9:Latet anguis in herba.
「東裏町か……」
ここに踏み込むのは半年ぶりだ。フォースは思わず息を呑む。西と東の空気はやはり違う。表通りより東に踏み込んだだけで空気ががらりと変わったようにさえ思う。
それでもまだ早朝。あんなことの後だ。眠れるはずもなく、いてもたってもいられなくなり宿を飛び出した。
「グライド……どうしてっかな」
半年前に再会した親友。彼との別れは仕方がないことだった。
自分は殺人鬼のリフルを選んだし、彼はヴァレスタというあの奴隷商を選んだ。自分たちが付いて行った相手が敵対している以上、自分たちがその人達の力になりたいと思うなら……自分たちも戦わなければならない。
(それでも俺は……甘かった)
グライドはフォースを殺すつもりで来た。それが勝敗を決した要因。
(俺は馬鹿だな……あいつが、グライドが。俺を殺す気で来るとは思わなかったんだ。俺があいつを殺すつもりはなくて……戦いはしてもそこまでやらないつもりだった)
だから相手もそうだと信じた。昔は何をするにもいつも一緒だったから、馬鹿みたいに気があったから……思うことも一緒だと馬鹿みたいに信じてた。思い込んでいた。それが自分にとっての当たり前でも、相手にとってはそうではないということに、気付けなかった。人は変わる生き物なのに。
この王都で離れ離れになって1年半。その間に彼の心は変わってしまった。それでも再び出会えたことが嬉しくて、そういう所をきっちり見ようとしていなかったのだろう。
(あいつ……本当に冷たいんだ。リフルさんを見たときの目……)
グライドはこのセネトレアに来て混血嫌いになった。そうだ。彼は混血嫌いだ。だと言うのに……
「空気読んでくれよ……」
「え?」
影の遊技者から抜け出したフォース。そのまま歩いていると後ろから追っかけてきた奴が居る。
振り向けば布きれを被った一人の少女。一応は変装したつもりなのだろうが桃色の明るい髪がはみ出ている。いや、もしかしたら変装などではなくて単に朝方で寒かっただけなのかもしれない。
しかしよく追ってきたな。普段の彼女の行動力と機動力のなさからすれば、恐ろしいほど。
(俺一応元処刑人で、現暗殺請負組織メンバーなのに……)
裏町暮らしとはいえ鈍くさい一般人の少女に気付かれるとは名折れも良いところだ。
髪をきちんと結わせて襟から服の中に隠させて、きっちり布を被らせる。今更帰れと言っても多分1人じゃ迷うのが彼女のオチ。アルムの行動は彼女の精神状態に大きく左右されるものだ。最近はしっかりしてきたがそれでも間の悪さはカバーできない。そのまま帰して、迷わずにいられたとしても……起き出してきた商人達に見つかって売り飛ばされるのが目に見えている。仕方ないからとここまで連れてきてしまったが、これからグライドに会いに行くというのに混血の彼女が居たらはっきり言って迷惑だ。それだけで彼の機嫌を損ねかねない。
溜息を吐くフォースに「どうかしたの?」と言わんばかりのアルム。何も解っていない。
(何でついてきたんだよアルム!)
(だって私もエルムちゃんが心配なの)
フォース君はエルムちゃんの所に行くんでしょう?と妙な直感を働かせてこちらの行動を読む彼女。腐っても混血。アルムにも数術使いの才能はあるのかもしれない。
(あー……俺エルムが昔言ってた意味最近わかってきたかもしんない)
(ふ、フォース君の意地悪っ!)
小声で互いに不満を漏らしていても始まらない。このままgimmickまで行ってどうなることか。いったん帰るか?どう考えても彼女は邪魔だ。
道を間違えた振りをして出直そう。間違えたと言えばおそらく彼女は騙される。
そう思い引き返すためのショートカット。細い路地へと入りそのまま曲がって……俯いていた視線。そこに何かが飛び込んだ後、頭から何かにぶつかった。
妙に柔らかい感触。我に返って急いで飛び退く。
「この私の胸に飛び込むとは良い度胸じゃない。たらふく慰謝料払って貰わないとね」
綺麗な明るい金髪を、二つに結った髪。上品なメイド服姿の彼女は青い瞳のカーネフェル人。
顔を上げてフォースは驚く。その顔には見覚えがあった。
「え、エリザ……!?」
「は?……ってその呼び方は、もしかしてニクス!?」
彼女もフォースに気付いたようだ。つかつかと歩み寄り抱き付いた後、すぐにべりと引きはがし、額を指で突っついてくる。
「こんな真夏に雪が降るなんて、驚きだわ!真っ黒髪の……ねぇ、雪?あんた生きてたの?生きてたんならさっさとそう言いなさいよ。この私を騙すようになるなんてやるじゃない。ニクスちゃんもちょっとは世渡り上手になったのかしら?懸賞金くれてやるなんてかっこつけた癖にとんずらこくとは良い度胸ね!」
「別に俺はそういうつもりじゃ……」
「ま、立ち話もなんだし?そこらで一杯どう?」
有無を言わせぬ迫力の満面の笑み。それに引き摺られるようずるずるとある建物に引き摺り込まれた。
その中は、割と落ち着いた雰囲気の……そう、悪くない店。眼の冷めるような珈琲の温かな香りが漂ってくる。
「マスター!グッモーニン!今日もまだ生きてる?」
店の奥から「まだ生きてるわ呆けっ!勝手に殺すでない」という声が聞こえてくるが、店の空気は落ち着いていた。店内には穏やかなクラッシックの曲が流れている。音楽を聞き込んでいないフォースにとっては眠気を誘う音楽だ。寝ずに来てしまったせいもあるが、ここらで眠気覚ましというのも確かに悪くない。エリザベスは気が利いている。
「でもこんな朝からやってる店あるのかぁ……」
「まぁ、仕入れの商人も多いし?港から夜にここに着く人も多いからね。西側の連中が知らないような店って結構あるのよ」
「それなら……」
思わず出口を振り返れば、エリザベスがくくくと笑う声がする。
「gimmickの人達は来ないわよ。ここ珈琲専門店だもの」
「え?」
「あの人達は緑茶と紅茶派。珈琲の匂いも嫌いなんですって美味しいのに。お金持ちの成金かぶれにはほんとまいっちゃうわ。ここのお店も良いところなのに、成金趣味が流行ってるせいですっかり寂れてしまったものだし」
肩をすくめてみせるエリザベス。その横で、マスターと呼ばれた髭を蓄えた初老の男性が渋い顔で「誰の店が寂れたかっ!」とかぶつぶつぼやいていた。
別に顔が似ているわけではないが、ジャンル分け的にその渋格好いいマスターに涙腺が緩む。前アルタニア公とかコルニクスを思いだし少し涙ぐむも、とりあえず欠伸をして誤魔化した。
カウンター席を陣取って腰を下ろしたエリザベスに連れられてフォースとアルムもその横へ。確かに彼女の言うよう、客はまばら……というより今は貸し切りのようだ。
「マスター珈琲三つ!私エスプレッソ……いややっぱウィンナ・コーヒー!あんた達は?」
「私カプチーノ!」
「……んじゃ俺はカフェオレで。牛乳多めで砂糖も多めで!」
「うわー……お子様。ドン引きなんですけど。あんた今年で幾つ?」
「15だけど……悪いかよ」
「マスター!この子のブラックで!砂糖ナッシング!」
「お、鬼っ!悪魔っ!」
「ほほほほほ!半年も連絡を寄越さなかったあんたが悪いのよ!……でも何で苦いの駄目なの?」
「だって苦いじゃん」
「あら、それがいいのに、お子様ね。ニクスは男の子で良かったわね。もしあんたが女の子で珈琲が苦いなんて言ってたら生きていけなかったわよ」
「朝から下ネタは止めよう、な?お子様も居るんだし」
「お子様じゃないもん!アルム、もう大人だもん!」
「子供っていえばニクスのがある意味子供よね」
「だから下ネタやめてくれっ!」
エリザベスも慣れたもので、此方を手玉に取る態度は相変わらず。それになんとなくほっとしている自分がいるのが妙な気分だ。
「しっかしねぇ……あのフィルツァー様とニクスが同郷だったとは驚きだわ。あんたもう黒歴史化されてるんじゃないの彼の中で」
「うっ……傷つくようなこと言うなよ」
或いはそうなのかもしれない。そんな風に苦い気持ちを呑み込んだ。
エリザベスは近況の報告をしてくれる。あの取引は彼女の中ではまだ無効になっていないのか、協力してくれるような姿勢だ。
「あれからあんた戻ってこないから、私はあのままgimmickにいたんだけど。そうねー……ヴァレスタ様とその子の片割れは見てないわ。死んだって説が濃厚だけどどうなのかしら?少なくともフィルツァー様はそう振る舞っているわね。実質今あそこのトップは彼よ」
エリザベスの言葉に反論しようと何かを言いかけ、俯くアルム。それを一瞥した後、彼女は続けた。
「でもね、ニクス……知ってる?“混血狩り”って言う組織」
「混血……狩りぃ?“名前狩り”じゃないのか?」
「何それ。名前狩り?」
エリザベスは進行形で起こっている連続殺人についてよく知らないようだった。
確かに此方にはトーラがいたからいち早く被害者の共通点を知ることが出来ただけ。他の者からすればこの程度の認識でもおかしくはない。セネトレアに殺人事件など日常茶飯事なのだから。
「ああ。アルタニアの……カルノッフェルが始めた横暴が、この第1島まで及んだらしいんだ。あいつの言う……“姉さん”。その名前を持つ者を狙った連続殺人が続いて居るんだ」
「へぇ。あの新領主様がねぇ……評判的にはそこまで悪くなかったみたいだけど、まぁ……狂人だしね、彼」
何時暴走してもおかしくはなかったかとエリザベスは頬杖ながらに深い溜息。そしてちらと横目をフォースへ向ける。
「ねぇ、ニクス。あんたはどうなの?」
「え?」
「あんたにとっての復讐って何?あの領主様は、復讐を終えた。終えてまだ人を殺している。そういうことでしょ?復讐って言うのは相手を殺せばそれで終わるのかしら?」
「どういう……こと、だよ」
カルノッフェルの復讐。そしてフォースの復讐。それを重ね合わせ、比較する言葉を紡ぐエリザベス。
「あんたはあの人が憎い。殺してやりたい。仇を討ちたい。そうでしょう?」
「ああ……」
深く頷く。
リフルには止められた。彼が殺すべき人間ならば自分が殺す。だからお前は手を汚すなと言われたが、復讐心を無かったことには出来ない。
押し殺そうとはしてきた。それでも……見てしまったのだ。
自分が何を望んでいるかを理解した。そうなったらもう……止められないのだ。例え彼の言葉でも。昨日まではもっと心に余裕があったはずなのに。
「それなら変な話よね。あの人を送り込むための下準備として送り込まれていた私。そんな私とあんたはこうして話をしている。不思議だとは思わない?」
「それは……」
頭から冷や水をかけるようなエリザベスの言葉。青い瞳がこちらを見ている。水底から見上げるようなその色。
「あんたの復讐の内側に、どうして私がカウントされていないのか疑問に思ったりしたわ。この半年……何度もね」
「それは……」
「それは?」
考える。今の今まで、そんな風に思ったことはなかった。
死んだと思っていた彼女が生きていた。それを知ったとき、彼女が手引きをしたのだと知っても……彼女を怨む気持ちにはなれなかった。
「エリザがあの人達を殺した訳じゃないから」
「間接的には殺したようなものよ」
「……それで誰かを怨んだら、キリがないよ」
アルタニアの城で彼女と出会って、救われていた部分がある。
生きるために殺した。保身のために殺した。殺しだけの生活。その中で彼女と出会った。道具じゃなくて、人間らしく……僅かに帰れる心があった。彼女にからかわれて恥ずかしがったり照れたり呆れたり。そんな風に思える内は、まだ自分も人間でいられるような気がして……救われていたのだ。
それに彼が自分だったなら……彼ならこう言うだろう。
「俺の大好きな……いや、尊敬する人はきっとそう言う。辛いことがあってもさ、自分のために誰かを怨んだりはしないんだ」
彼が怨むのはいつも自分自身。どんなことを、されてもだ。
彼が本気で怒るのは、いつも誰かのためだけだ。そんな彼を尊敬している。だから彼のそんなところを学びたい。そうすればこの薄汚い両手の自分も、少しはマシな人間になれるような気がして……
「俺はアルタニアで、いろんな人に怨まれるようなことをしてきた。それが許されるとは思わない。俺が直接手を下したわけじゃないけど……俺もエリザと同じだ。殺すための段取りをしていた」
処刑の方法を考えたり、殺す相手を調達したり。両手の数では疾うに足らない。そんな多くの人間を黄泉の淵へと送ってきた。
「俺は、俺が間接的に殺した人達の家族とか、恋人とかに怨まれて……殺されそうになったとしても、逃げられないし逃げちゃ駄目なんだろうな」
それが人殺しの代償で、責任。リフルから教わったこと。
自分が死にたくなかったように、彼らだって死にたくなかったはずなのだ。それを刈り取ってきた自分が狩られる番なら、受け入れるのが贖罪だ。
(それでも……俺は)
きっとその時情けない顔をするんだろう。怖い怖いと泣き叫び、震えてその死を待つのだろう。
それがわかる。だからフォースはエリザベスにこう言うのだ。
「だけど俺はそのことを何も思わずに平然とやってのけたわけじゃない。だからエリザだって苦しいはずなんだ」
目の前の彼女も、今こうして会話をしている自分を心のどこかで恐れる気持ちがあるはずだ。それはとても悲しいことだ。自分は彼女を殺したいとは思っていない。
それがどうか彼女に届きますように。そんな思いで言葉を紡ぐ。
「だから俺はエリザを俺の復讐に組み込みたくない。それだけだよ」
「ニクス……」
なんとなく気恥ずかしい空気に耐えきれず、互いに顔を背けたところで……その間にカップが置かれる。マスターが無言でそれに続けて置いた皿。これまた美味そうなサンドウィッチ。
頼んでませんよと言おうと顔を上げたフォースに、青い瞳のマスターはふっと口の端をつり上げくくくと笑う。
「…………余り物じゃ、気にするな」
「し、渋い……」
思わずほぅと口から感嘆の息が漏れたフォース。それを冷めた瞳で見るエリザベスの口からは溜息。
「あんたもし女だったら爺専門とかなってそうね……」
エリザベスのツッコミには何も言い返せなかった。
「って苦っ!爺っ!ブラックにしろって言ったのは私のじゃなくてこいつの!ああああ!何しっかりあんたはカフェオレなのよ!?」
「…………ふっ」
「ふっじゃないわよクソ爺っ!」
親指を立ててにやにや頷くマスター。いい人だ。おまけに珈琲も美味い。
文句を言いながらも珈琲をすすりだしたエリザベス。ふと大人しいなと思って振り向けば、アルムはこぼれ落ちそうな至福の笑顔。
「ディジットのより美味しい……」
アルムにはケーキまで出しているとは。このマスター抜け目ない。本当こんないい店が寂れてしまうのは勿体ない。
ていうか料理の腕はプロレベルのディジットより美味いケーキだと?ちょっと涎が出そうになる。しかし奪うのも大人気ないから目の前のサンドウィッチを頂く。あ、これも美味しい。ディジットのは素朴な美味さだが、これはその中にも気品が感じられる。確かに負けているかもしれない。感激のあまりしばらく何も喋れなくなった。
深呼吸を繰り返し、もう一切れと手を伸ばすのを躊躇う内にエリザベスに完食されていた。もうこうなれば話に支障はない。諦めもついた。意を決し、フォースはカフェオレを啜る仕事に入った。
「……そういや、混血狩りって言ってたか?」
せっかくの美味しい食事に添える話ではないが、そうも言っていられずにフォースは話を掘り返す。
「混血狩りっていうのはこのセネトレアで混血が生まれるようになった後に起きた虐殺事件のこと。彼らはそれを再び繰り返そうという組織ね」
「……ってことは構成員は純血至上主義者ばっか?」
「ええ。だからその子を連れて行くのはお勧めしないわ。gimmickと混血狩りの連中は何か関係あるみたいでね。時折そこの純血至上主義者達もあそこへやってくるから。見つかったら即アウトよ」
「それじゃあ……やっぱりエルムがあそこにいる可能性は薄いか」
そんな者に見つかったら、もし彼が無事でも無事では済まない。
アルムに釣られるように重なる溜息。けれどエリザベスはそこに一筋の光明をもたらした。
「…………それなんだけど、変わった噂もあるのよ。混血狩りの頭が、混血の子供を飼ってるって噂」
「混血の、子供?」
「それがなんと、赤髪の可愛い子らしいわよ。この子の片割れもそんな感じだったわよね?」
gimmickに所属していたエリザベスはエルムとアルムの外見を覚えていたようだ。一度や二度は食事係として顔を合わせたのかもしれない。
「それには賛否両論あるらしくて内部分裂もしてるみたいなんだけど、一応は混血を狩るための潜入捜査のために送り込む密偵役ってことで納得しているみたい」
「混血狩り……か」
これは興味深い話を聞いた。これを持って帰ればリフルの力になれる。
(リフルさんに伝えないと。トーラも掴んでいない情報か?やっぱ東と西の情報格差ってのはあるんだな)
このまま西へと帰ろう。そう思って思い出すのは親友のこと。
(グライド……)
「だからそっちの子は今あそこに行く意味はないわ。その子に会いたいのなら、混血狩り達の動向を探るようにお仲間にお願いしてみた方が余程有意義よ?」
「アルム……リフルさんに、混血狩りのこと伝えてもらえるか?」
「いいけど……フォース君は?」
「俺はまだやることがあるから、な?頼んだよ」
アルムの頭を撫でて言付けを頼む。勿論彼女一人では心配だ。
「エリザ、一緒に行って貰えるか?場所はアルムが知ってる」
アルムは馬鹿ではない。ただ抜けているだけだ。誰かが傍にいればそれも落ち着く。西側まで行けばホームグランド。それまでの道はエリザベスに任せる。それで帰り道くらいならなんとかなるだろう。一応メモした住所をエリザベスに託した。
「馬鹿ね。私を信用して良いの?」
紙を受け取りながら、微笑を浮かべるエリザベス。彼女に向かってフォースも微笑む。
「信頼してる。半年も俺を待っててくれたんだろ?疑う方がどうかしてる」
「この子を売り飛ばせば凄いお金持ちになれるのに?」
「売り飛ばす気なら俺にそんなことを言わないだろ。もし満面の笑みでオッケーとか即答したら疑ったけどさ。んじゃ!頼んだぜ!……あ、マスター幾らですか?」
「こいつの連れだろう?常連の知り合いから金は取れん」
「……でも」
「次からは金を取る。また来てくれればそれで良い」
ふっと笑う男気溢れるマスター。こんないい人がセネトレアに、それも東にいたなんて。フォースはまたもや感激する。
いざ行かんと戸口まで立ったフォースの背中に掛かる声。見送るように名残惜しそうに見つめる瞳。
「ねぇニクス……ええと、フォースだったっけ?」
「ニクスでいいよ。エリザからはその方が慣れてる」
「あんたはさ……領主様みたいには、ならないでよ」
「……?」
「復讐終わっても、復讐が終わらないとか止めてよね。そんなのあんたらしくないし」
カルノッフェルとフォースは違う。似ていても違う。だからそんな風にはなるなと彼女が言う。そしてすぐに、自分の心を打ち明けすぎたとさっと仮面を被るエリザベス。冗談めかしてふふふと笑う。
「あんたの件片付いたら、私報酬貰いに行くんだからしっかりしてて貰わないと」
「うっ……」
「別に賞金じゃなくても構わないわよ。一生掛かって払ってくれても」
「え……」
「あはははは!お子様には意味がわからないかしら?」
「……エリザ?」
「約束。これとかあれとか片付いたらあんたの奢りでデートしてよね。つまんなかったら怒るからちゃんとエスコート出来るようまわりのお兄さん達に聞いてきなさい」
一方的に掴まれた小指で指切りをさせられる。それを終えると彼女は優しく笑って見せた。
「意味が分かるまで一年でも二年でも待っててあげるからさっさといってらっしゃい?私の気が変わる前には帰って来てね、私気まぐれだから」
よくわからないが頷いて、彼女に手を振る。
*
走り去るフォースを見送るエリザベス。閉じた扉を見る目は温かい。
「ほんと、馬鹿ねぇ……ニクス。でも……だから、嫌いじゃないわ」
「それじゃあ好きなの?」
「あはははは、本当……貴方の方があいつよりずっと聡いのね」
エリザベスはアルムと手を繋ぎ、マスターに手を振って自分たちも外へ……そう一歩踏み出した。
「っ……!?」
その身体が傾ぐ。すぐさま理由に気付いて顔を上げるがもう遅い。
「爺っ……あんたっ!!常連にっ……毒を盛るとは、寂れてっ当然っ……!」
「悪く思うなよベス。しかしらしくねぇのはどっちだか。捨て猫のお前さんが人を信用なんかするとはなぁ、人恋しくでもなったかい?」
男気溢れるマスターは、暗い笑みを浮かべて煙草を吹かす。
代金を受け取らなかったのは、せめてもの情けだとその眼が言っていた。
「俺もお前が混血を連れてきたり、混血狩りの話を始めなければこんなことはしなかったんだからな」
男がそう呟いた言葉の何処までが倒れ込んだ二人の耳に届いていたのか。店内は穏やかな少女達の寝息と音楽だけが残された。
「それにしてもディジットか……懐かしい名前だ」
これも因果か、そう呟いて男は肩をすくめてみせるのだった。