「…………」
それはそれなりに。痛覚が戻ってきているのだから。しかしそれを悟られたら何をされるかわかったものじゃない。
故にリフルは無言を貫く。
「彼女を、どうするつもりだ……」
「ああ、絵描きの彼女かい?」
これまでの流れから心配すべきは彼女のこと。彼女は無事なのだろうか?それが不安でならない。
「勿論、名前狩りは遂行するよ!綴りを変えたところで僕は絶対に許さない。姉さんの名前の一部!それを紙に記して広く配り歩いた彼女はあまりに罪深い!」
「カルノッフェル……お前は間違っている」
「へぇ、どこがかな?」
愉快気に聞き返す男は、自分が間違っているとは微塵にも感じていないよう。
「名というのは人の本質ではない。名付けられた名に意味はない!」
多くの名を持つ自分だからこそ、心からそう思うのだ。
「名とは大事な人に呼んで貰うからこそ、そこに意味と価値が生まれ……その名を愛おしいと思い、それが自分と受け入れられるようになるんだ!彼女たちは最初から聖女なんじゃない!そう呼ばれ続けることで彼女たちはマリアになったんだ!!」
なんでこんな簡単なこともわからないのだろうこの男は。
いきなり名前を捨てられる人間なんかいるはずがない。
どんなにそれを嫌だと思っても私がまだ心のどこかで“瑠璃椿”を捨てられずにいるように!思い出せば辛いこと。悲しいこと。だから憎んでいる。それでもやっぱりあの名も私は愛していたんだ。お嬢様にそう呼ばれるのが、とてもとても……好きだったんだ。
「リアはお前の姉さんじゃない!私の……私の大事な友人だ!」
「“姉さん”にはわからないよ。貴女は……いや、貴方は無くしたことがあるかい?自分自身の片割れ!世界の誰より愛した相手!その人がいたから生きていられたんだ!僕にとっての全てだったんだ!それが失われたのに、未だその名が僕の周りで呼ばれ愛され続けている現実にっ!耐えられるか!?耐えられないだろうっ!?」
叫んだ声は、それより大きな声で掻き消された。
見えないけれど、彼の声は泣いているようにも聞こえた。そのせいで息を呑み……言葉を失う。
それでも先に平静を取り戻したのは、動揺していた彼の方。
「……まぁ、僕も鬼じゃない。彼女の願いは叶えてあげる」
「願い……?」
「彼女は絵描きだろう?作品を未完成のまま死ぬことは出来ないんだってさ。あの絵が完成するまでは、彼女は生かしておいてあげるよ」
生み出した作品は完結させてこその芸術。未完成こそ作り手にとって辛いものはない。
この男はそこに僅かに理解を示したようだ。彼もまた、未完成の愛を内に秘めているからなのか。片割れを失ったことでそれは永遠に完成されない。だから、彼のこの暴走。
そんな彼の姿に思う。一体、愛とはなんなのだろうか。人を、人の心をここまで操り、狂気に駆り立てる。それはまるで邪眼のようだ。
そんなもののために人は生き、死んでいくのか?馬鹿みたいだ。そんなものがなくたって、人は生きて、死んでいけるはずだろうに。
「“姉さん”はそれまでここで待っていて。すぐに僕と同じ気持ちを味合わせてあげる。彼女がそんなに大事なら……きっと、わかってくれるよね?」
「………それで本当に、お前の“姉さん”が喜ぶと、お前は本気でそう思うのか?」
「…………………本当に、貴方は姉さんに似ているよ」
釘を刺した一言。それに男は小さく返して、消えていく。
扉の閉まる音。鍵の掛かる音。遠離る足音。……嗚呼それすらも、もう聞こえない。
冷たい床に転がって……そうしてどのくらい放置されていただろう。
突然扉の向こうから届く、ばたばたと慌ただしい足音にリフルは飛び起きる。
「アスカ……!?」
思わず口から零れ出た言葉。扉が開いて、聞こえた声は全然違う。
「ひひひひひ!今日は大漁だな!!」
「へへ!ぼろい商売!」
室内に入ってきたのは、複数人の足音。そこから聞こえるは小物臭い悪党の声。
(は、恥ずかしい……私は何を口走っているのか)
こういう時助けに来てくれるのは彼だとそんな馬鹿げた先入観が自分の中にあるのだろうか。穴があったら入りたい。そのまま埋まって窒息したい。
「一匹連れてくればそれで一気に20万シェルもくれるってんだ。いや、よくある名前なんだなぁ……マリアマリアって言ってれば振り返った女はみんなそんな名前だぜ」
「兄貴兄貴!あれ見て下せぇよ!すっげー!」
「ん?先客か……」
「ほほぅ……これはこれは」
目を封じられている以上、邪眼の魅了能力は底辺まで落ちているはず。はずなのだが……
(なんだろうな。この嫌な感じは)
何やら不穏な空気を感じる。
「このまま殺すってのは勿体ねぇ上玉だ。どれ、可哀想だから俺が味見でもしてやるか」
「どうせ殺すんだしよ、楽しませて貰っても罰は当たらねぇですって!」
流石セネトレア。全く持って意味の解らない理由付け。
「この目隠しがいいな。逆にエロイ」
「兄貴マニアですねぇ!ひひひ!俺はこの縛りの方がぐっと来て……」
「まぁ待て兄弟!ここは兄の俺から頂く。文句ねぇな!」
「いやいやいや!ここは弟分の俺が毒味をっ!」
「黙れ!弟分が俺に逆らうってか?」
「兄貴のド変態野郎っ!この処女厨がっ!キモいんだよカスっ!こんな腐れファックセネトレア王国に何人処女がいるってんだ!」
「喧しい!こんな清楚なお嬢様風の美人さんが非処女のわけがねぇだろうがっ!常識でものを言え!これはどこかの箱入り娘で、それが拉致られてきたんだろう!見ろよこの新雪みたいな綺麗な肌を!生足をっ!こんなのが非処女なら俺はもうこの世界の何も信じられねぇ!!」
スカートの裾を捲って足が顕わになったらしい。その足を見ながら悪党共は不毛な論争を続ける。まず大前提が間違っていると言うことも気づかずに。
とりあえず私は女装こそしてはいますがお嬢さんじゃないんですが。それ以前に非処女上等。悲しすぎる経歴を持っているんですが。
とりあえずどこからツッコミを入れるべきか。地味にトラウマ刺激されてて心が痛い。心が折れそう。誰か助けて。
そう、盛大にリフルが溜息を吐いた時だった。
「殺人の共犯、連続拉致、そして婦女暴行……十字法に乗っ取り、貴様らを現行犯逮捕する!」
室内に高らかに鳴り響くは女の声ではない。かといって野太すぎる男の声でもない。それは汚れを知らないような力強い少年の声。
「……!?」
剣を抜き払う音。そして鳴り響く銃声。
男達の悲鳴もすぐに消える。昏倒させられたのか。
「……大丈夫か、君?」
見えない分、その声に大きく反応してしまう。その声を聞いただけで誰かと解ってしまうくらい、自分は彼と現場で鉢会っていた。
(この声……ラハイア!?)
そんな馬鹿な!嫌だ何これ。吊り橋効果で何か凄く格好良く見える。目隠しされてて見えないけど。アスカならこんなことないのにな。アスカだし。
「酷いことをするものだ。痛くなかったか?」
縄と目隠しを切り解いてくれたらしい彼。
さっきまでのときめきを返せ。そう言いたくなった。吊り橋効果カムバック。
名前狩りの奴らに捕まってきた以上は、マリア……つまりは女の格好で潜入した。そう考えて不思議ではない。
(しかし、ここまでやるか?)
最近の彼はなりふり構わずになってきた。悪を捕らえるためならここまで自分を捨てるか。出会った頃の彼からは想像できない。いや、いいことなのかもしれないが。正義のためにここまでやれる男はそうそういない。彼こそ男の中の男だ。
それにまぁ、別の意味でときめくかもしれない。ある意味。
(ああ、これは惜しいな)
もし今自分がSuitだったら、思う存分からかえるのに。「良い様だな」とか「なんだその可愛らしい格好は?落ちたものだな聖十字」とか。
いや、自分も人のことを言えない格好で捕まってた奴に言えた台詞ではないことは重々承知しているけれど。
「君は……ベラドンナじゃないか!どうしてここに?」
「養子に入った家で、“マリー”と名付けられましたので」
「なるほど……それでか。いや、君が無事で良かった」
くそ、聖十字め。この正義漢め。
相変わらず真っ直ぐな言葉だ。歯の浮くような台詞に嫌味がないのがとても嫌味だ。けしからん。だがそこがいい。
相手がまぬけな格好をしているというのに何を私は絆されかかっているのか。ああ、あれか思い出補正か。この二年間の出来事が走馬燈のように……
「あんた、その格好薄ら寒いからさっさと着替えて来なさいよ。こいつら待機してるラディウス達に引き渡しながら。この子は私が見ておいてあげるから」
「す、すまないソフィア」
突然割って入った声。そこで初めてもう一人いたことに気がついた。
自分が如何に彼ばかり見ていたのかがよくわかる。これはこれで恥ずかしい。
ラハイアは連れの少女に頼むと一言言い残し、縄で縛り上げた男達をずるずる引き摺って行き……すぐに引き返し、窓を開けそこから荷物(ていうか男共)を放り投げ、自分も外へとジャンプする。随分とアクティブになったものだと彼の成長に感心しながら見送った。
「ま、二階なら死にはしないし、少しは痛い目見た方が良いのよああいう奴らは」
気絶してまた気絶したらしい荷物達を嘲笑う少女。彼女も聖十字なのだろうか?
金色の髪に青い瞳を装う小柄な少女。彼女の手にはタロック王族の髪のように深い漆黒の銃。そこに金色で逆さ十字の紋章が記されている。普通の十字兵が持つ銃は白銀。それに銀色の装飾が為されている。この紋章を正規の向きにしたものだ。
彼女はそれをリフルに突きつけ小さく笑った。これは随分な挨拶だ。
「こんにちは殺人鬼Suit。初めまして、それとも久しぶりと言った方が良い?」
「え……」
彼女は此方の正体を知っていた。だからこそのこの挨拶。引き金に指をかける振りをした後、銃を彼女はスカートへ隠した。
「安心して。別にあいつには言ってないわよ。属する所も違うしそこまで私が教える義理はないし」
ラハイアは知らない。そう告げられほっと口から溢れる息は安堵だろうか?いや、そもそもいつかバレることを前提に始めたはずだった。最初こそは現場での鉢合わせだったとしても、それを利用してやろうという気持ちはあった。無駄に他人を信じてしまう彼を一度は人間不信の闇に突き落とし、そこから這い上がらせるため……そのために嘘の人間の姿で彼の前に姿を現すようになったのに。それなのに自分は何を安心しているのだろう。
さばさばとした物言いの少女。しかし見覚えはない。
彼はこの子をソフィアと呼んでいたが、記憶の中にそんな少女は一人もいない。
「私はとある方の命令で、この事件解決とあんたの力になるよう言われてこのクソったれた国まで海を越えてやって来た」
海を越えてきた?聖教会の人間ならば、第二聖教会のあるカーネフェルから?或いは総本山の第一聖教会のシャトランジアから?少なくとも彼女がタロックから海を越えてきたということはないだろう。
「私は聖教会の裏の顔。暗殺隠密処刑死刑執行機関改め聖十字諜報部、運命の輪が1人。以後お見知りおきを」
「運命の……輪?」
耳慣れない言葉だ。それを疑問に思うと、その少女に鼻で笑われた。
「あんたの連れの金髪のお兄さんにでも聞いてみなさいよ。シャトランジアにはあんたよりあっちの人のが詳しいはずよ。彼の家はうちの組織と関係あった家だって話だし」
「アスカが……?」
この少女は何者だろう?事情に明るいどころか、自分の正体……おまけにここにいないアスカのことまで知っている。
「今は時間がないから、詳しくは後で。さっさと乗り込むわよ。とっととこの件片を付けなきゃ予定が遅れてしまうもの」
尋ねる間もなく、背を向け少女が歩き出す。リフルも急いでその後を追った。
そうするしか、他になかった。
「…………しかし胸糞悪い奴ばっか。やっぱこの国最低だわ」
明確に目的地を知るような迷いのない足取りで、ツカツカと歩みを進める少女が突然そう言った。
「ライル坊やが早くに駆けつけて、あんま人目につかないよう配慮して守ってやったみたいだけどね。昨日のはまだマシだったけど、その前の死体なんかとても見られたもんじゃなかったわ」
何故彼女は自分にそんなことを言い出すのだろう?その真意を計りかね、リフルはじっとそれを聞く側に回る。
「名前狩りだなんて悪趣味も良いところだわ。でも納得。ああいう小物を金で雇って、おまけに捕まえた女を好きなだけいたぶって良いっていうんだもの。馬鹿はすぐに釣れるでしょうね」
彼女はトーラやラハイアが教えてくれなかった真実を、リフルに聞かせようとしている。
そのことに、自分は彼女たちに守られていたんだなとそう思う。自分の名を騙った人間がどんなことをしたのか。それを知ったリフルが傷つかないよう、トーラは守ってくれていた。ラハイアはSuitのその汚名を晴らそうと……敵なんかである自分のためにこうして事件解明に挑んでくれている。
それに気づき、鼻の奥がツーンとなる。
(それでも私は、知らなければならないんだろうな)
逃げてはならない。頷き、彼女の言葉を促した。
「奴らは聖女の名前を持つ女を、これでもかってくらい辱めて殺してそれを人目に晒す。ほんと最低!信じらんない!どいつもこいつも女を一体なんだと思ってんだか」
殺されただけならまだマシ。死体によってはバラバラにされて捨て置かれていたものもあり、衣服もはぎ取られようなものもあり、その殆どから暴行の後が見受けられた。二重の意味で。
それはセネトレアではよくあることかもしれないが、金品目的でなくそこまでやられることは稀。つまりは異常。それを見つけたセネトレアをよく知る人間も、あまりのことに絶句したと彼女はいう。
「そのせいで殺人鬼Suitは男だって説が第三教会内では濃厚よ。複数人の精液が見つかってるってのに何でもかんでも一人の人間のせいにしたてあげようってのが笑えるわ。あれは別の所からの圧力が働いてるわね。ここの聖教会はほんと屑だわ」
証拠を証拠と取り上げない。ラハイアがそんな教会上層部と戦ってはいるが、勝ち目はあるのだろうか?彼は限りなく正義のことを考えてはいるけれど、正義が勝つとは限らないのがこの腐れ切った世の中なのだ。
「どうするのあんたは?このまま生きてるのが連中に知られれば、あんたはあんたがやったんじゃない罪まで押しつけられるわよ?」
「私は……」
「ま、私には関係ないけどね」
話題を振って答えを待たずに切り捨てる。彼女は会話ブレイカーなのかマシンガントークのスキルを所持しているのか或いは殺人鬼なんかとまともに会話をする気がないのか。それは不明だが会話はそこで打ち切られたのは間違いない。
そうして続けて彼女が呟いたのは、暗い暗い……そんな声。
「犯人もあの男達も同じ目に遭えばいいのに。そうなるまであいつら絶対に反省もしないし何も理解できないのよ」
聖十字に属する者とは思えない。暗い影を宿した怨みの言葉。
「よかったわねあんたも。あいつがあそこでキレなかったら明日道ばたに捨てられてたのはあんたの死体だったかもよ?やることやられまくった後にね。私はあそこであいつが暴走しなかったらそのまま成り行き見守るつもりだったし、死んでたかもね」
平然と恐ろしいことを言う彼女。それに思わず怪訝な顔をしてしまう。それに彼女は小さく吹き出した。もしくは鼻で笑った。そして或いはその中間。
「まぁ、怨まないでよ。私が知ってたのは偽名がベラドンナってこととあんたの本当の外見くらいなものだから。目隠しなんかされてちゃいくらなんでもわからないわよ」
にっと冗談めかして笑う顔。その目は依然として暗い影を宿したままだが、今まででは一番それが払拭されたような表情だった。
反応に困ったリフルは、気になっていたことを彼女に尋ねる。
「それにしても……いくら何でも人手が少なすぎないか?」
「そりゃ私がここに乗り込むまでにいろいろぶっ放したし当然」
「!?」
「殺しても良かったんだけどね。あの坊やが五月蠅いし自重してやったわ」
ひらひらと手を振り、そして両手に漆黒の凶器を構えて彼女が笑う。
「私には教会兵器がついてる。あんたが幾ら弱くても、こっちに分がある。わかってもらえた、殺人鬼?」