試練(6)
ヘルベルトが罹っている病は心と身体に様々な症状を呈する。
その病のために、義父には己を制御できなかった時期があった。
養子たちをかわいがり、優しさや期待を当然に持って接することができていた時期が、確かにあった。
ヘルベルトは尋ねた以外のことを積極的に語ろうとはしない。
後先考えずにロシュを養子にしたことを後悔しているわけではないのか、やたらと謝ろうともしてこない。
ロシュは義父を問い詰めなかった。責めなかった。
全てを聞き出す必要まではない。
50年と少しも生きていれば、言いたくないことの十や二十はあってよい。
それに、相手が養子だろうと誰だろうと、過去や為して来たことに文句を言われるのは嫌なものだ。
聞きたいと思っていたことを義父自身の口から聞けただけで十分だった。
「話してくれてありがとう」
不思議なことだったが、なんだかヘルベルト義父さんのことを少しだけ理解できたような気がしている。
初めて彼の役に立てたような、奇妙な達成感を感じている。
期待に応えることはおろか、お手伝いの一つも、病んだ彼のそばについていることさえも、できなかったのに。
「いや」
わずかに首を横に振ったヘルベルトが、迷宮に吹く冷たい微風に、瘦せこけた身体を震わせた。「……冷えるな」
「はい。あまり長居をなさるとお身体に障ります」
「そうだな。私の現実に戻っても、私を待つのは変わらぬ療養の日々だが……戻るか」
ロシュにとっては厳しくつらい、まぎれもない現実。
だが、義父にしてみれば、この迷宮は単なる夢想、幻影にすぎない。
彼が戻りたいと思えば、すぐに彼の現実に戻ることができる。
実際、その言葉を発した瞬間に、目前に彼のための魔法の扉が出現している。
「現実。私の現実、か」
良いことからあくどいことまでを幅広く行って築いてきた、一国にも等しい農地と豪華な館と多数の会社。
強くない体を押し、無理を重ねて保ってきた名誉と人望と、そして、お金。
そのすべてを養子たちに譲ったヘルベルトは、彼が言ったとおり、自らの病と対話する日々を過ごすしかない。
「ここに留まるよりはマシです」
「ふふふ……そうだな」
「そうですとも」
そんな現実でも、恐怖と不安に覆われたこの場にいるよりはマシだ。
体と心の調子が少しでも戻ったならば、家族と話すのもよい。
もう一度、家庭を作り直してくれたっていい。
親に対して悪しかれと思う養子がどこにいるものか。
ゆっくりと、ふらつきながら立つ義父の手を支える。
「お薬をお忘れになりませんように」
「うむ」
「お困りのことがありましたら、どうか“隋風の園”へご連絡を」
「ああ。心配をかける。すまぬな」
「ぼくの方こそ。ご迷惑をおかけしました」
「構わん。ここは、お前が何かを手にするための場所なのだろう。遠くから応援しているよ、ロシュ」
「ありがとう、ございます。……お義父さん」
「……では、な」
義父の手がロシュの手を離れた。
ヘルベルトは2段ほど階段を下りて、幻影と現実を隔てる扉をくぐり、彼の現実へと戻って行った。
呆然と(少しの安堵とともに)義父を見送った、かと思えば、
「よー、ロシュよぅ。あんなんでよかったんかよ?」
いきなり真後ろから声をかけられる。
「わぁぁっ!! ざっザザザザック兄さん!? いつから聞いて……っっ、っていうかどうやってここに!」
ザクセン=ギゥレが、冒険用の装備である黒い甲冑(とても高級な品だ)に身を包み、腕を組んで立っている。
「ばーっかお前ぇ、俺様を何だと思ってんだ。【黒騎士】ってのは超一流の【魔導師】でもあるんだぞ? できることをするのに理由は要らんだろうが」
確かにそうだが、なんだか納得しかねるロシュである。
なので珍しく、ロシュは口をとがらせて“兄”と慕う騎士に抗議してみた。
「……ザック兄さんはいつもそうです。気まぐれで、ぼくを引っ張りまわして、振り回して……」
「ふふん」ザックが鼻を鳴らして、機敏な動作でその場にしゃがみこんだ。「よく我慢した方だと思って欲しいね」
2023/1/23更新。
2023/1/24更新。




