0:Nomina sunt odiosa.
これは『悪魔の絵本(SUIT編2)隠者【逆】』の続きになります。
この章から本編軸(0章愚者)に並び、やっと人間カードバトルらしくなるはず。裏本編は裏だけに相変わらず物騒展開、そして本編に並ぶということは死亡フラグ回避は難しいと言うことで不幸展開が続くものと思われます。
バッドエンド上等という方のみ、お付き合いお願いします。
一つだけ、君と約束をしたんだ。
「………………君は最後に取っておこうと思ったんだけど」
しかしそれを果たす前に、君は死んでしまったというわけだ。
「そうか。残念だな……。でも…………それなら心おきなくやれるというものかもしれない」
姉と同じ名前を持つ少女。その墓の前で、男は笑った。
見えている。見えている。この眼は光を取り戻した。君のお陰だと、冷たい土の下で眠る彼女に微笑んだ。
せめて最後に一度、君の顔を見たかった。そう思った。でも見ずに済んで良かったとも思う。
彼女はそれを嫌がっただろう。眼球を失い、醜くなった自分の姿を見られることを嫌がるだろう。だから墓は暴かない。
そんなことをするのなら、埋める前に顔を合わせれば良かったのだ。
しかしその時自分は失望していたかもしれない。彼女が姉と全く違う顔だったなら。
自分は絶望していたかもしれない。彼女が姉と全く同じ顔だったなら。その死を深く嘆いただろう。
瞳を開けた先、十数年ぶりの世界は相変わらず醜い。それでもこの白い大地の色はどこか懐かしい。
何もかもが真っ白。父の罪もその下に埋めて、何もかもが真っ白。アルタニア。この土地は白紙の頁。
(僕がそれを記していいんだ)
「見えているかい……姉さん」
君が見たがっていたもの。それを自分は託された。
「そうだ。君に見せてあげるよ。僕たちは同じだからね」
不意に、思うことがあったんだ。君とは他人のような気がしなかった。
僕も、君も……時折我に返ればそう思う。どうして自分が今ここにいるのかと問いたい気持ちが浮かぶのだ。果たしてそれを自分が望んだだろうか?
それを考えれば考えるほど、僕らはそれが憎くて堪らなくなる。
手始めに復讐すべき相手は互いに殺したね。それでも僕らはまだ、飢えている。渇いているのだ。望んでいるのだ、まだ足りないと。誰を、何を、あとどれだけ殺せば見たされる?
許せないのだ。許せないのだ。こうして今ここで息をしている奴らが。
もう僕には彼女がいないのに、目を閉じれば聞こえてくる。名前、名前……ああ、その名前だ。
ありふれた名前。それでも高貴なその名前。どんな身分の者だって、その名にあやかりたくて仕方がない。
姉さんも彼女ももういないのに、その名前は聞こえてくる。愛おしげに、父から……母から……恋人から彼女たちは呼ばれているのだ。僕はもう呼ぶことも出来ないその名前を。触れることも出来ないその人の名前を。
それを呼ばれる度、彼女が墓から曝かれて……晒し者になっているような気分になるのだ。辱められているように思うのだ。
姉さんはもういないのに、姉さんの名前はまだこの世界に存在している。僕はそれが矛盾していることだと思うのだ。
だから、手始めにそれを禁止することにした。簡単なことだ。今後一切、アルタニアではその名を付けることを禁じる。今それを名乗っている者はすぐに改名。さもなくば即刻処刑。その名を口にした者も処刑。
これでこの土地が僕たちを脅かすことはなくなった。しかしまだ、まだだ。まだ足りない。海の向こうでは、この国では……他の国では……何百、何千というその名が存在しているのだろう。
ああ、忌まわしい。軽々しくその名を口にするな。僕の姉さんの名を、そんな風に口にするな。
*
「何なんだい、新しい領主様は」
「何なんだろうねぇ……残虐公程ではないんだけど、何というかねぇ……」
「……いいのか?アルタニア公」
「いや、構わないよ。本当のことだしね」
外から聞こえる住民の世間話。それを耳にした客人が眉をひそめる。しかしカルノッフェル自身はもう気にも留めない。自分の評判に興味がないとも言うのだろうか。
実際自分がどう思われていようと関係ない。どんな治め方をしても、人間という者は粗探しが好きな生き物だからあることないこと口にし批判するのは目に見えている。前領主が大暴れしたお陰で、自分の奇行はまだ可愛らしい部類に入り、人々もあまり気にはしていない。その逆鱗にさえ触れなければ、カルノッフェルという領主は良い方の部類に入る支配者だった。逆を言うならこの土地にさしたる愛着もなく、守ってやろうという気持ちもないということで、だから税を重くする気もないし、盛者必衰……終わるときはまぁ終わるものだろうという気分でやっている。
泥に塗れたような場所で生きてきたのだ。父親のように潔癖性でもない。他人に、人間にそもそも理想がない。人間の底辺を知っている。だからその程度のモノだという認識で見ている。いくら法を整えたって、犯罪はなくならない。それならそう重くする必要もないのだ。思い入れもない人間達、幾ら増えても減ってもどうでもいい。この島を繁栄させるためには金のやりくり、しいてはそれを生み出す人間の数。そう言ったモノを考えなければならないことは知っている。それでも金や領土に興味がない。先に述べたように守ってやる義理もない。
自分がここにいるのは、なんとなくだ。
復讐のためだけに生きてきた。これはその余生。何ともつまらないものだ。縁側で日に当たりながら、苦くなった緑茶をすすり続けているような生。
興味があることと言えばせいぜい二つ……いや、三つ。自分はそのために生きているといっても過言ではない。そもそも取り立てて自分を殺す理由が見つからないから生きることを優先しているようなものだ。
(姉さん……)
彼女に会うためだけに生きてきたのに。復讐の際、父から聞き出した情報で……最愛の彼女の死を知った。それからだ。母を不幸にし、自分の人生を狂わせたあの憎き男に復讐を遂げたというのに……日々がとても虚ろなのだ。はぁと、何度目かの重いため息。それに客人が鼻で笑った。
「善良な領主様の奇行で噂は持ちきりのようだが、その領主様と言えば、何をそんなに沈んでいるんだろうな」
「ははは、そうだねぇ。しかし其方もいろいろ大変だったみたいじゃないか。てっきり死んだものだと思ってばかりいたよ」
「勝手に殺さないでもらいたいな。もっとも……あの姫のせいでしばらくは身を潜めていなければならなくはなったが」
今表に出たら、処刑されるのがオチだと男は肩をすくめる。
セネトレア王とタロック王女の婚姻は、多方面に大きな衝撃を走らせた。カーネフェル、シャトランジア間での警戒は増したし、セネトレアという国の中にも大きな波紋を生み出した。その波紋を利用してやろうという男がこの黒髪の客人。彼は自分にとって恩人でもある。どうせ暇だ。彼の話に乗ってみるのも悪くない。
「私は国を治める気なんてさらさらないんだよ。だから貴方がこの国を統べるというのなら、アルタニアの支配権はそっちに移して構わない。私よりなんでも上手くやってくれそうだしねぇ。……だから力を貸せと言うのなら、アルタニアと私の票は貴方に与えて構わない。後一つか二つ……島を落とす必要はあるし、そのための下働きも必要だね。王への道は険しいよ」
まぁ、その時が来たら推薦くらいしてあげるよ。頑張ってねと手を振る。ひらひらと。カルノッフェルのその適当さに客人の方が溜息至難顔。それにカルノッフェルは以前の礼も兼ねて口を挟んでみることにした。
「あんまり評判はよくないんだろうタロックからの花嫁は」
何でもそれはそれは美しくも我が儘なお姫様で、気に入らない人間をすぐに処刑するだとか。それでも人妻になった彼女に心を奪われる馬鹿者も多いようで、長蛇の列が出来、それが処刑されてもまた増えるという謎の行列が城には出来ているのだとか。
官僚がそんな調子では国も立ちゆかない。彼女と王の破談を申し出る者も多いのだが、それを進言しに行った忠臣さえ魅了されてしまい帰らぬ人となるというのだから、第三者的立場の自分からすればその面白……いや、恐ろしいことこの上ない。
「手っ取り早く分かり易い悪役が出てきてくれて良かったじゃないか。貴方が謀反を起こして彼女を討ち取ればそれはそれで大手柄だよ」
「それがそう簡単にいかないから困っているんだ」
「なんだい?まさか貴方まで魅了されたとか言わないでもらいたいけれど」
「……馬鹿なことを。確かにあれは見栄えは良いが、それだけだ」
「ははは、いつも通りで安心したよ。本当に貴方は金にしか興味がないんだねぇ」
「当然だ。ここはセネトレアだからな」
「私にはよくわからない話だよ」
「俺からすればカルノッフェル、お前の方が余程不可解だ」
「まぁ、偽物純血同士仲良くやろうよ。……で?貴方は私に何をさせたいんだったかな?」
「お前は人の話を聞いていたか?」
「聞いてはいたんだけどね、真剣に聞く気がなかったんだよ」
「では聞け。聞き流すな」
「はいはい」
叱られた。この人は神経質な面がある。金勘定が好きな人だから時間も重んじる。だからこういうのは不愉快なのかも知れないな。
まぁ、それも自分には関係ないことだ。カルノッフェルはそう結論づけることにした。
その間も客人はくどくどと理詰めで注意を呼びかけている。
「お前が俺の役に立てば立つほど、俺が玉座に座る日も近い。そうすればこのセネトレアからお前の望むあの法を布く。俺が世界を統べれば俺はそれを世界に布いてやる」
「相変わらず上手いねぇ。そんな風に言われたら協力するしかなくなるな」
人を操るのが上手い人だ。餌を用意することを忘れないのだから、そこまで自分に関心がない自分はその餌に食い付かずにはいられない。その餌が美味しいものならば、そこがどんな場所かわからずに飛びついてしまう。
以前は復讐という餌。飛びついた結果がこの様だ。領主なんて楽しくも虚しく退屈な日々。
そんな退屈している人間に次なる餌を与えることを厭わないのだから、この人も大概暇なのか、駒が少ないのか。いや、その立場上……あまり身近な駒を作ることが出来ないのだろう。彼は内に危険なものを持っているから。
「これが俺の調べた内での、王都でのその名の女だ。お前はある殺人鬼の名を騙り、こいつらを好きに殺して構わん」
「へぇ。それはそれは……面白そうだ」
赤目の客人から手渡された書類の束。その名を持つ女達の住処から行動、生活パターンまで。この情報を元にその駆除を行う。悪くない話だ。どうせアルタニアは暇なものだ。この客人の部下にしばらくここを任せるとして、王都観光に行くのも悪くない。
領主なんて箸置きだ。その程度のモノだ。いてもいなくてもいい。判子を押す代理人がいればそれで良いのだ。いざという時、知らない責任を押しつけられる危険を承知するのなら。もっとも、その時は返り討ちにすればいいだけだ。凡人では後天性混血の自分には敵わない。
「どうせ王都に法はない。一般人の女子供がいくら死のうと問題にはならん。貴族連中に手を出すのは問題だが……その名を騙ることでそれも許される」
「へぇ。それで?私は何と名乗れば良いのかな?」
「スート……殺人鬼suitだ。お前も以前会っただろう?」
スート。トランプの模様を表す言葉だ。しかし言葉が足りない。決定打に欠ける。どれでもあってどれでもない。そんな印象を受ける名前。
混血の殺人鬼と噂される人間だ。どの国の人間でもあって、そうでもない。誰でもあって誰でもない。
(そんな意味なのかもしれないな……そうだな、悪くない)
自分もそんなような者だ。この身体には嘘が多く含まれている。後天性で混血に目覚めたときに黒から金へ変わった髪。
そう。タロックの黒目さえなければ純血として誤魔化すことが出来る。だから一度、この眼を失った。カーネフェル人を装って屋敷に入り、復讐を遂げた。
そして今……くぼんでいたこの顔には、死んだあの子から移植した青い目。今では誰が見ても立派で稀少なカーネフェル人。言い寄ってくる女達が煩わしい程。そんな事を思っていると、客人が何やら話しかけてきた。
「着任早々、盲目のお前が姉と誤った娘がいただろう?」
何の話だっただろうか?ああ、殺人鬼のことだった。もう四ヶ月も前の話じゃないか。そこからどうして娘の話に飛ぶのだろうか。彼に限っては脱線と言うことはないはず。
それなら思い出してみよう。
「ああ、父親探しに来たというあの可愛い声と顔の子か。触った感じだとか雰囲気とかから本物かと思ったんだけどねぇ……」
存外簡単に思い出せた。勘違いとはいえ、一時期姉だと思い込んでいた少女のことだ。視力を失ってから脳裏に描いていた姉とピタリと重なる印象を持っていた……父の飼っていた番犬に攫われた少女のことだ。その後を追うように命令したけれど、別人だったと言われてそれっきりになっていた。姉さんは純血だ。混血ではない。
関心が薄れればその程度。襲いかけた相手のことだがどうでもよくなった。やっぱり姉さんは死んでいたのかと落ち込んだ。そんな風に忘れていた相手。それを思いの外簡単に思い出せて、内心驚いた。そして続く言葉にさらに驚く。
「あれが殺人鬼suitだ」
「へぇ、あんな小さな女の子がねぇ……」
「いや、男だ」
「え、そうなのかい?」
ぞくりと肌が鳥毛立つ。珍しく気分が高揚している。
彼女……いや彼か?どっちでもいいか。ともかくその子が殺人鬼。何しに来たのか。わざわざこの城まで何しに来ていたのか。先代を殺しに?それとも後継者の自分を殺しに?
おそらく後者だ。あの時自分は毒に倒れた。仕事に戻った後、すぐに倒れた。得体の知れない症状だった。腕の良い闇医者がいたから何とか助かった。死にかけたということも今の今まで忘れていた。
しかしそれを思い出すと、楽しい気分になってくる。こんな気分をくれるのはあの番犬の少年くらいだと思っていた。そんな相手が他にもいたのか。
そんな相手の名を借りて悪さをする。そこにその子は出てくるだろう。一緒に遊ぶには確かに面白いかもしれない。
土に埋めた彼女とは違う。ちょっと、見てみたい気持ちになった。もしかしたら姉さんに似ているだろうか?いや、似ていなくても彼は楽しませてくれそうだ。そう、どっちでもいいのだ。
「それで?その名を使うって言うことは、何かその子にあったのかい?」
「仕事のトラブルでな、俺とやりあって行方不明。死んだという噂もあるがな、証拠は掴めていない。お前が騒ぎを起こせば尻尾を出すだろう。本人か、或いはその飼い犬かがな。俺はそいつらを一網打尽にしておきたい。玉座まで後一歩という所で邪魔に入られては敵わん」
「なるほど。それで敵側の評判を落としておきたい。そういうわけだね」
「そう言うことだな」
「……いいよ、面白そうだ。その話引き受けることにしよう」
「やる気になってもらえて幸いだ」
最初からそれ以外の返事は聞く気はなかった、当然だと言わんばかりに、客人がにぃと笑うのを見る。それに自分も笑みを返してやった。
(ああ、楽しい旅行になりそうだ)
*
少女は見ていた。いつものように外を見ていた。それはそんなある夜のこと。
窓の外には月明かり。その優しく光。それでも絶対に触れられない、冷たい光を私は見ていた。
私は月を見た。月が私を見た。おかしい。月が、二つある。 月が降りてきた。月が近づいてくる。いいや、違う。あれは月じゃない。月みたいな……綺麗で冷たい銀色の髪。月明かりに薄れる夜の闇より尚暗い……深く綺麗な紫色の瞳。彼は普通の人間じゃない。混血だ。一目で分かる。この国には沢山混血がいるから、私はこれまで何人も見たことがあるけれど、こんな色は初めてだ。
私は微笑む。私には解った。解ってしまった。彼だ。彼がSUITだ。人々の噂で聞いたのと同じ色。微笑む私に彼は驚く。そして足を止めたのだ。
血まみれの彼。そして彼を追う声と足音。追われているんだ。私はこっそり手招きをする。
彼は一瞬戸惑ったみたいだったけれど、他に方法もないと知ったのかそれに従った。
「君は一体……何を考えているんだ?」
通り過ぎた足音に、殺人鬼が口を開いた。
「私が何か、おおよその察しはついているんだろう?」
「血まみれの洋服。貴方は人殺しか何かでしょう?しかもその銀髪。ってなると噂の彼くらいしか心当たりは見つからないわ」
「そこまで解っていて何故……」
「一目惚れに理由なんてナンセンスだわ」
「……はい?」
「というわけで、このリア様が匿ってあげた恩。お茶を出してあげた恩。着替えを貸してあげた恩。女の子の部屋にあげてあげた恩。貴方のことを黙っていてあげる恩。この恩返しをして貰いたいものだわ」
私の言葉に唖然とした表情。そうしてみると凄く子供っぽい。ていうかむしろ子供そのもの。幼い顔立ちしてるし結構小柄。こんななりでよく人殺しなんて職業やっていられるものだと感心してしまう。
「ああ、勘違いしないでね。変な意味じゃないから。この部屋見てわからない?」
「……ゴミ屋敷」
「お、乙女の部屋と呼んでちょうだい!」
「……画材に画布、……芸術家か?」
「そ、私は絵描き。その駆け出しの見習いみたいなもんよ。私は君を気に入った!是非ともこの絵の被写体にっ!」
「いやしかし……」
やはり犯罪者だからか、絵とはいえ情報流出は困るのか。彼はなかなか首を振らない。
「大丈夫大丈夫!女装似合ってるじゃない!やっぱり私の目に狂いはなかったわ!女装姿でなら正体なんてバレないって!ね?お願い!ようやく食指が動いてきたのよ。君に断られたら私ここの家賃も払えなくて追い出されるかもしれないし食べるものにも今以上に困ることになっちゃうのよ!」
……なんて同情させるような言葉が口から出たけど、そんなものに頷く殺人鬼が世の中にいるわけないわよねぇ。
「……そういうことなら、まぁ…………わかった。君は私の恩人だしな」
「え。ほんとにいいの?」
「ああ」
「ほんとにほんと?!やったぁ!それじゃいろいろ準備したりするからまたうちに遊びに来てよ!待ってるから!」
別に約束守ってくれなくても良かったんだけど、律儀な殺人鬼もいたものだ。彼はたまにふらりとやって来る。毎回手みやげを欠かさない辺り(しかも食料品)女(からはかけ離れてる自覚はあるけれど)心を解ってるわね。
人生何があるかわかったものじゃない。唯の気まぐれでの夜更かし。単なる興味からの匿い。そこから私は奇妙な茶飲み友達を手に入れたのだ。