試しの塔(5)
目が覚めた。
食べられてしまって、おかしな形の魔獣のお腹の中なんだろうか……とか訳の分からないことを考えながら、ロシュはあたりを見回してみる。
ドス黒い霧が、いつの間にか晴れている。
空気の触れ方が違うから、お気に入りの衣装をまた身に着けていると分かる。
狭い空間に、どうにか分類らしきものをつける途中だった物品の山。
連れ戻されたらしい。
『気づいたか』
上から女性の声が降って来た。『おおっと、急に頭を起こすなよ。私の鋼の頭蓋骨に衝突して大事故だ。具体的には頭がはじけ飛ぶぞ、まあ……ここなら、それでも生きてはいられるけどな』
おそろしいことを平然と口にして、女が小さく喉を鳴らした。
豊満な肉体美を誇る肢体が、ごくわずかに震える。
無力なる者を恐れさせまいと女戦士の方で気を遣ってくれたのだろう。
畏怖を覚えざるを得ぬ厳めしい意匠の鉄仮面(猛牛の頭を模している)と、魔獣の紫色の血がべっとりとこびりついたままの大型斧が、少し遠い位置に置かれている。
純白の戦闘服に浴びた大量の返り血は乾ききっているものの、さすがに如何ともしがたかったようなので、ロシュも気にしないことにした。
返り血だらけとはいえ艶っぽい美女に膝枕されちゃったりなんかしているというちょいと幸せな現状よりも、ロシュにはしかし(無礼なことに)、自分を持ち去って玩具にした魔獣の事が気にかかった。
「あいつは? ぼくは……」
『奴は殺した』女は平然と言った。『お前は魔獣に魔法をかけられて連れ去られていたから、とりあえず人間の形に戻るくらいまで治療して連れて戻った。本当はグレーゴルの役目だろうが……まあ、私でも問題ないだろう? ロシュには恩義もあることだ』
「恩義って……ああー、ぼく、また何かしちゃいました?」
『ほう、冗談を言う余裕があるか。すぐに慣れそうだな』
何かあるたびに、何もなくても、いきなり魔物や魔獣に魔法にかけられて、どこかへ持ち去られて弄り放題にされるしかない。
自ら戦うための力を手に入れようとでもしない限りは──あんな痛い思いや辛い思いに、慣れなければならない。
そんなの嫌だ、と抗弁しようとして、やはり慣れてしまうのだろうと思い直して、ロシュは黙り込んだ。
「助けてやろうか」と言ってくれたグレーゴルを……ドライバッハと彼の騎士団を拒んでしまったのだ。
女は何も言わなかった。
ロシュは彼女の慈愛に溢れた微笑みを下から眺めていたが、すぐに気まずくなって、言い訳するように言う。
「あっ、あの……ありがとう、助けてくれて。ぼく、あんなこと言ったのに」
『他人と関わりたくないっていうあれか? 気にしてるのか』
「……うん」
グレーゴルはドライバッハ王に報告を上げると言っていた。
当然、騎士団にも自分の言ってしまったことが伝わっているはずだ。
他人を拒絶したいのに、他人に依存しなければやっていけない職業を選んだ。
たった一人ではどうしようもないのに、厳しいことで有名な試練を受けている。
ぼくは一体、何をどうしたいんだろう。
困った表情を向けてしまっていたようだ。
女が少し考えて、言う。
『あのなぁ、ロシュ。別にお前が助けを欲していようといまいと、私たちがお節介を焼きたくなれば遠慮なくそうするんだよ。お前が気にすることじゃない。テキトーでいいんだよ、グレーゴルともそう約束しただろう』
「……何か、恩返しとか、できるかな?」
『できるようになるといいな』
女は薄く笑って、体を起こしてみるようロシュに促した。
身体の動きを確認するように、じわりと半身を起こしてみた。
『どうする。試練なんかやめて、私と過ごすか?』
向き合ったとたんに、女戦士が真剣な口調で言った。
冗談にしても誘惑にしても不自然すぎる。あまりにも脈絡がない。本気ではないと容易に判断できる悪戯っぽい顔が、ランプの薄明かりに浮かんでもいる。
「んー……ちょっと言ってみたって感じ?」
『まあ、そうだな。守るべきものを失った古い戦士の戯言だとでも思ってくれ』
「失った、って? ドライバッハ様がいるじゃない」
『今の奴は暗黒魔法を極めた無敵の暇人だぞ。どうして昔みたいに警護がいるんだっての』
「ああー……まあ、そうだよねぇ」
2022/9/30更新。