試しの塔(3)
目が覚めた。
瞼が重たい。身体をのろのろと起こす。
乳白色の異次元空間が視界に広がる。
……生きている。
喜びを叫ぶ気力までは湧いてこないが、半ば全てを諦めて眠りを選んで、まだ生きている──嬉しくもなっちまうってもんだ。
ロシュは気分の上下が激しいのをどうにかしたいと思っているが、今のところ思っているだけである。
どうにかしたい事や何とかしなきゃならない状況に限って、どうにもならない理由ばかりが見つかる。
間抜けにも、15年間も、そうして生きて来てしまった。
『黒土乃国』の手厚い福祉制度に頼って、自分の力を磨こうともして来なかった。
病気みたいなものだと割り切って、気分と行動をうまく噛み合わせられるようになればよいのだ。
ヴァレリア師の言葉をまた思い出し、沈んだ気分を少しでも浮かび上がらせる。
そうして感情を無理矢理にでも整理すると、寝ぼけた頭にも情報が流れ込んで来る。
『アイテムボックス』の内部は、【運搬者】の特別な領域だ。
閉ざせば中から開けないと開かないし、衝撃や破損にも非常に強い。
魔法が使えなくても、外部の状況が手で触れているかのように分かる。
普段は他人よりも鈍い感覚を、時間をかけて研ぎ澄ます。
イメージする。
呼吸している空気は外の空気。触れている空間は外の空間。
把握する。ここがどこか。
【運搬者】だからできる。
ずいぶん下まで来ているようだ。
悪い予測ほどあたる。どうにかして、おそらくまだ知られていない階層まで運ばれてしまったのだろう。
慎重に呼吸してみる。
空気がひどく冷たい。先ほどよりも濃い暗黒の魔力が充満し、鼻を刺激する異臭が漂っている。
魔獣の気配も嫌になるほど満ちている。
『アイテムボックス』が少しも損壊していない奇跡──あるいは魔獣どもの気まぐれ──に感謝する他ない。
ロシュは愛用のハンカチで鼻と口を覆った。
ララベル姉さんの香水と同じ、百合の花の香り。
心が落ち着くのを待った。
次はこれからどうするかを考えなければならない。
借りたり預かった物品は手元にない。
武器も防具も、道具もない。
でも、でも……試験を受けると決めたのは自分だ。
「……よし」
勇気を振り絞って立ち上がる。
一度はすべてを諦めてしまったくらいだ。残ったのが身体と命だけなら、それを賭けて前に進むのも良い。
跳び上がって異次元空間の天井に手を伸ばし、先ほど自ら閉じた金属製のファスナーを慎重に開ける。
顔だけ出して外の様子をうかがってみた。
覗き込んでいた骸骨戦士と目が(相手には瞳がないが)あって、
「ひゃああーーっ!!」
『おわーっ!』
ほぼ同時に声を上げて、ガイコツは跳び退き、ロシュは再び顔を領域内に引っ込めてしまった。ファスナーを閉めるのを忘れて。
「あ、あはは……」
ああー人間って怖すぎると笑い出しちゃうんだなー、なーんて思いながら、ロシュは恐る恐る差し込まれた骨だけの手に全身を預けてみた。
もうどうにでもなーれ、だ。あははー……。
ものすごい力で冷たい床の上に引っ張り出されると、小人族(人間の大人の人差し指くらい)と同じ大きさになって引きこもっていたロシュの身体が元の大きさを取り戻した。
『な、なんだー。人間族の子どもかよ。ビビって損したわ』
「……拾ったものを持っとくからだよ」
『そーだな。いや、開け口っぽいのがあるのに何しても開かねーじゃん。何かすげぇお宝でも入ってんじゃねぇかと思ってよ。王様のところに持ってくかどうか迷ってたんだよな』
「迷ってたんだ……王様だから尊敬してるとかじゃないの?」
『おれン所のはそういうのに無頓着なんだよ』
身につけた重厚な鎧から、歴戦の勇士と分かる。暗黒の魔法で古代から生き続ける背の曲がった王に未だ仕えているようだが、どうやら忠儀の騎士というわけでもなさそうだ。
おちゃらけてていて不真面目でちょっと素行不良、と言ったところだろうか。
あと、口調がライヒェルト兄さんに似てて、外見の割には話しやすい。
ふぅん……、なんて適当な返事をしながら、ロシュはさらに目の前に座った骸骨を観察する。
2022/9/15更新。